>>790 なぜ日本は世界最高の性風俗になったのだろうか?その秘密は「江戸時代」まで
さかのぼる。
徳川幕府によって開府された江戸は、17世紀には人口100万人を突破し、世界最大の
都市となる。が、一方で江戸は、幕府の役人 (御家人・旗本など) と江戸造成の
労働者などが集中、極端に女性の少ない都市だった。
男女比はなんと7対3に及び、身分差もあり、実質、10人のうち8人は結婚できなかった
といわれている。これを憂慮した幕府は、治安維持のために 「遊郭」 を設置するのだ。
これが吉原であり、新宿、品川、板橋など五宿と呼ばれた御用遊郭宿もあった。
もちろん、これだけだでは一般庶民まで回らず、庶民向けに 「岡場所」 と呼ばれる
違法風俗地帯が数多くできた。その代表的な岡場所が深川。その深川で生まれたのが
「芸者」 だった。
吉原などの政府公認の遊郭では、芸事は、男が担当する。それが岡場所では、
女性にやらせ、さらにお金を払えば、セックスもさせた。これが世界的に有名な
「ゲイシャガール」 となっていくのである。
また、街には数多くの手軽な風俗が登場した。茶屋には 「茶汲み女」、料亭には
「酌取り女」、宿には 「飯盛り女」 と呼ばれる女郎 (売春婦) などがいた。
かくして江戸は、江戸時代270年という歴史のなかで、世界でも類をみない
「性風俗」 が発展していったのである。
明治維新後も変わりはしなかった。首都となった東京は、明治政府役人、首都防衛の
軍人、首都改造や殖産産業用の労働者が大量に流入し、やはり、女性の比率が
極端に落ちてしまい、江戸から続く性風俗は、いっそう、発展した。
代表的風俗が 「カフェー」 で、これは女給がいる酒場のことで、そこで現在の 「おっぱいパブ」
「ランジェリーパブ」 「ピンサロ」 のようなサービスが毎夜繰り広げれられていた。
銀座にはそんなカフェーが数千軒もひしめきあっていた。
第二次戦後、東京には高度経済成長を支えるため、地方から若者が大量に流入し、
70年代まで、男女比はいっこうに改善されなかった。当然、この時代も性風俗は
必要不可欠なものとなり、世界第2位の経済大国の労働者たちを慰撫する性風俗が
花開いていく。
その代表が 『トルコ風呂 (ソープランド)』 であり、ここで開発された「泡踊り」 のサービスが
たちまちに成人男性の心と体を捕えた。
ちなみにトルコ風呂を世界に紹介したのは、「シベリア超特急」 の水野晴朗である。
昭和46年頃、水野はハリウッドの大物俳優たちを次々と来日させ、それで大手配給会社の
宣伝部長に出世した。その出世を支えたのがトルコ風呂だった。
当時の主演スターたちは極東の島国に見向きもしなかった。ところが水野が頼めば
何故かみんな喜んで来日した。その秘密こそトルコ風呂だった。水野は来日する
大物スターを 「レッツゴー、ジャパニーズバス」 と次々に吉原へ連れていった。
昭和58年 (1983年)、事件は起こる!水曜ロードショーの司会者だった水野の
招待でアランドロンが来日、吉原の 「歌麿」 の丸千代嬢のテクでメロメロになった。
「アランドロンをメロメロにしたトルコ嬢」 と記事になり、「世界的な色男スターを
虜にしたジャパニーズバス」 として世界に打電された!
かくて日本のトルコ風呂はその名を世界に轟かす。だが、この騒動がキッカケで
トルコ政府の怒りを買い、『ソープランド』 に改名することなる。
その後、日本には数々の性風俗が花開きどれもが世界に類を見ない高品質の
サービスを提供している。観光に訪れる外国人の目当ては以前のような家電用品
ばかりではもはやない。日本の性風俗もまた外国人たちにとって憧れの
「メイドインジャパン」 なのである。
都市伝説666 (2010⁄06⁄13)
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