【徹底検証】大阪人と朝鮮人は何故似ているのか4

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78ワッソ阪神
163:もぐもぐ名無しさん :2008/11/20(木) 21:05:43 [sage]
そもそも大阪が「天下の台所」と呼ばれたのは諸藩の米蔵があったからで、
食べ物が美味しかったわけではない。
明治維新後、西日本の経済中心地としての地位を神戸に奪われて

「まさに瓦解に及ばんとする萌し」と評されるほど大阪は落ちぶれる。
その後、五代友厚らによって「卑しい山師の仕事」とされていた
先物取引等の金融業を受け入れる事で再生する。
しかし、「卑しい山師の仕事」の街に集まるのはやはり食い詰め者や

山師たちであったため、古い難波を支えてきた人達の多くは大阪を去ってしまい、
大阪の文化は消え「銭、銭と五月蝿い街」と評されるようになる。
その後の日韓併合で朝鮮半島が日本領になると、渡航制限されている
朝鮮人を内地に密航させるブローカーが暗躍し、済州島との定期便が
あった大阪で売春や犯罪の手下などに従事するようになる。
戦後は多くの朝鮮人が各地から食い扶持を求めて大阪にやって来る。

なので>>1の主張は当然の事である。