>>300 南島祖語ではなかったのか、どうもありがとう。
畑pataは朝鮮語patの開音節化した借用語だと思いこんでた。
松本克己の『世界言語のなかの日本語』によると、
kasa(笠) < kat(冠帽)
nata(鉈) < nat(鎌)
が他にも借用語としてあげられてた。
ここで香春(かわら)が挙げられたから、考えてみたんだけど、
「春」と「墾る(はる)」って、同じアクセントで、春の語源説に墾るがあるぐらいだから、
やっぱり、地名の「ハル」は「墾る(はる)」由来なんじゃないか。
ただそうなると、「ハル」という音に対して、原とあてた地名は「ハル」を保存していたのに、
春とあてた地名が「ハラ」に変わるって変な話になるのか。
そもそも、動詞が終止形のまま地名になることってあるのだろうか。
>>301 松本の本はいま手元になくて確認できてない。
朝鮮語のpatは中期朝鮮語ではpath Lだから、おそらく古代は*patakのような形じゃない?
ボビンもpathと日本語のpata LH、patakë LHLを比較している。
中期朝鮮語の-hについては何も言わない。
日本語のハタの用法が限定的(複合語の一部ばかり)だから借用語だろうけど、
琉球諸方言にも広く確認されるから、かなり古い時代の接触の結果だろうとしている。
kasaとnataは、並べたとたんに、「それ不規則じゃね?」って
ツッコミを入れたくなるけど、松本は何か言ってる?
鉈は上代の例がなくて中古以降だから、偶然の一致かもしれないし、
比較的新しい借用かもしれないとボビンは言っている。
笠も借用かもしれないけど、対応が不規則で問題がある。
一応kas Rという異形態が中期朝鮮語でも1度だけ出てくるらしいけど。
>>302 俺は今のところ香春に深入りするつもりはないんだけど、
ひとつ言えることとしては、いろいろ想像をふくらませる前に、
まずはこの地名の用例を一通り抑えた方がいいんジャマイカ?
風土記逸文で言及されるくらいの由緒ある地名だから、
文献を並べるだけでわかることがあるはず。
ちょっとスレ違いの話をしてしまったけど、どうもありがとう。
これも琉球王国からズレた話かもしれないが、
沖縄奄美には銘苅(めかる)、蘇刈(そかる)なんかの動詞の終止形でおわる地名があるんだな。
306 :
マンセー名無しさん:2012/10/22(月) 10:04:00.96 ID:yT23Pcy3
徳之島の徳って漢語だから当て字だよね?
自称他称で、もともと何と呼んでたの?
307 :
マンセー名無しさん:2012/10/22(月) 16:14:23.92 ID:ALEZp0jO
原をはる・ばると読むんじゃなくて、はる・ばるという音にに原という漢字をあてたんやろ
てことは、琉球の地名に漢字をあてたのは、九州の地名に詳しい奴ってこと
行政レベルで、倭寇か薩摩が関わっとるんやない?
308 :
マンセー名無しさん:2012/10/22(月) 18:10:05.96 ID:LTlAEodB
>>306 「トク」と申す島
と渡海日々記に書いてあるからトク。
続日本記には7世紀に「度感」という島が入貢したと書かれていて
徳之島かトカラの事だと考えられている。
309 :
マンセー名無しさん:2012/10/22(月) 23:11:07.27 ID:yT23Pcy3
>>308 トクの意味は、方言で特別な意味とかあるの?
それとも、多くの地名と同じように由来不明?
地名ついでで先島がどういう語感なのか知りたいな。
宮古と八重山に一体感はなさそうだけど。
311 :
マンセー名無しさん:2012/10/23(火) 02:07:08.82 ID:Zavsty9V
>>309-310 「とく」の語源は不明。
「宮古」は、稲村賢敷によれば
「都」と同語源で、元々は各地方の首邑を意味する一般名詞だったのが、
島全体の総称に転換されたんじゃないかとの事。
平良市の語源であるピサラも同じで、首邑を意味する一般名詞が
宮古島で最も大きい東仲宗根、西仲宗根、西里、根間のあたりを
総称する言葉にいつの間にか固定された、としている。
ちょっと記憶が曖昧だが、元々はピサラは平原を意味し、
平たい所は邑を作るのに最適だから、邑の意味になった、
とか書いてあった気がする。
312 :
マンセー名無しさん:2012/10/23(火) 02:28:46.86 ID:Zavsty9V
八重山(やい・ま。八重山人はえいまんちゅと発音する)は
「八重山歴史」だか「新八重山歴史」だかが
本土の「比叡山」の呼称「ひえの山」と同語源じゃないか、
と言ってるが真偽は不明。
とりあえず、有人島である八つの島を総称して八重山とした、
というのは後からのこじつけだと思う。
「八重山島年来記」とかは
明らかに石垣島だけを指して「八重山島」と使ってるから。
313 :
マンセー名無しさん:2012/10/23(火) 02:48:28.18 ID:Zavsty9V
語源と言えば宮古島の最高峰・野張岳は、
元はウプタキ(大岳、大武岳)と呼ばれていた。
文字通り大きな山の意味。
野張岳に変わったのは、山麓に野張村ってのが立村されてから。
元は山麓には「大嶽島」っていう村があったんだが、
与那覇原勢に攻め滅ぼされた。
で、残党は故郷を完全に放棄して、
東に2qくらい行ったところに「大あらす原」って村を作った。
後代に、この大あらす原と、平良南部の野原部落と、
久松部落から人間を出して、
大嶽島の故地に作ったのが今の野原らしい。
>>311-313 くわしい解説ありがたいんだが、聞きたかったのは「先島」という言葉についてなんだ。
これ沖縄からつけた名前だよね?自分たちでも使うの?
