326 :
マンセー名無しさん:2011/05/15(日) 15:54:37.64 ID:y/qYd/Yg
エドウィン・アーノルド
地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国
「その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神の
ようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正
しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾るこ
ともない。これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべて
のことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」
明治22年(1889)
エドウィン・アーノルド(1832-1904)イギリス
ロンドンの詩人・ジャーナリスト。インドのデカン大学の学長を務め、
帰英後デーリーテレグラフ紙の編集者。仏陀を主題とする詩「アジア
の光(原題:The Light of Asia)」(1879)の作者。
327 :
マンセー名無しさん:2011/05/21(土) 08:58:17.76 ID:LQGoBmGn
小中華を誇り文武に劣り数千年他民族の属国に甘んじた韓国人(朝鮮人)
韓国人の恐るべき退化現象は、中国思想の導入とともにはじまった。
この国は、目の前に置かれた誘惑に抵抗し切れなかった。それはちょうど、
およそ節制ということを教えてもらったことがない子どもの前で
キャンディーを山積みに出してやるようなものだ。中国文化にとびつき
貪り食い、結局、食いすぎのために死んだのである。
「朝鮮亡滅」 ホーマー・ハルバート
328 :
マンセー名無しさん:2011/05/21(土) 17:13:51.16 ID:ibq3ET+Z
日本に併合してもらうまで、世界一怠け者で劣等で脆弱で、
伝統、文化、技術がまったく育たなかった向上心の欠けた韓国(朝鮮)民族
「人の目に労働と映るなら、出来る限りそれから遠ざかろうとする。自分
の手で衣服を着てはいけないし、煙草の火も自分で点けてはならない。そば
に手伝ってくれる場合は別として、馬の鞍に自分でのぼるべきでない」
アーソン・グレブスト「悲劇の朝鮮」
329 :
マンセー名無しさん:2011/05/22(日) 09:52:16.31 ID:1HR+0t5F
世界一の「善政併合統治」を「世界に例のない残酷な植民地支配」と
大嘘を世界に吹聴いてあるいて日本への大恩を大仇で返す韓国人(朝鮮人)!
「30年代に入ると、近代医療制度の確立と普及によって、中国大陸から来襲して
くる疫病を完全に食い止められるようになっていた。飢饉による餓死と、疫病に
よる大量の死亡者を出していた中国大陸とは、天国と地獄ほどの隔世の感を抱く
ほどであった。ことにインド、中国から朝鮮にわたって猛威を振っていたハンセン
病には徹底して対処し、6000人以上収容できる小鹿島更正園は世界的に有名になった。
「日帝36年」はほかならぬ近代医学による衛生、環境の改善と疫病の撲滅によって
朝鮮半島の生命保全、韓民族の繁栄に大きく貢献したのである」
「韓国は日本人がつくった」 黄文雄(台湾人)
330 :
マンセー名無しさん:2011/05/22(日) 16:14:13.97 ID:PbYbyxSB
無学、文盲だった原始人を世界的教育国家にした大日本帝国の偉業!
