2 :
マンセー名無しさん:2007/12/14(金) 05:11:17 ID:ZWBxyGWF
>>1 スレ立ておつ!
あと併合前の日朝の人おつ!
初めての2げと
グリリンの「とっておき」つーと、ヒトラーの尻尾のことですよ。
5 :
夜船:2007/12/14(金) 21:50:27 ID:xAYyTMO5
晩御飯なに食べた?
6 :
六四六 ◆AUtW056hW. :2007/12/14(金) 22:04:20 ID:Ee0xiuUW
どーなつ
7 :
マンセー名無しさん:2007/12/15(土) 01:52:54 ID:qRGaTtFT
前スレ「併合前の日朝」お疲れさまありがとござっす。
新スレにてお茶いれてお待ちしてま。
伸びないな
「併合前の日朝」の中の人が運営しているサイト発見。
うーん、なるほどね。ほとんど一次資料に基づいているのね。
11 :
マンセー名無しさん:2007/12/16(日) 10:08:30 ID:ETauR51D
前スレもう落ちたのか。
「併合前の日朝」を最初から読みたい人は、きままに歴史、修正追加、をポチっとな。
>>1 乙です。
>>7 頂きます。ズズー♪
併合前の日朝(続き)
で、この明治15年朝鮮事変を井上外務卿も「暴動に先だち大院君、回文を派した
ること暴挙の原因にして」と言っているように、いろいろ資料を検討しても「大院君
の乱」であったことは確かだぉ。
「壬午軍乱」?、いえいえ民の乱でもあったし、要するに「大院君の乱」という名称
が正当かと。
儒教の国である朝鮮は、国王不徳のときは民にも謝罪せねばならないルールがあっ
たらしい。9月2日に朝鮮国王高宗が八道四都の人民に諭告を発した。それには「こ
れ予の罪ニダ」の語を添えて延々と謝罪する文もあった。(「朕」と言わずに「予」
と言っているのがミソ)
国王「土木工事で貧富の者を困らせたニダ。これ予の罪ニダ」
というように。
中に、
国王「祈祷を過信して金蔵を空にしたニダ。これ予の罪ニダ」
とある。これ、おそらく閔妃のしたこと。
日清戦争終結後の明治28年、清国のある銀行に預けてあった閔妃名義の預金がう
ん万円あったのだが、どんどん引き出されているのを知った日本政府が調べたところ、
閔妃は連日宴会を開いていて、それに支出していた、というのが資料にある。
朝鮮王妃がいろいろと金遣いが荒かったのは確か。
(続き)
大臣「王様、宗主国様への貢物ですが・・・・ニダ」
国王「ん?」
大臣「お金が・・・・ないニダ」
国王「毎年のことニダ! 今年も待ってもらうニダ!」
紙が5千巻、カワウソの皮が4百枚、鹿皮百枚、その他、敷物、や麻布、綿布、米
、もち米などなどが調達できなかったらしい。
王妃「ほほほほーニダ!♪ そんなの知らないわ♪」
国王「はぁー」
大臣「それに、日本への賠償金支払いの期日も迫っています」
国王「そもそも日本貨幣なんかないニダ。日本から借りるニダ」
朝鮮政府「お金貸すニダ」
横浜正金銀行「なんぼでっか?」(なんで横浜で大阪弁なのかは追求しないようにw)
朝鮮政府「たった17万円ニダ」
横浜正金銀行「大金でんなぁ。うちも困っとるのに」
井上外務卿「大蔵省からそちらに回すぉ」
大蔵省「国費も困っとるんですが」
井上「仕方ないぉ。朝鮮に条約を守らせるためにも必要だぉ」
大蔵省「しぶしぶ。けど17万円て半端な額ですなあ」
井上「なんか残りで日本から器械買ったり、鉱山開発するらしいぉ」
けど、それに金玉均がかんでいたらしく、後に無駄金となって井上を大いに失望さ
せたりもした。
14 :
マンセー名無しさん:2007/12/17(月) 00:45:05 ID:T3k1LX4d
(続き)
さて、明治16年1月、仁川は開港した。
日朝条約では明治10年10月の約束であったが、それから5年以上の月日と手間
と膨大な経費が費やされたことになる。その上多くの人命までが。
金宏集「・・・だいたいウリの国の習慣は官民共にらちがあかないことは日本人も知
っているはずニダ」
う〜ん、それはそうなんだけどねえ。
(つづく)
だから
>>13はグリリンにとっておけとアレほど(tbs
知らないぞw
>>15 このスレはたくさんのファンがいるから無粋なことはしないほうがいいと思われ....
18 :
マンセー名無しさん:2007/12/18(火) 18:54:04 ID:b0WwZ/hT
446 :名無的発言者:2007/12/18(火) 18:51:45
およそ100年前の1910年(明治43年)に日韓併合
日本政府から朝鮮総督府への通達文書
朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。 朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。
勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。
朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。
朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。
朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。
殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。 朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。
公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。 朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。
朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。
朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。 朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。
朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、
最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。 朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。
朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。
朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。
朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。
朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。
19 :
マンセー名無しさん:2007/12/18(火) 18:54:26 ID:b0WwZ/hT
447 :名無的発言者:2007/12/18(火) 18:52:06
--------------------------------------------------------------------------------
この通達文書が今日出されたと言われても不自然さは全くないのが凄いところだ。
朝鮮人はこの100年間、インド人も吃驚するほど成長していない。
最後に、福沢諭吉先生の脱亜論より
「我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり!」
20 :
マンセー名無しさん:2007/12/18(火) 19:16:21 ID:BjQWO6VD
それ、ソースは?
少なくとも後半は捏造じゃないかなあ。言葉遣いが一致していないし
一部おかしいと思われる点もある。
まぁ、今日版通達としてはいいんじゃないかと。
>>1の一番上のリンク先の女の人はなんで胸出してるの?
ママンだから。
>>24 正確には、「世継ぎたる男子を出産した女性」ですね。
併合前の日朝(続き)
さて、事変処理が済み近藤真鋤は代理公使として京城に駐在した。また護衛兵とし
て陸軍2中隊が駐在。しかし散歩も許さず禁足とした。一方、清国の兵は3営150
0人ほどが駐在したが、自由に市内を横行した。
南大門大路には、ぼろ小屋のような藁葺きの粗末な店舗が多く並んでいた。肉屋、
穀物店、魚菜商、布売り、本屋、骨董店、陶器店など。
清兵「この布はいくらアルカ?」
朝鮮人「言葉分らんニダ」
清兵「これでいいアル(チャリン←銅銭を放る音)」
朝鮮人「こ、これでは足らんニダー!」
清兵「あーん? 何か言ったアルカ?」
朝鮮人「・・・こ、これでいいニダ、ブツブツ」
ところで、朝鮮では銅銭は殆ど流通していなかった。買い物はほとんどが物々交換
であり、特に大量に物資が集る定期市場ではそうであった。これらは日本商人が参加
することを困難なものとさせたが、仁川居留地が整うにつれ京城まで進出して商売を
する日本人も出てきた。
朝鮮人「清人は威張っているニダ。特に兵は最悪ニダ」
朝鮮人「女とみたら見境無しに犯しているニダ!」
朝鮮人「宗主国さまだから仕方ないニダ」
朝鮮人「ウリの国は独立国じゃないニカ!?」
朝鮮人「誰がそんなこと言っているニカ」
朝鮮人「日本人が言っているニダ。清人にぺこぺこすることはない、堂々としていろ
と言っているニダ」
朝鮮人「日本人は付き合うと気持ちのいい人が多いニダ」
朝鮮人「兵も悪さしないし。野蛮国の人間にしてはきちんとしているニダ」
(続き)
実際、この頃は清人とくに清兵の乱暴が際立ち、あちこちで押買いや強姦をはたら
く声が聞かれた。一方、日本兵は規律厳しく公務以外に出歩く事はなく、道で出会っ
た清兵が乱暴な言葉を投げたり、横柄な態度で接しても、日本兵は決してそれを取り
合わずに我慢する態度を取り、それが朝鮮人から見て日本人を信頼する雰囲気を醸し
だしていた。
勿論、事変後まだ間もない。特に日本側は朝鮮人や清人を刺激しないことに気を使
わざるを得ない。しかしそれのみでなく、日本国が目指しているものと清国との違い
があった。西洋技術のみを取り入れて国力の強化を謀るという洋務運動に取り組む清
国と違い、日本は国家そのものを近代化しようとすることにあった。近代化とは、要
するに西洋文明に染め上げていくことに他ならない。道徳、政治、法律、技術など万
般の西洋化である。当然、生活習慣や思考方法、善悪の価値判断にまで及んでくる。
軍隊で言えば、個々が勇猛であることよりも、何より規律を厳格に守り、組織とし
ての命令系統に忠実であること、上官の指揮に一糸乱れず従うこと、兵としての意識
を厳格に保つこと、などこそが重要であった。
かつて江華島事件処理のために黒田全権が派遣された時、
黒田「やはり増兵を望みもうす。ただし俺らを兵として連れていけ、と言っとる士族
の連中は断りもうす。我が正規の軍でお願いしたい」
三条太政大臣「今さら増兵なんか出来かねまするでごじゃる。とにかく朝鮮に上陸し
てあちらの大臣たちと話すでごじゃる」
というやり取りがあったが、旧サムライがどれほど強くともそれだけでは明治の軍隊
ではもう使えないのであった。
(続き)
一方清軍では個々の強さが重んじられ、紀律は低く悪事を働くものが少なくなく、
特に戦闘となるとまるで切り取り強盗の集団のような様相を呈した。時に清軍提督が、
見せしめに悪事を働いた兵を斬首の刑にしてさらし首とするという軍律を示したが、
無駄であった。その制度も精神も古代の人々であったからである。
これが日本軍と清軍の違いであった。
さて、大院君を拉致して宗主国の威厳を見せた清国政府は朝鮮国に次々と命令を発
し、軍隊の調練、鉱山開発、外交顧問官の派遣などその指導を強化した。
さらに中朝条約として、朝鮮が中国の属国であることを明文化した「中国朝鮮商民
水陸貿易章程」を結ばせて、その宗属関係を強化した。
日本政府内「今度の条約だけど『朝鮮はずうと昔から中国の藩だぞ』とか『こんどの
条約は中国が属国を優待するものである』とか『中国と朝鮮でやりとりする手紙には
、必ず中国を天朝と尊称するか、上国という字を使え』とかあるけど」
日本政府内「北洋大臣と朝鮮国王を同位置にも書いていますねえ」
日本政府内「つまり朝鮮国王は清国大臣と同地位らしい」
日本政府内「朝鮮は、我が国とは独立国として結び、中国とは属国として調印するか」
日本政府「ほんとわけわかめ」
(続き)
で、その朝鮮政府内であるが大院君なき後、勢力争いが盛んになってくる。
公使館員「公使、閔台鎬が邸宅に招待したいと言ってるすが」
近藤「断っているのにまたか。大院君がいた時は大院君に媚び、今度は日本に媚びる
か」
館員「大院君に味方してしまったから、清側に頼るわけにもいかんでしょうしねえ。
何でも、閔族なのに王妃を裏切ったとか」
近藤「うん。王宮に戻った王妃から告発されて、国王も王宮の出入禁止としたらしい」
館員「それだけっすか! よくまあ首がつながってますねえ」
近藤「それは一応は閔氏一族のボスだから」
館員「今も閔族の時代ですかねえ」
近藤「王妃の一族が大権を得て実質の執政者となるのがこの国の伝統さ」
大院君が除かれたことにより閔一族は勢力を盛り返していた。つまりは政府は閔族
の意向に左右されることになる。近藤は遂にその招待を受けることにした。
閔台鎬「公使、歓迎ニダー! よく来られたニダー!」
近藤「王宮には行っていないとか」
閔台鎬「そそそのことニダ。ウリは反省しているニダ。公使からも王様に言って欲しい
ニダ」
近藤「・・・反省ねえ」
閔台鎬「公使が来られたことでウリの反省が証明されたニダ」
近藤「何それ!」
30 :
マンセー名無しさん:2007/12/18(火) 23:17:26 ID:Fl9jL/af
(続き)
その後国王から、近藤公使か保証するかどうかによって閔台鎬を復帰させる意向で
あることを言ってきた。
近藤「そんな一度会った位で保証なんかできないよねえ」
館員「嘘を言うのが常道の人たちですから本心は分らんです」
近藤「それに清軍提督は彼が大院君と通じていたことを知っているし」
事変以来、閔族の台頭のみでなく政府そのものが3派に別れた。清国に事大する支
那党、大院君と通じていた守旧派である頑固党、そして日本を頼ろうとする開化派で
ある。支那党は清国の洋務運動に倣いゆっくりと開化することを思っていたし、開化
派は急進的であろうとした。守旧派はやがて粛清されてその勢力を減らし、また開化
派はごく少数であり、勢いは支那党が圧倒した。
日本政府内「朝鮮はドイツ人で天津副領事だったモルレンドルフを政府顧問として雇
ったけど、うちは京城の正式の公使は誰にしもそうか」
日本政府内「前に天津総領事だった竹添進一郎はどうかね」
日本政府内「ああいいっちゃねえ。モルレンドルフとは面識があるし、なんと言って
も親中派の人だし京城の清軍提督たちともうまくやるっちゃ」
竹添は漢文学に堪能で、李鴻章がその優れた漢詩に敬服したという人である。
明治16年1月、かくて竹添は弁理公使として京城に。
竹添は赴任早々、1大隊から2中隊に減じていた公使館護衛兵を更に1中隊に減じ
るように日本政府に上申した。
竹添「兵士の紀律は厳格で、清軍ともトラブルはなかごたるです。今、兵を減じれば
清国政府も安心しまっしょう。それにこの地は不潔で兵に病人が続出しとるようです。
兵を減らしてはどげんでしょうか」
日本政府「OK.そうするっちゃ」
(つづく)
31 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 04:41:00 ID:RvaiHrDd
●日本統治35年と、その前後=李王朝と南の軍政&北の金王朝体制を比較せよ!●
韓国人は、日本統治から脱したことを『光復』と言っているが、とんでもない妄言である。
李氏朝鮮は、強欲な特権階級が贅沢三昧ヤリタイ放題の暗黒土民王国であったのだ。
しかも、人口の約4割もが奴隷(奴婢)で、彼らは激務を強制され金銭で売買されて、
暴行・強姦されまくりで人権のカケラも無い牛馬以下の存在だったのである。
さらに、一般農民も重税に耐え切れず、無人島や満州・沿海州に逃亡する者が続出していた。
…こんな調子だから全国民の団結を必要とする、急務の近代化を出来るワケがない。
故に朝鮮政府は、自国より100年も進んでいる日本に自分達の近代化をお願いしたのである。
※日韓合邦は両国政府の合意の下に締結された国際条約であり、反対した外国は皆無なのだ。
だから日本は莫大な国家予算を投入して、特権階級の贅沢三昧で破綻状態にあった朝鮮の
財政を立て直しただけではなく、道路・堤防をつくり、鉄道を敷き、農地を開拓し、上下水道を
つくり、工場を建て、近代都市を築き上げたのだった。
さらに身分制度を廃止して、虐待され続けてきた奴隷・民衆を解放し、地方議員は選挙で決め、
農民の5割以上に耕地を与え、学校を建てて近代国家の国民にするべく日本が200年かけて
体得した西洋の学問と、日本語・ハングルの読み書きを惜しげもなく教授したのだ。
そして、伝統的に路上脱糞を好み不潔極まる朝鮮人に粘り強く衛生観念を教え込み、呪術師の
マジナイを禁止して西洋医療を導入した結果、伝染病が激減した上に、食料輸入・増産によって
餓死者を出さなかったので人口が倍増したのである。
以上のように、日本統治時代ほど朝鮮民衆にとって輝かしい時代は他には無いのだ。
糞まみれでのたうち回っていた朝鮮民衆が、日本によって極悪非道の李王朝による圧政と、
禍々しい土民の因習から解放され、自由を手に入れて近代文明の恩恵に浴した事実は、何人
たりとも否定することが出来ない歴史上の真実である。
それは日本から独立後に、南北両政府によって殺された朝鮮人の数が500万人以上である
事実から見ても、明らかである。
>>31 >故に朝鮮政府は、自国より100年も進んでいる日本に自分達の近代化をお願いしたのである。
朝鮮は日本でいう律令時代前だから奈良時代前に相当。荘園時代も封建時代も経験していない。
100年どころか、約1200年以上前の日本のようなもの。
33 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 10:32:49 ID:HvaV7Qok
韓国大統領候補のマニュフェスト〜まとめ〜(コピペしまくっておk)
鄭東泳 …世界シェア70%以上の日本アニメの半分を奪う
李明博 …北朝鮮に日本の金を4兆円出させる
許京寧 …自称わたしのIQは430
高建 …韓日海底トンネル建設させる
国の大事を5年も預けるというのに歌って踊ってバカ丸出し。
選挙に行かない日本よりひどいなwww 福田がまともに見えてきたwww
しかし韓国の日本好きは異常だよここまで来ると。
34 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 10:43:22 ID:By+5xUVq
214 :名無的発言者:2007/11/06(火) 15:18:56
韓国初10万ウォン紙幣肖像は強盗殺人犯!
2007/11/06 14:11
韓国人学生チョ・スンヒによるバージニア工科大学大虐殺事件の温床は、韓国の国民性、・民族性だろうとつくづく思う。
韓国紙幣には、いわゆる1万円札が今までなかった。日本で例えると、もっとも高額紙幣は千円札だった。韓国の紙幣は現状1000ウォン(約130円)、5000ウォン(約660円)、10000ウォン(約1330円)の3種類しかなかったが、
今回10万ウォン(13290円)紙幣の発行が決定した。
日本で5万円くらいの買い物をするさい、サイフから紙幣を50枚出さないといけないと考えると大変だ。今まで10万ウォン紙幣がなかったことのほうがある意味、不思議だった。
ところが韓国国民の宿願だった10万ウォン紙幣の肖像にろくでもない強盗殺人犯が選ばれた!その強盗殺人犯は金九(キム・グ、1876年8月29日 - 1949年6月26日)という。盧武鉉大統領がリンカーンとともにもっとも尊敬する人物らしい。
どうやら10万ウォン紙幣は盧武鉉による最悪のおき見上げになりそうだ。
金九は1896年、何の罪もない日本人土田譲亮を集団で暴行・殺害し金品を奪った。金九は強盗殺人犯として逮捕されるが、そのさい土田譲亮強盗殺人を乙未事変(閔妃殺害事件)に対する日帝・日本人への懲罰と主張した。
だが土田譲亮は乙未事変とまったく関係のない人物だった。強盗殺人で逮捕後、後付けで理由を考え出したのだ。金九は死刑判決を受ける。その後特赦で減刑されるも脱獄する。
金九は1932年の東京における李奉昌の昭和天皇暗殺未遂事件、上海における尹奉吉の上海派遣軍司令官白川義則陸軍大将暗殺事件など、日本政府要人を狙ったテロを指導したとされる。まさにビンラディンのような人物だった。
しかし国家を象徴するような最高額紙幣の肖像に普通、強盗殺人犯を選ぶか?もう絶句だ。これが大韓民国という国家の品性だ。また暗黙のメッセージとして、日本に対する強烈な憎悪の念が伝わってくる。
35 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 10:44:00 ID:By+5xUVq
韓国における国民的偉人は殺し屋ばかりだ。安重根しかり、金九しかり、尹奉吉しかりだ。日本でヤクザ2人を殺害した在日2世金嬉老も釈放されたさい、
韓国では国民的英雄に祭り上げられた。金嬉老はその後韓国で殺人未遂と放火で逮捕された。それみたことかと、大いに笑わせてくれた。
韓国における国民的英雄は人殺しだらけだ。だからバージニア工科大の事件が起こるのだ。
しかし金九を最高額紙幣の肖像に選ぶという話に対し、日本の外交筋はきちんと圧力をかけたんだろうか?
金九を紙幣の肖像に選ぶなど、日本に対する憎しみを永久に拡大再生産させようとする試み以外の何ものでもない。
戦後60年以上も経って、今やるべきことなのか?
36 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 10:46:58 ID:By+5xUVq
ンペッペの件 再度
イザ今韓国では「パ」だの「ピ」だの「プ」だの「ペ」だの皆トラブル続きだ。いや、トラブルは「ピ」と「ぺ」だけだった。
ヨン様ことペ・ヨンジュンが高句麗の広開土王を演じる「太王四神記」が事実上、無期限延期に巻き込まれている。
韓国の歴史研究はアカデミック0(ゼロ)、ナショナリズム100だ。
広開土王の時代、中国にあるあの有名な広開土王碑を読んでも、中国の国史「宋書」を読んでも、日本の「古事記」「日本書紀」を読んでも、
ズバリ朝鮮の「三国史記」を読んでもすべてが朝鮮半島に日本の強烈なプレゼンスがあったことを書いている。アカデミックな立場から任那日本府の存在は否定しようもない。だが韓国の歴史研究は「ウリナラマンセー」ナショナリズムオンリーなので、
任那日本府を完全否定する。日本においても戦後、皇国史観のみならず過去を全否定する風潮の広がりと左翼史観の蔓延、および朝鮮人が怒るからという「外交的配慮」によって任那日本府の存在を否定するようになった。学問が政治的にねじ曲げられた。
広開土王が日本を大敗北させたことは、韓国人にとって痛快であり、是非ドラマでも描きたいだろう。だがそのためには朝鮮半島の南側、ほぼ今の韓国の国土が日本の属国に成りはてていたという真実を描かざるをえない。
千数百年前、ほぼ今の韓国の国土にあたる部分が日本の支配下にあったという真実は、豊臣秀吉の日明戦争(文禄・慶長の役)や1910年の韓国併合が侵略ではなく
奪還だったというニュアンスをかもし出す。
37 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 10:51:33 ID:By+5xUVq
新しい中国歴史教科書、韓国関連内容を全て削除 教科書 | 高句麗
中国吉林省の延辺朝鮮族自治区の学生が学ぶハングル版の歴史教科書『世界歴史』のうち、高句麗史をはじめ韓国の前近代史の内容が完全に削除されていたことが明らかになった。
削除されたのは今年9月の新学期からで、昨年8月に中国外交部がインターネット・ホームページで、1948年以前の韓国史をすべて削除したのと同様の措置だ。
最近、中国を訪問した?基洪(ユ・ギフン)議員(ヨルリン・ウリ党)は10日、「延辺教育出版社の新しい中学校教科書『世界歴史』で、三国時代から朝鮮時代までの韓国史の部分(今までの教科書では2ページ分)をすべて削除したことを確認した」とし、同教科書を公開した。
このような行動は、高句麗史の歪曲内容を教科書に収録しないという8月の韓中間「5か項の口頭了解」の基本精神に反するもので、高句麗を『世界史』ではなく『中国史』に組み込んだ教科書を出版するため、事前に布石を打って出たものと解される。
『世界歴史』は2003年に発行された人民教育出版社の『世界歴史』を翻訳した本で、中国語版は中国全域で採択率が50〜60%に達する主流教科書。
中国語版では2003年からすでに韓国に関する部分を削除していたという。
38 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 10:51:58 ID:By+5xUVq
>>352「東方儀礼の国」の真の意は・・
さて、韓国人が誇るものの中に「東方礼儀の国(邦)」とういう朝鮮を指し示す言葉がある。
この言葉の本当の意味を知っている韓国人は少ないのだが、これは中国王朝から朝鮮へ贈られた言葉である。
即ち、中華の天子へ忠実に諸侯の礼を尽くしてきた朝鮮へ中国が上記の「東方礼儀の国」という言葉を贈ったのである。
直訳すれば「中国の属国として礼節を尽くした国」という意味なのだが、この意味を韓国人は全く理解していないのが、皮肉である。
中国王朝の属国における歴代国王は、原則皇帝の臣下と見なされる。朝鮮国王は中国皇帝によって任命され、中国の朝廷は朝鮮の王妃や王太子の廃立に至るまで、その権限を振るうことが出来たのである。
ちなみにこの当時、朝鮮を実質的に指揮監督していたのは、中国王朝の北洋大臣や直隷総督などである。
つまり国王というのは形ばかりのものであって、決して主権国家の元首として扱われていたのではないのである。
さらに朝鮮国王の中国王朝からの使節の出迎えは余りにも屈辱的である。
満州人の使節が来ると、朝鮮国王は自ら高官を引き連れて迎恩門まで歓迎に赴いて、地面にひざまずいて使節に敬意を表し、宴会を催し、芸を披露して接待しなければならなかった。王太子は慕華館(迎賓館)で使節に酌の礼をするのが最大の役目だった。
39 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 10:57:03 ID:By+5xUVq
チョ賤人とは??韓国人朝鮮人の証言や主張には、話を面白おかしくしたり自分を優位な立場に置くためか、嘘っぽい話や大げさな物言いをし、まぎらわしい表現を意図的に行うことが間々有ります。
そこで、韓国・朝鮮人論の中から、それに言及しているものを紹介します。
「雨森芳洲」 上垣外憲一 1989年 中公新書
◇新井白石の朝鮮観 (江戸中期の儒学者・政治家 1657〜1725) (灰色文字は本文になし)
日本に送られてくる通信使は、日本向けには将軍の襲位祝賀をうたいながら、朝鮮の文献を読んでみると、敵情探索を目的としている。これは恩義を忘れたものである。
大体、朝鮮は信義のない国であって、明が清に攻められた時も一人の援兵も送ろうとしなかったではないか。「夫朝鮮狡黠多詐、利之所在、不顧信義、蓋○狢之俗、天性固然」
(朝鮮人は狡猾でいつわりが多く、利のあるときには信義をかえりみない。狢(むじな=タヌキの異称)の類の風俗は、天性からしてそうなのである 「国書復号経事」)。
白石の通信使待遇格下げの根底には、このように朝鮮を軽侮する心理が働いている。日本の文人たちは、朝鮮のことを礼儀の国などといって持ち上げているが、
歴史に照らしてみれば、かくのごとく信義のなき国である。そうした国の使節をそれほどまでに優遇することはない。こうした論理である。
40 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 10:57:55 ID:By+5xUVq
406 :名無的発言者:2007/10/31(水) 00:47:32
「朝鮮幽囚記」 ヘンドリック・ハメル (生田滋訳 1969年 平凡社東洋文庫)
(ハメルはオランダの船員で、長崎へ向かう途中船が難破して朝鮮に流れ着き、1653〜66年の間出国が許されず朝鮮に留めおかれていた。)
この国民の誠実、不誠実および勇気について
彼らは盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。
「新・韓国風土記 第1巻」 ソウル市根の深い木社編 安宇植訳 1989年 読売新聞社
両班階級は常民との約束は到底信用できないもの、彼らに誠意や真実、信義や正直、良識などの徳目を期待するのは無駄なことと決め付けた。さらには、そうした徳目を悪魔に売り渡した階層として扱うより他ないとまで認識するようになった。
常民階級が徳目に背を向け… したがって彼らは、ほんのわずかでもおのれの利益につながると判断すると、喜怒哀楽の感情を度が過ぎるほど、行為や言葉によって示した。
大声を張り上げたり、暴言を吐いたり、下卑た言葉で口汚く罵倒したり、時には腕をまくったり拳を振り上げたり、目を剥いて睨んだり胸ぐらを掴んだりするのもそのためであることが少なくなかった。
そうしてこうした粗野な言動こそが、しばしば彼らに利益をもたらしたのである。
コピペウザイよ。
42 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 11:06:40 ID:By+5xUVq
朝鮮民族と二度と繰り返してはいけない未来
韓国は過去に、戦争で中国やロシアに殺され、占領されるのを恐れ、戦いもせず、日本国にまるで難民の様に救済(併合)を求めたという事実がある。
それが現代では日本が韓国を残虐な行為で戦争をし、被害を与えたという様な真っ赤なウソに塗り替えられている。 そのウソを根拠に日本にインネンを吹っかけ、
(本来なら感謝すべき)日本に保証や賠償を求めるとは本末転倒である。
我々日本も、アメリカと同じく、韓国(朝鮮)民族を非常識民族として今まで以上に厳しく取り締まる時が来ているのだ。
そして(歴史を教訓に)二度と韓国とはむやみに近づく事は無い。 我々はお互い他人である事をしっかりと認識しなくてはならない。
その上で、朝鮮が救済を求めるなら、頭を深く下げてお願いするというのが筋だ。
「やってもらって当たり前」という(韓国伝統の)鬼畜的思想はもう終わりだ。
国家間の友好というのは、韓国のデタラメで一方的に(お人よしの)日本が騙されている状態ではあり得ない。
今の強引な二国間の寄せ付けは、日本に韓国が今までやってきた全てのウソとデタラメを認めさせるという卑劣な策略以外の何ものでもない!
43 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 11:10:38 ID:By+5xUVq
韓国の評論家 金満哲
同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。
「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。韓国の近代化
は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。
「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。
同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の
抵抗はあったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとした
のだ。「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れて
ものも言えない。誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに
強制的に独立させられたというのが真実だ。「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。
日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。これだけ
お膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。
「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」
なるものがあったのか。併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。
現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。虚飾と偽善と歪曲とおごり
に満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。このような韓国の本質を知らず
「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足している本国、在日の韓国人は正気の沙汰
ではない。これが恥でなくてなんであろうか。
44 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 11:20:37 ID:By+5xUVq
41ブサヨの辻momoチョン助か
>>44 ホントにウザイ
このスレはいつも楽しみにしているからコピペは遠慮してくれ。
46 :
マンセー名無しさん:2007/12/19(水) 11:26:47 ID:By+5xUVq
おい、反日チョン系さんよ
48 :
マンセー名無しさん:2007/12/20(木) 06:47:20 ID:XvdiM9si
日清戦争勃発
この背景を知るためには、満州国建国(1932年=昭和7年)から七十有余年(1860年頃=安政、万延、慶応年間)を遡ることになる。この頃の露西亜帝国は、すでに沿海州を手中にし、更に満州、朝鮮半島へと触手を伸ばしつつあったのである。
一方朝鮮の李王朝は、政治の腐敗と国土の荒廃著しく、常に清国の属国として宗主国の顔色を窺いつつ、強大な露西亜の脅威にも曝され、国家としての命運は将に風前の灯であった。
朝鮮の自主独立は日本の安全には欠かせない最低限の要件であり、そのための支援・援助は惜しみなく与える覚悟の日本であったが、李王朝は朝鮮各地で起こる内乱の鎮圧に手を焼き、
1894(明治27)年、宗主国と仰ぐ清国に鎮圧軍派遣の要請をしたのである。これは、李王朝の清国への従属姿勢を改めぬ、小中華思想に塗(まみ)れた日本国軽視の顕れでもあった。
日本国は、斯くもやあらんと1882(明治15)年、李王朝との間に「済物浦(さいもっぽ)条約」を、更に1885(明治18)年、清国との間に「天津(てんしん)条約」を締結していたのであった。
49 :
マンセー名無しさん:2007/12/20(木) 06:47:55 ID:XvdiM9si
かくして日本は、済物浦条約により朝鮮に軍を送り、天津条約無視の清国軍との間に各所で衝突が生起し、1894(明治27)年8月1日、ついに日本政府は対清宣戦布告を発したのである。
こうしてみると日清戦争は、李王朝の小中華思想と優柔不断、独立自尊の気概無きが招いたものと見ることができよう。
1895(明治28)年、日清戦争は日本の勝利に終わり、「下関条約」が締結されて日清講和が成ったのである。かくして、賠償金のほか遼東半島、台湾、・u梭カ弌覆曚Δ魁・・┤列島の割譲と朝鮮半島への清の関与を排除せしめたのである。
余談である。李朝第三代国王・太宗の治世(1401年)に、支那の明から正式に朝鮮国王として冊封されているが、「朝鮮」の国号は1393年、明から朝鮮王代理として「権知朝鮮国事」に封ぜられた折に定めたものである。
朝鮮が支那の冊封体制下より離脱し得たのは約五百年後(1895年)の日清講和条約(下関条約=明治28年)によってであった。1897年、李王朝は国号を「大韓帝国」と定め、
1910(明治43)年の日韓併合時まで使用している。勿論韓国の教科書はこのことを教えてはいない。
併合前の日朝(続き)
で、竹添公使着任1ヶ月余りでの報告から。
・ 清国政府が京畿道と江原道の鉱山の調査をしたが、設備投資として数千万両が
必要であり、しかも採算が合うかどうかも不明。清国は開発する気なし。
・ 朝鮮人が購買している外国品はほとんどが金巾(西洋高級木綿)であり、日
本製品としては染色した平絹布と銅が主。
・ 貧しいから購買欲がない。政府の領議政(総理大臣)ですら月給は米・大豆・
銅銭合わせて90円である。(日本軍少尉並みであるが、この国では別収入として賄
賂などがある)
・ 茶は葛根湯に類似するものを用いる。もとより茶樹はない。砂糖も無い。
・ 王宮で用いる器具でも、骨董品でも、市場に出る雑貨品でも、目に止まるもの
がない。
・ 富あらば奪われ、命まで取られる。ゆえに人々は貧に甘んじて、ただその日の
腹が充つることを思うのみ。
・ 朝鮮人は上下貧困、且つ怠惰であり、開化は覚束ないだろう。悪習を改めなけ
れば農業も産業も発展することはない。
・ この国を「腐敗」の2字を以って表しても誤りではない。
早くも朝鮮の現状に失望する竹添公使であった。
(続き)
さて、日本から帰ってきた朴泳孝は日本に親しみ、竹添公使とよく交際した。
ガラガラガラガラ(大八車の音)
竹添「朴ちゃんあれ何?」
朴 「大八車ニダ。街の道路を廻らせているニダ」
竹添「荷物らしいの載ってないようだけど」
朴 「じ、じつは道路のウンコを拾わせているニダ」
竹添「ウンコー!!」
朴 「イルボンの道路が綺麗だったのに感動したニダ。ウリの国も掃除して文明開化
するニダ」
竹添「なるほどねえ、けど、全然数が足りんよ」
朴 「そうニダ。・・・・みな誰も習おうとしないニダ」
竹添「やっぱ国王から『ウンコ片付け令』みたいな勅令が出らんとねえ」
資料を見る限り、朝鮮人の中で清潔にこだわった人に朴泳孝がいた。後の明治21
年にも国王への建白文の中で、
(朴泳孝)「王様、王妃様の宮殿から街中、道路、橋にいたるまで、ゴミが溜まって
山になり、ウンコがいたる所、金を塗るようにあります。これらは外国人が大いに恐
怖しているもので、また嘲笑しているものでもあります。見た目が極めて美しくない
だけでなく、その蒸気は必ず疫病を醸成するものです」
などと京城市内を清掃するよう述べている。
(ウンコ解説:ウンコは乾くと土色になるが、金色ということは・・・・)
(続き)
朴泳孝はやがて漢城判尹(当時日本の東京府知事と警視総監を併せてたよう職)に
任じられ、南大路のボロ小屋を撤去したりして街の清掃に努めたが、一時的なものに
終わった。
竹添「そういや今度朴ちゃん、政府に働きかけて日本人を雇わせたんだって?」
朴 「そうニダ。福沢先生に英語の教師として、門下生の牛場卓造、井上角五郎、高
橋正信の3氏を紹介してもらったニダ」
竹添「ほうほう、他には?」
朴 「真田謙蔵、三輪廣蔵の両氏からは印刷技術を教えてもらうニダ」
竹添「ああ、官報を新しくするらしいねえ」
朴 「ニダ。井上角五郎君は新聞みたいにしたいと言っているニダ」(←この年10
月に「漢城旬報」を発刊)
竹添「おもしろかねえ」
朴 「本多清太郎氏には建築を習うニダ。元陸軍大尉の松尾三代太郎さんには兵の訓
練を頼むニダ」
竹添「でも兵の訓練は清軍がするんじゃなかったの?」
朴 「尹雄烈さんがイルボンから帰ってきているニダ。元山の方で兵を集めてもらっ
てイルボン式訓練してもらうニダ。あそこの連中は皆屈強ニダ」
竹添「ああ、別技軍だった人ね」
尹雄烈はあれから釜山まで落ち延び、船で下関に来ていたところを日本政府に保護
され、東京で留学している息子と同居していた。
(続き)
竹添公使は、駐在している清軍提督ともよく交際し、特に呉長慶とは格別に懇意にし
た。
呉 「アイヤー、また来られたアルカ」
竹添「うん、漢詩の新しいのを見せてあげようと思ってね」
呉 「公使の漢詩は中国人の我々も感服アル」
竹添「ところで鉱山開発できそう?」
呉 「それアル。朝鮮の利益になるはずアルが、政府が無能アル。自力ではどうにも出来な
いアル。」
竹添「他国に頼むだろうか」
呉 「それもしきらないアル。とにかく人がいないアル。朝鮮にあるのは深い山ばかりアル」
竹添「もっと貿易を活発にして産業を興さにゃならんのだが」
呉 「朝鮮は極めて貧国であるから、通商を開いても西洋人はあまり往来しないだろ
うアル」
竹添「確かに開国しても西洋人は殆ど来んねえ」
呉 「ただロシア人には警戒せねばならないアル。ロシアは朝鮮を狙っているアル。我が
国と日本とで朝鮮を保護するアル」
(続き)
この頃、フランスはベトナム侵攻を繰り返しており、清国も宗主国としてベトナム
を守るために軍の派遣を検討していた。
竹添「西洋人は日清両国が仲の善いのを嫌っとる。貿易利権など覇権を及ぼそうとし
て分断を画策しとるようだ。日本におる西洋人は清国の悪口を日本人に言い、清国に
おる西洋人は日本を悪う言うとる」
呉 「西洋人は東洋全体を狙っているアル」
竹添「日清両国は日頃から友好を尽さんといかん。今はベトナムの問題もあって気が
かりであろう。自分は我が政府に上申して朝鮮駐留の兵を引き揚げるように言おう。
そうすれば清国は後顧の憂いなくフランスと当れよう」
呉 「謝々!!謝々!!」
2中隊を1中隊に減らしたばかりで、その日本政府への上申は適わなかったが、竹
添公使の中国贔屓には甚だしいものがあった。中朝条約で朝鮮の属国を明文化してい
ることに対しても、日本政府へ次のような意見を上申した。
(竹添)「この条約は朝鮮を清の管轄下に置いて清の利益を図るものであるが、歴史
を明らかにすればもともと中朝は300年の主属関係があり、それに基づいたもので
すたい。属国は属国でしょうもん」
日本政府内「あららら、身も蓋もないことを言って」
(竹添)「だいたい朝鮮は清国には属国として仕え、日本には独立国の顔をするとで
す。ちょうど例えれば、廓の妓女が馴染みの客には寄り添いながら、新客にもいい顔
するようなもんです。それを馴染みの客は、これは俺の女だと言い張り、新客は、い
や女には客を選ぶ自由があると言いよるようなもんです」
日本政府内「ちょっ、おま、その例えはどうかと思うぞ」
(竹添)「それでその女の顔をみたらあーた、器量の悪か女ですもん。こんなブスば
相手にして・・・」
日本政府内「吹いた!!」
(竹添)「ですから知らん顔してるのがよかとです。清国は日本に対抗して条約を結
ばせ、兵を派遣し、鉱山開発を検討し、軍の教官を派遣しておるのです。みな清国の
日本への猜疑心から出とるのです」
日本政府内「知らん顔してろって、もう交際ははじまっとるがな!」
(竹添の上申書には本当に妓女の例えが書いてある)
56 :
マンセー名無しさん:2007/12/20(木) 22:32:50 ID:XsmXtXh0
(続き)
竹添は日本政府への報告の中で、清国が抱く日本への猜疑の解消を図ることを繰り
返し述べている。
(しかしそもそも中国人が猜疑心を捨てるなどということがあるのだろうか。相手
を常に猜疑し、そこで嘘を交えて駆け引き逞しく交際することを基本としているのが、
中華文化圏の国ではないんかい?)
とにかく、竹添は朝鮮人と付き合うよりは中国人と付き合うほうが気持ちよいらし
く、呉長慶から逆に、朝鮮政府の要人となるべく懇意にして朝鮮人の疑惑を解いたほ
うがよいと、たしなめられるほどであった。
(つづく)
そう言えば、今日で丸3年でした。
58 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 01:10:17 ID:leT8aLsE
60 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 10:55:43 ID:FRxf2idr
「創氏改名」は、満州や支那本土に移入した朝鮮人が、自身の身分をより有利にするため「日本名」を取得したいという強い要望から始まったものであり、
「強制」であったとはよくも言えたものである。因みに日韓併合は1910(明治43)年、創氏改名の政策が施行されたのは1940(昭和15)年である。兵役についても、
志願兵制度を朝鮮人に適用するのは1938(昭和13)年2月からだが、日本人並みに徴兵を課して欲しいという強い要望のもと、
徴兵が始まったのは1944(昭和19)年秋ごろからであることが当時の新聞紙面から窺い知る事が出来るのである。徴用に関しても、
朝鮮人に適用されるのは1941(昭和19)9月であった。敗戦後日本は、GHQの「朝鮮人全員帰国を達成せよ」の指令に忠実に従い、
政府は万難を排してして船便を提供している。したがって残留者は強制的に連れてこられた者ではなく、希望による残留者であるのだ
61 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 10:56:47 ID:FRxf2idr
旧日本陸軍の朝鮮兵の扱いに関する通達の中に次のようなものがあったという。
1. いつ如何なるときでも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
1. 絶対に頭、体を叩いてはいけない。怨みを持ち復讐する気質があり脱走の原因となる。
1. 清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区分をよく教えること。
1. 危険な状況下では銃を投げ捨て、「哀号(アイゴウ)()!」と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。
63 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 11:18:48 ID:FRxf2idr
>>18-61 朴前大統領
朝鮮人に対する徴兵制度がなかなか適用されなかった理由がわかるような気がする。その点、朝鮮人志願兵は、愚かな一部日本人の苛めや差別の中、民族の誇りを掛けた見事な活躍をしているのである。
軍人に与えられる最高勲章・金鵄(きんし)()勲章授与者に金錫源陸軍大佐、特攻隊員として壮烈なる戦死を遂げた金尚弼氏、日本敗戦後、復員せず日本兵有志と共にインドネシア独立軍に身を投じた梁七星氏など数多の勇士で占められていたのである。
山本 七平氏の著作で「洪思翊(こうしよく)()中将の処刑」を読んだことがある。また名越 二荒之助氏の著した「日韓共鳴二千年」にも幾多のエピソードが記されているが、この高潔なる人士・大日本帝国陸軍中将・朝鮮人・洪思翊(閣下のことを少々。
64 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 11:20:45 ID:FRxf2idr
1946(昭和21)年9月26日、フィリピンにて山下 奉文大将に続いて絞首刑執行さる。(武人に対するに何たる侮辱であろうか。切腹とは言わぬまでも、せめて銃殺を以って行う可きであろうに…。)
「昔より冤死せしものあまたあり 我もまたこれに加わらんのみ」。の辞世をしたた(したた))め、莞爾として十三階段を登ったという。
洪中将は身分、家柄で累進したのではなく、秀でた能力を認められての累進であった。また、朝鮮人としての矜恃(きょうじ)()を保ち、「創氏改名」などとは遥かに遠いところの存在であった。中将は指揮官として赴任するたび、部下将兵に「自分は朝鮮人の洪思翊である。
唯今より天皇陛下のご命令により指揮を執る。異議あるものは申し出よ。」と初訓示したという。
このような、民族として誇るべき人物が、李承晩以降の韓国では顕彰されることなく、「親日派の巨魁」、「民族の裏切り者」、「反逆者」としてしか捉えられないとは、情けなくも 実に哀れな国と思うのである。>>そうだな
65 :
光山文博:2007/12/21(金) 11:25:52 ID:g0dLgcR3
66 :
コピペ&応援たのんます:2007/12/21(金) 18:39:46 ID:BNgT9+VS
67 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 18:39:55 ID:FRxf2idr
明治9年(1876)6月、日本政府は宮本小一外務大丞の朝鮮国京城(ソウル)への派遣を修信使に伝えた。日朝修好条規第十一款に基づき、条規付録ならびに通商章程を協議決定するためである。
京城に至る道路事情
この間の道は1等の官道のようであるが、それでも道幅は2メートル前後に過ぎない。至るところが凸凹であり、車の往来が出来ない悪路である。
また、橋は土橋が多くまれに石橋がある。板橋は見ない。小川の橋が壊れている場合は両側の土手をせり出してそこを人馬とも飛び越して通っている。
しかし、処々で応急の修理がしてあり、行く先々の敷地や建物も洒掃補修してあるのが認められた。我々日本人一行を迎えるための苦労は大変だったようだ。
朝鮮国は豊かでないので賓客を迎えるのにふさわしいことが出来ないと言う。それで、人の口腹を飽くまで食べさせることをもって饗応とするらしい。しかし、
膳台に種々の物をうずたかく積み上げて出すのを見ただけで、まず人をして飽きさせるものである味付けについて 胡麻を多産するので、ごま油をもって百食の調味の元とすると言っていい。
また、たいてい胡椒と唐辛子を加えて調理しており、この2味を用いないものは無いも同然である。それゆえに朝鮮人は咽喉への刺激により、一種の咽喉の病気を受ける者が多いと聞く。
醤油は上品下品とあって、極上品は日本製に及ぶが、値段が高すぎて容易に得ることは出来ないと言う(おそらくは日本からの輸入品か)。下等品は不味くて食せない。
★味醂はない。
砂糖も無いので蜜を代用している。
牛乳は用いない。
68 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 18:43:42 ID:FRxf2idr
宿泊、休憩施設 朝鮮国には旅宿というものがなく、公務ある者の旅は各府衙門(官庁のこと)に泊まり、平民は旅先での適当な民家を宿としている。
通津府の衙門(官庁のこと)にて休息をした。
府使が来て慰労する。彼は汗が衣を濡らすのも忘れて動き回り、膳部を出して饗応した。それは東莢府使の宴饗よりも一層丁寧なものであった。衙門も小さいとは言え、綺麗に洒掃してあり、床には新しい敷物を張り、
外には燈を懸け、簾を垂らして宿泊の備えをしている。その心を用いた様子には実に感じ入った。
糞と牛骨が散乱する王城市街 京城は大河の上流にあり、王城城壁は山の中腹に渡っているが、その地は狭隘であり、人家が密集している。およそ3万戸以上はあろう。
城郭には門が八ヶ所ある。構造が一番壮大なのは崇禮門である。方位から言う場合は南大門と称する。
門内に入れば西北に一大街路がある。幅は20メートル余りである。
市街は大抵瓦屋根の家である。しかしその構造は甚だ雑であり、なおかつ路の両側に矮小の藁屋が列をなす。ゆえに街路の幅を狭くし、またその不潔なこと名状し難い。
69 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 18:46:20 ID:FRxf2idr
汚水が路の中央に溜まり、牛馬の糞がうずたかく積もり牛骨が散乱している。しかし誰も掃除する者がない。夏であるから一層臭気を覚える。
その他の道は、4、5メートル余り。凸凹を修繕するということがない。道路端の溝梁はない。人家が道に出っ張っているのと、引っ込んでいるのとが並んでいて、頗る不整である。
王宮は壮大である。しかし庭には青草が生い茂っている。かつて掃除をしたことがないようだ。建物について
京城での宿は、城郭外西にある盤松洞中軍営の清水館という所であった。(後に隣の天然亭と共に日本公使館となる。)
敷地はおよそ千坪。建物は百坪ぐらい。皆瓦屋根である。館の周囲には竹垣を設けてそれに幕を張って巡らせ、外からも内からも眺望できないようにしてある。館の前面には広さ千坪余りの池があって蓮の葉がまばらにあった。
敷地内に井戸はなく、門外の井戸を使う。ここでは水は良質多量であった。
70 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 18:46:29 ID:BNgT9+VS
test
71 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 18:50:35 ID:FRxf2idr
風呂場と便所 途中の各官庁には風呂というものが無かったが、ここ清水館では日本人のために風呂場が新たに作ってあった。その広さ10坪ほど。湯を汲み入れて使うが、頗る爽快であった。
また、便所も数箇所仮設してあった。これも日本人のために作ったと言う。しかし粗末な藁葺きで不潔であった。
途中の宿には敷地の一隅に便所が設けられていたが、頗る不潔で堪え難かった。また、部屋に銅製の蓋付きの缶があり、通常はこれで用足しをするという。
普通、朝鮮人民の家には便所がないとも言う。
そのためか、いたる所で糞尿の臭気が甚だしく数万の蒼蝿が舞い、部屋にも満ちて煩わしく、耐えられない位である。雨が降る日だけ臭気が治まった。
ここでは蚊および蚤はまれであった。しかし、浅間艦から士官3人が連絡のために仁川から来たときに民家に宿泊したが、夥しい蚊と蚤のために、ついに一睡も出来なかったと言う。
日本人のためにこのように浴房を設け、数箇所の便所を作ってあるが、これは京城近傍では奇なる風景だと言う。
72 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 18:52:58 ID:FRxf2idr
併合前の朝鮮
「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(糞)が場所も嫌わず狼藉と咲き乱れて居て、足の踏み場もなく、 潔癖者は一見其不潔と臭気に驚くのだ。
現にこの国の中央都会の地たる京城(現在のソウル)の如き、一名を真の帝都と綽名されて居る程で、至る所人糞あるいは牛馬糞を見ざる無で、粉々たる臭気は鼻を襲い眼を顰める者とてない。
そこで京城市内を流れて居る川の如き各戸より、排泄する糞尿を混じ、この水は一種の黄色を帯び、ドロドロになって居るなど、 実に眼もあてられぬ光景で洗濯などに使って居る。
なんと鼻持ちならぬ話ではないか。 毎年夏になると伝染病が流行し、その伝染病に罹る患者の多くは韓人で、 非常なる大流行を極め何千人を驚かすは珍しくない」
「漢城の風雪と名士」』
またコピペか。ウザイからやめろ。
74 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:08:45 ID:FRxf2idr
73お前はサルだな 日韓併合前まで
"韓国人は中国人のパンツを穿いた猿" "鮮人は支那人の飼い犬"と言われるように、彼らには中国の影響が重くのしかかっています。 歴史的にも、自ら進んで中国古代帝国の下僕の道を選び、
ついこの間まで喜んでそういう道を歩んで来ました (冊封/朝貢国) 。 首都ソウルの漢字名が奇しくも"漢城" (漢族の都市 の意) というくらいの中国漬け。
"朝鮮" の中国語での本当の意味は朝 (本義は朝見の意で比喩的に貢ぎ物) が鮮 (少ない) です。 "鮮" の中国語での元の字は 「是+少」 (これ少なし の意) で一字。
75 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:12:56 ID:FRxf2idr
NHKチャンチャン料理は捏造 そのとき歴史は 通信使いい加減にしろ
食事のことなど
食事は1日2回で、たいてい10種類から17、8種に至る。三尺四方ばかりの有脚盆にうずたかく盛り上げて、倒れ落ちるのを恐れるばかりである。
牛豚鶏魚の肉、草餅、羮汁など、みな、器、皿に堆積する。しかし臭味がひどく箸を下す者が少ない。
ただ桃李、林檎、瓜などは臭味がないので食べられる。沙果・・林檎に似て頗る大であるが美味ではない。マクワウリ、葡萄、西瓜、梨の類が多い。
水煮の卵、牛肉、豚肉、鶏肉、麺、カラスミ、乾し魚を削ったもの、或いは日本人のためにと焼き魚も出した。蜜を湯で溶いてミル(海草)と煮餅をあえたものなど。
それらが、1人に対して実に10人分程もある驚くべき量であった。
炎熱の時節でもあり、その異様の臭いに堪えきれず、胃腸も慣れないこともあって食傷を恐れて箸を下す者が稀であった。
なお、庶民のものは不潔で食べるべからずと言う。
(宮本たちの食事はいわゆる宮廷料理と思われる。なおメニューにキムチは見当たらない。
>>73 (つ_・)1投稿10円の、アルバイト君なので
言うだけ無駄かと。
生活がかかっている( つ・_・)つ貧乏人は
必死なんで(・_・)/100投稿しないと きっと振り込んで貰えないのです。
(つ_・)にゃあなら、30投稿したあたりで、
普通にアルバイトした方が金になるじゃんって 気付きますけど
バイトって、最低賃金が法で定められてなかったっけ?
