百済国の聖明王の第3王子である琳聖太子が日本に渡り、多々良姓を用いて周防国で周防権介を世襲しました。
後に鎌倉時代になると実質的な周防の支配者となりました。
室町時代には大きく勢力を伸ばし、室町幕府の将軍を擁立したり
明王朝や李氏王朝から正式に日本国王として認められ交易を独占しました。
渡来人として最も日本国内で繁栄した大内氏について語りましょう。
小傘スレと聞いて。
まあ、自称だけどな、大内。
3 :
マンセー名無しさん:2010/09/20(月) 01:15:41 ID:yxnG3kSB
1534年後奈良天皇に天皇の即位費として20万疋を献金
1535年も内裏日華門造営費として1万疋を献金
この頃天皇家は事実上大内氏の庇護下にあったんだよな
大内が聖明王の末裔であるかどうかの証拠こそないが
李氏朝鮮側はその証言を信じて台頭な交易を認めている。
正式に出自とされる朝鮮公認を獲ているのだから立派な在日朝鮮人である。
徳川なんて山賊の出身が天皇の公認で源氏になれたのとおなじで
王朝の追認があればそれは正式な血族になる。
5 :
マンセー名無しさん:2010/09/20(月) 12:08:00 ID:yxnG3kSB
たしかに李氏朝鮮王朝が由緒ある百済王族の末裔だと認めて
陪臣ではなく対等の交易相手にしているのは特筆に値する。
6 :
マンセー名無しさん:2010/09/20(月) 12:10:08 ID:ihbUSSAX BE:1439115438-2BP(240)
>>1 ちょっと待った。明と交易してたのは大内だけじゃないでしょ。
最初は日本の南北朝時代の南朝の懐良親王、
次は室町幕府の足利義満と勘合貿易、明が大内氏を窓口にしたのは
倭寇や民間の貿易が主流になってる時期だから、貿易独占ていう感じじゃ
ないでしょ。
李氏朝鮮は、女真族出身で出所不明だから、古代の百済とか言うフカシで
簡単に釣られたって所でしょ。
ところで「李氏朝鮮の公認」って、どのくらいの価値があるの?
9 :
マンセー名無しさん:2010/09/21(火) 00:23:50 ID:pkvpkbRa
当時朝鮮と交易していた日本人は倭寇取締に協力する代わりに私貿易を認められた朝鮮の陪臣扱いであった。
三浦の乱以降は陪臣に対して交易に制限を受けた。
ところが大内は陪臣ではないので交易に制限がなく以前と変わらない交易が認められた。
その為、交易を続けたい商人は大内を騙るか、大内に接近し利用せざるをえなくなった。
10 :
マンセー名無しさん:2010/09/21(火) 01:47:08 ID:8KrAVv0Z
そして、朝鮮と交流のあった大内氏は法則が発動して滅んだ。
終わり
11 :
対朝賊軍事総裁 高田信弘 ◆2I5hlJuq8sNH :2010/09/21(火) 01:58:07 ID:cMQswX9G
>>8 中国の使臣に土下座する国王がいる後進国に認めて頂けるということ
天皇や征夷大将軍に認めてもらうののさらに下の価値ぐらいかな
てか、仮にこのスレがスレタイ通りの話題で延びても、レス二桁以内にニダ半島の話題が消えると思う。
13 :
マンセー名無しさん:2010/09/21(火) 13:32:46 ID:BJhqRRsn
戦国ブームと言われながら大大名のうちで大内だけがあまり取り上げられないのは
意図的に排除する裏の圧力がかかっているせいだ。倭寇も完全に無視されているし。
もっと在日韓国朝鮮人にアピールして日本国内の誤った認識を正さねば
つか、結局は陶氏に滅ぼされちゃったわけだからなぁ……大内義隆の最後があんまりにもアレすぎたから(毛利氏が、あえて悪い風に評判を広めたってのはあるかもしれないけど)今川義元みたいにあんまりいいイメージで語られる事はないんだと思う
