【ノムを笑わば】月山酋長研究第161弾【ノム二つ】
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―ユーラシア特任大使任命による政治参加論争は、特に進歩陣営で大騒ぎとなった。
「年寄りになって、なんというか、社会に寄与したいという欲があった。周りは無駄だったと言うが、北朝鮮訪問や亡命、刑務所暮らしなどの15年の経験が、
韓民族の役に立つかもしれないと考えた。中国は中華圏で、ヨーロッパはEU(欧州連合)で結び付いているのだから、韓国・北朝鮮とモンゴルそして中央アジア
5カ国を結び付けてコンセンサスを広めなければならないと考えた。進歩陣営からは悪く言われたが、実際、この構想は盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時から始まって
いた。今はどうか。結局、韓半島(朝鮮半島)は大国に強くコントロールされている状況ではないか。いつまでイデオロギーのために対立を続けるのか。名目よりも
現実、中道の道を歩むべきだ。私は今もこの構想が実現されればよいと思っている」
―今回の作品はごみの埋め立て地が空間的背景だ。
「2、3年前、後輩たちと話をしながら、ごみの埋め立て地は世の中の全ての矛盾が集約されている場所だという思いが浮かんだ。資本主義が浸透し、近代化を
成し遂げる中で、われわれの過ちが全て隠れている『花の島』という名前が蘭芝島(ごみの埋め立て地がある場所)を思い起こさせるが、世界のどこにでも
存在し得る空間だ。カフカが蘭芝島について書いたとすれば、どのように描いただろうかと考えながら書いた。われわれが作りあげた世の中の虚構性を考えて
ほしい。福島の原発、そして380万頭の家畜が、命が、生き埋めにされた口蹄(こうてい)疫。不吉に見えた。本のタイトルは『見慣れた世界』だが、この現実は
非常に見慣れないものではないか。しかし、何か見慣れた感じがする。事実、全てわれわれが作り出したものなのだから」
―来年はデビュー50周年だ。
「作家として本能的な危機感があった。98年以降、ほぼ毎年1編ずつ書いてきたが、マンネリに陥ったのではないかと思う。作家として変わらなければ当分
書けないかもしれないという焦燥感。現実の激しさや民族的な垣根を越えて、もう少し普遍的で根源的な話がしたかった。今回の作品は作家人生で初めて
連載せずに全編を書き上げた」
>>188続き
―「晩年文学」という表現を使ったが。
「先日の両親の日(5月8日)に訪ねてきた息子がこう言った。今後はどうか『荒々しいアニキ』はやめて『おじいさん』になるようにと。自分で言うのも恥ずかしいが、
もともと多くの才能がある人は他人に対する配慮に欠ける。反省した。もう偉そうにするのはやめて、少し後ろに下がって(笑)後輩たちの取り分も少し残そうと。
『晩年文学』は、詩人のキム・ジョンファン氏や後輩の作家たちと話をしていて思い付いた。小説家の金薫(キム・フン)がこう話した。晩年文学の特徴は三つあるが、
それは配慮と悔恨と自省だと。これからは残すべきものは残し、捨てるべきものは捨てて、きちんとまとめて整理し直さなくては。『見慣れた世界』は、私の
晩年文学の入り口にある作品だ」
■新しい長編小説『見慣れた世界』とは
市の郊外にあるごみ埋め立て地、花の島に、バカにされないよう常に実際の年齢より2歳上と偽っている14歳の少年、タクプリと母親が訪ねてくる。毎朝早くに
トラックが到着し、都市のごみ、欲望の残骸をまき散らしていくと、花の島の住民たちは、まるで宇宙人のような服装で、金になりそうなものを集める。村の仲間に
ペペの母親がいる。御堂(みどう)に祭られたおばあさんの魂が自分の体に乗り移ったと信じているペペの母親は、精霊や妖怪が見えるという能力を持っている。
ファン・ソギョンは人間と精霊、文明と自然の境界で、われわれが失った根源や本質についての質問を次々と投げ掛ける。『見慣れた世界』にファン・ソギョン特有の
激しいリアリズムを見いだすのは難しい。この作品には作家の、哀れみや悔恨、恋しさに対するノスタルジアがある。少年タクプリの視線と動線を追っていく暖かい
成長小説としても読み進められる。
麗江=魚秀雄(オ・スウン)記者(文・写真とも)
で、盗作したことに対する反省は済んでると…