1 :
マンセー名無しさん:
えーと、天皇一族はB.C.711年から2670年間継続的に君臨しつづけていて、万世一系として日本人の誇りなんだっけ??
あ。でも邪馬台国があった時代(A.D.200年前後)って天皇出てこなくね?
「君臨」してたのになんで勝手に独立国作られてるんだよwwww
国王の卑弥呼とか何者だよwwww
まぁ真理を言えば、
天皇家は百済帝国から東の島嶼部の統治を任されて派遣された地方官だったわけだが、
力が足りず土人の部族に邪馬台国とかいうのを作られちゃったおかげで、
その時代は一時的に故郷の朝鮮に亡命してたって解釈でいいのかな?
んで、一族揃って敗走したはいいが、
植民地統治の任を果たせず敗走した責任を問われて、百済で一族郎党、斬首に処せられたんだよね。
で、その後新しい天皇が任命されて日本に送り込まれてなんとか平定して、邪馬台国は滅び、そこから大和時代の歴史に繋がるわけだ。
懲りもせずにまた立てるのかw
2ゲット
ここまで捏造書けるってのも凄まじいな。
卑弥呼=アマテラス
アマテラスの5代後の子孫=神武天皇
これでOK
>>3 韓国のラノベ大賞にでも応募するんじゃね〜・?
あの程度の国なら佳作程度なら行くんじゃね?
6 :
マンセー名無しさん:2010/05/25(火) 22:23:12 ID:1NIRTz83
天皇が朝鮮から来たなら日韓併合は何の問題もない
その問題でギャースカわめき散らす朝鮮人はただのアホ
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sageが取れてた
見覚えのあるスレだな(w
_, ._
( ・ω・) 指導教官、手を抜くんじゃねぇよ・・・。
○={=}〇,
|:::::::::\, ', ´
...........し .....(((.@)wwwwwwwwwwwwwwwww
お、炉師降臨
11 :
マンセー名無しさん:2010/05/25(火) 22:31:21 ID:yKXSAOzV
>>4 なんで時系列が前後してるんだよwwwww
神武天皇は紀元前711年の人間
卑弥呼は西暦170〜ぐらいの時代に位置する人間
|∀・;) おまいら、ウリをなんだと・・・。
>>11 神武天皇が比定の時代なので、そうとも限らん。
そーいや、こないだ週刊少年漫画板に点脳狂のスレがあったな
マジ?
あいついつまで逃げるんだよw
>>15 ま,加上説なんてあるしね。
100%作られているのか,歴史上の複数の人物が投影されているのか,わからんけど。
>>1 >邪馬台国は滅び、そこから大和時代の歴史に繋がるわけだ。
“ヤマト国”は滅び、そこから“ヤマト時代”の歴史に繋がる?
どうでもいいけど
この前神武天皇陵を訪ねてきました。
何か落ち着ける場所でした。
立て札見て宮内庁管轄だったと初めて知りました。
大昔の天皇陵だから当たり前といえば当たり前か。
22 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 06:56:57 ID:qZjLwHQ3
卑弥呼の頃は日本が100個に分かれてただろ。
北九州地方の王が卑弥呼で、天皇は奈良じゃないか?
23 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 07:23:10 ID:T+vtCoSv
卑弥呼の時代って今上天皇の時代じゃん
>>17 バレスレ見ようと思って週刊少年漫画板に行ったら、たった一つだけ「天皇ハ縛リ首ニスベキダッタ」ってスレがあってさw
当然皆に叩かれまくってたんだけど、色んな意味で目立つ目立つw
>そういえば卑弥呼の時代って天皇は何してたの
以前にも全く同じスレが立っていて、その時も説明しましたが、
>>23さんの
言う通りです。
卑弥呼の時代は昭和末期にVHSビデオが普及したのと時を同じくし、AVが市民
権を得た後。時代は平成へと変わり、小林ひとみとかのAV初期の女優が飽きら
れていた時にデビューしました。その美貌とスタイルの良さは、平成初期を代
表するに相応しい女優の一人だったと思います。
26 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 09:52:48 ID:9tNbuR5r
意味が分らない
成務→仲哀→応神天皇あたりの時代がAD200年前後 (記紀によれば)
景初三年(239年 親魏倭王の金印もらう (魏書東夷伝倭人条
正始八年(247年 卑弥呼死亡記事 (魏書東夷伝倭人条
同じく、魏書東夷伝(馬韓条 景初年間の下り (熱湯省訳w
景初年間(237年−239年)、魏の明帝は 帯方郡太守を派遣して印綬を与えたが
呉林なるものが約束を違えたため 韓は滅びた。
景初中、明帝密遣帶方太守劉マ、樂浪太守鮮于嗣越海定二郡、諸韓國臣智加賜邑君印綬、其次與邑長。
其俗好衣?、下戸詣郡朝謁、皆假衣?、自服印綬衣?千有餘人。部從事呉林以樂浪本統韓國、
分割辰韓八國以與樂浪、吏譯轉有異同、臣智激韓忿、攻帶方郡崎離營。
時太守弓遵、樂浪太守劉茂興兵伐之、遵戰死、二郡遂滅韓。