大内義長のこと……時々でいいから思い出してあげてください。
実兄の大友宗麟から「弟要らないから茶器寄越せ」とか言われちゃったけど。
16 :
マンセー名無しさん:2010/09/21(火) 14:13:44 ID:pkvpkbRa
前代未聞の従二位を授けられている中で「衰退」っていう表現はふさわしくない。
毛利が反乱に組みしていた証拠も発覚しているし、簒奪正当化を目的として
意図的に毛利側によって大内義隆の評判を貶める逸話が捏造された疑いは強い
>>15 まあ、そーりんも正直色々アレではありましたけどねぇ……
>>16 うん、まあそれは確実にあると思う>毛利側が大内義隆の評判を貶めようと策謀した
ただまあ、誇張されてるのは確かだろうけど捏造という気はしないなぁ
その内、中国に献上してたのを根拠に中華帝国も朝鮮の庇護下にあったとか言い出すだろ
宗麟最大の問題は息子の義統じゃなかろうか。
いや、宗麟自身相当アレだがw
>>19 信玄さんとか忠興さんとか性格がアレな人は他にもいっぱいいたわけですけど、国主としてもちょっとねぇ……
>>20 性格がアレと言えば、邪気眼竜も忘れてはいけないですなw
むしろ性格悪い方が大封を残してるのがおもしろい。
性格は悪くないけど、小さく残った今川氏真や山な豊国みたいな例もありますが。
>>21 邪鬼眼竜吹いたw
や……というか氏真の場合、もう状況的にどんな優秀な君主がいたところで詰みになるしかなかったという所がありますからなぁ
よく生き残りましたなぁ、氏真。
しかし運と言えばそれまでですが、、山名家や今川家と大内家や葦名家などになぜ差が付いたのでしょうな。
と強引にスレタイに戻してみる。
氏真の生涯と大内輝広の生涯を見比べてみると、運というよりは「時流を読めたか読めなかったかの差」というような気もしてきますな>なぜ差がついてしまったのか
(まあ他に頼る所がなかったというのはあるのでしょうけど、毛利と大友じゃあやっぱり……)
そういう意味では、やはり最盛期にこそ原因が求められますかな。
まあ、晴持の事故死でふぬけちゃったのはしょうがないけど……。
戦国時代の人間は親子の情が薄いと言う人もいますけど、子が死んだり親が死んだりした途端にふぬけちゃった武将って実は結構いるんですよねぇ>義隆
戦のない江戸時代に生まれていたなら、彼も最後まで名君と呼ばれてたのかしらん
ってか、このままいくと戦国ネタで終わっちゃうニダがw
スレ主が出てきませんからなぁ……w
29 :
マンセー名無しさん:2010/09/22(水) 06:38:02 ID:33LEVp2c
>>3 毛利元就は正親町天皇の即位式のために銀48貫を献金している。これは4800疋相当。
額は圧倒的に少ないにも拘らず死後の翌年1572年に贈従三位、1908年には追贈正一位を受けている。
一方、大内義隆は生前の1548年に従二位まで昇叙していたにもかかわらず死後の贈位はない。
日王による露骨な在日差別ニダ
百済と近代の朝鮮人は関係ないってことで>>1は終了してるから
あとは雑談スレでオッケーってことですね?w
もう日本史スレでいいんじゃないかな。
32 :
マンセー名無しさん:2010/09/23(木) 12:01:52 ID:HhLmydFT
戦国時代に朝鮮から大内のもとに多数の宝物が持ち込まれている
これらを返却すべき
>>32 「宝物」といえば人材に勝るものはない。
「優秀な人材」すなわち宝物である在日の返還こそが急務。
>>32 証拠があれば返してやるよ、ほれ、とっとと証拠出せ
35 :
マンセー名無しさん:2010/09/23(木) 16:22:36 ID:+WPwKIcW
日本国王?