78 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:18:05 ID:FRxf2idr
この辺までにしておこうか?戯けチョン系さんよ
古代からの戦いの歴史と極寒の地という悪条件も影響して韓国人は女も男も非常に激しやすい凶暴な民族。 上には媚びへつらい、下には尊大になるという儒教の教えもいまだ生きている土地です。
日本統治が始まったころのソウルは亜細亜で最も不潔なところだと基督教ミッションが写真撮影とともに記録しています。 風土病を根絶し、埋もれていたハングルを韓人に再教育し、
古代からの国家的従軍慰安婦習慣の悪習を廃絶させ、人肉食や犬肉食を止めさせ、病院・学校・鉄道・ダム建設を施し、禿山の朝鮮半島全土に植林を施し、重工業の基礎を築いたのは、
全て日本政府と私たちのお爺さんお婆さんがたです。 1980年代からようやく並みの国家らしくなって工業生産品を輸出できるようになったのも日本国家および日本人民の残していった基礎が有ったからこそです
(その殆んどの製品は日本製品のコピーですが・・・)。
そんなことには目もくれず、ひたすら反日・排日・抗日と騒いでいるようでは世界の人々の見る目が変わるのは当然の成り行きでしょう。 台湾国からも"忘恩の民=韓国人"と言われているゆえんです。
>>77 正確には(つ_・)個人請負業者ですね。
出来高制です。
ネット工作の人材派遣業では 1投稿1円らしいので
( つ・_・)つ実は相場の10倍という数値で にゃあは言ってたりするんですけど(つ_・)
80 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:27:48 ID:FRxf2idr
79そうだな 反日日本蔑視スレばかり立て、荒らしまくる
不要なレスをつける カウント稼ぎばかりしているようだな(告白している)
誰とは指摘しないが ははは 個人でやってれば最賃法は適用しないなあ
ネット工作の人材派遣業では
一日の最低ノルマが(つ_・)1200投稿 らしいのですが
ちなみに にゃあが最速で 一日中張り付いて投稿しても
せいぜい( つ・_・)つ60投稿
これの20倍が(つ_・)最低ノルマで
一日のノルマを達成しても 実は契約期間内中ずっと達成しないといけなく
最低2週間なので。
事実上不可能で、達成しても(・_・)せいぜい5万円とかいう世界ですけどね
>>80 いや、あのさ、君は何の目的で、コピペ貼りやってんの?
このスレの趣旨に沿っているつもりなら、えらい勘違いだと思うよ?
83 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:31:48 ID:FRxf2idr
一日中へばりついている ブサヨさんがいる
2ちゃんを渡り歩いて朝方まで必死のようだ
チョン気取りの馬鹿たれが
84 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:32:15 ID:sXOj+aAc
日本が併合してやるまでは、
病気で死にまくるわ、 ← 病院を作り、医師を派遣し、また教育し、死亡率が半減しました
ライフラインはないわ、 ← 鉄道、橋を建造し、電気、ガスを整備しました
裸足で駆け回るわ、 ← 日本人のことをチョッパリ(豚足)というのはここから、それでも日本は靴を履かせました
生理前の幼女に売春させるわ、 ← 日本政府が禁止しました
ロクでもない基地外だったんだが、全然変わらずにここまで来たなあw
技術は日本からパクリまくったがなww
85 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:36:16 ID:FRxf2idr
日韓併合前だろ?個人的なレスあいするまで暇でない(貼った事に関しては、知らない人が参考になればだ
現実を知ってもらいたい人がいれば紹介するだけだな
86 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:38:02 ID:FRxf2idr
ああーすれぬしに反してれば別だよ
解るな?
ちなみに計算してみたのですが(つ_・)達成するためには、
光ケーブルを引いて、パソコンを最低3台置き
プログラムを組んで、マシン監視を常時行い
一日3時間以上対象スレ指定を行うために 発掘作業をおこなわないと
厳しいのです。
で、バイバイ猿さん規制や 連続8投稿規制をどうくぐり抜けるかも
大事なのです(・_・)/
89 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:39:37 ID:MdTdcm2i
朝鮮人と関わると孫子の代まで危害を受けるね。
( つ・_・)つちなみに、維持費を計算すると
スプリクト投稿でも(つ_・)せいぜい出て電気代くらいで
実、維持費まで考慮に入れると(つ_・)全然採算にあわないですね
ネット工作の個人請負
91 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:42:21 ID:FRxf2idr
くどいなID:7YoAY9uX
ははは お前チョン系だな邪魔だ !
>>89 君のお爺さん・お婆さんが朝鮮人に関わりを持ったことが、
君の人格形成に悪影響を及ぼしているということですか?
ちなみに 個人請負は、( ・_・)つ自己責任なので
発注業者は守ってくれませんよ(つ_・)
投稿内容については、あくまで、自己責任(・_・)/訴えられた
自分が賠償責任を負う事を(つ_・)忘れてはいけないかと
94 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:45:55 ID:FRxf2idr
六四六 ◆AUtW056hWおい、アポすけ
このコテハンを1日中やってみろ!じゃあな
95 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:46:59 ID:FRxf2idr
そう、派遣業じゃないからな
他人の指揮命令でない
(つ_・)正直、お金が貰える事が 事実上不可能としか思えない
ネット工作 個人請負業で
しかも、誰に訴訟されるかもわからないのに
騙されて投稿してる、ヤツって正直、バカとしか思えませんね。
99 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:50:23 ID:FRxf2idr
派遣の問題になってきたね
偽装請負だったね ははは おい、アポすけお前が余計な事で邪魔するからだ
それが手だな工作員
>>99 (つ_・)にゃあは スルー対象ですよ。
ハン板の常識です。
投稿1投稿1円って 酷いと思いますけどねぇ。
正直この100倍はないと 最低賃金切ると思うんですよ。
>>100 朝鮮人に人権は必要ないから、問題ありません。
102 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 19:56:42 ID:FRxf2idr
ブサヨさんは有閑マダムかもよ(おばさん)
個人との取引は最賃法は関係ない(事業所)年収がある程度超えれば
税の問題が出てくるが
まして、納得上の契約であればOK ここ2ちゃんの社員でもなかろう
>>102 (つ_・)にゃあは 趣味で、ハン板に投稿してるからいいんですけど
にゃあみたいなマニア相手に
何も知らない若者を 1投稿1円で
しかも事実上払えない条件で 契約するって
酷すぎると思いません(・_・)?
104 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 20:04:24 ID:FRxf2idr
最賃の問題?よく家内工業で有名だね
電気部品の加工とか、一個のネジにコイルをつけて何銭とかね
確かにそれと 時給いくら?これは各県によりまちまちだが?
それを見れば解るだろ???
105 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 20:06:42 ID:FRxf2idr
反日ぶって、レスまくり荒らしまっくて いくらは?考えにくいな
確信犯に見えるが ははは
じゃ、、あ休憩 またな
>>104 あれでしょ(つ_・)10代20代の可愛い女性たちに1日1000Kカロリーの食事しか与えず
一日16時間労働を強き、お金はほとんど与えなかったっていう
明治時代の富国強兵論でしょ。
(・_・)/にゃあは そんな世界は否定派なので
にゃあにそれは通じませんよ(つ_・)
明治時代の富国強兵について、大企業がやった政策について
(・_・)/ 一日最低16時間以上 寝れば 睡眠不足
それを、ほとんど休みも与えずずっと、 10代20代の可愛い女の子達に
強いていたのです。
しかも、一日の食事量はわずか1000Kカロリーです(・_・)/
ご飯3杯に、梅干しとおみそ汁が1回つくだけですよ(・_・)
( つ・_・)つそんな労働条件で、それでも働いてないとか
経営者にボロクソに言われる社会など(・_・)/クソ食らえなのです。
108 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 20:17:15 ID:FRxf2idr
明治時代の富国強兵論>>おいおい、それと違うだろ?
最賃法というのは、労働者を使用し事業主が払う。
時給今いくらかな700円までイってないだろ
一個いくらの出来高制とは ?下請けが部品なり預かり時間内で達成すればよく
達成できずに、残業させ時間外で手当ても出さないんであれば問題だし
その事業主が月給として 最低を破るのも違反する。
>>106-107 ソースも出さずに「否定派」とは、「そういう事実は無かった」という意味での「否定派」ですか?
>>108 君はそこに噛み付く必要があるのか(・_・)?
少なくとも、派遣業者の幹部の方々は TVの生放送で普通に(・_・)
それくらいの規制緩和はあくまで自己責任置いて必要とか言ってましたけど
111 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 20:20:39 ID:FRxf2idr
ハハハ、野麦峠の話か?
それから労働工場法ができたんだよ
112 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 20:23:41 ID:FRxf2idr
明治と今の派遣業 最賃法を絡ませているようだな
どうでもいいけど、「労働工場法」ってなんですか?
>>109 (つ_・)ソースは、にゃあは手持ちにないですが
えーと 西南戦争後、政府の税収の4倍以上の戦費を使ったため
政府は税制改革を行い
政府がおこなった税制改革のため デフレ状態がおき
日本国内は大不況化して、農村と地方が破綻
米の値段が、格段に下がるけど
税金はかわらないうえ 政府は次々と増税しため
農家が直撃をうけて
娘の身売りが東北で流行ったんですよ。(・_・)/
このに目をつけたのが 政府系企業なんですよ
この身売りされた(・_・)娘を低賃金労働者として働かせる事
糸を紡ぐのはお国のため(・_・)/という スローガンが生まれたんです
115 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 20:28:39 ID:FRxf2idr
いま、問題になっているのは 派遣業(訳のわからない金を天引きしているんじゃあなかった
それと社会保険に入っているかどうか?
偽装請負は 派遣社員の如く(請け負い業者を使っているてんだろ
116 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 20:31:42 ID:FRxf2idr
明治44年、以前よりの懸案であった工場法が制定される事となった。「工場の労働者を守ろう」という意識が高まってきたし、世論の攻撃もあったのだろう。このいきさつについて、隅谷三喜男氏は 以下のように書かれているので引用してみよう。
「・・・四十四年三月に、長年の懸案であった工場法が議会を通過したのである。日清戦争後、労働問題がやかましくなって以来、国は幼年労働者や女子労働者を保護する必要があるということから、工場法の制定が問題となってきたが、
これにたいしては当の工場経営者達が断乎反対であった。
労働者の保護などしていては、後進国日本の工業は先進国と太刀打ちできないと主張し、寄宿舎での生活は牢獄同然だ、悲惨だという非難にたいしては、女工たちの育った農村の生活よりはましだ、と弁護もした。
こうした資本家たちの反対で、工場法はいつも握りつぶされてきたのである。
いいかげんにしとけよ。ここを楽しみにしてる人は多いんだから。
>>114 えと…
にゃあタソ、今夜は酔っていますか?
( つ・_・)つ他国からみれば、国家の経営が、世界の何処にも無いくらい
安定している今の日本でですよ(・_・)/
明治時代の富国強兵論と同じ論理を展開している 今のウヨクはあり得ないと思うんですよ(・_・)/
当時は( つ・_・)つ国力もなく、欧米各国に不平等通商条約をむすばれされていたんで
まあ、しかたないとは 思うのです(つ_・)
まだ、他の先進国に比べても経済状況が万全であるにもかかわらず
(・_・)/明治時代の富国強兵論と同じ論理ですよ
ありえませんよ
120 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 20:34:57 ID:FRxf2idr
はははまあ頑張れ 女工哀史ね 昔だ
>>118 (ノ_・)何故、酔っぱらっている事がばれたのです。
寒いので焼酎の進みが早いのです
>>121 ウリ自身がすでに相当ヨッパにも関わらず、
>>114のにゃあタソの文章が、
ところどころ壊滅的にグダグダですのでw
>>122 (つ_・) 一応ひと月くらい前に放送があった、NHK教育の日本史を
まんま引用しただけなので
>>123 つまり、その番組の担当エディターが、酔っ払い状態で仕事してたと?
127 :
スモーカー ◆sE9s/SSlUk :2007/12/21(金) 21:02:05 ID:nE/oLP+R
>>126 ID:FRxf2idr = ID:By+5xUVq
数日前から、このスレにコピペ連投してる荒し。
>>127 ああ、なるほど、そういういうことですか…
でも、これって、「こじれ」とは違う希ガス。
129 :
スモーカー ◆sE9s/SSlUk :2007/12/21(金) 21:13:15 ID:nE/oLP+R
とりあえず、あっちに行ってもらってから、それでも続けたければ
それなりのスレを自分達で見つけてもらいたい。あまり自治厨みたいな
ことしたくないんだけど、ID:FRxf2idr は二度目ですからね。ほっとけば
また同じことをやる。
130 :
57:2007/12/21(金) 21:15:49 ID:e7BDCinu
>>59 と、サイト開設してより丸3年という記念独り言で(笑)
>>明治9年(1876)6月、日本政府は宮本小一外務大丞・・・・
私が書いたこのテキストは、もうホント見飽きましたなあ(苦笑)
で、「続き」は今週はちょっと無理かと。
131 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 23:02:35 ID:+43SBxlO
>明治時代の富国強兵論と同じ論理を展開している 今のウヨク
いるのか?
132 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 23:20:57 ID:FRxf2idr
日韓併合前の民家
その家屋は石と泥をもって築立し、稲藁を葺いて屋根としている。茅は焚き火の用に使うという。窓が小さく、大人が家に入って立つことが出来ないようだ。たいていの家に「床」というものが無く、土の上に藁むしろを敷いて座す。その狭さ不潔さといい殆ど穴居の類である。
そういう家が表裏の別なく密集し、路地には乱石が磊落して、ほとんど足をいれることが出来ない。村の中央の家に行こうとするには、どの路地をどう曲がっていけばよいのか分からないぐらいである。
寝起きするのも容易でないような家の中にはわずかに1、2の炊具を見る。
ただ、日本人の眼に入るのは、貧家に不釣合いなほど大きな黒色の磁器甕がどこの家にもあるということである。これは木の樽が無いゆえの水を溜める甕であろう。質は頗る堅牢である。
133 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 23:22:24 ID:FRxf2idr
村民は、粗食に甘んじ寒寂に耐え、人間世界は斯くの如しと思うのみで、悠々として歳月を送る風がある。奔走して労働し寸陰を惜しんで急するという気性は無い。
長煙管をもって煙を弄びながら余念無く日本人を見つめる姿は、山静かにして日長き殆ど太古の少年の如しである。
134 :
マンセー名無しさん:2007/12/21(金) 23:25:40 ID:FRxf2idr
雨具など
炎天陽光を遮る傘の類がない。ゆえにいかなる炎天であっても帽子なき者は天日を避ける術が無い。
雨傘は粗末なものがある。あるいは頭だけを覆う油紙の扇のようなものがある。雨が上がれば畳んで懐中に入れる。
家畜 馬、牛、豚など
朝鮮の馬は日本の在来種よりはるかに小型であり、時として「大馬」と称せられる馬ですら日本のものの8、9割ぐらいの背丈しかなかった。
馬具は日本古式と同じである。日本蒔絵の鞍を賞美する。
135 :
マンセー名無しさん:2007/12/22(土) 00:20:11 ID:oo3/1joR
>>132 〜
>>134 だが、そんな極貧の李氏朝鮮末期の社会をさも発展しつつ有っかのように
描きたがる歴史講座もある。
NHKの高校講座なんかそう。
136 :
マンセー名無しさん:2007/12/22(土) 00:40:35 ID:XX5nmED8
137 :
マンセー名無しさん:2007/12/22(土) 00:41:04 ID:XX5nmED8
>>130 ああ、そうでしたか。
楽しみにしてますので、のんびりお願いします。
ミンピがどんなキャラクターで現れるかwktk
やっぱり始めたか。
140 :
マンセー名無しさん:2007/12/22(土) 10:38:29 ID:WdPvvmU5
>>135 ここで犬HK関連673 :名無的発言者:2007/12/21(金) 12:52:30
イザNHKまた売国「その時歴史」朝鮮通信使秘話 2007/12/21 01:35
NHK「そのとき歴史は動いた」12月19日分は、とんでもない内容だった。正式タイトルは「対馬藩・決死の国書すり替え 〜朝鮮通信使秘話〜」だった。
田代和生(たしろ・かずい)という日朝交流史を専門とする慶応の教授がゲストだったが、どうしようもない学者だった。典型的、半島の傀儡だった。
この傀儡教授は、番組の前半、対馬は日本より朝鮮半島のほうが近いと力説していた。日本とは130キロ、朝鮮(釜山)とは50キロしか離れていないといい、「対馬の人の生活は、朝鮮との貿易なしには成り立たない」と続けた。
太字の部分にNHKは、わざわざテロップまでつけた。TBSが石原都知事の発言を改竄したときもテロップが使われた。
左翼の洗脳工作によく使われる手法だ。サブリミナルと親類関係みたいなもんだろう。
朝鮮人は、一度たりとも対馬を実効支配したことがない。にもかかわらず、対馬を韓国の領土と主張するバカは決して少数派ではない。
朝鮮日報や中央日報の日本語版を読んでいれば、よくわかる。
NHKは日本の公共放送だろう。対馬に対する表現は、もっとデリケートになるべきなのだ。相手は常識がまったく通じない連中なのだ。
日本海呼称問題(東海)にしたって、愚にもつかない与太話と思っていたら、恐るべきレベルにまで、日本は攻め込まれてしまった。
141 :
マンセー名無しさん:2007/12/22(土) 10:39:12 ID:WdPvvmU5
674 :名無的発言者:2007/12/21(金) 12:56:17
苦々しく思いつつ、番組をみ続けた。>俺は、最後の5分ぐらいだ やはりそうだ
番組は、対馬藩主宋義智による国書偽造、国書すり替えが主なテーマだった。
NHKは、一地方藩主による国書の偽造・すり替えを5%の批判精神と95%の賞賛で描いた。無茶苦茶な番組だった。このブレンド感覚は、番組をみた人なら納得してもらえると思う。
対馬の宋家は、室町時代から常習的に、国書の偽造を行っていたらしい。平気で嘘をつくという対馬宗家の癖と、朝鮮と50キロしか離れていないというロケーションは、密接に関連していたのかもしれない。
豊臣秀吉や徳川家康が、明の皇帝に対し、臣下の忠節を誓うような手紙を宋義智という売国奴は勝手に偽造していた。番組をみながら、憎悪の念が、フツフツと沸きあがってきた。
対馬藩主が偽造した国書は、日本国が明の冊封下にあると認めていたのだ。
この番組でもっとも許しがたかったのは、番組の〆に入った段階で、朝鮮半島傀儡教授が、またテロップつきで、対馬藩宋義智の行い(国書の偽造・すり替え)が江戸時代、朝鮮通信使派遣につながったとまとめ、
さらに、大事なことは、どちらが上ということも下ということもなく日朝は通信使によって対等外交をはじめたと語った。
またテロップつきで、特に対等外交は太字だった。
こういうことは学者といえども、絶対言ってはいけない。公共放送が一方的にこんな発言を流していいのか?
明の時代も清の時代も李氏朝鮮に外交権はなかった。李氏朝鮮の外交権は、明および清によって剥奪されていた。
NHKよ、李氏朝鮮に外交権はあったのか?答えてみろ!!
日本と朝鮮が対等だったということは、日本が明や清の属国だったと言っているに等しい。
NHKよ、明や清の時代、日本に外交権はなかったのか?明や清のお伺いをたてないと、
日本は外交が出来なかったのか?NHKよ、答えてみろ!!
142 :
マンセー名無しさん:2007/12/22(土) 10:39:45 ID:WdPvvmU5
675 :名無的発言者:2007/12/21(金) 12:59:11
K大のおなご教授だな(旧社会党のトミ子かと思ったぜ)
日本と朝鮮のあいだに、正式の国交はなかった。だから通信使という、変なことばが使われたのだ。朝鮮通信使が正式の国交でなかったのは、朝鮮側に外交権がなかったからだというのは、
常識中の常識ではないか。朝鮮が一方的に日本を訪れるだけで、日本通信使など存在しない。いったいどこが、対等だったのか?
発言自体は傀儡教授のものだったが、対等外交に関する発言部分をテロップ化し、対等外交を太字表記で強調したのは、まぎれもなくNHKの意思だった。
朝鮮通信使400年ということで、おめでた気分で番組をつくったんだろうが、言っていいことと悪いことがある。本当のことをいうと韓国が騒ぐので、デタラメ番組を作ったのか?
文禄・慶長の役の時代、豊臣秀吉も明の皇帝も朝鮮王も、宋義智のでっち上げ情報に基づいて、外交を行っていた。為政者に正確な情報が伝われないことは、得てして悲惨な結果を招く。
情報の齟齬が互いに不信感をきたし、文禄・慶長の役を引き起こしたのかもしれない。結果的には、宋義智こそが戦争の張本人だった可能性もあるのだ。
中国と韓国のあいだには、東北工程と呼ばれる歴史問題があるが、この問題は学問の領域をはるかに越え、現在深刻な国家紛争に発展している。NHKは勝手気ままに自国の歴史を改竄、矮小化しているが、こういう姿勢こそが、付け入るスキを与え、
国家紛争を逆に呼び込んでしまうのだ。
軽率では、済まされない。こんな売国番組をつくる放送局に、日本国民から受信料を徴収する資格が、はたしてあるのか?
この番組の司会は、フリーアナに転じることで今話題の松平定知アナだ。民放でもデタラメ番組をつくるつもりだろうか
143 :
マンセー名無しさん:2007/12/22(土) 10:39:53 ID:sElCrzcD
144 :
マンセー名無しさん:2007/12/22(土) 10:49:31 ID:WdPvvmU5
韓国の小学生2割「朝鮮戦争=日本が侵略した戦争」
http://www.sankei.co.jp/kokusai/korea/070619/kra070619000.htm その結果、朝鮮戦争が起きた時代について「現代」と正しく回答したのは46%で、過半数が李朝時代(14世紀末〜20世紀初)など、それ以前の出来事と答えている。
朝鮮通信使・大阪を見ての驚き
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
・名古屋を見ての驚き
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる
中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば寂しい限りである」
・江戸を見ての驚き
「楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城郭の整然たる様 橋や船にいたるまで
大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」
145 :
マンセー名無しさん:2007/12/22(土) 10:53:09 ID:WdPvvmU5
・感想
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し >>盗っ人寄生根性は今も変わらず
子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し
四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」
「日東壮遊歌」金仁謙著 高島淑郎訳注 平凡社東洋文庫 より
えらい進んでるから、喜んで開いたらコピペかよ...
六四六 ◆AUtW056hW.氏
にゃあ1号(オス) ◆SQf3W6n5O.氏
コピペ荒らしにむかつく気持ちはわかるけど、まず誘導してやってくれ。
荒らしってのは、弄ってもらうのが目的だから(藁
147 :
夜船:2007/12/22(土) 23:53:06 ID:GzzR2/DB
>>130お茶菓子などを用意しておまちしております。
次回作期待しております。
148 :
57:2007/12/24(月) 00:29:00 ID:XpSIDR9c
併合前の日朝(続き)
この頃、日本政府は日本と朝鮮間に海底電信線を設けることに。で竹添にその談判
を命令。
竹添「ところで海底電信をひきたいんだけどね」
金宏集「カイテイデンシンて何ニカ?」
趙寧夏「食いものニカ?」
洪英植「新式武器ニカ?」
竹添「だから海の底に電信線をずーっと敷設するわけ」
金宏集「電信ってあの電気が字を書くという」
趙寧夏「水の中で字は書けんニダよ」
洪英植「パカ。それよりも先に紙が濡れるニダ」
竹添「┐(´д`)┌」
金宏集「電信線をどうやって朝鮮までひくニカ?」
竹添「デンマークの電信会社が船で電線を海底に置いていって、地上局は日本が建て
るの」
趙寧夏「デンマークって何? 食いものニカ?」
洪英植「新式武器作っているニカ?」
竹添「o(`ω´*) o とにかく電線を長崎・壱岐・対馬・釜山と敷設するの!」
朝鮮側「だから何のことかさっぱり分らんニダ!」
(竹添は報告書の中で、このことを呑み込ませるのにまるで小児を諭すように時間が
かかったと言っている)
(続き)
朴泳孝「あの後、彼らもモルレンドルフと清国の政府顧問馬建常から詳しく説明して
もらってやっと理解したニダ」
竹添「しかし金宏集はともかくあとの2人はどうにかならんかねえ」
朴泳孝「洪英植はウリたち日本党に傾いているニダ。趙寧夏はゴリゴリの支那党ニダ」
竹添「そう言えば、趙寧夏は清国にさんざん日本の悪口を言っている人だよねえ」
朴泳孝「それだけではないニダ。清国政府に『朝鮮人の服装を支那式に変えたいニダ』
と言って却って嘲笑されたニダ」
竹添「( Д) ゜゜スポポーン!」
朴泳孝「国王も困っているニダ。彼を政府から追い出したいけど、大王妃の親類だか
ら出来んニダ」
電信線のことを理解した朝鮮側は、それが利益を生むと分ると掌を返したように積
極的になった。
朝鮮政府「電信施設などの地租代を払うニダ」
竹添「えーっ? だいたい朝鮮のためにもなるんだから無税でいいぐらいなのにー。
利益が出るまで待ってよ。30年はかかるから」
朝鮮政府「20年にするニダ」
趙寧夏「いや15年にするニダ。朝鮮政府の電報は民間よりも7割安くするニダ」
竹添「ムカーッ!(だいたい朝鮮政府が経費の何割か出してもいいくらいなのに!)」
(続き)
公使館員「電信条約どうします? 早く結ぶように日本から請求が来てますけど」
竹添「朝鮮政府は狡いんだよねえ」
館員「条約談判の場所は清国顧問官の馬建常氏の邸宅だそうですが、本当なら政府内
の施設でするべきじゃないんですか」
竹添「趙寧夏が言いだしたらしい。馬建常が側に居たほうがいいからだろ」
館員「不利っすねえ」
竹添「俺は今日からヤクザになる!」
館員「何すかそれw」
竹添「俺は怖ーいヤクザだ!!」
館員「wwww」
かくて鬼面の竹添は談判しに馬建常宅に向うことに。通訳はあの浅山顕蔵である。
竹添「浅山君、めちゃくちゃ強気でいくよっ」
浅山「いいっすねーw}
馬建常宅に着くと門番の清兵が、公使護衛として前を歩く日本兵の立ち入りを拒ん
だ。すぐに浅山顕蔵が飛んで行って、
浅山「どかんかいゴルァア!!」
と清兵を突き飛ばした。
竹添「(浅山プププw)」
(続き)
趙寧夏「馬建常さま。日本公使が来たようですニダ」
馬建常「アイ、そうアルか。では迎えに行くアル」
趙寧夏「馬建常さまがわざわざ? それはそれはニダニダ」
馬建常「アイヤー、公使来られたアルか♪」
その日は大雪で竹添の服には雪が積っていた。それを馬建常はニコニコとしながら
支那服の長い筒袖で払ってくれた。
しかし竹添はわざとムスーッとした顔で黙っていた。部屋に入るやいなや趙寧夏に
向い、
竹添「先ほど門の所で俺を拒んだやつがいる!貴殿が命じた門番か!!」
趙寧夏「ウ、ウリとは違うニダ」
竹添「そういや支那服を着ていた。馬大人の従者かもしれんのう。浅山!連れて来い
や!」
浅山「おう!!」
金宏集「ななな何があったニカ?」
金允植「こ、公使落ち着かれるニダ」
浅山は先ほどの清兵を部屋に引きずり込んだ。竹添は馬建常に向って、
竹添「お見知りの者か」
馬建常「う、うちの門番アル」
それからは竹添は筆談で馬建常と話した。(竹添だけでなく、当時の日本の公使ク
ラスの外交官の殆どが漢文の読み書きが出来た)
(続き)
(馬建常)「先ほどは門番が言葉が通じないことから失礼をしたアル。許されたいアル」
(竹添)「まったく失礼なやつであった」
(馬建常)「拙者が先日から貴館に行った時も門兵が一時遮ったことがあったアル。そ
れと同じだから立腹いたされるなアル」
(竹添)「貴殿は一時遮ることと、失礼を働いた者とを同じと言われるのか!」
(馬建常)「ア、アイヤー、そ、そうではないアル。よってさっきの門番は相当の懲戒
を申し付けるアル」
そのやりとりを見ていた金宏集らはすっかり顔色を失って立ちすくみ、とりわけ馬
建常に対して神に仕えるように接していた趙寧夏はオロオロと心配するばかりであった。
とまあ、こんな調子でヤクザモードの竹添進一郎は、その後は条約談判相手の趙寧
夏をわざわざ自分の隣の席に座らせ、いちいち朝鮮条約案にケチをつけ、あるいは助
言をする金宏集に「おまえはすっこんでろ!」と怒鳴ったりしながら、談判を進めて
いった。
金允植「何か今までの日本の外交官と全然違うニダ(汗)」
金宏集「紳士だった花房公使が懐かしいニダ(涙)」
浅山顕蔵「(ププププw)」
153 :
マンセー名無しさん:2007/12/24(月) 00:40:29 ID:XpSIDR9c
(続き)
で、途中で趙寧夏が辞任。国王にっこり。談判はスムースに。
明治16年3月3日に調印なった電信条約の主なものは次の通り。
・ 電信施設の地租代は25年間無料。
・ 朝鮮政府の電信は5割引
・ 朝鮮政府の電信は民間より先に発っする。
・ 朝鮮政府による電信の検閲を許す。
・ 朝鮮政府は25年間は日朝間の電信線に対抗する他の電信線はひかずひかせず
。
・ 電信施設への妨害行為は朝鮮政府が法律を作って禁止すること。
など。
公使館員「公使、これ見ると最初の朝鮮案とあまり変りませんねえ。結局こちらが大
分譲歩してますけど」
竹添「そそそそ(苦笑)」
公使館員「案外、見透かされていたんじゃないすか?」
竹添「それはないと思うけど・・・・馬建常ちゃんには悪いことしちゃった(汗)」
ちょっと悔やんでありのままを政府に報告する竹添信一郎なのでしたー。
(つづく)
怖ーいヤクザ、ワロタw
156 :
夜船:2007/12/25(火) 20:20:13 ID:fqFyy9qY
157 :
マンセー名無しさん:2007/12/25(火) 22:57:21 ID:/gseaHQx
>>140〜
>>143 朝鮮よりの意見を言う連中って、
対馬は日本からは130km、逆に韓国からはわずか50kmしか離れていない、
などといって距離が近いゆえに日本の領土であることがまるで不当であるか
のような印象を聴衆に植え付けたがっているのかも知れないが、
自国の本土より隣国の土地の方が距離的に近い事例など世界にはたくさん有る
エーゲ海の島々は自国ギリシャから離れていて、隣国トルコのそれこそ目と鼻
の先に位置するが、あれらの島々はれっきとしたギリシャ領ではないか!?
対馬だってそれと同じさ。
いくら韓国からわずか50km、日本本土から130kmも離れているとしても
あの島はれっきとした日本領土。韓国領であろうはずが無い。
158 :
マンセー名無しさん:2007/12/26(水) 00:23:07 ID:bKn4tYvR
朝鮮半島が列強に占領されたら、 日本は国を守る手立てがない!
相変わらず呑気な清の属国朝鮮に対して 日本の明治政府は朝鮮が自力で
自分の国を守れる近代国家になるよう、強く望んだ。 その時、朝鮮の中にも『日本に見習うべき』
という一組織があって、李氏朝鮮に対して 甲申事変というクーデターを起こすも失敗 朝鮮版明治維新は実現にならなかった。オクキュン・写真)
慶応義塾(福沢が作った大学)に受け入れていた朝鮮人留学生60人は学問を放棄し、遊んでばかり・・・。最後には、慶応大学の金庫を荒らしてしまう!
朝鮮に対する希望を失った福沢諭吉は有名な『脱亜論』を発表する。
『悪友を親しむものは 共に悪名を免れるべからず』
「独立の気概のない者にかかわりあっていると
とも倒れになる。」
159 :
マンセー名無しさん:2007/12/26(水) 10:14:03 ID:bKn4tYvR
1910年の併合から1945年の独立までの
たった35年間でここまでの発展をした国は世界にも他にない。
では日本はいったいどんな魔法を使ったのか?
実は魔法ではない。文字通り身を切るような努力である。
・朝鮮が無計画な浪費で返済不能になっていた莫大な借金
(外国からの借金+国債)を肩代わりしてチャラにした。
・日本の国家予算で学校などの教育機関や裁判所、上下水道、公園、
病院、警察署、道路、 水力発電所、農地、鉄道などの文化的生活に
必要な施設を作った。 ・日本の金で朝鮮全土に5000校もの近代小学校を建設し、
近代教育をしてハングルを必修で学ばせた。
・日本の技術と資本により2次産業を9倍も成長させると同時に
1次・3次産業も大幅に伸ばした。 ・医療と衛生環境を向上させて平均寿命を26歳から42歳にまで
飛躍的に延ばした。 ・人口を2倍まで増やし、その人口が全員が食べていけるほどの
驚異的な食料供給力を与えた。
・世界中のどの国も金を貸したがらない極貧後進国に、貸し倒れも恐れずに
世界一安い金利で金を貸し与えた。
・発展のために必要な資金や資材などの「物的支援」だけでなく、
「人的支援」「技術支援」も同時に行った。
このように日本は弛まぬ努力により朝鮮半島に“奇跡”と呼ばれるほどの
大幅な発展をもたらしたのである。
>>159 でも朝鮮人は、それから3年足らずで、そのほぼ全てを無に帰してしまったワケだ。
161 :
マンセー名無しさん:2007/12/26(水) 10:22:17 ID:bKn4tYvR
フランス人宣教師シャルル・ダレの遺した「朝鮮事情」
には、次のような記述がある。
1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲
い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかに
は、娘を中国人の密航業者に一人当たり米一升で売るものもい
た。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人か
の朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、
「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの
食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを
放置しておく道を選んだ。[1,p64]
まさに現在の金正日政権とそっくりだ。こういう次第であったか
ら、李朝時代の朝鮮では人口はほとんど増加しなかった。1753年の
730万人が、百年後の1850年でも、750万人になったに過ぎない。こ
れが当時の農業生産で養える上限だったのであろう。
162 :
マンセー名無しさん:2007/12/26(水) 10:27:11 ID:bKn4tYvR
朝鮮半島が急激な人口増加を迎えるのは、20世紀に入ってからで
ある。1906年(明治39年)からの20年間で、980万人から、1,8
66万人と倍増した。さらに1938年には、2,400万人となった。日韓
併合時代である。[1,p29] この人口増加の原因としては、いくつかの要因がある。一つは第
6代宇垣一成総督による「農産漁村振興運動」などの民生向上活動
である。30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、
農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食料の増産が図
られた。併合当初米の生産量が約1千万石であったのが、20年後
の昭和に入ると、2千万石へと倍増した。[1,p80] もう一つは医療制度の確立、特に伝染病の予防である。1910年か
ら徹底的な検疫を実施し、コレラ、天然痘、ペストなどは、1918年
から20年の大流行を最後に押さえ込まれ、乳児死亡率が激減した。 さらにインド、中国から朝鮮にかけて猛威を振るっていたハンセ
ン病退治のための救ライ事業として、世界的規模と質を誇る小鹿島
更正園を作って、6千人以上もの患者を収容している。[1,p85-86] 農村振興は、終戦後も朴正熙大統領のセマウル運動として続けら
れる。宇垣総督の秘書役であった鎌田澤一郎氏が、その経験を買わ
れて何度も朴大統領に呼ばれ、アドバイスをしている。[2,p44] 北朝鮮が現政権から解放された暁には、日本も援助をして、この
ような農村振興をもう一度やり直さねばならないだろう。日韓併合
時代にどのような国土開発事業を行って、朝鮮半島の民生向上に成
功したのか、今のうちに研究しておく必要がある。
163 :
マンセー名無しさん:2007/12/26(水) 10:32:42 ID:bKn4tYvR
李朝時代の飢餓の一因は、現在の北朝鮮と同様、森林破壊にあっ
た。定住しない焼き畑農民は、山林を焼き払い、一定期間耕作する
と、他へ移ってしまう。さらに、冬季の薪需要のための乱伐。そこ
に豪雨が来れば、表土は流出し、禿げ山となってしまう。
1885年にソウルから北朝鮮を徒歩で踏破した旅行者は次のような
旅行記を残している。 どこまでいっても禿げ山と赤土ばかりで、草も全て燃料のた
めに刈り取られている。 山地が痩せていて、昨年も沢山の餓死者が出た。
ここは退屈極まりない土地で、山は禿げ山、植生はほとんど
見られない。 森林は緑のダムである。森林がなくなれば、降れば洪水、降らね
ば干ばつとなって、農業生産は崩壊する。治水の前に治山が必要と
いうのが、寺内初代総督の方針であった。朝鮮総督府は1911年から
の30年間で、5億9千万本の植林を行った。朝鮮全人口の一人あ
たり約25本という膨大な数である。[1,p114]
164 :
マンセー名無しさん:2007/12/26(水) 10:35:59 ID:bKn4tYvR
内村鑑三の日記には、ある朝鮮人から日本人が毎年沢山の有用樹
木の苗木を植えていることを感謝する手紙をもらって非常にうれし
かったと書いている。[2,p39] 植林事業と平行して、洪水予防と灌漑のための全国的な河川事業、
日本国内にもなかった17万キロワット級のいくつもの巨大水力発
電所建設、15万ヘクタール以上もの砂防工事等々、大規模かつ総
合的な国土開発事業が展開された。
これらの結果、水田開発が進み、明治43年の84万町歩が、昭
和3年ごろには162万町歩と倍増した。[1,p108]
■4.きめこまかな農民保護政策■ こうした大規模な国土開発とともに、きめこまかな民生安定化の
施策がとられた。宇垣総督時代には、当時8割を占めた小作農の生
活を安定させるため、朝鮮農地令を実施して小作権を確立し、税制
を整理して、負担を軽くした。さらに低利資金を融通して高利債務
を返還させ、多角農業主義により綿花栽培や山羊飼育を奨励した。
[3,p414]
165 :
マンセー名無しさん:2007/12/26(水) 10:47:41 ID:bKn4tYvR
「こうすれば日中・日韓の「歴史問題」は解決する」
黄文雄:
日本人に言いたいことは、自分自身独自の歴史観をはっきりもって、相手に対して主張したいことはきちんと主張すべきだということです。これを続けていけば解決できるのではないかと考えますが、
どうでしょうか。
石平:
私は日中間の歴史問題を解決するためには、お互いに外交の場に歴史をもち出さないことだと思います。歴史を外交問題にすること自体が間違っているんです。
それぞれの国には、それぞれの国の歴史の見方があることを認めて、気に入らなくても外交的に文句をいったりしないこと、それしかありません。
しかも、中国の主張している歴史は、いい加減な自己主張以外の何ものでもない。それでも、国内でどんな歴史を主張したっていいですよ。それは自由ですからね。
しかしそれを日本に対してまで押しつけることが、
大きな間違いだということがわかっていない。わかっていないんですよ、わかった上でやっているんじゃないんです。
中国は小泉政権時代に、靖国問題で5年間喧嘩をしかけましたね。その結果、中国に何かいいことがあったかというと、何もないわけです。それどころが、日本国民の対中感情は最悪の水準になってしまった。(中略)
中国が日本の歴史問題を、自国の外交問題として持ち出すのはおかしなことですが、そうして当然だという気持ちにさせているのは日本なんですよ。
日本がもし、あくまでもそれは日本の国内問題だ、あなたたちが抗議するならどうぞ抗議しなさい、しかしそれと外交は別なことだよと、一貫して主張していれば、中国は打つ手がなくなっていたはずなんです。
166 :
マンセー名無しさん:2007/12/26(水) 10:48:01 ID:bKn4tYvR
呉善花:
日本は、それは国内問題だとつっぱね続けること、相手にしないこと、それ以外にありません。そうし続けていって、これでは韓国としてはちょっと困る、
国益を損ないかねないとなれば、韓国としては何とかせざるを得なくなりますから、日本はそれを待っていればいいんです。
なんとかしないで困ることになるのは韓国であって、日本ではないんです。日本から距離を置かれて困るのは、経済や技術や投資で日本の力を得なくてはやっていけない韓国の方なんです。
フランスとドイツの関係でも、どちらかが歴史認識を改めたから仲良くなったわけではなく、外交問題にしなくなって、話し合いができるようになったわけですね。これを解決というなら、
日韓もそうする以外にはないと思います。
併合前の日朝(続き)
ま、竹添としては朝鮮政府との友好も考えざるを得ないし、ヤクザまがいを押し通
して本当に無理な条約を結ばせるわけにもいかなかったろう。それに趙寧夏を辞任さ
せたことは国王が望んでいることだったので一応の成果と。
朝鮮官吏「いい情報を持ってきたニダ」
公使館員「へ? 今度は何?」
朝鮮官吏「清国北洋大臣からの手紙の写しニダ」
公使館員「ほう、李鴻章の手紙ねえ」
朝鮮官吏「お礼は遠慮しないニダ」
公使館員「はいはい」
この頃朝鮮政府は、出身や貧富を問わず学校に学ぶことを許すという布告を全道に
発したが、それに関するものであった。
竹添「あー、なるほど李鴻章氏が朝鮮政府に勧告したのか」
館員「あ? そんなことでしたか。大した手紙じゃなかったすね」
竹添「いやいや、これで朝鮮も人材登用の門戸を広く開くことになると思うよ」
古参の館員「公使も人がいいっすねえ。なかなかそんなもんじゃないと思いますよ」
竹添「そげんかなあ? けどよくこんな手紙の写しが手に入るねえ」
古参の館員「それはもう、この国は壁に耳あり障子に目ありどころじゃないっす。国
王の手紙ですら使いが封を開けてその手紙を読むぐらいですから」
竹添「何それ!」
(続き)
古参の館員「政府の密議であっても、たとえ国王の密談であっても、必ず誰かがこっ
そり聞いていて、また必ずそいつが周囲に言い触らすんですよ。しかもあることない
こと混ぜて面白おかしい話にして風説として街中に流すんですよねえ」
竹添「ええ!そりゃあひどいのう」
古参の館員「ですからこの国で秘密を保持する事は非常に困難ということです」
しかし談話の秘密を保つためには筆談という手があった。
館員「公使、また朴泳孝氏が来てますが」
竹添「ああ、米国に米朝条約の批准を求める件だろ」
館員「ええ? あれ批准はまだだったんですか」
竹添「うん。米国がまだ批准してなくて、それを催促しに米国に行くはずが中止とな
ったらしい」
朴泳孝は部屋に入ってくると黙って書付けを手渡した。
朴 「・・・・・゙」
竹添「そら来た。なにか秘密に関することだろ」
朴 「シーッ!」
竹添「ここでは心配ないのに」
(朴泳孝書き付け)「米国行きが中止になったと言うのは嘘で、実は閔泳翊を全権公使
としてモルレンドルフと共に米国に遣り、ついでに欧州にも立ち寄って各国と条約を結
ぶニダ。中国天津から行くニダが李鴻章にはこのことは話さないニダ」
(続き)
竹添「あ、やっぱり行くの?」
朴 「シーッ!シーッ!」
竹添「鶏かよw 筆談にするたい」
(朴)「これ、最も秘密のことなり」
(竹添)「米国との条約は、条文上では朝鮮を独立国と見做して書かれたと聞く。し
かして又、照会の別文あってそれには中国属国とあるを聞く。之を如何に処するつも
りや」
(朴)「僕漢字苦手也哀乞」
(竹添)「貴殿両班貴族也、何故漢文不出来歟」
朴 「ウリはリアルタイムでは書けんニダよ」
竹添「はあ? 朴ちゃん勉強しなよ!」
朴 「アイゴー!!」
竹添は朴泳孝が筆談がよく出来ないので詳細の事は分からなかったと報告している。
ハングルを諺文と称し、漢字文こそが正式であるとする両班でも、その場でサラサラ
と漢文が書ける者はそういなかったのかもしれない。下関で宮本小一と筆談した尹雄
烈も筆談は苦手であると言っていた。案外そんなものかも。地方両班で儒家の全琫準
もウンウン唸って書いてたしw。で、手紙なんかは漢字とハングル混じりだったりするw
(明治8年の通訳官浦瀬裕と訓導玄昔運の通信にあり)
(続き)
館員「ところで居留区日本人の取締り規則が出来たようですが」
竹添「うん。軍は紀律が厳しいけど、民間がねえ、むちゃする奴もいるから。3月か
らはそんなの即刻強制送還か罰金ね」
館員「そういや、居留区外の遊歩範囲を越えてウロウロする日本人もいますねえ」
竹添「それも4月から罰則がつくたい。トラブルの元だから」
館員「ああ、去年に元山の方で事件になりましたよね」
事変前の明治15年3月末、元山津居留地の日本人5人(含む僧侶2人)が規定範
囲の4qを遥かに越えた14km先の安辺地方まで出歩いた。
途中、知り合いの朝鮮人と出会って荷物運搬夫として雇い、着いた先で再び僧侶を
見知る朝鮮人がいたので、馬を雇ってくるよう依頼して休んでいると、大勢の朝鮮人
たちが集りだす。日本人の1人は猟銃を携帯していた。
朝鮮人「ちょっとその銃見せるニダ」
日本人「ああ、いいよ。これはね。こうするの」
朝鮮人「こうニカ?」
ズダーン!!
