>>246 今、手元に文芸春秋社の月刊オピニオン雑誌「諸君!」の2005年6月号があるんだけど、
そのP.151〜P.158にかけて、「外伝 北大路魯山人 山田 和」の文章が掲載されて
いるんだけど、
その中で魯山人が一時期朝鮮で仕事をしていたという。
「(魯山人は)朝鮮に渡り朝鮮総督府の吏員としての勤務に就いた時代があった。・・・・
彼は役人の新任退職などに手渡しされる辞令を書く勤務に就いていたのだという。昔の巡査の
ような正服を総督役人姿の写真を見たことがある。・・・・
朝鮮での生活や仕事については、魯山人自身が書いたり語ったりしたものとなると少ない。
牛肉や芹(せり)や米(注。鴨緑江龍岩浦産の宮廷米「早丁祖」など、美食に関するつぎの
ような記事の中に生活の片鱗がうかがえる程度である。)
『徹底的に食うということでは、朝鮮へ行ったときのことだが、24、5歳の頃だ(注・実際
には26,7歳のころ)。
朝鮮にはうまいものは先ず無い。
ところが朝鮮の牛肉が割合にうまかった。外に食うものが無いからでもあったが、牛肉がうまい
というので、・・・毎日牛肉を買った。そして遂々半歳食いつづけた。毎日食ったね。一日も
欠かさずに。時には1日2回も食ったりしながらね。しかし、流石半歳食い続けたら終いには少
しいやになったね。
朝鮮時代の食い物で今でも覚えているのは、親子丼の味だね。職務は軍属であって軍司令部に
勤めていた。所がこの司令部へ持ってくる親子丼がうまい。変な話だが、その卵がいつも半熟
で加減がいいんだね。あれは今でも不思議に思ってる。も一つ朝鮮の食い物で記憶に残っている
のは、京城から新山へ行く途中に大きな芹がつくってある。大きいのなんの、長くて太い。2尺
5寸もある。まるで藪をなしているんだが、見るからに柔らかそうで、食ったらさぞ美味だろう
と思われる。」
などという記述が掲載されていた。
北大路魯山人といえば、有名な食通で知られているが、その人物をして、
朝鮮半島で食った美味い料理、というより記憶に残っている料理が
牛肉と親子丼と芹というのも・・・
まぁ、牛肉がその後朝鮮焼肉のもとになったのかも知れないけどね。