巨酋使だろ
「朝鮮王朝実録」1539年に柳緒宗という人物が日本人に灰吹法技術を流出して処罰された
>憲府啓して曰く、「全州判官柳緒宗、金海に居る時、私人を率いて海外加徳島に猟し、
>東莱県令に捉えらる。また京中富商を引き、その家に接主し、倭虜を誘引し、我が国の服を変着して、
>恣に買売を行わしむ。(略)「柳緒宗多く失する所あり。故に殞命を計らず、得情を期して
>刑訊するが可なり。但倭人と交通して、多く鉛鉄を貿い、吹錬して銀を作り、倭人をして
>その術を伝習せしむる事、台諫の啓するところをもって推きくせよ。
灰吹法がその後の歴史にあたえた影響はデカイよな。
16〜17世紀のアジアの経済は日本の金銀で回ってたらしいからね。
38 :
マンセー名無しさん:2010/09/24(金) 06:27:15 ID:PGv999Sl
日本日本国内の産業を整備した歴代大内当主よりも
国内を荒らし回っただけの戦国武将の方が人気が高い
日本人は愚かですね
40 :
マンセー名無しさん:2010/09/24(金) 06:33:08 ID:PGv999Sl
日本の教科書の偏りは酷い。
応仁の乱では山名宗全の名ばかりとりあげて大内政弘の名前は記載されず
将軍足利義稙を擁立した大内義興の名前も船岡山の合戦も記載されず
キリスト教を保護したのは大友宗麟ということになっているし
天皇や寺社への寄付をした人徳者である大内義隆の名前は記載されていない。
これは朝鮮民族である大内の知名度上昇を恐れた文部科学省の歪んだ教育の証拠だ
>>39 知ってるよ。六角定頼の楽市楽座政策を模倣しただけなのに
愚かな日本人に勘違いされている人ですね。
>>41 まさか、楽市楽座は六角以前にもたくさんの大名がやってたって事知らないの?
つか、中国の一大名にすぎない大内がどうやって「日本国内の」産業を整備したんだかw
楽市令だったら今川氏真も出してるしなぁ。
>>44 あちこちの門前町でも楽市は開かれてましたしねぇ
>>43 天皇に寄付=日本中に恩恵
じゃない?
なんだかんだ言って朝鮮人の天皇への畏敬の念は凄いから。
天皇は中国皇帝と同格であり神だとDNAに叩き込まれているから
どれだけ必死に否定しても肉体が土下座するようにできている。
>>46 上杉も織田もどこもやってたんですけれどね>天皇へ寄付
(というか、それは産業の整備ではありませんな)
公家の山科さんが、あちこち金策に歩き回ってましたからねぇ。
そういや、楽市楽座って別々の政策で、六角定頼がやったのは楽市令じゃなかったっけ。
50 :
マンセー名無しさん:2010/09/24(金) 09:26:17 ID:T3Rh4zUl
従来の蛾を用いた絹製法から蚕を用いた製法に変化している。
この時、大内のツテで博多の満田彦三郎が遣明船で技術修行に赴いている。
その後日本国内で博多や西陣で絹織物が大成した。
明治維新ではこれをベースに西洋の技術を取り入れ殖産興業として
富国強兵のための外貨を獲得していた。
こういう流れがあるにも拘らず日本の教育者は全く語ろうとしない。
>>49 ですな>楽市令
(ちなみに、門前町も楽市のみです)
52 :
マンセー名無しさん:2010/09/25(土) 06:39:08 ID:XOjZrzO5
大内といえば撰銭令だな。
流通拒否されていた質の悪い明銭を宋銭と一緒に一定量は受け取れと定めた法律。
寡兵の流通が少ない関東の北条は明銭を基軸通貨にしていたのに比べてあまりに対照的だ。
53 :
マンセー名無しさん:2010/09/26(日) 13:06:50 ID:montZaBf
貨幣経済の浸透により座の影響力が強まったんだよな。
西日本は貨幣経済の最前線であったわりに畿内のような座の特権廃止等の記録が残っていない。
大内や毛利には座の利権を脅かすほどの力がなかったのかねえ。
>>53 まあ、商人のネットワークと財力を何とかするのは並大抵の事ではなかったという事でしょうなぁ
(「善良な商人やお坊さん達を力でねじ伏せる事が出来た戦国武将」というのは、実はそんなにいなかったわけですし)
55 :
マンセー名無しさん:2010/09/27(月) 00:58:42 ID:FHIRal2/
戦国中期の山口は唐本屋があったので大陸から伝わった学問を学ぶには国内最高の環境だったんだよね。
渡来人の住居が2000戸だったか、渡来人が2000人だか忘れたけど中国人や朝鮮人が多く滞在していたというし、
国際色は非常に豊かだったと思われ。
大内氏は義弘、義興の時、海賊を糾合して、頻々として、朝鮮を侵したので、朝鮮王は屈伏して、全羅道から毎年、期を定めて、一定の貢物を大内氏に捧げることとして、その侵略をまぬがれた。
大内も尼子も毛利も
ピークから代ごとにきれいに劣化してるな
議長は養子だけど
58 :
マンセー名無しさん:2010/09/28(火) 08:56:16 ID:LH0LisXh
このスレの皆さん、在日ですか?
