台湾の映画製作者は韓国映画から学ぶべきだ

このエントリーをはてなブックマークに追加
207マンセー名無しさん
>>204
>>206

裸はいつから恥ずかしくなったか ― 日本人の羞恥心 ―

150年前、日本を訪れた外国人が混浴の公衆浴場で感じた印象は、驚愕といってよいものでした。
「乱痴気なことに彼女たちは異性と一緒に風呂に入る」 「日本人は世界中で
最も破廉恥な人種」 「エデンの園にいた人間の最初の祖先と同じように純粋」
「アダムとイヴの時代の素朴さ」……。
 
男女が集団で裸になるなんて、西洋人から見たら、それだけでスキャンダラスだったの
でしょう。

ペリーの日本遠征に随行した画家の 「下田の公衆浴場」 という絵には、全裸の男女が
秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若年や中年の男女が
多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことが
みてとれる。この絵を見たアメリカ人は日本人を 「淫猥な人たちだ」 といい、
フランス人は「日本人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」
といって驚き、そして軽蔑した。

150年前の日本では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは
普通だったのだ。江戸時代の日本人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、
現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても
平気だった。

江戸時代の日本人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかに
される。若い娘が道端で裸で行水をしているのを見て度肝を抜かれた外国人の日記や、
坂本竜馬が妻 (お龍) と男の友人の3人で京都の混浴浴場へ出かけた記録など、
現代人の感覚とはかなり異なる意識が常識だったことがよくわかる。

http://www.shinchosha.co.jp/sensho/editor/2010/603661.html
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/08/post-1281.html