馬韓の習慣に法律は少なく 、バラックに雑居して よく制御不能におちいる 礼儀はしらない。
牛馬は死ぬまでつかう。 珍しい宝物はない。
其俗少綱紀、国邑雖有主帥、邑落雜居、不能善相制御。無跪拜之禮。
居處作草屋土室、形如家、其戸在上、舉家共在中、無長幼男女之別。
其葬有槨無棺、不知乘牛馬、牛馬盡於送死。
以瓔珠為財寶、或以綴衣為飾、或以縣頸垂耳、不以金銀錦繍為珍。
|-`).。oO( 百済帝国とやらは、この時点では存在しないっと
「邑落雜居→バラックに雑居して」と訳して見ましたが
音(現在使っている言葉で)が似ているのにビックリww
29 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 10:00:40 ID:IxRcRWdy
卑弥呼より村上麗奈の方が美人だったと思った。
30 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 10:06:11 ID:9tNbuR5r
神武天皇の存在がファンタジーなのか
邪馬台国・卑弥呼の存在がファンタジーなのか
どっちかが嘘じゃないと論理が破綻するよな。
わからんのは日本の記紀があるのになぜに中国の書いたものを信用するのかつうことだ
つまり中国で書かれた書物は又聞きだろう? 記紀よりも又聞きの方を信用するのかってことだ
記紀には卑弥呼はいない、よって卑弥呼はいなかったってことだ、ただ
神宮功后ってのがいて、朝鮮征伐してるから、これを卑弥呼だとしたのかもしれないってことだわな
つまりチョンには酷だが、卑弥呼はチョンの女王でもあったってことだな
>>29 卑弥呼は短命でしたが、村上麗奈は長く活躍しましたね。でも最後は
アラブの王族が来日した時、生贄として奉げられたとか。発掘された
当時の土偶の画像を見ると、今では見向きもされないワンレン・ボディ
コンの奇抜な衣装を身にまとっていたのが解ります。
まっ、私見ですが個人的には松本まりなの方が・・・・
>>31 古事記成立 和銅5年(712年)
魏志(陳寿本)成立 3世紀末(280年-290年ぐらい)
中国史書が 地理的に「又聞き」ならば、
記紀もまた 年代的に「又聞き」になってしまいます。
どちらかが本当で、どちらかが嘘って言うことは
現時点では言うことは出来ません。(信用って意味ね)
「多角的に見ることが出来る」って言う点では良いとおもいますよ。
「古い史料にはこう書いてあった」
|-`).。oO( それ以上でも それ以下でもないのですw
>>22 国名はかなり謎と変遷に満ちてるから。
邪馬台国九州説は江戸時代の国名だけで判断しようと無理に無理を重ねてる、
北九州と明言するに足る根拠でもあるのかい?
ちなみに奴国金印は卑弥呼の時代とかなり時期がずれてるからね、AD直後の
後漢記にあるんだっけ?
>>34 横レススマソ
後漢書東夷列伝75条
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
建武中元二年(AD57年)とされていますね。 (仮定:漢倭奴国王印がホンモノで、その時の物として)
私は、個人的には「九州説」の立場ですけれど・・・
楽浪郡からの道行きで
一大国(一支国)(壱岐?)→末廬国(松浦?)→伊都国(糸島?)→奴国(なのつ:福岡?)
→不弥国→投馬国(対馬?)→邪馬台国(??)
ってのが、両説で合意されている線かと思っていましたけど…
|-`).。oO( 今は違うんですか?
で、
>九州説は江戸時代の国名だけで判断しようと無理に無理を重ねてる、
とのことですが、上で挙げた(国名)は「延喜式神名帳」とか肥前国風土記などにもでてきていますから…ねぇw
36 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 13:23:08 ID:9tNbuR5r
みんな詳しいなぁ・・・
歴史野先生でもそこまで具体的に説明できるか分からんぞ
逆に聞きたいが、本業教職、国史や考古学は素人な人がなんで「具体的に説明できる」と思ったんだ?
「歴史の先生」てのはそういう存在だぞ、「授業の分野として歴史を担当する」だけ。
授業内容の専門が歴史である可能性すら低いんだが、今の日本の教育システム上。
>>30 =
>>36さん
>神武天皇の存在がファンタジーなのか
>邪馬台国・卑弥呼の存在がファンタジーなのか
>どっちかが嘘じゃないと論理が破綻するよな。
「ファンタジー」を「神話」と訳すと論理が破綻しづらくなるですよ(w
どちらも「ファンタジー」で、「嘘のようなホントの噺」か「ホントの様な嘘の噺」なのだと。
殊、古代史の場合 文献の解釈を確定するには遺物(発掘史料)との整合性が必要なわけで…
|∀・).。oO( テストを卒業したなら、面白い世界だと思うのです(w
39 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 14:02:27 ID:fMYTiE76
神武=いなかったくせにいたふりをしている日本最初の詐欺師
いなかった人間が詐欺師になれる不思議(w
|-`).。oO( そうなると、アダムとイブの立場は?