教育だけをとっても、日本は植民地時代の他の宗主国と、まったく違っていました。
今日の韓国の近代国家としての基礎が、日本統治時代に築かれたことは、否定できません。
これが、もし、ロシアの一共和国となっていたとしたら、いったい、どうなっていたでしょうか。
かつての旧ソ連の辺境にあった共和国と変わらなかったことでしょう。
今の韓国の若者たちは、わが国の歴史も、ハングルも書堂で教えていた、
と思っています。李朝時代の韓国は、中国をひたすら崇めて、
自ら「小中華}と称していることを誇りとしていました。ハングルは、
婦人や子供が使う字として、蔑まれていました。今日でこそ、「ハングル」は
発音のまま読み書きができる、世界でもっとも合理的で、
科学的な文字だといって、誇っていますが、ハングルは日韓併合以前は、
公文書にも、祝祭祀文にも、まったく使われなかったんですよ。
今日、韓国人が、全員、「ハングル」を読み書きできるようになったのは、
日本統治時代に小学校で日本が韓国(朝鮮)の子供に「ハングル」を
教えたことから、始まっています。
これは、客観的な事実であって、否定することはできませんよ。
日韓併合以前には、「ハングル」があったにもかかわらず、
「常人」(サンノム)の九割以上が、読み書きできませんでした。
「醜い韓国人 <歴史検証編>」 朴泰赫 加瀬英明 1995年 光文社
331 :
歴史を認識すべきは韓国人(朝鮮人):2011/05/22(日) 18:10:44.63 ID:AhLqltvR
我先にと、日中戦争の志願に応募した韓国人(朝鮮人)
日本政府が昭和13年(1938)4月、陸軍特別志願兵制を設置するや、
それまで独立運動を指導してきた崔麟らは、『これによって半島の
民衆も全的に日本国民になるのだから、一層覚悟を新たにしなければ
ならない』と声明を発表し、かつて大正8年(1919)には2・8独立宣言を
執筆した韓国(朝鮮)を代表する大作家・李光洙が歌謡『志願兵壮行歌』を
作詞するなど、3・1運動の指導者や民族文学の第一人者たちが率先して
戦争への協力を呼びかけたのです。これに応えて、韓国(朝鮮)人青年は続々と
志願しました。年を追うごとに応募者が増え、昭和16年に至っては実に
45倍の志願者が押し寄せたのです。その倍率に驚かされます。
韓国(朝鮮)は伝統ある儒教国家であり、応募するには父母、親族の許しが
必要でした。青年の一時の血気だけでは志願するのは困難なお国柄です。
この驚くべき倍率の影には、圧倒的な韓国(朝鮮)人の日本への支持があったと
見なければならないと思います。
「日韓2000年の真実」 名越二荒之助 平成9年 国際企画
日本図書館協会選定図書
333 :
マンセー名無しさん:2011/05/23(月) 18:21:53.99 ID:PxOt0W4+
黒人にも毛嫌いされている劣等、邪悪民族韓国人(朝鮮人)
「記者は生まれてこのかた、韓国人(朝鮮人)ほど冷酷で愚劣で無分別で、
しかも侮辱的で傲慢な人間に会ったことはない」
アメリカ 黒人新聞「マネー・トークス・ニューズ」
334 :
マンセー名無しさん:2011/05/24(火) 19:46:31.25 ID:TP8CB6hS
国王の復活など考えもしなかった韓国人(朝鮮人)!
韓国人は「国王」を奪ったと日本を非難攻撃する。2002年ワールドカップの
中心人物である韓国サッカー協会会長などは、もし、現在の韓国に国王が残って
いたら、日本に天皇があるように、韓国政治の安定になんらかの好影響があるだ
ろう、大統領だけなのは悔しいかぎりだ、などと、歯ぎしりしている。韓国では
最近、国王を懐かしがる声がいろいろ挙がっているようだ。
韓国の国王に対する旧懐の情は、冷めるのが非常に早い。だいたい、それほど国王
を愛していたにもかかわらず、「日帝三十六年」の間の韓国民衆、社会、思想運動
は、もはや、李朝復辟を考えることはなかったではないか。それどころか、
「三・一独立運動」後の朝鮮国王はすでに韓国人自らの手によって棄てられていた
のだ。/
抗日運動各派は社会主義や民主、民族運動と抗争に夢中になり、上海の臨時政府も
大統領制となった。つまり、国王は反動的、革命の対象となったのだ。こうして
戦後に分断国家となった韓国では、国王の存在さえ忘れられてしまった。
それを世界的ブームだからといって国王復活を口にする。どうせ、すぐ飽きだろうが