315 :
マンセー名無しさん:2012/10/23(火) 10:16:19.83 ID:Zavsty9V
>>314 先島というのは沖縄本島から見て先にある、
というそのままの意味で、ごくごく新しい概念。
だから語源について疑問はない。
自分たちでも使うか、と言われれば、
本島と区別するのに便利な概念だし、
そういう必要性は結構あるから、使う事はある。
ただ、あなたの言うように宮古と八重山は昔は仲が悪かった。
現代でも距離が離れているために親近感はない。
だから先島ナショナリズムみたいなのは一切ない。
316 :
マンセー名無しさん:2012/10/23(火) 10:33:15.07 ID:Zavsty9V
人頭税に代表されるように、
宮古・八重山は中央から一緒くたに扱われる事が多い。
そういう状況を踏まえて、
外向けに説明する時には使うね。先島。
ただ内部では全く使わんね。文化的背景がある用語ではなく、
行政の都合による用語と言える。
>>315-316 解説サンクス。
離島でいうと、久米島にも士族がいたりと共通点があるけど、
さすがに宮古・八重山とまとめるには離れすぎか。
ガーラがらみで、何となく琉球館訳語を眺めてみた。
この文献の来歴とか全然しらないし、とりあえず見てみただけ。
ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110006993099 以下は左が琉球館訳語で、右が対照されている日本館訳語。
ルビは木村晟と李俊生が振ったものだと思う。
448 頭 嗑藍子 || 402 頭 嗑世喇
「嗑藍子」に「カシラ」とルビを振っているけど無理がある。
他の訳語と見比べつつ、普通に読めば「カ/ガ ラ ツ/ズ」になるはず。
459 髪 加藍 || 413 髪 嗑密
これも「加藍」に「カミ」とルビを振っているが、「カ/ガ ラ」だろう。
347 叩頭 嗑藍子 || 396 叩頭 南都急都急
386 再叩頭 馬達嗑藍子乞
それぞれ「カしラツき」、「マタカシラツキ」とルビを振る。
「頭」と「叩頭」の訳語が同じなのにルビを変えるのは変。
「再叩頭」の訳語からすると「嗑藍子」の「子」は誤分析で残されたもので、
「頭」は「嗑藍」なのかもしれない。
319 :
マンセー名無しさん:2012/10/24(水) 00:00:47.96 ID:6Nbx53na
>>318 宮古方言では髪の事を「カラズ」と発音するから
誤分析ではない。確かに「子」の音がある。
今の本島の方言では「カラジ」と言うらしい。
320 :
マンセー名無しさん:2012/10/24(水) 00:12:11.70 ID:6Nbx53na
ともあれ上の人の言うとおりで、確かに「カシラ」とは読めん。
余りにも適当な仕事ぶり。
競争ないとこうなってしまうのか。
321 :
マンセー名無しさん:2012/10/24(水) 00:17:13.13 ID:6Nbx53na
今の首里方言だと
頭=チブル
髪=カラジ
と説明されてるが、琉球館なんちゃらを見ると、
元は使い分けされてないな。
チブルは「つむじ」と同語源らしい。
もう一つ、宮古方言で、頭=かなまず、
奄美方言で、頭=カマチ
っていうパターンもあるんだが(多分二つは同じ語源)、
これの語源が何だろう。
本島には無いパターンみたい。
322 :
マンセー名無しさん:2012/10/24(水) 00:20:01.80 ID:6Nbx53na
カラズは熊本方言の「頭=ゴラ」と同語源かな。
323 :
マンセー名無しさん:2012/10/24(水) 00:31:47.75 ID:6Nbx53na
カマチは「仁義なき戦い」でよく使われてた
「かばちたれる(無駄口をたたく)」
の「カバチ」と同語源かな。
324 :
マンセー名無しさん:2012/10/24(水) 00:36:15.21 ID:6Nbx53na
325 :
マンセー名無しさん:2012/10/24(水) 00:54:45.19 ID:6Nbx53na
テレビ東京(月〜金)
朝8:25宮廷女官
チャングムの誓い
―放映中―
>>319 確かに「からづ」ですね。ちゃんと下調べしないとすぐに無知をさらけ出しちゃうな。
『琉球館訳語』は『沖縄古語大辞典』がおさえているから先に引いときゃよかった。
頭髪の意味は頭からの派生と見ていいのかな?