>>40 パラサイト・イブ・・・ゲフンゲフン、ミトコンドリア・イブのほうはある程度は立証できるんじゃないっけ?、
少なくとも十人程度の「人類の母」までは遡れている、と。
アダム?、ああイブに肋骨を提供した使徒のことですね。
ニニギ本人はともかく、大国主と建御雷は居たとしか考えられんなあ、出雲大社的に。
42 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 14:14:21 ID:KCjz36wk
BC2600年なんて日本じゃ石器時代で生肉食ってたんだから
神武はいなかったで間違いはないわな。
神武なんて宮崎の田舎からのおのぼりさんの先祖だろう?
それより天孫降臨だぞ、なんで孫なんだよ、子供を降臨させろよな
史料の検証も理解できない土人が歴史を語ろうとする姿は哀れだなw
人間が生肉を食えるという新説が出たと聞いて
47 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 18:58:08 ID:KCjz36wk
>>45 日本は朝鮮から文明が来るまで石器使って生肉食ってた
…最初の縄文土器っていつのだっけ?
紀元前2600年て、縄文時代真っ只中なんだが
土器があるなら火使ってるだろJK
それも大分弥生時代に近いぞw
日本の土器は16000年前からあるのだが。
文字がない時代が長かったから、記録の資料に残ってないだけで、古代でも日本はそれなりに進んでるよ。
んで、ID:KCjz36wkの
>BC2600年なんて日本じゃ石器時代で生肉食ってたんだから
のソースはどこから引用したんだ?
邪馬台国を大きく取り上げてるから
それ以外の国々の存在感が薄くなってるだけであって
邪馬台国も大和政権もどちらも日本列島にあった別の国なんでは?
それと神武天皇なる人物が紀元前600年ごろの人物だとすれば
天皇家の系図は何世代も省略があると考えられるし、
反対に特に系図を省略していないとすれば、紀元前600年も昔の人物にはならない。
たぶん初期の頃の天皇の年齢や在位年は出鱈目であり、
とにかく昔名前を後から神武天皇と名づけた人物がいたのは確からしく
それと記紀が書かれたころの天皇を無理やり血筋で結びつけたということ
じゃないかな?
54 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 20:04:51 ID:KCjz36wk
>>52 縄文時代の区分は石器時代だと知らなかったのか?
無知のくせに一人で騒いで恥ずかしいやつだな。
>53
ヤマトとヤマタイ(双方現代発音)
似て居るので繋がりはあるっていう説は少なくないですね
小国かいっぱいって点は同意です
|∀・).。oO(まぁ歴史は勝者のものですからw
ここで一発、卑弥呼は倭迹迹日百襲媛命と唱えてみる。
日本書紀の何年前という問題ですが、干支しか書いてないから六〇年単位でのずれが起きてるのかも。
ぢゃあ卑弥呼は天照大神説
って卒論かいちゃったw
|∀・).。oO( 火の民族仮説をインスパイヤしました
>>57 天照大神説…ならばいっそ、邪馬台国伊勢説を!!
>>46 彼が言ってるの、たぶん「豚肉とか牛肉を何の味付けもなしにグチュグチュ食う」って意味ですぜ?
エスキモーに謝罪する準備は出来てるか?
石器時代と言っても
最近では
大まかに言って「旧石器時代」と「新石器時代」に分かれてるんだがな・・・。
>>48 1万6千年前頃だと思う。最終氷期極期が終わり,寒冷期と温暖期が急激に入れ替わりながら,温暖化へと
向かっていたとされる時代。
世界最古級の土器ではあるが,年代測定法が確立しているとは言い難いのでどうだか。
C14も較正法によって年代がずれるし,そもそも試料のコンタミの問題もあるし。
63 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 21:19:09 ID:9tNbuR5r
教科書に載ってる歴史区分では、
縄文時代→弥生時代→大和時代 となってるわけだけど、
縄文→弥生の境界はいつごろと考えるのが正しいのだろう?
そして神武天皇の時代はどこに入るのだろうか。
>>63 (ノ_・)古墳時代も忘れないであげてください。
>>60 エスキモーが、どうして差別語とされてるかは理解できてる?
>>63 前述したように,年代測定法の問題により,縄文・弥生の境界の年代は,紀元前10世紀〜紀元前4世紀と違いがある。
AMSによるC14較正年代が古い年代を示すが…
あと神武天皇は,加上説により,もっと新しい時代になるかもね。
68 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 21:43:56 ID:KCjz36wk
百済が紀元前1世紀だから神武がそれより古いとかありえないし
何故そこで百済が基準に?
神武天皇は紀元前7世紀では?
