【桓雄】李氏朝鮮VS琉球王国6【阿摩美久】

このエントリーをはてなブックマークに追加
401マンセー名無しさん
>>385

西原間切平良村
(にしばらまじりてーらむら)
現:那覇市首里平良町


具志川間切平良川村
(ぐしちゃーまじりてーらがーむら)
現:
うるま市平良川
402マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 10:31:24.58 ID:3vvg3Hfx
ニュース紹介
向原祥隆南方新社社長、鹿児島県知事選に立候補へ

自分も参考にしている歴史関係書籍を多数発行する会社の社長ですが、
この人、いろいろなところに首を突っ込んでいるようで。

反原発、http://nonukes.exblog.jp/15871490/
琉球民族、http://www.ntt-i.net/ryukyu/、呼びかけ人参照、他に高良勉の名前もw
憲法・平和・人権/反核・脱原発のとりくみ一覧、
http://peace-forum.com/houkoku/1003-1103torikumi.pdf
403マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 11:08:12.63 ID:0brb+d9t
>>402
陶工系朝鮮系の人なの?
404マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 11:17:53.65 ID:WCpbwvKT
向原は原発に頼るのがどんなに
危険なことか訴えているんだね
405マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 11:50:31.93 ID:WCpbwvKT
太平洋・島サミット
沖縄で開幕〜
406マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 11:53:41.85 ID:3vvg3Hfx
>>403
さあ父親が教員だったくらいしかわかりませんね。
詳細は鹿児島スレで聞いたほうが早いんじゃないですか。

この会社の出版物、沖縄県内発行の物に比べて客観的なんでよく参考にしてたんですが、
最近、それぞれの著者の思想による攻撃的な内容の本が増えているんですよね、残念なことです。
社長の活動の賜物なんでしょうが、昔の出版姿勢に戻って欲しいです。
407マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 12:12:52.33 ID:tBDzz69Y
>>6
戦災で焼け残った刀剣や武具なんかは残ってないんですかね?
本島以外のものは無事なんでしょうが、刀はともかく鎧はあるんでしょうか。

もっとも本土でも、神社や大名家の文化財指定された刀や槍が、進駐軍に兵器の名目で
没収されていまだに行方不明ですからねえ。



朝鮮の方はもうどうでもいいんだけど、19世紀の武具だけってのは笑うしかない。
秀吉が・・・ってのを認めたとしたって、17世紀以降のが残ってないってのはどんだけかとw
まあ緬襖甲と呼ばれる布地式の甲冑だから、傷みやすいのはそうなんだけど。

最近自慢してる朝鮮刀の遺物はないのか。
408マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 12:23:49.77 ID:WCpbwvKT
朝鮮刀=中国刀
409マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 15:15:45.71 ID:WCui10DD
確かご自身親御さんの仕事の都合で幼い頃徳之島にいたんじゃなかったかな
その時島でヤマトんちゅ扱いされたとかいう記憶が奄美関係の書籍を扱うきっかけになったとかエッセイか何かで読んだ気がする。
鹿児島から革新の泡末候補以外で県知事戦の候補が出るのはおそらく初めてぐらいじゃない?
保守の官僚天下り知事ばかりだったから地元では少しは話題を集めるかもね
410マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 17:22:49.70 ID:tBDzz69Y
そういえば >>381の元ネタのおもろを調べてみた


勢理客(せりきゃく)ののろの

あけしのののろの

雨(あま)くれ降ろちへ

鎧濡らちへ

運天着けて

小港着けて

嘉津宇嶽(かつおうたき)下がる

雨くれ降ろちへ

鎧濡らちへ

大和(やまと)の軍(いくさ)

山城(やましろ)の軍(いくさ)


-おもろさうし第14巻1027番-


勢理客の祝女あけしのが、運天に押し寄せた大和の武士団に、雨を降らせる呪いをした(撤退させる為の呪い)、という意味だそうな。
このおもろの年代はわからないが、島津が侵攻してきた時は記録上で晴れだったし、状況からも違うんじゃないかといわれてる。
戦前はこれが為朝伝説につなげられてたわけで。あと、京都へ行くことを、おもろさうしでは山城へ行くとよく書かれてます。
411マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 17:25:51.49 ID:hAMhkmqC
反原発の話題がでたのでスレチだが、最近の反原発の気運。
反原発団体や旗頭に、中朝韓が絡んでるとは考えないのだろうか?

日本が脱原発を果たす=産業がえらい打撃を食う。
産業が外国に出て行く=場所は?=中韓で=技術ぱくりウマーw
日本の労働者は働くところ無くなって涙目。

原発依存を今後やっていくのは難しいだろうけど
代わりのエネルギーを調達する前に脱原発は、日本の首を絞める行為。

沖縄の反戦、反基地、反核運動に中朝韓が絡んでるからって
反原発にも奴らが絡んでる、と考えるのは考えすぎだろうか・・・
412マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 18:01:13.45 ID:5m88zzFu
>>410
晴れだから雨乞いするんじゃね?ww

>状況からも違う
ここんとこ詳しく頼む。
413マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 18:03:43.16 ID:5m88zzFu
>>410
為朝の頃は運天は中山の勢力範囲の遥か彼方なんだから、
浦添の祝女が雨乞いする必然性はむしろ無いと思うんだが。
414マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 18:11:18.23 ID:5m88zzFu
勢理客って今帰仁の勢理客か。
415マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 18:23:25.76 ID:WCpbwvKT
鹿児島の次期県知事さんは向原かな?
416マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 19:38:01.03 ID:3vvg3Hfx
>>413
源為朝が南下したと考えられる年代は1177年、京都平家の南下は1185年、意外と近い。
その時代には喜界島の城久遺跡が健在で、奄美群島を本土の勢力圏と考える説もあるので、
為朝は勢力圏外の沖縄本島へ逃れ、平家は息の掛かった奄美群島で態勢の立て直しを図った、
とも考えられるな。