ちょっと見た感じ、訳語類から攻めるのは筋が悪かったようだ。
身体部位の頭はいいとして、頭目の意味の頭が見当たらない。
『全浙兵制考』の付録『日本風土記』は頭目の訳語を太紹、
『日本館訳語』は頭目の訳語を大妙とする。それぞれ大将と大名だろう。
328 :
マンセー名無しさん:2012/10/24(水) 22:11:52.08 ID:mUJQw+N2
おそらく沖縄人は、「がーら」を一般名詞としては認識してないと思う。
がーらが個人の名前に使われているのがその証拠。
熊本では身体部位としての「頭」をごら、ごうらと呼ぶそうだが、
頭目としての「かしら」もごらと呼ぶのだろうか。
329 :
マンセー名無しさん:2012/10/26(金) 13:28:48.56 ID:V9J9OyYc
テンペスト見てて思ったんだけど、薩摩への上納分除いた交易のあがりってどれくらいのもんなの?
12万石相当の規模にしちゃ、随分贅沢な暮らししてるよね
薩摩への上納分、北京への道中経費に琉球館の費用は、本土諸藩の経費上の負担だった、幕府お手伝いに
江戸屋敷と参勤交代なんかと比較できるんだろうか
>>328 >>281に書いたように、「角がーら」みたいな例が出てくる時点で
意味は理解されてなかっただろうと俺も考えてる。
「頭目」は「頭」と違って基礎語彙扱いされておらず、
全国的な方言語彙調査の項目から外れているから、調べるのが大変そう。
熊本の「ごら 〜 ごーら」は『日本方言大辞典』に項目が立っているけど
身体部位以外の用例は載っていない。
甲螺は時期的にみて『日葡辞書』に載っていても悪くなさそうなものだけど
それらしい語は見当たらない。
bafã 八幡、bafanjin、bafanbune は載っているのに。
ちなみにcaxiraは身体部位の意味で説明されている。
用例を探すのはそろそろ諦めようと思う。
331 :
マンセー名無しさん:2012/10/28(日) 09:39:10.66 ID:QVr1bdxN
>>329 貿易の利益については分からん。
俺も知りたいから誰か頼む。
ただ収支が大赤字だったのは確か。
明治時代には、20万円の負債があったので、
琉球藩を立藩するときに政府が肩代わりしてる。
当時の貨幣価値については、
何を基準にするかでかなり変わってくるが、
その中でも低い見積もりである、金の値段を基準にした
一円=現在の約4000円として計算すると、
それでも8億円には達してしまう。
ちなみに一円=1万円とか4万円とかいう考えもある。
あと、明が滅んだときに、
琉球にもお偉いさんが逃げてきてたんだが、
その接待費をねん出するために、
宮古・八重山を担保(!)にして薩摩から金借りてる。
332 :
マンセー名無しさん:2012/10/28(日) 09:47:52.99 ID:QVr1bdxN
20万の借金については、「琉球所属問題関係資料 第6巻 琉球処分 上・中」
の上巻:76ページに当時実際に発行された、政府の通達が載ってる。
関連する文書は2通あって、
一通では20万円、次のでは20万両になってるが、
一円=一両なので同じ意味。
交易といえば、王府も黒糖で結構利益出してたらしいんだが、
途中から薩摩が「俺を通さずに勝手に売るな!」とか言い出して、
ポシャったらしい。
渡辺美季『近世琉球と中日関係』を読んだ。
島津の征服前後の琉球を扱ってて、先行研究として琉球史学を引いてるんだが、これはヤバいな。
王府が薩摩や幕府の指示に違反したり、嘘の報告をしたのを一々取り上げては
「主体性の発揮」とか、反抗期のガキみたいなことを大の大人が言ってる。
韓国のいわゆる抵抗史観ともかぶって見えて残念感がハンパない。
334 :
マンセー名無しさん:2012/10/28(日) 13:57:40.37 ID:wb+jCA4M
>>333 ウチナーナショナリズムってやつか
先祖の虐げられた歴史ってのを大にすると、健全な精神を産まないんじゃないか、
と韓国をみて思うんだが、沖縄にも忍び寄ってるようだな
先祖の不幸な歴史を利用することと、沖縄の特殊性を主張するのは
他の自治体に比べて特典的な税制や補助金を得やすいってことがあるのかな
観光産業でも異国情緒やエスニック浪漫に訴えるみたいなのあるだろうし
内地との太く大きな共通性や親和性より、小さく細かい異なる部分を声高に訴えるみたいなことを
学問の世界でもやっちゃってるようなイメージがある
たしか大先生は観光ガイドをやってたはずだけど、
内地からの観光客には一体どんなふうに誤魔化してるのかな。
のんびり平和な南の島を観光客は期待してるんだろうけど、
現実の琉球は異常な中央集権体制で、
支配者は狭いところにみんなで集まって、猟官に汲々としていて、
農民に対しては薩摩並かそれ以上の搾取を行なって、
離島にいたってはまるで人間扱いしないという
夢のない話が広がっているわけだが。
まさか客商売で「日本人は反省汁」とかやってるの?
