■ハングル板の本棚■第15書架

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442マンセー名無しさん
私は最近、近くにある図書館が戦前・戦中の本を割とたくさん所蔵しているということを知り
まして、そのころに出版された朝鮮に関する本を何冊か読んでみました。

で、そのなかの一冊に阿部辰之助(著)『現朝鮮之研究 第1巻』(1922年 大陸調査会)
という本があったんですが、この本のなかに

(1) 奈良は朝鮮語の「ナラ(国)」に由来する。

(2) 日本語の「ワッショ」は、朝鮮語の「ワッソ」に由来する。

という話が載ってるのを見つけたんですね。

原文は旧カナ・旧漢字で書かれているんですが、現代の表記に改めました。
ルビは【】に入れて表記しました。
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  第七章 大和国に朝鮮語奈良の都ある理由

日本に於ける太古の人種はコロボックル(アイヌ語にして「フキ」の下の人と云う意)あり、
大和を本拠とせる大和民族あり、出雲を本拠とせる出雲民族あり、奥羽地方を本拠とし九
州地方に及べる蝦夷人種あり〔之れ薩摩のヤク島はアイヌ語の鹿島、エラブ島はアイヌ語
のユーラック(硫黄)、種子島はアイヌ語のタンネ(長き島)等、薩摩地方にアイヌ語の現存
せるを以て、之を認む〕。琉球を本拠とせる琉球民族あり、出雲民族は朝鮮民族の移住に
依りて混化せられ、奥羽より九州方面に勢力を有せる蝦夷民族は大和民族に或は征服せ
られ或は混化せられ或は逃れて北海道の地に入りて遂に今日に及べり尚紀州地方には
徐福の率いし秦始皇時代渡来せる支那民族あり、四国、九州亦支那朝鮮(熊曽の類)琉
球民族南洋民族の混化となりし民族あり、共に三千年の時日を経過すると共に大和民族
となりて今日に及べるなり。即ち大和にありし大和民族は、天神に奉仕せる優秀民族なる
を以て、日本国土何れに向っても其勢力を有するに依り、之れを天と称し、天神の所在地
神族として尊敬を受くるに至りしなり。
443マンセー名無しさん:2009/02/11(水) 08:19:29 ID:f6ts55NZ
>>442 の続き)

天照皇大神の御代檀君「迎烏【アウ】郎」(王氏)なるもの、朝鮮新羅の地(太古の檀君新
羅にして天日槍命の始祖)を去りて出雲に移住せらるるや、先ず大和国に至りて天照皇
大神に奉仕せり、斯の如きを以て如何なる民族も必ず大和天神の御在所に奉仕し、敬っ
て大和を天と称えしなり、然るに学者種々なる異説を唱え、我国体を謬り伝えしめんとせ
るものありしも、太古大和国を以て天神属の本住地となし、地神天照皇大神の大和に御
在都ありし事は、都城奈良あるに依りて之れを証明するを得るなり元来大和国に奈良あ
る都あるは、朝鮮の地より日本の地へ渡りたる檀君迎烏【アウ】郎が、天照皇大神の御許
に奉仕せるとき、大和の「なら」即ち大和国と申上しに起因せるものの如し、朝鮮語国を
「なら」と称するは、鴨緑江を称して「ウリ、ナラ、カン」即ち「ウリ」(我)、「ナラ」(国)、「カン」
(大河)、我国の大河と称するに依りて明かなり、斯の如く我国は、太古より皇室の御祖先
世々大和国に御在しまし、遠き数千年前より天統連綿として大和国に御在住あらせられた
るなり、されば大和の国を以て天となし、高天原あり、天の岩戸等ありて、古き神代の古蹟
を今日迄現存せるのみならず、日本人を称して大和民族と称する所以、茲に存ずるを以て
知るべし、故に我国に於て天と称するは、即ち日本在住の各種族を統一せる皇室御祖先
の御在住地たる大和の国を称せるを以て至当と為すべし、従来高天原の所在に就ては、
国学者の説区々にして、天上に在りと云える本居宣長等の説と、其他日本国外の説あり、
其日本国内にありても、新井白石氏は常陸に在りとなし、多田南嶺氏は豊前豊後地方とし、
其他の説は殆んど大和国に在りと為す、著者謹で之れを考うるに、前記の如く大和に奈良
なる都存在する以上、書記須佐之男命天に上坐時、天照皇大神に御誓を為す処は、即ち
大和国高市郡にして、天照皇大神皇居の存せし辺は即ち高天原と云うを以て至当と為す、
444マンセー名無しさん:2009/02/11(水) 08:20:34 ID:f6ts55NZ
>>443 の続き)

奈良【ナラ】又は平城【ナラ】は、共に朝鮮語の「なら」即ち国と云義にして、素盞嗚尊となり
し檀君、即ち迎烏【アウ】郎の天照皇大神に御奉仕せるとき、大和の「なら」即ち大和国【ヤ
マトノナラ】と申上しまま、大和の都を「なら」と命名せらるるに至りしなるべし、中古奈良の
都は日本旧都の一にして仏法盛んに行われ、日本文明開化の淵源地たるに依りて、如何
に朝鮮国と神代古くより交通せられたるかを知るべきなり。


  第十六章 各神社祭典の神輿に白丁を用ゆる理由及神輿を舁ぐに際し「ワッショ」の掛
         声を以て神体を迎ゆる理由

尚天皇は、既住国家の為め功績ある内鮮神族の遺霊を神社に祭祀せり、之れ朝鮮移住
神族の霊を祭るの礼其篤きを示されたるものにして天皇御深慮のある処を拝察するに足
る、後世神輿の出御に際し特に白丁を用いて之を舁がむるに至りたり元来白丁は穢族の
滅亡後奴隷となり、朝鮮にては之れを「ペエクチョン」と唱え賤民族として、之を卑しめたる
もの、日本に渡りては白丁或は仕丁となりて宮仕をなし或は神社の神僕となりて神輿、神
具等を奉持せしむるに使役せるに因る殊に神輿を舁ぐに際し、其唱えつつある「ワッショ」
の掛声は、日本全国各府県を通じて同一の掛声にして、如何に各地方毎に、言語の異な
りありとするも、此掛声のみは何等の相違を認めざるなり、されば西南の端鹿児島にあり
ても「ワッショ」と云い、東北秋田付近にありても「ワッショ」と云い、東京其他の各地方皆此
「ワッショ」の掛声を以てせり、此「ワッショ」なる掛声は、朝鮮語にて「ワッソ」即ち「来たか」
「御出なさいましたか」と云う意義にして、神霊を謹で迎ゆる意義に相当す。之れ我日本に
於ける寛量を示す適切なる事実にして、我国君に忠実にして我国を愛する者は、何人種を
論ぜず、之を優待するの主旨に基きたるものなり、同一朝鮮人種にありても、熊曽の如き
は日本領土内にありて十数代の皇室に反抗せる関係上、其末路は薩摩隼人の為に征服
せられ、遂に其跡を絶ち之を顧みるものなきに至れるなり、之れ神国自然の結果にして天
の制裁する処なればなり。

(引用終わり)