日韓併合前の朝鮮について語ろう 3

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252マンセー名無しさん
>>251 そのコピペ見飽きたニダ。山ノ城管理官の朝鮮国情報告の方も面白いニダ゙。

併合前の日朝(続き)

実に迷惑で珍なる刺客騒動であったが、この後の金玉均の行動がいけなかった。金は日本政府
が亡命者として受け入れたわけではなく単なる密入国者であった。事を荒立てずにおとなしく
隠遁しておくべき立場の人であった。しかし今度のことで金は刺客池運永を正式に訴え出たい
旨を日本政府に問い合わせたのである。また日本政府の保護をも要請。
これにより、金玉均を担ぎ上げようとして起こした大阪事件のこともあり、今度の刺客騒動の
こともあり、日本政府は遂に金玉均を日清韓の交際の障害となりまた治安の妨害になるとして
「好ましからざる人物」と指定し、国外退去を命ずることにした。

日本政府 「ていうことで、日本から出て行ってちょ」
金 「アイゴー! ウリをお見捨てになられるニカ!」
 この頃は政界の者も金玉均との交際を避けるようになっており、支援者も殆どいなかった。

仏国公使 「わがフランスで受け入れてもいいですよ〜」
日本政府 「ってことでパリ行きはどうよ」
金 「アイゴー! プーランスなどいやニダ!」
と、金玉均はどこにも出国しようとしない。
日本政府 「退去期限が迫ってるけどどうすんの」
金 「この退去命令書にある『治安妨害』の字がウリの体面にかかわるニダ。削るニダ。『追放』
の字が穏やかでないニダ。もっと穏やかな文字に変えるニダ!」
そんなこんなで、退去のことは延期に次ぐ延期となり、そのうち新聞社が嗅ぎつけて記事とし
た。
253マンセー名無しさん:2008/12/28(日) 18:33:18 ID:pr2ze7s6
(続き)
山縣内務大臣「もう新聞がいろいろ書いているぞー。俺が悪者になっとるっちゃ。早いとこ処
分しないと政府の体面にもかかわるんじゃ!」
井上外務大臣 「うん。もう抑留処置とする外ないお」

で、外務省は金玉均に外国に行くなら旅費も支給すると通知。
金 「旅費が出ると聞いたニダ。けど宿賃やお店の掛け代金もあるニダ。これが払えないなら面
目にかかわるニダ。外国に着いてもその日から路頭に迷うのもいやニダ」
日本政府 「それって、どうすんの? もう日本政府の処置に任せるってこと?」
金 「任せるニダ! けど今は友人に百方金策を頼んでいるニダ」
日本政府 「その金策を頼んだ人の名が分るなら助力できるが」
金 「名は言われんニダ」
ちなみに金玉均とその従者が以前から宿泊しているのはフランス人が経営する横浜グランドホ
テルなる高級ホテルであった。

山縣内務 「仕方ない! もう小笠原島に抑留するしかないっちゃ!」
で、それを金に通知する。
金 「何ニカ? 退去追放がなじぇに小笠原島に抑留と変わったニカ! ウリは米国に行くニダよ。
小笠原などには行かんニダ。こんな通知は受け取り拒否するニダ!」
日本政府 「あ、米国に行く? 従者も一緒に行くならその旅費も出すけど」
金 「き、金策が出来るまで待つニダよ」
254マンセー名無しさん:2008/12/28(日) 18:36:06 ID:pr2ze7s6
(続き)
ところが一向に金策が出来た様子も出立する気配もない。終に強制処置として東京府警から警
官が出張してきて小笠原島送還のことを告げた。
金 「・・・・・・」
金は唖然として一言も発しない。
警官は動かない金の手をとって馬車に乗せ、港に送って小笠原島に向う秀郷丸に乗せた。
警官 「従者の中で同行する者があるなら共に行くことを許すが」
4人の従者の中の李允果なる者1人が共に行くことを申し出た。
李 「ウ、ウリがだんな様と共に死の船出をするニダー!」
警官 「心配はない。本人はもとより君の生活費も支給されるから」
李 「ニカ?♪」

日本政府が金玉均が国外退去を申し渡したのは6月2日。金玉均らを乗せた秀郷丸が小笠原島に
向ったのは8月9日であった。
金玉均は、店には買掛金が溜まり、宿泊料支払いも出来ず、それでも横浜グランドホテルなる
超高級ホテルに滞在し続けて人をして金策に走らせていたのであるが、この後、ホテル代など
を日本政府が支払ったかどうかまでは分からない。

フランス人支配人「日本政府が彼を送還したのですからー彼のホテル代は日本政府が払う責任
がありますね〜」
日本政府 「渋々承知」
てなことではなかったろうか。
255マンセー名無しさん:2008/12/28(日) 18:39:45 ID:pr2ze7s6
(続き)
さて、金玉均は1年後には内地に移り住みたいと日本政府に申し出、その翌年にも同様の申し
込みをし、更に熱病と持病で苦しんでいると手紙で申し出た。
それを読んだ山縣内務大臣は不憫に思い、治安上不安のない所は外には北海道しかないとし、
また北海道札幌なら金の出生地である朝鮮とも気候的に似ているので健康面でも都合がよいだ
ろうと考えて北海道に移すこととした。
なお金の手紙の往復には注意し、また内地人で近づく者があるのを制限し、且つ外出の際は警
官を尾行させることとした。
更には翌々年の明治23年11月には、西郷従道内務大臣から金玉均完全自由の上申書が提出され、
もはや治安上も問題ないとして内地居住は全く自由となった。ただし生活費支給はここで停止となっ
た。

金「アイゴー!」
(つづく)