この当時、薩摩や大隅は島津の時代じゃなくて平氏の支配下であり、
為朝の娘を貰って一門同族を押しのけて薩摩に覇を唱えた言われる阿多忠景が有名。
でも、この人も為朝と同時に没落して鬼ヶ島に逃亡してるなw
因みにこの阿多氏、平氏ではあるけど隼人の血も引いているとの説もあります。

もっと後の時代であるけど、奄美群島には平姓や源姓も発生してるね。
417マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 20:04:18.20 ID:3vvg3Hfx
>>414
為朝時代に中山はまだ発生してないよね。
418マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 20:59:49.70 ID:0brb+d9t
>>409
徳之島は柄悪かった昔はならそっち方向に振るのは理解で来る。
419マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 21:10:07.49 ID:0brb+d9t
>>416
古代ハヤトとの連中が畿内でどうなったかそれと薩摩平氏の絡みそこら辺だろな平家に繋がる北条も奄美に絡んでるみたいだ
420マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 21:25:15.53 ID:3vvg3Hfx
>>419
奄美大島にも隼人の痕跡が確認されてるんで、
拠点そのものがあったんじゃないかと言う説もあるよ。
本当なら、隼人、行動範囲広いね。
421マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 21:30:47.56 ID:0brb+d9t
>>420
ハヤトは誰かも言ってたが南人と理解すれば間違いはないんゃないか?一部台湾まで
422マンセー名無しさん:2012/05/26(土) 22:22:47.08 ID:3vvg3Hfx
>>421
台湾ですか、でも10世紀の前と後では、
沖縄本島と宮古島の間で文化の隔絶がありますからねえ。
その辺の整合性をどうするのかと言う話になるし、どうなんでしょう?
423マンセー名無しさん:2012/05/27(日) 11:33:27.76 ID:UjVL+j0y
宮古島の古代色濃い祭
《パーントゥ》
日本各地の泥つけ祭りの原形か?
424マンセー名無しさん:2012/05/27(日) 13:13:43.20 ID:cCNYGQEK
>>422
南波照間の別名パイパティーローマ
パイ(南)ハイやハエやフェーの語源か?転訛か?
パティ(果て)の語源か?転訛か?
ローマ(島)インドネシアだか南洋で島を現す言葉らしい

別の説では
パイ(南)パティ(果て)ローマ(うるま)
の転訛?とも言われているけど

日本の古語や沖縄の方言でも
ハヒフヘホがパピプペポになるし

鹿児島あたりの古い人骨もスンダランド系統?らしいし
タロイモやジャバニカ米とともに日本に北上していった
縄文グループがいたのかもよ?

そしたらハヤト=ハエヒト(南人)ってのはあるかもよ?
425マンセー名無しさん:2012/05/28(月) 11:54:42.35 ID:k0w/hdkS
>>410
読みがちょっと違ってる部分があるので、ひらがなで。「やましろ」は「やしろ」ですね。
あけしのは別名しませんこ、今帰仁勢理客の祝女。鎧が濡れると士気が下がるそうです。

せりかくののろの
あけしのののろの
あまくれおろちへ
よるいぬらちへ
うむてんつけて
こみなとつけて
かつおうたけさがる
あまくれおろちへ
よるいぬらちへ
やまとのいくさ
やしろのいくさ

大和と山城は対句表現としておもろさうしに頻出します。
この歌の場合、山城(京都)とあるのは為朝、平家伝説と関係ありそうなんですが、薩摩兵についての歌でも
「大和前坊主 山城前坊主」とあったりしますから、史実や伝説のどれかにあてはめるのは難しい。
為朝伝説では嵐の日に上陸したこと、島津の侵攻では晴れだったこと、それくらいしか判断材料はありません。
426マンセー名無しさん:2012/05/28(月) 11:55:52.20 ID:k0w/hdkS
それから久米島のおもろにこういうのがあります

兼城(かねぐすく)のろの
守り(まぶり)よわる弟勝り(おとまさり)やぐめさ
大和軍(やまといくさ)寄せらや
国かねののろの

(おもろさうし20-1364)

久米島兼城の祝女弟勝りが、日本武士団から国を守ったという歌です。
でも久米島にはそんな史実も伝説も無いわけで、運天港の歌も実のところその程度のものかもしれません。
どっちも頑張っても、史実だったとしてせいぜいは倭寇船団くらいかも。
427マンセー名無しさん:2012/05/28(月) 20:44:37.76 ID:jOClGnPO
【剣道】 韓剣道、世界制覇に挑戦「日本破る準備してきた」〜イタリアで世界剣道選手権大会★2[05/20]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1337602063


日本剣道が韓国クムドに呑み込まれるのも間近
428マンセー名無しさん:2012/05/29(火) 03:57:54.49 ID:exb0jhsv
千原せいじ
429マンセー名無しさん:2012/05/29(火) 08:01:44.08 ID:Gcw2iN7G
>>426
伝承の伝播ってことは無いかな?
おもろはあちこちの伝承をまとめたものらしいので
編纂の段階で場所を取り違えたとかも考えられない?
どちらにしてもあなたが言っている倭寇の遺跡が発見されれば
また次の展開があるのだろうけど
いまの段階では史料の解釈しかできないしな。
430マンセー名無しさん:2012/05/29(火) 08:26:12.61 ID:NMYh6NYr
>>429
沖縄本島北部の今帰仁村にある運天港
その今帰仁の城址は他の城址に比べて
造り方が違うと昔から言われてる

今帰仁城址だけは海からの侵入に備えて造られている
南山や中山など内部の敵よりも
倭寇や大和の勢力など北から南下する勢力の侵入に警戒してたと思われる
431マンセー名無しさん:2012/05/29(火) 11:15:44.50 ID:exb0jhsv
千原ブラザーズも大好きなスパンキング!
スパンキングースパンキングー♪♪♪
ヤッホー♪ヤッホー♪
432マンセー名無しさん:2012/05/29(火) 13:10:29.57 ID:Gcw2iN7G
>>430
解説ありがとう