337 :
マンセー名無しさん:2012/10/29(月) 10:20:38.45 ID:asPBpaEs
借金20万両っていうと潰れかかった藩を立て直した米沢藩上杉家と一緒なわけですが
上杉家は
・幕府への領地返上まで思い悩む
・藩主が率先して経費削減
・藩主自らが田畑を耕して見本を示す
・大飢饉で挫折してもあきらめない
・20年計画で食料備蓄
・借金完済まで50年
テンペストの王様と官僚たちは能天気だよねw
上杉県令はたぶん贅沢しなかったと思うよ
まあ、冊封使へ見栄を張るためには仕方なかったんだしそれは薩摩の命令だ、と説明されるんだろうな
それと、江戸時代の1石は1両っていうのが定番で、単純計算だと12万石の収入は12万両ということに
もっとも幕末のインフレでかなり変わってるから、明治期の20万両っていっても同じには出来ない
意外と気付かないのが、石高10万石でもまるまる藩の収入になるわけじゃなくて、4公6民だったら藩に
入るのは4万石(4万両)で、そこから藩士の知行その他を出さなくちゃいけない
足りなきゃ8公2民にでもすればいいが、琉球はどうだったんだか
1両=4千円だと12万石は4億8千万になるけど、琉球末期の士族数って2万人くらいだっけ?
今の那覇市職員数が3千人で人件費が230億だから、現在の物価と比較するのはいろいろと難しいよね
338 :
マンセー名無しさん:2012/10/29(月) 10:33:56.39 ID:Py4p3yay
一 いつも犯罪韓国人
二 日本にたてつく韓国人
三 酒はトンスル韓国人
四 よつ足旨そう韓国人
五 ごまかす商売韓国人
六 昔は白丁韓国人
七 ナマポ食らうも韓国人
八 反日教育韓国人
九 食うものウンコの韓国人
十 とうとう絶滅韓国人 祝!!!
薩摩並ってか
薩摩が命令して搾取させてたんだよ。
340 :
マンセー名無しさん:2012/10/29(月) 13:55:34.97 ID:xPEM333T
>>337 >足りなきゃ8公2民にでもすればいいが、琉球はどうだったんだか
ペリー提督によれば、本島では収穫の
6割が王府、2割が地元役人、2割が農民。まさに八公二民。
「人頭税廃止請願書」によれば、宮古では10公0民。
「故に一歳収穫する処の粟を、悉く上納仕り候ても、
猶不足のこと有之斯る場合には、
畜ふ処の馬を売り、豚を鬻ひて、上納致来り候。」
このほかに上布も納めなければならない。
341 :
マンセー名無しさん:2012/10/29(月) 13:58:33.66 ID:xPEM333T
>>339 はぁ?王府自身は地方役人と百姓自身のせいにしていて
薩摩のせいとは一言も述べてないけど?
「地方役人が不正するせい!あと百姓が働かないせい!」
だそうです。
他人のせいにばっかりしてるから、
いつまでたっても問題が解決できなかったんじゃないの?
342 :
マンセー名無しさん:2012/10/29(月) 14:15:36.89 ID:xPEM333T
>>337 >4公6民だったら藩に入るのは4万石(4万両)で、
>そこから藩士の知行その他を出さなくちゃいけない
琉球王国はそうじゃなかったのが一番の問題だと思う。
生活費は自分で勝手に課税しろ、というシステムだった。
給料は国庫から出すべき。
そうじゃない現状が役人のサボリの原因ってのは、
大湾朝功も指摘している。
「且、村々地頭の作得、是を合せば凡そ何萬石。
是を蔵納にして諸役人月給に改め、
下民よりも有才知者は三司官にも進む様の向にならば、
我増講学して人才を育の大道立つべし。」
343 :
マンセー名無しさん:2012/10/29(月) 15:24:40.43 ID:asPBpaEs
ところで愛知教育大学になんか恨みでもあるのかとw
学歴(受験ランク)が低いから頭が悪いっていうのはよろしくないから、そこだけ考えを改めていただきたい
わかってるとは思うけど折角の検証がそういうとこで否定されてしまう
琉球大学から早稲田だってかまわないじゃない
普通の人なら褒められる経歴だよ
愛知教育大ってなんぞ?
>>339 みたいな意見はまったくお笑い種だけどな
薩摩と琉球王府は共犯関係なんだって
世界史上類をみない残酷な植民地支配でウリ民族を浄化しようとしてた日帝と同じレベル
345 :
マンセー名無しさん:2012/10/29(月) 16:50:56.65 ID:asPBpaEs
347 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 11:35:32.35 ID:EYCqjLqU
南北朝期をイメージしてるとは思う。籠手や脛当てなんかはそう。
でも兜鉢(ヘルメット半球部分)は厳星兜で平安から源平期の古様、鍬形は鎌倉期っぽい。
槍は戦国時代に本土で登場したわけだが・・ちょっと国内の槍では珍しい造りだ。
漫画「花の慶次」で主人公が使った槍に似てるね。中国のものでもない。
本土でも地方豪族程度が揃えられるレベルじゃないっす。
348 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 11:41:19.85 ID:EYCqjLqU
349 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 11:45:32.42 ID:EYCqjLqU
350 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 13:01:22.48 ID:Mew/fOHb
>>348 布鎧でも小札使ってるんだ!
