【不買】 私達にも出来る経済制裁 【運動】 その8
479 :
マンセー名無しさん:2013/05/11(土) 00:46:55.31 ID:+0DIZ534
【サーチナ】Q:日韓通貨スワップが復活するってホント? A:7月までは継続中です[05/11]
http: //awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1368200471/
【経済】韓国を強力に支援し続ける外交姿勢への批判が強まれば、今年7月に日韓通貨スワップ協定は完全終了となる可能性はある
http: //uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1368198135/
480 :
マンセー名無しさん:2013/05/15(水) 16:12:17.64 ID:jsRIclMO
韓国人売春婦を入管に通報して強制送還してもらいましょう
謝礼がもらえる場合があるので、無職や日雇いの方も朝鮮人狩りにご参加を!!
単独でもよし、何人かで自警団を結成して活動してもOK
481 :
マンセー名無しさん:2013/05/16(木) 01:59:29.43 ID:EfbBGFsW
人と今 金次子さん(株式会社シーズン 代表取締役)
06年、高麗人参入りの化粧水を開発した。アートメイク・アーティストという本業のかたわら、
「ジンローション」と名付けた化粧品の普及のために、忙しく飛び回る毎日だ。
幼少から、化粧によって変わる顔に興味をもち、高校を卒業して歌劇団に所属。
結局、アートメイクの道を究めることを決意し、アメリカや香港、台湾などへ武者修業に出かけた。
アートメイクの仕事で地位を築いていたが、高麗人参入り化粧品という冒険に挑んだ。
2000年冬、単身韓国に乗り込み、あちこちで自分のイメージを説明した。
タクシーの運転手に「人参は錦山だ。そこにいかなきゃ話にならん」といわれ、
何とか人参を得ることができたが、開発段階では損失も出た。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=72328&thread=01r04 統一日報 2013年01月23日
人と今 玄理香さん(フードコンサルタント)
都内のフードコンサルティング会社に勤務し、忙しい日々を過ごしている。
現在、東京・赤坂プリンスホテル跡地のリニューアルや羽田空港の国際線増床プランなどの仕事を手がけている。
東京都出身の在日3世。生まれた時から本名を使用する。「生きていくうえで通称名も必要と思うが、
本名を変えるとアイデンティティーがなくなるような気がする」と自分の名前を大切にしている。
幼い頃からの夢は、アナウンサーになることだった。本を朗読したり、人前で話をしたりすることが大好きだった。
高校卒業後は、その夢を目指して、日本大学芸術学部放送学科に進学した。
大学時代には民団主催の春季学校にも参加し、多くの在日の友人ができた。
当時は学生会にも積極的に参加し、指紋押捺撤廃運動で署名活動も行った。
大学卒業後は、大手放送局の広報部に就職して、番組宣伝や司会、ナレーションなどの仕事もしていたという。
昨年12月からは、QVCという通販番組でアクセサリー・プロデューサーとして、出演する仕事も始めた。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=72287&thread=01r04 統一日報 2013年01月16日
人と今 高京進さん(高田建具店代表)
在日韓国人には珍しい、建具職人だ。2歳のときに牧師だった父とともに大阪に来た。
戦後は尼崎の駅前に住むことになったが、仕事はなかった。
秋田、青森への米の買い出しや古物商の手伝いなどをしたが、1年ほどすると仕事もなくなった。
とうとう問屋の社長が「あんた、毎日、何しにきとんのや」と話しかけてきた。
ガラスを分けてほしいと頼むと、当時配給制だったガラスの配給切符を集めてこいと言われた。
知り合いから配給切符を買い集め、それを問屋の社長に持っていった。
そうこうするうちに社長と親しくなり、ガラスカッターの使い方にも習熟するようになった。
その問屋で余ったガラス片が手に入るようになり、四角に切って製品として売りだした。
ほどなくして四国や富山からも大量に注文がくるようになった。
その後事業を拡大し、建具店を開いた。アルミサッシが登場すると、面白いほど儲かったという。
建具師として1986年には尼崎市長から、89年には全国建具組合連合会から表彰を受けた。
民団では尼崎地区の分団長を40年以上務めた経験を持っている。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=72208&thread=01r04 統一日報 2013年01月01日
人と今 医療法人倫紀会理事 李孔一(イ・ゴンイル)さん
新西支部は、愛知県内の民団支部で唯一、同胞高齢者のためのデイサービスを行っている。
