韓国料理は日本料理のように世界的人気になるか?64

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245マンセー名無しさん
>>244
茶会王国の高麗時代

韓半島および日本列島に茶が最初に持ち込まれたのは、ともに7世紀から8世紀頃と見られている。
『三国史記』「新羅本紀」 によると、善徳王の治世(632〜646年)に入唐廻使が唐から茶種を持っ
て来て、地理(智異)山に植えたという記載がある。日本でも、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が
茶をたしなんだという文書が正倉院にある。これも唐から遣唐使が持ち込んだものだろう。

その後日本では遣唐使の廃止とともに飲茶の習慣は一旦途絶え、再び日本に茶を伝えたのは、平安
時代末期、宋に留学していた臨済宗の僧・栄西である。

新羅では飲茶の習慣はその後も盛んで、朝鮮史学者・三品章英氏の『新羅花郎の研究』には、「煎
茶が一種の宗教的儀礼として花郎の行事に取り入れられ…」 とあり、「花郎茶道」 のような儀礼が
存在していたことを指摘している。

高麗時代、韓国の歴史の中でも最も飲茶の風習が盛んになる。禅宗の僧侶たちにより宋で行われて
いた最新の茶道が伝えられ、多様な茶会が行われていた。宮中では茶礼という儀式作法が行われ、
文人たちは風流を楽しむ茶俗を、禅僧たちは求道的な茶風をたしなんでいた。ちなみに高麗の茶は、
新羅の煎茶に対して抹茶である。

ところがこの高麗の作法が、栄西が宋から日本に伝えたとしている茶会の作法に非常によく似てい
るのだ。 京都五山のひとつ、臨済宗・建仁寺では、栄西の誕生日の4月20日に四頭茶礼という茶
会が開かれる。これは14世紀末 (室町時代中頃) に書かれた 『喫茶往来』 という本の記述通り
にとり行うもので、栄西の往年の作法をよく伝えているとされている。

http://blog.livedoor.jp/tonchamon/archives/51901708.html