朝鮮人「的に当ったニダ!当ったニダ!!」
日本人「だろ。これは散弾と言って、小さな弾が沢山飛び出して当たる範囲が広くな
るんだよ」
朝鮮人「こ、これはいいものニダ!」
日本人「うん。鳥とか鹿とか撃つのに適しているんだよ」
171 :
マンセー名無しさん:2007/12/26(水) 21:53:14 ID:rW9Qj/Xa
(続き)
僧侶「もう夕方だからそろそろ引き返しましょうか」
日本人「うん。そうですねえ。けど馬を頼んだのになかなか来ないなあ」
日本人「まあ歩いて帰るしか・・・・しかしちょっと大勢集りすぎでない?」
群集は2、3百人に膨れ上がっていた。
僧侶「なんか雰囲気怪しいし」
日本人「帰ろ帰ろ」
日本人一行が帰り始めると、いつものように群集からいきなり石が飛んできた。後
ろを歩く荷物を運んでいた朝鮮人が大勢から引き倒されて殴られている。
日本人「こらーっ!」
猟銃を空に向けて1発撃つ。群集はそれでひるんだ。それで荷物をまとめて急いで
立ち去ろうとすると10人ぐらいが追い、更に追う者の中から銃声が2発鳴った。
日本人は2人が逃げおおせたが僧侶1人を含む3人が5、60人に取り囲まれて一
斉に石や棒で殴られて気絶、また僧侶は小刀で刺されて死亡。荷物一切が強奪されて
いた。
馬を雇いに行っていた朝鮮人が、結局は馬が見つからなかったことを報せに戻って
倒れている3人を発見し、息を吹き返した1人を背負って役場に届けた。
朝鮮北部はとりわけ治安が悪く強盗が多かったことで有名。いわゆる匪賊温床の地
やねえ。
気の毒なのは荷物運搬夫として雇われて負傷した朝鮮人、ということで後に日本人
一行から見舞金として銅貨1千枚が贈られた。
で、当然元山津領事館が府使に抗議して取締りを依頼。しかし、日本人一行も遊歩
規定を違反していたので強くも言えないことであったが、後に花房公使が事変談判で攘
夷の石碑を撤去させるきっかけとなった事件であった。なお遊歩範囲は4qから20q
となり、更に明治16年9月からは40kmに。
(つづく)
快諾、カムサ
上記のスレ立てたお稲荷様にも聞いて、許可貰い次第、順次貼り付けていくニダ
>>175 お稲荷様の許可も出たのでコツコツと作業にはいるニダ
>>176 まとめて読みたかったニダ。ご苦労様です。
なんだか、週間連載で楽しんで、単行本でもやっぱり読んじゃう気分ニダ。
ウリも密かに楽しみにしてたニダから嬉しいニダ。
お許しは出たけど、ここまできつい作業とは思わなかったニダw
(ホロン部をちょっと尊敬するニダ)
年内には何とか前スレ分は全部うpするニダ
180 :
マンセー名無しさん:2007/12/28(金) 12:01:25 ID:/lpX7bM9
朴 元大統領『しかしあのとき、我々は自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。
もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。 もしロシアを選んでいたら、
ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。 そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。
日本を選んだということは、BESTとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、 Second Bestとして私は評価もしている』
[参考サイト][参考サイト]と述べて、反日言動に走る側近をたしなめたと言います。このように日本統治時代を経験した人が日本を評価し、
経験もしていないものが反日とはおかしな国です。[朴正熙の自国に対する歴史認識][咸錫憲の自国に対する歴史認識]
本当に年内に終わるのであろうか。
途中から半角スペースが気になったり、禁足処理が気になったりで
手動で直すと時間係り過ぎw
年内目標にガンガリますw
たったこれだけの文を打つのに普段の何倍かかっているんだろう…
酔っててもこんな短文に30分かかるか〜!w
併合前の日朝(続き)
さて、朝鮮国王は密かに独立の体面を求め、またそれによって独立を志向する開化
派すなわち日本党も勢いを得始めていた。
日本党の頭である朴泳孝はボロ小屋撤去を口実に支那党から叩かれて広州留守官に
左遷されたが、日本党になった洪英植は外務大臣相当となって金宏集や馬建常と同列
になり、金玉均は外務次官相当となってモルレンドルフと同列になった。また、閔族
の要人である閔泳翊は清国や欧米を廻った時に、モルレンドルフの案内もあってよく
見聞を広げて清国は頼むに足りないことを知り、日本に依頼する方がよいと述べるよ
うになった。
それらのことから、自主を口にし日本党を自称する朝鮮人は勢いを増したと。
しかしだいたいやねえ。自主とか独立とか言うけど、この人たちの場合、内実は事
大でしょ。それもつまりは体よく外国を利用するということ。相手が清国か日本か或
いは露国などの違いのみ。開化と言ってもどの程度国体を変えるつもりなのかは実に
曖昧。せいぜいが軍備を強化し鉱山を開発したいという願望を抱くぐらい。つまりは
清の洋務運動に倣うのとあまり代わり映えはない。立憲君主制度を導入するのか。国
内法を大々的に改めるのか。もちろんそれをせねば日本始め諸外国とのいわゆる「不
平等」と言われる条約の改正などは、求めてもそれこそ門前払いであろうし。(「治
外法権」の理由は古代の法律のままだからだぉ)
(続き)
金玉均「馬建常はその内に清国に帰ることになるニダ」
竹添「本人からそんなこと聞いてないけど」
金玉均「ウリの国には不要の人ニダ」
竹添「そんなこと言うとこっちが清国政府からあらぬ疑いかけられるんだけど」
金玉均「我が国は独力でいくニダ。清が送り込んだモルレンドルフも不要ニダ」
竹添「でもこの頃からモルレンドルフが尽力して清国政府から無抵当で20万両もの
お金を借りれたんだろ?」
金玉均「けど8%の利子がつくニダ」
竹添「それに彼は朝鮮の特産物を作ろうと、清国から桑の苗を5千本ほど持ち帰った
と言うじゃない」
金玉均「いらんことニダ」
竹添「僕もよく会って彼を知っているが、清国の利益を図るのでなくて朝鮮のために
働いている公平の人だよ。しかもドイツ人なのに朝鮮服を着て本当に朝鮮官吏らしく
出所しているし」
金玉均「格好だけニダ。本心は分らんニダ」
竹添「国王や政府皆からの信用も厚いと言うよ」
金玉均「ウリも国王の信任厚いニダ!」
竹添「あ、ライバルライバルねw」
金玉均「本当ニダ! 今度国王から特命を受けて日本に行くニダ!」
竹添「へーへー」
(続き)
金玉均「今度日本から公債を募ることになったニダ」
竹添「公債ねえ。で、いくら募るの」
金玉均「300万円ニダ。モルレンドルフの20万両(日本円約30万円)とは桁が
違うニダー!」
竹添「300万円!!? ちょっおまそれ!」
金玉均「あーん?驚いたニカ?」
竹添「それって無理じゃない? いろんな開発資金が朝鮮に必要なのは分るけど」
金玉均「軍備や鉱山開発などに宛てるニダ。公使は反対ニカ?」
竹添「うーん、難しいと思うよ」
金玉均「反対でも井上外務卿に頼むからいいニダ!」
館員「どうしたんすか。金氏えらい興奮して帰りましたけど」
竹添「やれやれ、日本党はあまりはやり過ぎじゃね?」
で、金玉均が渡日して井上外務卿と相談。明治16年7月2日のこと。
(続き)
井上「拙者も随分尽力したが、ようやく米国も貴国を独立国と認めたのは喜ばしいこ
とだぉ」
金 「閣下が尽力下されたのは朴泳孝とウリがよく承知しているニダ。感銘しているニ
ダ」
井上「米国公使の朝鮮着任に貴国政府の接待も行き届いていると聞くぉ。満足に思う
ぉ」
金 「いや、行き届かんことニダ。それよりもウリはよく分らんことがあるニダ」
井上「何?」
金 「ウリの国は独立国ニカ? 属国ニカ? よく分らないニダ」
井上「はて、自分の国のことが分らないと?」
金 「日本と米国は対等の条約を結んだので独立国ニダ。けど清国はウリの国に兵を
置いて属国属国と言っているニダ」
井上「(カチッ・・・説教モード)貴国は永年支那に対して属国であった。それが日
朝条約によって独立の萌芽を発し、今は米国との条約によってより独立の傾向にある
。しかし清国とは3百年の主属の関係があるから、今、断固として純然たる独立国と
なるには清国と戦争してこれを打ち破られねばなるまいが、それは無理であろう。ゆ
えに急激に求めず、各国から次々と独立国の承認を得て、純全無傷の独立を得るべき
である。今日のところは独立の傾向にある、と言うことが出来よう」
この後、金玉均はまたもモルレンドルフの排斥を目論むかのように彼をひとしきり
非難。
(続き)
井上「彼のしていることは公平だと思うが。君の疑惑ではないのか」
金 「これは嫉妬で言っているのではないニダ。深い理由があって話せないニダ。彼は
、小さい日本にだけ頼むことは出来ない、各国にも頼まねば、と言っているニダ」
井上「人が疑いを抱く時は、どのような真実を見ても疑わざるを得なくなるものであ
る。君と朴君は道理に明るい者ではないのかね。独立独立と口では言っても急に支那
の属国論を止められまい。ゆえに米国を引き入れ、独国、英国なども引き入れて、つ
まりは支那自ら朝鮮の独立を認めざるを得ない勢いに到らせんとせねばなるまい。た
めに外国を引き入れるには貿易の利を以ってする外はない。故にその工夫がいるので
ある」
金 「しかしモルレンドルフ氏に害心があるのをウリは知っているニダ。けどこれ以
上言うのはウリの国の恥になるので話さないニダ」
で、ようやく公債の話に移る。
金 「ウリは財政の一部も担当しているニダ。政府では外債を募ることにしたニダ」
井上「金は何の用?」
金 「今は当5銭の銅貨を鋳造しているニダが、これじゃ足らんニダ。兵備、鉱山など
に使う内命を受けて来たニダ」
井上「外債はどこの国でするの?」
金 「貴国でしたいニダ」
井上「我が国民間で貸す者があれば別に異論はないぉ」
金 「ウリが知っている人間がいないので閣下の御尽力を願うニダ。この前の17万
円も閣下から斡旋してもらって整ったニダ」
(続き)
井上「どれほどの額?」
金 「300万円くらいニダ」
井上「自分が保証人になることはお断りするぉ。前の17万円も何の用に立ったの?
。君たちは金を使うことは知ってても、それを収める先々のことは何にも分ってない
ぉ」
金 「一言もないニダ。17万円は5万円を賠償に充てて、残りは器械などを買ったニ
ダ。今度は鉱山開鉱に着手するニダ」
井上「17万円の内、なお正金銀行に残りがあることも承知してるぉ。けど人に騙し
取られたことも知っているぉ。君は随分と不始末の人だぉ。朝鮮のために図るモルレ
ンドルフは疑われ、朴君は民意に反してボロ小屋撤去したから左遷され、政府内はく
るくる変るし誰に全権があるのかすら分らないぉ。信用もないぉ。よって300万円
の保証人にはなれないぉ」
金 「国王を信用されるなら尽力するニダ」
井上「国王に会ったこともないし、まして親しいわけでもないぉ。貴政府のこれまで
を見て判断するしかないぉ。貴政府では支那党が借りた金は支那党だけが使うという
有様じゃん。政府の権力も一つではないし、これではとても信用が出来ないぉ」
金 「金がないなら何事にも着手できないニダ」
井上「だいたい、利子がいくらになるか分かってんの? 莫大だぉ。鉱山開発してす
ぐに利益が出るものでもないし。貸してもどうせ軍艦を率いて返済を迫ることになる
のは必至」
(続き)
金 「ご親切があるならウリの国を見捨てずにお金を募るニダ」
井上「金を貸さないと不親切とな? 自分は先のことを思って言っているぉ」
金 「急務ニダ」
井上「鉱山開拓しての利益計算はしてるの?」
金 「まだ計算してないニダ」
井上「償還はどうするの?」
金 「抵当も立てるニダ」
井上「抵当は何?」
金 「新たな税関でも鉱山でも求めに応じるニダ」
井上「税関の収入はいくら?」
金 「まだ分らんニダ。鉱山でもいいニダ」
井上「鉱山の採算は?」
金 「出資者が調べればいいニダ」
井上「これまで政府では鉱山からどれだけ採取した?」
金 「まだ着手していないから分らんニダ」
結局は何の計算も出来ておらず返済計画もなく、ただ日本の情に頼って莫大の金
を求めているに過ぎなかった。なんと大した独力主義者w
189 :
マンセー名無しさん:2007/12/29(土) 22:18:21 ID:sEhmvKmO
(続き)
井上「とても300万円は無理だぉ」
金 「引き受けて下さらないなら朝鮮を見捨てたとしか思えないニダ」
井上「そう思うならそれで仕方ないぉ」
「朝鮮に対する愛情はないのかーー!!」
という声が聞こえて来るようなw
で、この頃、井上馨は朝鮮がスイスのような永世中立国となることを希望していた
と言う(井上角五郎の言)
で、やがてそれは絶望に変るけどね。
(つづく)
>>181 いろいろ乙です
>>189 いつもながら乙 これをチョングルで発行したら絶対発禁だなwwww
きっと心ある希少種以外、大噴火間違いなしwwwww
俺、モルレンドルフは、ミンピと組んで国費を私物化した奴と思ってた。
これはこれは、金玉均にたばかられてたか。
併合前の日朝(続き)
さて懸案の日朝貿易関税の件なのだが、前年7月に花房公使がこれを協議中に事変
が起きた事により未決のままになっていたが、漸く竹添が再協議することに。
米国公使フート「朝鮮政府は貧乏ですねー。だからケチですよー」
竹添「国全体が貧しいからねえ」
米国公使フート「だから関税である程度儲けさせねばいけないでしょー」
竹添「あ、それ日本政府もそう思っているし、貴国の対韓政策を参向に今度作った関
税額を5%〜30%と大きく幅を持たせたこの関税案でどうよ」
米国公使フート「オー、よいと思いますねー」
で、関税協議前にモルレンドルフにも内示。
モルレンドルフ「こ、これはスバラシイです。朝鮮が助かりまーす。まず日本と朝鮮
でこのような税則を設けるなら各国も異議をいれないでしょー。政府に速やかに議定
するように促しまーす。ダンケダンケ!」
竹添「あんたほんとに朝鮮のため思ってるのね(ほろり)」
で、朝鮮全権委員の閔泳穆との間で速やかに条規が整ったのは7月25日だった。
ついでにこの時、朝鮮海岸における日本漁民取締り規則も制定。朝鮮の海岸で日本人
が漁業を営むのは個々が結んだ約定に基づいていたが、朝鮮が禁止するものに違反し
た時の逮捕と領事館への送致を定めたもの。
(続き)
また、朝鮮鬱陵島で日本人が木材伐採をしていたことから、9月に全員を日本に送
還するなどのこともあった。
その業務に向った日本政府内務省書記官は、さぞ島民などとトラブルになっている
だろうと赴くと、意外にも良好な関係であったという。
書記官「・・・・というわけで、日本人全員を引き揚げさせるから。迷惑をかけて申
し訳ない」
島の長「ニカ? 迷惑ってなんのことニカ? かえってウリたちが助かっているニダ」
書記官「??」
島の長「ウリたちは島民は60人ぐらいニダ。御存知のように不便な地で食に困るこ
ともあるニダ。しかしイルボンの人らが食料を運んで来てその恩恵にあずかっているニダ」
書記官「でも勝手に朝鮮国の木材を伐採しているから・・・」
島の長「そうではないニダ。ウリたちはこの恩を忘れていはいけないニダ。伐採がすん
だ木材は皆持って行ってほしいニダ」
書記官「ええ!? でも自分たちは我が国の人を送還する役目で来ているから、木材
を持っていくわけにはいかないのよ」
島の長「ならば40日待って欲しいニダ。そうすればイルボンの人たちの船が来て木
材を運びだせるニダ」
書記官「そう言われてもねえ、困るのよ。日本人が違反してたのだから。しかし貴殿
の好意は必ず我が政府に上申しよう」
島の長「それならば仕方ないニダ。けど察するニダ。イルボンの人に木材を与えるのは、
ウリたちすでに数百人が世話になってきたからニダ。ウリたちは毎年氷解を待って
渡って来てまた秋に帰るニダ。その間、ウリたちは日本人から食料を得ているニダ。こ
の恩に酬いることが出来ないのは実に心苦しいニダ」
195 :
マンセー名無しさん:2007/12/31(月) 23:07:45 ID:Z6wPPoe0
(続き)
書記官「それは分った。しかし違反は違反なのだから」
島の長「なお特別にウリたちが貴国の人から助けられたことがある。これを書面にし
たから政府に出されたいニダ」
その書面にはこうあった。
「今年の夏にウリの国の人30人余りが船で来たが、暴風で難破してまさに死の危機
に陥った。しかし幸いにも貴国の水に慣れた人々が死を冒して救出してくれた。全員
無事であり今も生活が出来ていることは、その恩は山よりも高く海よりも深いものニタ
゙・・・・」
島の長「なおイルボンの人が帰るならウリたちは飢餓を免れられない。願わくば憐憫
をかけられたいニダ」
書記官「そのようなことならどうして捨てて置けようか。これは両国の友誼である。
その請求に応じよう」
島の長「願わくば米25包み(白米4斗2升)を救助されたいニタ」
書記官「やすいことである」
島の長「カムサハムニダ!カムサハムニダ!」
かくて日本人252人は鬱陵島を引き揚げ船に乗って帰国することになったが、島
民皆が兄弟親友のように日本人との別れを残念がり、日本人の行李を担ぎ、荷物を持
ち、海岸まで送った。
島民「イルボンー! どうしても帰る二カー! また来るニダー!」
日本人「元気でなー! 達者で暮らせよー! 小屋に米を残してきたから使えー!」
島民「カムサニダ、アイゴー!アイゴー!」
いつまでも別れを惜しむ光景があったという。明治16年9月のことであった。
(つづく)
>>191 真相は分りませんねえ。風説醜聞にことかかない国ですから。そういう中にあって竹添公使にはモルレンドルフが公平の人に見えたということのようです。
>>192 971が抜けてますが、重ね重ね乙です。
では皆さんよいお年を♪
併合前の日朝の中の人
いつもありがとうございます
今年もよろしくお願いします
198 :
夜船:2008/01/01(火) 20:19:15 ID:3uQakFx+
>>195さんへ。
新年明けましておめでとうございます。
今年もすばらしい作品を期待しております。
併合前の日朝(続き)
竹添「じゃあ朴ちゃん、これで契約成立ね」
朴泳孝「確かにニダ。あそこに西洋館が建つのは楽しみニダ」
竹添「うん。応接の館にするつもり」
朴泳孝「じゃあ、ウリもそこで応接してもらえるニカ」
竹添「勿論たい」
今の日本公使館が手狭なことから、城内の朴泳孝の邸宅を買い取って改装し、新た
な公使館とすることになった。中には応接館として西洋館も建てることになった。(
明治16年10月政府許可)
竹添「そう言えば、この10月に若い人14人が陸軍戸山学校に入学するんだろ」
朴泳孝「ニダ。徐載弼らニダ。イルボンで陸軍士官や学術などの授業を受けさせるニダ」
竹添「いいねえ。現代文明の軍というものがどのようなものかしっかり勉強させると
いい」
朴泳孝「帰ってきたら朝鮮軍を指揮させることになってるニダ」
(で、この連中が後に朴金クーデターを担うことになる)
明治16年12月、仁川居留区に郵便局が設置された。それに触発されたのか、朝
鮮政府でも郵便事務を行うことになった。朝鮮初の郵便事業である。
朝鮮大臣「けど、どうしたらいいか分らんニダ。それでイルボンに協力してもらいた
いニダ。」
竹添「郵便業務に精通した専門家を雇わねばならんだろうねえ」
朝鮮大臣「イルボンの政府に頼みたいニダ」
竹添「よし承知した」
後に、日本政府駅逓局5等官の小尾輔明が、任期3年俸給月額銀貨130円で朝鮮
政府に雇われることに。
(続き)
朝鮮大臣「ついては、郵便切手も作って欲しいニダ」
竹添「あ、それも要るよなあ。で、いかほど?」
朝鮮大臣「5文切手が5万枚、10文切手が100万枚、25文切手が50万枚、5
0文切手が50万枚、100文切手が30万枚ニダ」
竹添「おう。けっこうな量だねえ」
朝鮮大臣「ついては、お客さんであるウリにうんとサービスするニダ」
竹添「分った、分ったよ(笑)」
てなわけで、大蔵省からの政府上申で、交際上親睦のため各切手の2万枚だけは無
償譲与とした。
日本で300万円の公債を募る事に失敗した朝鮮政府ではあるが、色々と日本政府
に依頼するという結びつきに変りはなかった。
明治16年12月、竹添公使は一度帰国してこれまでの事を政府に報告することに
。
竹添「うー、やっぱり日本はよかなあ。第一清潔たい。空気がうまかあ」
随行員「ですよねえ。京城では朴泳孝が漢城判尹を辞めさせられてからまた道路はウ
ンコ塗れになりましたから」
竹添「朴や金玉均も、朝鮮をどげんかせんといかん、と言っているが、どうにもなら
んだろ、あそこは。島村書記官に任せて当分俺も帰らんぞ。」
で、竹添は1年近く日本に滞在し、その間、外務書記官島村久が代理公使となった。
明治17年に入ると、朝鮮政府内では清国の後押しを受けて支那党の巻き返しが始
まった。
(続き)
一旦は辞任していた清国事大派の急先鋒である趙寧夏も復帰。閔族のドン閔台鎬も政
府要職となり支那党に。清国よりも日本が頼りになると言っていた閔泳翊も結局は支
那党になった。しかし閔族内でも対立があり、支那党はAグループとBグループに別
れたりした。政府大臣たちはくるくると入れ替わり、要職は支那党ABが占めはいた
が、まさに井上馨が言ったように政府全権がどこにあるのか分らない状態。
それは、在京城清国領事である陳樹棠の露骨な干渉がもたらしていた。
Aグループ「だいたい、おまえらの外交が拙いから清国様が心配なさるニダ」
Bグループ「何ニカ? ウリたちも一生懸命やってるニダ!」
Aグループ「フンニダ。この前に陳樹棠さま(在京城清国領事)から叱られていたの
は誰だったニカ?」
Bグループ「あれは日本党のせいニダ! 日本党のやつらが邪魔しているニダ!」
陳樹棠は朝鮮政府の者を叱るのに殴る蹴るの暴力を振るったという。
Aグループ「陳樹棠さまのお叱りを非難したやつがいるニダ!」
Bグループ「それも日本党に決まっているニダ!」
Aグループ「陳樹棠さまのすることは清国様のすることニダ。それに文句言うやつは
反逆罪ニダ!」
Bグループ「だから親日派が文句言っているニダよ!」
Aグループ「イルボンなんか清国様に比べたら小国にだ。日本党なんかごく少数でと
るにたらんニダよ」
Bグループ「けど日本党は王様をとりこんでいるニダ。だからいろいろと王様はイル
ボンに依頼するよう命じているニダ!」
Aグループ「そこをうまく立ち回って清国様に依頼するように仕向けるのが外交とい
うものニダ!」
Bグループ「ファビョーン!! そんならおまえらが外交するニダ!! どんだけ大
変かやってみると分るニダ!!」
Aグループ「そんならウリたちがするニダよ」
Bグループ「フンニダ!どうせ1ヶ月もしないうちに辞めるに決まっているニダ!」
202 :
マンセー名無しさん:2008/01/05(土) 00:20:18 ID:5VX4pf1S
(続き)
てなことを聞いた島村代理公使は、
島村「どう思う?モルレンドルフさん。あいつら小学生かよ」
モルレンドルフ「陳樹棠の干渉のせいでーす。彼に媚びる者たちだけを取り立ててい
ますねー」
島村「清国の内政干渉じゃね?」
モルレンドルフ「そーでーす。しかし朝鮮官吏たちも卑怯で臆病者たちばかりなので、
毅然と自主の精神で立ち向かう者がいないですねー!」
島村「日本党は地位が低いからねえ。君の立場も微妙だし」
モルレンドルフ「僕は金宏集さんが政府にいる間は大丈夫でしょう」
島村「ほんと、彼は支那党にも日本党にもつかないから」
モルレンドルフ「金宏集さんは朝鮮のことを思う朝鮮党ですねー」
しかし金宏集の地位も低く(大院君と直接面会できない身分)、その有能さを誰もが
認めていたが発言力は殆どなかった。
また、「朝鮮官吏は卑怯で臆病な者達ばかり」というのがドイツ人顧問の所見であった
が、何も日本人だけがそう思っていなかったことが分る。
支那党の勢いは増し、王妃を通じて圧力を掛け、日本党である朴泳孝、洪英植、金玉均、
徐光範らを排斥する動きとなっていった。
(つづく)
>>198 今年もよろしくです〜♪
203 :
マンセー名無しさん:2008/01/05(土) 03:15:02 ID:zBkQbqrH
「併合前の日朝」先生。
新年明けましておめでとうございます。
快筆、楽しませてもらっております。
ありがとうございまーす。
204 :
マンセー名無しさん:2008/01/05(土) 20:48:44 ID:Yeyn7KQm
アホ右翼の韓国併合唯一のよりどころ一進会のまとめ
1 会員数、自称百万人、実数4千人以下。
2 日本政府はすでに閣議で韓国併合を決定済みであった
3 請願書は、韓国皇室存続など対等合併を要求し、日本政府は完全無視した。
4 請願書により韓国人民から大顰蹙をかい、排日運動が激しくなった。
5 一進会は韓国併合の翌月解散させられた。
205 :
マンセー名無しさん:2008/01/05(土) 20:52:55 ID:Bn5ZNP3P
日本の韓国併合での私立学校潰し
バカ右翼的主張 100校に満たない公立学校を、終戦までに、5000校にした。
↓↓↓実態↓↓↓
併合前 私立学校 2250校、私塾など 3000校
↓「私立学校規則」で、弾圧、解体。朝鮮総督府編纂の教科書の強制
1912年 私立学校 1362校
1919年 私立学校 749校、私塾など 1万7000校
朝鮮人が大いに作っていた私立学校を、天皇国歌賛美の教科書の押し付けまでして解体、激減。
それにより私塾が大流行。
「自分では何にもできない朝鮮人に学校を作って教育してやった」などとは、アホすぎて笑える。
>>204 1.実数4千人以下のソースは?
2.3.は当然のことだろ。どっちの立場が上だったか考えてみろ。
4.それは朝鮮人の問題だ。一進会は朝鮮人の政治団体だったんだから。
5.韓国併合後に解散させられたのは一進会だけではなく、すべての政治団体だったわけだが?
ま、いずれにしろ併合を防ぐことができなかった朝鮮人の先祖がヘタレだっただけの話。
207 :
マンセー名無しさん:2008/01/05(土) 23:28:40 ID:5VX4pf1S
>>205 近代国家として歩む日本国となったのだから、中国明代の儒教を教え込む学校などいらんわなあ。
潰して当然。
それとも何か? 女は外国人と恋愛したら梟首刑にされるとか、犯罪者の家族は親も子供も連座
で刑を受けるとか、そんな古代の教育を朝鮮人は受け続ける方がよかったってか?
・・・・・よかったかもしれんがw
208 :
マンセー名無しさん:2008/01/05(土) 23:35:05 ID:vauglC5V
>>206>>204 というか併合を進めることにしても相手方がNOといえば無理なわけで、
NOといい自分でやっていく国力ができなかったのが朝鮮の100年前。
日本が併合を閣議決定しても併合は出来ない。
>>205 > 併合前 私立学校 2250校、私塾など 3000校
> ↓「私立学校規則」で、弾圧、解体。朝鮮総督府編纂の教科書の強制
> 1912年 私立学校 1362校
> 1919年 私立学校 749校、私塾など 1万7000校
よし、ソース名出してくれ。
調べてくる。多分、ネット上にはないだろうから。
まさか、ソースなくていってるわけではないんだろ?
君が出してくれるなら一番いいんだが。
いざとなればソンセンニムに各大学に照会してもらうぞ。
朝鮮人による排日運動ねぇ
俺の母親は朝鮮からの引揚者で、母親は子供だったからあまり分からない
祖母からいろいろ聞いたことがあるが
排日運動とか抗日運動とか聞いたこともねえな。
まー正直な話、多少の差別はあったみたいだがな。
それでも、おおむね平穏にやっていたのが事実だと確信できる。
211 :
マンセー名無しさん:2008/01/07(月) 21:38:59 ID:85Fhqb69
212 :
マンセー名無しさん:2008/01/07(月) 23:10:10 ID:wi5cY6nu
朝鮮人は悪質なウィルスと同じだ。
文明人が、未開のジャングルを開発したばかりに本来、大自然に潜んでいたウィルスが
我々の文明社会に猛威を奮っているが
日本人も朝鮮半島はど開発しなければ、このウィルスが発生することも無かっただろう。
大和民族の最大にして最悪なる歴史の汚点だと思う。
213 :
秋山真之 ◆pD6PIPjmq2 :2008/01/07(月) 23:18:48 ID:kmh+4DFM
伊藤博文が着任して、日本の江戸時代の寺子屋のレベルに全然達していない
現状を見て、大激怒したそうです。
まあ、日本の識字率と教育率が異常なだけでありまして。
明治時代以降は軍隊でも、イロハも書けないような兵隊には
わざわざ時間を取って読み書きを教えたそうです。
> 併合前 私立学校 2250校、私塾など 3000校
> ↓「私立学校規則」で、弾圧、解体。朝鮮総督府編纂の教科書の強制
> 1912年 私立学校 1362校
> 1919年 私立学校 749校、私塾など 1万7000校
日本の「学校」の規準に達してないものを「塾」扱いにしただけで
ないの?
215 :
マンセー名無しさん:2008/01/08(火) 10:38:35 ID:nEDeEqKn
216 :
マンセー名無しさん:2008/01/10(木) 13:35:20 ID:cyOKJ5iI
韓国人の辞書には「礼儀」「マナー」も存在しない。オリンピック招致失敗は民度最悪の人々に天罰が下ったのだ。
福田首相は、アジア外交を重視するという。そこで韓国人の長所を考えてみることにした。まず民族性・国民性に関して「正直」「まじめ」「嘘をつかない」「勤勉」「清廉潔白」「おだやか」「優しい」「温厚」「親しみやすい」「潔い」「礼儀正しい」
「きれい好き」「創造性」といったことばを思い浮かべながら、彼らの長所をさがした。結局長所をまったく思い浮かべることができなかった。
韓国の文化・伝統・芸能を考えても、リスペクトできる要素がまったく見つからない。
産業界における最先端技術、デザイン力、職人芸等においても日本が見習うべき要素がまったくない。
アジア外交重視といわれても韓国には長所も、愛すべきところも、敬意を覚えることも、見習うべきところもない。韓国との交流重視に、はたしてメリットがあるのか。
日本外交における最大にして最良の決断は、菅原道真による遣唐使の廃止だった。大陸諸国とは疎遠であることが、安全保障を含めて日本にメリットをもたらしてきた。これは歴史がものがたる厳然たる事実だ。
「隣国とは絶対仲良くしなければならない」という強迫観念から、日本は解き放たれるべきだと思う。しかも中国にしろ韓国にしろ、日本と本気で仲良くなろうなどと全く考えていない。
217 :
マンセー名無しさん:2008/01/10(木) 14:53:06 ID:oMerLlv4
>>216 >日本外交における最良の決断は、菅原道真による遣唐使の廃止だった。
>…日本にメリットをもたらしてきた。これは歴史がものがたる厳然たる事実だ。
>「隣国とは絶対に仲良くしなければならない」という強迫観念から、日本は解き
>放たれるべきだと思う。しかも中国にしろ韓国にしろ、日本と本気で仲良くなろう
>などと全く考えていない。
それに加えて、
1885年3月に公表された、あの福沢諭吉による「脱亜論」も付け加えておきたい。
「シナ・朝鮮に接するの方も、隣国なるが故に特別の会釈に及ばず。正に西洋人が
之に接するの風に従って処分すべきのみ、悪友と親しむ者は、共に悪名のそしり
を免れるべからず。我は心の中において亜細亜東方の悪友と謝絶するものなり。」
この言葉は2008年になった現在でも依然として真実であり続ける。
日本国政府は先人の知恵に逆らう政策を実施しつつあるような気がする。
併合前の日朝(続き)
さて、この頃朝鮮政府各省庁には各1人ずつ清人顧問官を置き、支那党は兵権を掌
握し、内治外交の問題も一々それを先に清国政府に尋ねさせるなど、清国政府は朝鮮
の属国支配を強めていった。
しかしそれに反発する文武の士族などが日増しに多くなっていった。
また、朝鮮人一般を憤怒させる事件もあった。
明治17年旧正月の頃、ある朝鮮人薬局店に清兵が来た。
薬局店主「これは清兵さま何かお求めニカ?」
清兵「おう、この人参は立派アル」
店主「それは少々お値段が張りますニダ」
清兵「そうアルか。ではもらっていくアル」
店主「ニカ?・・・あ、あの代金がまだニダ」
清兵「何か言ったアルか」
店主「・・・だ、代金が」
清兵「ほう。何アルか、おまえらの宗主国である大清帝国兵士に金を払えとな」
店主「・・・ううう、ファビョーン!! いいかげんにするニダ!! 金払うニダ!!」
常の朝鮮人らしくなく強い態度に清兵は拳銃を取り出し、
清兵「うるさいアル!!」
バーン!! と撃ち放った。店主は悲鳴を挙げて倒れた。
店主の息子「オヤジ! 何事ニカ!・・・ああっ!! オヤジー!!」
清兵「ふん、逆らうからアル!」
清兵は悠々と人参を持って店を出ていった。店主は息絶えた。
(続き)
店主の息子「オヤジー!!アイゴー!!許さんニダ!許さんニダ!」
息子は朝鮮官吏に訴え出た。
さすがに朝鮮政府も捨て置けず、直ちに清兵営に問い合わせた。
その頃、清将提督馬建常はすでに任を解かれて帰国しており、部下であった袁世凱
が清営提督として任じられていた。
清兵「ということで、朝鮮政府から照会が来てますが」
袁世凱「あ〜ん? 朝鮮人参? ふん」
清兵「一応調べますか?」
袁世凱「必要ないアル! 我が中国兵は紀律厳正にしてそのような犯人はいないアル、と
言っておけ!」
だいたい清兵というのは金で雇われた無頼の徒の類であった。清将提督が一々その
ような者の行動の責任をとるつもりはなかった。とりわけ袁世凱は前の馬建常と違い
傲慢な人間であった。
朝鮮人「アイゴー、薬局店主は気の毒だったニダ」
朝鮮人「どうして犯人の清兵を探さないニカ」
朝鮮人「あいつら犯人は清兵の服を着た朝鮮人か外国人アル、と言っているニダ」
朝鮮人「アイゴー、そんなパカな」
(続き)
この事件は朝鮮官報を発行している博文局顧問井上角五郎の耳に。
井上角五郎「これはひどい事件だなあ。よし今度の官報10号に載せよう」
「漢城旬報」は官報ではあるが、井上は事件記事なども掲載するのを方針としてい
た。即ち朝鮮初の新聞でもあった。(全文漢文であり、後に漢字ハングルまじりの「
漢城周報」となる)
記事「支那兵士の中には無頼の徒が少なくない。その挙動は往々にして殺伐粗暴であ
る。今回の事件は支那兵がしたことであると言っても、誰が疑う者があろうか」
しかしこれが清営の目に止まり、角五郎は清兵に付け狙われることに。
島村代理公使「井上君の身辺だけど危険だよねえ」
磯林真三大尉「僕が行きましょうか」
島村「うん。せめて夜だけでも護ってやってくれ」
磯林真三陸軍大尉は公使館駐在武官である。その立場はかつての水野勝毅大尉と同
等であった。
以後、角五郎一人が宿泊している博文局を毎晩訪れて同宿した。
1ヵ月後、清国北洋大臣李鴻章から朝鮮政府と博文局に叱責の書簡が来た。
博文局職員「た、たいへんニダ!! 清国の北洋大臣からこの前の記事を咎める書簡
が来たニダ!!」
書簡「漢城旬報は官報アル。新聞紙ではないアル。今回の記事は誤りであり記事とし
た事実は消すことができないのはけしからんアル! 中国に対して礼を欠くものアル
!!」
221 :
マンセー名無しさん:2008/01/10(木) 23:42:33 ID:8QRhZmoT
(続き)
朝鮮政府「ガクブル!」
博文局職員「ガクブルニダ!」
角五郎「もちつけ! 議事を書いたのは俺だ。責任とって俺が辞任すればよかろう!」
で、井上角五郎は辞表を提出して帰国した。明治17年5月だった。
角五郎「・・・てなわけでした」
井上外務卿「そうか。惜しいなあ角五郎君。朝鮮を文明に向わせるためにも現地での
新聞は是非必要なのだが」
竹添進一郎「角五郎君。君は朝鮮にとって必要な人間だよ。機会を見てまた朝鮮に戻
ってくれよ」
角五郎「はい。いずれそうするつもりです」
これにより角五郎は8月に朝鮮に戻った
(自らの非を決して認めず謝罪せずが中国伝統の文化であることは、この後の明治17
年朝鮮事変で一層明らかになる)
(つづく)
222 :
スモーカー ◆sE9s/SSlUk :2008/01/11(金) 00:27:48 ID:Sz6/RnTN
>部下であった袁世凱が清営提督として任じられていた。
袁世凱キターーー!
明成皇后はないやろ
勝手に皇の字つかったらシナにしばかれるぞ
歴史歪曲朝鮮人
224 :
マンセー名無しさん:2008/01/16(水) 02:55:06 ID:8DtOr31L
大韓帝国つーと、日本が清をしばいてくれた&多額の援助を出してくれたおかげで
ようやく成り立った国のことか。
つホントに併合前なの?
>>224 なんかコメントに
>写真の一部に紫禁城がwww
ってあるけど、本当なの?
>>226 紫禁城かどうか分からんけど、
最初の写真、イザベラの朝鮮紀行の本にあるけど、実際の京城光化門と微妙に違うんだよねえ。3穴の出入り口の大きさが明らかに違うけど・・・・これ詳しい人いない?
>>227 現在の光化門は1969年に再建されたものだから、全く同じではないかも
(大韓帝国のころの光化門は朝鮮戦争の戦災で焼失している)
229 :
マンセー名無しさん:2008/01/18(金) 09:57:10 ID:49ROQ3Xr
およそ100年前の1910年(明治43年)に日韓併合
日本政府から朝鮮総督府への通達文書
朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。 朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。
勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。
朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。
朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。
朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。
殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。 朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。
公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。 朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。
朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。
朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。 朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。
朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、
最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。 朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。
朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。
朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。
朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。
最後の2行が当時の文章とは思えないな
李朝時代ならともかく大韓帝国なら外国人と外国資本のおかげで
ちっとは開発されててもおかしくはないんとちゃうん?
>>231 外国人というか日本人の手によって、少しずつ手がつけられていたように思われる
うん、そうだよね。俺も日本人と書こうと思ったんだけどさ。
そこに引っ掛かって、○○人もいた。○○国資本も…とかグズグズほざく
バカが現れると良スレが荒れるから、わざと外国人と書いてみますたw
234 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:02:29 ID:a73S5j39
中国人の見た韓国
中国人民から韓国36へ訊く ”貴方が恥知らずでなければ誰が恥知らずなのか?!”
1.あなたたちは、かつて中国の藩属だった事実をなぜ否認するか? なぜ以前天朝に来て貢ぎものをささげ、大国が討伐の兵を挙げないようにしたあなたの行為を、
恥知らずにも、このように言う。"両国の友好往来であり、平等的外交で互いに贈っていた”と。
2.あなたたちは太極の図案を盗用して、五行の八卦の中の四卦と陰陽の魚を剽窃し、あなたたちの国旗をとみなすが、中国人民の同意を経た後か?
3.あなたたちは古来より漢字を借用し、いまだに文字の中の一部に相変わらず漢字を挟むが、中国人の許可を経た後か?
4.あなたたちは勝手に中華民国の"民国"の国号を使うが、中華民国政府に知らせを打ったか? あなたの国家はそんなに小さいのに、"大"韓民国を僭称するが、
この大の字はあなたたちを 36年統治した前宗主国の"大"日本帝国を剽窃したのは明らかだが、あなたたちは承認するか?
5.いわゆる"大韓民国憲法"は 1948年に南京で制定された中華民国憲法を剽窃したものだが、あなたは思い切って承認するか?
あなた方韓国の法律のほとんどは、台湾の"六法全書”(憲法、刑法、民法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法)と全く同じだが、当時の中国の優秀な法条の焼き直しだとあなたたちは認めるか?
235 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:04:11 ID:a73S5j39
6.チェコ人は憚ることなく、このように語る、すなわちドイツの近くにあり、発達したドイツのモデルを参照して、地の利の便宜を取り入れて、その発展の由来とするのを認めるが、
あなたたち韓国人は承認するのか?世界第二の大経済体の日本が非常に近くにあって、技術の勉強に便利で、日本の成功経験を取り入れたが、それは近隣の利点を得たのだ、と。 あなたがたはどうしては否認するか?
中国人は信じない。もしあなたがたの東の国が、キューバ、ジャマイカあるいはインドネシア、マダガスカルなどの後れた島国だったら、あなたたち貧しい南の朝鮮は 1970年代に急速にそびえ立つことができただろうか?
7.あなたたちの大韓民国臨時政府は、 1940年代上海と重慶で執務し、今日あなたたちは独立したが、心から中国に感謝するか? あなたたちの教科書の中で蒋介石先生に対する感恩を載せるか?
あなたたちの教科書の中で"中共の軍隊"を削除して、なぜ朝鮮戦争の不実不敬の言辞に干渉するか?
8.中国原産のむくげの花をあなたたちは"限りがない花"を改めて呼んで、また国花を見なしたが、あなたたちの字典の中ではまだ"ムクゲの花"と呼ぶのを知っているか?
9.あなたたちの国歌の中に"長白山"は韓国橿土とのあるが、これは適当でない歌詞で、そこは中国の領土というのをあなたたちが知っているか? 中国人民に修正を告げるのは、いつですか?
10.豆乳は、中国で漢王朝の淮南王により発明されたが、あなたたちのは、現在から何百年か前の発明だが、2000年前より何百年前が早いのか?
236 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:06:00 ID:a73S5j39
11 あなたたちは独立後、在韓華僑に対して"外国人財産制限法"を制定し、この悪法は華僑のささやかな中華料理店を営業できないようにして、
家屋を買うのもなお韓国籍の女房の名前を使うことになり、六万華僑 が アメリカと日本と台湾とアルゼンチン に 流浪 して、どうにか生計を立てる事態を招き、今たった2万の年老いた華僑だけになって、
あなたたちはインドネシアと並ぶ排華というのにぴったりだが、あなたたちはこれに対してすまない気持ちがあるか?
12 あなたたちは独立後まもなく、極端に推進した"ハングル専用"政策は、もともと"漢字ハングル併用"を排斥であり、法規を制定する政府の公文書の中は漢字を使用する許さず、大通りの看板と告示は皆"国文化" し、小学校で漢字を教えず、
中学では教えるの漢字の数量を減らし、新聞の見出しの上に、しばしば目立たせる効果を増すために使う位に残るだけで、少数大企業と内部の文書だけは使用して、十年来"脱中国化"の悪果として、漢字文盲の一世代を養成したが、
あなたたちの北方地区政権はまったく漢字を廃止した、あなたたちの内心腹の中 は 中国が好きではないというのは正しくないか?
13.1960年代あなたたちは役人をしばしば台湾派遣して、経済建設を考察し台湾の経験に学んだが、あなたたちは承認するか? 1966年朴正煕大統領が台北でよい経験をし、
蒋介石に謁見し教えを乞うたのであるが、あなたたちはまだ覚えているか? "兄弟の国"である自由中国(即ち台湾、韓国人は当年台湾当局をこのように称した)は長兄だが、あなたたち弟は忘れたのですか?
237 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:14:40 ID:a73S5j39
14.1965年韓日は外交関係を結んだが、あなたたちは、日本を強迫し、韓国人の名前につき日本語の漢字読みを許さず、韓国人の漢字名につき、
韓国語での発音を用いるように求め、日本政府が漢城を改称し片仮名の" ソウル”(日本語で読むと”ソウル”に似ています)とすることを要したが、
これが韓国語の本来の内容だと言い、実際わざともんちゃくを起こして、全く余計な事をするので、日本の国民は普く詰まらないことだと感じたが、しかしそれを承諾した; 四十年前には思いもよらなかったが、
あなた方は中国を再び使ってのし上がって来た、1992年外交関係の樹立が始まると、
あなたたち は続々と中国に書簡を送り、外交部と教育部は"漢城"をソウルに改め、中国が相手にしないと、あなたはますます騒ぎ立て、 2004年中国語についての韓国の学者が会議を開き文字を選ぶとし、
市民を扇動して署名を集めて中国に圧力をかけ
、2005年 1月 19日ソウル市長の李明博が記者会見を勝手に開き、ソウルの中国語の訳名を発表する:首?。 一他国が中国に対し漢訳名称として二つ漢字を選んで、
中国側がもらうことを強迫する、良い、あなたは凶悪で残忍です、
あなたの妨害を勘定して、十三憶人民はあなたに恐れ、中国共産党中央の機関新聞と新華社は率先して採用する、その後しだいに漢城は首?に変わっていったが、
あなたのやり方は実に勇敢で野蛮です、あなたは満足したか?
