朝鮮人の皆殺しを想像すると、気分爽快になる

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205マンセー名無しさん
三・一蜂起
 
1919年3月1日、ソウルでは数十万の群集が大規模な反日デモを決行し、
「日本人と日本軍隊は出て行け」、「朝鮮独立万歳」 を絶叫しながら怒涛のように進出しました。
運動は満州と沿海州・日本・ハワイなど朝鮮人の居住する海外各地にも波及していきました。
 
日本は警察・憲兵・軍隊を総動員してデモ群集に銃弾を浴びせ、多くの愛国者を虐殺しました。
大衆的なデモ運動は、「日帝」 の憲兵分遣所・警察機関・地方行政機関などへの襲撃破壊行動へと高まり、
一部地方では武装闘争も展開しました。
この闘争は1年間続き、200万人以上の民衆が参加しました。
 
4月中旬からは日本は軍隊を増派して、非武装の民衆に暴圧を加えました。
4月に起こった「水原虐殺事件」はその典型であります。
すなわち、日本人官憲は、ソウル郊外の水原付近のある教会に、村の住民を監禁して放火し、
必死に逃げ出す村民を、無残にも射殺しました。
 
日本官憲はその後も3日にわたり放火と虐殺を続け、数千名を殺戮し、数百の民家を焼き払いました。
こうした事件は全土で繰り返されました。
三・一蜂起で犠牲になった民衆は、3〜5月の3カ月で、死者7,509名、
負傷者1万5,961名、被検挙者4万6,948名に達しました。
 
http://www.unesco.jp/tamariba/kaihou260401right.html