日韓併合前の朝鮮について語ろう 2

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598マンセー名無しさん
韓国統監府の初代統監  伊藤博文「しかし、日本は非文明的、非人道的な行為をしてまでも韓国を滅ぼそうとするものではない。韓国の発展は大いに日本の望むところであって、韓国自身が国力を身につけ、
発展するためならば、韓国は自由に行動してよい。ただ、ここに一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携するべきであるということだ。日章旗と巴字旗(韓国旗)が並び立てば、
それで日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を滅ぼすことがあるだろうか?」
「自分は、本当に日韓の友好を深めるために、誠心誠意尽くそうとしている。しかし、日清・日露の両大戦の際に、韓国は一体何をしたのか?陰謀以外の何をしたというのか?
戦争中は傍観者に徹していたではないか?君たち(韓国人)は、日本が、突然やってきて韓国を滅ぼそうとしていると思うのは、一体どのような根拠に基づくものか聞いてみたい。」
 「日本は韓国の陰謀を断ち切るため、韓国の外交権を日本に譲れと主張した。だが、日本は韓国を併合する必要はない。併合は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも日本の指導監督が無ければ、
健全な自治を遂行し難いと考える。」
朝鮮の外交官李成玉
 現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つ事はできない。亡国は必至である。
 亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝を犬か豚のように思っているが、日本は違う。
 日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。
 そして日本は朝鮮を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。
 それ以外に我が朝鮮民族が、豚の境遇から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
599マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:09:12 ID:gShFh9T6
1909年10月26日 韓国統監府初代統監伊藤博文がハルビン駅にて安重根により暗殺される。『馬鹿な奴じゃ』これが伊藤の最後の言葉になった。朝鮮と清国国境が定まる(間島協約)。
1909年12月4日 「韓日合邦を要求する声明書」一進会(百万の朝鮮人会員)
 日本は日清戦争で韓国を独立させてくれた。日露戦争でロシアに食べられる寸前の韓国を救ってくれた。
 それなのに韓国はこれを感謝しなかった。あの国に着き、この国に着き・・・結局は外交権を奪われる事になった。しかし、これは我々が自ら招いた事態である。
丁未条約を締結する事になったのも、やはりハーグ事件を起こした我々に責任がある。 伊藤博文が韓国の国民を見守ってくれ、皇太子を導いて韓国の為に尽くしてくれた事は忘れられない。
それなのに暗殺事件が起こってしまった。今後、どんな危険が到来するのかわからない。
これもまた韓国人が自ら招いた事態である。
 ・・・だから劣等国民として保護されるよりも、日本と合邦し大帝国を作ろう。世界の1等国民として日本人と全く同じ待遇を受けながら暮らしてみよう。
1910年 朝鮮滅亡、日本統治。日韓併合条約を結び、大韓帝国を、大日本帝国が併合。京城に朝鮮総督府が設置される。




600マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:10:53 ID:gShFh9T6
英国人女性旅行家イザベラ L・バード(旧姓)Isabella L・Bird(イザベラ L・ビショップ夫人)(Isabella L・Bishop夫人) 1894年1月(62才)〜1897年3月(65才)、
4回に渡り朝鮮各地を旅した紀行文『Korea and Her Neighbors朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』時岡敬子訳『
朝鮮紀行』講談社学術文庫「注。1894年から1895年日清戦争。
1895年大韓帝国独立。竹島編入は1905年2月22日。日露戦争勝利(1905年9月)。大韓帝国保護国(1905年10月)。
日本統治は1910年から。日本と朝鮮、まさに激動の時代の第一級の真実の記録であり、紀行文だ。日朝の原点が記録されている。日朝必読の書だ。」
第二章首都の第一印象 (1894年1月)・・・城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、
紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず、
したがって推定25万人の住民は主に迷路のような「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体および液体の汚物を受ける穴か溝で狭められられている。
悪臭紛々のその穴や溝(正確にはみぞ)の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。
路地にはまた「小間物」とアニリン染料で染めたけばけばしい色の飴を売る行商人もいて、溝の上に板をさし渡し、おそらく1ドル程度の品物を並べている。
とはいえソウルにも「大掃除」はあり、漢江の砂地や渡し船の上や麻浦からソウルにいたる路上で、みぞの中身を荷かごに積んで運ぶ牛を数えきれないほど見た。
601マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:12:54 ID:gShFh9T6
こういった溝に隣接する家屋は一般に軒の深い藁ぶきのあばら家で、通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙を張った小さな窓があって人間の住まいだと分かる。
またみぞから二、三フィートの高さに黒ずんだ煙穴がきまってあり、これは家の床を暖めるという役目を果たした煙と熱風の吐き出し口である。
終日粗朶を高々と積んだ牛が市内には入ってきて、六時にこの末の粗朶は住民の食事の支度と暖房に用いられ、ソウルの横町という横町をかんばしいにおいの煙で満たす。
路地に煙のたれこめる規則正しさは感心するほどである。かわら屋根の反り返った上流階級の家庭でも、通りから見た体裁の悪さという点では何ら変わりがない
 ・・・ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない広い水路を黒くよどんだ水が、かつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。
水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。
 ・・・周囲の山々は松の木が点在しているものの、大部分は緑がなく、黒い不毛地のうねりとなってそびえている

602マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:14:10 ID:gShFh9T6
第四章 ソウルの種々 ・・・ソウルには芸術品がまったくなく、古代の遺物はわずかしかないし、公園もなければ、コドゥンというまれな例外をのぞいて、見るべき催し物も劇場もない。
他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もないし、
いまだに迷信が影響力をふるっているため墓地もない!
 清国と同じように孔子廟とその教えを記した碑があるのはべつにして、ソウルには公認の寺院が一つもなく、また僧侶が城内にはいれば死刑に処せられかねなかったので、
結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。
第三十七章 最後に 改革(貴族を廃止し、皆平民にした 。 )があったにもかかわらず、朝鮮には階級がふたつしかない、盗む側と盗まれる側である。
両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人(ハイン)は文字通り「下の人間」で吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。558頁
英国婦人の見た李朝末期 朝鮮の真実(証言集) 外国の方から見た日本と朝鮮
誰がここまで悲惨にしたか 李氏朝鮮統治518年の愚民政策が、身分統治が、ここまで悲惨にした。李氏朝鮮統治下にあった518年間、朝鮮は両班(ヤンバン)という支配階級が、
朝鮮の大多数を占める農民から搾取し続けたのだ。どんなに能力があっても階級の枠から出れないため、皆、やる気を喪失し、向上心をくじかれ怠惰になったのだ。
未開で悲惨な奴隷社会だ。全ての元凶は李氏朝鮮統治、日本ではない。上記写真や、記述の内容は、1200年前の日本の奈良時代以前(710年)だ。
朝鮮が誇りにする朝鮮王朝の愚民政治のために、1200年間文化は停止し、搾取する物など何も無い、最貧国になった。

603マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:17:08 ID:gShFh9T6
朝鮮の特攻隊員の妻 私はこの話(韓国の女性の小学校長のご主人が沖縄の特攻隊員として戦死した。そのご主人は特攻が決まると出身小学校を訪れ、校庭に桜の木を植えた。
成長した桜の木がある小学校に奇しくも彼女は赴任した。さびしいときはこの桜の木の下に立つと心が休まる、という話)を聞いて、日本人に知って貰いたいと思って、
ソウルにいる日本の新聞記者にそれとなく知らせました。A新聞の記者が、早速、その女性校長を取材しました。校長は記者を桜の下に案内しました。すると記者は「日本の軍国主義がご主人をだまして申し訳ないことをしました。」
と言ったのです。いつも謙虚な校長でしたが「だました」という言葉に激怒しました。「私の主人はだまされるような人ではありません。自分の意志で出撃したのです。だまされたというのは、人間に対する侮辱です。
取材はお断りです。」と。 「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著
われわれは戦わなかったから亡びた 「私は平素学生に対して、韓国人としての自覚を促している。日本の韓国併合に抗議する前に韓国人自身が考えなければならないことがある。
日本の韓国併合に対してアメリカもイギリスも誰も抗議しなかった。世界は当然のような顔をして受止めていた。それはなぜか。日清戦争のとき、清国軍がソウルを占領しても韓国人は戦わなかった。
だから日本が戦って清国を追い払った。ロシアが入ってきた時もわれわれは戦かわなかった。日本軍が血を流して戦い、朝鮮からロシアを追い出した。だから日本はこれ以上トラブルは嫌だと朝鮮を併合してしまった。
これに対して世界の列強は、日本がそうするのも無理はないとして一言も文句を言わなかった。このことを忘れてはならない。
韓国は自ら亡んだのだ。日本の悪口を言い、責任を日本に押し付ける前に、われわれは戦わなかったから亡びたことを知らねばならない。」
 名越ニ荒之助「日韓2000年の真実」国際企画昭和55年、私は学生を連れて韓国を訪問したことがあります。その時会った某大学の学長(本人の要望があり、特に名を秘す)の言葉。

604マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:20:11 ID:gShFh9T6
伊藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。
彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。
 伊藤公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。そこには 改革、公正、斡旋があった。(李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りがそこでは救済されるはずであった。
 「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、両者の間に正義がおこなわれる ようにすべき立場に立っていると思う」と公はそう言明したのである。
カナダ人ジャーナリスト フレデリック・アーサー・マッケンジー   1906年 ロンドン・ディリーメール紙
 韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳
を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代 から光明世界に導かれ、
未開時代から文明時代に進むべく手をとられて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、
彼らの生命財産は確実に保護 されつつあって、あらゆる面において、三年間に二倍の進歩を遂げた。

