599 :
◆ypURG809QA :
いきなりですみません。
刺青様に質問いたします。
川西杏のおっさんが、
「徳川慶喜の母親は皇族(霊元天皇のひ孫)だから
東武皇帝(北白川宮能久親王)が明治新政府軍に幸福したあと、
残党たちが水戸に逃げ込み、三種の神器を持ち込み、
当時、水戸にいた徳川慶喜の母親が水戸で即位し2代目東武皇帝になった」
などと現在も言い張っておりますが、
このような話は事実なんでしょうか?
その論理が正しければ和宮(仁孝天皇の皇女・徳川家茂の正室)も
女帝として即位することも可能になってしまいますが、
実際のところはどうなのでしょうか?
(川西杏のおっさんにこのような話をしたのは水戸出身の一水会の方だそうです)
お手数ですが、ご教授おねがいいたします。