>今帰仁城址だけは海からの侵入に備えて造られている
でも根謝銘城とか他の北部の城どうなんです?
433マンセー名無しさん:2012/05/29(火) 14:32:14.77 ID:exb0jhsv
千原スパンキング用品店
434マンセー名無しさん:2012/05/30(水) 09:33:07.77 ID:jFfJnqNq
>>430
具体的に今帰仁城はほかとなにが違うのですか?
どこが海からの敵に備えた造りになっているの?
435マンセー名無しさん:2012/05/30(水) 10:38:19.16 ID:1eZMKH94
527 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 02:26:39
12〜15世紀の琉球

1.弓は日本式(畜皮や腱を不使用の長弓)
2.槍は中国式
3.長巻や薙刀も中国式(大刀:dadao)
4.刀は日本式(15世紀までは大小二刀を腰に差す、
 その後は片手持ちの中国式刀剣に変化)
5.銃火器の伝来は種子島へのそれよりより100年早い
6.楯は牛綾楯、木製楯、中国式の籐牌、亀甲楯

http://mimizun.com/log/2ch/history/1148453334/

---------------
中国式の槍や長刀って、現存してるんですか?
436マンセー名無しさん:2012/05/30(水) 10:41:22.32 ID:KBCezTeo

>>400>>428>>428>>431>>433-434他、>>4の内容も参照

これらは不逞鮮人ギルーと言うアホです、他の方々は関わらないようにしましょう。
前々から、まともな会話を試みる方々が多数居られましたけれど、
不逞鮮人ギルーはいつもこのような調子でまともな会話が出来ません。
また、歴史的事実に対して執拗にソースを要求するマヌケではありますが、
わざわざ提示してあげても、捏造と叫ぶか、読めないとほえる読解力の無い馬鹿です。
逆に、不逞鮮人ギルーに対してソースを要求しますと、100%逃走します。
常に「恨」と「捏造」の精神で生きているので意思疎通は無理です、無視しましょう。
捏造するためには自作自演すら平気で行う基地害でもありますからね。

年齢は50代以上、沖縄戦の後、沖縄へ不法残留した朝鮮人軍夫か慰安婦の子女です。

IPアドレスはこちら「05004014386750_ec.ezweb.ne.jp.wb74proxy01.ezweb.ne.jp」
proxy○○は接続場所で変化するようです。
携帯なので「マンセー名無しさん」が青く表示されますがクリックは禁止。
「恨」と「捏造」の精神でレスしているので慣れると判別は簡単です。
投稿は24時間、レスはつぶやき多し、寂しがり屋さんのようでもあります。

繰り返します、この手の嫌がらせ、絡みつきは無視しましょう、他の方は放置が一番。
437マンセー名無しさん:2012/05/30(水) 11:13:34.24 ID:TQvS0+1H
>>432
根謝銘城は知りませぬw

今帰仁はそれなりの大型船が入れる数少ない港>琉球時代
他の城がある所には自然の海の要塞イノーがあるので
船が入れない=大して警戒してなかったと思いまする


>>435
鎧もたしか大和式でしたよ
438マンセー名無しさん:2012/05/30(水) 11:20:11.14 ID:TQvS0+1H
>>436
了承しました

狂った人もいるもんですね
世の中には   w
439マンセー名無しさん:2012/05/30(水) 13:34:16.89 ID:E1k9m148
こんなコピペを見たけど共感することが多い。
マスゴミだけでなく歴史学者などの研究者も
研究して得た社会の遺産に著作権など主張しないで
社会に還元して欲しいもんだ。


273 名無しさん@12周年 Mail:  2012/05/29(火) 20:43:45.06
ID:Lz3dH1IJ0
マスゴミは市井の一般市民の喜怒哀楽を切り売りして金を稼ぐ出歯亀詐欺師
その市井の喜怒哀楽を売って商売にしている報道は全て著作権フリーにして社会で議論出来るようにするのが当然だ!!
後追いで恣意的な報道を検証することもできるし、何よりも報道被害を減らすことも出来る。
マスゴミは報道の名の下に制作されている全ての著作権を社会に返還しろ!
人の生活や人生、喜怒哀楽をマスゴミの自由にさせるな!!!
440マンセー名無しさん:2012/05/30(水) 21:27:18.31 ID:plM+MHXy
>>430
俺も>>434と同じ疑問を持ってる。
今帰仁城は普通の山城で、
海からの敵に特に備えている気配は見受けられない。
海の側にあるというなら勝連城だってそうだし。

そもそも
>今帰仁城址だけは海からの侵入に備えて造られている
>南山や中山など内部の敵よりも
南山や中山が海から侵入しないって根拠は何?
また倭寇が別の地点から上陸したらどうするの?

いずれにせよ、今帰仁城はごく普通の山城で、
海に限らずほとんどの方向から接近は困難。
441マンセー名無しさん:2012/05/30(水) 21:34:16.80 ID:plM+MHXy
>>437
>他の城がある所には自然の海の要塞イノーがあるので
>船が入れない=大して警戒してなかったと思いまする

中型船なら入れるし、そうじゃないと商売ができないから港の意味がない。
商売になるようなレベルの輸送船には当然兵隊も乗れる。
どうして警戒しない事があり得るの?

大型船が問題になるのは薩摩レベルの大軍勢の話。
通常の琉球の戦争なんて数百集まれば御の字だろ。
442マンセー名無しさん:2012/05/30(水) 21:41:49.14 ID:plM+MHXy
>>435
これは全くもって根拠が不明だな。

>1.弓は日本式(畜皮や腱を不使用の長弓)
イギリスのロングボウも畜皮や腱を不使用の長弓なんだが。
日本式って何で断言できるの?