71 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 21:49:52 ID:KCjz36wk
>>69 親より先に生まれる子どもがいるわけないだろ
73 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 21:56:03 ID:KCjz36wk
>>72 百済人の祖先はアフリカからわかっています。
つまりアフリカ百済が存在しました!
ってことかと(棒
そういえば、朝鮮って建国神話はあっても創造神話がないよねw
歴史の創造は好きなのに…w
>>1 馬鹿の一つ覚え、何でも百済だよ・・・。
百済は西暦500年くらいの国。
日本とは格が違うんだよ。
日本語と朝鮮語の語彙が違うってことは、その時代に日本と朝鮮の交流は
ほとんどなかったって事。
朝鮮人が思うほどには、
元々日本人は朝鮮人とは接点がない民族って事。
あぁ、くだらない・・・
ひょっとしたら、例の高天原公園のことか?
あれは慶尚北道に有るとのことだが…慶尚北道って百済の故地だったっけ?
タガーマ州の古都、ハランとか(tbs
つか、ここまで話進んでるのに、神武天皇=徐福説はまだニカ?
徐福が日本の天皇に謁見したなんて話もあるけど。
>>73 天孫降臨の地は宮崎。
高天原の比定地も宮崎か鹿児島。
百済どころか朝鮮半島全く関係ないな。
神武天皇は琉球人だった!のほうが説得力あるんじゃないか?
>>79 新羅。
>>81 九重連山の辺りって言われてるんだっけ?<高天原
スサノオが家出したとき向かったけど、
逃げ帰ってきたのが半島だったか?(w
>>82 ま、一説ではありますが。
大和という説もありますね。
朝鮮半島説は無視しちゃって構わないのでは?
あまりにも位置が違いすぎるし。
関門海峡から豊後水道伝って上陸したってんなら、何でわざわざそんな方向までって話になりますし。
>>82 >スサノオが家出したとき向かったけど、
永井豪先生の『凄ノ王』では、高天原は『アトランティス』だったような・・・w
86 :
マンセー名無しさん:2010/05/26(水) 22:27:53 ID:eAey7ZHU
ところで、韓国には10世紀以前の自国の文献って、あるの?
それを普通の人間が読めるの?
つうか、10世紀以前の文献が出版されてるの?
>>85 那智さんに叩きのめされて逃げ出しました。(他人事
>>88 そんなぁ・・・
今日はまだ 『 ヘブライ人渡来説 』 だって持ち出していないのに・・・(違
ウリだって、徐福説でホルホルし始めるデムパがいたら、と手薬煉引いて待ってたのに……。
南米縄文土器の出番が来ない…
北米先住民のカラス信仰とか……
>>93 聖書の列王記上巻の17章には、預言者エリヤがカラスに養われる記述がありまして・・・
カラスは、頭いいからなぁ。
(確か、鳥の中で唯一自動販売機で物を選んで買えるとか何とか)
当時、卑弥呼・豊丸・黒木香が、女王様の三羽カラスと呼ばれてましたね。
儒教でも カラスは孝鳥
西洋の象徴を編纂したイメージ シンボル辞典に 確か
カササギは、お茶目な泥棒を表す
て書いてあった希ガス
オーディンの肩に止まっているのはカラスじゃなくてワタリガラスでしたっけ?
100 :
マンセー名無しさん:2010/06/18(金) 21:30:17 ID:qQlFZ6Uw
その卑弥呼の墓かもしれない箸墓古墳。
凄いねえ。高校の教科書に7世紀の詩歌が載ってる国だもんなあ。
101 :
秋山真之 ◆pD6PIPjmq2 :2010/06/18(金) 21:38:09 ID:HHqxQeZy
>>100 万葉集なら、小学校の教科書からですよ。
102 :
マンセー名無しさん:2010/06/18(金) 23:37:00 ID:ZUFFDbhS
韓国の千年前から伝わる鍋料理は唐辛子で真っ赤らしい。
103 :
マンセー名無しさん:2010/06/18(金) 23:39:48 ID:oNa5CywY
>>102 チョンの捏造乙
唐辛子は、秀吉の唐入りの時通り道の朝鮮で伝わったんぜよw
104 :
秋山真之 ◆pD6PIPjmq2 :2010/06/18(金) 23:52:04 ID:HHqxQeZy
>>102 それ、ジャガイモが主材料の鍋に対しても言ってましたね。
105 :
一世万系の天コロ:2010/06/18(金) 23:54:08 ID:EaqLo2P7
天コロ
天コロ
天コロ
点コロ
点コロ
点コロ
天ころ
天ころ
天ころ
万世一系?代が入れ替わっている、携帯かメイジか
BC1000年 弥生時代開幕
AD107年 帥升(スサノヲ)、後漢に170人の奴隷を貢ぐ
AD247年 古墳時代開幕。大和国卑弥呼死す。
AD290年頃 ヤマト時代開幕。神武帝位に付く。
108 :
ジョンイル坊や ◆Skh4W/BVqg :2010/06/19(土) 15:20:01 ID:AqrAiJhH
卑弥呼と大和王権が東西に存在していたという説もあるし、卑弥呼がどーたらはどうでもいい。
天皇批判しか出来ない。そんな柔な奴等がコリアンとしてチャングムマンセしてるんだよ
109 :
マンセー名無しさん:2010/06/20(日) 13:34:40 ID:DM9trIMG
原田実によると、邪馬台国で一番チョーセンなのは阿波らしいですよ
アレキサンダー大王が阿波に邪馬台国を築き、ソロモンの財宝と聖櫃もあるようです
>>104 カムジャタンですね。
6世紀からジャガイモと豚肉を煮込んだオーパーツ鍋を食してたとか。
111 :
秋山真之 ◆pD6PIPjmq2 :2010/06/20(日) 13:40:54 ID:WH4T1TcZ
>>110 なにせ韓国人の伝説の時代って、
虎が「タバコ」を吸っていた時代ですからね。
>>111 朝鮮半島には平行宇宙と繋がっている場所があるんだ!