そのたびにいちいち日本を巻き込むことはない。
もともと、韓国人は、先祖を敬うことを重視している割には、前代のことを忘れ去る。
あるいは、消し去る傾向が強い。
李朝では前代が後代によって否定されることが常であり、それを実現するために、
政治的粛正と虐殺を繰り返す。この歴史が韓国人の民族性を形成してきたのである。
このような前代否定の政治は、現在でも続いている。
「韓国は日本人がつくった」黄文雄 徳間書店
※ 韓国人 朝鮮半島南半分に生息する朝鮮人
戦前から現代まで日本の資本と技術で原始乞食無学半島が日本に
近代化、教育化、法治化され、いまや韓国社会の隅々まで日本の
文化、風習、慣習が浸透してしまっている。
335 :
マンセー名無しさん:2011/05/26(木) 19:09:40.25 ID:27gTvWY4
日本は内鮮一体、つまり韓国(朝鮮)人も日本人と同じ扱いにする政策をとり、
国内並みに鉄道、港湾などのインフラを整備し、政府、軍にも人材を登
用した。朝日新聞が強制連行だと騒ぐ徴用が行われたのは昭和19年。同
じ時期に徴用の何倍もの韓国(朝鮮)人が日本に流れ込んでいる。内も鮮も同
じ、引越しの自由のおかげと言える。
しかし彼らは日本以外の例えば中国に行けばハングオレンのまま。それ
で日本名を勝手に名乗る者が出て来た。そうすればもう中国人から見下
されないからだ。
これがブームになる。日本政府は勝手な改名を禁じて日本名にしたいな
ら役所に届け出ることを義務付けた。昭和15年に半年を限りに行われた
「創氏改名」である。
韓国(朝鮮)人は新羅の昔に金さんとか朴さんとかの中国名に改めていた。だか
ら二度目の創氏改名になるが、その理由を著名な作家、香山光郎こと李
光洙は「我々の姓名は支那を崇拝した祖先の遺物。支那人と混同される
姓名を持つよりも日本人と混同される氏名をもつのがもっとも自然だと
信ずる」(『創氏とわたし』より)と書いている。
ちなみにもう一つの日本統治領、台湾での創氏改名は韓国(朝鮮)の届出制とは
違って許可制が取られ「滅多に許可されなかった」と『台湾人と日本精
神』にある。
許可制にしたのは、中国人は今でこそ「原住民」扱いだけど、日本人も
尊敬する栄光の文化がある。明日のためにも中国古来の名を守るべきだ
という配慮からだった。
しかし、その日本は米国に負けて最下位ランクの国にされた。
途端に韓国(朝鮮)は手のひら返し。今は強くなった中国風の名に戻って、
創氏改名は日 本に強制されたの何の。分かりやすい国ではある。
週刊新潮2003年3月27日号 『変見自在』 高山正之
336 :
マンセー名無しさん:2011/05/27(金) 08:51:43.28 ID:+uwCUw3u
連綿と続く韓国(朝鮮)人の事大主義と邪悪で劣等な遺伝子
昔から日本人には語学が無い。地理・世情に不案内で朝鮮語がわからないから、
どうしても韓国(朝鮮)人の警官や憲兵補助員に頼ることになる。ところがこれらの連中
には不良が多く、住民を脅して私腹を肥やすやら、女に手を出すやらの悪辣ぶり
で、日本側はその取締りに忙しかったという。官憲の権威を嵩にすれば不可能な
ことはないのだ。韓国(朝鮮)の事大主義はこの民族の特性である。日中戦争中でも中国語が堪
能な日本軍人はいないから、中隊単位で韓国人(朝鮮人)の通訳を雇うことになるのだが、
この通訳は中国人を生かすも殺すも自由自在に裁量できるから蓄財に励む悪者が
多く、日本軍が中国民衆に怨まれる大きな原因となった。通訳の中には、日本人
の名前の標札を持ち歩いて中国人の門に打ちつけて豪邸を占拠する者がいたし、
スパイだといって逮捕し、釈放するといって身代金を取ったりして聯隊高額所得
者は韓国人(朝鮮人)通訳だった例は多い。中には雇いもしないのに軍隊の後方をのこのこ
ついて歩く偽通訳もいた。便利だからと使用してみると、いつのまにか日本軍の
制服を貰って住みついてしまうのだった。
古野直也著 朝鮮軍司令部 1904/1945 国書刊行会
静かじゃのう。
中の人は元気なのだろうか…
震災以降見かけないので、ちょっと心配。
寂しいのう
340 :
マンセー名無しさん:2011/07/07(木) 00:15:40.62 ID:BaTe1LJU
復活を信じてage
無事だといいなあ。
こんなところで遊んでる場合じゃないんだろうけど....
中の人って、ここの他にも書いてるとこあるんじゃなかったっけ?