>3.長巻や薙刀も中国式(大刀:dadao)
中国には長巻も薙刀もありません。

>5.銃火器の伝来は種子島へのそれよりより100年早い
ハンドカノンは同時期に日本本土で実用例があるので
完全な間違い。ちなみに琉球では実用例はゼロ。

空手が禁武令のせいだとかいう意見に誰も
突っ込まない時点でそのスレのレベルが知れると思われ。
443マンセー名無しさん:2012/05/30(水) 21:47:36.93 ID:plM+MHXy
ちなみに琉球征伐の際、
徳之島島民は竹やりで戦争してるのは既にさんざん繰り返したとおり。
村の助役クラスの掟兄弟ですら武器は棍棒。
実際のところ、
日本刀や鎧の装備率ってどれくらいだったんだろうね。

本土だと足軽には武具のレンタル制度もあったけど、
琉球の君主に同じ事ができたとは到底思えんしな。
444マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 00:16:11.32 ID:Za16hBNj
琉球ってどの程度鉄を産してたの?
種子島なら砂鉄でやってただろうけど、この辺からの交易?
445マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 11:51:36.17 ID:l8TJTZS9
刀については日本刀が主要交易品の一つだったっていうんだから、本島士族だったら持ってないってことはないんだろうけど・・・
例の刀狩は関係あんのかな?


甲冑に関してはこういうのが。

レファレンス協同データベース 琉球の武具(鎧、兜等)についての資料(絵もしくは写真を含む)がみたい。
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000103733
回 答(Answer) 下記の資料を紹介する。

『誰も見たことのない琉球』(上里 隆史、ボーダーインク、2008年)
p70-71 「古琉球の戦争 (1)武具」の項に、玉城グスク付近で発見された出土資料や文献記録をもとに作成した古琉球の鎧兜の復元図あり。
p116-118 「復元!琉球の武具」の項に、出土資料や文献記録をもとに作成した古琉球の鎧兜の復元図1点と、首里城正殿から発掘された
珍しい兜の実測図1点が掲載されている。
15〜17世紀の記録には「琉球の武装兵士は鉄の鬼面をかぶっている」とあり、「県内から発見される武具はこれまで室町時代・日本様式の
ものしか出ていない」ことから、琉球の武具は「室町時代の日本様式の武具をモデルに琉球で生産していたと推測される」と結論付けている。

『鉄と琉球』(城間 武松、金秀鉄工、1968年)
p64‐66 「朝鮮との交通と琉球の武器」の項に、古い文献や資料から当時の武装の様子がうかがえる例として、
「各地の寨官(間切りに城を構えていた按司)を“世の主”と称し、その武装をたたえ、武勇をほめた「おもろ」が数多く残されている…緋威や
黒緘の鎧、大刀等の事が盛んにでてくる。」とある。
 また、当時の陳述書には「…軍士は甲冑を着、鉄製の仮面、鉄又は、皮のすね当てを付け、武器を帯し、…常に大小二刀を佩び、…飲食
起居共に身辺を離さない。」とある。

446マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 11:51:53.72 ID:l8TJTZS9
「古琉球の武備を考察して『からて』の発達に及ぶ」『伊波 普猷全集 第5巻』(平凡社、1974年)p196-215
この論文で伊波は、武装兵士の出で立ちを伝える当時の歌謡や文献を複数取り上げている。
「おもろさうし」には、「金冑」「金鎧」「牛楯」「塗鉾」等の和名が見られる。また、三山時代の中山の「おもろ(13の巻22章)」には、「金冑造へて」と
あることから、当時中山では冑を製造する技術も発達していたことがわかる。
さらに、朝鮮の文献「正史」(1479年)に、済州島の漂流人が見聞きした琉球国の様子を士官が書き取った記事から、軍士及び武器の記事は
「おもろ」中のものとよく符合している、と述べている。

「首里グスク出土の武具資料の一考察」(山本 正明、上里 隆史 著)『紀要 沖縄埋文研究 2』(沖縄県立埋蔵文化財センター 編・刊、2004年)p43-64
p57 「4.文献資料からみた首里グスクの武具 防護具」の項に、鎧兜についての考察あり。
p45 「表1 首里城跡各地区出土武具リスト」あり。
p47-50 写真図版掲載。

『朝鮮王朝実録琉球史料集成 訳注篇』(池谷 望子・内田 晶子、榕樹書林、2005年)
1462年頃、朝鮮人漂流民が帰国して叙述した琉球に関する記録あり。
p143 「軍装、甲冑は本朝と異なる無し。鉄を以て人面を作り、面上に着す。形は仮面のごとし。」
p248 「甲冑あり。甲は或いは鉄を用い、或いは皮を用う。」

『首里城跡 京の内跡発掘調査報告書』(沖縄県立埋蔵文化財センター 編著、2009年)
p63-67 「第X章 出土遺物 (4)武具」の項に、出土した武具の一覧表、兜や鎧の実測図版あり。

『首里城跡 下之御庭跡・用物座跡・瑞泉門跡・漏刻門跡・廣福門跡・木曳門跡発掘調査報告書』(沖縄県立埋蔵文化財センター 編著、2001年)
p143-144 「第31節 武具」の項に、出土した武具(鎧の断片含む)の一覧表と実測図版あり。
447マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 11:54:15.20 ID:l8TJTZS9
島袋源一郎「琉球百話」昭16沖縄書籍刊
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1052000

それと、この本の自序から。
昭和10年に甲冑研究の大家、山上八郎が沖縄を訪問して調査しまわったんだが、首里豊見城家に伝わる鎧一つ以外はめぼしいものは
無かったそうだ。これは先祖の毛継祖盛続が1592年の謝名討伐で着用したというもの。
おそらく沖縄戦で失われてるよなあ。山上八郎の著作に載せられてるかはちょっと不勉強でごめんなさい。

