【やっと】竹島総合スレ102島【教科書に明記】

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45マンセー名無しさん
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2007/12/04/2007120400027.html

于山島はやはり独島だった
海洋水産開発院ユミリム博士
朝鮮後期朴世堂が書いた資料発掘
于山島は鬱陵島という主張くつがえして



独島領有権で大きな争点だった「于山島が独島」という事実を立証することがで
きる新しい資料が発掘された。韓国海洋水産開発院独島研究センター責任研究員
であるユミリム(柳美林) 博士は最近この開発院が発刊する「海洋水産動向」
1250号で「朝鮮後期朴世堂・1629〜1703)」が書いた「鬱陵島」を分析した結果、
于山島は鬱陵島ではなく独島を指すことが明らかにされた」と述べた。

 「独島が元々我が地」だったとする時、その重要な根拠は于山島の存在だった。
「世宗実録」地理志に 「于山と武陵 二つの島が蔚珍県の東海の中ある。
二つの島はお互いに距離が遠くなくて、天気が晴れれば見られる」と記録してい
る。ここで「武陵」が鬱陵島、「于山」は独島というのが韓国学者たちの解釈だ
った。

しかし日本学者たちは「新増東国輿地勝覧」の注釈に「于山島と鬱陵島が本来一
島だったという説もある」という内容を根拠に、于山島は独島ではなく @鬱陵
島とか A鬱陵島で東方へ 2q あまり離れた竹島と言う主張をしてきた。

しかしユ博士などが朝鮮後期主要学者中の一人である西溪朴世堂の記録「鬱陵島」
を分析した結果は違った。この文は朴世堂の11代子孫が 2001年韓国学中央研究
院に寄託した 「西溪宗宅古文書」のなかの「西溪雑録」に載せられている筆写
本で、今まで史料の存在が一般に知られていなかった。朴世堂はこの文で船に乗
って鬱陵島へ行ってから帰って来た僧侶から伝えて聞いた話を記録しながらこの
ようにに言及した。