誰か知らない?そこも更新されてないのかな?
どうしておられるかのう。
元気ですかー?
最高ですかー?
限界への朝鮮
347 :
マンセー名無しさん:2011/08/12(金) 03:09:25.46 ID:ImOUI7L9
うーむ、復活はまだか
野田農相 「何が大事か? まず民主党が一つになること!」
てめぇら、そんな党のくせに政権交代を国民に強要したんじゃねぇのか?
日本人の特徴は、良く言えばその団結力で、まとまれば凄い能力を発揮する。
悪く言えば自己主張が弱く、頼りない。
朝鮮人はその逆で、自分が一番にならねば気が済まず、まとまるものもまとまらない。
じゃあ民主党は…かなり日本人離れしてますね。
ムッハー 9月だ
そろそろ再開して欲しいのう
併合前の話しているヤツいねぇ
降臨マダー?
呼んだ?
李朝時代の朝鮮では、三月から六月までは食糧が不足する春窮期であった。
当時の人口は、農民が約八割を占める。
飢餓の春窮期を迎えると、朝鮮総人口の約六割が山野で草根樹皮を採集して
生命をつなぐという状態だった。
朝鮮の農書、農史を読むと、朝鮮農民は中国農民と酷似しているのがわかる。
旱害、水害、風害、雹害、病虫害が、間断なく年中行事のように各地を襲い、
農民は乞食、農奴同然である。
中略
戦前、日本農民を除いた中国、インド、東南アジアなどのアジア農民は、
きわめて貧しく飢餓状態にあり、
干ばつのたびに餓死者が大量に出るのが常であった。
なかでも、朝鮮半島の農民は、李朝時代の両班からの搾取、地理、天候などの
条件からもっとも貧しかった。
ただ両班の人為的なものを除いても、もともと自然条件と社会条件はかなり悪かったのである。
可耕地の広さに比べ農業人口があまりにも多く、
地質、土壌、治山治水の荒廃、気候寒冷などの自然状況も悪い。
さらに山林荒廃による燃料不足、堆肥不足、旧来農法の墨守などの面からも
農業立国となるのは難しかった。
「韓国は日本人がつくった」黄文雄 徳間書店
渡部
日清・日露戦争当時の朝鮮というのは、底知れぬ貧乏国でした。
単に近代産業がないというレベルではありません。
農業生産にしても、とうてい日本とは比べ物にならないものだった。
「春窮(しゅんきゅう)」という言葉があるくらいで、
秋に収穫した米も春を迎えるころになると尽きてしまうというのが珍しくなかった。
収奪なんてできるわけがない。
また当然、商業なども発達していませんでした。日清戦争の後に
、陸軍軍人であった柴五郎が朝鮮を旅行したときに驚いたのは、
朝鮮には銀貨も紙幣もなくて、銅銭だけがあったということでした。
つまり、当時の朝鮮には高額の貨幣が必要なかったのです。
そして、その銅銭もシナから輪入した銭だった。
谷沢
日本で言うと、平安時代末期から鎌倉時代の状況です。つまり、コリアの経済は日本よりも800年遅れているわけです。
(中略)李氏朝鮮においては商業は卑しいものだと思われていた。
「こんな「歴史」に誰がした」渡部昇一・谷沢永一 平成9年 クレスト社
なぜなら、これは司馬遼太郎さんも書いておられることですが、
当時の朝鮮の文明のレベルは日本で言えば奈良時代のレベルでした。
産業なんてもちろんありませんし、道路とかもほとんど整備されていませんでした。
当時、福田徳三という東京商科大学の経済学者がおりましたが、
その福田さんが、日本の経済水準に比べて一千年遅れていると書いておられますから、
日本の奈良時代のレベルというのはあながちおおげさでもないのでしょう。
朝鮮はそれぐらいのレベルの国だったんです。
http://www.seisaku-center.net/archives/kyoukasyo/sakai-koenroku/sakai-koenroku-2/itou-sakai2.htm
当時の朝鮮は財政が破綻し破産状態、その上
森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権など
あらゆる利権を諸外国に売り渡していて
自力での近代化の道は完全に閉ざされていました。
====================================
朝鮮時代、全権公使としてアメリカを訪問した李成玉がアメリカ国内の各民族に
接してみると、朝鮮人は、アメリカ人に軽蔑されているインディアンよりも劣っ
ていたことに衝撃を受け次のように述べている。
「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つこ
とは出来ない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。。そして併合
相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本はち
がう。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らない
が、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き
世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民
族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を
基に考察したのだ。
李成玉 「李完用の心事と日韓和合」より
◆1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権
◆1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権
◆1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権
◆1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権
◆1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権
◆1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
韓国皇帝の勅諭
皇帝、若(ここ)に曰く、
