韓国料理は日本料理のように世界的人気になるか?101

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154上野アメ横の歴史
>>149
現在のアメ横の原型は、終戦直後、現在のJR山手線上野駅〜御徒町駅間に多数の
バラック店舗が軒をつらねた簡易マーケットが建設されたところにさかのぼります。
戦前は 「しょうべん横町」 と呼ばれる下町的な住宅密集地帯であった。戦争末期、
しょうべん横町の近くにあった国鉄ガード下の変電所を空襲から守ろうと住人を
強制疎開させて、しょうべん横町は空地になった。さらに、上野駅と御徒町駅の間は、
国電が大きくカーブしていて、駅からも交番からも見通しがきかない盲点だった。

終戦直後、ここに目をつけたヤクザや復員兵が集まって物々交換をしたり、品物を
売ったりしたのが、ノガミの闇市の起こりである。

食べ物は、落花生、スルメ、ふかし芋、うどん、そば、さつま揚げなど。また、ネギの
ぶつ切りにしょう油をたらしたスープ 「ネギ汁」 や、水に紅色を混ぜて甘味をつけた
「甘水」 など、かなりいかがわしいものもあった。

なかでも一番人気があったのが 「残飯シチュー」 であった。進駐軍の炊事場から残飯を
持ち帰り、大鍋に放り出して煮込みなおし、どんぶり1杯を10円ほどで売っていた。
コンビーフの匂いが食欲をそそり、大鍋の前には長い行列ができた。時間が経って
酸っぱい味になるのは当たり前で、ときには煙草の包装紙やひどいときはコンドームなども
まぎれこんでいたが、喜んで食べたという。
http://www.hakuraido.com/hakuraido_01/ameyoko/ameyoko.html