宣教師 ラッド博士
605マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:22:03 ID:gShFh9T6
日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れて しまったかもしれないが、
日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それに促されて行動したのだ。日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」 を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていたのはすべて、
韓国政府と締結した条約にもとずくものである。
 1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」したからだった。パールハーバー(真珠湾攻撃)以前は、
日韓関係について 語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細かいころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。
トリート教授に よれば日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げてきた
そして宣言ではなく、条約で、最終的な併合を達成したのである」。
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」 手続きを踏んでいなかった。

606マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:23:40 ID:gShFh9T6
日露戦争後、アメリカは「事実の論理」を認め、韓国から代表を引き上げた。
韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は「韓国は自主 統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。
日本によって「その後三年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの 賞賛を勝ち得るような改善が多く実現された」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。
 日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、 日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王 は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。
  韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは 中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。
極東のこの戦争(日清戦争・日露戦争)を取り巻く状況には注目すべき
 ことが多い。中でもとりわけ目立つのは、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶり である。我々は不本意ながら、
日本のすべての人間の行動を支配し動かす精神力の存在を認めざるを得ない。この力はいったい何なのか。
その存在 を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。勇気は西洋にとっても珍しいことではない。が、これは単なる勇気ではない。
その背後 にもっと違う何かがある。もし、西洋の軍隊がそれをもっていたら、西洋のすべての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったであろう。そういう 何かである。これは何か。これは何か。これは何か。・・・・・
             1904年10月4日 ロンドンタイムズ紙

607マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:27:41 ID:gShFh9T6
劣等朝鮮奴隷猿のコンプレックスの理由

日本に併合を頼んで支配してもらった 日本に近代化してもらった
悲惨な属国奴隷の歴史が恥ずかしい 百済時代も日本の属国
国旗の由来が属国旗 奴隷と売春婦の子孫だ
日本の莫大な援助のおかげで発展できた 日本海表記が悔しい
竹島問題で論破されっぱなしで悔しい 歴史捏造民族だ
世界的に有名な文化がほとんどない そもそも韓国の存在自体がマイナーで、認知度が低い
日本文化が世界中で大人気で悔しい 偉人が少ない日本人を韓国系と捏造して自慰している
身体能力が日本人より劣等 競争の激しいメジャー競技で金メダルを獲得できない
日本が世界2位の経済大国・先進国で悔しい 先進国首脳会議に参加できない
労働時間は日本よりずっと長いのに貧乏で生活の質が低い 家が狭い
受験地獄、兵役、労働地獄が辛い 韓国の大学は低レベル 日本人より寿命が短い
移民希望者が大量にいる 不衛生で下品な国 娯楽が少ない退屈な国 田舎臭い
人口が日本より少ない 領土が日本より狭い 科学技術が発達してない
世界を驚かせる斬新な新発明がほとんどない 世界で韓国の大企業が日本企業として認知されている
一生懸命稼いだ貿易黒字の半分を日本に貢いでいる ノーベル賞を全然獲得できない
黄教授の世紀の捏造が恥ずかしい チョスンヒが恥ずかしい 世界3大映画祭で最高賞を獲得したことがない
海外で韓国を扱った映画がほとんど作られない 韓国女性を慰安婦(売春婦)として売り払った
韓国女性が日本を含む世界中で売春している 幼児輸出大国として有名
整形大国として有名。若い女性の多数が整形 顔が巨大で一重で不細工
強姦大国として有名 差別大国だ 武装強盗団を日本に大量輸出している
嘘吐きが多い 日本語を高校生の55%が勉強
いつもいつも日本を意識し、日本のことを考えている。しかし大半の日本人は韓国を意識していない
日本は肯定的影響国として世界中から評価されている(BBC調査)同調査で韓国は調査対象外
日本男性と韓国女性の結婚数>韓国男性と日本女性の結婚数
民度が低く、世界中で恥を晒している 海外の空港の入国審査で差別される
日本のpakuriしかできない国 9cmだ 朝鮮奴隷猿だ
608マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:31:15 ID:gShFh9T6
1637年 仁祖(朝鮮王)清に降伏。清の圧倒的な兵力の前に朝鮮軍はなすすべもなく惨敗を重ね、わずか45日で降伏。良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、
偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。明に替わり、清の皇帝を認める。我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、
この石碑を建てることにする。(大清皇帝功徳碑)。
朝鮮通信使
1840年 清と英国との間でアヘン戦争が勃発。
1842年 清がアヘン戦争に敗れ、衰退化。南京条約。香港の割譲など半植民地化の起点となる。