日本の歴史にお詳しいですね。
在日でなければ歴史に詳しくなれないと主張するバ……人がいると聞いて
60 :
マンセー名無しさん:2010/09/28(火) 09:01:31 ID:LH0LisXh
日本の歴史とか興味わかないのかと思ったんですよ。
それとも、大内氏を渡来人と信じることによって、親近感を持ち、
大内氏とその周辺の歴史だけに興味を持たれてるんでしょうかね。
もっと広げると渡来人関係とか。
63 :
マンセー名無しさん:2010/09/28(火) 10:04:26 ID:qWS+7VxH
応仁の乱は西軍の負けで決まりそうなときにこの大内が参戦して泥沼化したらしいね。
そして大内の撤退で乱は収束した。つまり泥沼化の原因なのに
中学・高校の授業では将軍の後継者争いで細川と山名が争って京を荒廃させた程度しか教えてもらっていない。
学校の歴史授業って資料の穴埋めや寺の建築物や屏風の名前を覚える無駄な内容ばかりだけど
こういう歴史の流れを教える方がよっぽど重要だと思う。
ID:LH0LisXh
頭大丈夫?
聖明王の子孫とか自称してたけど、なんの実証もない。
在日と渡来人を一緒にするなよ。
日本に渡来人が断続的に来てた時代、まだ大和民族も朝鮮民族も形成されてなかったんだからな。
大内が明にも朝鮮にも日本国王と認められた事実は無い
68 :
マンセー名無しさん:2010/09/30(木) 16:04:24 ID:ECiVsW7o
いや認められているぞ
つか、何で朝鮮に認めてもらわなきゃならねーんだよw
>>69 見返りが無いと動いてくれないからじゃないすか?
明が交換条件として認めて、朝鮮は明に従って認めたとかそんな感じで。
明・朝鮮に日本国王と認識されていたのは、あくまで足利将軍だろ?