15.1988年あなたたちがオリンピックを開催し、なまいきな宣伝物で韓国7000年歴史を吹聴し、後自覚し6000年に修正したが 、あなたたちは知っているか?
あなたたちの祖先、東夷の始祖、大中国は5000年の歴史と称するが、
あなたたちの歴史は先生や祖父の歴史よりまだ永いとすることができるか?
16.1986 年ソウルのアジア運動会と 1998年オリンピックで、中国大陸と台湾と日本とアメリカとニュージーランドの運動選手は全て、
あなたたちが"愛国裁判"に手加減することなく[注:自国に有利な判定ばかりしたということ]、あなたたちは韓国の民族主義を激励・宣揚するために、
友情を喪失し、基本的な体育の精神 を 全て不要にしてしまったが、あなたたちは知っていますか?
238 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:17:37 ID:a73S5j39
17.1992 年 8月 24日中韓は外交関係を結ぶが、それ以前にあなたたちと友好往来 43年の台湾当局に通知しなかった、"国益"を追求し秘密のまま電撃的に大陸と外交関係を結ぶ、いかなる外交照会もなく、
ただ一言の説明もない、絶交の前には必ず告知する以前の約束に違反し、外交礼儀を無視する、アメリカ、日本、サウジアラビア、シンガポールの例に従って台湾人民を尊重して、断交以後の台韓関係を処理すべきだが、あなたの絶交の方式は特に悪辣で、
実際、信も義もない、善良ぶった高麗人の面構えが変わるのを暴露した、今日台湾 の 同胞 は 皆とてもあなたたち南の韓人を嫌う、知っているか?
18.あなたたちは訪韓した中国人にいつも聞く。"あなたは現代を知っていますか?"、"あなたは三星を聞いたことがありますか?” 、63階のビルが中国にはあるか? (その他、たとえばも囲碁をする"? 箸を使うか? 中国はリンゴがあるか? 食べるか?
中国の留学生はサッカーを見るか、中国人もサッカーをするか? 列挙するのに耐えられない)実際厭で煩わしいし、なまいきな無知は中国人まで憤慨させるが、分かるか?
19.韓国キムチ?でも中国の涼菜の一種類です、あなたはその前の数年間、しょうもない登録の権利を日本と争ったが、この漬け物は全人類は作ることができる、四川泡菜とベトナムのビルマ塩づけはとても有名です、
西方の酸っぱいキュウリのピクルスもとてもおいしい、あなたがた韓国につい言えば小涼菜はおいしいか? 漬け物はあなた朝鮮の少ない人民のパテントですか? 幽霊ばかり信じる。
239 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:19:47 ID:a73S5j39
いやはや20.あなたたちの民族主義は極端過ぎる、1995年韓国中央博物館がこの欧式の精美な建築を取り壊しに着手する、ただそれが以前日本の駐朝鮮総督府であったからであるが、
世界の歴史学者と建築家は一面あっけにとられる、それは歴史の古跡、愛国主義の教育の場所として生きた教材です、意外にも掘削機を野蛮に使ってこれを取り壊したので 、
あなたたちのこの身勝手な理屈を照らしたが、[その理屈だと]前時代の台北の台湾総督府と長春の満州傀儡政府皇宮と満州国機関の建築もすべて取り壊さなければならず、
アメリカにイギリスが 殖民して 残 した 建築 はすべて取り壊さなければならないが、でも私たち大国がこうしなかったのはなぜか知っていますか?
21.孔子は私たち中国人の儒家の学説の創始者です、孔子さえも炎黄の子孫と自称するが、あなたたちは孔子を高麗人と言うと思いますか?
22.韓国人の私たち中国での待遇どうですか? そしてまた私たち中国人の韓国での待遇はどうですか? これがあなたたちの所謂平等な付き合いですか?
たとえば、明洞のある商店は書く、日本の遊覧客を歓迎する、中国の遊覧客は入店を断わる。 "中国の保安が犬に及ばない"ように、在韓中国人労働者を殴打するが、
あなたたちの中国人に対する態度ですか?
23.あなたたちが知ろうが知るまいが、50年代はじめ、アメリカに抗し朝鮮を援助する時、私たちの偉大な祖国は漢城を攻略した。
24.毛主席は私たちの国家の一番偉大な指導者です、あなたたちは意外にも敢えて公然と毛主席を侮辱する、すなわちこれは直接私たち13憶中国人を侮辱することであると、あなたたちは知っていますか。
25 あなたたちは 1960年代から、古い呼び方の黄海を、ひそかに徐々に"西海"に改称し、現在あなたたちの地図の出版社は、もう大部分、黄海を" 西海"と標記したが、しかし中国人はあなたたちに告げたい。
それは無駄です、英語は"YELLOW SEA"だから、黄海は永遠に黄海です。
240 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:26:59 ID:a73S5j39
26 あなたたち中国語の学者を動員して会議を開き、漢城の中文訳名を中国が一つ選定する手助けをし、"漢城"を叫ぶが、あなたたちがただ"漢" の字が嫌いだからであるが、
それではあなたたちの漢陽大学 (ソウルのブランド大学)と北漢山(ソウルの名山)と漢江 (ソウル最大の河)と漢拿山 (済州島最大の山)をなぜ改めないか?
あなたたちの国土には至る所に"漢"があって、"漢"成分多いので直しきれないのは知っているか?
27.何千何百年来あなたたちは伝統医学を中国に学び、これは本来"漢医"と呼ばれるが、いつの間にかここ二三十年に始まって、だんだんと概念をすり替え て、
ハングルでは"漢"と"韓"二文字が同音なのをを利用し、漢医を韓医とすり替えているのだが、恥知らずなあなたたちはこれを知らないのですか?
28.明らかに中国の種族なのに、教科書を捏造し、考古学人類学の学界に政治力が介入して、法と漢人の切断に八方手を尽くし、中華と一線を画して、
自分が昔東夷の末裔と言い、 しばらくして自分はモンゴル遊牧民の種族と言って、"脱漢化"のためにはどんな手でも使うが、実はあなたは中華民族の一支流であって、
朝鮮民族は昔から半島上の東夷部落を吸収する漢人と倭人、そして東北の少数民族しだいに形成するが、漢族の血統 を 工夫を凝ら して排除する必要はなくて、
今日朝鮮族も中華民族大家庭の一員ですおや! あなたたちが物事の根本をを忘れているのは分かるか?
241 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:28:32 ID:a73S5j39
29.韓国語(朝鮮_語)は明らかに語系が未明で、学界にはまだ定論がなくて、あなたたちはすぐ自分で韓国語を“アルタイ語系“と裁定して
、これを無理に適用して非常に遠方のトルコ、甚だしいのはハンガリー、フィンランドさえも全部あなたの身内語族であると言い放ち、
あなたのこの遠戚を見て知るかどうかを他人に質問することはありません;あなたの朝鮮語字母 (訓民正音、諺文)明らかに中国の漢字を模倣して創造したが、
これに反し、あなたの宣伝用の印刷物ではただ嘘をついて“世宗大王“発明したとし、サンスクリットやモンゴル文字を参考にしたこと承認する少数学者は隠蔽されて、
眼をあけてうそを話すことで、あなたたちのハングル文字(韓文)の部材は、ー(横)h(縦)丶(点)O(天円)口(地方)人(人)、元素はすべて鉄との一般的事実にあわせて、
漢字に由来しており、これを否定するのは無駄骨です、あなたたちは五百年余り前にできてからその後、直ちに中国漢字が縦書きを採用することを勉強して、
横書きの時には右から左向きに、1950年代以後、中国は横書きを採用してから、横書きでは左から右に向かって、あなたたちはこれに従って書いていて、多少の文字学の基礎のある人は全て、
あなたたち高麗の嘘を見破ることができる。30.あなたたち長期にわたって歴史を改ざんして、あるいは、知らないうちに国民を感化しています、中国長白山と天池から延辺の朝鮮族民族自治州ですが、
いわゆる"間島問題”(吉林省の一部分は韓国のものと話す)を捏造し、中国の華東と華北の沿海が古朝鮮の東夷の勢力圏だと言い、
中国の東北三省とウラジオストックとサハリン島のあたりも韓国の領土です、また、唐朝の勃海国は韓国人の創建ですとでたらめを言う、公然と勃海史を韓国史が継承したものをとみなす、
唐史の白黒を歪曲し、不分地は唐勃海の史料と読み解く、 あなたたちはとても恥知らずでいやらしいと感じないか?
242 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:31:58 ID:a73S5j39
31.中国社会科学院と東北の歴史地理考古学者が集まり、建国後から特に改革開放のここ三十年の研究が大成する、中国東北の最も新しい歴史の研究の成果の集合を出版したいと思い、
十三億同胞と全世界人民に現れたのが"東北工程"だが、あなたたちが余命に寄せ集めて反対する、去年はやかましい一年だった、国会議員は率先して暴れ、ソウルの市民は署名で抗争する、
毎日中国駐韓大使館の前に抗議に来る、らっぱの呼びかけの騒音は人を煩わせ、また大胆にも大中国の五星紅旗を焼き払う、中国国旗はあなたたち高麗人が燃やすことができるものですか?
あなたたちの理知で抑えるように頼むのが少し良いか? 学術研究に政治が干渉するのは必要ないのではないか?
32.近代あなたたちが接した中国東北の同胞は皆、あなたたちを悪いと知っていて、あなたたちを"二鬼子"と呼ぶ、あなたたちは不法に鴨緑江、トマン河を越えて無断で開墾した、
満州傀儡政府の警察が棍棒を持って中国平民を殴ったが、あなたたちは悪人の手先となって、八年にわたる抗日戦争の戦場では、日本軍の朝鮮兵団は勇敢に突撃して、
中国軍民の同胞を切り殺すこと数えきれない、日寇の大本部は大いにほめたたえる; あなたたちは恥じるか?
243 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:40:58 ID:a73S5j39
33.あなたたちの第一声は、いつもこうだ:"ああ"、何もない、私たちは 20年前にはもうあった”、あなたが感じる北京 (あるいは上海)の地下鉄はどうか? "私たち韓国との差は大きい、
ルートはとても少ない、北京の地下鉄の地図の印は韓国のものに学んだ、あなたは私たちソウルの地下鉄が世界第四なのを知るか?”、中国の発展のスピードがとても速いと感じるかと聞くと、
あなたは軽くあしらって"まだ韓国より二十年はおくれている"と話すが、中国人は奇怪に感じるのは、そのあなたたちがまだ中国に来るのか?
34.韓国で生活した中国人は皆知っている、あなたたちの民間ではまちがいが次々と伝播する、妖魔が中国人に変わるのは何百年の事ではありません、あなたたちに広く伝わるのは 中国人は入浴しない、
近代中国は貧しいと見下げる、当代の中国の分裂を待ち望む、これはあなたたち社会の共同の価値であり、集団意識であって、あなたたちの脳裏の深いところにある、このようなな"汚名化"は、隣国に何か利点があるか?
35.ここ五年来、あなたたちの政界と軍人社会と文化界と史学界と世論出版界と科学研究界は、横並びで暗黙の了解があるようで、中国に対して一連の猛攻を始めて、中国の社会は太刀打ちできず、中国の人民の感情は大きくきずつけられる。
36.あなたたちは中日の一時的な関係悪化を利用する、中国政府は日本ドラマの輸入数量を制限すると、急速に韓国ドラマを輸出して市場を不法占有する、日本ドラマの真空を補充する、"韓流"の看板を強く打ちだし、韓流が中国に蔓延させようとし、 "
親韓の一世代"を育成したいと思っていて、これら若い世代を将来中国での親韓 (仕事と文化と製品)の代弁者にしようとする、韓国の利益のために奉仕させるのだ。あなたたちは"親韓派"と"哈韓族"を同時に養成しているが、
これに反して、韓国は"返珠からから "と"青空を包む"の放送時間を制限し、中国の連続ドラマの輸入数量を制限する、両手政策をもて遊んで、しゅだんはきめが細かくなめらかで優れているとはいえません
;わが同胞が韓国の真実の顔と本質を皆はっきりと認職することができるように待ち望む、韓国と付き合いをする時韓国のわなと落とし穴に落ち ないように、自我を喪失して中華の気骨を見失ってしまいますよ。
(j-kanban bbsより)
244 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:43:17 ID:a73S5j39
245 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:45:37 ID:a73S5j39
102 :名無的発言者:2007/12/28(金) 11:59:28
朴 元大統領『しかしあのとき、我々は自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。
もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。 もしロシアを選んでいたら、
ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。 そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。
日本を選んだということは、BESTとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、 Second Bestとして私は評価もしている』
[参考サイト][参考サイト]と述べて、反日言動に走る側近をたしなめたと言います。このように日本統治時代を経験した人が日本を評価し、
経験もしていないものが反日とはおかしな国です。[朴正熙の自国に対する歴史認識][咸錫憲の自国に対する歴史認識]
246 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 09:47:39 ID:a73S5j39
247 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 10:19:23 ID:P23GtVvj
朝鮮が日本に併合されなければ、もっと発展していたと言うのは
幻想でしかない、とっくの昔に、朝鮮は国家の経営に失敗していたのだ。
現在の北朝鮮を見れば判る、韓国も北朝鮮と同じく国家の経営を誤り、
国民をみじめな思いにさせるのか、国家の経営の在り方に気づいた日本の
明治維新に学ぶべきだ、当時の世界で、欧米の覇権争いにくさびを打ち込んだ
のが日本だった、欧米を責めるつもりはないが、国家経営とは何かを
もう一度、考え直してもよい時期だと思う。完全な市場開放や金融の自由化
などは、在り得ない虚構の論理だ、国家経営の観点から、法治に従った秩序ある
自由が希求される日本と、それに反るか否かは韓国の自由だ、日本が洗練された
成熟を目指すことに障害となるか協力関係になるかは、韓国が選択することだ。
併合前の日朝(続き)
さてさて、明治17年は10月末、竹添公使は京城公使館に帰館することに。
井上外務卿 「では竹添君。贈与金のことを国王によろしく」
竹添 「賠償金の残額40万円の贈与のことですね。随分大きなお土産ですねえ」
井上 「文明開化のために使うようにと言ってくれ。それと村田銃2挺を国王に贈呈
するように」
日本政府は贈与という名目での40万円の帳消しのみならず、朝鮮政府が既に支払
った10万円も国費には収めず、年6%の利子を生む貯蓄に回していた。それは、朝
鮮政府が横浜正金銀行から借りた17万円の返済が出来るかも危ぶまれ、それでいよ
いよ困難になった時には利子をつけて朝鮮政府に返却するつもりであったからである
。いやはやもう至れり尽せり。
つまりは明治15年済物浦条約を調印した直後に、謝罪大使である朴泳孝が財政の
窮状を訴え国王親書を以って井上に申し出たことに対する答えだった。
(続き)
で、竹添公使は11月2日に在京城公使館に帰任。
竹添 「・・・・ということであります」
国王 「補填金(賠償金)のことは万国公法によって定めたニダ。今それを大皇帝陛
下が我が国にこのような厚意を以てされるのは実に感銘の至りニダ。余が感激に堪え
ないことを大皇帝陛下に伝えてほしいニダ。また村田銃は必ず重宝とするニダ」
朝鮮国王は相当喜んだらしい。
で、鼻高々なのは政府内日本党の者たちである。まるで自分たちが尽力したからだ
と言わんばかりであった。
面白くないのは支那党の連中である。
支那党 「ふんニダ! 朴金たちの働きではないニダ! 王様が親書で申し出たことニダ
」
支那党 「けど王様はますます日本を頼るようになるニダ」
支那党 「北洋大臣の李鴻章様は、日王は朝鮮を狙っている、と仰っているニダ」
支那党 「このままでは危ないニダ。何かいい方法はないニカ?」
支那党 「日本党をどうにかせねばならんニダ。まず朴泳孝と金玉均を政府から追い
出すニダ」
支那党 「追い出すだけでは足らんニダ!遠くに流すニダ!」
(続き)
そんな話もやがて朴金の耳に。
朴泳孝 「これは危機ニダ! あいつら支那党はウリたちを陥れて流刑にすることを
目論んでいるニダ!」
金玉均 「しかし王様が許される筈はないニダ」
朴泳孝 「いや、王様はあれで優柔不断なお方ニダ。王妃様から強く言われたら承諾
されかねないニダ」
金玉均 「ウーン・・・・こういう局面の時には先攻するに限るニダが」
金は囲碁が強かったと言われている。
朴泳孝 「よし!維新ニダ!! この腐った朝鮮を大掃除するニダ!!」
金玉均 「やるニカ?! よし!!やるニダー!! 日本陸軍戸山学校で軍学を修め
た徐載弼らも帰ってきているニダ!」
朴泳孝 「しかしこれは日本政府の応援もいることニダ。竹添公使に相談するニダ!」
重臣の洪英植も含めて日本党の面々は遂にクーデターを決意。これを竹添公使に打
ち明けた。
(続き)
仰天したのは竹添進一郎である。
竹添 「諸君らは何を考えているのか?!!」
朴・金 「ウリたちの決心は固いニダ! このままでは日本党は壊滅するニダ!!」
竹添 「ならん!! 無理だ!! 日本の維新は薩長という強大の藩あってこそであ
った。今の君らに何の力があると言うのか!!」
朴金 「だから日本が支援するニダ!!」
竹添 「そのような朝鮮政府内部の私闘にどうして日本が干渉できようか!」
朴泳孝 「干渉著しいのは清軍提督袁世凱たちニダ!! 支那党はきゃつの言うままニ
ダ!」
金玉均 「閣下は清国と親しい人ニダ。朝鮮などどうでもいいのだろう」
竹添 「そうではない。だったらどうして帰任したろうか!」
朴泳孝 「済物浦条約を結んだ頃に、国王親書によって日本から兵を借りる約束があ
るはずニダ!」
竹添 「それはある! しかしどこまでも国王を護衛するための借兵である!」
金玉均 「同じことニダよ。国王はウリたちと志を同じくされて、日本の力を借りて
文明開化し独立国となろうと考えてあるニダ。それをウリたち日本党がいなくなるな
ら、朝鮮政府は支那党で占められて、結局は独立国になりつつあるのも終わりニダよ
。それとも閣下は朝鮮が完全に清国の属国に戻るのを望むニカ?」
竹添 「馬鹿を言うな。ただその軽挙を戒めておる!」
やがて朴金らは公使館から帰っていった。
連投支援
253 :
マンセー名無しさん:2008/01/21(月) 23:26:29 ID:jl4SrYjM
(続き)
島村書記官 「朝鮮人にしては並々ならぬ決意に見えましたが・・・・」
竹添 「うむ。自分たちの命がかかっているからなあ」
島村 「借兵の約束もありますし、もし国王から求められたらどうしますか」
竹添 「国王護衛しか出来ん。日本党に力を貸すわけにはいかんし干渉は出来んのだ
・・・・しかしなあ」
朴金の決心は固いと見た竹添は、今後の処分を誤らないために遂に以下の2案を作
成して日本政府に伺いを立てた。
甲案 「朝鮮で日清両立を保つことが難しいなら、内乱に乗じ国王の要請によってこ
れを助け、国王に清兵が敵対するならこれを撃退する」
乙案 「東洋平和を保持する点から言えば、なるべく日本党が禍を受けない程度にこ
れを保護する」
日本政府が乙案を以って対処するように指示を出したのは11月28日。
しかしそれがまだ京城に到達しない12月4日、遂に事件は起こった。
(つづく)
も一つ、連投支援。
>>253 いつも楽しみにしています。
子供の頃、連載漫画を読んで次号が待ち遠しかったあのワクワク感をこんなところで味わえるとは思ってもいませんでした(w
これからもよろしくお願いします。
僕も子供の頃、江川達也先生の「日露戦争物語」の続きが楽しみで、
いつもワクワクしていました。
>>256 自分も結構好きだったな。でも、タイトルが「日露戦争物語」なのに日清(ry
258 :
夜船:2008/01/23(水) 21:06:45 ID:jjvt1X3X
>>253前回から結構長く休載されてましたが何かあったのか心配しておりました。
とにかく新作が読めて嬉しかったです。
また続きをお願いします。
多忙で暫くさぼってましたが、ま何とかぼちぼちと。
併合前の日朝(続き)
なお以下の事変発端の日本党朝鮮人の行動については、井上角五郎の自書「漢城
廼殘夢(明治二十四年十月出版)」を参考にした。もっとも、当時博文局に居た彼が
どのようにしてそれを知ったかまでは彼は書いていない。
島村書記官 「公使、どうでしょうか。私が出席しましょうか」
竹添公使 「うん。すまん。昨日米国公使やドイツ領事の所に行った時に余りに寒く
て具合が悪くなってねえ」
この日は、朝鮮郵政局開局の記念宴会が催されることになっていた。郵政局総弁洪
英植の主催によるものであった。
島村 「無理をなさらずに休んでいてください」
竹添 「小尾君にもよろしく言ってくれ。朝鮮初の郵便業務がここまでこぎ着けたの
も、全く彼の尽力によるものだから」
当日来会した賓客には、米国公使フートと書記官、英国総領事アストン、清国総弁
陳樹棠、また閔泳翊、金宏集、韓圭稷、李祖淵、朴泳孝、金玉均、徐光範、尹致昊、
そしてモルレンドルフたちであった。欠席したのは竹添公使とドイツ総領事ジャムブ
ッシのみ。
(続き)
6時に始まった式典が進み、夜9時の晩食に移る頃、会場の郵政局すぐ近くの民家
では。
日本党員「よし、導火線に火をつけるニダ。いいニカ?」
「ついたニダ!逃げるニダ!」
「それ、ドカンッ!といくニダ・・・・ドカンと!」
「ニカ?・・・爆発しないニダ!!」
「も、もう一度するニダ」
「そ、それドカンといくニダ!・・・・いかんニダ!!」
「アイゴー!爆発しないニダ!」
「何やってるニカ!! 爆発で驚かせて混乱に乗じて支那党の者らを殺す手筈ニダよ
!!」
「ダイナマイトが爆発しないから仕方ないニダ!! そんなら燃やすニダ!!」
「燃やすのは得意ニダ! それ火をつけるニダよ!」
郵政局裏のすぐ近くで家が燃えるのを見て「火事ニダー!!」と叫ぶ声が会場の皆に
聞こえた。
座客は皆驚いて起ち上がり郵政局の屋外に出た。島村書記官も米公使フートや洪英
植ら4、5人も向かう。見ると局の後ろにあるすぐ近くの家から出火していた。しか
し見る間に火勢が衰えて鎮火する様子であったので、皆は安堵して屋内に戻った。
ところが、人が混雑して騒ぎになっている。聞くと、誰かが暴漢に襲われて負傷し
たという。
はや不穏な雰囲気を察して米国公使始め賓客らも去りつつあった。仕方なく島村書
記官も、「うーん、晩飯食いそこなったなあ。公使館に何か残っているかどうか、そ
れが問題だ」などと思ったかどうかは知らないが、とにかくそのまま公使館に帰った。
(続き)
一方、会場に居た朴金ら日本党の者は急いで王宮に向かい、内応の女官を通じて国
王の寝殿に入った。
朴金ら 「王様!! 大変です!! 清兵が乱を起こしましたニダ!! 現に閔泳翊
が殺されたましたニダ!!」
国王 「ニカ?!! な、なんと!!」
国王は慌てて寝殿を出ようとした。その時、日本党が仕掛けた宮殿前門のダイナマ
イトが爆発した。
ドドーン!!
国王 「アイゴー!! 何の音ニカ!!」
朴金 「清兵が門を爆破したに違いありません!!」
「日本軍の護衛を頼むほかないと思いますニダ!」
国王 「だ、誰か! つ、使いを!!」
日本党の邊燧 「ウリが行ってきますニダ!!」
ビューン!
国王 「あれ、もう行ったニカ?」
朴金 「あの馬鹿! 王様、何か親書を持たせねばなりませんニダ!」
国王 「ニダ! 内官!内官! いるか?!」
内官柳在賢 「王様ー! ここに控えておりますニダー」
国王 「この書を持って日本公使に急いで来て護るように伝えるニダ!」
柳在賢 「承知しましたニダー」
(続き)
一方、公使館に戻った島村書記官は事の顛末を竹添公使に話した。
島村 「・・・・というわけでした」
竹添 「記念の宴会の時に、すぐ近くで火事、そして誰かが襲われたと・・・・うー
ん」
館員 「公使、英国総領事のアストン氏が来られましたが」
島村 「何事だろ。公使、用件を聞いてきます」
アストン「襲われた人が分かりましたね。閔泳翊さんです。彼は今、米国公使館医師
のアレンさんが治療してます。よほど重傷のようです」
島村 「なんと閔泳翊氏と!」
彼は閔族の要人であり、一時は日本党に傾いて金玉均を喜ばせたが、結局は支那党
の人となっていた。
アストン「それで街の雰囲気が悪いです。事変が起こりそうな気がしまーす。で、英
国公使館にまで行くのに護衛をつけてもらえないでしょうか」
島村はそれを公使に尋ね、すぐに許しを得て陸軍兵2名を護衛に付けた。
アストン「サンキュー。これで安心しました」
島村が玄関でアストン領事を見送ると、入れ違いのように日本軍営から兵を率いて
陸軍歩兵大尉村上正績がやって来た。
(続き)
島村 「ん? 何事?」
村上 「火事が公使館近くに見え、また街の雰囲気もただならないものがあるので護
衛のために来た」
護衛兵1中隊の駐屯する泥峴は公使館から少し距離があった。明治15年朝
鮮事変後に締結した済物浦条約に基づいて設置されたものである。
島村 「そうか。アストン領事も事変が起こりそうだと言っていたが・・・」
島村書記官がそれらを公使に報告に行くとそこに浅山顕蔵通訳官が来た。
浅山 「王宮から邊燧という者が使いで来ていますが」
竹添 「王宮から? 今頃なんだろう」
島村 「自分が話を聞いてきます」
邊燧 「お、王様からの、つつ使いニダ」
浅山 「落ち着いて話せよ」
邊燧 「と、とにかく状況が穏やかでないニダ。王様も安心できないので公使に王宮
に来られてご自分を保護してほしいとのことニダ」
島村 「公使、・・・ということですが」
竹添 「さては王宮内に何か異変が起こったのかもしれない。僕が直接聞こう」
竹添は寝台から起きて服装整え、邊燧に会った。
(続き)
竹添 「君は本当に国王の使いかね」
邊燧 「ウリは国王そばに仕える者ニダ」
島村 「確かにそうです。日本党の者ですが」
邊燧「と、とにかく速やかに来て護衛されたいニダ」
そこに館員が入って来て、人が来たことを告げた。
館員 「今、王宮内官の柳在賢氏ら2名が公使面会を求めて来ましたが、随分急いで
いるようです」
竹添 「すぐに会おう」
柳在賢「はあ、はあ、こ、公使! 一刻も早く来られるニダ! こ、これは王様の親
書ニダ!」
それは石筆で走り書きしたもので「日使来衛」(日本公使、来て護れ)の4文字が
認められた。
島村 「彼は日本党ではありません」
竹添 「島村君、すぐに村上中隊長を呼んでくれ。これは行かねばならないようだ。
国王の依頼があったことは間違いない」
かくて竹添公使が陸軍歩兵1中隊およそ130名と共に王宮に向かったのは、午後
10時頃であった。
途中、また別の王宮内官と出会い、
内官 「こ、公使、公使! 大王殿下は宮殿を出られて景祐宮に移座あらせられたニダ。
よって速やかにその宮に向かわれたいニダ」
島村 「僕らは地理不案内である。君が先導せよ」
内官 「承知したニダ。こっちニダ」
265 :
マンセー名無しさん:2008/01/24(木) 23:07:30 ID:EceiMMbW
(続き)
王宮門番の兵も一行を見てすぐに門を開き、いくつかの門を過ぎて国王の居る景祐
宮に辿り着いた。
竹添公使一行の到着を知った国王は待ち焦がれた面持ちで殿外の庭に出て、
国王 「公使! 来られたニカ!」
国王は喜色満面で竹添の手をとり謝した。
国王 「貴公使がこの夜中に速やかに来衛あったことに満足するニダ。この騒擾に万
事注意あって貴衛兵の護衛あることを深く希望するニダ。また我が宿直の兵もいるの
でそれらの士官と協議して共に守衛することを望むニダ」
竹添「陛下にはご無事で何よりであります。必ずお護りいたしますからどうぞ安心さ
れますように」
国王 「感謝するニダ」
竹添 「お身内の方もまたご無事でありましょうか」
国王 「ニダ。王妃、世子宮、世子妃も共に居る。また大王妃(先王妃)もこちらに
向かわれているニダ」
やがて大王妃も来たが、その頃には殿の内外は高官、内官、女官、雑役などで溢れ
かえった。
京畿道監司らは剣を抜き、
京畿道監司 「雑役や下人どもは入ってきてはならんニダー!!」
と制していたが、ますます混雑してくる。殿内の灯りが一時尽きて暗黒となるなど、
誰がどのような行動をするか把握できない状態であった。
(つづく)
266 :
マンセー名無しさん:2008/01/25(金) 19:05:19 ID:QIbCE6pW
韓国よ、自国の史実を学べ
丙子胡乱で虜囚となった朝鮮人60万人の苦難
【新刊】チュ・ドンシク著『朝鮮人60万人奴隷になる』(学古斉)
1636年の丙子胡乱(清が李氏朝鮮に侵入し、朝鮮を制圧した戦い)で仁祖が清の太宗に降伏した後、およそ60万人の朝鮮人が捕虜として連行された。
崔鳴吉(チェ・ミョンギル)は、「清軍が降伏を受け入れ、丁丑年(1637年・仁祖15年)に漢江を渡るとき、捕虜として連れて行った人は50万人余りだった」と書いている。丁若縺iチョン・ヤギョン)は、「瀋陽に 連行されたのは60万人で、
蒙古軍に捕まった人はこれに含まれず、どれだけの数になるか分からない」と記した。当時の朝鮮の人口は1000万人程度だった。全人口の6%が戦争捕虜として連行されたというわけだ。(中略) -------
元言論人で、金永三(キム・ヨンサム)政権で政務・広報主席、文化体育部長官を務めた著者は、1980年代初め、米国ハーバード大で研修中に衝撃的な話を聞き、研究を始めたという。大学のある人権セミナーの結論で、次のように語られたのだ。
「韓国は17世紀にも清の要求に従い、自国民を供出するかのように、毎年数十人ずつ献上していた国だ。時代が変わったとはいえ、このような国で今さら人権を手に入れることができるのだろうか」。朝鮮日報12月30日
267 :
マンセー名無しさん:2008/01/25(金) 19:06:15 ID:QIbCE6pW
http://blog-imgs-17.fc2.com/s/p/e/specialnotes/korea20071230001.jpg 丙子胡乱は、国号を「清」と改めたいわゆる支那が、同朝皇帝の即位を認めない朝鮮に大軍を以って軍事侵攻し、同国を制圧した戦いであった。
1637年に降伏の和議が交わされて以来、朝鮮は 2世紀半の長きに渡り、「清」への隷属を強いられたのである。「清」との和議により、
毎年、『黄金100両、白銀1000両の他、牛3000頭、馬3000頭など20項目余りの物品を毎年献上した。毎年美女3000人も献上したとされるが、詳細は不明であり、
実際は、8才〜12才までの少女の献上が確認されるだけである』(Wikipedia)とある。
http://blog-imgs-17.fc2.com/s/p/e/specialnotes/korea20071230001.jpg「日韓併合前(左)と併合時代(右)」写真館、
『朝鮮人捕虜の生活は凄惨を極めた。一冬の間に2000里を超える道を歩かされ、清軍から鞭で打たれ続けた。凍えた体を鞭で打たれたため、皮膚が裂けて血が滲んだ。
そして捕虜は奴隷市場に売られて行った』と。
そして、云く、『清の人々は男女を問わず、朝鮮人捕虜の衣服を剥いで健康状態をチェックした後、代金を払って奴隷を買っていた。奴隷を売買する市場を目にした荘献世子は、
『瀋陽状啓』において「(代金を支払って捕虜の身を免れる)送還費用として要求される代価の値段は測り知れない。多ければ数百もしくは数千両にもなり、人々は皆希望を失い
、泣き叫ぶ声が通りに溢れ返っていた。毎日館所の外で泣いて訴えており、残酷でどうにも見ていられない』と同書に記されているとある。
268 :
マンセー名無しさん:2008/01/25(金) 19:09:43 ID:QIbCE6pW
、「清」にとっては、乱終結時の朝鮮人捕虜や、その後の朝鮮からの「献上」で手に入れた人間を「物」としてあつかっていたことは事実であろう。“歴史認識”を正しく持つのであれば、
自国の、しかも2世紀半に渡るこの「歴史」から学び直すべきだろう。
同記事には、同書の著者が『『朝鮮王朝実録』をはじめ、当時のあらゆる資料に記されていた事実を土台として、朝鮮の人々の受難の歴史を語る。朝鮮の女性キム・プンナム、白丁(賤民の中で最下位に位置する人。
と殺業などに従事)キル・ヨンボクといった下層階級の人物を登場させることで、生き生きとした情感を増したが、すべてにおいて事実を土台に据えた』とある。
あまりに生々しいために、「史実小説」というスタンスで読者を広めようとしているようだが。著者のチュ・ドンシク氏は、『金永三(キム・ヨンサム)政権で政務・広報主席、文化体育部長官を務めた』人物とのこと。記事に紹介されているこの著者の言葉が印象的である
。云く、『韓国は17世紀にも清の要求に従い、自国民を供出するかのように、毎年数十人ずつ献上していた国だ。時代が変わったとはいえ、このような国で今さら人権を手に入れることができるのだろうか』と。現状では困難だろう。
269 :
マンセー名無しさん:2008/01/25(金) 19:11:52 ID:QIbCE6pW
朝鮮を隷属から救った日本
日本は、その「清」を日清戦争で打ち破り、下関条約(1895年4月17日)の調印を以って、朝鮮を独立させたのである。同条約の第1条には、
『清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)』と
明記し、ここで朝鮮は「清」への隷属から解放されたのである。その後、ロシアをはじめ数ヶ国による干渉が度を増し、1910年の、大日本帝国と大韓帝国との間で「日韓併合条約」締結(8月22日)となった。
この日韓併合に際し、当時の日本にとっては、朝鮮半島の「併合」は、膨大な労力と費用を投じるのみでさしたるメリットも無く、「支那、ロシアから隣国の韓国を保護する」以外に目的はなかった。
270 :
マンセー名無しさん:2008/01/25(金) 19:14:19 ID:QIbCE6pW
この「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて日本が大韓帝国を併合し、朝鮮は正式に「日本国朝鮮地方」となった。
巷間で意図的に呼ぶ“植民地時代”ではなく、日本の「一地方」ゆえに、日本政府は莫大な予算を投入し、朝鮮の近代化に尽力したのである。
「日本国朝鮮地方」には、5000校を超える学校をはじめ、必要な各種設備、医療設備、道路他の多数のインフラを構築したのである。
近代教育の教育の中でハングルを必修として、文字を用いる文化を提供。日本人による朝鮮史上初の「朝鮮語辞典」(朝鮮日報2004年2月27日付が報じる)が生まれたのもこの時代である。
人を国家の基本として重視する日本は、朝鮮半島の医療と衛生環境を飛躍的に向上させ、半島の人々の平均寿命の伸長にも貢献したのである。
こうした資金や資材などの「物的支援」に終わらず、「人的支援」「技術支援」も同時に行った時期が「日韓併合」時代である。この日本の献身的な努力と貢献により、また、戦後にも提供した多大な支援により、
朝鮮半島には“奇跡”と呼ばれるほどの発展をもたらされたのである。後に、昭和40年(1965年)の「日韓間相互の請求権の破棄」の取り決めにおいて、
「両締約国(日韓双方)は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とする戦後の「日韓基本条約」を締結。
271 :
マンセー名無しさん:2008/01/25(金) 19:16:05 ID:QIbCE6pW
日本は「謝罪」「賠償」する筋合いには全く無いのである。しかし、日本は、同条約の締結に際し、日本国の好意から、この日本統治時代に建設し、
空襲も受けずに残ったインフラを代償を求めずに提供している。時価に換算(試算)して16兆円とも、20兆円とも指摘されている。朝鮮半島にとって、
「清」への隷属に伏した約「2世紀半」と、日本の一部となった約「35年間」と比較すれば、どちらの時代が文明国家へと歩み出す基礎となったか。
真正の歴史を再学習し、その上で、胸に手を当ててよく考えるべきであろう。恩義を「仇」、また「仇」で返される筋合いも無いのである。
>>271 一つだけ見落としていることがあるな。もし当時の朝鮮人が隷属と搾取をこそ幸せだと考えていたのなら
日本の行為は怨嗟に値する
273 :
マンセー名無しさん:2008/01/27(日) 00:49:27 ID:YH/efA3Z
>>271 本来なら、
中国清朝の属国から脱した(それにしたって結局は日本が日清戦争に勝利したおかげ)1895年から
結局は日本の統治に服する(それも日本が日露戦争に勝利した結果)事になる1910年の間の時期に
いかにして
自力で近代国家への道を歩んだか?で
その後20世紀前半の朝鮮史がまるで違ったものになっていたかも知れなかったのに・・・。
どのみち、
日本も含めて、どこか他国の統治下に服するしか無かった、と思われ・・・・
どっちにしろ、身から出たサビだし。属国のままだろうが併合されようが、
うまく行かなかったことは全部あとづけで「他人のせいニダ!」って言うし。
自力で近代国家への道なんて半万年経ってもなかったんじゃね?
今では、かかわると病気になるって露助にも言われちゃう奴らだもん。
相手にするだけ損だったんだよ。明治の人達は偉いと思うけどさ。
275 :
マンセー名無しさん:2008/01/28(月) 15:41:03 ID:pr8HP2jh
「韓国女子留学生の投稿」
↓
「私は、アメリカの大学院で指導教授たちに言われた次の言葉を、今なお忘れる事が出来ません。
『日本の植民地は、その後いずれも経済発展したではないか。そんな結論の出ている問題を今更どうして研究するのか?』
米国の名門ラトガース大学のローデン教授は、私が博士論文の主題に『日本が朝鮮半島を植民地支配した時代の教育と女性問題』について研究したいとの計画を説明すると、このように反問しました。
『文明のシステムを、日本の植民地主義は朝鮮半島に導入したのではないか?
スペインやアメリカやイギリスは、日本のように本国と同じような教育システムを植民地に導入しなかった。当時の朝鮮半島の人々は文明のシステムを独自の力で導入するのに失敗した。
日本の植民地主義なしで、あれほど早く文明の世界システムに入れただろうか?』
私は、この発言に怒りが込み上げ懸命に反論しようとしたが、頭の中が真っ白になり感情だけが高ぶったのを覚えています。
「そんな論文を書いたら、韓国に戻れなくなる!」との不安が一瞬心をよぎりました。論文の相談をした別の経済学専攻の教授は、『植民地化された国家の中で韓国と台湾ほどに発展した国家はない。
アメリカやイギリスの植民地で、台湾や韓国ほど発展した国があるか?』とまで言うのでした。
276 :
マンセー名無しさん:2008/01/28(月) 15:43:19 ID:pr8HP2jh
私の不満そうな表情を見たローデン教授は、次のようにも問いかけました。
『日本の植民地支配を非難する韓国人の留学生の一人が、自分の父親が東京帝国大学出身であると自慢げに話した。これは、暗黙のうちに日本が導入した文明のシステムを評価していることになる。
本来なら、東京帝国大学を卒業した父親を非難すべきではないか?』
こう言われてみると、確かに東京大学はもとより、京都大学、早稲田大学、慶応大学を卒業した事を誇りにする韓国人は少なくないのです。当然韓国の側に立ってくれると思った第三者のアメリカ人学者の発言は、ショックでした。
こうして私は1997年に『The Doomed Empire : Japan in Colonial Korea 』
(滅亡の帝国:日本の朝鮮半島支配)を、英国で出版しました。
http://www.bookfinder.com/dir/i/The_Doomed_Empire-Japan_in_Colonial_Korea/1859724698/ 日本の植民地支配下での女性と教育問題を学問的に整理し、感情論でなく客観的に理解する素材を提供したいと考えたからです。当初の意図とは異なり、指導教授の理諭と主張が盛り込まれました。
この本は、韓国で出版するのは、まず不可能でしょう。 韓国では『親日派』と非難されるでしょう。
韓国で生活出来なくなるかもしれません。
それをあえて覚悟したのは、近代史をめぐる日韓の対立を解消し、友好な関係を築くのに微力ながら貢献したいと考えたからです。女性解放と女性教育の面では、日本の植民地主義は、
朝鮮半島への近代化の導入に決定的な役割を果たしました。その一方で、韓国の教育が日本の戦前型の教育から、今も抜け出せないでいるのも否定できない現実です。
Christine・Rhee女史
1960年生まれ。現在、アメリカPortland州立大学教授。梨花女子大卒業後アメリカに留学、Rutgers大学で博士号取得。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=955652 2008/01/27(日) 21:15:23 | URL | 花
277 :
マンセー名無しさん:2008/01/28(月) 15:50:13 ID:pr8HP2jh
Christine・Rhee女史
1960年生まれ。現在、アメリカPortland州立大学教授。梨花女子大卒業後アメリカに留学、Rutgers大学で博士号取得。
「そんな論文を書いたら、韓国に戻れない!」梨花女子大卒業生の葛藤
278 :
マンセー名無しさん:2008/01/28(月) 16:20:50 ID:pr8HP2jh
韓国初10万ウォン紙幣肖像は強盗殺人犯!
2007/11/06 14:11
韓国人学生チョ・スンヒによるバージニア工科大学大虐殺事件の温床は、韓国の国民性、・民族性だろうとつくづく思う。
韓国紙幣には、いわゆる1万円札が今までなかった。日本で例えると、もっとも高額紙幣は千円札だった。韓国の紙幣は現状1000ウォン(約130円)、5000ウォン(約660円)、10000ウォン(約1330円)の3種類しかなかったが、
今回10万ウォン(13290円)紙幣の発行が決定した。
日本で5万円くらいの買い物をするさい、サイフから紙幣を50枚出さないといけないと考えると大変だ。今まで10万ウォン紙幣がなかったことのほうがある意味、不思議だった。
ところが韓国国民の宿願だった10万ウォン紙幣の肖像にろくでもない強盗殺人犯が選ばれた!その強盗殺人犯は金九(キム・グ、1876年8月29日 - 1949年6月26日)という。盧武鉉大統領がリンカーンとともにもっとも尊敬する人物らしい。
どうやら10万ウォン紙幣は盧武鉉による最悪のおき見上げになりそうだ。
金九は1896年、何の罪もない日本人土田譲亮を集団で暴行・殺害し金品を奪った。金九は強盗殺人犯として逮捕されるが、そのさい土田譲亮強盗殺人を乙未事変(閔妃殺害事件)に対する日帝・日本人への懲罰と主張した。
だが土田譲亮は乙未事変とまったく関係のない人物だった。強盗殺人で逮捕後、後付けで理由を考え出したのだ。金九は死刑判決を受ける。その後特赦で減刑されるも脱獄する。
金九は1932年の東京における李奉昌の昭和天皇暗殺未遂事件、上海における尹奉吉の上海派遣軍司令官白川義則陸軍大将暗殺事件など、日本政府要人を狙ったテロを指導したとされる。まさにビンラディンのような人物だった。
しかし国家を象徴するような最高額紙幣の肖像に普通、強盗殺人犯を選ぶか?もう絶句だ。これが大韓民国という国家の品性だ。また暗黙のメッセージとして、日本に対する強烈な憎悪の念が伝わってくる。
279 :
マンセー名無しさん:2008/01/28(月) 16:21:44 ID:pr8HP2jh
韓国における国民的偉人は殺し屋ばかりだ。安重根しかり、金九しかり、尹奉吉しかりだ。日本でヤクザ2人を殺害した在日2世金嬉老も釈放されたさい、
韓国では国民的英雄に祭り上げられた。金嬉老はその後韓国で殺人未遂と放火で逮捕された。それみたことかと、大いに笑わせてくれた。
韓国における国民的英雄は人殺しだらけだ。だからバージニア工科大の事件が起こるのだ。
しかし金九を最高額紙幣の肖像に選ぶという話に対し、日本の外交筋はきちんと圧力をかけたんだろうか?
金九を紙幣の肖像に選ぶなど、日本に対する憎しみを永久に拡大再生産させようとする試み以外の何ものでもない。
戦後60年以上も経って、今やるべきことなのか?
280 :
マンセー名無しさん:2008/01/28(月) 16:31:16 ID:pr8HP2jh
私は在日韓国人です。
でも今帰化申請しています。
理由は韓国人のメンタリティについていけないからです。
人のものは自分のもの、自分のものは自分のものという理屈で戦後酷い商売をやってきた在日を軽蔑しています。
私は日本という平和な国で日本人として生きていきたい。同胞のエゴ丸出しの行動はおとなしく生活していきたいから沈黙している在日にとっては迷惑です。
日本の法律を遵守出来ないならさっさと帰国して欲しいです。在日韓国人の惨めで無様で我侭のごり押しが私達の迷惑になっているのだと知ってください。
281 :
マンセー名無しさん:2008/01/28(月) 16:31:50 ID:pr8HP2jh
私は在日3世になる16歳の高校生です。
私もノムハムニダさんと同じく、在日韓国人の評判の悪さにほとほと迷惑しています。
日本での在日韓国人の犯罪はどんどん増えていっていて、普通に何も悪いことしていない生活を送っているのに、馬鹿の韓国人の所為で白い眼で見られるのです。
私は日本で生まれて、日本を愛しています。文化はすばらしいし、住んでいる人も人柄が良くて、このままずっと住んでいたい国です。
私は日本の方を遵守し、日本人として一生生きていきたいと思います。
静かに平和に生きていく為には、日本や日本人に不当な要求をし続ける、韓国政府の反日洗脳に染まってしまった愚かな韓国人の存在が迷惑です。
強制連行などと言うもので日本へ来た韓国人というのは、殆どは戦後帰国したと聞きます。今居る在日の殆どは不法入国した韓国人だと聞きます。
不法に入国しておきながら、図々しく居座り続けるのは犯罪行為です。
ただでさえ、戦後の駅前の一等地の不法占拠、今では竹島問題で韓国人に対する日本人の感情は非常に悪いのに、これ以上迷惑を掛けないで欲しいです。
いい加減に韓国人は、「恥」や「迷惑」と言うものを学ばなければ、いつまでも世界中からの嫌われ者のままです。
282 :
武井君:2008/01/28(月) 16:32:47 ID:RAWhUomi
コピペウザイ。
同志社の村田晃嗣は日本はアメリカの一州になったほうがいいらしいよ
284 :
マンセー名無しさん:2008/01/28(月) 16:40:29 ID:pr8HP2jh
283 :名無的発言者:2007/11/28(水) 11:34:18
金満哲(韓国済州島出身の韓国評論家)
同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。
「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。
馬鹿馬鹿しい。同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の抵抗はあったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。
「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられたというのが真実だ。
「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。
「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。
併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。
このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足している本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。これが恥でなくてなんであろうか。
285 :
マンセー名無しさん:2008/01/28(月) 16:43:00 ID:pr8HP2jh
60 :izanami:2007/05/10(木) 18:54:56 ID:k3oxTZKT
日本人に正しい歴史を教えたいです 64 :izanami:2007/05/10(木) 21:49:13 ID:k3oxTZKT
日本人正し歴史を学んで 国際的に通用する歴史を学んで
日本では無理 外に出て初めて正しい歴史に触れられる かわいそ
286 :
マンセー名無しさん:2008/01/28(月) 16:43:47 ID:pr8HP2jh
95 :他の中国人:2006/06/15(木) 22:31:12 韓国のために勝った!欧州も日本が嫌いよね!(爆笑)
130 :61です:2006/06/17(土) 10:35:55
>>126 開き直る?君のような大学入っても図書館利用しない不勉強なやつ、本当は無視すべきだが
敢えてスレすると、本当は今の自分は嫌だろ、君こそ開きおなしたらどうだ。
284 :ももこ :2007/11/28(水) 11:45:46 283 お前の国は其のうちアメリカからまた原爆落とされるわ
初心忘れすぎているからだ 他国の文化盗んで 時間がたつと 我が物顔か
カレーだって今は日本食になってたし 焼肉だって日本の食い物だとよ
ソリャナイゼセニョール 日本人は昔魚しか食い物なかったくせに乏しい文化色塗ってごまかしていただけじゃない
285 :名無的発言者:2007/11/28(水) 11:47:22 黙れ!納豆屋W 286 :ももこ :2007/11/28(水) 11:49:01
美的センスってせかい一寸胴のブス国にいわれたくないわ 胴長の
嘆息が たかが100人に一人美人がいたって 自慢ならない 学校訪問してみろ 日本のブスも半端じゃないわ スーパー立っててみろ
ろ どれだけ醜く汚い滑降しているのか 287 :名無的発言者:2007/11/28(水) 11:49:07
黙れ:草でも食ってろ
288 :名無的発言者:2007/11/28(水) 11:50:55
だまれ!8割整形キムチ豚
289 :ももこ :2007/11/28(水) 11:52:02
昔から韓国中国は 絹とか朝しか着なかったしソウルノ おしゃれは日本なんてものじゃないぞ
本なんて モンじゃないし 湖にはべ賭して韓国の法が個人では
金持ち多いだろうよ 日本人は芸能人は別として 殆どがきたないよ
肌だって世界で 韓国人が一番きれいだってよ
290 :名無的発言者:2007/11/28(水) 11:54:22
阿呆抜かせ!日本女性のホウが良い。科学的に証明されている
お前はしかし???アホウズラだなあ
>>280 歓迎します。(´∀` )
2,3、聞いていいですか?