何で鋲うってるのかなーと思ってたけど、
小札留めてるんだね。
朝鮮王朝実録には「馬の皮は甲を作るのに使うので、
王府が徴集してる」という話があるので、
布鎧はないかなーと思ったんだが、
鉄の小札の代わりに革の小札使ってると考えれば、
全然有り得るね。
朝鮮人が見て「ウチらと変わらない」といった場合
時代的に布鎧が一番考えられるが、
馬の皮と矛盾するよなー、やっぱ札甲かなーと思ったんだが、
詳しい構造を教えてもらうと、
やはり布鎧の可能性は全然あると思う。
経済性からいっても琉球に適する。
兜に関しては、鉄の小札でしころを作ってつけてる、
と書いてるが、その辺が朝鮮のと違ったので
特筆したのかな。
>>347 >本土でも地方豪族程度が揃えられるレベルじゃないっす。
その辺の感覚も俺には分からなかったな。指摘ありがとう。
351 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 13:12:56.27 ID:Mew/fOHb
首里の兵士のカブトについては、
鉄の薄い小札を、兜の周囲から垂らして、
うなじを守ってる、と書いてあるんだが、
おそらく日本の兜のしころではないと思うんだがどうだろう。
当時の日本だと、混用するにしても、
むしろ革札の方が多いと思うんだよね。
352 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 13:23:03.96 ID:Mew/fOHb
「但軍裝甲胄無異本朝。以鐵作片, 其薄如紙, 附於甲領,
如護項之樣。又以鐵作人面, 着於面上, 形如假面。
環刀、楯、槍無異本朝, 但以鐵爲四枝之刃, 其形屈曲, 以木二丈許作柄用之,」
環刀については、原義でいうと、柄に輪っかがついた剣の事で、
直刀も含めて色々な形状が含まれるんだが、
日本刀を指して「中国の環刀と似てる」っていう中国の文献あるから、
日本刀と考える事は可能と思う。
ただ楯があるのは日本とは全然違うね。
日本の場合、持ち楯はほとんどないし、
あっても四角い。朝鮮の楯とは全く違う。
面つけてるっていう点でも、
日本とは一致しないよな。
ブログにも書いたけど、日本の鎧を琉球で使うのは、
金の無駄だと思う。
もっとショボい奴を自分で作ったほうが良い。
とりあえず、王府は馬の皮を鎧用に集めてるらしいから、
自作はしてたようだ。
353 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 13:27:11.61 ID:Mew/fOHb
354 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 14:38:49.22 ID:EYCqjLqU
355 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 15:09:47.38 ID:Mew/fOHb
>>354 それはそいつがバカなだけ。
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_051.htm を見れば分かるように、
古刀・相州正弘
新々刀・備前佑永とかは鎬がない。
昔は日本刀については変な定義がいっぱいあった。
玉鋼使ってなきゃダメ!とかいう奴ね。
実際にはまず古刀がそんなもの使ってないし、
自動車の板バネで作った急造の軍刀とかもそんなもの使ってないが
立派な日本刀の一種。
現代では、日本刀はかなり定義が難しくなってる。
とりあえず「鎬がないのは日本刀じゃないやい!」
とかいう定義は聞いたことがないし、
上で実例を示したように間違い。
356 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 15:23:05.02 ID:Mew/fOHb
しかしコイツはほんとバカだな。
多分、以前に出されてた、千代金丸はモンゴルのサーベル風!
というのはコイツが元凶じゃね?
片手様式は日本にはよもや存在すまい!(キリッ
とかいうのは完全なるバカ。
目釘穴が一つなのは俺は間違ってたな。
多分鋲を目釘と勘違いしてしまったはず。
ともあれ、末端の大穴二つは確実に目釘穴じゃない。
あんなデカイ穴に何はめるんだよ。
それにあんなので刀身支えようとしたら、穴がちぎれるよ。
用途は知らんが、茎にあんな大穴あけるのはかなりまずいやり方。
さらにここまで茎がボロボロにされているということは、
茎に巻かれてる鉄板はおそらく補強のためだな。
拵えから見ても実戦用の刀ではないが、
実際安全性からいっても使わない方がいいね。
358 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 15:46:36.76 ID:Mew/fOHb
359 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 15:48:24.28 ID:EYCqjLqU
>>355 ああ、よく読んだらこんなことも書いてる。
>よもや鎌倉・南北朝期の日本の太刀に片手持ちの特徴を伝えるものなどは一振りもなかろう
自分は刀剣にはうといんで、そこらへんはよろしく。写真がぱっと見で日本刀らしくない刀身だから説得力ある説かと思ったよ。
後ろの大穴は中国剣みたいに紐を通すにもでかすぎのような・・?