謝名討伐ってのはこれね。

球陽全文検索
http://agijima.pluto.ryucom.jp/msearch152/kyuyouzenbun/pckyuyouhonbun0238.html
[本文0238]【四年、毛鳳儀等、謝名一族を征討す。】首里西州の謝名一族謀叛す。王、毛鳳儀(池城親雲上安頼)・毛継祖(東風平比嘉親雲上盛続)
・金応照(摩文仁親雲上安恒)等に命じて、往きて之れを討誅せしむ。鳳儀等命を奉じ、義兵を率領して、行きて其の宅に至り、四面より環り攻め、
水洩も通せず。謝名、固く家庭を守り防備甚だ密にして、敢へて出でて戦はず。是に於てか、鳳儀等力の施すべき無く、火を矢に繋ぎて彼の屋上に
射るに、倏然として、火姻大いに起り、房屋を燼す。則ち其の一族、庭に出でて敵を迎ふること、数次にして勝敗未だ分れず。鳳儀等、鎗を揮ひ、剣を
振ひ、力を励まし勇を奮ひて相戦ふこと、亦数合にして、遂に其の将一名を殺す。則ち族党殺戦、寡、衆に勝たず、尽く擒せらる。鳳儀等大いに捷功を
得て以聞す。聖上大いに悦び、各々紫冠を賜ひて以て褒嘉を加ふ。



先祖のものを没収されるようなこともなかっただろうから、薩摩がどうとかじゃなくて単純に後世に残るほど数がなかったんじゃ。
448マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 14:13:26.56 ID:H9wnIbRM
単に気候風土の関係で士族以下の身分では保存に限界があったんじゃね?
虫食いとか湿気でだめになるだろうし。

流石に尚王家は担当者を任命して保存に気を使っていたんだろうしね。
449マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 17:34:40.60 ID:QqINBqrp
>>445
兜が一点見つかってるのは分かったが、
鎧は見つかってるのかな?
兜は筋兜だけど、鎧は当世具足が合わされてたってのもあり得るよね。
その鎧一式が本当に実用品なら。
そもそも室町時代の鎧は買えるのに、
当世具足は買えないってのも意味不明な話。

というのも室町時代の鎧の方が、
当世具足よりはるかに作りにくいし補修も面倒なんだよね。
部品数が多くて。金もそんだけかかる。

>>448
革は朽ちるにしても、兜は金属製だから、
存在したなら残るはず。
450マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 17:42:17.86 ID:QqINBqrp
>>445
>「室町時代の日本様式の武具をモデルに琉球で生産していたと推測される」
その割には生産技術者がさっぱり見当たらないよね。
ときどき大枚はたいて輸入した鎧を、
素人が補修しながら大事に使ってただけじゃね?

>「金冑造へて」とあることから、
>当時中山では冑を製造する技術も発達していたことがわかる。
一回作っただけじゃ発達していたとは到底言えないよな。
つーかソースがおもろそうしじゃね・・・

琉球に鎧の生産技術があるなら当世具足も十分作れるはずなんだよ。
生産性は室町時代の大鎧、胴丸よりはるかに向上してるから。
451マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 17:50:44.60 ID:QqINBqrp
和弓について言えば、
デカくて下側を保持するって形態は弥生時代から同じだが、
弥生時代は単なる丸木弓。
しかし平安時代以後、竹を向きを変えて組み合わせて
復元力を高めた複合弓になる。構造が根本的に違う。
当たり前だが後者の方が作るのは難しい。

琉球の弓が平安時代以後の、
構造の進化についていってたのかは不明だね。
452マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 18:08:35.85 ID:ogvs/YXR
具足や刀剣はアメリカの戦利品に・・・なってたりして
王家の宝や文献の類も、アメ公に持っていかれてるからなあ
帰ってきたのは『おもろさうし』ぐらいじゃないだろうか?
453マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 18:15:14.45 ID:kmj4X4l7
>>452
アメリカは公表してないのか?
つうか歴史分野の占領政策は在ったのかな?
454マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 18:16:30.26 ID:QqINBqrp
>技術的な面からみれば、琉球には漆器や金工品を製作して
>中国に輸出するようなレベルがありました。
>武具を作るには漆器や金工品の技術が必要なので、
>琉球で武具を生産することは十分可能です。

「日本刀を作るには鉄の精錬、鍛造技術が必要なので、
日本刀を生産することは世界中で十分可能です」
というのと同じくらい暴論。アホ丸出し。
ちなみにこれまた上里隆史大先生のご託宣です。

武具の生産技術があるなら武具も輸出しろよ。
455マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 18:20:27.84 ID:l8TJTZS9
>>426も自分だけど、久米島じゃなくて糸満の兼城でした。
うわ恥ずかしい・・為朝も薩摩も島尻までは来てないってことでw
456マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 18:31:15.02 ID:QqINBqrp
ttp://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2007/06/post_a7f0.html

>沖縄県内から発見される武具は
>これまで室町時代・日本様式のものしか出ていません

>当時の日本は室町後期から戦国時代にかけて戦乱が続き、
>武器・武具がどんどん洗練されていってました。
>後の秀吉の朝鮮出兵で日本の兵器の優秀さに驚いた明・朝鮮側は、
>積極的に導入を図っています。琉球でも性能の良いほうを選ぶのは
>当然の流れです。

上里の言っている事は前後が完全に矛盾している。
性能の良いほうを選ぶのが当然なら当世具足選べよ。
大鎧や胴丸は対矢防御は究極性能に達していると言えるが、
動きやすさと生産性は当世具足の圧勝。
457マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 18:37:25.37 ID:QqINBqrp
>明・朝鮮側は、積極的に導入を図っています。

主流にはならなかったけどな。
兵器において重要なのは性能だけでなく、
生産や補修のやり易さも重要。

錆びて目釘もボロボロの日本刀よりは、
その辺の鉈を使ったほうがいい。
458マンセー名無しさん:2012/05/31(木) 18:42:16.08 ID:ogvs/YXR
>>453
うーん、どうだったろうか?

http://www.dijtokyo.org/publications/rykyan_art_treasures&lang=ja

上の中にある文化遺産にも混ざってるかも?

