韓国料理は日本料理のように世界的人気になるか?54
>>306 辛玉順さん NIC 第10期生 茨城朝鮮初中高級学校出身
カリフォルニア州立大学チコ校 経営学部卒業
日本オラクル勤務
何があっても自分の意志でやりたいことをやる そこに道はできる。
コンピュータシステム・コンサルテイングの大手カンパニー、日本オラクル。そのサポートオフィスは世
田谷用賀の高層タワーの一角にある。NICからカリフォルニア州立大学チコ校を経て辛王順さんがこの日
本でも有数の成長企業のサポートセンターに配属されたのは2002年の秋。在日3世の彼女には、何か行動
を起こそうとすると、常に国籍という障壁が行く手をこばみ、立ちはだかった。しかし彼女はひるまなか
った。障壁が道を塞ぐなら、ちがう道を探せばいい。道はひとつじゃない。
「英語が大好きでした。アメリカも大好き。テレビドラマの『ビバリーヒルズ』シリーズを夢中になって
観てました。高校の往復の合間に英会話のスクールにも通ってたんです」やがて進学、受験の季節。そこ
で大きな問題に直面した。日本の大学への進学を考えていたが、彼女の通う高校の場合、その受験資格が
得られないという。大検の資格保持が要求されるという。専門学校でも、正規の枠ではなく補欠枠での入
学なら許可されるという。勉強する意欲の高さ以上に、障壁が高い。「そんなときにNICの入学案内を目
にしました。そのキャッチフレーズを、いまでもよく覚えています。?道はひとつじゃない? 一目ぼれしま
したね、そのフレーズに」
NICの受験のときに印象に残った出来事がありました。辛さんは懐かしそうな表情をする。「3人一組の面
接試験を終えて、部屋を出ようとしたところで、スタッフの方から声をかけられたんです。シンさん、
ちょっと待って!って。私は、名前からわかるように国籍が日本じゃないでしょう。それでこう言われま
した」
『あのね、シンさん、あなたが、いざ留学ってなったときにね、ビザの問題とか、その他いろんな問題が
出てくると思うの。でもね、なんにも心配しないで、大丈夫。私たちが全力でサポートするって約束する
から』
なんと温かい響き。そのスタッフのひとことに当時のシンさんがどれだけ勇気づけられたかは想像に難く
ない。
http://www.nicuc.ac.jp/alumni/interview/category/graduate/10th
312 :
マンセー名無しさん:2010/04/07(水) 10:15:42 ID:CPcNzsYL
>>311 うんうん、よーくわかったよ。
やっぱり下等生物だね
>>313 李天鎬(理学部 39期)
カリフォルニア州立大学コンピュ−タ−サイエンス学部 4年生
朝鮮大学理学部卒業後、アメリカへ来て4年。英語で挨拶もできないまま飛行機に乗り、予定入国日時を1日
伝え間違え迎えにくる人を慌てさせながらも、勉学への欲求と新たな生活への期待を胸にカリフォルニア、ア
ーバインへ来ました。
英語の勉強を語学学校で1年間こなし、物理で大学院の試験を受けるも不合格。現在はコンピューター学部へ
専攻を変え、カレッジで不足単位を補い今は UCI で勉強をしています。この期間、日本で教育事業に汗を流
す同窓生のみんなや、国立大大学院入学を果たす後輩たちのがんばりもあり、自分も負けていられないという
思いでいっぱいでした。英語も伸びず予定通り事が進まない自分にいらだち、落ち込みもしました。
正直、勉強だけに集中するなら日本でもできたはずです。しかし、この4年間の生活は勉強だけでなく、いろ
んな経験での驚きと感動の連続であり、かけがえのない財産を手に入れることができました。留学中何を学び
経験したのかと聞かれると、それは紛れもなく人との出会いと答えます。日本で経験するにはむずかしいアメ
リカ留学ならではの良さだと思います。 (つづく)
(
>>314 からのつづき)
アメリカ中部の農家からやってきては、初めて海を見たと喜んでいたクラスメート、アダム。週末はいつもパ
ーティーをしてストレスを発散するんだと言う、酒好きで陽気なイタリア人ミッシェル。いつもマラドーナの
話ししかしないサッカー好きアルゼンチン人、フーゴ。ケチャップのたっぶりのったホットドックとバケツ並
みのコカコーラを手に、一生懸命地元野球チームの応援をしていた近所のおじさん、ポール。朝鮮大学での生
活を認め称賛してくれ、アメリカでもがんばれと力づけてくれたカリフォルニアバークレイ校の名誉教授。ア
メリカで勉強した後、自分の国で数学の先生をするんだと目を輝かせて話してくれたギニア出身の留学生、
アマドゥ。コーランの教えにより金曜日は断食の日だと、水1杯で1日を過ごすインド人、アンキ。よりよい
生活求めて、アメリカ南部国境地帯を命がけで渡ってきたと言うメキシコ人家族。大学へ行く金がないから今
は皿洗いをして来年学校へ行くんだと、好きな動物の話を聞かせてくれたエクアドルの青年、リカルド。
ウリマルを教えてくれと"カギャピョ"を持ってくる在日コリアンの留学生。朝鮮総連の人であるということで
驚きながらも、"チャルワッタ"と言い、いつも飯をおごってかわいがってくれる南朝鮮留学生のヒョンニム、
ヌナ達。互いに異国で生まれ育ち違ったアクセントを持つウリマルで 6.15の夜を統一祖国について語り
明かし、ソジュを飲みいっしょに涙を流し喜んだ在日、在米、在中、在独、在コロンビアのコリアン達。白頭
山のすばらしさとソンドウォンの海の美しさを話すと、手を握りもっと聞かせてくれと昔の写真1枚を見せて
くれた、元山出身の在米同胞ハラボジ。 (つづく)
(
>>315 からのつづき)
アメリカまで自分に会いに来て元気づけてくれた先輩、後輩達。メールや手紙でいつも励まし、時には青い尻
をたたいてくれる同窓生や高校、大学のソンセンニム達。大学を一度卒業したにもかかわらずもう一度勉学の
チャンスを与えてくれ、こんな身勝手な自分を心から支えてくれているハラボジ、ハルモニ、アボジ、オモニ、
トンセン。
そして自分。自分はいったい何者で、どこから来たのか。
アメリカでの4年間は、自分を探し見つめ直すことができた、自分との出会い --- そんな一人旅でもありま
した。日本で生まれ朝鮮の民族学校へ通い、日本語とウリマルを自由に使いこなし、キムチとピビンバを好ん
で食べるチョソンサラムでした。アメリカへ来たからといって何ら変わることはありませんでした。
留学初めのころは、北朝鮮の国籍を持ちアメリカへ入国することにおびえ怖がっていました。しかし世界中の
いろんな人との出会いを通じ、そして自分が歩いてきた道、在日の社会を一回り外から見つめ直すことによっ
て、今では在日朝鮮人というそんな特異な人生に誇りを感じます。
少しナルシスト的でしょうか...自分は自分自身、在日チョソンサラム、そして KOREA が大好きです。
http://www.korea-u.ac.jp/OB/32/kaiin/rityono.htm