学校の講座からすると、この先生は持論がとにかくモンゴルみたいねw
http://www.meio-u.ac.jp/content/view/1884/623/ 発掘史料の軍装品に見る中世今帰仁勢力の風貌
【講師一覧】
上間 篤(名桜大学)
【講座の趣旨】
軍装品の系譜の視点から見た中世今帰仁勢力ゆかりの鏃、ヤスリ、小刀の類は、明らかに中世モンゴル騎馬軍団の装備品との関わりを傍証する特徴を有している。
本講座では、上記に指摘した事柄に関して比較史料を駆使して個々の軍装品の系譜ならびに由来の問題を論じ、新たな歴史認識へと誘う。
360 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 15:50:55.07 ID:Mew/fOHb
361 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 15:55:59.41 ID:Mew/fOHb
>>359 日本刀は非常に多様性があるから、
「これが日本刀!」みたいな固定観念は捨てた方が良い。
端的に言えば、実用に適すればそれが正解。
しかしコイツマジ勘弁だな。
琉球史って何でこんなバカばっかりなんだろ。
鎬がないと日本刀じゃない!とか言ってる時点で、
コイツは「平造り」っていう用語知らないのは確実。
このレベルで専門家面できる度胸が凄い。
362 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 16:28:57.77 ID:Mew/fOHb
>>357 太刀と打刀の区別も怪しいんだが、
(ぶっちゃけ昔太刀だった古い刀を、
江戸時代に打刀風に差すのはザラ)
とりあえず千代金丸を太刀とみなす者は存在しないと思われる。
長さや、想定される製作年代からして、
作った人間も打刀として作ったはず。
363 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 16:40:21.23 ID:Mew/fOHb
上間は目釘穴の数が多いのも日本と違う!とか言ってるが、
刀は刀身伸ばしたり縮めたり結構するんで、
それで目釘穴を新しくあけて、3つ4つくらい穴がある刀は、
古いのにはザラ。
その点考えたら、あの大穴の第一の可能性は
目釘穴の開け損ねだな。
その場合、鉄板の下にも大穴が開いてる可能性がある。
失敗したので、鉄板貼って新しく空け直したわけ。
いずれにせよ使うのが恐ろしい物品なのは確か。
鑑賞用ですね。
茎にあんな大穴空けた上に、
鉄板貼るとかいう斜め上の行動に出てる時点で、
王府の日本刀整備能力には大きな?マークがつく。
日本刀の外装を琉球風に直して輸出っていう
上里のシナリオは、ますます有り得ないな。
364 :
マンセー名無しさん:2012/10/30(火) 16:44:33.91 ID:Mew/fOHb
目釘穴に関しては、現代的観点からは、
2つはあった方がいいとされているが、
昔の人は案外一つで済ませている。
365 :
マンセー名無しさん:2012/11/01(木) 11:13:47.92 ID:OFPGALfd
>>365 まるで、朝鮮半島から来た人間に日本本土が占領された様を想起させるイメージ図だよね
上間篤氏の専門はスペイン語学だったんだな
千代金丸の十字の装飾に興味を持っただけの門外漢じゃん
彼には是非、島津の十字について独創的なアイディアで取り組んで欲しい
失礼
十字は千代金丸じゃなく、皿の研究だった
>>365 > 1日付の日本人類遺伝学会誌電子版に論文が掲載された。
論文が見つかんない。誰か知ってたら教えてちょ
日本のマスゴミって意地でも外部リンクを張らないよね。ほとんど嫌がらせ
371 :
マンセー名無しさん:2012/11/02(金) 10:16:53.52 ID:mA+d/31/
>>370 会員になるか定期購読の手続きをお願いしますw
てか只じゃないよ当然。それと英文です。
372 :
マンセー名無しさん:2012/11/02(金) 10:17:48.98 ID:mA+d/31/
>>197リンク先
http://kkomori.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/23_d9a7.html 清早中期の高官の佩刀
http://kkomori.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/07/20/photo_4.jpg この刀の寸法や形は、乾隆期の『皇朝礼器図式』と基本的に一致するものであり、ただ装具は
銅に純金を施したものである。柄は青糸で巻いている。
雁?形をしており、刀身は平造である。切っ先に若干の刃毀れがみられるものの、だいたい原型を
よく留めている。刀身は稀に見る旋han嵌鋼工芸で、花紋は多重人字形をしており、手でこすることが
できるようになっている。刀ねには鉄を帯びた呑口があり、刀身の両側に対称に二本の血槽がある。
それらは切っ先の近くで交わるように消えている。鍔の近くには7文字が浮かしぼりにされている。
刀の装具は厚い純金である。レリーフやら金の装飾技術は 大変高度な技術があったことを示しているが、
残念なことにこれらに嵌めこまれていた宝石は、全てが失われている。ここに宝石を嵌めこんでいたことから、
この刀は清の入八分公佩刀製作の貴人に従って作られたものであることがわかる。
これらのことと、刀身に日本の著名な工匠「薩(沙)摩州宝高所造」とあることから、この刀が清の朝廷から
日本の薩摩に注文して作らせたものか、明代から残っていたものに、清朝での装飾を施したものであるかという
ことが想像できる。
--------------------------
刀身の棟にわざわざ銘を、しかもなんか鋳造したような刻印で・・・w
本の原著者は日本刀であることを疑ってないようだけど、清代の日本刀交易って琉球経由が多いんでしょ?