朕否徳にして艱大なる業を承け、
臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、
未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。
中夜憂慮善後の策茫然たり。
此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。
寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。
故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、
茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、
外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。
惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、
煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。
朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。
爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。
隆煕四年八月二十九日
御璽
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/heigou/heigoujo.html
>茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、
>外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。
>煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。
地球史探訪:忘れられた国土開発
_/_/
_/_/ ■ 目 次 ■
_/_/ 1.李朝朝鮮の飢餓地獄
_/_/ 2.20年間で倍増の人口爆発
_/_/ 3.植林、河川・砂防工事、ダム建設、、、
_/_/ 4.きめこまかな農民保護政策
_/_/ 5.開発をささえた資金源は
_/_/ 6.食料危機対応のモデルケース
この人口増加の原因としては、いくつかの要因がある。一つは第
6代宇垣一成総督による「農村漁村振興運動」などの民生向上活動
である。30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、
農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食料の増産が図
られた。併合当初米の生産量が約1千万石であったのが、20年後
の昭和に入ると、2千万石へと倍増した。[1,p80]
もう一つは医療制度の確立、特に伝染病の予防である。1910年か
ら徹底的な検疫を実施し、コレラ、天然痘、ペストなどは、1918年
から20年の大流行を最後に押さえ込まれ、乳児死亡率が激減した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html
現在の韓国人の姓名は、すでに祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが
「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。台湾で日本時代に
行われた「許可制」による改名運動に比べたら、むしろ韓国人にとっては
「特権」であって、非常にゆるやかなやり方だ。ましてや「日帝」は万民
平等等の原則に基づいた新戸籍制度を創設して、戸籍さえ許されなかった
人口の半数近くを占める奴婢に姓氏を与えた。さらに、「皇民化」=近代
国民運動によって日本語やハングル文字を普及させただけでなく、李朝時
代以来、両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・
ハングル混じりの文章を体系化させ、伝統文化の研究と再興を推進したと
いうのが、紛れもない史実だ。
「生命を奪われた」というのも、実に史実に反している。近代化の産業
発達によって優生学的な社会改革が行われたことで、有史以来の飢餓と疫病
を克服することができ、植物依存の生態系までも変えることができた。その
ため、米の生産量が一千万石から二千万石以上に倍増し、韓国の人口も倍増
した。このことを、生命を奪ったとは言わないだろう。日本は優生学的に
も人口学的にも、韓人の生命の質を飛躍的に向上させたのだ。
客観的に見れば、「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には「七恩」と
言うべきだろう。/韓人に少なくとも自国史について「正しい歴史認識」を
日本は求めなければならない。
「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国 黄文雄
364 :
マンセー名無しさん:2011/10/02(日) 10:23:32.94 ID:TxqMbLcL
急げヤマトよ、地球は君の帰りを待っている。
367 :
マンセー名無しさん:2011/10/26(水) 11:32:56.19 ID:U4u7c13N
>事実を書くなと
>修正を要求
ハゲワロタw
368 :
マンセー名無しさん:2011/10/26(水) 12:00:22.80 ID:+aj/nGkY
もし日露戦争で日本が負けていたら…半島人はロシアの血で美男美女になって
小中華思想から脱却して、両班を粛正して、日本に密入国することもなく
小学生が卒業アルバムの為に整形することも無かった、かな。
チョンコとのあいのこはほとんど2319
HEY,GO!
「ニーサン、イク」ってなんだよw
浪速人ハッケン
ぶ さ い く
ぶさんいく じゃん。
日本人と日本人の間の子でもブッサイクなのは多いけどな。
保守