な、なんだってー!(AA略
中国大陸で魏・呉・蜀による三国鼎立の時代を迎えていた頃、倭人は一体何をしていたんですか?
まさか、ウホウホ言いながら槍持って狩りなんてしてないよねw
>>113 イメージ貧困なのか物知らずなのか。
槍って、普通に日本も中国も戦国時代は刀と等しく立派な武器でしたが。
槍で狩りって発想も君らしいというかw
要するに時系列とアイテムとその使用法のイメージが幼児以下だということか。
つか、当時の所謂『槍』って、最新鋭兵器じゃん。
>>113 君が三国志東夷伝を読んでいない事は解った。
117 :
マンセー名無しさん:2010/06/20(日) 20:50:36 ID:6t5XilHd
つうか、卑弥呼の時代、朝鮮半島では誰が何してたの?
宗主さまの史書に記述はあるんかね?
もしあったとしたら、それをネタに一般人が、
掲示板で話題にして話し合うことはあるんかね?
>>117 >卑弥呼の時代、朝鮮半島では誰が何してたの?
>宗主さまの史書に記述はあるんかね?
|-`)っ
>>28 >それをネタに一般人が、掲示板で話題にして話し合うことはあるんかね?
|-`).。oO( あるとおもいますよ〜 一般人ならではの想像力ってのはイイかとw
119 :
マンセー名無しさん:2010/06/21(月) 13:51:32 ID:e+4pzf6k
中国大陸で魏・呉・蜀による三国鼎立の時代を迎えていた頃、
倭国はクシャン朝インドと並び称される大国でした
>>116 この逃げる事しかできない壁打ち野郎がソースを持って来たことって、ただの一度もありませんからなぁw
>>119 その記録はダイヤモンド映像にありますか、それともクリスタル映像
ですか?
.
>>121>>122 またしても加齢臭ががが
・・・・・・でも儂は世代なのにナイスな監督作品は見たこと無いんだぜ。
124 :
マンセー名無しさん:2010/06/22(火) 13:40:08 ID:RLS4Pp6p
>>121 魏志倭人伝です
ナイスな監督は「帝王」ですから、天皇とは少し違いますな
125 :
マンセー名無しさん:2010/06/22(火) 13:44:10 ID:vku/INPW
カナブン世代のウリには、おじさんたちの会話にはついていけないニダ
126 :
マンセー名無しさん:2010/06/22(火) 15:25:11 ID:R/mjFLa1
天皇一族は、邪馬台国が台頭している間は、
天の岩戸に逃げ篭ってずっと自分の排泄物を食う永久機関で生きながらえていたんだよ。
>>127 エルサレム旧市街地の聖墳墓教会に(以下略
>>125 鎌倉時代の、金沢文庫ですね。北条氏によって作られた、武家のための図書館
のこと。その時代の天皇を問われれば、ちょっと調べない私も・・・・
130 :
マンセー名無しさん:2010/06/22(火) 22:39:14 ID:RLS4Pp6p
「男弟有り、佐けて国を治める」とあるので
この男弟を監督に比定する説が有力です
卑弥呼無き後、国を治めたのはトヨ(丸)って事かw
あれ?イヨだったかな…
>>131 松友伊代です。
壹与(いよ)なのか臺与(とよ)なのか
このスレは博学な人が集う、アカデミックなスレですね。
昔、邪馬臺じゃない、邪馬壹だって言ってた人いなかったっけ?
あれどうなったの。マニアの妄言?