学校は朝鮮学校でしたか?普通の学校でしたか?
在日は、子に自分は強制連行されたと嘘を吹き込むらしいですが、
あなたの祖父・祖母・両親はどうでしたか?
(その前に強制連行は嘘であるというのはご存知ですか?)
288 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 01:12:04 ID:ZvDa77W3
ははは ハン場に辻桃がいるかな
287」 このアポ助は桃子だろ
289 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 01:14:48 ID:ZvDa77W3
辻しょうそは桃でありイザナミダ
290 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 01:17:27 ID:ZvDa77W3
色気は無いが よろしくなあ 辻は偽名だ 本当の日本人だよ
せいは5文字だ
ちょっと長い関係かな
291 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 01:21:17 ID:ZvDa77W3
おい、偽名の辻
出て来い ははああ 社民馬鹿かカチョ賎基地外
292 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 01:25:43 ID:ZvDa77W3
このブサヨは
最近おとなしくなったが 追いどうした?
このスレ二でてこイヤーー
293 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 01:30:54 ID:ZvDa77W3
294 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 01:32:27 ID:ZvDa77W3
25 :名無的発言者:2007/10/07(日) 13:27:01
桃よ お主も興味あろう 話題を変えて ハン板ではないが ちょっと聞きたい。
在チョンのゴリラの和田 お主の母親同士が大阪で知り合いとか言ってたが?
アッコ流“かわいがり” エリカ様へ「殴ったろうか」発言
在チョンボクサー?亀田もバッシングしてた模様
どう思うかな その女優の話は? 謝罪会見などする必要は無いと思って居た一人だが
26 :名無的発言者:2007/10/07(日) 13:35:10
お主、本当は社民馬鹿を装う、在日に限りなく近いんじゃねーのか?
苗字も変えてないか?以前とは?HからWに
27 :名無的発言者:2007/10/07(日) 13:38:53
在チョンのゴリラの和田と金豚将軍の死んだ4番目婦人は近くだったらしいな
28 :名無的発言者:2007/10/07(日) 13:51:45
お前が言うなこのゴリラ和田
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/071007/tnr0710071238004-n1.htm アッコ流“かわいがり” エリカ様へ「殴ったろうか」
295 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 01:36:55 ID:ZvDa77W3
296 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 01:40:55 ID:ZvDa77W3
桃子は生まれが大阪(両親だな 何の因果か知らんが福島をのろい
勝手にシナ共産党と勝手に決めたか
そして流れ流れで Ikennにいき
嫁は福島
297 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 01:50:27 ID:ZvDa77W3
なぜか 桃は反応無しか?
日本はニホ人だけが住んでるじゃないか
あのすれは 辻だな
お前は 自分のちょせん」のカウンター稼ぎだけど
いまはどうなってる?
298 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 02:09:15 ID:ZvDa77W3
299 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 02:18:06 ID:ZvDa77W3
300 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 02:33:13 ID:ZvDa77W3
301 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 02:41:54 ID:ZvDa77W3
ペギー・マーチ(Peggy March)
=========================================
◆ペギー・マーチ : ベスト・セレクション ◇BVCP−2627 (Jp)
1963年の全米Mo.1ヒットの1でお馴染み、ペギー・マーチのベ
ストCD。彼女のヒット曲としては他に2・3・4・5が63〜64
年にチャートインしている。日本では多くの日本語のレコードも
我々には懐かしいが、これによって日本ではアメリカよりも長く
人気を保った。その後ペギーはドイツに渡り、ヨーロッパでも活
躍したようだ。
7〜11・14〜17・20が日本語バージョン。ペギーの日本語はコニ
ー・フランシスよりもうまい?。
302 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 02:52:19 ID:ZvDa77W3
モモハ元はノリえとかとかうずまき(朝鮮大好きを名乗り)
で しなばんでは 他の中国
シナノリュウガクセイ マアーハンバンデモイロイロト
名乗ってるみたいだが まーがんばれもと中核か市民グループ化(自分で告白
303 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 02:54:55 ID:ZvDa77W3
あなたが反日気取っていつまで今はおとなしそうだな」
じゃあ 再見
304 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 03:10:55 ID:ZvDa77W3
ところで桃ちゃん
俺が嫌いか ぜんぜん自分のスレに反応しなくなったな
どうした まじめにねこ殿の話でもいいぞ 映画歌芸能でもいい
421 :名無的発言者:2007/12/27(木) 01:24:32
ハン板でもそうですなあーー
ハン板はめったに行かない まあ頑張ってると思うが
またお主は、最近大人しくなってるよ 422 :名無的発言者:2007/12/27(木) 01:28:52
この桃は、年だけど不細工じゃない
ブサヨ 若いフリははも止めれ 423 :名無的発言者:2007/12/27(木) 01:30:13
おい、今日歌ってきたぞ 潮来花嫁さんだ 424 :名無的発言者:2007/12/27(木) 01:42:09
まあ、寂しがり屋を反日気取りをぶってるだけだ
25 :名無的発言者:2007/12/27(木) 01:50:38
辻momoは 水戸ではない
ベゴ馬市だ 結構良いうちに住んでるが
家庭内はどうか 留学生のおんなは来てるみたいだが
たまにだろうな 地元の大学に暇もてあまし行ってる事は
ありえる
426 :名無的発言者:2007/12/27(木) 01:52:48
そこの朝鮮系の教授気取りは 2チャンでは隠せない
併合前の日朝(続き)
村上中隊長 「公使、これでは警護が困難です。混雑に乗じていつ誰が凶行をするか
分かりません。人数を制限して立ち入ることのできる人間を減らすなどすべきです」
竹添 「まったくだ。国王に上奏して規則を設けてもらおう」
よって国王は命を発して、女官などを一ヶ所に集めさせるなどし、宮殿への出入り
も国王の許可制などとした。
夜半過ぎには漸く喧騒も治まった。
夜1時過ぎ、国王は米国公使、英国公使、独国総領事にも使いを派して王宮に来る
ように要請した。しかし来たのは米国公使館付武官のベルナドンのみ。
夜3時頃、島村書記官が殿外から入る時に、内官柳在賢が朝鮮兵から殺されたのを
見た。
島村 「どうした! 何があったのか」
朝鮮士官徐載弼が答えて言った。
徐 「彼は火薬で王宮を焼こうとしていたのが発覚して刑されたニダ」
朴金らのクーデターによる支那党の者の粛清が国王や竹添らの目の届かないところ
で密かに行われていた。閔泳穆、閔台鎬、趙寧夏など主だった者が王宮に呼び出され
ては殺された。
(続き)
翌5日早朝、国王は内閣改革を発表。要人は日本党で占めたが、そうでない金宏集
なども入っていた。
午前10時頃、米国公使フート、英国総領事アストンが王宮に入って国王に謁見し
た。
国王は満面喜びを表して歓迎。竹添公使も交えしばし対談。
国王 「日本公使のみならず貴国ら使節とこうして談話できるのは感激ニダ。朕思うニ
ダ。国が古い習慣を破って開化に向かう時には、多少の変乱はあると聞くニダ。日本
公使は日本で変乱を何度も経ているので熟知してあるニダ。しかし米国英国ではどう
ニカ?」
米国公使 「そうでありまーす。国が開ける時にはこのようなことが少なくないでー
す。我が国でも時々経験したことでーす」
(もうこの頃には国王は、今回のことが清兵の乱などではなく、朴金ら日本党が起
こしたクーデターであることは承知していたと思われる)
その後、国王の命により一行は景祐宮の隣の右議政李載元の邸宅に移動。米英公使
領事も竹添と共に同行。日朝両兵で邸宅内を護衛し、外周は朝鮮兵のみが守衛した。
(続き)
この後、独国総領事も来て謁見。やがて日米英独使節の会談となった。
米国公使 「どーでしょーか。今度の事変のような時は、我々外国使節でよく協議し
て、国王を護衛して共に居るようにするべきではないでしょーかー?」
独国領事 「今ぐらいの状況では、それほどのこともないでしょー。変乱が大きくな
ったらそうせねばならないでしょうが」
英独使節 「だいたい、今度の事変はどういうことなのですかー?」
米国公使 「これは改革のための一挙ですねー」
英独使節 「オー!」
やがて米英独の使節は帰っていった。
よって竹添も帰館することを申し出た。しかし国王は、今しばらく留まってほしい
ということで、断るわけにもいかなかった。
ところが、ここで朴泳孝と金玉均の間でなにやら意見の対立が。
竹添 「彼ら、何もめとんの?」
島村 「どうやら、この先どうするかという話らしいです」
竹添 「はあ? この先って?」
島村 「朴泳孝氏は、一先ず国王を擁して江華島まで退いて日本に援軍を求めるべき
であると言い、金玉均氏は、直ぐに王宮に戻るべきである、と言っているらしいっす」
竹添 「ちょっ!何それ。クーデターやっといてこの先どうするかよく考えてなかっ
たというわけ?」
308 :
マンセー名無しさん:2008/01/29(火) 23:38:17 ID:NIdZ+hus
(続き)
島村 「どうやらそうらしいです」
竹添 「はぁ、だめだこりゃ」
朴金らの方では擦った揉んだの末、結局王宮に戻ることに。
島村 「この先、どうするんでしょうかねえ」
竹添 「うーん。わけわかめ」
島村 「我々も石筆書きの親書を貰っただけなのが懸念されますが・・・」
竹添 「国王依頼の確たる証がいるよなあ」
てなわけで金玉均にそのことを申し出、国王玉璽の印を押した紙を受け取ったのが
、この日の夕方であった。
(つづく)
309 :
マンセー名無しさん:2008/01/31(木) 09:50:10 ID:S/u/+f7O
併合前の日朝(続き)
その頃、袁世凱らがいる清軍営では。
部下 「まだ王宮からは何も言ってきませんが」
袁世凱 「うーー。米国公使や英国独国領事など西洋人使節は呼んでも、宗主国様は
お呼びでないアルってか」
部下 「何か事変があっているようですが皆目情報がありません」
袁世凱 「支那党の連中は何か言ってこないアルか!?」
部下 「王宮に呼ばれたっきり戻ってこないそうです」
袁世凱 「竹添公使も竹添公使アル! 日ごろの親しみから言っても何か連絡しても
いいアル!!」
部下 「どうしましょうか」
袁世凱 「しばらく様子を見るしかないアル!!」
(この後、袁世凱は閔妃がよこした支那党の使いによって事変を知った、という説
があるが、その後の実際の書簡や報告書などでは「来文」によって、とあったり、人
が知らせたことで、とあったり、それも内容や名前がその度に変わっている。どうに
も、清軍提督の言っていることは一貫性がなくグダグダ。よって袁世凱らのこの後の
行動の真意は謎である)
(続き)
5日夜、王宮での竹添公使の所にも、支那党の大臣らが4日の深夜に次々と殺害さ
れたとの話が来る。それによれば殺害された人々は、閔台鎬、趙寧夏、韓圭稷、李祖
淵、尹泰駿、閔泳穆であった。
島村 「これは維新ですかねえ。それとも反対する者を抹殺するただの暗殺ですかね
え」
竹添 「とにかく朴金ら日本党の者に手を貸してはならん。内政干渉となる。借兵と
いっても国王護衛に限定する!」
実際、日本兵は国王の居る殿の周囲を護衛し、徐載弼士官らが率いる朝鮮兵は王宮
周辺部を警護していた。
6日になっても何の異常もないので、竹添公使は再び公使館に退くことを申し出た
。しかし国王は再びなおも警護を続けてくれるよう懇請。
国王が望めば借兵を受け入れざるを得ない。それが日朝間の秘密の取り決めであっ
た。
清軍営では。
部下 「支那党の大臣たちが日本党の連中に殺害されたことは間違いありません」
袁世凱 「ふん。国王め、いよいよ独立の旗を上げる積もりらしいな」
部下 「アハハハ、高宗がですか。あの弱虫が」
袁世凱 「親父を拉致されたのが相当悔しかったかな?」
部下 「属国は属国でしょう。身の程知らずもいいところです。日本兵にしても僅か
に150名ぐらいで・・・」
袁世凱 「そろそろ膺懲せねばなるまい」
部下 「ガツーン!といきますか」
312 :
マンセー名無しさん:2008/02/02(土) 00:26:31 ID:Mc6cOfMQ
(続き)
袁世凱 「2営(1千人)に戦闘準備をさせておけ」
部下 「指揮下の朝鮮兵はどうしましょうか」
袁世凱 「ま、枯れ木も山の賑わいアル。連れて行ってよかろう」
日本党の徐載弼士官が率いる朝鮮兵よりも、清軍が調練していた朝鮮軍の方が多数
であった。当然、清軍士官の指揮に従う。
袁世凱 「ま、表向き日本とは敵対関係にあるわけじゃないし、竹添に前もって書簡
を送っておくことにするアル」
書簡 「乱民の変乱があり朝鮮諸大臣8人を殺害し、王城の内外は混乱し、乱民はま
さに貴兵を攻撃しようとすると聞いた。自分達は国王が驚愕するのを悲しみ、また貴
兵が困難を受けることを恐れる。ここに兵隊を派して王宮に進める。一つは国王を保
護するため、一つは貴兵を援護するためであり、別に他意は無い」
部下 「日本兵を助けに行くんすか?」
袁世凱 「パカ! その手紙を向こうが手にすることに意味があるのだ。どこまでも
表向きのことアル。もし戦闘になったら日本兵のみならず京城内の日本人全員を殺す
ことを許すアル!」
袁世凱が兵に対して日本の民間人全員を殺害することを許可したのは事実である。
フランス人宣教師がそのことを知り、急遽、英国総領事アストンに日本人の保護を申
し込んでいる。また、それ以外にも複数の証言がある。
中国伝統の戦争方法は、敵は敵であり殺害対象は兵民を問わないものであった。す
なわち皆殺し方式が常道であった。
(つづく)
313 :
マンセー名無しさん:2008/02/03(日) 16:07:39 ID:axpnYKB1
314 :
マンセー名無しさん:2008/02/05(火) 00:10:10 ID:J5ulza5U
そうなのかな
しかしねー日本を標的にする毒餃子は許せんな
315 :
マンセー名無しさん:2008/02/05(火) 00:12:09 ID:J5ulza5U
チョ賎下賎な民の上げだ
併合前の日朝(続き)
午後、清軍は3隊に分かれて王宮を囲むように進んだが、それは攻撃を前提とした
戦闘行動を意味した。
後の天津談判で李鴻章は言った。
李鴻章 「そちらが先に攻撃したアル!」
伊藤博文 「閣下、よく考えられよ。日本兵は王宮内で守りの立場にある。清兵は外
から王宮を攻撃した攻めの立場にあった」
李鴻章 「我が軍の士官が名刺を持って竹添公使に面会を求めたアル。しかし許され
なかっただけでなく、内から不意に銃撃があって名刺に弾丸が当たり、名刺は片々と
して散ったアル!」
伊藤博文 「はははは。人を傷つけずに名刺だけに的中させるとは、いったい如何な
る名手であろうか(笑)」
李鴻章 「兵卒ら4人はたちまち斃されたアル!」
伊藤博文 「王宮出入り口など周辺部を守備していたのは朝鮮兵であり、日本兵は国
王の周囲を警護していたから関わりないことである」
(続き)
てなわけで、最初の銃撃があったのは午後3時頃。銃声は国王の耳にも届いた。
ダダーーン!!
国王は驚いて椅子から立ち上がり周囲を見て、
国王 「何ニカ?! これは何の音ニカ?!!」
この時、朝鮮官吏が竹添公使宛の手紙を島村書記官に渡した。島村はそれを公使に
届けた。
竹添 「ん?書簡?」
この時、再び銃声が響き渡った。
国王 「アイゴー!!」
国王は慌てて寝室に向かって逃げた。侍臣が追う。
また銃声が響いて、次に弾丸が雨のように降り注いでくる。
ダダダーン!ダーン! ヒューン!ヒュー!
竹添は手紙を開く暇もなく洋服に収めた。
村上中隊長 「清兵が第二の諸門内に乱入して発砲し、守衛の韓兵は直ぐに逃げ去っ
た。あるいは清兵と合しているかもしれない。どうすべきか」
竹添 「こうなっては仕方がない。国王保護のために来たのだから国王を保護するだ
けの防御をせねばなるまい」
村上 「承知した」
村上は戦闘体勢をとっている日本兵に対して大喝一声した。
村上 「てっーー!!」
ダダダダダーーン!!!
猛烈の一斉射撃。しばらくして清兵らは門外に逃げ去った。
(続き)
竹添 「国王の安否はいかに」
と寝室に向かう。島村、浅山が同行する。
京畿監司沈相薫 「殿下はご安全にあらせられるニダ」
しかし再び銃弾が雨のように飛んで来て寝室にまで通る。急いで国王を安全の地に
移そうと寝室の中に入ると、はや国王は逃げて居ない。
島村 「あらら、もうおられない。さすが逃げ足早いっすねえ」
竹添 「国王殿下ー!」
寝殿裏に向かう。清兵が第三門から進入しその周辺部を固めて一斉に射撃してくる。
小谷中尉率いる小隊が猛烈の反撃をして遂にこれを撃退した。門外にいた朝鮮守兵
はすべて清兵に合同している。重大な裏切りであった。
竹添らは寝殿背後に出たが、東側から来た清兵が銃撃をしてくる。大西少尉率いる
小隊が馳せ来て防戦し撃退した。
村上中隊長 「ここ大王妃の寝殿は地形的に有利な場所です。よってここに国王を戻
して護衛すれば清兵千人が来ても容易に防ぐことができましょう」
竹添 「よし! とにかく国王を探そう!」
やがて後苑の一番高い丘に至り、そこから四方を見ても国王の姿が見えない。
村上中隊長 「ここは攻守共に兵を用いるのに適した場所です。まさに死に場所と言
える。ここで四面に戦線を張れば寄せ来る敵兵を一撃の下に鏖殺できる」
この時、遥か後ろで国王の侍臣がこちらに向かって手招きをして大音声を上げた。
侍臣「殿下はこれに渡らせ給うニダ!!」
村上中隊長 「全兵は今の守戦を死守せよ!!」
竹添と村上が半小隊を率いて国王の元に駆けつける。
(続き)
国王は丘の間の窪みに建てられた小亭に潜んでいた。
竹添 「殿下ご無事でしたか!!」
国王 「アイゴー! 公使、ウリを護るニダ!!」
この時、右翼から清兵と朝鮮兵が迫ってきた。面高中尉と安藤少尉率いる小隊が悉
く撃って退ける。
竹添 「殿下、ここは危のうございます」
国王 「ニカ?場所変えるニカ?」
竹添らは小高い丘に毛氈を敷きそこに国王を移した。
清兵らは攻めあぐねたのか銃声が衰え、暫し休息の時間が取れたので竹添は先ほど
の手紙を開いて読んだが例の清軍提督からのものであった。
竹添 「・・・・一つは国王を保護するため、一つは貴兵を援護するためである、別
に他意はない・・か。何ととぼけた手紙じゃないか」
島村 「日時はいつになってますか」
竹添 「日時は書いていない」
島村 「何すかそれ。ふざけた手紙ですなあ」
竹添 「しかしいきなり攻撃してくるとは何と言う奴らだ! 袁世凱がこんな男だと
は思わなかった!!」
島村 「閣下は案外中国人のことをよく知らないんじゃないですか?」
竹添 「うーーーん」
再び銃声が激しくなった。国王が不安に駆られて色々と騒ぎ出す。
国王 「ここでいいニカー! 心配ないニカー! どこかもっとよい所はないニカー
!」
(続き)
村上中隊長 「公使、殿下があのように騒がれては銃声を聞いて弾丸の行方を判断す
るのが困難である。もう少し静まられないだろうか」
しかし銃声の激しさに怯えて国王らは侍臣に背負われて裏門の近くまで走り去った。
裏門の外には裏切りの朝鮮兵が大勢たむろしていた。素早く朝鮮兵が侵入して大王
妃を奪い去る。
朝鮮兵 「やーいやーい、大王妃様はこっちニダー!! 王様もこちらに来られるニ
ダー!!」
国王 「アイゴー!! 大王妃さまー!!」
竹添 「殿下!そこは危ない!」
国王を再び丘に戻したが国王の騒ぎが止まない。
国王 「大王妃様と一緒に行くー!!一緒に行きたいニダー!!」
侍臣ら 「王様ー、どうぞお静かにされますニダー」
しかし背負った侍臣の肩を両手で叩きながら、
国王 「(ジタバタ)皆は母親に逢いたいと思わないニカー! 朕もまた母親に逢い
たいニダー!!」
侍臣ら 「なにとぞなにとぞ!お静かにされますニダ!!」
国王 「うーー、そんなら静かにするので早く大王妃様に逢わせるニダー!」
この時、轟然として大砲の音が響き黒煙が立ち上って火柱が上がった。
ドドーン!ドカーン!!
次いで清兵からの銃撃が止み引揚げていく姿が見えた。陽は落ち闇が深まったから
兵を引いたのかは分からない。
(続き)
よって竹添らは国王を擁して裏門を開いて出ようとした。しかし門外の朝鮮兵は、
朝鮮兵 「それ日本人が外に出るニダ! 撃ち取るニダ!!」
と言って銃撃。先を行く侍臣が手を撃たれて鮮血が飛び散り国王の衣服にかかった。
国王 「アイゴー!! 王がここに居るニダー!!」
竹添 「殿下、やはり戻りましょう」
国王 「朕はたとえ死んでも恨みはないニダ! 大王妃様のそばに居ることを切に望
むだけニダ!」
島村 「清兵は退きました。残る朝鮮兵が攻撃目標としているのは我々日本人です。
これはむしろ国王を朝鮮兵に渡したほうがよいのでは」
竹添 「だな! 我々と居ると却って国王の身に危険が及ぼう」
よって、侍臣たち即ち朴泳孝、金玉均、洪英植、朴泳教らにそれを話した。
竹添 「朝鮮兵がいかに乱暴でも、まさか国王に害を加えることはあるまい。この上
は門外の朝鮮兵に国王の護衛を任せることこそ安全の策であろう」
侍臣たち 「分かったニダ。国王様にそのように言うニダ」
国王 「ニカ? ニダー!♪」
国王は侍臣に背負われ門外に走り去った。共に従ったのは洪英植、朴泳教、士官数
人であった。朴泳孝、金玉均、士官の徐載弼らは闇にまぎれた。既に人の顔が判別で
きないほど暗くなっていた。
(続き)
村上中隊長は各所の兵を招集し点呼した。
村上中隊長 「戦死者は下士官1名、兵卒2名。負傷は士官1名、兵卒6名です」
清兵のほうの死傷者は、後に李鴻章の言によれば死者8名、負傷者30数名と。
竹添 「すでに国王と別れて護衛の任を終えた以上は、公使館に戻って諸員と安危を
共にせねばならない」
村上中隊長 「公使。清兵と快く一戦することを許されたい」
竹添 「気持ちは分かる。しかし護衛の兵は攻撃を求める性質のものではない。防戦
3時間充分に戦って遂に清兵は退却したではないか。遺憾はなかろう。速やかに公使
館に帰るべきである」
島村 「どの門から出るのがよかろうか」
村上 「どの門にも敵兵が充満しているが、ただ命に従うのみ」
竹添 「では公使館に近い門がよい」
よって部隊を前後に分け、間に公使を護衛する形で後門から退出した。城中各所で
火の手が上がっている。
島村 「日本人の商家でしょうか」
竹添 「うーむ。襲われたのかもしれん」
公使館に向かう途中、各所で朝鮮兵の発銃があり、また石瓦礫が飛んできた。その
度に日本兵が射撃して追い払う。
遠く火の光に照らされてはためく日本国旗が見えた。
島村 「公使館は無事のようです!」
(続き)
この日は王宮で戦闘が始まると清兵が1度公使館を襲撃に来た。8人の陸軍兵と館
員と属員、また建築職工らおよそ百名が奮って防戦して追い払った。その後、朝鮮兵
が2度襲来。しかしこれも速やかに撃退した。その合間を縫って、京城滞在の日本人
商人たちが難を避けて公使館に走りこんで来た。
当時、博文局も放火に遭い、そこに居た井上角五郎と友人も公使館に向かって走っ
た。
角五郎 「あいつら何で博文局を燃やさにゃならんのだ!」
友人 「清兵じゃね?」
角五郎 「あー! けど逆恨みちゅうもんじゃい!」
2人は這々の体で公使館に逃げ込んだ。
しかしこの日、逃げ遅れた日本人商人家族が虐殺され商品家財は略奪された。
殺害された者は老人婦人を含めておよそ40人。夫は殺され夫人は強姦されたもの
少なからず。生き残りの被害者の証言によれば、いずれも清兵によるものだったと言
う。中に、朝鮮人の目撃談として「6日の夕に清兵が西大門のところで日本人の妊産
婦の腹を切り裂いていたのを見た」というものもあった。
後の天津談判に於て日本側は詳細な証言書を李鴻章に提出し清兵の懲罰と賠償を求
めた。(もちろん清国はそれを認めず)
(続き)
公使館に戻った竹添は兵を配置して厳重に警備させた。ところがその夜中、南山の
日本兵営で火の手が上がるのを見た。
竹添 「兵営の留守はどうなってたの?」
村上中隊長 「まさかこのような事態になるとは思わず、全兵を率いて来ましたので
・・・」
竹添 「じゃあ、空っぽだったってこと?」
村上中隊長 「いや、兵士ではないですが士族壮士ら6人に留守を頼んでいました」
竹添 「その数じゃ無理だろ。相手は多数の清兵だ」(実際は朝鮮人暴徒によるもの
らしい。5人は死亡、1人は行方不明)
村上中隊長 「公使館護衛がありますから向こうに兵を割くわけにもいかず・・・」
竹添 「うん。無理だ。この1中隊では少なすぎる」
(でも、清国政府を安心させるために1中隊に減らしたがよいと言ったのはあんた
だぉw)
つまりは糧食も全て奪われたということであった。村上中隊長の話では5、6ヶ月
は戦える量だったという。ああ勿体ない。
公使館に食糧の備蓄は殆どない。普段は日本人商人、朝鮮人商人から毎日の食を得
ていた。この日、日本兵が140人、逃げてきた商人ら30余人、公使館館員と職工
ら100人と270名余りに膨らんでいた。
(続き)
翌日7日、早朝から公使館前後の門に向かって銃声が絶えず、また時々朝鮮人暴徒
が数10人で瓦礫を投げて門内に入らんとしたが、守備兵はその都度銃撃して退けた。
またこの日の朝、公使館付け武官の磯林真三陸軍大尉は2週間ほどの日程で朝鮮内
地を単身視察し終え、丁度京城に戻って来つつあった。この頃京城内外では日本兵が
王宮に攻め入って大臣たちを殺したという風評が蔓延していた。
その噂で騒ぎになっていた京城近くの村を磯林大尉が馬でのんびり進む。
朝鮮人 「日本兵ニダ!!」
朝鮮人 「日本兵がいたニダ!!」
磯林 「ん?何だ?」
たちまち群集が取り囲んで襲撃し、落馬したところを剣で次々に刺して殺害した。
(後にこの内の2人が逮捕され死刑に。無職者と柴売り商)
公使館駐在武官として重要な位置に居た磯林大尉が、事変の具体的な計画を予め知
らなかった証拠である。
また、国王に随行した洪英植、朴泳教、士官数人らはやがて全員殺害された。清軍
によるとも、朝鮮兵民によるともいう。10年後の明治27年、金玉均が暗殺されて
遺体に凌遅処刑が執行されたが、その時、洪英植の骸骨も掘り出されて同じく凌遅処
刑が行われたという。かくも朝鮮人の「恨」は凄まじい。
支援
(続き)
午前8時頃、公使館に1人の朝鮮人が一封の信書を門外に置いて直ぐに逃げ去った。
門兵がこれをとって公使に渡した。金宏集からの手紙であった。
(金宏集)「なぜ閔泳翊が負傷した後で、閣下は護衛兵を率いて王宮に進入されたニ
カ! 6大臣を殺害したことは納得できないニダ! またそれで愚民が騒いで閣下ら
に暴挙を働くかもしれないので、清兵に閣下らの保護を依頼した。しかし貴国の兵は
発砲して戦意を示した。双方に死傷者も出た。閣下らの過ちである。・・・」
竹添 「何言ってんだ金宏集は今更! 王宮で新内閣が発表された時に、あいつも任
官されたじゃんか」
島村 「彼はあの時王宮にいましたかねえ?」
竹添 「ん? いなかったかな?」
島村 「しかしこれほんとに金宏集からの手紙でしょうか」
竹添 「うーん分からん」
事変後、国王は清営に3日間とどめ置かれた。清提督らと支那党の者たちがどのよ
うな相談をしていたかは皆目分からない。
この後、竹添公使と清提督・朝鮮政府との間で激しい論争が始まる。特徴としては、
清提督のは書簡のたびに同じ事跡の内容がくるくる変わる。朝鮮政府側は「証言と
庶民の風説に拠り認めた事実」という観点で非難をした。一方、竹添公使は、それら
の一つ一つを具体的に逐一反論していく。何かどっかで見た光景だなあw
(続き)
午後になって竹添公使は粥を啜りながら会計員に備蓄の食糧の量を尋ねた。
会計員 「兵隊のみに米飯を与えて他は粥にしましたが、そのう、今晩の分があるか
ないかというところです」
竹添 「そうか分かった。・・・・うーん」
竹添は思った。
「このまま敵に囲まれたまま徒に餓死するのも策がないことである。では婦女を刺し
殺して撃って出て決戦するか(おいおい)、しかしそれも使臣の職ではない。やはり
ここは仁川まで退いて我が政府の指揮を待つ他はない」と。
この時密かに京城内の様子を知らせる者がいた。京城各門は封鎖されて専ら攻戦の
準備がされており、各地で薪を積み夜になって公使館を襲撃するつもりであると。
竹添 「村上中隊長。・・・ということだ。食料も尽きたし今は仁川に退くしかない」
村上 「死すはもとより我が職であるからどこででも死にましょう。その死に所は公
使の命に従うのみです」
よって、館員一同もそれに賛同。
館員 「ただ南大門は特に守備が厳重と聞きます。西大門から突出すれば十中の一は
生きて仁川に達することが出来ましょう。夕方ともなれば手遅れです。一時も急ぐべ
きです」
(続き)
竹添 「よし! 大急ぎで準備しよう。荷物は置いて軽装で行くのがよかろう」
竹添は金宏集宛てに、公使館の保護を依頼する一書を認め、これを公使館雇いの朝
鮮人に託した。
機密書信類を焼き皆が軽装で公使館を出たのが午後2時。
安藤少尉先鋒、大西少尉これに次ぐ。村上中隊長は竹添公使そばにあって前後を指
揮し、書記官属員みなが刀を帯び拳銃を携えて従う。その後ろを職工らが負傷者を担
ぎ弾薬を運び、あるいは斧を携え、婦女童女の前後左右を護る。殿は面高、小谷の2
中尉。そして銃兵がそれぞれの士官の指揮に従う。明治15年朝鮮事変での花房公使
一行の時に比べれば、婦女子を擁しながらも一つの堅固な軍団であった。
途端に朝鮮兵民が銃を発し矢を放ち瓦礫を投げてくる。それを日本兵は的確に射撃
して撃退し皆が整然と進む。
島村書記官 「そういえば浅山君は15年の事変に遭遇した人だよねえ」
浅山通訳官 「ええそうです」
島村 「あの時は君が拳銃を放って勇敢に戦ったのは人々に知られたことだが」
浅山 「そうですか。しかし今日は出番がありそうにもないようです」
旧王宮の門の前を過ぎる時、朝鮮兵営前に朝鮮兵1中隊が大砲銃砲を乱発して日本
側の側面を撃つ。しかしいずれも砲弾銃弾は上空を飛び去り或いは地をうがつのみ。
日本兵は果敢に応戦して朝鮮兵を遂に兵営内に逃げ去らせた。
これは清兵も同じであったが照準が出鱈目でめったに当らなかったという。その点
日本軍は調練が行き届いていた。
支援
331 :
マンセー名無しさん:2008/02/07(木) 23:13:11 ID:ZlSn3Ya4
(続き)
やがて西大門に着く。門兵が銃を持ち剣を構えて門を守っていた。日本兵先鋒の小
隊が突貫する。
「ウオーッ!!」
門兵「アイゴー!! に、逃げるニダー!」
門兵は逃げ散った。
安藤少尉 「門は鉄の鎖で厳重に封されていますが」
村上中隊長 「職工の諸君、出番だよ」
職工 「おう! 任せとくべー」
職工は大きな斧を振りかざし易々と鎖を断ち切った
安藤少尉 「おお! さすがだ!」
かくて一行は門外に出る。しかし追撃の敵兵はなお止まず来る。その度にしんがり
の小隊が猛烈の射撃を浴びせる。
漸くにして麻浦に着く。後ろを顧みると京城内に大きな黒煙が上がっている。その
方角から公使館と知られた。
浅山 「またか。あいつらほんと燃やすのが好きだよなあ」
ここで船を求めて順番に漢江を渡る。途中数十人の追撃の兵が来たが、すぐに撃ち
倒す。
小船に潜んで撃ってくる数人がいたがこれも撃ち平らげた。
漢江を渡り終われば日は暮れていた。これより追撃の者もいないので厳戒を解いて
ゆっくりと進んだ。強行軍は婦女子老人には辛いものだった。かくてこの夜は寒を忍
んで雪を冒し終夜道を歩いて翌8日午前7時に全員が済物浦に至り、仁川領事館に到
着した。
港には我が軍艦「日進」が停泊し、18cm前装砲1門、30ポンド砲6門と共に水兵1
60名が港で睨みをきかせていた。
(つづく)
<丶`∀´>。oO(長文投下乙ニダ!)
333 :
マンセー名無しさん:2008/02/07(木) 23:15:24 ID:ZlSn3Ya4
投下乙!
しかし朝鮮人ってホントに酷ぇヤツラだな…
>国王 「朕はたとえ死んでも恨みはないニダ! 大王妃様のそばに居ることを切に望むだけニダ!」
ちょっと国王カワイソス
このあたりの話をモチーフに半島の人が長恨歌っぽいのを作ったら、読んでみたいw
336 :
夜船:2008/02/08(金) 20:38:30 ID:gm/n+Mo+
相変わらず面白すぎです。
337 :
マンセー名無しさん:2008/02/09(土) 11:47:06 ID:WEyXzMSw
併合前の日朝(続き)
さて、4日に日本兵の護衛を求めた英国総領事アストンは、その日本兵2名を続け
て借用していた。
事変後、領事の元にフランス人宣教師から書簡が来たが、その文中に、
(書簡)「・・・・清軍の袁世凱が日本人の皆殺しを許可している。閣下の尽力によ
り日本の無辜の婦女子を救助されたい」
とあった。
アストン 「オー!ノー! これは大変でーす! 何とチャイニーズは野蛮なんだろ
う!」
アストン領事は直ちに護衛の日本兵と共に英国公使館に赴き報告した。また米国公
使館にも連絡し、そこですでに日本人の妻女の救出に尽力していることを知り直ぐに
米国公使館に向かった。
米国公使フートの元にも同様に日本人保護の依頼の書簡があり、それでフートは直
ぐに朝鮮政府に掛け合い、清軍営に行って袁世凱らと談判をしていたのである。
フート 「覚えていますかー? 貴殿が兵を王宮に入れると内話した時に私はそれに
反対しましたー。王宮には日本兵がいまーす。それでは戦闘になるかもしれないから
止めた方がいいとー」
袁世凱 「朝鮮政府から援兵の要請があったアル!」
フート 「それでも清兵が入ったから戦闘になったのでしょー」
袁世凱 「あちらが先に撃ってきたアル!」
(続き)
フート 「ところで、日本人を皆殺しにしてよいと兵に対して許可したそーですねー
!」
袁世凱 「そ、そんなことは知らないアル」
フート 「現に日本人商人が大勢殺されたと聞きまーす!」
袁世凱 「倭兵とは戦闘中だったアル! 戦いに多少の混乱が伴うのはよくあること
アル!!」
フート 「兵営に日本の婦人が何人か連れ込まれたのを見た人がありまーす!」
袁世凱 「そ、そんなことはないアルと思うが・・・・」
部下 「兵営に何人か居るようですが・・・戦利品と・・・」
袁世凱 「アイヤー!・・・パカ!!」
日本人婦女子12人が清営に捕らえられていた。
袁世凱 「兵が、ほ、保護をしていただけアル!」
フート 「婦人ばかりをですかー?」
袁世凱 「・・・・・」
フート 「その婦人らは私が預かり責任をもって仁川の日本居留区に連れて行きまー
す!」
袁世凱 「それは助かるアル・・・我らも竹添公使に迎えに来るように知らせるつも
りだったアル!」
フート 「ついては、けっして危害を加えない、という証書を出してほしいでーす」
袁世凱 「誰にも危害を加えさせないことは当たり前アル 護衛兵をつけるアル」
フート 「だからこそなおその証書が要りまーす」
袁世凱 「!(怒)・・・分かったアル! 早く連れていくアル!!」
340 :
マンセー名無しさん:2008/02/09(土) 21:10:12 ID:dKcWC/uc
(続き)
フート公使は朝鮮政府にも掛け合い、朝鮮兵を護衛につけるように要請。
かくてフートは、米国公使館でも借兵していた日本兵2人とアストン領事の日本兵
2人と清営に虜になっていた婦女子、合わせて16人の日本人を、50人ほどの清兵
朝鮮兵に護衛させ、これを米国公使館付武官ベルナドンの指揮下に置かせた。これで
は街の朝鮮人も、うろつく清兵も手が出せない。
10日、仁川領事館に無事到着、これを日本側に渡した。
竹添公使が、フート公使に厚く感謝の言葉を述べたのは言うまでもない。
事変後、静養のため来日したフート米国公使夫妻は、天皇陛下から皇居に招待を受
け両陛下に謁見。
陛下自ら謝意を表せられ、皇后陛下は記念品を贈られた。
(つづく)
341 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 10:09:32 ID:KEMSL45q
833 名前:名無的発言者 :2008/02/11(月) 09:58:02
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080211/kor0802110930000-n1.htm 韓国の国宝 ソウルの南大門「全焼」 初期消火に失敗
チョウセンオワタ w
834 名前:名無的発言者 :2008/02/11(月) 10:05:38
速報!韓国「崇礼門(南大門)」炎上、完全崩壊
2008/02/11 02:46
韓国最高科学者第1号(黄禹錫)が、大炎上(論文捏造発覚)したのは、2005年の12月のことだった。今度は、韓国国宝第1号が、大炎上だ。どうやら完全崩壊した模様だ。 こりや、ひどい!! 国宝第1号とは、崇礼門(南大門)のことだ。(下の写真は1897年、日本統治前の姿)
この写真も、別の意味でひどい!!2月11日午前1時半現在、韓国の新聞は韓国語でのみ、この火災の最新情報を更新し続けている。私も翻訳ソフトを使い、最新情報を多少追いかけてみた。
火災が発生したのは、昨日の午後8時48分で、放火の疑いが濃いという。最初は煙だけで、外から炎の確認はできなかったようだが、火災発生の2時間後あたり(午後11時前)から、外からも炎が確認できる深刻な状態に陥ったという。
しかしこんな門一つ、どうして2時間たっても消火できなかったんだろう??
342 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 10:10:04 ID:KEMSL45q
835 名前:名無的発言者 :2008/02/11(月) 10:07:04
韓国のマスコミは、国宝であるにもかかわらず、スプリンクラーの設置がなかったとか、消火器も8本しか設置されておらず、しかも1階と2階に分けて設置されていたとか、事前の不手際、インフラ整備を非難しまくっている。
午前10時から午後8時までは、平日は3人、夜は、1人、職員をこの門に常駐させているという。しかし夜間の警備は手薄になるようだ。今回の火災は時間的盲点でもあったという。また韓国は今年に入って2度目の正月
(新暦の正月、旧暦の正月)をエンジョイしていた。今回の火災は、国家そのものがボケボケ状態にあるところを突かれた。
放火犯らしき、李某(53歳)という酔っ払いをすでに拘束しているという。
タクシー運転手が、近くでお客さんを待っていたら、50代くらいの男がショッピング・バッグを持って南大門そばの階段を上り、しばらくすると門から花火のような赤い光が広がったという。
タクシー運転手がその男に問いただしたところ、その男は門から下りてきたらしい。
拘束されている男と、タクシーの運転手が証言している男が、同一かどうかまで、報道は触れていない。
また崇礼門は、スプリンクラーもないくせに、ライトアップ用の照明設備がある。よって漏電の可能性も捨てきれないらしい。
事が事だけに、ご同情申し上げる。だがはっきり言って、2回も正月をとっているから、首都のど真ん中にある国宝の消火すらできなかったのではないか?
この門の消火には、化学工場火災にありがちな、化学薬品云々といった難しい問題はない。
年明け早々、2回も正月をとっているから、こんなことになったのではないか?
343 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 10:12:04 ID:KEMSL45q
344 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 10:19:06 ID:KEMSL45q
旧正月を祝う韓国人 2008/02/08 23:34
日本人は古来より暦を大事にしてきた。記紀にでてくる三貴神は天照大神と須佐之男命ばかりが有名だが、三貴神中二番目に生まれた月読命は、夜の神様であると同時に暦の神様でもあった。
日本の暦・元号(大化・大宝・慶長・昭和等)は、天皇家によって厳粛に管理されてきた。暦を決定するというのは、権力そのものだった。
韓国の話にうつる。
韓国人は何の根拠もなくただ情緒だけで、かつて朝鮮半島に存在した高麗や(李氏)朝鮮は、独立国家だったという。
しかしたとえば(李氏)朝鮮の時代、外交権も貨幣の鋳造・紙幣の発行権も清に取り上げられていた。
1637年、丙子胡乱という戦いで、李氏朝鮮の王仁祖は、清の捕虜になり、朝鮮はいったん滅亡するが、外交権は放棄しますとか、貨幣はもう作りませんとか、毎年美女を清王朝に貢物(奴隷)として献上しますという約束プラス
、仁祖王が清の皇帝ホンタイジの前で9回土下座することで、王の命と李氏朝鮮が清の属国として存続することをようやく許してもらった。(三田渡の盟約)
そしてこの時から、朝鮮では、清の暦(時憲書)の使用が義務づけられた。それまでは、元と明が使っていた授時暦を使っていた。どっちにしろ中国の暦だった。
しかし漢民族国家、明を従順に宗主国として仰ぎみていた朝鮮だったが、女真族の清に対しては、属国である悔しさをずっと胸に秘めていたようだ。1637年以降も明への郷愁捨てがたく、明朝最後の皇帝崇禎帝の暦を一部では継続して使っていたり、
国内の内部資料では、干支年と王の在位年で年号を記すこともあったという。
345 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 10:20:08 ID:KEMSL45q
暦は、権力そのものだ。
日本は、明治維新からまもない明治5年、旧暦から新暦(グレゴリオ暦)に切り替えた。国家としてきわめて重大な決意だったと思うが、間違いなく正解だった。
昭和20年まで日本国の一部だった朝鮮半島だが、いつのまにか正月は旧正月を祝うように変わったらしい。わざわざ世界標準の新暦から中国標準の旧暦に戻して、正月を祝っているらしい。
韓国社会・韓国国民が重大な覚悟と決意をもって、旧暦で国家を運営するというのなら、それはそれで一つの見識だろう。
しかし重大な覚悟も決意もなく、通常は新暦を使い、正月のような特殊なタイミングだけ安易に旧暦をごちゃ混ぜにして祝っているようだ。
暦を2種類ごちゃ混ぜにし、正月が2度くるなど、最低最悪だろう。日本では平成の正月も西暦の正月も完全に一致して1分1秒の狂いもない。
韓国は国家の基本たる暦からして一貫性がなく、錯乱状態にあるということだ。
韓国人の中には、新暦の正月を正月だと思う人もいれば、旧暦の正月を正月と思う人もいるらしい。その割合は調査によると、ほぼ半々くらいらしい。
この半々という数字こそが、国家にとってまさに最悪の数字なのだ。韓国の為政者は、そのことに気がついてすらいないだろう。
正月が2度来ると喜んでいる「おめでたい人」も相当多いに違いない。もしかしたら韓国国民全員がそうかもしれない。
暦は国家の根幹そのものだ。中心であり、権力そのものだ。
韓国では、国家の根幹がダブルスタンダードになっている。国家の中心が、ぶれて一つにまとまっていないということだ。
韓国人にとって暦はずっと、中国様からの戴き物だっただけに、その意味するところ、重要性を正しく理解できていないのだろう。
346 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 10:23:35 ID:KEMSL45q
347 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 10:28:00 ID:KEMSL45q
正に金閣寺炎上を思い出します。当事はきっと日本人は皆凄いショックだった事でしょう。しかし金閣寺は関係者の多大な尽力により今に蘇りました。東大寺にしても何回も火災に遭いました。
そして何回も修復して来たのです。真にお気の毒ですが、ココは先人からの伝統文化を継承する機会を与えられたと思って、朝鮮人の自尊心のためにも一日も早く再建させる事ですね。
5254推薦 : 0作成: 2008-02-11 10:14:56
↓のサイトを見てみると、「No.13崇礼門(別名南大門)、のちに再建されたもの」とありますね。一度消失しているのでしょうか。
opapy推薦 : 2作成: 2008-02-11 10:14:35
先日、無くした携帯電話を探すために世界遺産の目の前の畑を燃やした奴がいたよね。火病と放火は韓国の華なんでしょうか?