でも実際に外交の実権を握っていたのは細川氏・大内氏・宗氏で日本国王の上表文を偽造して勝手に交易する事もあった様だ。
朝鮮での使節の待遇は少弐や細川と同じ巨酋使として
認められてるだけで将軍の国王使では無かっただろ。
明についても寧波の乱での明の対応とか思いっきり
日本国王である足利将軍の代理使節として扱ってるし
73 :
大内:2010/10/03(日) 20:55:16 ID:YeSjrhev
自分が朝鮮の血引いてる可能性あるとはこのスレ見るまで知らなかったです少し落ち込みましたwスレチすいませんでしたm(__)m
地球上に単一民族なんていないのだから、千年以上も昔の本当かどうかも解らん話で落ち込む必要など無いのだ。
75 :
大内:2010/10/04(月) 14:07:48 ID:toIgi9He
>>74さん。優しいですね♪これをきっかけに日本の歴史を知りたくなりました。ありがとうございましたm(_ _)m
76 :
マンセー名無しさん:2010/10/04(月) 21:17:31 ID:JjYYB77s
足利義満に与えられた金印は消失して幕府には残っておらず
大内が木印をどこかから入手して貿易時に使っていたらしいな
77 :
マンセー名無しさん:2010/10/05(火) 04:33:15 ID:eVWsACTc
現存する大内義長の木印は中国王朝から貿易を拒否されて一度も貿易に使用されなかったんだよな。
78 :
マンセー名無しさん:2010/10/07(木) 09:44:32 ID:JoJWDfT0
大内義長は簒奪者として貿易を認められなかったらしい
元就に滅ぼされるわ、兄貴から捨てられるわ、ひどい生涯だな。>義長
80 :
マンセー名無しさん:2010/10/09(土) 16:06:49 ID:e7aQ1WG4
傀儡とはいえ大友よりも格上の大内を継げたのだから瞬間的には兄に勝っていたのにな
81 :
マンセー名無しさん:2010/10/14(木) 11:21:58 ID:l6oFlfAw
大内政弘〜義隆ってのは日本国内の貨幣経済の発達において欠かせない重要人物なのに
あまり知名度ないよな
82 :
マンセー名無しさん:2010/10/15(金) 11:34:34 ID:5TrEp10T
日本の経済史においても謎が多い家系なのに学者からは人気がないんだよな
研究対象にすればいろいろ新事実がわかりそうなものを
しかし中国への朝貢を基準に国内最高権力者と認定したがるとは、
属国民根性が徹底して染み付いてるんだな。
>>82 まあ、とりあえずソースを出してから喋るようにしてくれ
世界遺産の石見銀山を経営してたのも大内だろ
まず室町時代好きな小説家の絶対数が少ないしな
澁澤龍彦は大内氏に興味があったとかどこかで読んだが
87 :
マンセー名無しさん:2010/10/17(日) 07:57:47 ID:ZeNhmpGU
尼子に負けて、貿易で富きづき文化にうつつぬかして、
謀反や毛利にやられて滅んだうつけっていうのが定評だな。
88 :
マンセー名無しさん:2010/10/17(日) 09:44:04 ID:QaqZWjkO
倭寇=日本人のふりをした朝鮮海賊
朝鮮人は昔からこうなのかよw
前期倭寇に関しては、殆ど日本人だよ。
90 :
マンセー名無しさん:2010/10/18(月) 00:35:04 ID:85g5hjxk
戦国大名なんて国内を荒らしただけの不毛な存在
日本は戦国時代に諸候がしのぎを削ったお陰で目覚ましく発展したんだが。
徳川家康も戦国大名なんだが、江戸幕府って知ってるか差別者?
93 :
マンセー名無しさん:2010/10/19(火) 15:12:35 ID:CZaYg5A5
戦国期は多大な浪費であった、もし室町幕府を中心に諸侯が纏まっていたならば、
金山や銀山といった鉱山の消費もなくまた奴隷が輸出されることも少なく、
無駄な殺し合いが無かったであろう。
また、江戸時代が来ないため鎖国体制、儒教の国教化、中途半端な
近世突入も無く室町幕府による改革が行われていた可能性が高い。
しかし、時代は江戸時代から戦前の流れを作り出した、つまり間違った方向性に突入する、その流れが足利義教以降の暗黒の日本史である。
戦国時代は他の時代と比べても人気が高い、幕末、源平と同じくらいの人気だが、武家政権を設立の歴史と武家政権終焉の幕末と比べると中途半端だし