>>134 倭人伝にもいろいろ写本がありまして・・・
いくつかの写本に「邪馬壹」って記述があるので・・・(無論「邪馬臺」の方が多いのですが)
壹与、臺与論争と同じです。
|-`).。oO( 多分、結論は出ないでしょうね…w
>>135 当時の人たちが『ヤマト』と名乗っていたのなら、「邪馬臺」という事になるのでしょうか。
>>136 >当時の人たちが『ヤマト』と名乗っていたのなら、
|∀・)っ【波動砲発射】
さておき、その可能性は強いですね。
ただ、いずれにせよ当時の日本語・中国語ともに「音」がわかっていないので
あくまでも「可能性」に過ぎないのです。
邪馬臺→ヤマタイなのかヤマトなのかシャ・バ・タイ(現・漢音)なのか…
(参考:”邪馬壹”は、どう発音した?−邪馬壹(壱)国と邪馬臺(台)国−
ttp://blogs.yahoo.co.jp/eraser1eraser/53952736.html )
まぁ、たいらばやしか ひらりんか・・・ってことです(w
|-`).。oO( 一つと八つでとっきっき
全国共通ひみこ券で、アゲ。
いちはちじゅうのもっくもく。
>>137 私は個人的に『邪馬臺(ヤマト)』だと考えていますw
卑弥呼が誰かっていろいろ意見有るとおもうけど
今は何が有力視されてるの?
だから魏志倭人伝って伝聞だろう?
記紀つう日本のものがあるのに、そこには卑弥呼なんてないのに
中国の方を100パー信用して卑弥呼を論じるのもどうなのかと…
魏志倭人伝はほぼリアルタイムに書かれた物で
どっちかというと記紀の方が伝聞
三国志はほぼリアルタイムの文献。記紀はそこから約500年後。
三国史記はさらに500年後の文献
白髪三千丈の文献なんだろうに…
自国以外の事を何故白髪身三千丈にせにゃならんの?。
言っとくけど、魏志東夷伝倭人項は“魏から見た倭”だから、それが白髪三千丈なら
当事の倭は、魏すら一目置く大国に成るんだがその辺について一言w。
なじぇか1週間ぶりにスレが動いていますねw
>>141 新しい発見がないので、昔と同じだと思うます。 > 有力説
>>145 「白髪三千丈」かもしれませんが、同一時代の比較文献がない以上
書かれていたことは、書かれていた通りに考証するがスジかと・・・
|-`).。oO( ここは「白髪三千丈」、ここは「史実」って分ける基準がないですからね。
>>146 >自国以外の事を何故白髪身三千丈にせにゃならんの?。
±双方向のベクトルがあると思いますけど
どちらも、「自国の権威」を高めるためっていうことは考えられますね。
ただ、中国史書は
「某帝の何年にこういうことが起きた」「何とかと言う土地は、こういう土地のようだ」
って書き方なので・・・
|∀・).。oO( 「崔杼弑君」って逸話もありますし…w
東方見聞録の時代だって黄金の国なんだぜ?
これが白髪3千畳じゃなくてなんなんだよ
時代が遡るんだから白髪一万畳くらいな大風呂敷でもおかしくないぞ
>>148 15世紀の書物ですね。 > 東方見聞録
文字通りマルコポーロ一個人が「見聞き」した旅行記。
実際マルコポーロは、「ジパング」には着ていないと言う点
「ジパング」についての記述は、旅行中中国で聞いた「噂話」とされていますね。
中国の噂話は、まさに「白髪三千丈」だと思うですよ。
中国の「正史」としてまとめられたモノと、「旅行記」を同じ土俵で語るのはちょと違う気がします
おかしなことを言う
記紀だって日本の「正史」なないのか?
その記紀が伝聞なら魏志だって伝聞だろうが
尚、東方見聞録は面白いよ
151 :
マンセー名無しさん:2010/07/02(金) 11:32:04 ID:R70PzFwB
呉をビビらせるための宣伝がそのまま史書に採用されちゃった、という説もありますな
後ろワタチたち同盟国
すんごいソレ大国アルよ
おまえビビるアルか
だからえらい大国になってるし、位置も会稽東冶の東=呉の後背地になってると
呉がビビったかどうかは不明ですが
>>150 記紀も正史ですし、三国志も正史ですよ。
で、記は 当時 口伝で守っていた稗田阿礼語る「日本の歴史」まとめたもの(上つ巻)
三国志については、国の正当性をあらわすためにまとめた書物
一個人の「旅行記」とは土俵がちがうということを言っています。
で、15世紀のモノですから、「ここが嘘」「ここが本当」っていう検証ができますし・・・
東方見聞録@マルコポーロが面白いのは同意(w
>>151 その辺りの事が、その後の史書に書かれているといいんですけどね。
|∀・).。oO( 一説によると、ずいしょに描かれているとの噺もw
倭人伝の記述は、司馬仲達の発言力増加狙いの大風呂敷がそのまま記述されたって説もあるな。
まあ、道程に関しては、素直に辿ったら沖縄行くんで、本当に沖縄にあったかもしれないが。
この携帯、『ギ』がでないの。
カタカナ混じりなんて絶対書きたくないから。
それとも、東夷伝倭人条と書いた方がいいニカ?
