【韓国】 留学経験者で語り合おう

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37『第一次愛的人 1』

大学1年のとき、旅行社の広告に、「ソウルの大学で夏季40日間ハングル研修」 とあるのが目にとまり、
軽い気持ちで申し込みました。
母が当時流行の韓流ドラマにはまっていたため、言うとおりの費用を出してくれたことも理由のひとつです。
ソウル仁川空港に着くと現地駐在員A氏が出迎えて、大学まで連れて行き、登録や入寮の手続きを手伝ってくれました。
 
初日、クラスに行くと、日本人がほとんどで、その他台湾、シンガポールから来ていました。
「入門コース」のはずが、日本人の多くはハングルの勉強に年期が入っています。
できる者ばかりでさっそくグループをつくり、盛り上がっていましたが、超初心者の私はとけ込めずに隅の席に座っていました。
 
授業は私にはペースが速すぎました。
数日のうちに、教室に向かう足が重くなり、つい大学周辺をあてもなく歩きましたが、
喧噪の市街は看板も地名表示も読めず、私は寮の部屋に引きこもってしまいました。
仁川空港で会ったA氏が様子見に訪ねてきて、
「大学にボランティアのインストラクター制度があるので頼んでみましょうか」 というので、ありがたくお願いしました。

翌日大学の国際交流センターで、女性のボランティア パク・ダビン (박다빈、仮名)を紹介されました。
いま三年生で、卒業したら日本に留学し、どこかの大学の大学院に入学する計画ということでした。
すでに日本語を学んでいましたが、「日本人学生の世話をすることで、上達を速めよう」 と思い、ボランティアに登録したそうです。
 
さっそくその日から授業の予習・復習はもとより、買い物から携帯電話の購入まで、彼女がこまごまと教えてくれました。
救われたような気持ちで、彼女のていねいな指導がひとつひとつありがたいでした。
ほどなく、授業にもなんとかついていけるようになったので、そのことを話したら、とても喜んで、
アパートに連れて行き、「大学の食堂ばかりではあきるだろうから」 と、いそいそと夕食を作ってくれました。
それからは、また一段と熱を入れて、予習・復習の面倒をみてくれました。
38『第一次愛的人 2』:2008/08/22(金) 18:20:12 ID:ubEg4jgx
>>37
クラスメートに台湾から来た女子学生陳怡伶(チン・イリン、仮名)がいました。
研修期間がなかば過ぎた頃、たまたま昼休みに大学前の郵便局で出会って、一緒にクラスに帰りました。
初心者同士ということで気が合い、習いたてのおぼつかないハングルで話が弾みました。
数日後、彼女がソウル在住台湾人のパーティーに連れて行ってくれました。
私は大勢の出席者から歓迎され、彼女は得意そうに私をみんなに紹介してまわりました。
おめかしした彼女がまぶしく、ドレスからほのかに甘い香りがただよい、言葉が妙なる音楽のように聞こえました。
 
帰ると、パク・ダビンから電話があったので、 「中華料理がおいしかった」 と話したら、不機嫌になり、アパートに呼び出されました。
彼女は目をつりあげ、日本人はいかにウソつきで恩知らずか、「日韓併合」 まで遡って、私を罵倒しました。
罵倒すればするほど感情がたかぶり、彼女は泣きながらジンロ(眞露)をあおり、私もむりやり飲まされました。
酒に弱い私は酔いつぶれ、気がついたら隣に目を泣きはらした彼女が寝入っていました。
彼女は裸でした。そして私も裸にされていました。
 
翌日から毎夜、私は彼女のアパートに呼び出されました。
断ると寮にきて騒ぎ立てるので、しかたなくアパートについていきました。
そのたびに、彼女は眞露をあおって罵詈雑言をあびせ、泣きわめきながら私に何度もセックスの相手を強いました。
 
陳怡伶をクラスで見かけなくなりました。
シンガポール人のクラスメート Huang Chee Hean (仮名) から、「これを頼まれた」とシンディ・ワン (王心凌) のCDをそっと渡されました。
研修終了を待たずに帰国したという話でした。
「パク・ダビンが陳怡伶をつかまえて汚い言葉でののしっていた」、といううわさも教えてくれました。
パク・ダビンに問いただそうと考えましたが、思いとどまりました。
39『第一次愛的人 3』:2008/08/22(金) 18:22:49 ID:ubEg4jgx
>>38
勉強に身が入らないまま、夏が過ぎて研修が終り、私は帰国しました。
 
翌年パク・ダビンは大学院入試のため短期間来日し、泊まっていたホテルに私を呼び出しました。
部屋に入ると待ちかねたように私にとびつきましたが、私の冷めた態度を見て、泣き叫び、枕やバッグを投げつけました。
 
月日が流れ、私は大学を卒業し、就職しました。
その頃、パク・ダビンからメールが入り、
「日本の大学院入試に合格したが、入学せず、アメリカの大学に留学した」 と書いてありました。
 
しばらくして、シンガポールのHuangから、
「陳怡伶は大学を卒業後、中国人の医者と結婚し、カナダに渡った」 という便りがありました。
その便りには、「シンガポールで一緒に働かないか」 とも書いてありました。
友人と新しい会社を起こしたということでした。
 
私は会社に辞表を出し、ヨーロッパに向かいました。
そしてある大学の大学院に入りました。
 
  http://jp.youtube.com/watch?v=j8ILWvrWXy4
40M2M:2008/08/22(金) 18:28:50 ID:7935Kj2Z
>>39
 
“The day you went away.” http://jp.youtube.com/watch?v=onAmmqUVh8o