同支部は、JR名古屋駅西側の名古屋市西区の名西支部と西春支部が1994年6月に合併してできた支部だ。
合併前の両支部は1948年に結成され、歴史と伝統のある支部でもある。
同支部のデイサービスは9年前から始まったが、その当初から関わってきた。
山口県豊浦町生まれの在日2世。4歳の時に名古屋に来てから、同胞が多く住む中村区で育った。
幼い頃は父親が分団長をしていたこともあり、団費集めにも一緒にまわった。
地元の大学卒業後は、いろいろな職業を経て、10年前に病院とデイケア施設を立ち上げた。
当時の支団長に、これからは同胞高齢者も増え、支部会館も活かすことができるということから協力を要請され、
現在同支部の支団長として活躍している。
同支部のデイサービスの特徴は、団員高齢者の自己負担分を支部が面倒をみていることだ。
同胞高齢者は無年金の人が多いためだ。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=71879&thread=01r04 統一日報 2012年11月09日
人と今 東久留米市立東中学校教諭 金竜太郎(キムヨンテラン)さん
韓国の学校、在日韓国人の学校、そして日本の学校で教壇に立った。異色の経歴だ。
東京で生まれ育ったが、小学校3年生まで、自分が在日韓国人であると知らされていなかった。
ある日父からそれを聞かされ、学校で話した。その日からいじめが始まった。
それからは自らの出自を隠してきたが、高校2年のときに恩師と出会う。出自を公表してみないかと言われ、
悩んだ末にクラスメートの前で打ち明けた。自分とは何者か、と深く考えるきっかけになった。
社会人になって、韓日で会社員生活を経て韓国の中学校で日本語教師の職を得た。別の学校では小学生にも教えた。
その後大阪の建国学校で韓国語と世界史、そして在日の歴史を教えた。担任になったのもここが初めてだった。
現在はかねてから「生まれ育った場所で」と願っていたとおり、都内の中学校の教諭になった。
「何事もあきらめずに最後までやりきる子を育てたい」と語る。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=71823&thread=01r04 統一日報 2012年10月31日
青商会は今後、どのような伝統を築いていくのか
環境の変化が著しいとは言え、日本で朝鮮人として生きて行く以上、在日同胞の置かれた立場は
本質的に変わらないだろうし、私たちが運動で新たな物を創造しようとしても、それはあくまで、
すでに築かれた在日同胞社会の財産に資するためであるべきだからだ。
私は青商会の第1世代として、在日朝鮮人のルーツを見失わないことと、民族を愛し、
祖国とともに歩むという総聯の活動の原則を堅持する姿勢を、組織に確立したいと考えている。
ルーツを見据え、原則を堅持することの意義は
在日朝鮮人のルーツとそこから運動がたどった経緯を見ることで、在日同胞が持つ力の根源を把握できる。
強制連行など植民地支配の被害者である在日同胞の立場は当初、極めて不安定なものだった。
しかしその後、同胞らは自主的な力で各種の権利を獲得し、民族教育の体系を整えるに至った。
こうした力は、どんな状況でも朝鮮人として自主的に生きようとする1世同胞の強い意志から生まれたものだ。
世代は代わっても、この力の根源は変わらないはずだ。
韓廣希氏
1955年7月20日生まれ。山口朝鮮高級学校の第1期生。その後、朝鮮大学校の政治経済学部へ。大城商事拒纒\取締役。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj1997/sinboj1997/sinboj97-3/sinboj970321/sinboj97032182.htm 朝鮮新報
489 :
マンセー名無しさん:2013/11/29(金) 00:11:01.64 ID:UnT2WMLT
ロッテは絶対不買しろよ。
ソフトバンクも。
白木屋、笑笑、魚民、笑兵衛、暖暖、和吉モンテローザ、
エイベックス、MKタクシー、
サムスン、LG電子、DAEWOO(電化製品)・ソフトバンク、Yahoo! BB
パチンコ、パチスロ
歌広場
ラインよりCOMM。スカイプ
490 :
マンセー名無しさん:2013/11/29(金) 18:50:34.38 ID:DWjDKH2C
日韓条約の在日韓国人法的地位は25年を経ち
1991年に終わりました
カードは日本にあります
在日の生活保護は
厚生局長の一個人の許可
です取消に
犯罪者の在日を強制送還に
在日の区別は無くなります
一日も早く実現しましょう
フラッシュ同胞企業人<72>仮設工事専門から脱皮
総合建設業をめざすダイカネ技建の金文達社長
建築現場の仮設工事(足場組立・解体)を専門に行ってきたが、3年ほど前から総合建設業をめざし、
1戸建て住宅の修繕からビル・マンションの大規模工事まで、建物に関するさまざまな仕事を請け負っている。
現在、仮設と建設の受注割合は8対2。「これを5対5までにしたい」。
