>>611 徒然草 第ニ百三十一段
園の別当入道は、さうなき庖丁者 (ほうちょうしゃ) なり。或人の許にて、いみじき鯉を
出だしたりければ、皆人、別当入道の包丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんも
いかがとためらひけるを、別当入道、さる人にて、『この程、百日の鯉を切り侍るを、
今日欠き侍るべきにあらず。枉げて申し請けん』 とて切られける、いみじくつきづきしく、
興ありて人ども思へりけると、或人、北山太政入道殿に語り申されたりければ、
『かやうの事、己れはよにうるさく覚ゆるなり。「切りぬべき人なくは、給べ (たべ)。
切らん」 と言ひたらんは、なほよかりなん。何条、百日の鯉を切らんぞ』 とのたまひたりし、
をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。
大方、振舞ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、勝りたる事なり。客人
(まれびと) の饗応 (きょうおう) なども、ついでをかしきやうにとりなしたるも、
まことによけれども、ただ、その事となくてとり出でたる、いとよし。人に物を
取らせたるも、ついでなくて、「これを奉らん」 と云ひたる、まことの志なり。
惜しむ由して乞はれんと思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。
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