Densuke推薦 : 0作成: 2008-02-11 10:12:41
まぁ、焼けてなくなったものは致し方のないことだ、気持ちを切替え 『新たな観光名所』 として焼残った石垣を利用することを考えるべきだろうね。
再建するよりも費用の安いライトアップで新たな南大門を演出するのも良いだろう。
antikore推薦 : 0作成: 2008-02-11 10:09:31
kill jap が誇る北朝鮮豚金独裁人民飢餓大帝国にはどんな国宝や文化財があるんだい? ああ、そうか、たった一つ、金日成の巨大な像があるねえ。
いずれスターリンの像と同じ運命をたどるよ。
jpeg推薦 : 1作成: 2008-02-11 10:06:15
joinzzはほんと世間知らずだね 日本軍が撤収後に強奪合戦がはじまり、その証拠隠滅に、すべてを焼き払った逆恨み馬鹿国民なんだよ。土人は未だに変わらんのだなぁ
butthead推薦 : 0作成: 2008-02-11 10:02:14
中が燃えてるのに外からホースで水かけてるだけに見えた。
いろいろ理由はあるんだろうが、もう少しなんとかならなかったのかね。発火の3時間前にその雄姿を見たばかりだったのでちょっとショックだ。
348 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 10:39:16 ID:KEMSL45q
★日本が朝鮮にマッチを持ち込み普及させた。
これによって 朝鮮の火災が増え、罪の無い人々が焼死した。
★日本が「円」を持ち込んだ。
それまでは買い物をするときには貨幣の運搬のために馬と馬子を雇っていた。
「円」や「ドル」が通用するようになって馬子が失業した。
これが現在なら 当然 失業補償をすべきである。
(一ドルが穴あき銭3200枚と交換されていた。
鹿の角は高価で一対40ドルから60ドルていど。)
★日本人はソウルに 二階以上の建物を建てた。
それによって ソウルの見晴らしが悪くなった。
★ソウルに大学を創った。
現在の韓国の学歴偏重の弊害の原点はここにある。
★朝鮮に道路や橋を整備し侵略を容易にするとともに「風水」を壊した。
★日本人は衣服に色をつけることを教え、朝鮮の白衣文化を奪った。
★日本は政府に圧力をかけ睾丸の腐割を禁止させ、性転換の自由を奪った。
★初潮前の少女を妓生とすることを禁じロリコンの楽しみを奪った。
★寡婦の再婚を許可し不倫を横行させた。
★病気の治療のための呪詛を禁止し、宗教の自由を奪った。
★再就職の難しい宦官を失業させた。
(当時はおかまバーも失業保険も無かった。)
(「男寺党」と呼ばれる男ばかりの芸能集団が有ったが、
年寄りは就職できない。)
★白丁(被差別者)に笠をかぶせることを禁じ、笠屋の利益が減少した。
★奴婢の解放により 両班に反感をもたせた。
★女性にも名をつけることを奨め儒教の教えを蔑ろにした。
★近代的デモを教え、それまでの「殺人契」「香徒契」のような
両班に対する 財産の奪取、婦女子の強姦の楽しみを無くした。
(日本が侵略する以前は三・一デモのようなものは無かった。)
★皮革産業を普及させ動物を虐待した。
349 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 10:42:10 ID:KEMSL45q
謝罪しますwwww★寡婦の再婚を許可し不倫を横行させた。
★病気の治療のための呪詛を禁止し、宗教の自由を奪った。
★再就職の難しい宦官を失業させた。
(当時はおかまバーも失業保険も無かった。)
(「男寺党」と呼ばれる男ばかりの芸能集団が有ったが、
年寄りは就職できない。)
★白丁(被差別者)に笠をかぶせることを禁じ、笠屋の利益が減少した。
★奴婢の解放により 両班に反感をもたせた。
★女性にも名をつけることを奨め儒教の教えを蔑ろにした。
★近代的デモを教え、それまでの「殺人契」「香徒契」のような
両班に対する 財産の奪取、婦女子の強姦の楽しみを無くした。
(日本が侵略する以前は三・一デモのようなものは無かった。)
★皮革産業を普及させ動物を虐待した。
350 :
1:2008/02/11(月) 13:12:31 ID:QyzERsmi
■韓国の歴史研究―――「諸君!4月号」
1)韓国側が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないということは認識しておかないといけない。
2)日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと
韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかー!」と怒鳴る。
3)さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて
再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
4)歴史の実証的研究では韓国側に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望と言うか
「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。
5)民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。
当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。
351 :
1:2008/02/11(月) 13:13:35 ID:QyzERsmi
6)これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。
要するに、「自分が正しい」というところからすべてが始まる。
しかし、実はこの「自分が正しい」という命題は実証不可能なんです。
この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想に他なりません。その本質は何かといえば「自己絶対主義」にほかならない。
したがって、何をやろうと、彼らの「正義」は揺らがないのです。
7)「自分が世界の中心にあり、最も道徳的に優れている」とするのが、中華思想です。
韓国、北朝鮮、中国、それぞれ独自の中華思想を持っている。
そして、この「自己絶対主義」の論理をたどっていくと彼らの社会構造の根幹をなす「宗族」に行き着く。
「宗族」というのは、文献上で遡れる自分の先祖に連なる一族のことで、要するに「血族」です。
8)彼らの言う「道徳」とは、この宗族の中だけの道徳であり、正義ですから、宗族以外の人間には何をしても構わない。
他の宗族と墓争いをすると、相手の墓を暴き、遺骨から何から全て焼き尽くして、その上に自分の一族の墓を平気で建てる。
こうした例が、李朝時代の記録には非常に克明に記されています。
352 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 15:22:03 ID:FLCVAVCc
>>350 >「韓国に対する愛情は無いのかー!」
そのセリフ、
日本人に向かって言わないで。
南大門に放火した、韓国人に言ってね。
353 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 15:41:52 ID:KEMSL45q
韓国「崇礼門(南大門)」炎上、完全崩壊 >総督府解体の祟りか(統治時代の文化財保護政策)
ソウル市庁舎を清国属国旗で覆った(次期在日出身)市長時代の所以か???
韓国では2006年、世界遺産に登録されている水原華城の西将台が放火全焼した。そのほかに昌慶宮、北漢山なども放火されている。
水原華城の西将台は、1996年にも放火全焼していたが、直後にすぐ再建された。この建物、翌年の1997年、世界遺産に登録されたが、「なんちゃって」世界遺産だった。
韓国では、異様なまでに、文化遺産への放火が多い。
354 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 15:51:39 ID:KEMSL45q
「WILL 18年度」
Q:「日韓併合条約は日本帝国主義の一方的な圧力によって締結された。大韓帝国皇帝の印璽がなかったから無効だ」
A:たとえ「平等合邦」ではないなど双方に賛否両論あったとしても、万国が承認したことなのです。反対すべきだった清、ロシアでさえ承認しましたし、抗議声明もなかった。
皇帝の印璽については、皇帝は名目的存在なので行政権限はありませんでした。当時の行政権は韓国の内閣首相にあったのですから、皇帝の印璽は必要のないものでした。
Q:「皇民化教育は民族の伝統や文化を無視し、ときには破壊した民族浄化政策だ」
A:皇民化はリンカーンの功績以上の階級・奴隷解放運動です。半島にはカースト制度があったといっても過言ではない。賎民の奴隷、芸人、巫医、巫女、白丁などの階級支配からの解放だったのです。
皇民化政策は「国民化政策」と同義です。近代国民国家の国民化、近代化運動と見るべきです。
Q:「朝鮮総督府は韓国に一切、貢献していない」
A:総督府の貢献を挙げましょう。
@教育制度の確立
A近代司法制度の確立
B財政再建
C治山治水、国土改造
Dインフラの基礎整備
355 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 15:53:07 ID:KEMSL45q
最も大きかったのは李朝時代以来の牢固たる身分差別、公私奴婢の階級制度を廃止し、リンカーン以上の奴隷解放を行ったことです。万民平等の土台を作ったのは朝鮮総督府の働きによるものです。
京城帝大をつくったのも日本だし、韓国の学校制度なんか日本そっくり。学生服まで同じです。韓国の学生はそんなことも知らずに詰襟を着ているんでしょうね。
日本によってはじめて朝鮮は近代社会、近代国民国家の土台をつくることができたのです。
Q:「日韓併合時代に韓国人は倭人に文化を教えたのに、半島の文化を悉く破壊した」
A:全くのウソです。統一新羅以来、朝鮮人は自分自身の文化を破壊してしまったのです。前朝の文化破壊は朝鮮人の伝統で、民族性。現在でも後任の大統領は前任の大統領を粛清することが儀式化しています。
韓国人が破壊しないのは自分の祖先の墓くらいです。
日本軍が京城の書院などの貴重な文化財を略奪、没収、焼却したというのは全くのうそで、むしろ日本は文化保存に貢献したのです。総督府は旧慣民族調査をし、「朝鮮古跡図譜」7冊、解説5冊、「古跡調査特別報告」12冊、
「朝鮮史」35冊、「朝鮮資料叢刊」など百冊以上、「李朝実録」848冊、「光海君日記」40冊などの古典を、時間と研究費をかけて復活させたのです。
356 :
マンセー名無しさん:2008/02/11(月) 16:17:35 ID:FXg4c4I4
朝鮮動乱のとき
一度全焼している
再建してから50年しか経っていない
また作り直せばいいやんか
357 :
マンセー名無しさん:2008/02/12(火) 20:30:37 ID:5hwkTm9D
358 :
マンセー名無しさん:2008/02/12(火) 21:18:53 ID:1naDKXVq
日本からの南大門復興支援はいつですか?
伸びてるから併合前の日朝(続き)の投下かと思ってwktkしてきたら糞コピぺかよ
360 :
マンセー名無しさん:2008/02/14(木) 11:29:47 ID:xvn75eW7
361 :
マンセー名無しさん:2008/02/14(木) 11:31:17 ID:xvn75eW7
ソース:NAVER/ハンギョレ(韓国語)
朝鮮日報【社説】数年前からホームレスの根城だった南大門
放火事件が起きた崇礼門(南大門)では、
数年前からホームレスが夜間に楼閣へ上がって寝たり、ラーメンを作って食べたり、酒を飲んだりしていたという。
ソウル駅やその周辺に集まるホームレスたちは口々に「崇礼門を根城にしている人は少なくとも5−6人いた」、
「寒いときは空き缶をランプ代わりに暖を取って寝る人もいた」、「1週間前に行ったときにも、十数人が集まって焼酎を飲んでいた」、
「夏には風通しのよい楼閣に30人程度が集まっていた。排せつ物のにおいが充満し、焼酎やどぶろくの空き瓶、菓子袋などが散乱していた」と証言している。
聞いてあきれる国宝第1号だ。
362 :
マンセー名無しさん:2008/02/14(木) 19:53:25 ID:znq9YG8e
>排せつ物のにおいが充満し
韓国人は根城にしてる場所でも排せつしちゃうのかよ
あれ?こんな話は過去に何度も見たような…
もしかして先祖返りニカ?
日本人ならたとえホームレスでもそれだけは避けるだろうなぁ
>排せつ物のにおいが充満し、焼酎やどぶろくの空き瓶、菓子袋などが散乱していた
と書いてあるニダから、朝鮮人にとっては「お酒のつまみ」だったんヂャマイカ?>排泄物
365 :
マンセー名無しさん:2008/02/15(金) 11:24:10 ID:hlZQm1nG
糞尿民族臭賎人は今も変わらず
>>361 ついに羅生門の時代に追い着いたか。
日本を追い抜く日は近いな。
367 :
マンセー名無しさん:2008/02/15(金) 11:31:52 ID:hlZQm1nG
368 :
マンセー名無しさん:2008/02/15(金) 11:42:58 ID:hlZQm1nG
!
・もうワンワン泣けば犬も同然 / イラクテロリストに首をちょん切られる鮮人
(wmv全03:50)(02'40"から03'05"まで首チョン切りLive、その後は血滴る首のClosed-up)。
・the slaughter of dogs and cats for meat in Korea 韓国では毎年260万匹の犬が食べられている (英語)
・嘗糞 (しょうふん) "鮮国の伝統的食習慣" (Wikipedia)
・(鮮人韓国人の) 犬肉のホ-ムペ-ジにようこそ (各種言語表記)
・犬食文化 "下賎な鮮匪・鮮人の重要食習慣" (Wikipedia)
・三種の浄肉 (Wikipedia)
・病身舞(ピョンシンチュム,병신춤) (Wikipedia)
369 :
マンセー名無しさん:2008/02/15(金) 11:47:17 ID:hlZQm1nG
下賤な民族/南朝鮮人(韓国人)は世界中の人々から嫌われ恐れられている。特に米国や中南米で。なぜだろう。それは人の嫌がることを好んでするからである。自国では無論のこと他国においても人種差別、
人種偏見、婦女子暴行、ひと攫い、動物虐待、人肉犬肉常食、法螺こき、嘘こき、ひがみ癖、性格凶暴、詐欺詐術、不法賭博、、癇癪持ち、火病持ち、不法入国、不法移民、不法営業、不法占拠、料金踏み倒し逃亡、もうひとつ売買春である。
これらの行為は殆ど中国人の男や女どもと共通している。有史以来今日まで支那の飼い犬に甘んじていたのでやむを得ないのか。そして捕まると殆どの韓国人は取り敢えず”日本人を”騙(かた)る。まことに厄介な鮮匪・賤人である。
ヴェトナム戦争当時韓国兵は現地の人民に対して悪逆非道を重ね”Gook”と呼ばれ嫌われた。日本でも戦前・戦中・戦後に”鮮匪”とも呼ばれて非常に恐れられた。特に終戦直後の数年間にわたり日本人民に対して思いっきり狼藉を働いた。
そのとき財を成した焼け跡成金などがいま反日・侮日活動屋の資金援助をしていて世界を飛び交っている。それなのに日本では韓国ブームなんだって、貴賎の区別をして排除すべきなのに・・・摩訶不思議である。
世界中で活躍する人非人の人種をネットで調べるとアジア人では中国人と韓国人が際立って多い。以下はヴェトナムでの一例。
引用リンク;
・Korean man monitors nearly 100 Vietnamese prostitutes
08:34' 16/03/2007 (GMT+7) VietNamNet Bridge (英語版)。
370 :
マンセー名無しさん:2008/02/15(金) 11:58:32 ID:hlZQm1nG
チャイナ同様狂犬病対策として
ニューデリー市会議員「インドの野良犬を韓国に送ろう」
インド・ニューデリーのある市議会議員が「数万匹の野良犬問題を解決するため、犬を補身湯(ポシンタン、犬肉スープ)用として韓国に送ろう」という意見を出したと、ヒンドゥスタンタイムズ紙が16日報じた。
同紙によると、バラドワジ議員は野良犬問題の解決案を模索するために開いた市議会会議でこうした提案を出した。
バラドワジ議員は「韓国人は犬肉が好きという文を読んだことがある」とし「デリーの野良犬をすべて韓国に送ることができるだろう」と語った。
371 :
マンセー名無しさん:2008/02/15(金) 12:10:18 ID:hlZQm1nG
遠征売春も盛んである。同じく朝鮮日報(2007年3月21日)の「米国の人身売買被害女性、韓国人女性が最多」 との記事には、
2005年に米国で行われた「売買春一斉取り締まり」の結果が記されている。検挙された1300人のうち、『人身売買の被害女性のうち、韓国人女性が最も多かったことが明らかになった」と。
また、「人身売買の被害者に分類され在留許可が下りた230人のうち、韓国人女性が54人』とある。以上はほんの一例に過ぎない 187 :名無的発言者:2007/03/22(木) 10:24:00
今も続く韓国の盛んな売春、買春の実態は、調べるほどに韓国の矛盾を曝(さら)け出す。戦時中でもないこの現時において、
遠征売春は「人身売買」の被害に遭っているではないか。「強制性」を求めるならば、自国民の被害者が今実在する米国に求めるべきではないのか。
自国の恥を“日本の歴史歪曲”に置き換え、他国に罪を転嫁する。自国の矛盾を覆い隠す。まさに「騙(だま)し」文化の本領である。
----------
372 :
マンセー名無しさん:2008/02/15(金) 12:14:28 ID:hlZQm1nG
恩を仇で返すのろわれた民族それは臭賎人(台湾人より本田総一郎)
373 :
マンセー名無しさん:2008/02/15(金) 12:15:32 ID:hlZQm1nG
宗だったな
374 :
マンセー名無しさん:2008/02/15(金) 18:05:47 ID:kVebNqG8
日本土人の戯言スレですか?
375 :
マンセー名無しさん:2008/02/15(金) 23:08:02 ID:vFdpu94P
>>366 >>367 何しろ、日本統治時代前の南大門とその周辺には、
まるでホームレスの小屋のような、みすぼらしい家屋が
立ち並んでいたからなぁ!
チャンと写真に残っている。
376 :
マンセー名無しさん:2008/02/17(日) 12:15:13 ID:5NUwqwb+
伊藤博文の言葉
「韓国人の誰が、自ら、その独立を主張したのだろうか?そして、韓国人の誰が、自ら、韓国の独立を承認したのだろうか?あるならば聞きたい。韓国人は、数千年来、固有の独立を有していたと主張するが、私はこれを認めることは出来ない。」
377 :
マンセー名無しさん:2008/02/17(日) 12:17:51 ID:5NUwqwb+
「しかし、日本は非文明的、非人道的な行為をしてまでも韓国を滅ぼそうとするものではない。韓国の発展は大いに日本の望むところであって、韓国自身が国力を身につけ、
発展するためならば、韓国は自由に行動してよい。ただ、ここに一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携するべきであるということだ。日章旗と巴字旗(韓国旗)が並び立てば、
それで日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を滅ぼすことがあるだろうか?」
378 :
マンセー名無しさん:2008/02/17(日) 12:19:46 ID:5NUwqwb+
「自分は、本当に日韓の友好を深めるために、誠心誠意尽くそうとしている。しかし、日清・日露の両大戦の際に、韓国は一体何をしたのか?陰謀以外の何をしたというのか?
戦争中は傍観者に徹していたではないか?君たち(韓国人)は、日本が、突然やってきて韓国を滅ぼそうとしていると思うのは、一体どのような根拠に基づくものか聞いてみたい。」
「日本は韓国の陰謀を断ち切るため、韓国の外交権を日本に譲れと主張した。だが、日本は韓国を併合する必要はない。併合は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも日本の指導監督が無ければ、
健全な自治を遂行し難いと考える。」
379 :
マンセー名無しさん:2008/02/17(日) 12:21:39 ID:5NUwqwb+
朝鮮の外交官李成玉
現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つ事はできない。亡国は必至である。
亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝を犬か豚のように思っているが、日本は違う。
日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。
そして日本は朝鮮を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。
それ以外に我が朝鮮民族が、豚の境遇から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
380 :
マンセー名無しさん:2008/02/17(日) 12:31:07 ID:5NUwqwb+
381 :
マンセー名無しさん:2008/02/17(日) 18:21:52 ID:MhqtiLX6
日本人の妄言集ですね
んー。
なら、具体的にどこがどう間違っているのか。
間違っているとする根拠と証拠を提示して論述すれば?
併合前の日朝(続き)
さて、竹添公使も予想だにしなかった大事件となったが、後に甲申政変とか称され
るようになる。しかし明治17年朝鮮事変とした方が日本人にとっては分かりやすい
だろう。
竹添公使一行が8日に済物浦に到着後、仁川領事館では館員挙げて日本政府への報
告書作成に徹夜で取り組んでいた。また、湾に停泊の汽船千歳丸を雇い入れて負傷者、
婦女子、商民などを乗り込ませて出発する準備などをさせたが、それら報告公信類
などの作成は9日になっても出来上がらなかった。
9日朝、フート米国公使から、日本人婦女の送還をしているので舩の出発を待って
ほしいとアストン英国領事を通して連絡があった。
午後、朝鮮政府の交渉通商事務督弁(外務大臣)の趙秉鎬が国王勅使として仁川領
事館に来る。
趙 「国王は公使を案じておられるニダ。京城に戻ってほしいとも言われているニダ」
竹添 「国王の依頼によって護衛していた日本兵を攻撃し、日本人商民まで大勢殺害
し、公使館の我ら一行にさんざん暴行しておきながら、ただ帰って来いとはあんまり
俺たちを軽く見過ぎでね?」
趙 「もう静まったニダ」
(続き)
竹添 「その証拠は?」
趙 「よく知らないニダ。ただ勅命を受けただけニダ」
竹添 「何じゃそりゃ。だいたい朝鮮政府は前から信用できないんだよね」
趙 「とにかく帰られたらはっきりするニダ」
竹添 「ところで君はいつ督弁の地位に着いたの」
趙 「こ、これは我が政府から知らせるはずだったのに不行届きニダ」
竹添 「だから貴政府の言うことは全く信用できないんだよ」
さて国王が留め置かれた清営では、
趙 「ということで、竹添公使は来ないニダ」
袁世凱 「なんとかうまく話をつけようと思ったのに、やはり帰国するアルか」
趙 「・・・・こ、公使が帰ったら2年前と同じように大軍を連れて来るニダ!」
袁世凱 「心配はないアル。我が軍がこうして駐在している」
趙 「それにあの憎い朴金らが日本に逃げてしまうニダ」
袁世凱 「乱の首謀者が日本に逃げたら後が厄介アル。これは何とかせねば」
趙 「千歳丸の出航を止めようにも港では日本の軍艦がにらんでいるニダ!」
袁世凱 「ふーむ。これは米英の使臣を使うしかないか」
趙 「そ、それにドイツ総領事もいるニダ。モルレンドルフから頼ませるニダ」
袁世凱 「国王に言っておけ。それら外国公使らを呼んで、『仁川に行って、朝鮮政
府は日本を決して悪くは思っていないと竹添公使に伝えてくれ』と言うようにと」
(続き)
そんなわけで米公使、英独両総領事は国王の依頼を受けて仁川に向かった。
ところが趙秉鎬は趙秉鎬で、公使を引き止めようと独自に書簡を竹添に送った。
趙の書簡 「国王を幽閉して大臣を屠殺するなど非道の限りを尽くした悪党に公使は
加担したニダ。しかも我が兵を攻撃したニダ! 大砲を撃ち地雷を発して攻撃したニ
ダ! 公使館も日本人が焼いたニダ! 公使は朴金徐なども匿うつもりニカ!!」
竹添 「野郎、喧嘩売るつもりだな」
館員 「米英独の公使領事ら3人が面会したいと来てますが」
米英独 「・・・ということで国王は日本には格別厚意を持っていると言われましたー
ねー」
竹添 「あ、そ。でも朝鮮政府からの書簡にはこうあるよ」
竹添は翻訳して伝えた。
米英独 「オーマイガ! アンビリーバボ! ・・・・アウフヴィダーゼン」
3人は手紙の途中で席を立ち、「さては袁世凱に利用されたか」とばかりにそそく
さと帰っていった。
(続き)
12月11日早朝、港では千歳丸船長に掛け合う井上角五郎の姿があった。
角五郎 「頼む! 彼らも乗せてやってくれ」
船長 「・・・分かった。引き受けた以上は俺が責任を持つ。誰にも手出しはさせん。
しかし大勢だのう」
そこには朴泳孝、金玉均などが従僕らを連れて待っていた。金玉均には専任の料理
人まで同行していた。
船長 「まあ、いいから乗れや」
朴金ら 「カ、カムサハムニダ!」
千歳丸は日本に向かった。もちろん竹添公使は乗っていない。
朝鮮政府、清軍営と手紙で議論を続ける竹添進一郎は段々と怒りが込み上げてくる
のをどうにも抑えかねた。
竹添 「だいたいあの時の袁世凱らの手紙は何だ! 『国王が驚くのを悲しみ、隊を
派して王宮に入らせる』とは。軍を進めて発砲することは国王が最も驚くことではな
いか!!」
館員 「そうっす」
竹添 「趙の野郎も俺に罪をなすりつけるつもりだな!!」
館員 「公使館を焼いたのも、我々が去った後に朝鮮乱民が家具などを片っ端から盗
んでは火をつけたを見たという目撃者がおります!」
竹添 「清軍営の手紙には、俺たちが大砲や地雷で攻撃したとある。ないものでどう
して攻撃できる。あいつら嘘だらけだ!!」
387 :
マンセー名無しさん:2008/02/19(火) 01:00:56 ID:4LZYk89T
(続き)
館員 「関係ない日本人の商民まで皆殺しにするつもりだったようです」
竹添 「なんと半分が殺された!うーー、許せん!! 清軍提督を罰し清兵駐在を撤
廃させて清国政府に謝罪させねばならん!」
竹添は中国の文化にも造詣が深く漢詩を愛する親中派の日本人と言える人である。
それだけに裏切られたという感情と共に激憤甚だしいものがあった。
親中派の日本人ほど中国人をよく知らないという皮肉。ま、これは親韓日本人にも
言えること。
さて、日本政府が事変のことを知ったのは、竹添からの報告よりも先に11日に日
本駐在清国公使からの通知によるものであった。
その頃天津領事の榎本武揚も清国政府大臣からそれを聞いた。
清国大臣 「・・・ということで日本側が先に戦端を開いたらしいアル」
榎本 「えーっ? あの漢学者の竹添公使が? 彼は常に貴国の提督と意気投合して
睦まじく交際している人だよ。信じられんなあ。そちらから先に撃ったんじゃないの
?」
清国大臣 「とにかく、他国の干渉があってはならないアル。どこまでも清日2国間
で平和裡に事を治めたいアル」
日本政府もあまりにも重大且つ信じ難いことだったので、急遽調査員を派遣。竹添
公使と村上中隊長に尋問した。
(つづく)
389 :
マンセー名無しさん:2008/02/19(火) 23:12:44 ID:7zsz7dVX
日本土人のイージス艦は漁船を攻撃するためにあるんだねwww
乗る資格ねえな 日本土人はwww
>日本土人のイージス艦は漁船を攻撃するためにあるんだねwww
これ↑が成り立つなら・・
「朝鮮の戦闘機は、マンホールを攻撃するためにあるんだね」も成り立つ罠(嘲
>>390 あれ、あたごに深刻なダメージ出てたっけ?
むしろ「韓国のマンホールは人を感電させたり戦闘機を破壊したりする恐るべき兵器」では。
394 :
マンセー名無しさん:2008/02/20(水) 19:08:33 ID:Xfr3XObC
>>387最近お忙しいようですが、また続きをよろしくお願いします。
395 :
マンセー名無しさん:2008/02/21(木) 10:57:50 ID:2sea7jSv
朝鮮の特攻隊員の妻 私はこの話(韓国の女性の小学校長のご主人が沖縄の特攻隊員として戦死した。そのご主人は特攻が決まると出身小学校を訪れ、校庭に桜の木を植えた。
成長した桜の木がある小学校に奇しくも彼女は赴任した。さびしいときはこの桜の木の下に立つと心が休まる、という話)を聞いて、日本人に知って貰いたいと思って、
ソウルにいる日本の新聞記者にそれとなく知らせました。A新聞の記者が、早速、その女性校長を取材しました。校長は記者を桜の下に案内しました。すると記者は「日本の軍国主義がご主人をだまして申し訳ないことをしました。」
と言ったのです。いつも謙虚な校長でしたが「だました」という言葉に激怒しました。「私の主人はだまされるような人ではありません。自分の意志で出撃したのです。だまされたというのは、人間に対する侮辱です。
取材はお断りです。」と。 「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著
われわれは戦わなかったから亡びた 「私は平素学生に対して、韓国人としての自覚を促している。日本の韓国併合に抗議する前に韓国人自身が考えなければならないことがある。
日本の韓国併合に対してアメリカもイギリスも誰も抗議しなかった。世界は当然のような顔をして受止めていた。それはなぜか。日清戦争のとき、清国軍がソウルを占領しても韓国人は戦わなかった。
だから日本が戦って清国を追い払った。ロシアが入ってきた時もわれわれは戦かわなかった。日本軍が血を流して戦い、朝鮮からロシアを追い出した。だから日本はこれ以上トラブルは嫌だと朝鮮を併合してしまった。
これに対して世界の列強は、日本がそうするのも無理はないとして一言も文句を言わなかった。このことを忘れてはならない。
韓国は自ら亡んだのだ。日本の悪口を言い、責任を日本に押し付ける前に、われわれは戦わなかったから亡びたことを知らねばならない。」
名越ニ荒之助「日韓2000年の真実」国際企画昭和55年、私は学生を連れて韓国を訪問したことがあります。その時会った某大学の学長(本人の要望があり、特に名を秘す)の言葉。
396 :
マンセー名無しさん:2008/02/21(木) 11:00:29 ID:2sea7jSv
悲惨な朝鮮の歴史の真実に直面した時代時代の識者は、歴史を捏造することで国民に誇りを植え付け、嘘の上塗りをした。
『三国遺事』(1280年代成立)に檀君朝鮮を記述し捏造、さらに『桓檀古記』、『揆園史話』の偽書を捏造して、伝説ではなく歴史書としている。
朝鮮中心主義を正当化するため、朝鮮の食いっぱぐれの流民たち、おちこぼれ、罪人、貧困者、敗残の韓民族、浮浪者たちが日本人のルーツで、
四つの階級の賎民よりさらに下の階級(カスト)が日本人だと捏造している。朝鮮民族を『日本文化の先祖』という位置に置くことで自慰しているのだ。所詮嘘は嘘でしかない。
397 :
マンセー名無しさん:2008/02/21(木) 11:02:45 ID:2sea7jSv
中国の中華思想を模倣し、南の果てにある済州島島民を、朝鮮はいまだに侮蔑している。古代最も輝いた耽羅(済州島)が、
たかだか15世紀始めからの李氏朝鮮の罪人流刑地と言うだけの理由で、朝鮮最下層とされているのだ。侮蔑は愚かだ。済州島に対する差別は酷く、
完全な野蛮人扱い。 済州島出身者との結婚となると、在日でさえ「血が汚れる」と一族が猛反対。韓国は宗主国気取りで、済州島を植民地化し済州島島民を侮蔑している。
そのうえ、済州島四・三事件で韓国の治安部隊に8万人の島民が殺害されたので、済州島島民は韓国人に対して深い怨念がある。在日に 済州島出身者がおおいのはこのようなことが起因となっている。
ましてや、済州島島民は朝鮮民族では無いので、ヒトラーのように自民族中心主義を唱える反日愚民化扇動者には、永遠に差別され続けるだけだ。
溝は深まるだけで、けして埋まらない。埋めるのは不可能。
398 :
マンセー名無しさん:2008/02/21(木) 11:07:16 ID:2sea7jSv
敗戦後戦勝国より刷り込まれた自虐史観(日本が全て悪い)の嘘に気づき、日本人の五感で歴史を検証し、真実の日本国史観を築こうとする、
日本人民からのインターネット史観が生まれた今、在日は、僑胞を押し通してはいけない。在日の原点が判明した今、帰化か帰国か決定すべきだ。
決定せず留まる方は、今後不法滞在者になる。日本に住みながらなんでも日本人が悪いではなく、在日は何で今日本が、嫌韓、嫌朝、嫌在日かを考えるべきだ。
また、世界中が嫌韓、嫌朝、嫌韓人なのかも考えるべきだ。史料や史実に基づいて、実証的に考察する精神から真実を学び、愚民化された南北に、真実を発信し、真実を理解させ、
愚民政策から解放し、救国すべきだ。後の歴史で救国の僑胞と呼ばれるように。朝鮮紀行をまず読むことだ。
○崔基鎬(チェ・ケイホ)
崔基鎬殿 極めて正論であるが
帰化は断じて断るw さっさと帰国汁
400 :
マンセー名無しさん:2008/02/21(木) 19:59:04 ID:j6uiCzjB
鬼畜日帝に侵略された者の気持ちがお前ら日本豚に分かりますか?
>>400 でも その悔しさよりも
保証金が少ない怒り の方が勝ってるから 南大門に火つけちゃうんだよね
良スレで、ゴミみたいな電波弄って遊ぶの止めて下さい。
404 :
マンセー名無しさん:2008/02/22(金) 01:48:53 ID:ROzV1rKk
565 名前:名無的発言者 :2008/02/19(火) 01:25:37
ブサヨノ 日本人を侮辱する バカタレダ
反省するなら
ちゃんと謝罪したらどうだ
405 :
マンセー名無しさん:2008/02/22(金) 01:50:01 ID:ROzV1rKk
566 名前:名無的発言者 :2008/02/22(金) 01:06:28
ももこ元気かな?愛も変わらずがんばっているみたいですな
567 名前:名無的発言者 :2008/02/22(金) 01:15:49
今日歌ったけど
http://www.youtube.com/watch?v=X6yFNjvprFA安奈 by 甲斐バンド
安奈 NHKからFUJIでも良いね
歌ったぞ はははうyh 568 名前:名無的発言者 :2008/02/22(金) 01:18:19
この桃子は、昔の上海クイーンをつぶしたか答えなさい
406 :
マンセー名無しさん:2008/02/22(金) 01:50:49 ID:ROzV1rKk
569 名前:名無的発言者 :2008/02/22(金) 01:19:05
この桃子は、昔の上海クイーンをつぶしたか答えなさい
570 名前:名無的発言者 :2008/02/22(金) 01:21:56
お前中国関係ないだろうが??要は、その会社が話にならなったんだよ
お前が勝手につぶし始めただけだ
571 名前:名無的発言者 :2008/02/22(金) 01:25:04
シナがつぶすほどやわでやってたとは思わんははは
どうせお前がしながわの相手だったし アップルは違うがな
上海の一味だな
572 名前:名無的発言者 :2008/02/22(金) 01:27:39
もともと人間が翻訳したタ
シカシジドウホンヤクデオワッテア
オマエガシナゴヲyッテタンダ
573 名前:名無的発言者 :2008/02/22(金) 01:30:30
まあ一時
ハンにち暴動の頃は1000名は接続してたな
574 名前:名無的発言者 :2008/02/22(金) 01:32:43
日本人を真剣に聞きたい- [ Translate this page ]中国は10年後にアメリカを追い抜く- [ Translate this page ]林桃子67のホームページは、 ... [01:34] <林桃子67> 对[一只烟的苦]说: 我以后自己做731关系的主页吧 . ...
academy6.2ch.net/test/read.cgi/china/1191661083/495-523 - 12
407 :
マンセー名無しさん:2008/02/22(金) 01:54:01 ID:ROzV1rKk
辻しょうそ
ここでの同一だ
408 :
マンセー名無しさん:2008/02/22(金) 01:56:09 ID:ROzV1rKk
いざなみもなあー
409 :
マンセー名無しさん:2008/02/22(金) 02:02:04 ID:VUdwUXBv
日韓併合を決めた奴らは国賊だ!
朝鮮人を対等な民族とみなして日本国民にした全く愚かな連中。
東北などでは貧しく娘の身売りまで行われていたというのに
同じ日本人を救済せず半島なんかに莫大な投資をして橋を作り、教育機関を充実させ
朝鮮人自身でなしえなかった文明開化、近代化の手助けをした。
何故そんな余計なことをしたんだ!
しかも創始改名で日本名を名乗らせる名誉まで与えたし
朝鮮人を入国させるきっかけを作ったのは明らかな間違い
しかもそのせいでいまだにタカられてる。
日韓併合論者を炙り出せや。
411 :
マンセー名無しさん:2008/02/22(金) 18:29:25 ID:NsG9e78S
鬼畜日帝に侵略された者の気持ちがお前ら日本豚に分かりますか?
つまり豚とやらに侵略される豚未満の存在が朝鮮人ってことかw
>>411 あれだけの恩恵を受けていながら、何故日本を怨むのか理解出来ない。
と、ある台湾人が言っていました。
台湾人にも、鮮人の被害妄想は理解出来ないようですw
>>409 そうでもしなきゃ、あの国の連中は自立してロシアの防波堤になるなんてことできなかったんだからしょうがない。
>>411 日本がしんりゃく行為をしてない以上、存在しえない気持ちを理解することは不可能だな。
というか、お前らはいい加減日本を貶せば貶すだけ自分たちも貶すと気付け。
415 :
マンセー名無しさん:2008/02/22(金) 18:53:11 ID:NsG9e78S
日本豚は自分達を正当化するための捏造が得意なんですね
>>415 その日本豚とやらに別スレで金をたかるなよw
>>415 あなた方 朝鮮人は、歴史を捏造してまで日本人を貶めていた事が
バレてしまったのですから、惨めとしか言い様がありませんね。
早く悔い改めて、日本人に赦しを乞いなさい。
それから、被害者面をするのは、あなた方の傲慢であると知りなさい。
朝鮮人とシナ人にだけは鬼畜扱いされたくないなw
ちなみに日本はチョーセンをしんりゃくなどしていない。
しんりゃくどころか、へいごうしてチョーセン人をかちくからにんげんのせいかつにしてやった。
今のチョーセン半島は、あれメイドバイジャパンですよw
かんしゃこそされても、うらまれるすじあいはこれっぽっちもないですねー。
419 :
マンセー名無しさん:2008/02/22(金) 23:08:43 ID:NsG9e78S
日本豚は自分達を正当化するための捏造が得意なんですね
日本豚はアジアの癌細胞です 早く治療したいですね 核で
そういえば今年に入ってからやはり中国が面白いのです・・・
夏まではネタの満漢全席の予感。
421 :
マンセー名無しさん:2008/02/23(土) 11:28:21 ID:7B+11T78 BE:300496526-2BP(6)
>>419 東亜の常識から考えれば異端かもね。
アジアの定義が出来てないID:NsG9e78Sは地理から勉強し直しなさい。
日清戦争とか日華事変とか以前に。中華から海を隔ててすぐ隣なのに
「日出る所の天子(以下略)」なんてぶちかまして中華秩序頭から無視の
「アジアの異端者」を千年以上やってるんですものね。もう筋金入り。
423 :
マンセー名無しさん:2008/02/23(土) 12:07:16 ID:7B+11T78 BE:1001652285-2BP(6)
>>422 × アジアの異端者
△ 特亜の異端国
○ 中華思想に染まってない国
>>422書を日没する所の天子に致す。恙無きや」東方礼儀の国で解ってます。
中華が他国に求めるのは、礼儀ではなくて隷儀ですから。
そもそも"Asia"って概念が「トルコあたりより西のほう全部」だもんな。
イスラムとヒンズーと仏教と中華思想と神道と一緒にしてどうする。
コピペ低能の片棒担いで雑談かよ、控えるって言葉を覚えろよ。
併合前の日朝(続き)
栗野慎一郎少書記官 「ということで、本日は職務として尋問したい」
竹添 「何なりと答えよう」
栗野 「朴金らが洩らした乱の策であるが、それを抑止するために充分説得したのか」
竹添 「充分やった」
栗野 「その後、朴金らが事情を述べて助力を乞うような内談があって、それで今度
の暴挙となったのか」
竹添 「その相談はなかった」
栗野 「国王から依頼した証拠があるか」
竹添 「『日使来衛』と書いた親書と国璽がある」
栗野 「事前に朝鮮兵との打ち合わせがあったか」
竹添 「朝鮮兵とは一切関係していない」
栗野 「清兵は発砲しながら王宮に入ったのか」
竹添 「王宮に侵入し充分に配置した後に不意に発砲した」
栗野 「清兵が日本兵よりも先に発砲した証はあるか」
竹添 「王宮各門の守備は朝鮮兵であって、日本兵には関係がなかったことが証であ
る」
栗野 「朝鮮兵と清兵が合力した機会は何か」
竹添 「清兵に調練されていた朝鮮兵は皆その命令に従うまでであった」
(続き)
栗野 「朴金ら暴徒が大臣らを暗殺した後に、朝鮮新政府から新任の官吏任命の通知
があったか」
竹添 「金宏集から照会があったのみである」
栗野 「清兵か朝鮮兵が我が公使館に発砲したのは確かか」
竹添 「まず大庭四等属官が、清兵が10人足らずで発砲して来るのを見た」
栗野 「その後暴徒(朴金ら)はどうなったか」
竹添 「洪英植は殺害され、他は脱走した。その後の風評があるが確かなことは全く
分からない」
栗野 「清兵司令官は今は何をしているのか」
竹添 「袁世凱なる者が総て朝鮮政府の内政を指揮している」
栗野 「京城公使館はどうなったか」
竹添 「既に焼失した」
栗野 「日本人が殺傷されたのは清兵の手によるものとの証はあるか」
竹添 「ある。写真師杉岡の話などを聞くとよい」
その他、袁世凱が日本人を虐殺してよいと布告を出していたことの話などなど。
栗野 「村上中隊長に同じく尋ねたい」
村上 「何なりと」
栗野 「清兵は何人ほどいたのか」
村上 「およそ1500人。我が兵はあまりに少数であったが、敵兵の射撃が未熟で
あったことが真に幸いした」
その他、奪われた兵営には5、6ヶ月は維持できる糧食の準備があったことなどを
述べた。
(続き)
さて、朝鮮政府からの書簡や「事変事実書」なるもの、また清軍提督の書簡や上申
書、また清国政府が日本政府に公布した事変始末書なども記録されている。しかし、
なぜか事跡一つ一つに対する内容が皆違っている。つまりは報告のたびにくるくる変
わっているのである。一貫しているのは竹添公使に対する非難であり、事実に関して
は適当に書いておけという感じで、要するに個別の「事実」は日本側を非難するため
の修飾的字句として書かれたという印象。う〜ん、これは興味深い。最初に結論あり
きで「事実」は後から適当にくっつけると。
しかし竹添進一郎としては我慢ならないところ。
竹添 「多くを捏造してやがる。その歴然たるところを挙げて弁駁するぞ」
と猛烈に反論の書簡を出しまくる。
で、議論は議論を生み愈々ヒートアップしてくるというパターン。
終に竹添、「もう武力を以てするしかなかろうぞ!!」
とばかりに井上外務卿に以下のように電報。
(竹添電報)「・・・・朝鮮政府からの書簡には傲慢無礼の文字が並び、今は手紙の
遣り取りよりも京城に戻って直接談判をして、まず朝鮮政府の過失を認めさせねばこ
の事件の解決は全く望みがない。井上閣下には和平の精神に反すると思われようが、
これに失敗するならば和平の取り計らいを断念するしだいである。その時は速やかに
軍隊を送って迫り報復の処置をすべきである。もし閣下がなおも和平の談判を望まれ
るなら速やかに拙者を適当に処分されるほかないであろう」
(続き)
井上 「竹添公使はだいぶ頭に血が上っているらしい」
伊藤 「まあ無理もないが・・・世論もすごいことになってるのう」
事変のことが日本全国に知れ渡ると国民挙げて清兵の暴行に憤り、清国を征伐せよ
との声で騒然となった。
西郷従道 「しかし今の日本には清国と戦する力はありもはん」
例の世界最大級の清国甲鉄戦艦の定遠・鎮遠も既に明治14年末に完成していたこ
と(ただし清国への引渡しはまだ)を日本政府は知っていた。清国がその他の砲艦も
次々に購入していることも。一方、日本海軍にはまともに海戦が出来る艦船は数隻し
かなかった(明治15年当時で)。よって海陸軍の拡張及び共同運輸会社の設立等に
着手したばかりであった。
井上 「それについてフランスが変な手紙をよこしたぉ」
上海駐在安藤領事からの電報 「駐清仏国公使から『仏国政府は日本政府と同盟関係
を結びたい。ついては援軍として4艘の甲鉄軍艦と1万6千人の兵士を派遣すること
に決した』との旨申し込みがありました」
西郷従道 「やれやれ、ベトナムでドンパチやってるから、清国を共に討とうという
魂胆か」
支援
(続き)
井上 「榎本は『フランスの色気話』などと言ってるぉ」
伊藤 「はは・・・金髪女は後が怖いっちゃ」
三条太政大臣 「とんでもない誘いでごじゃる」
有栖川左大臣 「やはりここは井上はんが話し合いに行くほかないなあ」
ということで井上馨が行くことになったが、日朝間、日清間の談判要綱である訓条
は井上馨が自ら起草。
・ 朝鮮政府と談判し責任者の処罰を求める。
・ 公使館と兵民の損害に対する賠償を求める。
・ 日清争闘の事件処分は調査の結果により判断。
・ 日清両国は今後再びの争闘の危険を避けるために兵を徹すること。
・ (清国が)兵を徹することに同意しないなら、我が国への利を適宜計画。
・ 朝鮮国王から我が皇帝陛下に謝罪の書を提出させる。
と。
井上 「ところで朝鮮国に対する我が国の政策方針だけど、・・・我が国としては朝
鮮国の独立を補助するのか、それとも補助を放棄して清国政府に一任するのか、どう
するよ?」
三条太政大臣 「またそのことでごじゃるか」
伊藤 「すでに日朝条約で独立国と認めているっちゃ」
(続き)
井上 「自分としては独立を補助するについても、清国政府と相談しながら事を進め
るのがよいと思うけど」
当時、井上としては朝鮮の独立問題に日本が積極的に関わることに消極的であった。
必ず清国と対立することになり終には重大な局面をもたらしかねないからであった。
もちろん、政府内ではいろんな意見があるのは常のこと。それで、あの時伊藤がこ
う言った、この時西郷がああ言った、三条がと、いろいろに個人の意見が後世評され
るのであるが、しかし結局は総意として閣議決定したものが日本政府の方針である。
よって井上の問いかけに対して政府決議したもの、つまりは「日本は朝鮮をどうす
るの?」とは、
・ 従来からの関係により日本政府は朝鮮の独立を認めざるを得ない。つまり補助す
べし。
・ 朝鮮から日清両国の兵を引揚げることを談じ、清国が朝鮮の属国を主張して兵を
引かないなら、結局は日清共に駐兵さぜるを得なくなるだろう。
というのが当時の政府方針となる。
(続き)
また、従来からの関係とは、井上の言葉を借りれば以下である。
「(明治初頭に日本政府では)朝鮮の独立を養成させるべしとの政略が定められた。
以来我が政府は外交の手段を以って欧米各国に派出する我が公使をして間接直接にそ
れぞれの国に説かせ、以って朝鮮国を扱うに独立国としてこれと条約させる事に努め
、他の一方に於てはその国力を養成させるために兵器を贈与し兵式を教授させ、また
その国から我が国に留学するところの生徒は特に官学校に入学するのを許し、漸次に
その国内政治を改良させんとしてきた」
外に何かある? かつての「征韓論」? 何それ? 日本政府の方針にあったかな?
「日帝による収奪論」? いよいよ笑止。出血サービスしているのは日本の方じゃん。
「清国から朝鮮を引き離して日本の手中にする」? それ李鴻章が朝鮮を独立させないよ
うに支那党に吹き込んでいた説だからw。
さて、国民世論は朝鮮の支那党を憎み朴金らに同情し、清国との開戦論に激しく傾
き始めていた。で、日本政府としてはそれを止めるために新聞条例を発布して新聞・
雑誌の検閲に着手。
支援
(続き)
記者 「開戦やむなし!!」
政府 「だめー!! 戦争煽るなっ!!」
記者 「あの韓奴めが!」
政府 「だめー!! 韓奴なんか言っちゃ。朝鮮は日本との条約国だぞー!!」
記者 「支那のチャンチャン野郎が!