愛知のほか、三重、福井、石川の3県に営業所を設け、総社員数は約100人。昨年度の売上額は約6億6000万円。
高校卒業後、信用組合愛知商銀に入り、5年間勤務後、父の会社に入社した。
「経理に明るくなった」。2001年、現在地に本社ビルを設立。
父親の昭夫会長(67)は若いころから建設関係の現場仕事に携わり、87年に仮設工事専門の大金技建を創業。
95年に法人化し、ダイカネ技建に社名変更した。「現場は体力を使う重労働で、特に夏場は大変。
脱水症を起こすなど過酷な仕事だった。社員を集めるのが一番の難題だった」と、会長は振り返った。
5年前から研修生を受け入れた。中国人が主で、18人が在籍。研修生用の宿舎も設けた。
「仮設工事は人員の確保が大変。今後は省力化、機械化を進めたい。
(2012.1.25 民団新聞)
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=18&newsid=15394
フラッシュ同胞企業人<73>節電意識で広がる需要
LED照明を大手に納品リモテクジャパンの韓鈗守社長
3種類のサイズ(20h・40h・110h型)を備えたLED蛍光灯シリーズを生産中だ。「使用可能時間は4万時間。
これからはLEDの時代で、需要はますます拡大するだろう」。社員は10人、10年度売上額は約3億6000万円。
全羅南道の光州市生まれ。米国に留学したかったが、航空券が買えず、90年に来日。
新聞配達をしながら日本語学校に通った。城西大学経営学部を卒業後、韓国と取引のある貿易会社に就職した。
02年に独立し、有限会社リモテクジャパンを創業。10年に株式会社に変更した。
社名は、「リアルタイムを モットーに テクニカルで クリアしよう」の頭文字を組み合わせた。
当初は車のエンジンやオートバイなどを韓国に輸出したものの、排気ガスの規制が厳しくなり、転業を強いられた。
たまたま、知人からLCD(液晶ディスプレイ)の液晶を再利用する方法を教えられた。
農業機械で知られるクボタの協力会社として、三星のチップを自動販売機のライトパネルに使った。
「そうした実績が認められ、前川製作所の指定工場になったのは幸運だった」。LED照明の納品を始めた。
最近は、韓国で中古の液晶を使うことは少なく、龍ヶ崎工場(茨城県龍ヶ崎市)からの輸出は中国向けのみとなっている。
昨年11月、取手市谷中に830平方bほどの工場敷地を入手、本社を移転した。
(2012.3.14 民団新聞)
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=18&newsid=15575
青汁のCMに売国奴の井筒カントクが起用されてた。
こりゃ不買だなw
保守
人と今 梁和権さん(CARBANK.Inc代表)
米国・サンディエゴで自動車と自動車部品の輸出会社を経営している。
主な輸出先は、日本、モンゴル、ラオス、ミャンマーなど。車種はU・S・TOYOTAや
ポルシェ、ベンツなどを取り扱っている。
1977年、福井県生まれ。上智大学卒業後、日本で米国コンピューターメーカーの営業職に就いた。
本格的に英語を学ぶため、2004年から1年間、学生として米国に滞在した。
学生ビザの滞在期限が迫るなか、米国で事業を始める決意が固まった。2005年、28歳で中古車販売の会社を設立。
7年間かけて取引先を開拓し、現在では年間100台以上の車を輸出している。
2012年には、福井県で自動車部品の販売専門会社、(株)オートプロズを設立。
今年4月には、米国ロサンゼルスにも自動車輸出に特化した支所を開設した。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73142&thread=01r04 統一日報 2013年05月22日
人と今 金哲三さん(婚活工房代表)
日本国内で業界最大手である結婚相談所のフランチャイズ店を昨年9月に都内でオープンした。
全国で4万人が登録している。なぜ結婚相談所なのか。「自分に向いている」と思ったからだ。
自身も結婚するまでに70回以上のお見合いをした経験がある。
東京都出身の在日2世。大学を卒業して、外資系銀行や団体職員などを経て、今の仕事に巡り合った。
銀行員時代には、紹介した人が2カ月で結婚。その後も何回か同じようなことがあった。
大学時代には、在日韓国学生会にも積極的に参加し、青年会でも活動した。
そこで出会った在日同胞の友人との付き合いは今でも続いているという。
そういう経歴もあってか、最近は同胞の親御さんからお見合いを頼まれる機会が多くなってきていたことも、
相談所を開くきっかけになった。
特に今はソウルに事務所を置いて、韓国でのウェディングアルバム製作にも力を入れている。
日本でアルバムを作るよりも値段が安く、質も高いという。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73092&thread=01r04 統一日報 2013年05月15日
人と今 高山 未奈子さん(弁護士)
