おい、日本人よ過去の事などで色々と話しある

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200埠頭 ◆Q888XRwvfI
233 :ふゆやすみのしゅくだい(4/7) [↓] :2008/01/02(水) 13:23:31 ID:5VMKybqk (4/7)
4 古代朝鮮半島の鉄事情
 朝鮮半島における鉄器時代はBC300年前後からとされる。中国史では戦国時代、朝鮮史では衛氏朝鮮かそれ以前に相当する。
朝鮮初期の鉄器は先に述べた燕の鉄器と共通点が多い鋳造品が中心である。「史記」によればこの頃の朝鮮半島は燕の
支配下にあったとされること、朝鮮史における検証可能な最初の国家である衛氏朝鮮は燕の武将衛満によって興されたという、
同じく史記の記録と整合する。
 この時代の鉄器は単合笵という特殊な鋳型を用いるのが特色である。燕の系譜に属すると見られるこの特徴は、中国本土で
見られなくなっても朝鮮半島では統一新羅時代まで存続が認められる。
 前漢は征服した朝鮮半島に4つの郡を置いて直轄地とした(BC108年)。4郡の中でも最大の楽浪郡の遺跡からは精巧な
鍛造鉄の遺物が出土しており、漢の鍛冶技術が流入したことを伺わせる。
 朝鮮半島の製鉄技術であるが、紀元前の物については製鉄遺構が見つかっておらず明らかでない。しかし、一世紀の
鍛冶工房(慶州市隍城洞遺跡)から銑鉄と塊錬鉄の両方が同時に出土しており、この頃には間接製鉄と直接製鉄が並立
していたと見られる。また、隍城洞遺跡からは中国戦国時代の形式であるL字型の送風管が出土しており漢以前の技術が
未だに使われていたことを示唆している。
 魏志東夷伝弁辰条には「国出鉄 韓、ワイ、倭 皆従取之」とあり、3世紀頃には弁辰(朝鮮半島南部)から鉄の輸出が
盛んに行われていたようだ。だが、ここでいささか気になる遺跡が存在する。釜山にある莱城遺跡はこの時代の鍛冶遺跡だが
この遺構から出土する土器の94%が弥生土器なのである。単純に考えれば九州の弥生人が釜山に進出して鉄を採取、
加工していた事になり、「先進国朝鮮が野蛮国倭に鉄を与えていた」という構図は見直しを迫られている。
 直接法から能率がよく大量生産が可能な間接法への転換は、朝鮮半島全域で四世紀後半から五世紀前半には
完了していたと考えられる。