政府 「チャンチャンなどという侮蔑語使うなーっ!!」
記者 「竹添公使は乱党に加わっていた」
政府 「嘘書くなー!!」
記者 「日本兵が最初に撃った」
政府 「こらー! 出鱈目書くなー!!」
記者 「竹添公使は逃げ帰った!!」
政府 「嘘書いて竹添公使を誹謗するなー!!」
記者 「清兵が日本人妊婦の腹を切り裂いたのを見た朝鮮人がいる」
政府 「だめーっ!! 国民に激情を焚きつけることになる!!」
記者 「それじゃあ何書いたらいいんすか?」
政府 「記者の一個人の思想を語るのは自由だよ」
記者 「つまり個人名でなら意見を書いてもよいと」
政府 「そういうこと」
「新聞条例による検閲」というのは今ではまるで悪玉扱いされているが、中身も読ま
ずにそんなレッテル貼るのはいい加減にしてもらいたいものだ。
ま、とにかく開戦論に傾くのを必死にくい止めようとした当時の日本政府なのでしたー。
(つづく)
438 :
マンセー名無しさん:2008/02/26(火) 23:07:18 ID:BrwivrhE
ID:wOZyj66Vさん
支援感謝です。
乙です。いつも楽しみにしています。
いつも楽しく拝見してます。
お疲れ様です(o*。_。)oペコッ
朝鮮の実情だけでなく、マスコミの反政府体制もこの頃から変わってなかったのね
誰か見たかな 1週間くらい前の深夜番組なんだが
西郷ドンを征韓論者に仕立て上げたのは誰かというドラマ仕立てのものなんだが
実は黒幕は伊藤であって長州閥を伸し上げる為に西郷ドンを下野させ
伊藤たちに反発する者も引き下ろしたと言うのだ
西郷ドンは知っての通り、あくまで話し合いで解決しようとしたのだが
まあ日本初の法則発動者と言えるかな
嵌めた伊藤も係ったために発動も在るが、此れが真実ならば天罰とも言える
444 :
マンセー名無しさん:2008/03/04(火) 08:18:34 ID:pGyP+ODM
「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面
をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。
そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思って
いるが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは
気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、
日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者
である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福
が受けられる道はない。」
朝鮮全権大使 李成玉 「李完用侯の心事と日韓和合」
445 :
マンセー名無しさん:2008/03/06(木) 11:34:18 ID:K2/cll6U
日本人が朝鮮で行った悪行
我々日本人は,以下の事を大いに反省すべきだ.
★日本が朝鮮にマッチを持ち込み普及させた.
これによって 朝鮮の火災が増え,罪の無い人々が焼死した.
★日本が「円」を持ち込んだ.
それまでは買い物をするときには貨幣の運搬のために馬と馬子を雇っていた。
「円」や「ドル」が通用するようになって馬子が失業した.
★日本人はソウルに,二階以上の建物を建てた.
それによって,ソウルの見晴らしが悪くなった.
★ソウルに大学を創った.
現在の韓国の学歴偏重の弊害の原点はここにある.
★朝鮮に道路や橋を整備し侵略を容易にするとともに「風水」を壊した.
★日本人は衣服に色をつけることを教え,朝鮮の白衣文化を奪った.
★日本は政府に圧力をかけ睾丸の腐割を禁止させ,性転換の自由を奪った.
★初潮前の少女を妓生とすることを禁じロリコンの楽しみを奪った.
★寡婦の再婚を許可し不倫を横行させた.
★病気の治療のための呪詛を禁止し,宗教の自由を奪った.
★白丁(被差別者)に笠をかぶせることを禁じ,笠屋の利益が減少した.
★奴婢の解放により,両班に反感をもたせた.
★女性にも名をつけることを奨め儒教の教えを蔑ろにした.
これだけの罪を犯したのだから,恨まれて然るべきかw
大戦で満州から朝鮮ルートで帰ろうとした人達とか、朝鮮に関わって何十万人が犠牲になったのか知りたい。
448 :
446:2008/03/06(木) 14:33:16 ID:03AwLhzX
併合前の日朝(続き)
さて、朝鮮と清国への日本国民の轟々たる非難の嵐は止むことなく、竹添公使も益
々ヒートアップして朝鮮の地で激論を続けている。朝鮮政府も珍しく強気。もっとも
清国をバックにした支那党政権だから。
実際、竹添公使が言うように、武力によるしか解決の道がないように見えてきた。
そういう中での井上大使派遣である。
李鴻章 「我国も談判の大臣を派遣するアル。北洋副大臣呉大澂を出すアル」
天津の原領事「場所は京城と言うことでOK?」
呉大臣 「ついては一兵も連れずに単身で行くアル」
原領事 「ということでしたが」
井上大使「あそ。ほんじゃこっちも」
ところが井上が下関に着くと在日清国公使から、
清国公使 「我が大臣はやっぱり兵を連れて行くアル。4百人ばかりアル」
井上 「おーい。今になって変えんの?」
それで井上も急遽2大隊を編成して護衛させることに。
井上 「ところで清国大臣は全権は委任されてる?」
清国公使 「全権は委任されてないアル」
井上 「なにそれ。重要事項をどうやって決定するの」
ということで、井上は呉大臣とは談判をしないことに決した。
(続き)
伊藤 「聞多しゃん、清国の方の談判は俺が行ってくるっちゃ」
井上 「俊輔がそうしてくれるといいぉ」
ということで、井上一行が仁川に到着したのは年の瀬も押し迫った12月30日。
仁川領事館に入ると竹添公使は不在だった。
井上 「あれ? 竹添公使は?」
領事館員 「それが京城に行っておられます。井上毅議官も一緒です」
井上 「あそ。じゃ井上議官を呼び戻して」
翌31日、井上議官戻る。
井上毅 「公使は趙秉鎬督弁と直接談判しましたが、趙督弁の言うことは無茶苦茶で
すよ。市中の風説を事実と主張してあることないこと言ってますから」
井上大使 「案の定、不毛の議論になってるらしいの」
井上毅 「公使の方は国王の親書や国璽印を見せて反論してますが」
井上大使 「公使に議論中止を命ずると言って」
(続き)
やがてその趙督弁が井上大使を訪問。
井上 「両国の一大事なので我が皇帝陛下は余を派遣された。余は多忙の身である。
速やかに国王に謁見したい」
趙 「かねてから御威名はウリの国までも轟いているニダ。必ず公平の処置をされる
と信じ喜びにたえないニダ。ところで大使にはこれまでのウリの政府と公使の間での
議論往復の書簡は読まれたニカ?」
井上 「もとより承知。しかしそれは貴政府が勝手を言っているだけで政府と政府の
議論にあらず。公文でもない。もしこれによって談判せんとするなら余は何も言うこ
となく帰るのみ」
趙 「そ、それは政府と談判されたら分かるニダ。ただ今日では両国間に問題はない
と思うニダ」
井上 「そちらになくともこちらがそれを認めないなら両国間に問題があることにな
る。朝鮮政府が我が国の請求に応じないならどういう結果になるか分からんよ。つま
り和を結ぶかどうかはそちら次第。余は和を結ぶことを望むが」
趙 「も、もちろん政府もそれを願っているニダ」
井上 「では速やかに謁見が出来るように貴殿からも尽力されたい」
勢い込んで来たはずの趙は竹添公使非難の言葉も口に出来ぬまますごすごと帰った。
452 :
マンセー名無しさん:2008/03/10(月) 00:34:17 ID:HiHvreqU
(続き)
以降、井上は戦闘モード。だいたい井上馨のことを知る人は「カミナリ」と称して
いたという。肺腑をえぐるような言葉とともに一喝するので有名だったと。
その頃竹添公使は公使館焼け跡の調査を警部と巡査に命じて派遣。ところが西大門
を通過しようとすると警備する清兵数人が銃口を向け銃剣を突きつけて妨害。
それを聞いた公使護衛の日本兵が激怒。直ちに西大門に行って清兵を撃つことの許
しを公使に迫った。
また、趙督弁らは竹添公使に向って、通訳官の浅山顕蔵は朴金らに通じていたので
井上大使の国王謁見の通訳にふさわしくないと言い立てた。
それらを聞いた井上は、私闘を許さずと兵に通達し、また朝鮮政府に対し、
井上 「余の入京の妨害をするなどの失敬があるなら臨機応変の処分に出る! また、
余が使用する者は余が選ぶ。他人が口出しすることではない! もし浅山顕蔵が賊
に通じていたというなら証拠を示せ!ただちに罰することである。証拠がないなら疑
惑で人を誣告するも同然である!」
と宣言。
それを聞いた趙督弁らは唯々として議論を引っ込めた。
(つづく)
支援
すばらしい やはり、この時代からダメポとの評価があった害有省ではあるが
人物は居るものだ
ローゼン閣下も此れくらい首相になったら遣ってくれるのだろうか
455 :
マンセー名無しさん:2008/03/11(火) 09:47:35 ID:EevHV1Qz
【三田渡碑】
またの名を『大清皇帝功徳碑』、韓国人には『恥辱碑』。
丙子胡乱で朝鮮が負けた時に、朝鮮王が清国皇帝に9回地面に頭を擦り付けて服従を誓った記念碑。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm それに刻まれている文章を要約すると
『大馬鹿な朝鮮王は愚かにも、偉大な清国皇帝に逆らった』『清国皇帝は愚かな朝鮮王を窘め、己の大罪を諭してやった。
良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った』
『我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする』
さらに1637年1月30日に朝鮮が清国に結ばされた和約の内容は、
1.朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと
2.朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清へ引き渡すこと
3.王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること
4.清が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること
5.内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること
6.城郭の増築や修理については、清に事前に承諾を得ること
7.清に対して黄金100両・白銀1000両と二十余種の物品を毎年上納すること
8.清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること
9.清が鴨緑江の河口にある?島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること
10.清からの逃亡者を隠してはいけない
11.日本との交流を許すこと
※ 『二十余種の物品』の具体的には、清国に毎年牛、馬、美女を各々3000献納等々。
456 :
マンセー名無しさん:2008/03/11(火) 09:51:09 ID:EevHV1Qz
事大主義者の朝鮮人は、無気力でプライドの無い民族であるが、時折「古来から大朝鮮帝国はアジア全域を支配していた」
などと生意気な誇大妄想を口走る癖がある。
そんな朝鮮人の気質を見抜いていた清の太宗は、妄想がちな朝鮮王に己の立場を思い知らせるため、9回頭を地面に
叩きつけて土下座する「九叩三拝(または三跪九叩)」という“くどい礼儀作法”で忠誠を表すように強制した。
また、後世に朝鮮人が歴史を歪曲できないように、この「九叩三拝」の事実を記した碑文を3種類(モンゴル語版、満州語版、
漢語版)も用意し、ソウルに建てた。
∧∧
/ 中\
( `ハ´) ∧ ∧
( ~__))__~) <`Д´ >,, ノ ))
| | | (( l|lll|lll| (⌒,)
(__)_) と< とノレ
∨ ∨ Σ ガンガンガン
これが有名な、「三田渡碑(サムジョンドビ)」である。
1945年、太宗の懸念通り、朝鮮人は三田渡碑を埋めて証拠隠滅を謀ったが、1963年の洪水で碑が再び地上に姿を表すと、
天罰を怖れた朝鮮人たちによって戻された。
三田渡碑の場所・・・・・ソウルの南、松坡区石村洞。地下鉄8号線の石村駅の5番出口を出ると、すぐにソウル銀行がある。
そこを左に折れて直進すると、左手に公園があるので、その中を散策すること。韓国の歴史教科書は否定しているが、
韓国が中国の属国だった物証が其処に存在する。通称「土下座碑」と呼ばれるように、レリーフには中国人に土下座する
朝鮮王の姿が刻まれているのだ。
ちなみに、この恥辱的な石碑について韓国人は、「朝鮮と清が同盟を結んだことを記念して、清王から贈られた」と、
相変わらず歴史を歪曲して観光客に説明している。
しかし、一度埋めた碑が勝手に浮上した時の恐怖が忘れられないのか、破壊するほどの度胸は無いようだ。
維新間もない日本が、なぜ国運を堵してまで日清戦争をやったのか
疑問だったけど、やはり朝鮮を清の影響下から切り離さないと、
朝鮮に近代化もさせられない、近代化させなきゃいずれ朝鮮王はロシア
その他の列強に国を売り飛ばし、日本の安全を脅かすってことだったんだね。
しかしまあ、日本の支配から離れて僅か60年にして、見事なまでの先祖がえり。
朝鮮DNA恐るべし。
韓国人も豊かになればまともになって、日本の良きパートナーに
なってくれるだろう、と思っていた時期がありました。私が馬鹿でした。
461 :
マンセー名無しさん:2008/03/11(火) 12:59:29 ID:N2vHfDcy
462 :
マンセー名無しさん:2008/03/13(木) 01:18:45 ID:eLCdG8UU
名前:名無的発言者 :2008/03/13(木) 00:51:17
563朝鮮の特攻隊が日本名を名乗って
散ったんだな 高倉健の映画だろ
黄文雄氏
・史実とも日本文化とも全く無縁である、韓国の「民族独立館」、中国の「南京虐殺記念館」は、反日教育の施設であり、中韓両国特有の「虐殺文化」の丸写しなのである。
残虐であればあるほど、中韓がそれだけ残虐な国であることをあらわしているのだ。
・儒教国家というのは、たいてい政治的には不寛容である。刑罰については残虐極まりなく、たとえば中国法制史に書き連ねられている刑罰には、頭に穴をあけたり、身体を裂いたりと、日本人にとっては言語を絶するものがある。
・李朝時代の反体制運動の参与者に対する処刑は、朝鮮総督時代をはるかに上回って残虐だ。甲申政変(1884年)の指導者、金玉均が上海で暗殺されると、遺体は首と胴体が切断され、首は漢城で晒し物になった。
『独立新聞』を創刊し、独立教会の主役になった徐戴弼も甲申政変で一族が惨殺されている。
・台湾でも戦後は中国系の学者やメディアは、日本植民地支配下で大勢の台湾人が虐殺されたと強調するが、それは治安維持のため、当時としては当然の措置である。
それを国民党政府は日本人による「虐殺」だと決め付け、教育でもそう教えてきた。しかし彼等は戦後の2.28事件(1947年)で、日本の領台50年間で殺された数を上回る無辜の民を、わずか1週間で文字通り「虐殺」しているのである。
566 名前:名無的発言者 :2008/03/13(木) 00:55:21
>>563 だまされる 俺は飛行機乗れるのであればいくなー
日本を守るため?物量で負け戦だったと
要は正義の戦いだったとおもぞ 桃子殿
463 :
マンセー名無しさん:2008/03/13(木) 01:22:41 ID:eLCdG8UU
464 :
マンセー名無しさん:2008/03/13(木) 01:27:47 ID:eLCdG8UU
465 :
マンセー名無しさん:2008/03/13(木) 01:32:04 ID:eLCdG8UU
中国製品不買運動(チャイナフリー)の概要
〜日本政府と中国政府へ明確なメッセージを〜 ) で提唱した中国製品不買運動について、目的や方法をまとめてみました。
・活動の目的
自分の身を守るということはもちろん、国民の意識を日本政府と中国政府へ通達することにあり、弱腰、事なかれ主義に終始し、禁輸措置などの具体的行動を取らない政府に代わり、
実際に経済的なダメージを与えて傲慢な態度は痛い目を見るということを中国へ理解させるという直接的な効果も狙います。
・活動方法
食品はもちろん、電化製品などの工業製品含めて、あらゆる製品について購入するときに生産国を確認し、「中国」とあったら購入しない。この行動を基本とします。もし明記がない場合には、店員に聞く、
メーカーに問い合わせるなどの行動ができればなお良いと思います。(この問い合わせるという行為は、小売側やメーカーへ「消費者が中国製を敬遠している」という事実を直接的に突きつけることになり、大きな効果につながります)
・活動範囲
出来る範囲でやっていきましょう。全ての中国産製品を買ってはいけないという活動ではありません。中国産と国産では価格差が大きすぎる場合もあるでしょう。
また生産国は日本とあっても、原料の一部に中国製のものが含まれている可能性があることがあります。もちろん、徹底的に調べて少しでも中国産のものが含まれていたら絶対に買わないという行動ができるのであればベストですが、
そこまでやるのは個人には負担が大きすぎるでしょう。無理のない範囲でいいと思います。
・情報
・”Made in China” の他、”Made in P.R.C” も中国製です。(People's Republic of China=中華人民共和国)
466 :
マンセー名無しさん:2008/03/13(木) 01:37:57 ID:eLCdG8UU
「地球上最大の幸福者」日本人
・明治22(1889)年に来日した英国の詩人エドウィン・アーノルドは、日本の聴衆を前に次のように語った。
「あなた方の文明は隔離されたアジア的生活の落ち着いた雰囲気の中で育ってきた文明なのです。そしてその文明は、競い合う諸国家の衝突と騒動のただ中に住む我々に対して、
命を蘇らせるような安らぎと満足を授けてくれる美しい特質を育んできたのです」
「寺院や妖精じみた庭園のすいれんの花咲く池の数々のほとりで、鎌倉や日光の美しい田園風景のただ中で、長く続く荘重な杉並木のもとで、神秘で夢見るような神社の中で、茶屋の真っ白な畳の上で、
生き生きとした縁日の中で、さらにまたあなたの国のまどろむ湖のほとりや堂々たる山々のもとで
、私はこれまでにないほど、わがヨーロッパの生活の騒々しさと粗野さとから救われた気がしているのです」
この詩人が「命を蘇らせるようなやすらぎと満足を授けてくれる美しい特質」と表現したものは日本社会の至るところに存在していた。
それは日本の自然であり、人家の佇まいであり、日本人の微笑みと挙措であり、それらを作り上げた日本人の心だった。
467 :
マンセー名無しさん:2008/03/13(木) 01:38:35 ID:eLCdG8UU
・幕末の安政4(1857)年に初めて長崎湾を訪れたオランダ海軍の教育隊員ポンペは「乗組員一同は眼前に展開する景観に、こんなにも美しい自然があるのかと見とれてうっとりした」と書き残した。
また、幕末に長崎に開かれた「海軍伝習所」で日本の若き武士たちに海軍とは何か、外交とは何か、さらに国家とは何かを教えたオランダ海軍の教育隊長、フォン・カッテンディーケもこう書き残した。
「四囲の情勢が変わりさえすれば、こんな美しい国で一生を終わりたいと何遍思ったことか。(中略)これらの地に住む人々こそ、地球上最大の幸福者であるとさえ思った」
・美しい自然の構築と維持は、幸福なる心の反映である。そうした点に多くの外国人が触れてきた。安政5(1858)年に日英修好通商条約を締結するために来日した使節団の一員で、使節団の乗ったフリゲート艦の艦長を務めたオズボーンは最初の寄港地長崎の印象について
「この町で最も印象的なのは(そしてそれはわれわれ全員による日本での一般的観察であった)男も女もこどもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった」と書き残した。
468 :
マンセー名無しさん:2008/03/13(木) 01:39:39 ID:eLCdG8UU
最後にオズボーンと共に来日したオリファントも書き残している。「個人が共同体の為に犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である」と。
オリファントは尚も書いている。
「我々の最初の日本の印象を伝えようとするには、読者の心に極彩色の絵を示さなければ無理だと思われる。シナとの対照がきわめて著しく、文明が高度にある証拠が実に予想外だった」
セイロン、エジプト、ネパール、ロシア、中国などを見聞して旅行記を著わしつつ、日本に来た29歳の英国人、オリファントは日本に高度の文明が存在したことを驚きで表現したのだ。
予想外の「文明」に彼は感動し、母親への手紙に次のように書いた。
「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感の持てる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です。私はどんな地位であろうともシナへいくのはごめんですが、
日本なら喜んで出かけます」
併合前の日朝
明治18年1月6日、井上大使は国王に謁見。
井上 「談判は大君主殿下が直接に本使とされようか。それとも御委任の全権大臣に
殿下の御前で会談させられようか。殿下の御聖意は?」
国王 「余が信用する大臣に全権を与えて談判させるはずニダ。貴使にも速やかに好
局を結ぶことを望むニダ」
井上 「貴国での事件は三度目になるが、かつて江華島での会談では大いに日時を無
駄に過ごした。よって速やかに会談が終局するのを望む。明日にも開談したい」
国王 「明日からするニダ」
井上 「なお一言申したい。貴政府と我が公使との間で往復した書簡に基づいて談判
される時は本使は応じない。前以て申し上げておく」
国王 「談判すれば自ずと分かるニダ」
井上は当初から事件詳細の議論は避け、公使館が襲撃されて焼かれたこと、日本の
兵と商民が殺害されたこと、の2点に対する謝罪と賠償を求めるつもりであった。
一方、朝鮮側は事件詳細を議論して竹添公使に全ての罪をかぶせたいところ。しか
し国王御前での会談となると国王としては、事件の時に竹添公使に護衛を依頼し、且
つ一旦は朴金ら乱党に組して新政権を発足させ、また日本政府と結んだ内密の借兵協
定のこともある。談判議論詳細に及んでその証言を求められるようなことがあれば一
番困るのは国王のはず。
結局、国王は御前での談判を認めなかったが、珍しく約束を守って翌日7日に議政
府に於いて談判を開かせた。
(続き)
談判相手の全権委任大臣は金宏集。陪席として趙督弁とモルレンドルフ。
井上 「全権委任状を見たい」
金 「趙督弁から写しを差し上げたニダ。まだ見られてないニカ?」
井上 「まだ見ていない。竹添公使に渡されたか」
金 「ニダ」
井上 「外に写しがあるならそれを拝見したい」
金 「ここには持参していないので今公使館に取りに行かせたニダ。すぐに来るので
談判されていいニダ」
井上 「このような談判の時には必ず初めに委任状を互いに見るのが万国の通例なの
でそうしたい」
金 「もっともニダ。けれども拙者が全権の委任を大君主殿下より受けたのは確かニダ。
会談されても差支えないニダ」
井上 「全権の権限があることを確かめてから話そう」
金 「拙者から一言申し上げたいニダ」
井上 「ほう、事件について貴下から開談されんとな」
金 「ニダ」
井上 「まあ待たれよ。定まった式があるのだから」
金 「それなら雑談ならいいニダ」
井上 「支那兵は何人いるのか?」
金 「城内には1400人ほど」
井上 「城外には?」
金 「少々が馬山浦にいるニダ」
(続き)
ここでやっと委任状が来る。井上が手に取って読むと、
委任状 「・・・京城に不幸にも逆党の乱があった。それで日本公使はその謀を聞き
誤り、進退拠り所を失い、公使館は焼け、民は殺され・・・」などとあった。
井上 「互いに想像を逞しくして議論詳細に及ぶなら話はまとまらないだろう。この
文字は削除されたい」
金 「この『公使はその謀を聞誤り』というのは貴政府に随分気を使って書いたニダ」
本当は公使が乱党を助けたとか書きたい所を気を使って言葉を変えたということら
しい。
井上 「その文字を残すなら事実を取り調べなければならない。想像で主張するなら
議論は果てしないだろうし、やがてその極点は腕力にゆだねる方法しかなくなろう。
それでも議論するのをお望みなら避けるものではない」
金 「大使は和平を結ぶために来られたはずニダ。事件の顛末だけでも聞かれたいニダ。
談判とは別にこの場だけでの話として聞かれてもいいニダ」
井上 「まずよく考えられよ。そちらが想像疑惑によって話すとするなら、こちらの
方でも大いに疑惑を抱いている。それによって談判するなら決して妥結の道はなく、
清国まで巻き込むことになろう」
(続き)
金 「ごもっともニダ。それでも互いに吐露して理解しあった上で談判されたがよい
と思うからニダ。例えば腫れ物の膿を出し尽くして後に話をまとめるなら双方気持ち
よく和交が保てるニダ」
井上 「同じである。そちらに疑いがあるなら、こちらにも疑いがある。これを出し
合って話がまとまらないようにするなら却って腫れ物は膨れよう。疑惑と疑惑を主張
してまとめ損じた例は世界各国に多数ある。破裂することも考えずにそれでも強いて
お望みなら、こちらもそのつもりで談判する」
金 「大使の言われる意味は分かっているニダ。けど理解できないのは、腫れ物を治
すには名医によらねばならないことニダ。大使が来られると聞いて大いに喜んだニダ。
必ず公平に処分されるだろうと。それで互いの疑いを解かねば談判はまとまらないの
ではないニカ」
井上 「拙者は反対である。協議終わってから後に、ただその場だけの話とするなら
よい」
金 「拙者は事の始終を話して互いにさっぱりしてから談判に及びたいニダ」
井上 「拙者は反対である。決してまとまらないだろう」
金 「拙者は事の順を追って談判することを望むニダ」
井上 「お望みならそうしよう。さてそれならその用意をせねばならない。今日のと
ころは談判は止めて日を改めて開談しよう」
金 「ただ自分は順序を追うほうがよいと思っているだけニダ」
(続き)
井上 「もはや多言は必要ない。強いて順序を追って貴下の言われるとおりにせよと
言うのか、またはそうでないのか、答えを聞きたい」
金 「そのようにお話なさることではないニダ。今日のところは遅くなったので大使
にはご再考の上で明日か明後日にご都合次第で開談されるニダ」
井上 「拙者はそのような不決断の者ではない! 再考するところはない! 貴下の
答えを聞こう!」
金 「それについては一応大君主殿下に申し上げた後に判断したいニダ」
井上 「それならば何故に全権であると言うのか」
金 「始めには異論があっても必ず妥結させるようにということを委任されたニダ」
井上 「自ら決することが出来ないなら何が全権であろう。拙者はただ談判が貴下の
言われる通りにせねばならぬとかなるとかの答えを聞けばよいのである」
金 「拙者は全権あってもそこまでには至らないニダ。大君主であっても一々親裁す
ることは難しいニダ。とにかく明後日まで待たれるニダ」
井上 「拙者多忙の身で空しく日を費やすことは出来ぬ。今日その答えを聞こう」
金 「お忙しいことは充分承っているニダ。それでは明日にお出で願うニダ」
井上 「明日の何時なのか」
金 「今日と同じに午後1時からご足労願うニダ」
井上 「用事あって寸暇も惜しい身である。午前9時にしたい」
金 「9時では困るニダ。12時までに願いたいニダ」
支援
(続き)
井上 「談判の結末次第では両国が干戈を交えることになるやもしれぬほどのことを
扱うのに、これぐらいのことが出来ぬことはなかろう。我国の人民は甚だしく憤激し
ており、この場で一歩誤れば決裂となるかもしれない。しかし拙者は平和を望むので
結論を先にして、その他の話は後にしたいと申しても御決意なさらないなら、今はお
暇しよう」
金 「両国大事のことなので3時間ぐらいはどうともして、明朝9時にお出でを願うニダ」
井上 「それなら承知する。似せたものを人に与えるのは好まぬ。お互いに不愉快で
ある。本当の平和を結ぶことを拙者は望んでいるが、事によっては反対となろう。先
年の花房公使も全権であったが、後ろに拙者がいるのでなおも綻びを繕う道もあった。
しかし拙者は外務卿の身なので後がない全権である。ここで破裂すればもう他に道
はない。そこをよく考えられよ」
金 「和平の御精神は承知しているニダ。また拙者も同様である」
これにて第一日の談判は終わったが、趙督弁たちが委任状の文字の削除のことで話
し合っていた。よって井上はモルレンドルフに伝えた。
(続き)
井上 「想像説で押し問答するなら誰がこれを裁くのか。本談判にまで至らないのに
そのような瑣末のことで討論するのは愚かではないか」
などと懇々と説得。
金 「大いに理解したニダ。文字は削除するニダ」
ここで朝鮮政府が用意したシャンパンで杯をあげる。
井上 「よく考えよ。今日のこの一事さえ論争すればこのように時間を費やす。まし
て前々からの詳細を論じて互いに想像疑惑をもって談判するならいつの日に妥結しよ
うか。明日は小さな議論は捨てて肝心の点を議論して速やかに妥結し、異心を去って
快くシャンパンを飲まんことを希望する」
金 「拙者も然り。この杯は明日の喜びを祝して飲むべきである」
事件詳細の議論を切って捨てたは井上の辣腕と。おそらく報告を聞いた国王も却っ
てほっとしたかもしれない。
しかし強圧的な井上の論法には最初から怒りが滲んでいた。後にこの事変のことに
ついて井上は、「かつての国王の借兵の約束通りに依頼を果たした結果がこれであっ
たことに、当時日本政府の者は皆、朝鮮に対して極めて大不快を覚えたものだ」と述
べている。よって、半ばプッツンしかかっていたのかもしれない。
(続き)
また井上は、この時始めて謁見した朝鮮国王すなわち高宗のことを評して次のよう
に言っている。
「今年およそ34、5歳(当時数え年34才)と見える。この年齢で事を処するのにこのよ
うであるなら、たとえ他から賢良なる人を送って諄々と説諭しても善を進めて悪を去
るということは出来ないことは知るべきである」と。つまりほとんど優柔不断且つ無
能と。明治元勲の一人、井上の眼力による人物評価は厳しい。
また、金宏集であるが、後に朝鮮議政府の主事の人物評によれば、「人と争うのを
好まず極めて慎重な性質」の人であるとある。朝鮮人としては珍しい人物ではなかっ
たろうか。後に井上が朝鮮政治家のリーダーとして期待したのがこの金宏集であった。
さて、2回目。金宏集は前日の委任状の問題となった字句などを削除して修正した
ものを提示。井上は了解して条約案を見せた。
1、朝鮮国は国書を以って日本国に謝罪を表明すること。
2、日本被害兵民遺族や負傷者を恤給し、また毀損略奪された商品被害を補償して、
朝鮮政府は11万円を支払うこと。
3、磯林大尉を殺害した犯人を逮捕して処刑すること。
4、朝鮮政府は日本公使館の建築費用に4万円を支出すること。
5、明治15年の条約に基づき護衛兵営の設置
と。
(続き)
金 「先に40万円を御返却されたので、補償金のお話はないかと思っていたニダ」
井上 「今度は死亡者も多く商品の損害なども無視できない。先の事変の処分に比べ
れば難題ではないと思うが」
金 「決して金額のことを申したのではないニダ。先の大使の御尽力を謝して申したニダ」
井上 「わかった」
金 「2の『兵民』は『人民』とされたいニダ」
井上 「文字はどうとも。そうする」
金 「『補償』は『補填』とされたいニダ」
井上 「それもそうしよう」
朝鮮人は外見にこだわり、日本人は実質があればよしとする傾向があるようだ。
金 「磯林大尉のことは真にお気の毒だったニダ。大君主殿下も遺憾の至りとされたニダ。
同氏は大いに大君主殿下の信用ある人だったニダ」
井上 「大君主殿下にもそれほど思われていたことは我が天皇陛下にも申し上げる。
彼は武官であるから自らの名誉を保つことのみを思っていたであろう」
金 「磯林大尉のことは貴国の憤りも我国の憤りも同様なので必ず相当のことをするニダ」
金宏集はこの後別文で、犯人の処分を20日以内に行うことを約束した。
支援
480 :
マンセー名無しさん:2008/03/14(金) 01:01:22 ID:K3rWESfA
(続き)
井上 「次に公使館のことであるが承諾されたい」
金 「これについては少しお話がある。これによれば朝鮮人が焼いたのではない証拠
があるので公使館を償うことはお断りしたいニダ」
と言って、書付を見せた。
それは日本公使館で使用していた朝鮮人の口述で、朴金らが服を着替えて公使と共
に仁川に行ったことや、公使館の文書に石油を掛けて焼いていたので、それが延焼し
て火事となったのだろう、などと記してあった。
井上 「これでは証拠にはならない。朴金らのことも調べたが誰も知ったものがいな
かった。また書類を焼いたのはこの前日であり、消失はその後である。公使らが黒煙
が上がったのみを見たのは麻浦からである。貴国人が焼いたのは間違いないことであ
る」
そこに、突然モルレンドルフが、
モルレンドルフ 「清国大臣の呉大澂が見えて大使と会いたいと言っていまーす」
呉大澂は井上の返事も聞かずにさっさと談判の席に入ってきた。
後に井上はこの時のことを思い出して、
「呉は談判に干渉することを望んだようである。ならば、どうしてこのように唐突に
来て、どうして面会の順序もわきまえないのか。外交の道を知らないのも甚だしい。
自分は実に憤怒に耐えなかった」
井上、あやうくカミナリを落とすところだったらしい。
(つづく)
井上馨って、顔も体も刀傷だらけだったというから、
相手する方も怖かったろうなあ。
483 :
夜船:2008/03/15(土) 21:46:48 ID:Ul8e7qwq
忙しくて暫らく読めなかったけど、今日久しぶりに見てみたえらら結構進んでいた
けど一気読みしてしまいました。
484 :
マンセー名無しさん:2008/03/19(水) 10:10:59 ID:pVM3JijI
朝鮮併合
1607年 李氏朝鮮と対馬の宗氏との間で己酉約条(慶長条約)が結ばれ、貿易が再開される。
1607年〜1811年朝鮮通信使来日
朝鮮通信の金仁謙の感想。
・大阪を見ての驚き
「三神山の金闕銀台とはまことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが、かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
・名古屋を見ての驚き
「山川広闊にして、人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、遠路随一といえる。
中原にも見あたらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが。この地に比べれば寂しい限りである」
・江戸を見ての驚き
「楼閣屋敷の贅沢な造り、人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の整然たる様、橋や船にいたるまで大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」
あぼーん
>480
すげー面白い!
>>458 先祖がえりの上に愚民教育のせいで朝鮮時代より劣化しているかと。
>>459 教育がまともになればもしかして少しは・・・・。
併合前の日朝
井上は立って呉と握手をして告げた。
井上 「今は朝鮮大臣と議論中である。貴下とは会談できない」
呉 「これは私事ではないアル。自分もこの会談に関係があるアル」
井上 「はあ? 朝鮮のことは韓官と談判し、清国のことは清官と談判するだけだが。それに貴下
は全権もなかろうからお話することはない」
呉 「それでは日朝両国の紛議を調停したいアル」
井上 「それもお断わりする」
呉 「それもお許しないなら仕方がないアルが、ただ公平な結果を望むアル」
と言って呉は金宏集に向かい何事か書付をして渡し、やがて去った。
井上 「彼がどうして来たのかは分からないが、顔つきを見ると貴下に言いたいことがあるように
見えた」
金 「呉がなぜ来たのかは言うことはないニダ」
井上 「貴国は清国の指令を受けて談判するのかね。それなら日朝条約というのはおかしなもので
はないか」
金 「何でもないニダ」
(続き)
井上 「呉が書いて貴下に渡したものは、貴下の全権の上に命令するもののように思える。それな
らこうして談判するのもおかしなことだ」
金 「呉が来たのは談判中を知らずに私事で来たニダ」
井上 「書いて渡したものを見たい」(キター!)
金 「特別のことではないニダ」
井上 「別に面倒を起すわけじゃないので見せられよ」(面倒起す気満々w)
金は書を出して見せた。
呉の書「事変を調べたが、乱党のことを議題とせずに条約を結ぶなら乱党のことが不問に終わるぞ。
強いて言うわけではないが朝鮮万民の憤懣を恐れるから言う。閣下がこれを理解せねば大いに不
利になろう」
井上 「この書について色々疑いが起こる(面倒キターw) 文に直接言っていないが雰囲気として朝
鮮は支那の属国という意味を婉曲に示しているようだ。果して属国なら、また清官と色々と相談し
た上でのことなら、貴政府との談判は出来ない。」
金 「これは大使のお言葉とも言えないニダ。大使は御承知ないニカ。ここで決したことを誰が何
を言おうか。その証拠に日本と条約を結んだことにも清国から干渉したことはないニダ。拙者が何
も相談していないのにそのお疑いはどうかと思うニダ」
井上 「現に今命令する者があったではないか。両国談判の席に入り込んだではないか。その言を
容れるのがその証拠ではないか」
(続き)
金 「決してそうではないニダ。今日の談判に早く戻った方が双方のためであるニダ」
井上 「こちらの立場になって考えられよ。もし仮に貴下が人と公事を議論している所に、拙者が
突然入って来て干渉の言葉を発するならどう感じられるか」
金 「まことにそうニダ。しかし彼は談判中と知らずに私語の席と思って来たニダ」
井上 「私語の席として来たのなら談判に干渉することを言わないのではないか」
金 「まことにそうニダ。拙者も干渉するために来るはずはないと思うニダ」
井上 「しかし現に彼は自分も談判に関係があると言ったではないか。私事ではないと言ったでは
ないか」
金 「なにとぞ大使には聞かなかったこととされたいニダ。大使には関係なかったこととされたいニ
ダ。」
井上 「困った問題が起きたものである」
金 「彼が来なかったらよかったのに。余計に時間を費やしたニダ。しかしウリには関係ないことニ
ダ」
井上 「貴下には関係なかろうが自分は感じるところがある。貴国が清国の属国かどうかを調べね
ばならない」
金 「国内のことは他国の干渉はなく我が国の勝手である。ここで決したことを他国が取り消しを
求めるようなことは無いニダ」
井上 「国と国との権利を争うのは容易ではない。このようなら遂には国王にもご迷惑となろう。
属国でないと言うことも一時しのぎの言葉ではないのか」
金 「拙者は全権を委任されたニダ。拙者が談判で決したものは外からは干渉されないニダ」
井上 「甚だ不愉快を感じるが何とか談判をまとめねばなるまい。しかしこの事は清国とは関係し
ないことを保証されたい。」
(続き)
金 「外から関係はさせない。また関係することもないニダ」
井上 「清官と相談されることもないか?」
金 「今日ここで決することなので関係ないニダ」
井上 「今日で談判がまとまらないなら、どんな面倒になるかもしれない。速やかに議決して調印
することを望む」
金 「今日に決して清書し、明日に調印したい。決して言は変えないニダ」
井上 「よく考えられよ。談判がまとまらないなら貴国にとっても大事となろう」
金 「拙者も速やかに決したい。条約の細かい点を話せば長くなるので略して要点を摘んで申した
いニダ。御承知できるところは速やかに御承知されたいニダ」
井上 「出来ることは承知しないことはない」
朝鮮は万事を清国の指導に仰ぐ属国である。しかし日本に対しては条約上、独立国の体面を通し
た。今日もし談判がまとまらないなら後で清国大臣である呉大澂の干渉を受けるのは必至である。
よって金宏集もどうでもこの日の内に談判を結びたかったのだろう。
金 「公使館に放火したという文字は削除されたいニダ。罪なき我が人民に罪を負わせたくないニダ」
井上 「貴国人が焼いたのではないという意味か」
金 「誰が焼いたということだけはお取り消しされたいニダ」
井上 「文字だけを削るのも不可ではないが、それでは賠償のことはどうするのか」
(続き)
金 「要点だけ申し上げるニダ。4万円の額は半分にされたいニダ」
井上 「よく事情を考えられよ。建築用の材木などを日本から運ぶから2万円の倍の費用がかかる
ものである。前の公使館が5万円であった。今度焼け残りの瓦などをそのまま使うように言ったが
、それは使えないと言う。しかし少なく見積もらせて充分減額させたと思うが」
金 「なるほど。大使の公平の御心を承知した上はこの事は拒まないニダ」
井上 「貴国の経済の困難はもとより察している。それで今一つの考えがある。どこか高い場所で
修繕すれば済む家屋を土地と共に交付されたい。その上で修繕料に2万円を渡されてもよい。この
2万円は結局は貴国で消費するので、政府から出て人民に入るから貴国の外には出ないだろう」
金 「誠に公平の方法で感服するニダ。どの家屋にするかは御相談の上で決めるニダ」
井上 「よろしい」
金 「条約文に、公使館護衛兵として2大隊とあるが、先年の済物浦条約通りに『若干』という言
葉で願いたいニダ」
井上 「よろしいが、兵営は2大隊ぐらいは収容できるものが必要である」
実はこの事は頗る微妙な問題だったのだがねえ。やがてこれが日清開戦に関わってくることを、
この時誰が思ったろうか。
その他、条約作成に関する細々としたこと、また朴金ら乱党の者の引渡しが万国公法上不可能で
あることなどを、モルレンドルフも交えて話し合われたり、字句の修正などが行われ。
かくて、明治17年朝鮮事変の日朝条約は整い、調印されたのは明治18年1月9日だった。
492 :
マンセー名無しさん:2008/03/22(土) 04:58:13 ID:MWTgYFur
(続き)
金宏集という人は漢文に実に堪能、且つ朝鮮政治の制度に精通しており、器量はともかく朝鮮で
は優れた賢者といったところか。もっとも、この頃まだ万国公法には詳しくない。
それにしても、清国大臣呉大澂はどうして日朝談判の最中に闖入したのであろうか。
おそらくは「属国朝鮮と小国日本に厳命するアル」ぐらいの気分で、空気も読まずに来たのかも
しれない。しかし愚かな人である。彼の傍若無人の振る舞いは却って金宏集の立場を不利にし、井
上の交渉を有利にさせただけであった。もちろんその機を逃さなかった井上馨の戦上手があっての
ことではあるが。
さて、次は最も厄介な談判、すなわち日清談判である。清国は満州族が建てた王朝であるが、そ
の臣下の中で最も重要な政治的ポストに位置する人は漢人である李鴻章であった。筆者の印象として
は李鴻章という人は、要するにふてぶてしい嘘つきである。その言うところは、ちょうど今日のチベッ
ト問題における中共政府の発言と見事に重なる。この国の人の意識は1世紀以上前から進んでいないのだ
ろう。
対する日本代表は伊藤博文。とかく艶福家であったことが強調される人であるが、政治的にはど
うしてどうして大変な人である。彼の外交センスはとにかく強気、且つクール、また日本人らしく
思いやりある人。しかし日本人らしく実に粘り強く殆ど執拗なと言ってもいい人である。
日清談判における大国清に対する小国日本代表の伊藤の論戦を見てみよう。
すまん、支援が遅れた。
楽しみにしてるよ>獄長さん
494 :
492:2008/03/22(土) 20:26:52 ID:MWTgYFur
ちょっと付け足したい。結局賠償金は11万円、公使館建築費は2万円となった。もっとも、日本人
商人の被害が多くて11万円では足りなかったが。
竹添公使と朝鮮政府の間の論争文は撤回することになり互いに返還された。竹添はまだ
o(`ω´*) o だったろうがw おそらく井上に(o・_・)ノ(*`ω´) されて承諾したろう。
後に、京城駐在代理公使となった近藤真鋤への書簡で、
井上 「竹添の行動は、国王を救うことにのみ心急き、またその要請に心ひかれ、国王保護の度を
越したものがあったと言わざるを得ない」
と述べている。
米英独の公使領事たちが王宮を出た時に竹添も帰館を申し出たが、国王の懇請を断ることが出来
なかったからねえ。
なお井上から朝鮮政府への贈り物は、日本酒、ワイン、ベルモット、シャンパン。国王には茶と
ミカンが贈られている。かつて朝鮮では超珍品とされたが、もう釜山元山で輸入容易だったのでは
なかろうか。変わったものではモルレンドルフに馬を贈ったことか。おそらく西洋人である彼が朝
鮮の小馬に乗るのを見て忍び難かったのであろうw
(つづく)
>>493 ドリテル先生に間違えられちった ^^;テヘ
筆者はもっとのろまで「きまま」な中の人です。
>>494 それはすまん。てっきり、あのブログの人だと。
どちらにせよ、ゆっくりでいいから長い連載をキボン。
496 :
マンセー名無しさん:2008/03/28(金) 10:59:55 ID:rIU14JjI
韓国初10万ウォン紙幣肖像は強盗殺人犯! 2007/11/06 14:11
韓国人学生チョ・スンヒによるバージニア工科大学大虐殺事件の温床は、韓国の国民性、・民族性だろうとつくづく思う。
韓国の紙幣に、いわゆる1万円札が今までなかった。日本で例えると、もっとも高額な紙幣は千円札だった。韓国の紙幣は現状1000ウォン(約130円)、5000ウォン(約660円)、10000ウォン(約1330円)の3種類しかなかったが、
このたび10万ウォン(13290円)紙幣の発行が決定した。
日本で5万円くらいの買い物をするさい、サイフから紙幣を50枚出さないといけないと考えると大変だ。今まで10万ウォン紙幣がなかったことのほうがある意味、不思議だった。
ところが韓国国民の宿願だった10万ウォン紙幣の肖像にろくでもない強盗殺人犯が選ばれた!その強盗殺人犯は金九(キム・グ、1876年8月29日 - 1949年6月26日)という。盧武鉉大統領がリンカーンとともにもっとも尊敬する人物らしい。
どうやら10万ウォン紙幣は盧武鉉による最悪の置き土産になりそうだ。
金九は1896年、何の罪もない日本人土田譲亮さんを集団で暴行・殺害し金品を奪った。金九は強盗殺人犯として逮捕されるが、そのさい土田譲亮さん強盗殺人を乙未事変(閔妃殺害事件)に対する日帝・日本人への懲罰と主張した。
だが土田譲亮さんは乙未事変とまったく関係のない人物だった。強盗殺人で逮捕後、後付けで理由を思いついたのだ。金九は自伝に殺害した土田譲亮さんを陸軍中尉と書いているが、
まったくのデタラメだ。土田さんは長崎県対馬出身の薬売りの行商だった。いわゆる一般市民だった。金九はこの犯罪で、死刑判決を受ける。その後特赦で減刑されるも脱獄する。
金九は1932年の東京における李奉昌の昭和天皇暗殺未遂事件、上海における尹奉吉の上海派遣軍司令官白川義則陸軍大将暗殺事件など、日本政府要人を狙ったテロを指導したとされる。
まさにビンラディンのような人物だった。
497 :
マンセー名無しさん:2008/03/28(金) 11:00:35 ID:rIU14JjI
しかし国家を象徴するような最高額紙幣の肖像に普通、強盗殺人犯を選ぶか?しかもテロリストだ。もう絶句だ。これが大韓民国という国家の品性だ。また暗黙のメッセージとして、
日本に対する強烈な憎悪の念が伝わってくる。
韓国における国民的偉人は殺し屋ばかりだ。安重根しかり、金九しかり、尹奉吉しかりだ。日本でヤクザ2人を殺害した在日2世金嬉老も釈放されたさい、
韓国では国民的英雄に祭り上げられた。釈放後、日本生まれで日本語しかしゃべれない金嬉老は韓国に凱旋「帰国」したが、その模様は韓国でテレビ生中継されるほどの熱狂ぶりだった。
金嬉老は「帰国」後韓国で殺人未遂と放火で逮捕された。それみたことかと、大いに笑わせてくれた。
北朝鮮は国策で偽札・麻薬作りまで行う卑劣なテロ国家だ。韓国の最高額紙幣の肖像は薬売りを強盗殺人し、その後テロリストに転じた人物になるという。
朝鮮民族は無茶苦茶な民族だ。だからバージニア工科大の事件が起こるのだ。
しかし金九を最高額紙幣の肖像に選ぶという話に対し、日本の外交筋はきちんと圧力をかけたんだろうか?これから抗議するんだろうか。
金九を紙幣の肖像に選ぶなど、日本に対する憎しみを永久に拡大再生産させようとする試み以外の何ものでもない。戦後60年以上も経って、今やるべきことなのか?