この怪しい刀は琉球か中国製パチモンなのかな?
373 :
マンセー名無しさん:2012/11/02(金) 16:07:52.16 ID:DWQXWUQ+
>>372 日本刀とはどこにも書いてないよ。
「日本の刀匠に注文して作らせた可能性がある中国刀」でしょ。
著者も日本刀とは違うってのは理解してると思うよ。
銘については俺も眉唾だと思う。
普通に中国製でしょ。細工が巧妙だから、
千代金丸の惨状を見る限り、王府には作れないと思われる。
>清代の日本刀交易って琉球経由が多いんでしょ?
ところでこの話の根拠って何?
上里とかが良く言ってるのは分かるんだけど、
それにはちゃんとした根拠あるのかな?
374 :
マンセー名無しさん:2012/11/02(金) 16:10:49.60 ID:DWQXWUQ+
「貝勒至入八分公佩刀」って清の規格で作られた
各種刀剣を個別に見ていきましょう、って事だから、
やはり日本刀じゃないのは大前提だよ。
375 :
マンセー名無しさん:2012/11/02(金) 16:15:28.26 ID:DWQXWUQ+
明では民間での武器売買を禁止していた。
外国からの輸入なんてなおさらダメ。
民間の武器市場は、理論上、琉球王府は食い込めない。
それに対し、密輸で日本刀売りまくって稼いでたのが倭寇。
377 :
マンセー名無しさん:2012/11/02(金) 17:05:39.15 ID:DWQXWUQ+
378 :
マンセー名無しさん:2012/11/02(金) 17:11:57.55 ID:DWQXWUQ+
>まるで、朝鮮半島にいた『弥生人』が日本へ渡来して来たような誘導する文章です。
>本当なら、「朝鮮半島の人間、もしくは朝鮮半島を経由してやって来た人間が、日本へやって来た後に混血を繰り返し『弥生人』となった」
プレスリリースにはどちらも書いてない。
その辺はマスゴミの捏造。
ぶっちゃけ図を見たら、韓国こそ
日本人と他の東アジア人の混血。
この辺は古代朝鮮に倭人がいたという史実の裏付けだね。
379 :
マンセー名無しさん:2012/11/02(金) 17:17:47.17 ID:DWQXWUQ+
>日本人の遺伝的な系統はアイヌ(北海道)と琉球(沖縄県)が縄文人タイプで、
>本州・四国・九州は縄文人と弥生系渡来人との混血とみられる
これもプレスリリースには一言も書かれていない。
アイヌから見たら、本土より琉球人の方が近い、
というだけの事しか書かれてない。
実際琉球人から見たら、本土人の方が圧倒的に近い。
アイヌと本土人でタイプ分けするとしたら、
琉球人は本土人のタイプに入る。
つーかアイヌが離れすぎ&バラけすぎ。
似たような騒ぎが去年あたりあったな。
東京大学のリー・ショーンだかいう留学生が、
日本語と琉球語の分岐が2300年前ぐらいというのを推定した論文で、
これは稲作の流入時期と重なるから、日本語を持ち込んだのは朝鮮半島南部の農民に違いない!
って韓国マスコミが騒ぎ立ててた。
研究の本論じゃなく、結論から想像できる妄想を、大々的に報道してるところと、
そもそも、元ネタがそれほど目新しい研究でもないところがそっくりだ。
381 :
マンセー名無しさん:2012/11/02(金) 18:36:47.81 ID:mA+d/31/
382 :
マンセー名無しさん:2012/11/02(金) 19:33:22.09 ID:Ma3XJqxO
>>381 琉球経由が多いとはどこにも書いてないよ。
そこにも書かれているように、明には日本自体が多数輸出してるし、
さらに倭寇が勝手に明の民間市場にも流してるから、
普通に日本から直接輸入するもののほうが多いと思われ。
つーか琉球ってそんなに仕入れられないんじゃない。
金ないし。しかも本土の商人より仕入れコストが高いし。
明王府への貢物分だけでしょ。
それ以上仕入れても価格競争で本土の商人に勝てないので
在庫抱えてお陀仏になるだけだと思われる。
>>379 論文自体のデータ解釈も強引だよね。
最後の図5はミスリーディングで、
PCAとADMIXTURE(?)の結果を見るかぎり、おっしゃる通り、
本土と琉球は近いけどアイヌが離れすぎ&ばらけすぎというのが一番の知見。
アイヌから見て本土より琉球が近いというのは枝葉末節に近い。
この手の議論をするときは縄文・弥生の二分法は忘れたほうがいい。
縄文人という均質な集団がいたとも、琉球が縄文人の子孫だとも思えない。
まあしかし図2は面白い。いろいろ妄想できる。
ttp://www.soken.ac.jp/up_img/20121017171838_3.jpg 北京の漢人と共通の赤クラスタが琉球にほとんどのが興味深い。
琉球が分岐してから本土に入ってきたのか、
あるいは同時期に共存していたとしても没交渉だったのだろう。
k=5の緑クラスタが琉球では最大要素だけど本土だと一部なのは、
founder effectで多様性が失われた結果かな。
日本語の担い手はたぶんオレンジ(+緑)だね。
386 :
マンセー名無しさん:2012/11/03(土) 11:29:50.37 ID:RpT1rmSP
ぶっちゃけ朝貢貿易で利益が出てたのか、という点自体が疑問。
利益が出てる、と言ってる史料が全然発見できない。
琉球側は何とも言ってないし、
夏子陽はむしろ「琉球の負担が過大だから朝貢回数減らすべき」
と、琉球が貢物を用意するのに金がかかりすぎて、
むしろ損失を出してる、と見なしている。
日本刀にしても、利鞘が大きいのは確かだが、
それが何故かと言ったら、日本が自分で作ってるから。
他の製品は中国には太刀打ちできないが、
日本刀と扇は日本が張り合える商品。
琉球にとってはどちらも輸入品で、そういう利点はない。
この点は夏子陽も指摘してる。
387 :
マンセー名無しさん:2012/11/03(土) 11:36:30.65 ID:RpT1rmSP
ぶっちゃけ、朝貢は王府自身の需要を
満たすためのものじゃないかな?