http://www.ryubei.com/

琉米歴史研究会というのが、アメリカに渡った文化遺産を探したり
返還運動をしてるみたいだけど、見つかってない宝が多い。

あと、ど忘れしてたけど『琉球国惣絵図』もアメリカから返還されてる。
459マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 00:10:03.11 ID:5LukI4Ne
潮平、兼城
(すんじゃ、かにぐしく)
保栄茂、翁長
(びん、うなが)
460マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 07:06:29.77 ID:ZvuIVzu4
>>458
そう言えば、朝鮮戦争もあったわけだから、半島の文化財も略奪されたのかな?
北と南、どちらに味方した方も半島を救うと言う大義名分だからそんなことは無いと思うが。
それとも噂通り、当事者の朝鮮人がその性質を発揮して破壊・略奪しまくったとかw
461マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 10:43:00.74 ID:NUy5x4V9
沖縄戦直後に略奪された財宝は、戦前の目録とかないの?
少なくとも何が戦火で失われて何が盗られたか。わからないと探索も返還要求もできないはずだし。
462マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 12:20:35.88 ID:NUy5x4V9
琉球時代の甲冑刀剣ならこれが一番と思う。上里氏のブログでも引用されてるね(つかこれに寄稿してるんだが)。


日本の美術 533号(2010年10月号) 琉球の金工 京都国立博物館企画室長 久保智康/著
http://shop.gyosei.jp/index.php?main_page=product_info&cPath=60_6003_606003003&products_id=6219


鎧の例では、南城市玉城跡洞窟から出土の金具と小札。これは薩摩で製作された胴丸(さつま市満尾家伝来品)と
同様の特徴がある形式。
で、保守管理のためには鍛冶は必要不可欠で、本土城館でもよくみられるけれども、本体作製までやってたかという
ところは、出土金具が本土のものと比べて雑なつくりなんで、琉球で作ってたんだろうという推定です。
今帰仁城や勝連城の出土金具は、14世紀の形態とのこと。

兜の例は、首里城内「京の内」から1459年の火災にあった倉庫跡(明実録に首里城で火災があったという記録がある)
からの鉄地銅版張り星兜部品が出土して、これは四方白星兜と推定。浦添城からは筋兜破片も見つかっている。
四方白星兜の例 二十四間四方白星兜鉢
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=194236

こんな感じで、出土品では当世具足の出番はありませんね。
薩摩島津氏というのは珍しいところがあって、関が原で戦死した島津豊久の遺品も古いタイプの腹巻で、江戸時代に入っても
当主はずっと当世具足をつくらないこだわりがありました。
1609年以前でも、薩摩からの移入品、技術指導ってのがメインだったとすれば、当世具足が無くてもおかしくはないかもと
思ったりして・・・
463マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 13:17:01.43 ID:rwFoS1dR
>>460
韓国曰く、秀吉と日帝が略奪したんじゃなかったっけ?w
北朝鮮には李氏朝鮮の宝が保管されてると
どこかで見た覚えがあるような気もするけど。


>>461
琉球国王尚家関係資料に宝の目録もあるみたい。
464マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 19:41:52.66 ID:dq/5SRtA
>>462
島津豊久の遺品とされる鎧は、
江戸時代の中ごろに江戸の古道具屋で購入されたものなんだよね。
何を根拠にして豊久の鎧と同定したのか不明。

あと島津家の当主が復古調の鎧を好んで着用していたとは
聞いているが、家臣までそうしていたとは聞いたことがない。
少なくとも仙厳園に飾られてる鎧は当世具足だね。
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/d1/0bea20b0790b713aa2438ac662f6b632.jpg
尚古集成館は、島津宗家の権威を示すために着用していたと解説している。
>鎌倉時代まで鎧の主流であったが、南北朝・室町時代以降は軽量の鎧が主流となり、
>大鎧は権威的なものへと変化していく。
465マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 19:50:04.55 ID:dq/5SRtA
>>462
>出土金具が本土のものと比べて雑なつくり

それは製造能力があったという事よりも、
製造能力の無さを証明してるんじゃないか?

>本体作製までやってたか
本体で一番重要な「金具」はヘルメット。
しかしそれは琉球では出土してないようだね。
現段階では、本体作製までやってたというのは根拠薄弱だな。
466マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 19:57:18.72 ID:dq/5SRtA
現段階で言えるのは
@室町時代の鎧が幾つか輸入されていること。
A琉球で一部の金具を複製した形跡があること。
B当世具足は一切輸入されていないこと。

こんだけだな。琉球製の金具ってのは補修のためじゃね?
467マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 19:59:53.59 ID:dq/5SRtA
>>452
それは有り得ないな。
戦前で既に↓の状況だから。

>昭和10年に甲冑研究の大家、山上八郎が沖縄を訪問して
>調査しまわったんだが、首里豊見城家に伝わる鎧一つ以外は
>めぼしいものは無かったそうだ。
468マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 20:02:21.18 ID:dq/5SRtA
>>465の訂正

×しかしそれは琉球では出土してないようだね。
○しかしそれは琉球製のヘルメットは出土してないようだね。
469マンセー名無しさん:2012/06/01(金) 23:23:33.89 ID:NchVLOeW
http://i.imgur.com/fXgcH.jpg
とりあえず置いとくわ
470マンセー名無しさん:2012/06/02(土) 11:37:05.07 ID:Ru+11Lg/
古琉球で「一日の酒」と呼ばれる神酒(米奇、みき)は、本土の古代同様に婦人が
口で噛んで醸す、口噛みの酒だった。
15歳の処女に噛ませて醸されるもので、琉球人は大いに好んだが、冊封使の明人は
製造法を聞いたら何故か飲むのを嫌がったという。
471マンセー名無しさん:2012/06/02(土) 11:38:18.97 ID:nCoBF1tQ
http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/word/6724/8944
奄美の系図焼棄論
 後に鹿児島県名瀬村(現奄美市)の村長を務めた郷土史家都成植義が1900(明治33)年に出版した「奄美史談」の中で主張した。
系図差し出しを命じる薩摩藩の「申渡」を根拠に「島民の系図、文書を取り上げ焼棄したり」と述べ「薩摩藩が奄美の歴史を隠滅した」などの解釈が広まる発端になったという。
70年代以降「歴史隠滅が目的だったかどうかは疑問」とする論文も発表されている。
472マンセー名無しさん:2012/06/02(土) 17:25:31.54 ID:HlplWQW3
>>470
>本土の古代同様に

