(´-`).。oO(ほう、民主やってくれましたねぇ)
(´-`).。oO(今度は平頂山ですか)
(´-`).。oO(これの発端って、反満抗日ゲリラ(匪賊)の撫順炭鉱襲撃なんですよ)
(´-`).。oO(ゲリラの掃討が虐殺になるのが不思議だと思いません?)
(´-`).。oO(支那のゲリラは平和的ゲリラとでも言いたいのでしょうか)
> 1932年9月16日、中国では一家が団らんして中秋を過ごしていた。
> 中国侵略日本軍は老人や女性、子供を含む、手に寸鉄も帯びない市民3000人余りを平頂山のふもとに追い詰め、
> 集団大虐殺を行い、証拠を残さないよう死体を焼き、内外を震撼させた「平頂山虐殺事件」を起こした。
(´-`).。oO(さて、上記の記事を検証していきましょう)
(´-`).。oO(先ず【市民3000人余り】ですが、平頂山にはその半分も(1369人)住民が居ないんですよw)
(´-`).。oO(【証拠を残さないよう死体を焼き】・・・・・・)
(´-`).。oO(あれ?どこかで聞いたフレーズですねぇ)
(´-`).。oO(炭鉱町で重油(匪賊の放火では使われたが)で死体焼却とか)
(´-`).。oO(踏むとブカブカ万人坑とかねw)
(´-`).。oO(何か(南京)に似てると思いません?)
(´-`).。oO(其れも其の筈、コレを紹介した奴こそ、本多勝一です)
(´-`).。oO(アフォな人権派や市民団体は、日本人死者に対し支那人の死者が多いから、日本人の非は明らかだなどと)
(´-`).。oO(言ってるのが多いのですが、匪賊を野放しにした場合の邦人の危機を考えてるのでしょうかねぇ)
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