離婚から一念発起し、弁護士になったという異色の経歴を持つ。在日韓国人3世として日本で生まれ、
大学で英米学を学んだ後に、韓国へ1年間留学。帰国後一般事務職となった。
結婚して男の子をもうけた30代半ばでの挑戦だった。
法律への知識を持ったのも離婚がきっかけだった。息子の親権を巡って韓国人の元夫と話し合いになった時、
「専門知識がないと何かがあった時に取り返しのつかないことになるのではないか」と不安になった。
専門的な知識を身につけて十分な収入をえたいという思いや、会社を経営する姉の助けになりたいとの思いもあった。
司法試験への挑戦を決めた時期は、法科大学院(ロースクール)が創設された頃だった。
自宅に近いロースクールに合格することはできたが、「30も半ばになると、記憶力が減退していますし、
長時間勉強するタイプではありませんでしたから、1日4、5時間勉強するのは本当に苦痛でした」と振り返る。
それでも何とか法科大学院を卒業し、2回目で司法試験に合格。日本国籍も取得した。
「今はアソシエート(法律事務所の従業員)ですが、この分野だけはほかの弁護士に負けないというものを確立して
独立したいと思います。在日の方特有の法律問題、建築紛争や医療過誤分野に関心があります」と話している。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=72984&thread=01r04 統一日報 2013年04月24日
人と今 金弘明さん(関西韓国YMCA アジア青少年センター館長)
生活のための日本語教室を開設
JR環状線玉造駅から至近距離の関西韓国YMCAアジア青少年センター(大阪市東成区)は、
韓国伝統芸術の殿堂として、また、不登校児童をもつ保護者らの相談事業の拠点として知られている。
今年4月からは日本語教室が設置された。その推進者だ。
昨年7月に東京のYMCAから転勤。安定運営のために収益事業が課題だと感じた。
市場調査の末の選択が日本語教室だった。
日本語学校での勉学は、進学を目的としない外国人にとって金銭と時間面で負担が大きいのが現実だった。
生活のための日本語教室は、必ず需要があると確信した。
専門の日本語講師を招聘し、1学期10週80時間で5万6000円。1時間あたり700円という計算だ。
大阪には韓国からワーキング・ホリデービザで来日する若者が多いが、
かなりの人が日本語を勉強しないで来ているという。
「言葉の問題でアルバイトもできず、日本語学校へ通うお金もないというケースが多い。
そうした若者にも通ってきてほしい」と話す。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73239&thread=01r04 統一日報 2013年06月05日
人と今 李権二さん(小児科専門医)
国際緊急援助隊医療チームでも活躍
千葉県・白井聖仁会病院で小児科外来を担当する傍ら、医師国家試験向け予備校で講師を務めている。
ボランティアとして国際協力機構(JICA)の国際緊急援助隊医療チームに所属しており、
現在は主にJICAの講師として後輩を指導している。
1972年生まれ。愛知県出身の在日韓国人3世。職人として木工所を営む両親のもとで育った。
高校生の頃、メディアを通し、海外の恵まれない環境で育つ子どもたちを知った。
自身が在日韓国人というマイノリティであることも一端となり、弱者の理解者となるべく医師を志した。
岐阜大学医学部を卒業後、東京大学病院、亀田総合病院などで小児科医として勤務。
バングラデシュ、フィラデルフィアなどの子ども病院でも研修を重ねた。
海外での活動を重ねるなか、エイズで亡くなる子どもの多さを実感し、
東京大学医科学研究所でエイズの研究も行ってきた。
インドネシアのスマトラ沖地震、パキスタンの大地震が発生した際は、
現地で2週間滞在して被災者の救護に従事した。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73286&thread=01r04 統一日報 2013年06月12日
人と今―李慶熙さん(日本料理研究家)
家庭でも気軽に本格的な日本料理を
自宅で気軽にできる日本の会席料理を教えている。
都内の自宅で開かれている料理教室には、若い主婦から年配の女性まで幅広い層の人たちが学んでいる。
韓国生まれで、ソウルで育った。貿易業を営む父親の仕事関係で小学3年生の頃から日本で暮らすようになった。
家庭でも日本の家庭料理を調理できるようにしたいという思いから料理教室に通った。
料理教室で習ったものを家で作ると、両親や兄弟も喜んでくれた。
20代前半からは、「もっと本格的なものを作りたい」という思いが強くなり、伝統的な日本料理教室で学んだ。
それがきっかけで30代中頃には、自分で料理教室を開くようになり、
日本料理を本格的に研究するようになったという。
現在は日本料理のほかに、高齢になった両親の介護経験から、薬膳料理も研究している。
また薬膳料理を学ぶうちに、韓国料理の良さも再認識するようになった。