これは間違いだな。
古代における噛み酒の例はたった一つ
「大隅国風土記(現存せず)に噛み酒作ってたと書いてあります」
とする史料だけ。名前忘れたけど。
現代の例も含めれば、北陸の方で神事として、
噛み酒作ってるという話があるが詳細不明。

ちなみにヤマタノオロチを酔わせた酒は、
日本書紀には果実酒とはっきり書かれている。

噛まないといけない噛み酒より、
果実酒の製造法の方が発見しやすいと思われる。
473マンセー名無しさん:2012/06/02(土) 17:30:07.46 ID:HlplWQW3
>>470
>口で噛んで醸す、

これも間違い。
醸すってのは発酵させるという事だが、
口で噛んでも発酵しない。

口で噛むのは、デンプンを唾液に含まれるアミラーゼで分解して
ブドウ糖にするため。その後、放置して、
自然酵母によって醸造することになる。
474マンセー名無しさん:2012/06/02(土) 17:36:33.00 ID:HlplWQW3
>>401
>沖縄県宮古島狩俣
>落武者の物という古刀など遺品が伝わる。
>また平良という地名は平家の姓に由来するものという。

何で本島の地名が出てくるの?
475マンセー名無しさん:2012/06/02(土) 17:43:46.69 ID:HlplWQW3
>>423
>宮古島の古代色濃い祭
>《パーントゥ》

古代色というのが何なのか一切不明だが、
とりあえず伝承によれば、
パーントゥの面が流れ着いたのは数百年前なので、
中世に始まったお祭りなのは確かです。
476マンセー名無しさん:2012/06/02(土) 17:53:11.55 ID:HlplWQW3
琉球史学においては「古代」っていう言葉が、
「アホ学者から見て遅れて見える行為」を定義する用語として
濫用されている。

例えばアカハチの乱について曰く
>戦闘はまず互いの女性神官が呪詛を相手に放つという
>古代の戦いに習うものであった。

>まず互いの女性神官が呪詛を相手に放つ
などという古代の戦いを、俺は一例も知らない。
また、当のアカハチの乱でもそんな事が行われてないのは
既に「サイタク本中山世譜」を引用して確認したとおり。

ちなみに神官を軍隊に帯同するのは中世、近世を通じ、
現代に至るまで一貫して行われている。
この習慣は縮小するどころか、
ロシアにおいてはソ連時代廃止されていたものが、
むしろ現代になって復活して拡大してきている。
477マンセー名無しさん:2012/06/02(土) 18:00:49.42 ID:HlplWQW3
>まず互いの女性神官が呪詛を相手に放つ
という習慣を説明したければ、
古代性ではなく、琉球独自の風習とみなすべき。
古代の特徴ではないんだから。

まあどっちみち、「婦女」が「呪罵」していたのは、
琉球側の小規模な偵察隊が敵陣の中に発見した光景。
陣中で宗教儀式やるのはアレクサンドロスから米軍までやってること。

単に学者どもが古代人未満のアホってだけの話ですわ。
478マンセー名無しさん:2012/06/03(日) 00:34:57.27 ID:Nz/oOOQa
>>477
卑弥呼とかは?
479マンセー名無しさん:2012/06/03(日) 02:48:01.17 ID:D2ON/Sz9
>>478
卑弥呼が
>まず互いの女性神官が呪詛を相手に放つ
ような事をした話は一切ないが。

日本書紀においても、倭迹迹日百襲媛命が敵の反乱を予言した話はあるが、
>まず互いの女性神官が呪詛を相手に放つ
なんて話はないな。
480マンセー名無しさん:2012/06/03(日) 02:49:13.23 ID:D2ON/Sz9
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命だからそっちの話もしました。
481マンセー名無しさん:2012/06/03(日) 10:50:29.11 ID:ZdwY+5Z6
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命

仮説は仮説。

それを真実とするには、時期尚早じゃないか?
482マンセー名無しさん:2012/06/03(日) 10:58:31.59 ID:ZdwY+5Z6
でもスイムニーは一切できない(笑)
483マンセー名無しさん:2012/06/03(日) 17:09:54.73 ID:Nz/oOOQa
いぇーあんしな
いがとぅんちんかい
じにんぶーくーしいがくうよー。
484マンセー名無しさん:2012/06/03(日) 20:03:49.41 ID:X1Fk5y5G
>>480
沖縄では、薩摩侵攻前を「古琉球」なんて言ってるから話がややこしくなるのよね。
どこかの勘違いした人も、単純に薩摩の軛が無かった自由で繁栄していた時代って言っていたな。
琉球の国名なんて第一尚氏が初だよね、それなのに関係のない前の時代まで琉球とか冗談としか思えない。
いろいろな勘違いさんをこれ以上増やさないためにも、もういい加減、名称を変えるべきだね。
例えば縄文時代と九つの文化圏定義に習って、先・南西諸島(南島)時代と南から大雑把に与那国島、
八重山諸島、宮古諸島、沖縄諸島、奄美諸島、トカラ列島、大隅諸島の各文化圏とすれば良いのにね。
485マンセー名無しさん:2012/06/03(日) 23:28:23.10 ID:T3IY4A7h
つーか何で古琉球とかいう独自の時代区分作ってんだろ?
尚真王以前が古代、以後が中世、琉球征伐後が近世でよくね?
486マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 01:50:31.81 ID:/HqSow6Z
古琉球って名付けたのは確か伊波普猷だったかな。
彼のメンタリティでは全部琉球だったのだろう。
487マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 01:57:30.99 ID:8BrbYlv4
大和民族日本と琉球に分離為ればそれらしく表現するしか無いだろな。
488マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 08:49:48.25 ID:s6SaaPyN
>>487
はい?
489マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 10:19:24.49 ID:xy3eiD8p
>まず互いの女性神官が呪詛を相手に放つ