国内向けに権威を示すための儀式で、
だからこそ借金してでも実行する意義を見出していたと。
実際、宮古〜王府間の朝貢でも、
むしろ宮古の方が王府に利益を供与してる。
この点は「忠導氏家譜」に明記されてる。
イリキヤアマリ(イリキヤ・アモリ?)ってどういう意味なんだろうか?
琉球諸語の使い手がいたら語感を教えて
鹿児島には、入来(いりき)町ってある
朝貢品目の規模と変遷については、『東アジアの民族的世界』(2011)所収の
岡本弘道「琉球王国の交易品と琉球弧の域内連関」が新しめのサマリとしてはよさそう。
これを見ると、初期の常貢品は馬と硫黄。
硫黄は硫黄鳥島があるからわかるとしても、なんで馬なんだろう。
規模的には、1420年代が年平均64匹で、以降57、23.3、なし、25.7と減っていき、1520年代から一桁になる。
394 :
マンセー名無しさん:2012/11/03(土) 16:23:40.28 ID:OHEBlQf/
夏子陽も硫黄だけは特筆してるな。
安くて良く火がつくから、
中国人も買い込みまくったので、
船への持ち込みを制限せざるを得なかったそうだ。
逆に硫黄以外はロクなものがないとも言ってるが。
395 :
マンセー名無しさん:2012/11/03(土) 16:39:26.47 ID:OHEBlQf/
沖縄の馬は小さくてエサの量が少ない割によく働いてくれるし、
沖縄社会ではダントツの稼ぎ頭だし、
馬なくしては沖縄の農業が成立しない事を思えば、
沖縄を支えていた真の功労者とも言えるが、
あんな小さくて非力なポニーを、
他国が特別に欲しがるとも思えないよな。
何故なんだろう。
琉球的に価値がある、と思ったものを贈ったのかな。
向こうではいらないっぽいよ、
という感じになったから減っていくと。
396 :
マンセー名無しさん:2012/11/03(土) 17:08:11.30 ID:OHEBlQf/
朝貢貿易と言っても、メインは付帯貨物の売買だから、
値段のつく商品の方がいいよな。
馬が減っていったのは、
琉球の商品調達能力が上がったからじゃないかな。
朝貢貿易は、貢物捧げる方が得!みたいなイメージがあったんだけど、
調べてみると決してそんな簡単なものではないみたい。
結局商売だから、営業努力しないと利益が出ない。
タダでやり取りされるのは一部で、
ほとんどは付帯貨物として売買される。
そこで、値付けでもめた例が結構ある。
日本が明に対してゴネた例もあれば、
冊封使の付帯貨物の買い取りについて、
明が琉球に対してゴネた例もある。
夏子陽も、貢数が多いのは、
むしろ琉球にとって不利益だから、
こっちから制限すべきだ、としている。
琉球の朝貢回数が多いのは、
優遇されているからだという話はかなり怪しい。
397 :
マンセー名無しさん:2012/11/03(土) 17:22:20.99 ID:OHEBlQf/
逆に明から貢物を指定されてる可能性もある。
「こういうのじゃないと値段つけらんないよ」みたいな。
夏子陽は「琉球の貢物は輸入品ばかりで負担過重だから、
自国の産物を納めさせるべき。
琉球は貧しいから、贈り物がショボくても咎めるべきじゃない」
みたいな事を述べてるんだが、
逆に言えば、今はそうじゃない、という風にもとれる。
尚真王代に貿易が衰退しだしたというのが通説だし、
実際岡本のデータでも16世紀前期に品数や人員が大きく減ってるから、
その前後でゲームが変わった可能性は検討しといた方がいいんじゃないか。
現存する与那国馬を見れば解る通り
沖縄の馬は小型で粗食少食でも持久力があり
重宝したんだよモンゴル馬も同じです
モンゴルが大帝国を築けたのはモンゴル馬がいたからです。