いや、東夷伝と仲達の関連が見えなかったです・・・
|-`).。oO( 連環でもいいれすけどw
15世紀の一個人ったってマルコポーロだってかなりの地位だったんだし
華南の知事みたいなこともしてた役人だったんだし
それが黄金の国なんて表現してるんだから
三国時代の倭の記録がどんなものかは想像に難くないだろう
そんなのを100パー信じて水航二十日なんて議論してるのはアホだろう
いくらなんでも卑弥呼がいたのなら記紀に出てくるだろう
ここまでくると、「だからなに?」って聞きたいレベルですねぇ
東方見聞録(15世紀) → 同時代にかかれた 日本・その他の国の文物が多く残っている。
→ 真偽検証することが比較的容易 → 信じられるところと信じられないところを分けられる
三国志倭人伝 → 同時代にかかれた 日本・その他の国の文物がない。
→ 真偽検証することが困難 → 信じられるところと信じられないところを分けるのが困難
記 → 同時代にかかれた 日本の文物がない。 (上つ巻について)
→ 真偽検証することが困難 → 中国史書に当たって検証するって手法
で、
>三国時代の倭の記録がどんなものかは「想像に難くないだろう」
想像を根拠に歴史を語るのはいかがなものかと言っています。
>卑弥呼がいたのなら記紀に出てくる「だろう」
出てくる「だろう」から、倭人伝の卑弥呼は記紀の誰かっていう論争があるわけで。
あー、すいません。
当時倭の使者迎えたのが仲達配下というか、指揮下の人物らしいので。
そもそも卑弥呼が『個人名なのか?』って問題もありますわな。
魏の使者が日本へ逝って戻ってきたのに
個人名じゃない名前しか知らないってことはないだろうに
表音文字で卑弥呼も邪馬台国も発音どおりじゃないのかよ
なら日本での呼び方はひみこだろう
でもその名が記紀にはないんだろう?
ってことは魏書が伝聞だってことの証明じゃないのかよ
>>160 へー知らなかった〜(w
まぁ、時代的には、そうでもおかしくなさそうですね。
景初3年(239年)
卑弥呼 親魏倭王印もらう
曹叡が崩御
司馬懿仲達 公孫淵討伐に出陣
って感じですな。
>>162 当時の、日本語と中国語どんな発音してたか知っているのか!?
それとも、今でいう「呉音」、「漢音」、「ヤマト音」が 現在と全く同じ用法だったと!?
いずれにせよ、新発見ですよ! 是非研究者のかたに教えるべきですよ!
|-`).。oO( 「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読む・・・そゆこと
>>162 いや、普通に名前を知らないというか、名乗っちゃいけない、呼んじゃいけない人物だったという見方もあるよ。
相手も自分たちもね。
日本もシナもそういうところは、それこそ近現代まで名残があるし。
だから、『日(の)巫女と呼ばれていたのではないか』という説もある。
他に、所謂卑弥呼が記紀側の人物ではないという説も根強い。
>>163 当時、燕を討伐した司馬仲達が、その場に留まって倭の使者を迎えたと言われていますね、仲達本人が会ったかどうかは知りませんが。
日本だと「名前を知られたら呪われるからみだりに名前を呼んじゃいけない」ってとこもあったらしいですけれど、中国も同じだったのかしらん
日の巫女かよ、巫女なんて言葉がその時代にあったのか?
あったとしてミコなんて言ってたのか?
そして日の巫女なのか日の御子なのか、御子ならまんま記紀に載るだろう
>>166 日本より厳しいよ。
なんせ皇帝の諱を避けるために地名や人名の記述変えちゃう程だから。
>>167 巫女でも神子でも御子でもいいのよ。
『そう呼ばれてた』って話なんだから。
169 :
マンセー名無しさん:2010/07/02(金) 14:56:34 ID:DP20ynCl
大和大国の日御子が正解です。
天照皇大神、大日如来にもたとえられます。
未だに
邪馬台国の卑弥呼なんて魏の王の当て字で
呼ぶ日本の教育者は間違っています。
>>168 なるほど、サンクスです……しかしそうなると、言霊信仰っていうのもルーツは中国になるんですかね?
だいたい占いによって政うんぬんって
日本をバカにした記述だよね? 未開の土人ってことでしょう?
それに倭王って金印を授けたって、ブタに真珠ってことでしょう?
それが正史か? 単なる噂話の類だろうに…
>>170 さあ、そこまでは私にもちと……。
ただ、言霊信仰は東南アジアやシナ江南地方にもあったようなので、環太平洋では割とポピュラーだったのでは?
