>>37 クラスメートに台湾から来た女子学生陳怡伶(チン・イリン、仮名)がいました。
研修期間がなかば過ぎた頃、たまたま昼休みに大学前の郵便局で出会って、一緒にクラスに帰りました。
初心者同士ということで気が合い、習いたてのおぼつかないハングルで話が弾みました。
数日後、彼女がソウル在住台湾人のパーティーに連れて行ってくれました。
私は大勢の出席者から歓迎され、彼女は得意そうに私をみんなに紹介してまわりました。
おめかしした彼女がまぶしく、ドレスからほのかに甘い香りがただよい、言葉が妙なる音楽のように聞こえました。
帰ると、パク・ダビンから電話があったので、 「中華料理がおいしかった」 と話したら、不機嫌になり、アパートに呼び出されました。
彼女は目をつりあげ、日本人はいかにウソつきで恩知らずか、「日韓併合」 まで遡って、私を罵倒しました。
罵倒すればするほど感情がたかぶり、彼女は泣きながらジンロ(眞露)をあおり、私もむりやり飲まされました。
酒に弱い私は酔いつぶれ、気がついたら隣に目を泣きはらした彼女が寝入っていました。
彼女は裸でした。そして私も裸にされていました。
翌日から毎夜、私は彼女のアパートに呼び出されました。
断ると寮にきて騒ぎ立てるので、しかたなくアパートについていきました。
そのたびに、彼女は眞露をあおって罵詈雑言をあびせ、泣きわめきながら私に何度もセックスの相手を強いました。
陳怡伶をクラスで見かけなくなりました。
シンガポール人のクラスメート Huang Chee Hean (仮名) から、「これを頼まれた」とシンディ・ワン (王心凌) のCDをそっと渡されました。
研修終了を待たずに帰国したという話でした。
「パク・ダビンが陳怡伶をつかまえて汚い言葉でののしっていた」、といううわさも教えてくれました。
パク・ダビンに問いただそうと考えましたが、思いとどまりました。
>>38 勉強に身が入らないまま、夏が過ぎて研修が終り、私は帰国しました。
翌年パク・ダビンは大学院入試のため短期間来日し、泊まっていたホテルに私を呼び出しました。
部屋に入ると待ちかねたように私にとびつきましたが、私の冷めた態度を見て、泣き叫び、枕やバッグを投げつけました。
月日が流れ、私は大学を卒業し、就職しました。
その頃、パク・ダビンからメールが入り、
「日本の大学院入試に合格したが、入学せず、アメリカの大学に留学した」 と書いてありました。
しばらくして、シンガポールのHuangから、
「陳怡伶は大学を卒業後、中国人の医者と結婚し、カナダに渡った」 という便りがありました。
その便りには、「シンガポールで一緒に働かないか」 とも書いてありました。
友人と新しい会社を起こしたということでした。
私は会社に辞表を出し、ヨーロッパに向かいました。
そしてある大学の大学院に入りました。
http://jp.youtube.com/watch?v=j8ILWvrWXy4