歴史的意義は他時代から見ると少ない。旗から見てる分には面白いのだが所詮戦国時代など殺し合いであり、倫理など無い時代で、目を逸らすのが正しい。
戦国時代など必要が無い、鎖国も儒教もなく中央集権化した日本があれば今の日本はこんな国ではなかったはずだ。
戦国時代は日本にとって良くなかった、少なくともその結果も良くなかった。
まさに日本の失敗の始まりであり、わずか65年前の生まれ変わりが日本の間違いの矯正なのである。
94 :
マンセー名無しさん:2010/10/19(火) 15:17:34 ID:nZ+nw1pN
>諸候
ばーーーーーかwwwww
>>93 何で鎖国が行われたか、説明してみろよ差別者w
96 :
マンセー名無しさん:2010/10/20(水) 14:18:57 ID:21854Xl+
コーエーのゲーム 信長の野望天道パワーアップキット(12月17日発売)の詳細が発表されました。
http://www.gamecity.ne.jp/tendou/win/pk/index.htm 文化
勢力強化の新要素として武家公家寺社南蛮という4つの系統の「文化」が登場。
戦闘を有利にする新施設の建設や、朝廷の権威を利用した新たな外交が可能になるなど
「文化」を振興していけば戦略の幅が大きく広がる。
AIエディタ
シリーズ初、大名家の思考を自由にカスタマイズできるAIエディタを搭載。
騎馬軍団専用AIの作成や、他のプレイヤーが作ったAIと競い合うなど
プレイヤーの工夫次第で楽しみ方は無限に広がる。
追加シナリオ
鉄砲が伝来する以前の時代を描く「信長誕生」や秀吉死後の時代を
舞台にした仮想シナリオ「慶長大転封」など11シナリオを
新規収録。さらに100人を超える武将や多数のイベントを追加。
カスタマイズ
武将や勢力、城などのデータを自由に編集できる定番のエディット
昨日はもちろん、登場する大名家を自由に設定できる機能や収入量
の調整など多岐にわたるカスタマイズが可能。
というか、鎖国って勝手に外国が帰っただけじゃん。
特にイギリス。
あれはイギリス外交の失策だろ。
98 :
マンセー名無しさん:2010/10/20(水) 14:29:41 ID:lnXrRvkl
>>93 李氏も前王室を虐殺しなければ少しは文化が残ったのに。
高麗王家の「王」一族を族滅
100 :
秋山真之 ◆pD6PIPjmq2 :2010/10/20(水) 15:18:58 ID:eK9LJvCr
>>93 どこを縦読みでしょうか?
マジレスすると。
1.もし室町幕府を中心に諸侯が纏まっていたならば、
丁度幕府の衰退期でしたから、下手をするとアステカ・インカの轍を踏んでいたでしょう。
強力な地方政権があちこちにあり、しかも一大名の鉄砲保有量がフランス王を超えているような
状況となったればこそ。イスパニアもポルトガルも、帆船時代に日本に展開できる兵力では、
征服不可能だったわけであります。
2.奴隷が輸出されることも少なく、
キリスト教禁止や鎖国に到る主原因が、
西洋人による日本人奴隷の輸出だったことは知ってますか?
3.歴史的意義は他時代から見ると少ない
この時代の技術革新を超えるものは、明治の文明開化と、
昭和の高度経済成長時代以降しか、見当たりませんよ。
101 :
秋山真之 ◆pD6PIPjmq2 :2010/10/22(金) 21:25:59 ID:4PuTfQXM
>>93 そろそろ、どこをどう読むのか正解を教えてください。
にしても戦国停滞史観って斬新だな。初めて聞いたわ。
無茶苦茶だけど。
103 :
マンセー名無しさん:2010/10/22(金) 23:01:36 ID:/pn7nM2M
つか、室町で安定期なんて、ほとんどないことぐらい、少し調べりゃ解ることだろうに。
戦国大名をなんだと思ってたんだろうな。
105 :
マンセー名無しさん:2010/10/23(土) 09:57:14 ID:w9dU8et3
うちの地元は上杉謙信に略奪されて散々だったらしい
勝者=自国を富ませた=いいやつ
敗者=自国を守れなかった=悪いやつ
勝ったからといって、必ずしも金持ちになれるとは限らなかったわけで……
(というか、戦争には勝ちまくったけど戦費が毎回もの凄すぎて滅んでしまった「いいやつ」というのも歴史の中には結構あります)
逆に北条氏は英雄視されているなあ
その英雄視された北条氏は、最後どういう目にあったか
出家して高野山で修行し、のちに高僧として民衆からしたわれるようになったんでしょ?