自然と薬膳的な要素が入っていることに気がつき、韓国料理も本格的に学んでいる。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73317&thread=01r04 統一日報 2013年06月19日
人と今 李泰暻さん(マッコリAng オーナー)
東京都世田谷区に今年5月、カウンター6席・テーブル3席のマッコリバーを開いた。
最寄駅から徒歩約5分。商業エリアから住宅街に入りかけの所に、その小さな店はある。
働くのは自分一人。仕入れなどを家族に手伝ってもらうことはあるが、
開店から約1カ月、休みなく働いてきた。
大学卒業後に広告代理店に勤務したが、友人の誘いで飲食店を手伝ったのが、
この世界に入ったきっかけだった。店には約20種類のマッコリがあり、簡単なつまみも提供する。
過去の飲食店勤務時代に覚えたものかと思いきや、当時はホール担当。
メニューの多くは開店にあたって母から教わったものだ。
自分で食べておいしいと思った他店のレシピを、何度も通って教えてもらったこともある。
飄々とした語り口で、店名の由来は「マッコリとコリアンで何となく」と説明してくれたが、
強い決意も秘めている。初めて勤めた飲食店は仙台にあり、震災以降のれんを下ろしたまま。
「都内以外に店を出すならまず仙台に」との意思は固い。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73381&thread=01r04 統一日報 2013年06月19日
>>504 × 統一日報 2013年06月19日
○ 統一日報 2013年06月26日
「マッコリAng」は三軒茶屋駅から徒歩5分。
人と今 許玉姫さん(社会福祉法人 ハナ集いの家管理者)
民団八尾会館に介護施設を開設
通所介護事業所である社会福祉法人ハナ集いの家ムグンファが今年3月、民団大阪八尾支部会館にオープンした。
その管理を一任されているのが許玉姫さんだ。民団八尾支部の事務部長である。
ムグンファは通所介護、介護予防、デイサービス、運動機能向上、認知症予防、
入浴サービス、送迎サービスなど幅広くきめ細かい福祉事業を展開している。
現在は韓国人と日本人の高齢者が6人ほど通っている。うち2人が、一人では立てないレベルだ。
小規模な事業所であるため看護師を置く必要はないが、常駐させている。
民団の事業とも連動させ、毎週土曜日には高齢者と子供との交流をはかっている。
街デイ、通所介護、民団業務の3つをこなさなければならない忙しさは抱えているが、
さらに大きな目標もある。隣接する駐車場を活用して特養施設を作るということだ。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73434&thread=01r04 統一日報 2013年07月03日
人と今 金村 秀一さん(ウィルウェイグループ代表取締役 100年塾長)
飲食店と人材派遣業経営のほか、「100年塾」という経営セミナーを毎月1回開いている。
1973年生まれ、2児の父。東京都足立区出身。飲食店や遊技業を営む両親の元、
姉2人をもつ5人兄弟の長男として育った。仕事と子どもの相手に昼夜を問わず
奔走する父の背中は、現在も金村さんの指針となっている。
20歳で米国に留学。外国文化に触れ、初めて自身のアイデンティティーを見出した。
大学卒業後、大手パチンコ店に就職。IT関連会社として独立した後、29歳で飲食業に転向した。
現在はセミナーに訪れた経営者には、社員を連れての「会社見学」に招いている。
自社の朝礼や会議などもすべてオープンだ。
金村さんは6月、自身初の著書『赤字社員だらけでも営業利益20%をたたき出した社長の経営ノート』を出版。
発売後まもなく、ネット書店「Amazon」のビジネス書ランキングで3位を記録。
都内の大型書店では、同カテゴリーで1位を記録するなど、金村さんの経営ノウハウが高く評価されている。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73617&thread=01r04 統一日報 2013年08月15日 06:11
人と今 李須恵さん(公益財団法人 高麗美術館研究所研究員)
祖父の後をつぎ、韓国美術を広める
1988年にオープンした高麗美術館の創設者、鄭詔文さんの孫にあたる。
須恵という名前は、創業者が発刊していた季刊誌の座談会が
須恵器をテーマに開かれていたとき、孫誕生の連絡を受けた祖父が名づけたものだ。
高麗美術館研究所に所属し、15年以上。1700点にのぼる所蔵品台帳の整備や、
一品ごとの調査表などを作成し、同種の展示施設や調査研究機関との交流事業も担当する。
「学生時代は音楽が好きでピアノを弾いていました。
しかし母が河原町今出川で喫茶店をしていて、骨董を店内に置いていましたから、
美術館の雰囲気のなかで育ったようなものでした」
美術館の運営は財政的にも負担が大きい。祖父は美術品収集資金をつくるため
