>>136 人追い払って 残飯守る仕事
敗戦の翌年、大凶作で一千万人の日本人が餓死するのではないかという
非常事態があった。幸い進駐軍が大量の食糧を放出し最悪の事態は免れたが、
とにかく腹が減るので東京・丸の内の煉瓦街にあった進駐軍の要員を募集する
事務所に行った。
食の提供があればボーイでも何でもしたいと希望を述べたら、日系2世の米兵が、
「ならば KP をしなさい」 と、米軍が接収した神宮外苑の施設へ紹介状を書いてくれた。
KP という仕事がどういうことをするのかも知らずに訪れると、それは炊事場で
働く雑役のようなものであった。
最初にさせられたのが、残飯桶に群がる日本人を、棒切れを持って追い払う
仕事であった。戦争に負けるとはこういうことなのかと、泣きながら群衆を
追い払った記憶は今でもよく覚えている。
最初に食べたハンバーグの夕食のうまかった味は今でも忘れられない。
後で知ったことだが、残飯は業者の手で新宿や浅草の闇市に出され、大鍋で
ぐつぐつ煮られ、「マッカーサー元帥払い下げの雑炊」 と称して、飛ぶように
売れていた。
東京都町田市 加藤 泰丕 73歳 (平成15年1月29日掲載)
http://members.jcom.home.ne.jp/eiarai/koe/sintyugun/sintyugun.htm