>>171 歴史を真面目に調べてないなら、きちんと調べてから来なさい。
>>165 まぁ、同時代のことだったということは、間違いなさそうですね(w > 仲代達也
>名乗っちゃいけない、呼んじゃいけない人物
近い例とすれば、皇室なんですが・・・
東宮内親王さまも「敬宮さま」って呼ぶべきところだとおもっていたのですが
東宮様が「真名ぢゃいけませんか(キリッ」ってやっちゃったからなぁ・・・
|-`).。oO( 不幸の始まり?って結構マジにおもっていたりするです(オカルト的に
>>170 言霊は、日本に限ったものではないですよ。
音・言葉は魔を払うってのは世界中どこでもある噺で(呪文ってのも言霊の一種)
日本は「言」と「事」が表裏一体と考えられちゃったっていうことです。
「祝」と「呪」や「祭事」と「政」も同様かと・・・
|∀・).。oO( 私は、一種の駄洒落と理解しています(w
>>171 幻といわれた「夏」王朝disってますね。
|∀・).。oO( 孔明の巽の風の件とか(w
とにかく、卑弥呼とか倭人伝とか、売らんが為のキャッチコピーじゃないの?
マスコミに踊らされて煽られた専門家っつうことじゃないのかなあ
騎馬民族征服論とか、週刊誌の暴露記事みたいなもんだろう
違うか?
>>175 「何を」「何処に」売るため?
あと、そこから導かれる「結論」は?
>>175 当時の時代背景から勉強し直しておいで。
卑弥呼なんていなかった、いたとしたら神功皇后の話が歪曲された
>>178 でって言う。
>「何を」「何処に」売るため?
が抜けておるね。
|-`).。oO( ♪卑弥呼なんてな〜いさ 卑弥呼なんてう〜そさ♪か?
で、まじめにリアクションとると
「卑弥呼なんていなかった]っていう説は主張することはできますよ。
・説を裏付ける史料と思慮
・その思慮の整合性が取れていること
最低限この2点があれば・・・
ついでに言えば、神功皇后=トヨって説もあるんだが。
>>180 で、遠い子孫が「自動織機」をつくる・・・
|∀・).。oO( というお話だったのさ (メデタシ w
>>180 (´・ω・`)
私の実家の方では、その神功皇后を祀る宮地嶽神社、宗像三女神を祀る宗像大社、
そして地元のお宮さんを初詣で回るのが正月のべたなすごし方。
>>181 <ヽ`∀´><それはトヨタニダ!
>>182 宗像も、実は天皇家に相当畏れられた神社とも言われてますね。
実は邪馬台国は台湾とトンデモ説を言ってみる>水航二十日
台湾じゃ水航二十日は掛かりすぎかな?
>>183 >宗像も、実は天皇家に相当畏れられた神社とも言われてますね。
ま、出雲の娘婿筋の大国主命を…っ手な感じの縁起を見れば分かるとおり、
出雲との関係もあるような、古代からの豪族なだけでなく、三女神が奉じられてるところを
みれば、その領域が玄界灘の結構沖まで勢力が及んでいるような勢力ですからね。
そして、最終的には、小早川氏の家来筋に家督を譲るハメになってしまったけど、
大宮司家の嫡流は、戦国時代の末のころまで残ってたというしぶとさも併せ持つわけで…。
(´・ω・`)
逆を言えば、そのような筋に継がせてまでも、残さなきゃならないような存在だとも言えるのでしょうが。
でも、宗像本家は祟りで断絶するという、あまりシャレになってないことを(略
>>186 ちなみに、そのシャレにならない祟りを静めるための山田地蔵尊は、
その祟りに反比例するかのようなご利益があるとか…。
(´・ω・`)
行ったこと無いんで、紹介ネタを見ただけの知識だけど。
ひんと 国譲り神話
|∀・).。oO( かなw
189 :
マンセー名無しさん:2010/07/03(土) 21:54:14 ID:CPdX+HMK
そして済州島の三人娘神話が!!
ところで、邪馬台国琉球説についてはどんなもん?
>>190 海底遺跡が証拠とか言いださない限りはまだ歴史学扱いしていいと思う。
邪馬台国は島原半島だろ某鉄道会社重役でとあるアイドルの祖父的に考えて。
>>190 まだ生きているけど、発掘史料的に乏しいって感じですね。
|-`).。oO( 決定打がないのは、何処も一緒ですけど
かなり怪しくなっていますが、日本での鉄製造は5世紀以降というのが、一応まだ通説のようです。
となると、3世紀に普通に鉄鏃を使っていた邪馬台国は日本ではないと見るのが適当、なんてのはどうでしょう?
製鉄自体はもっと前にさかのぼるなんて話もあるからなぁ。>鉄
>>191 ただ、魏志の記述に従うと、奄美・琉球方面よね。
>>192 そうですねぇ。
でも同時代の発掘史料が、まず『邪馬台国のもの』扱いされる事は避けたい。
>>193 「製造」と「使用」は別物ですからねぇ・・・
楽浪の海の中 倭人の住むところがある
100位の国に分かれている
山と川が国の景色を形成している
倭人の住むところ=今の日本列島(の一部?)
国=市町村レベルの集まり
って感じですかねぇ・・・
>>195 「山島に依りて國邑をなす」ですね。
ただ、琉球説にとって決定的な不利は、動植物や鉱物の記述が全然沖縄とあってないことでしょう。
>>196 記憶もあいまいになってますねぇ・・・w > 自分