会社を経営してきたが、今はその息子2人が経営する会社から寄付金を受けている。
一族で美術館を守っているのだ。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73821&thread=01r04 統一日報 2013年09月19日 00:17
人と今 鄭載仁さん((株)仁代表取締役)
日雇い労働者が集まる神奈川・横浜の寿町という街で居酒屋「まさ子」を経営している。
寿町は東京の山谷、大阪のあいりん地区(釜ヶ崎)と並ぶ日本の三大「ドヤ街」の1つとされる。
この街で苦しい生活をしている労働者らに無料で食事を提供したり、
体を洗ってあげたりするボランティア活動を続けている。
ボランティア活動は来日して商売をしながら12年間ずっと続けている。
韓国・江原道生まれで、ソウルで育った。中学生のときに大韓赤十字社団員として、
人がケガをしたりして病院に搬送されるまでの間の応急処置の方法などを学んで修了した。
そんなときに中学生の時に学んだ経験を活かして、救急車が来るまでの間の応急処置をする。
また、一人暮らしをしているお客さんの自宅を事前に訪ねて、お茶でもしながら
話を聞いて上げたりもしている。このようなボランティア活動は、
行政の手が届かない部分でもあるという。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73871&thread=01r04 統一日報 2013年09月26日 00:20
人と今 尹祐根さん(産業技術総合研究所 総合知能研究グループ主任研究員)
工学博士として、障害者や高齢者向けの介護支援ロボットの実用化に向けて開発を進めている。
1972年、兵庫県出身の在日3世。ロボットに興味を持ち始めたのは、
小学生の頃に流行っていたアニメ「ガンダム」がきっかけだった。近未来的なロボットの風貌に魅せられた。
九州大学大学院で動力機械工学を専攻。自身が望んでいたロボットの研究・開発とは異なる分野だった。
諦めかけた頃、知人から「博士課程から頑張れば」との言葉をかけられた。
再びロボット開発への道を志し、東北大学大学院に進学。
2003年、同院工学研究科航空宇宙工学専攻で博士号を取得した。
工学の世界において、博士課程から新たな専攻分野に飛び込むことは異例だった。
2007年には、福祉ロボットの商品化に向けて「ライフロボティクス(株)」を設立。
一般向けに流通される日も遠くはなさそうだ。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73918&thread=01r04 統一日報 2013年10月02日
人と今―趙栄順さん(同人誌『鳳仙花』編集長)
在日韓国人女性のための同人誌「鳳仙花」の2代目編集長として活動してきた。
創刊は1991年。初代編集長の呉文子氏から8年前にバトンタッチされて
奮闘してきたが、同誌は9月に発刊された第27号をもって休刊となった。
東京に生まれ、厳格な父の下、まさに箱入り娘として育てられた。
短期大学を卒業して23歳で見合い結婚。家庭におさまった。
小さなころから文学が好きで、新聞や民族系の雑誌に詩やエッセイを投稿しており、
鳳仙花の創刊も義母を通じて知った。こうして常連投稿者の一人になった。
時代はまだ、在日韓国人の女性が言いたいことを言える雰囲気ではなかったという。
そうした中でおりのように溜まった感情が、当時の紙面にはにじみ出ていた。
趙さんはそれを「身世打令」(嘆き節)と例える。
94年に、小説「贋ダイヤを弔う」で大阪女性文芸賞を受賞した金真須美らも作品を鳳仙花に寄せた。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73970&thread=01r04 統一日報 2013年10月09日
人と今 鄭銀珍さん(大阪市立東洋陶磁器美術館学芸員)
京都での留学をきっかけに陶磁器に魅了
大阪市立東洋陶磁美術館は、安宅コレクションを中心とする東洋陶磁器専門の
唯一の美術館だが、その中心は、高麗・朝鮮時代の朝鮮陶磁器といえる。
国宝2件、重要文化財13件を含む約4000件が収蔵されている。
鄭銀珍さんは、高麗・朝鮮陶磁を担当する学芸員で、08年から同美術館に籍を置いている。
釜山の短期大学で日本語を学び、韓国の大手企業に就職したが、「何か新しい人生を歩みたい」と思い、
日本に留学した。留学先の京都では、文化財学を専攻した。
そのうち陶磁器に魅了され、大学院で考古学も学んだ。
論文のテーマは「日帝強占期(植民地時代)における韓国近代陶磁」だった。
現在美術館は、高麗青磁や朝鮮陶磁器がメーン。しかしこれからは近代韓国陶磁、
特に高麗青磁を研究していきたいと考えている。そして日本以外の外国にも、
陶磁器を通じて韓国の文化や芸術を広めたいと願っている。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=74018&thread=01r04 統一日報 2013年10月17日
