>>994 それでは、ようするに絵唐津にしてもパトロンが細部に渡るまで
そのパトロンの趣味で作らせたものなので、建築家のような存在で
あると言えるから、絵唐津はその窯元が実際に作ったものであっても
結局パトロンが作らせた結果なのでその陶工が生み出したものではない
と考えられるのだと?
そしてそれらが作られ続けるのは、一人のパトロンの存在があっても
成り立っていると。
それじゃあ大勢の客の好みに応じるのなら、絵唐津の技法が何パターンもあっていいのに
なぜワンパターンなのかというと、それこそが陶工の技術であって
そんな何種類の技法も描くのは難しく
おそらく客は、好みの絵を描いてほしいと依頼した程度だったから
陶工がおそらく色々な絵を描いていたが、ワンパターンの技法だったという事になると?
しかし気になるのは、なぜ朝鮮の建物とか動物だったのか。
客の依頼なら、色々な絵があっていいはず。
客が朝鮮の絵を描いてくれと依頼していたからか?
それは変だ。
絵唐津という定義として朝鮮の建物や動物と描かれているほどなので。
また来る。