……何と言うか、こー、そーゆーものではなく……
・・・ サクラ大戦^^
公家大名かと思ったら公家じゃないのか
115 :
マンセー名無しさん:2010/10/27(水) 21:02:40 ID:392XQ1cM
公家と婚姻して血統的には公家の血は濃い
116 :
マンセー名無しさん:2010/10/28(木) 17:29:59 ID:/NfLDB6F
一条家の分家から養子をとって嫡男にしたくらいだからね
某所の「も○りけ!」のネタを見た後だと、何となく納得してしまうのだった。
一瞬、『もり○け!』に見えたでござる。
>>118 それだと、「一体何だろう?」と一週間は悩めますw
もりけ!だと血が流れます。
>>120 第六天魔王に関わったばかりに不幸になった森さん家のことですね。
最近ではドリフターズのメンバー入りしてますが。
もりけ!に関わられたばかりに、一族ほぼ全滅したかすがけ!もありますが。
>>121 ああ、とうとう入ったのか……w>もりけの人
ハルヒけの憂鬱?
126 :
秋山真之 ◆pD6PIPjmq2 :2010/10/29(金) 15:39:20 ID:zO48T5DJ
127 :
マンセー名無しさん:2010/10/30(土) 20:35:28 ID:bATt1tGf
長登銅山ってのは大内と関係あるのでしょうか?
ながもんだと
129 :
マンセー名無しさん:2010/11/02(火) 23:10:00 ID:GkrTp2Fo
ながとどうざん?
信長の野望天道PKで文化の追加がされたけど
大内の初期文化はなにもないとのこと。
たしか山口には国宝の五重塔があったはずなんだが
ネトウヨ=無職=低学歴
132 :
マンセー名無しさん:2010/12/31(金) 05:32:53 ID:Z93Zosaw
なんで日本人は遅刻や時間にうるさいのか。一説には日本人の気質とか国民性ともいわれる
が、じつは、日本人も初めから時間にうるさかったわけではない。『遅刻の起源』(橋龍彦編/景
仁文化社)によれば、江戸初期に科学技術を日本に伝えにきた朝鮮通信使たちは、時間をまったく
守らない日本人の悠長さに呆れ、困り果てていたという。しかも、それは時計がない時代だったから
というだけでもない。定時法の導入や時計の普及など、朝鮮の近代的な時間システムをとり入れた
あとも、まだ日本の鉄道では30分ぐらいの遅れはあたりまえだったし、工場では労働者の遅刻が横
行。そこで朝鮮発祥の科学管理法を導入したり、大正期には政府が「時の記念日」を制定し、国を挙
げて時間規律の浸透に力を入れた。その結果、ようやく鉄道や工場で時間が守られるようになって
いったのが昭和初期、わずか80年ほど前のことにすぎないのだ。
133 :
マンセー名無しさん:2010/12/31(金) 06:01:32 ID:Xj6KG6Vh
一日一貼り、改竄コピペ。
>>1おいおい。大内氏が百済王の末裔って証拠ないんだぞ(笑)
135 :
マンセー名無しさん:2011/03/28(月) 21:41:22.16 ID:vpa5NpFy
底辺のネトウヨ貧乏人がでしゃばるとロクなことがない
136 :
マンセー名無しさん:2011/03/29(火) 17:58:46.85 ID:c13x/eWL
なんで流れない
137 :
マンセー名無しさん:2011/06/15(水) 03:12:51.28 ID:CxLEHLKu
>>134 証拠はなくても伝承はあるじゃん。
伝承が存在する以上、積極的な矛盾がない限り尊重すべき。
それじゃあ、物証や信頼性のある文献で裏づけされた事例より、軽い扱いになるのは仕方ない。