人と今―柳時悦さん(日本橋りゅうデンタルクリニック院長)
東京駅からも程近い日本橋でインプラント(人口歯根)治療を多く扱う
(一般治療、矯正治療も)歯科医院を開業している。大学病院がまだインプラントを
行っていない時代から開業医として治療を始めて28年になる。
この分野では先駆け的な存在で、最近ではテレビに出演し治療解説もした。
歯科医院を開業する一方で現在、在日韓国科学技術者協会副会長や朝鮮奨学会評議員、
民団東京北支部常任顧問など在日同胞社会への活動にも参加している。
東京都出身の在日2世。都内の公立高校を卒業後、神奈川歯科大学に進学した。
歯科医をめざしたのは「個人で独立して生きていける職業として選んだ」という。
学生時代は在日韓国青年会結成にも奔走した。開業してからは、東京青商や青商連の活動にも参加し、
それぞれ会長や副会長を務めたりもした。一方で地元の歯科医師会会長もつとめた。
インプラント治療や矯正用インプラントを用いた歯列矯正は高度な医療技術が必要とされているもので、
開業医として学会やセミナーなどに参加して研究も欠かさない努力を続けている。
現在は治療技術向上のため東京大学医学部の口腔外科医局員として顎顔面関係の手術を中心に勉強している。
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=74098&thread=01r04 統一日報 2013年10月30日
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>>156 >>514-515 公益財団法人 朝鮮奨学会 役員・評議員名簿 ( 2014年7月30日 更新)
代表理事 金鎭禹 会社役員
代表理事 鄭夢周 在日本大韓民国民団中央本部事務総長
理事 武者小路公秀 国連大学副学長
理事 宮崎繁樹 明治大学総長
常務理事 李隆&#29673; 法人職員
常務理事 崔根福 法人職員
監事 洪南基 会社役員
監事 張界満 弁 護 士
評議員 孫性祖 在日本韓国人学校連合会会長
評議員 李成市 早稲田大学教授
評議員 鄭東善 会社役員
評議員 黄附^ 在日本朝鮮人科学技術協会会長
評議員 金舜植 弁 護 士
評議員 具大石 在日本朝鮮人中央教育会会長
評議員 柳時悦 歯科医師
http://www.korean-s-f.or.jp/01-07.htm
>>514-515 >>517 第154回国会 参議院憲法調査会公聴会 第2号
平成十四年五月十五日(水曜日)
午前九時開会
本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査 (基本的人権―私たちにとっての人権)
○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会公聴会を開会いたします。
日本国憲法に関する調査を議題といたします。
本日は、「基本的人権」のうち、「私たちにとっての人権」につきまして、
お手元の名簿の八名の公述人の方々から御意見を伺います。
午前は、弁護士杉井靜子君、全国生活と健康を守る会連合会事務局長辻清二君、
歯科医師柳時悦君及び都留文科大学教授横田力君、以上四名の公述人の方々に御出席いただいております。
○公述人(柳時悦君) 皆さん、おはようございます。柳時悦と申します。
私は、日本生まれ、日本育ちの在日韓国人二世でございます。
今日、このような場所で私に意見陳述させていただく機会を与えていただいたことを、まず最初に御礼申し上げます。
http://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/kenpou/keika_g/154_06-1g.html
>>517 鄭夢周氏が代表理事に…朝鮮奨学会
公益財団法人朝鮮奨学会(東京都新宿区)の代表理事にこのほど、
金鎭禹氏(会社役員、再)と鄭夢周氏(前民団中央本部事務総長、新)が就任した。
常務理事に李隆珩氏(法人職員)と崔根福氏(法人職員)。理事構成は韓国側と朝鮮側から各2人。
日本側からは武者小路公秀氏(元国連大学副学長)と宮崎繁樹氏(元明治大学総長)。
同奨学会は日本で学ぶ同胞学生を支援して100余年を誇る奨学育英機関。
8月1日付で一般財団法人から公益財団法人に移行した。
国から公益性が高いと認められたことで、税制上より高いレベルの優遇措置を受けられる。
11年度事業報告書によれば、年間奨学金給付総額は高校生が1億1741万円、
大学学部生および大学院生が2億5401万円で計3億7142万円。
このほか、韓国語テキストの配布や奨学生交流などの文化教養事業を行っている。
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=2&newsid=16499 (2012.10.3 民団新聞)
同胞奨学生募集 在日韓国奨学会
【大阪】在日韓国奨学会(共同代表=金安弘・李清一、事務局・大阪韓国人会館3階)が11年度奨学生を募集している。