小説ですまんが、酒見賢一の『陋巷に在り』(孔子の弟子顔回が主役の小説)で、古代中国の都市国家が戦争するとき↑をやりあってるって描写があったよ。
もともとは中国の風習でないの?
490マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 10:39:51.25 ID:GAWvbGrI
>琉球の国名なんて第一尚氏が初だよね
沖縄地域が琉球になったのは、明から察度に使者が送られた1372年が最初じゃない?
それ以前も古琉球と呼んでも別段問題ないと思うけど。

でも、701年以前は日本じゃないという学校の先生方も多いよねw



呪詛合戦といえば、NHKのドラマ聖徳太子で、物部氏との戦いで守屋が巫女を率いて呪いをさせてたね。
ドラマ自体は韓国人俳優を登場させたりアレなとこがあったw
491マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 11:19:08.27 ID:vYyakdkf
>>489
映画ですまんが、同じ酒見原作の墨攻ではそんな事してなかったな。

>>490
丁未の変の根本史料は日本書紀だが、
それにはそもそも巫女自体が出てこない。
492マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 11:26:16.38 ID:vYyakdkf
「蘇我馬子、厩戸皇子らは軍兵を率いて、志紀郡から物部氏の渋河の館に至った。
守屋は、子弟と奴の軍隊を率い、稲城を築いて防ぎ、
衣揩の朴枝の間にのぼり、矢を雨のように放ったが、
守屋軍の強盛なことは家や野に溢れる有様であり、
蘇我氏率いる軍は苦戦を強いられて三度も退却しなければならなかった。」
493マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 12:17:04.55 ID:GAWvbGrI
そりゃNHKのドラマ自体は、進んだ百済の文化に従わない、旧態依然のしきたりと信仰に頼る物部って感じだったからw
元ネタ、原典はちょっとわからない。
494マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 12:31:37.07 ID:vYyakdkf
旧態然としたしきたりと信仰に頼ることのどこが悪いのか
分からんがな。彼らはそれで生き延びてきたわけだし。

少なくとも現代の開明的な学者センセイ方が、
旧態然たる古代人と戦ったら0.5秒でブチ殺されるだろ。
495ゲリョスの小手 ◆mPbleM7lQbpr :2012/06/04(月) 13:06:52.69 ID:9IpYYM12
現代の軍人VS古代の防人とかならわかるが、何で学者と戦士になるんだ?
496絶倫 ◆lt6hrK6cdZlA :2012/06/04(月) 13:18:23.62 ID:OVr2BTWg
(´・ω・`)
ふと、マイケル・ムアコック御大の「火星の戦士」シリーズが頭をよぎった。
497マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 13:31:06.65 ID:GAWvbGrI
>>446のおもろさうしに歌われた武器っていうのをちょっと調べてみた。

21-1446
あけのこしらいや
名高(なだか)こしらいや
謀り(てはかり)遣り(やり)
攻めつけて鳴響ま(とよま)
いち杜が崎に ※
あい杜が崎に ※
金冑(かなかぶと)着遣り
金鎧(かなよろい)着遣り
牛綾盾(うしあやたて)取り遣り
塗手鉾(ぬりてほこ)取り遣り
板門(いちやぢや)攻めつけて
金門(かなぢや)攻めつけて
※:久米島宇江城の御嶽

6-324
聞ゑ君加那志(きみがなし)
鳴響む(とよむ)君加那志
此れど だにの 真てだやれ
聞へ按司添い(あんじおそい)や
鳴響む按司添いや
筑紫ちやら佩きよわちへ ※
治金丸(てかねまる)差しよわちへ
玉足駄(たまあしぢや)踏みよわちへ
※:筑紫ちやらは「てかねまる御腰物異名也」と原注。「ちやら」は「太郎」で、優れたものの意味だそうな。

牛綾盾は牛が描かれた盾、塗手鉾は漆塗りで飾られた鉾らしい。片手に鉾と盾っていうのは本土では奈良時代まででしたっけ?
他には20-1365に熊鷹の槍(熊鷹の羽で飾った槍)ってのがあった。筑紫だら(ぢやら、ちやら)が詠みこまれた歌は何首かありますね。
498マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 13:40:00.14 ID:vYyakdkf
>>495
現代の軍人のほとんどは
旧態然としたしきたりと信仰に頼っていた古代人に敬意を払ってるから。
アレキサンダー、ハンニバル、カエサル、ムハンマド、
これらは全員古代人だが今でも敬意を払われている。
彼らを見れば分かる通り、旧態然としたしきたりや信仰は
軍事的能力を制限するわけではない。
むしろ強固な信念を付与する。

旧態然としたしきたりと信仰に頼ってるからどーのこーの言ってるのは、
軍事に無知なアホな日本史学者だけ。
499マンセー名無しさん:2012/06/04(月) 13:48:16.73 ID:vYyakdkf
「アレクサンドル、ハンニバル、シーザー、グスタフ・アドルフ、
チュレンヌ、ユージン、フリードリヒの戦史は
再三読んでこれにならうべきである。これ他日名将となり、
兵術の秘術を極める唯一の手段である。」

これはナポレオンの言葉だが、
彼が挙げる世界史上の7名将のうち3名は、
学者どもがいう旧態然としたしきたりと信仰に頼る古代人です。
500ゲリョスの小手 ◆mPbleM7lQbpr :2012/06/04(月) 14:01:41.24 ID:9IpYYM12
>>498
なるほど、古代の世界史学者はペルシア兵やスパルタ兵ともガチで渡り合えていたわけか……