学費の調達が困難な近畿地区在住の大学2年生以上が対象(大学院生・短大生、留学生は除く)。
一般奨学金(月額1万円支給、若干名)、冠名・株式会社三和グランプリ奨学金(同3万円、2人)、
冠名・社会福祉法人シャローム セットンの家奨学金(同3万円、10人)の3種類。
セットンの家を除き、韓国籍に限定。一般奨学金だけは他の育英機関との2重受給可能。いずれも返済義務はない。
書類選考と面接。応募書類は5月6日必着。在日韓国奨学会(06・6372・〜/FAX06・6372・〜)。
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=3&newsid=14295 (2011.4.15 民団新聞)
てすと
文美月(1)子育て、起業、帰化…「人はいつでも変わることができる」
安倍政権は成長戦略の柱のひとつに「女性の活躍」を掲げている。
しかし多くの女性が結婚、出産を機に仕事をやめ、小さな子供がいる女性の再就職は難しいのが現状だろう。
主婦から起業し、大阪でヘアアクセサリーの製造・販売を手がける会社を手掛ける文美月さん(44)も、
かつてそうした一人だった。主婦として、在日3世として、さまざまな「壁」と闘ってきた文さん。
女性が輝ける社会をいかに築くのか。その「歩み」を語ってもらう。
http://www.sankei.com/west/news/141227/wst1412270014-n1.html 産経WEST (1/4ページ)
>>522 文美月(1)子育て、起業、帰化…「人はいつでも変わることができる」
講演後、片付けをしながら起業した13年前のことをふと思い出しました。
当時はネットの知識やマーケティングどころか、商売の経験もない、平々凡々な専業主婦。
毎日を2人の子供の育児に追われていたのです。社会からの疎外感を感じ「また社会で働きたい」
と思いながらも私には何のスキルもありません。再就職しようにもどこにも受からない。
そんな状況に直面して途方に暮れたあげくに、私が取った行動は自分で会社を作ることでした。
■縁をつむぐ
経営に携わるリトルムーンインターナショナルは、ヘアアクセサリーの会社です。
製造から卸・小売までを行い、販路のメーンはネット通販。
その始まりは、平成13年末に自宅のパソコン一台で立ち上げたネットショップでした。
試行錯誤を繰り返し、多くの失敗を重ねながら、ヘアアクセサリーの
専門店サイト「リトルムーン」での販売点数の累計は約400万点にもなり、
日本最大級の通販サイト「楽天市場」で受賞率0・3%と言われるショップ・オブ・ザ・イヤーを3度受賞。
さらに、22年後半からは、ある「CSR活動」(起業の貢献活動)も取り組み始めました。
http://www.sankei.com/west/news/141227/wst1412270014-n2.html 産経WEST (2/4ページ)
>>522-523 文美月(1)子育て、起業、帰化…「人はいつでも変わることができる」
それは、日本で使われなくなったヘアアクセサリー(ユーズド・ヘアアクセサリー)を集めて
発展途上国の少女に贈ること。カンボジア・ラオス・タイ・ベトナムなどの貧困地域の少女に
寄贈したユーズド・ヘアアクセサリーは累計で1万4千点ほど。誰かに使われ、一度輝きを
失ってしまったと思えるヘアアクセサリーも、次の誰かの笑顔を作ることが出来ることを知りました。
「可愛くなれて嬉しい」女性の気持ちは、世界共通です。最近は雇用や奨学金支援への取り組みも始めています。
そうしたCSR活動、当社のEコマース事業を知った女性が、
アジア女性社会起業家セミナーの主催者の一人だったのです。
http://www.sankei.com/west/news/141227/wst1412270014-n3.html 産経WEST 2014.12.27 14:00更新 (3/4ページ)
>>522-524 子育て、起業、帰化…「人はいつでも変わることができる」
現在44歳。実は、在日コリアン3世であることを人に明かせず、日本名を名乗って18歳まで生きてきました。
ずっと自分が何者であるかを模索し、悩み、壁にぶつかってきました。
大学から本名を名乗り、長いアイディンティティーの旅を経たあと、
私は最終的に43歳で「文美月(ぶん・みつき)」という民族のルーツを残した名で日本に帰化しました。
【プロフィル】文美月(ぶん・みつき) 奈良県出身。日本国籍の在日コリアン3世。
同志社大卒。結婚し勤め先を退職、2児を出産後の平成13年に自宅で起業。
ヘアアクセサリーの製造・販売を手掛けるリトルムーンインターナショナル株式会社を創業した。
現在、購入後に使われなくなったアクセサリーを提供してもらい、東南アジアの少女たちに寄贈する活動にも取り組む。
http://www.sankei.com/west/news/141227/wst1412270014-n4.html 産経WEST 2014.12.27 14:00更新 (4/4ページ)