貨幤人物も政権末期の「仕組まれたシナリオ」か
韓国、日米並みの「高額紙幣時代」に(上)
韓国、日米並みの「高額紙幣時代」に(下)
新札:10万ウォン金九、5万ウォンは申師任堂に決定
498 :
マンセー名無しさん:2008/03/28(金) 11:02:22 ID:rIU14JjI
追加
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=94396&servcode=400§code=40010万ウォン券−金九
もし英国女王暗殺のテロリストを紙幣に登場させるとしたら、欧米はどう思うだろうか。国内で賛美するのは良いが、海外で交換される時、
子供が指差して「この人、外国の皇帝殺そうとしたテロリストだよね」て聞かれる光景が眼に浮かぶものだ。退陣後も日本を恨むようにノムの最後のあがきで出来た様な大衆扇動の具として歴史に残り、
この紙幣を目にする度に親韓派の女性ファンですら反韓と化していくであろう。金九に並ぶ他の人物でも良かったはずだが。
Taiwan推薦 : 4作成: 2008-01-03 00:32:09
本当にため息をついちゃうね。暗殺者については皆さんも既に挙げられたとおりです。「大東輿地図には原本にない独島(トクト、日本名竹島)も表記される」ですか?へぇ〜、
歴史の捏造方法の種明かしを1から10まで見せてくれるんだってさ、韓国政府は。
ポテドン推薦 : 3作成: 2008-01-02 12:52:55
是非ともノムの肖像入り紙幣を刷ってくれ、韓国なら出来るだろ?
hash推薦 : 9作成: 2008-01-02 12:25:54
その国の通貨を見れば、その国がどんな国かが解かる。最高額紙幣ともなれば国家の意思が明確に出るものだ。日本の代々高額紙幣に名を連ねる人物は『脱亜入欧』を掲げた人物である。
『金九』なる人物とはどんな人物か。昭和天皇暗殺未遂事件、尹奉吉の上海派遣軍司令官白川義則陸軍大将暗殺事件などのテロの首謀者で、同民族に暗殺される言わずと知れた北の親派である。
そんなテロリストが初代最高額紙幣の絵柄になるのだから、韓国の日本に対する姿勢がよく解かるというものだ。天皇を暗殺しようとしたテロリストを最高紙幣にする韓国との『相互通貨保証』は
早期に見直す必要はあるだろう。
openG8推薦 : 4作成: 2008-01-02 11:26:13
いっその事、金正日に類似の人をモデルに書いたら左翼の方々は涙を流して喜ぶ事だろう。感激の余り、お札で鼻をかむかもしれぬ。
×お札
○お殺
×10万ウォン札 ○10万ウォン殺
500 :
マンセー名無しさん:2008/03/29(土) 13:34:23 ID:9ta92qoJ
併合前の日朝
さて、1月28日29日、朝鮮政府は磯林真三陸軍大尉を殺害した犯人の内で捕らえた2人を処刑し
た。浮浪者と柴売業の者。
日本側立会いは陸軍村上中隊長と公使館員。
やはり斬首の剣は刃先を鈍くしてあり、斬り落とすのに何と63回かかったとある。この時のでは
ないだろうが朝鮮の斬首刑の執行らしき写真から推測すると、おそらく朝鮮の斬首刑とは罪の重さ
により回数を定めて少しづつ首を斬っていく刑だったようである。あの恐るべき凌遅処死刑に次ぐ
ものだったのではなかろうか。
また、捕らえられた朴金の乱党一味は厳しい拷問を受け(1人死亡)、4人が凌遅処死刑、他は斬
首など。家族もまた死刑のところを清の呉大臣の勧告により流刑や奴婢に減刑。金玉均の妻子は奴
婢にされたが、明治27年に東学党の乱を鎮圧中の日本軍が発見して救出。京城に送って開化派に保
護させた。なお、金玉均の実父は明治27年金玉均暗殺直後に三族を滅するとして朝鮮政府により縊
死の刑にされた。
2月20日、朝鮮政府の謝罪使節である国使徐相雨・モルレンドルフが来日して国書を以て謝罪の
意を表した。
で、いよいよ日清談判と。
(続き)
日本政府としては清国政府に対する要求は次の2点であった。
@ 事変の時に清兵を指揮した清将を罰すること。
A 朝鮮から撤兵すること。
で、伊藤博文が特派全権大使として清国政府と談判することに。
井上 「@については、処分は清国の国内法に任せるしかないけど、処罰のことを照会文書の中に
言明させることは必要だぉ」
伊藤 (`・ω・´)シャキーン「清将責罰と謝罪賠償させねば!」
井上 「Aだけど、朝鮮で日清の兵がこのまま駐在すれば、やがて無事にはすまないことになると
思うぉ。もちろん清国が兵を徹することを聞き入れるなら、我が国もそれに答える好意として我が
兵を徹するぉ」
伊藤 (`・ω・´)シャキーン「清兵を撤退させねば!」
井上 「もし清国が撤兵を認めないなら、日本も居留民と公使館保護のために止むを得ず兵を置く
しかなくなるぉ」
大臣 「そうなると・・・・ごくり」
井上 「そうだぉ。この遠大の良計を清国が受け入れないなら、一時の平和は保てても必ずそのう
ちに事変が再三に起こり、ついには日清両国の予想を超えて大局を破るような不幸な事態に陥るこ
とは免れられなくなるぉ。すなわちその責任は清国にあるぉ」
大臣 「・・・・つまりはいずれ戦になるとな」
大臣 「何とかそれは避けねばならん! 海軍力だけでも差がありすぎるぞ!」
(続き)
伊藤 (`・ω・´)シャキーン「日清両国が撤兵して永遠に兵を置かないようにするしかない!」
井上 「当然、撤兵するからには永遠に朝鮮には派兵しないことを確約させるぉ!」
大臣 「するってえと朝鮮兵に護衛を頼むことになるが・・・・」
大臣 「あいつら兵ですら乱になると強盗集団に変貌するからなあ」
大臣 「だいたい朝鮮がしっかりすれば日本は護衛兵など置かずに済むのにー!」
井上 「朝鮮政府への指導と援助を続けていくしかないぉ!」
大臣 「問題は清国がどう出るかだが」
大臣 「朝鮮の宗主国を自認する清だから、駐兵するはの当たり前ぐらいは言うだろうなあ・・・」
まったく日清間の平和は伊藤博文1人の談判に於ける力量にかかっていた。
井上 「俊輔、遅くとも3ケ月以内に撤兵するように話を決めるぉ!」
伊藤 (`・ω・´)シャキーン!シャキーン!
西郷従道 「おいどんも副大使として護衛傍ら行きもそ」
井上 「トラブルは起さないでね!」
(続き)
だいたい国家間の談判というものは、対等の国力を背にしてこそ公平なる結果を見るものであっ
て、当時の大国清と小国日本ではその差がありすぎた。(今もそだけど)
まして謝罪しない非を認めないのが中国伝統のカルチャー且つメンタリティーである。したがっ
て@の清将責罰を求めても所詮無駄なこと。それに事件詳細の認証だけでもたいへんな作業となる。
よって日本政府としては、将来の日清の衝突を避けるためのAの達成に重点を置いた。
しかしである。日本世論はそうではない。清兵の暴挙に憤りごうごうたる清国征伐論を唱えて騒
然たる状態は止まずと。
それらを背負って、全権大使伊藤博文の談判は実に困難なものとなった。
その頃、日朝間の条約調印を済んだのを聞いた李鴻章は天津領事の原敬に言った。
李鴻章 「これで朝鮮事件は全く終わった。貴国と我が清国の間にはもとより何事もないはずであ
る。真に同慶の至りである」と。
早くも事件は全て解決したとするつもりであった。
支援
(続き)
一方、日清撤兵案のことを聞いた在北京の英国特命全権公使ハーリー・パークスは、急ぎ厳寒暴
風の中を馬を駆って日本公使館を訪れ、榎本武揚公使に並々ならぬ熱意で以下のように力説した。
パークス 「もし清が撤兵を承諾し、日本がまた朝鮮国から撤兵するなら、それは即ち露国の兵を
越境させて駐在させることと外ならないでーす! これは実に憂うべきことですよー!」
榎本 「日清の衝突を避けるためには仕方ないって」
パークス 「日清両国の兵が朝鮮に駐留するのが紛争の種であるとしても、露兵が朝鮮に入ること
の禍根に比べれば全くましでーす!」
榎本 「いや朝鮮も独立国なんだからそう簡単には露国は兵を入れられないしょ」
パークス 「朝鮮人にはとても自主独立の気風なんかないでーす! 日本か清が実力で保護するし
かなーい! それがないなら朝鮮はすぐに内乱が起こりまーす!」
榎本 「どうせよと」
パークス 「内乱が起これば今度は露国が干渉してくるのは必至でーすぞ!!」
榎本 「分かった。とにかく本国政府に報告しておくから」
パークス 「それで日清が撤兵するなら我が英国も思案せねばなりませーん!」
榎本 「あ、何かやんの? ワクワク」
パークスはこの直後に高熱を発し3日後に死去した。まさに命懸けの進言であった。また思案せ
ねばならないとの言葉どおり、英国は天津条約成って日清撤兵が決定した直後に、朝鮮巨文島を軍
艦で占拠して露国の進出を牽制した。アフガニスタンの国境紛争で露国と対立している英国の行動
であった。
(続き)
さてその自主独立の気風もない朝鮮政府であるが、
大臣 「このまま清日の兵がいたらまた衝突するに違いないニダ!」
大臣 「何とかするニダ!」
大臣 「ピコーン☆! そうニダ! そん時はロシアに保護を依頼するニダ!」
大臣 「ニダ!!それがいいニダ!!」
大臣 「そうニダ!そうニダ!」
金允植 「・・・ということに廟議決定したニダ」
近藤書記官 「おまえらアホか!!」
井上角五郎 「まだあるよ。朝鮮政府は国王保護の依頼を今度は英国に頼むために北京のパークス
公使に手紙を出している。まだ返事は来てないらしいがね」
近藤書記官 「ほんと独立自主の気概の欠片もないやつらばっかりだねえ」
それだけではなかった。清将の袁世凱はすでに帰国していたが、朝鮮政府に書簡を送って次のよ
うに述べた。
袁世凱 「この後、李鴻章と面会するが、次第によっては朝鮮に帰任できなくなるかも知れない云
々」
と。袁世凱もどうやら自分のとった行動を咎められることを予想しているらしかった。
(続き)
しかしそれを見た朝鮮政府すなわち支那党は、
支那党大臣 「たいへんニダ。袁世凱さまが帰れないかもしれないニダ。ここは国王様からその功を
褒め称える書を清国政府に出すニダ」
国王 「うー・・・・ニカ?」
支那党大臣 「呉大臣様からの質問への答えの言葉だけでは足りないニダ。清将の恩に感謝の表明
がいるニダ」
ということで、袁世凱を賞賛する感謝状を持たせた使節を清国政府に派した。他には、呉大臣の
取調べに対する返事も添えた。その返事には以下のようにあった。
国王書簡 「逆臣らが乱を起して王宮に突入して大臣6人を殺した。竹添公使に撤兵を求めたが竹
添は言うことを聞かなかった。それで清将提督に出兵を要請した。乱臣は銃砲を発して清兵40人を
死傷させた云々」
という、とんでもないものだった。
そんなこんながある中を、伊藤全権大使が西郷の外に随員として井上毅、武官として野津・仁禮
陸海両少将など計24人を引き連れて横浜港を出発し、長崎、上海を経由して天津に到着したのは3
月14日であった。
榎本武揚らが迎える。
支援
(続き)
榎本 「・・・ということで、清国政府は李鴻章を全権大臣に、呉大澂を立会委員に任じて、諸事
情により李大臣が天津を離れるわけにはいかないので天津で談判することを望んでますが」
伊藤 「国書奉呈のことがある。北京まで行こう」
北京に到着すると榎本は清国政府に対し、
榎本 「伊藤特派全権大使はすでに着いた。貴国皇帝陛下に国書を面呈すべし。また対談方法を答
えられたい」
と回答を求めた。
王大臣 「皇帝はまだ幼いので(この時14才)謁見のことは辞退したいアル」
榎本 「承知した。では談判は?」
王大臣 「李鴻章はすでに全権委任を受けているアル!天津で談判するアル!」
榎本 「(・・・へへ、怒ってやがる。ほんとに全権大臣での談判となるのか?)」
よって、榎本は照会文書でそれを出すよう要求。案の定、翌日になって王大臣は、
王大臣 「筆記したものを交換することを望むアル!」
榎本 「(・・・そらきた)だが断る! それでは李鴻章が本当に全権がある証明にはならん!」
つまりは清国政府としては李鴻章を取次人とし、事実上の全権は政府内としたかったのだろう。
しかしそれは日本側としては、真意が伝わらぬ、時間もかかる、という最も忌むべき方式であった。
(続き)
翌日、榎本は北京総署(政府)を訪れ、諸大臣たちに説いた。
榎本 「伊藤大使は本来なら貴国皇帝陛下のもとで談判を開く権利がある。しかし李鴻章大臣が伊
藤大使と同一の全権があるなら、そのことをよく考慮して天津に下って談判してもよし、とするも
のである。これは結局は我が方の好意をもってそちらの求めに応じているのである。それを全権の
証明も拒むというなら、大使自ら総署に来てここで速やかに談判することを請求せん!!」
当時の日本政府を担う者たちは、幕末から明治維新の激動期を生き抜き、幾多の修羅場を踏んで
きた連中ばかりである。たとえ大国清国が相手であっても、中国なにするものぞ、というその気概
が今日とは格段に違っていたように思える。
榎本は諸大臣と議論を続け、遂に王大臣に李鴻章の全権を証明する照会書を提出することを承諾
させた。
伊藤はそれにより、国書奉呈のことは止め、王大臣と会見して東洋平和の維持を演説し、その後、
李鴻章の全権を確認した。
この後、英国代理公使オコールが伊藤を訪ね、北京で談判を開かないことの不利を説き、また日
清間の周旋を申し出たが、伊藤は全く意に介しなかった。
(つづく)
>>505、509
支援感謝です。
乙です。
前回は支援できなかったけど、testスレとかに交互に書き込むと
連投規制のがれられることもあります。参考までに。
サンクス。次回試してみます。
514 :
マンセー名無しさん:2008/03/31(月) 20:41:01 ID:27GP+04W
良スレage
いや面白いね。いよいよ天津甘栗ですか。
オレなんかこのスレ見るのが生きがいだもん(藁
毎週楽しみにしてるし。
あぼーん
518 :
マンセー名無しさん:2008/04/01(火) 10:05:35 ID:JssU+CtY
<隣人のややこしさを見抜いた福澤諭吉の忠告を思い起こせ>
福澤諭吉は明治日本の中で、国家外交の何たるかを知った。それでシナ朝鮮にかかずらうことの愚かさを知り、彼らを無視しろと言った。諭吉は隣人のややこしさを見抜いていたからだ。
しかし、日本人は朝鮮と関わった。それで日清戦争をやる羽目に陥った。中国をやっつけたら、それきりにして手を引けばよかった。それなのに彼ら隣人の子弟を留学生として迎え、近代化を手伝ってやった。
朝鮮といえばその昔の刀伊の来襲や元寇の手先として日本にさんざん悪さをしかけた性格の悪い隣人と知っていた。それなのに日清戦争のあともかかずらって、気がついたらロシアと戦う羽目になった。
おそらくここまで性質の悪い隣人はほかにはいない。その日露戦争も幸い勝った。
そこで朝鮮と手を切ればよかったが、みしろ逆に近代化を指導し、読み書きを教えて、ついには日本人の身分まで与えてしまった。その結果が今の惨状だ(外国人の地方参政権、人権擁護法案)。
諭吉の忠告を改めて噛み締め、この辺りで隣人との深き交わりをやめ、できれば水より淡い関係に戻すべきではないか。もちろんその裏では第二、第三の明石元二郎を養成し、隣国を忙しくさせるように仕向ける。
日本をそういうことができる国にしていくときだ「別冊正論」
519 :
マンセー名無しさん:2008/04/01(火) 10:14:04 ID:JssU+CtY
台湾の土となった明石元二郎総督
大正7(1918)年に赴任した第7代総督明石元二郎は、日露戦争
でロシア革命を支援し、勝利に大きく貢献した蔭の立役者であっ
た。明石は赴任すると、まず各地の巡視を丹念に行い、民情の把
握に努めた。 台北刑務所を巡視した際には、受刑者は二十四、五歳に多いと
いう説明を受けると「それはまことに、相済まぬことである」と 言った。
二十四、五歳の受刑者といえば、日本統治が始まってから生ま
れた計算になる。明石は、日本統治にまだまだ至らないところが
あるために、青年の犯罪を生んでいると考え、さらなる善政への
決意を新たにした。 明石の在任期間は1年4カ月と極めて短い。しかしその間に日
月潭水力発電事業、台湾新教育令(内地人との教育上の区別を少
なくし、台湾人にも帝国大学への道が開かれた。ちなみに現在の
李登輝総統は京都帝国大学出身)、道路や鉄道など交通機関の整
備、森林保護の促進など精力的に事業を進めた。 台湾統治に並々ならぬ力を注いだ明石総督は、未来の総理大臣
という呼び声も高かったが、惜しくも赴任後一年間余にして病死
した。その遺言により遺体は台湾に埋められ、人々の多額の寄付 によって200坪もある壮大な墓が作られた。
520 :
マンセー名無しさん:2008/04/01(火) 10:18:46 ID:JssU+CtY
http://www.youtube.com/watch?v=UGLi_X9WKaE&feature=related 空の軍神 加藤部隊歌(加藤隼戦闘隊)
http://stat.ameba.jp/user_images/23/92/10021583727.jpg 鎮安堂 飛虎将軍廟
台湾有情 廟に響く君が代 :産経
台湾南部の台南の郊外に、終戦前年の空中戦で米軍機に撃墜された日本海軍の零戦パイロット、杉浦茂峰少尉を祭る廟がある。「鎮安堂 飛虎将軍廟」。
杉浦少尉は、集落への墜落を避けようと機体を引き起こして
、間一髪でその惨事を回避したものの、自身は機銃掃射を受けて戦死した。
勇気ある行動に感動した地元の有志が、「少尉の霊を慰めよう」と、1971年に小さなほこらを建立。「商売は繁盛。宝くじも当たる」といった「霊験」も広まり、ほこらは崇拝の対象となった。日の丸を掲げている廟内には、
少尉の「神像」が遺族から贈られた遺影とともに祭られ、
管理担当の曹芳さん(76)によれば、毎朝5時、村人が君が代を斉唱する。
ところが、この君が代のCDが今年初め、連日の酷使に耐えきれず、不調になってしまった。「(年間1000人を超す)日本人参拝者の訪問時にも君が代は欠かせない」から、無理もない。
これを知った台北在住の日本人駐在員、渡辺崇之氏(34)が先月、廟を訪れ、「日本人の勇気に手を合わせる台湾の人々に感動した。日本人として感謝したい」と新品を寄贈した。
実はCDプレーヤーも寿命が近づいている。曹さんはしかし、
「杉浦少尉は命をかけ村を守った。今度はわれわれが神となった少尉を守る」と話している。(台北 長谷川周人)
521 :
マンセー名無しさん:2008/04/01(火) 10:29:17 ID:JssU+CtY
韓流が嫌韓に”逆流”
最近韓国ドラマ”大長吟”が中国ネチズンの間で”一番嫌なドラマ”の1位に選定されたことがが知られて、国内ネチズンたちは大きな衝撃を受けた。一方で投票の公正性について疑惑が申し立てられたりもしたが、
嫌韓気流がこれから大衆文化を通じ表に出てきたという指摘だ。
皮肉としか言いようがないのは、中国が最初の”韓流”メッカとして韓国、特に大衆文化に対する愛情が一番大きかった国だったという点だろう。しかしこのごろは中国ネチズンたちを相手に行ったアンケート調査で、
韓国が日本を追い抜き一番嫌いな国家に選定されるなど韓国は”黄金市場”中国で苦戦している。
最近中国ポータルサイト”シナ ドットコム”では日本のマンガ”嫌韓流”を詳しく紹介し、韓国を誹謗した内容に熱い同意の熱風が吹いた。”嫌韓流”は原色的で刺激的な内容で韓国文化を誹謗したマンガだ。
これ以外に中国の主要インターネットコミュニティでは”これからは日本ではなく韓国が一番嫌いだ”と言うコメントが見られるようになった。中国ネチズンたちは韓国人を ”高麗棒子”(*記者注)と見下し”韓国は半端で歴史もなく、
民族自尊心もない国””他人の物を劣化コピーするだけ”と言い非難の声を高めている。
記者注(高麗棒子)=満州国で警官をしていた朝鮮人の態度が、日本人警官よりも酷くそのため中国人は韓国人のことを高麗の棒をもったやつの意味で”高麗棒子”を蔑称として使っていた。
522 :
マンセー名無しさん:2008/04/01(火) 10:31:38 ID:JssU+CtY
朝鮮と清国の従属関係について
朝鮮は二千年来、人類史上、唯一、外族(異族)の支配を受けた事の無かった珍しい国であり、日本の植民地支配を三十六年も受けたのは、有史以来はじめてだったと教えているが、事実は?。
清国の朝鮮支配は、いかに家内奴隷として朝鮮半島を支配してきたか?一例を挙げれば、一端がうかがわれる。
○朝鮮国王は清の皇帝によって任命。
○朝鮮国内で起こった事件の委細については、すべて皇帝に報告。
○清の使節に対して、国王はソウル城門の外まで出迎え。
○朝鮮国王の地位は、清国廷臣の下である。
○朝鮮政府には、貨幣の鋳造権がない。
細かく定められた貢品以外に、毎年、牛三千頭、馬三千頭、各地の美女三千人を選り抜き、清国に朝貢することが義務づけられていた。
牛馬三千頭を手に入れることも、容易なことではないが、女性三千人を宗主国の清国に送るとなると、両班の娘だけでは間に合わない。米で農家の娘と物々交換するか、あるいは強制連行の手段しかない。
ここに、今日、問題となっている「強制連行」「慰安婦」の原点がある。
朝鮮の強制連行と慰安婦は、まさに朝鮮痛史であり、日韓併合を云々するならば、同時に、この朝鮮痛史にも立ち向かわなければならないだろう。黄文雄著、中国・韓国の歴史歪曲(光文社)
>>516 わざわざエイプリルフールに書き込まなくてもw
524 :
マンセー名無しさん:2008/04/02(水) 08:56:32 ID:Mnf6EOxr
525 :
マンセー名無しさん:2008/04/09(水) 07:44:05 ID:nUyHLXRk
福沢諭吉「脱亜論」(明治18年)
日本の不幸は中国と朝鮮だ。
<福沢諭吉の正論>
日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、
同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、
しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、
道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも
「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
(中略)
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に
与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
(明治18年(1885年)3月16日)
原文
http://www.chukai.ne.jp/~masago/datuaron.html
526 :
マンセー名無しさん:2008/04/10(木) 23:53:48 ID:/D3yPhbg
中国の軍拡目標はアジア太平洋での覇権確立。そしてその第一段階が台湾併呑。
もしこの島が「中国の不沈空母」と化せば日本は・・・。中国膨張主義に目を向
けよ!
悪魔のリレーを黙認するな!長野に集結を
<偽りの聖火に怒りの声を!チベット人虐殺糾弾デモ行進>
チベットの僧侶が殺戮されているなか、同じ仏教徒の善光寺が五輪聖火リレーの
点火式を主催する。シナ・中共の虐殺に加担する善光寺!「仏」の仮面を被った
善光寺の悪行を、日本の名誉にかけて糾弾しよう。デモ終了後、善光寺へ抗議・
決議文を提出予定。
!)日時:4月25日(金)聖火リレー前日
併合前の日朝
さて、北京政府は日本政府の要求項目を知って、撤兵のことはともかく、袁世凱ら清将を罰する
要求には応じる気はなかった。それどころか、清将を賞賛する朝鮮政府の感謝状を得て、彼らを賞
することに決したことを国内に報じた。李鴻章はまた呉大臣の報告なども聞いて談判方針を立てた
が、一方では日本人民間人多数が清兵から殺害略奪されたことを報道する新聞記事にも目を通して
はいた。
よって北京政府の方針は、
@ 両国の朝鮮からの撤兵は応諾。しかし朝鮮政府からの要請があれば、また宗主国として属国を
監督する務めとして、いつでも出兵はする。
A 清将に何等落ち度はない。乱党を助けた竹添公使を罰するべく要求する。
と。
で、天津における談判第1ラウンド開始は4月3日午後3時。清国天津直隷総督衙門に於いて。
この時伊藤博文は43才。李鴻章は62才。なお陪席は日本側は榎本武明公使、伊東巳代治大書記官、
鄭永寧権大書記官。清国側は呉大澂大臣、續昌大臣、伍廷芳、羅豊禄
両者あいさつ終わり伊藤は早速、
伊藤 「まず全権委任状を確認したい」と。
しかし李鴻章は、
李 「まず閣下の高論を聞きたいアル」
と頓珍漢な返事。んなことどうでもよい伊藤は、
伊藤 「他事はさておき、差し支えないなら閣下の全権委任状を確かめたい。また互いに見るのが
慣例だが」
李 「では謹んで閣下の望みに応じよう」
(続き)
両者ここで委任状を交換して確認。
伊藤 「これは貴国政府の全権大臣に授ける委任状の正式なのか」
李 「そうアル」
伊藤 「これを読むと、ただ日本使臣と談判することに止まるように見える。北京政府では閣下に
は調印の権があると言っていたが」
李 「貴殿の言うとおりアル」
伊藤 「しかしこれにはその事は書いてない。もし閣下と共に定めた条約を後日に貴政府が反対す
ることになるようなら、先に北京政府が与えた保証と矛盾しないか」
李はニコリとしながら、
李 「それは閣下の心にある。閣下が難問を出して止むを得ず肯かねばならないようなことをさせ
るなら、後で我が政府が排斥することになるかもしれないアル。願わくばなるべく本大臣を困らせな
いように(ヒヒヒ)」
さすが老獪なもの言いである。
(続き)
伊藤 「本大臣の場合はどのようなことでも後の批准は要せずに決定する全権をもつ。よって本大
臣が言うところとその行為はすなわち我が天皇陛下が自らされるのと同じである(キッパリ)」
李 「本大臣も調印の権があるが、談判の結果は我が皇帝陛下の批准を要するアル」
伊藤 「その事はすでに知った。一国の君主が批准の権を持つのは当然である。しかし君主の批准
は可否の実よりも、むしろ格式に止まることは閣下も承知であろう。仮にも両国全権大臣の間で決
定したことを後で政府が排斥するようなことは、格式を越えて実に及ぶことであると言わざるを得
ない(ジャブ!)」
(続き)
李 「まことに貴諭のとおりである。よって本大臣は次の2点を述べるアル。第1、一国の君主が批
准の権を保有するなら、我が国皇帝陛下もまたその権を保有する。第2、閣下がもし大なる難問を
提出して本大臣を困らせて拒むことができないような条約に調印させないなら、結んだ条約の効力
は全うするだろう」
言葉を終わって李鴻章はまたニッコリと微笑んだ(ヒヒヒ)
あっさりと伊藤のジャブをかわす。
(続き)
伊藤 「それならば、閣下が後日貴国皇帝が拒否するような条約に調印されることはないと信ずる。
閣下が権限を越えずによく承諾することを承諾するなら、両国大臣の間で締約したものは後日に
批准を拒否されないことを承知されたい」
李 「閣下が幸い我が方にいろいろと困難がある事情を察して、後日に我が皇帝陛下が批准を拒ま
れるような条約に調印するよう迫らないことを、本大臣は敢えて要請するアル」
(しつこいw)
伊藤 「種々の事情があるのは双方同じである。よって閣下にも我が方の事情を了察されることを
望む。本大臣も閣下も共に一国の政治の重責を担う。故に双方は同地位である」
李 「両国重大の会談である。互いに胸襟を開いて思うところを腹蔵なく吐露し、外交上の権謀を
避けることを希望するアル」
伊藤 「全く同感。ことさらに策謀を尽くし時間を費やして事を妨げることのないように希望した
い」
李 「なるべく穏便、且つ寛大に、また我が方に困難を多く加えられないように」
(重ね重ねしつこいw)
(続き)
伊藤 「談判の主なる目的は、両国間の和好を完全なものとすることにある。それには案件を2つ
に分けたい。即ち、1は過去に関すること、2は将来に関することである。先ず2から始めたい」
議事録には、「伊藤大使はこの時、議題を1から始めると言ったが、直ぐに2から始めると言い
直した」とある。単なる言い損ないなのだが、そんなことまでちゃんと記録するのが日本の議事録
である。ああ恐ろしw
伊藤 「では将来に関することであるが、先ず朝鮮に兵を駐留させるようになった経緯を述べよう」
と、明治15年朝鮮事変により条約によって護衛兵を置くことになった概略を述べ、
伊藤 「・・・・よって兵も減らして僅か1中隊を置くに過ぎなかった。しかし閣下も知るように
不幸にして京城に事変が起こり日清両国の兵に争闘を生じ、互いに強く怨嗟を持つに至った。よっ
てこのまま両国が兵を朝鮮に駐留させるなら、勢いまた和好を損なって終には大なる危険となるの
は火を見るより明らかである。我が国は貴国と和好を存続させることを望むものであるから、貴国
が朝鮮から撤兵することを希望するのは誠に止むを得ないところである」
李 「撤兵の事は貴国の兵も同じく徹するのか知りたい」
伊藤 「閣下が撤兵を承諾するなら、我が国では駐留のことは条約に基づくものにかかわらず、同
じく撤回することを承諾しよう」
(続き)
李 「その条約には撤兵のことも約束してあるのか」
伊藤 「将来朝鮮の状況に応じて我が国の裁量によって全数または一部を撤兵することを約束して
いる」
李 「それなら閣下はただ我が国が撤兵することを主張して、貴国は条約上の権利であるから撤兵
しないと言うのか。もし両国が等しく撤兵するのでないなら本大臣は何らの談判もできないアル」
伊藤 「本大臣はもとより無理な要求をするのではない。貴国が撤兵するなら我が国も撤兵しよう」
李 「それならばその意を了解した」
伊藤 「両国が駐兵するなら害となるのは目に見えている。しかし貴国が駐兵を主張するなら我が
国も駐兵せざるを得ない。またその数を増やすなら我が方もまた増やさざるを得ない」
李 「我が方が朝鮮に駐兵を始めたのは一つの事情からである。しかしこれを説明するのは長くな
るからここでは略す」
後の日清戦争の事端の背景となった極めて重要な事柄がこの僅か数度の問答にあったことを知る
へし。
(続き)
撤兵のことはまず早々に合意。しかし後でまた議論が揉めることになる。
さて次は過去のことに関して。これは双方最も困難な議論となった。
伊藤 「過去のことであるが、朝鮮の事変に於いて我が国の公使は国王の求めに応じて兵を率いて
王宮に入った時に、貴国の将官は我が国公使が王宮に居るのを知りながら大兵を率いて王宮に突入
した。この時不幸にも貴我両国の兵が争闘を引き起こした。当時貴国の将官が適当の時間に協議を
するか何らかの処置をしておれば、必ずこのようなことは避けられたろう。しかし貴国将官はその
尽くすべきことを尽くさなかったために遂に貴国の兵は我が護衛兵に向かって攻撃を加える結果と
なった。この時我が公使と我が兵は王宮内にあり、貴国の兵は王宮外から闖入した。この一事を見
ても、貴国の兵は攻撃の位置にあり我が兵は防衛の地位にあったことは証明するに足ることである。
そもそもこの攻撃は我が国威に直接に非常の損害を加えたものと我が政府は認めるものである。よっ
て止むを得ず我が政府は、不当なる攻撃の指揮をした貴国の将官を責罰することを貴国政府に要求
せざるを得ない。その他貴国の兵が朝鮮に居る我が国民を残酷に殺害し、また財物を略奪するなど
の暴行を加えたことについても相当の満足を与えられんことを望む。これは貴国将官が阻止せずに
兵士になすがまままにさせたことの直接の結果なので、閣下にはこの要求は妥当にして止むを得な
いものと了解されるであろう」
すでに述べたが、日本政府としては撤兵こそ優先事項とし、清将責罰のことは次点とした。しか
し(`・ω・´)シャキーン!シャキーン!の伊藤は、真正面からこの問題を突きつけ議論戦わすことになる。
(続き)
李 「閣下が言われた両国の兵が争闘をしたこと、また貴国の臣民が暴行を受けたことは非常に複
雑な事案なので、細密にわたって議論するのがよいと信じる」
と、李鴻章も一歩も引かない構え。
伊藤 「この事について閣下の高説があれば本大臣は耳を傾けて聞こう」
李 「朝鮮に駐在する我が兵は三営(1500人)である。本大臣はここに公平に我が兵のことを述べ
れば、京城の変は初めその事実を知らず、時が過ぎてから現場に行ったものである。実際の状況の
報告を得てその顛末を知ったのだが、本大臣は数人の者を派して事実を調査させて明確な事実を知
ることができた。簡単明瞭に申し述べよう。閣下には我が方の報告書、内報、朝鮮国王の書簡、呉
続両大臣の報告書、その他朝鮮使節の供述書を読まれることを望む。このことは素より公平中正を
旨として是非を明らかにし、努めて公明に処理することを期するにある。貴国皇帝陛下が閣下を派
せられた叡慮もまたそうであると確信する。さて、竹添公使はもと本大臣と親友であるが、いかん
せんその行為に於いては決して粗忽の科を免れないと断言さぜるを得ない。実に竹添公使の罪を数
えることは止むを得ないことである。貴国の兵が朝鮮に駐在するのは公使館護衛のためであって条
約に基づくと。しかし竹添公使はその兵を率いて国王の求めに応じたと言うが、そもそも竹添公使
は京城に在って久しく、当時の朝鮮の情勢を詳しく知らないはずがない。先ずは兵を率いて王宮に
行くに当たって統理衙門(朝鮮政府の総務外務の部署)にその行動を通知せねばならない」
(続き)
伊藤 「竹添公使は朝鮮国王の再三の依頼に応じただけである。また国王の依頼は正当のものであ
って毫も違法の跡を見ない。まして事情切迫した場合において、かりにも国王の懇請である以上は
必ずしも統理衙門に通告する必要はない。一国の君主の勅命によって求めるならば、竹添公使は交
誼上これに必ず応じざるを得ない。当時公使の目的はただ王命に応じることであり、公使館護衛の
兵ではあるが国王の再三の求めに応じて国王一身を保護せんために兵を率いて王宮に入ったのであ
り、これは万国公法に照らしても決して違法ではない」
李 「竹添は朝鮮駐在の公使である。当時の朝鮮の動向状況を熟知しているのは明らかである。そ
して変乱がどんなものであったかを知っていたのは疑えないことである」
伊藤 「急な求めに際してどうしてその実情を知る暇があろうか。竹添公使はしばらく帰国して変
乱の1ヶ月前に帰任した。ゆえに当時の状況を知悉していていなかったことは明らかである。閣下
がただ疑惑だけで議論するなら遂に止むことはない。竹添公使の行動は少しも理に反していないと
ただ信じるべきである」
李 「朝鮮国王が本大臣に送ってきた書簡に依れば、閣下が指摘した親書は王自ら書いたものでは
ない。つまりは乱党が偽作して竹添公使に送ったものであると国王自らその偽書であることを証明
した」
(続き)
伊藤 「朝鮮国王がそのような書簡を閣下に送ったことはまだ本大臣の知らないことである。また
その実否がどうかも我が方には何等関係ないものである。竹添公使の得た親書には王の玉璽もあり
適正なものであったことは論をまたない。とりわけ公使が兵を率いて王宮に入った時に国王は公使
に向かって懇篤なる謝辞を述べられた。形勢一変した今日にあっては国王はその言を左右にするだ
ろうが、我が方に於いては朝鮮国王の親書であることは断じて疑わないことである。今日に至って
の国王の言うところ書くところは、何らこれらの事実を変える効力はない」
朝鮮国王の態度に関することであるが、李鴻章は後年に、当時の朝鮮国王が朴金ら開化独立派と
意思行動を共にしたことを暗に認める発言をしている。つまりはこの時の朝鮮国王の書簡は言い逃
れの言葉に過ぎなかったと。それが呉大臣らの調査報告によって知ったことなのか、後で知ったこ
となのか、それは定かではない。しかしどうも、この朝鮮国王の書簡に対する信は初めから薄かっ
たように感じられる。もとより李鴻章は朝鮮国王の優柔不断な性格をよく知っていたし、それに中
国人はそもそも他人の言を容易に信じない。たとえ自分に有利なものであっても心底では疑惑の念
で見ることから免れられない傾向にある。
李 「金玉均等は今日の問題を起こした乱の首魁である。そして竹添公使はその謀に誘導されたの
は疑いない。朝鮮国王もまた幾らかの罪を免れない。なぜなら国王は性格が柔弱で決断に乏しく、
当時の行いは優柔不断の甚だしいものであったからである。朝鮮からの使節もよく国王の柔弱を口
にするし、また竹添公使が金玉均と組んでいたとも言っている」
537 :
マンセー名無しさん:2008/04/13(日) 00:34:19 ID:Ccb7YJSS
(続き)
大使「今回の問題を起こした乱の首謀者が誰であるかを調査するのは、要するに詮無いことである。
たとえ朝鮮国王自らが首謀者であっても、或いは金玉均であっても、その事は全く朝鮮の内事に属
し、全く我が国に関係するところではない。故に本大臣がその事を論じる必要はない。ただここに
断言することは、竹添公使はその密謀に与った等の事実はないという一事にある。本大臣は確固と
してこれを明言する。しかしながら閣下がなおも疑うならまた何を言おうか。ただ我が国で既に同
公使を糾問して何ら関与した跡がないことを知り、更に疑うところがないだけである」
李 「本大臣ももとより変乱に関して徒に瑣末の点で論ずることは欲しない。しかし閣下は既にこ
の問題を提出して、罪を我が将官に帰してその処罰を要求されるに於ては、またその事に遡って論
究せざるを得ない。ついては尚陳述するところがあるので、説が終わるまで聴聞されることを希望
する」
大使「了解した。閣下の所説が終わるまで聞こう」
(つづく)
とまあこんな調子で熱く議論されていくわけですが・・・、全文載せるわけにもいかないでしょう
し、後は論点を絞って抜書きすることにしましょう。
支援
日曜深夜連載だと思って早く寝てしまった…
支援できなかったけど、前回の方法で連投規制何とかなったのかな?
>併合前の日朝の中の人
乙であります!いや〜面白い。勉強になるなぁ。続きが楽しみです。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい:2008/04/18(金) 20:38:04 ID:8sxSIF4c
韓国・朝鮮の学者の中には、「かつてウリナラが日本を植民地支配していた」
と主張する先生方が少なくない。彼らは一様に「(現・先進国の)日本を植民
地支配していた」と胸を張る。そうすると、「日帝による半島の植民地支配」を
日本は誇ってよいことになる。(中略)
北朝鮮の学者金錫亭氏は碑文の意味を、「好太王の高句麗(軍)が海を渡って
倭を破り、属国とした」と解すべきであると主張した
ネタ元 韓国はなぜ反日なのか 吉井英一 P147
併合前の日朝
李 「3年前の朝鮮の変乱の時に、我が国の兵は力を尽くして鎮圧し乱党の党首である大院君を幽
閉するなどして、貴国の人のために尽力した。それなのに昨年の変乱では貴国の兵は王宮内にあっ
て門を硬く閉ざして6大臣を暗殺し、我が兵が朝鮮の官民の嘆願により王宮に行くと、貴国の兵は
不意に我が兵を攻撃した」
李鴻章も明治15年朝鮮事変すなわち「壬午軍乱」のことを「大院君の乱」と認識していたよう
だ。
伊藤 「暗殺に兵力は必要ない。我が兵が暗殺したという証拠はない。貴国の兵は我が公使を攻撃
する前に争闘を避けることに力を尽くさなかった」
李 「本大臣は詳細に議論することを望まないが、6大臣暗殺は国王の真意ではなかった」
伊藤 「それが王の真意かそうでないか王が知っていたか知らなかったかは関係ない。我が国にと
って関係あることは、貴国の兵が千人以上で、わずか140人の我が兵を外から攻撃したことの1点
である」
李 「6大臣暗殺のことは問題の原因であるから話した。貴国の兵が暗殺しなかったとしても、そ
の守備があったからこそ成し遂げられたのではないか。ただ咎めねばならないのは国王の優柔不断
と金玉均の陰謀と竹添公使がそれに誘導されたことの3点である。我が兵は前もって書簡を竹添公
使に送ったが返信はなく、それで士官が名刺を持って竹添公使に面会を求めた。しかし許されなか
っただけでなく内から不意に銃撃があった」
(続き)
伊藤 「閣下の言われる要領を挙げれば2点ある。第1に竹添公使に書簡を送ったこと。第2に士
官に名刺を持たせて王宮に行かせたこと、である。しかし王宮出入り口など周辺部を守備していた
のは朝鮮兵であり、日本兵は国王を警護していた。よって朝鮮兵が間に居るから王宮外の貴国兵に
向かって発砲は出来ない。しかし貴兵は朝鮮兵と合同して我が兵を攻撃した。よって竹添公使は止
むを得ず応撃の令を発した」
李 「先に発砲したのが貴国の兵か朝鮮兵かは知らない。しかし我が兵4人が倒されたから、止む
を得ず正当防衛から応撃したのである」
伊藤 「論点はその間にある。かりに朝鮮兵が先に発砲したとしても、貴兵が我が兵に向かって損
害を与えたことが正当とはならない。貴国の兵は外から進攻し我が兵は王宮の中で防守したことは
明らかである」
李 「本大臣も武官の職にもあって20年になるが、銃弾がどこから来たかを知ることは頗る難しい
ことである」
伊藤はここでニッコリと微笑み、
伊藤 「例えば2人の人間が出会い、1人が何もしていない片方を突然銃撃した。さて罪はどちらに
あるかを閣下に問おう」
これを聞いて場の皆が笑い声を上げた。
李鴻章も笑いながら、
(続き)
李 「この難問には答えに窮するしかない(ニヤニヤ) また、閣下が前に言ったような、我が兵が貴
国人民に害を加えたということはない。それどころか男女数人を仁川に護送したではないか」
伊藤 「その善行は厚く謝す。しかし同時に暴行の罪は罪で問わねばならない。貴国の兵が我が国
の居留民を襲撃して財物を略奪し、夫を殺し、妻を陵辱し、凶暴を尽くした罪は正さねばならない
」
李 「我が兵は陣営からみだりに外出は出来ない。事変の3日間には一歩も外出していない。貴国
人民は朝鮮人と中国人の区別が出来ないかもしれない」
伊藤 「何の紛らわしいことがあろうか。服装を見れば明らかである。朝鮮人であったのを中国人
であったと偽る必要もない。貴国兵であったことは明瞭である」
李 「何と言われても決して我が兵ではない。あるいは清人であったかも知れないが、清兵ではな
い。協議するのにあまりに瑣末の問題で論争しないことを望む」
第1日目の談判はこれにて終わる。李鴻章は伊藤らを食事に招待し、伊藤は応じた。中華料理の
殊に珍なる供膳であった。食事中大した話はなかったが、李鴻章は始終慇懃なる態度を通したとい
う。
(続き)
さて第2回目は4月5日午後3時より天津日本領事館で。
まず伊藤が清将の責罰をめぐって更に事件詳細の議論を仕掛け、李鴻章はそれに応じ、事変後の
朝鮮国王の書簡を披露して公文として採用するよう主張。
対する伊藤は、事変後の国王の心変わりを主張、また竹添公使に与えた護衛依頼の書簡と玉璽の
ことを述べて反論。その後、当時清将が竹添公使に送った書簡のことで議論に。
李 「我が将官は朝8時に書を竹添公使に送ったが返事がなく午後3時まで王宮に入るのを待った
。竹添公使が速やかに返書をしていればこのような事態にはならなかった」
伊藤 「果たしてそうであろうか。そちらで時刻のことの証明が出来ないなら意味がない。まして
その時の書簡は日付も時間も書いてないのであるから」
李 「そんなことはない。その時の書簡の写しがここにあるがこれを見よ。これは将官が本大臣に
送ってきたのであるが、こうして明らかに日付があるではないか」
この時、伊東大書記官が証拠書類の中から当時の書簡を取り出して伊藤に渡した。
伊藤 「これがその時竹添公使が受け取った実際の書簡である。どこにも日付はない」
李鴻章はそれを手に取り、目を凝こらして見たが日付はなかった。李は驚愕の顔色となった。
(続き)
伊藤はその狼狽ぶりを見て、
伊藤 「まあ、大した問題ではない。閣下はあまり気にされるな。瑣末のことである」
李 「もとより将官は軍籍の者であるから外交事務には疎いので、このような手落ちがあったのだ
ろう」
伊藤 「貴国の将官が相当に尽くすべきことを尽くしておればこのような事態に至らなかったこと
は既に判然とした。当時貴国の将官は米国公使フート氏に、兵を率いて王宮に進行することを告げ
た。フート氏はそれでは大事となるかもしれないから兵を率いるのはよくないと忠告をした。しか
し貴国将官はその忠告を容れずに王宮に兵を入れて我が兵を攻撃するに至った」
李 「朝鮮の官民が救援を乞うたので止むを得ないことであった」
伊藤 「そのことにより生じた結果は貴国将官の責任である。また、その進行も最初から兵を3面
に分けて軍事攻撃を加えた。かりにも軍事を知るならその結論は歴然たるものである」
李 「我が兵は3営であるから3方から進行したのかもしれない」
伊藤 「いやいや、そうではない。貴国兵は第1門から進入し、後に3面に分かれて銃を並べて攻撃
をしたのである」
(続き)
李 「竹添公使は日頃から我が将官と交際があった。公使からあらかじめ話していればこのような
紛争は生じなかったろう。まことに惜しいことである。竹添公使は地位が駐箚公使であるから頗る
得意の顔があった。且つ常に傲慢、また人を侮った風があった」
論に詰まると個人への誹謗中傷に走るのは現代でもよく見る光景w
伊藤はニッコリと笑い、
伊藤 「竹添公使の胸中を探るのは本大臣の職ではない。竹添公使の心中がどうであったかなど天
のみが知ることである」
李鴻章も笑い返し、
李 「閣下の見識を以ってすればどうして竹添公使の心中を看破されないであろうか」
伊藤 「いずれにしろ貴将官の行為軽率から起こったことである。この行為は日本国の国旗を汚辱
したものと認めざるを得ない」
李 「公使らは我が方の書簡を摂取しながらこれを捨てて顧みなかった。我が兵は王宮第3門に至
って初めて応撃するの止むを得ずに至った。最初士官は名刺を持って王宮に向かったが不意の銃撃
が来て名刺に弾丸が当たり、名刺は片々として散った」
(続き)
伊藤 「はははは。人を傷つけずに名刺だけに的中させるとは、いったい如何なる名手であろうか
(笑)」
李 「従った兵卒ら4人はたちまち斃されたアル! しかし発砲した者が日本兵であることを知っ
たなら必ずこれに応撃しなかったろう。我が将官といえどもそのような冒険は犯さなかったであろ
う!」
もう李鴻章の言っていることはわけわかめw
伊藤 「とにかく、万国公法に照らしても貴兵の行為は違法であったと認めざるを得ない」
李 「閣下は竹添公使が我が将官からの書簡をすぐに開封しなかったことは過失であるとは思わな
いのか」
伊藤 「いかんせん、時既に遅くして公使に手渡された」
李 「竹添公使は漢学を修め文学に富む人である。これぐらいの書簡を読むのに1秒も要しまい」
伊藤 「あるいはそうだろう。しかし貴将官は最初から公使と協議する気がなかったという事実は
どうしようか。もし協議する気があるなら、書簡を届けた使いに必ず返書が必要であると留めさせ
たはずである。これまた貴将官が平和を傷つけない念慮がなかった証となろう」
549 :
マンセー名無しさん:2008/04/24(木) 01:27:26 ID:2F1VtD37
(続き)
李 「ともかく貴公使を銃撃するような意思がなかったことは明らかである」
伊藤は笑って、
伊藤 「閣下にその意思がないのは本大臣は既に了解するが、貴将官にその意思がなかったことは
どうしようか」
李 「本大臣は我が兵を朝鮮に駐在させて以来しばしば命令を伝え厳命して訓練させていた」
伊藤 「それならば、貴将官は閣下の命令を少しも守らなかったのだろう」
(つづく)
どうにも日清両巨頭による面白い議論なので、なかなかばっさり省けませぬW
>>539 ええ、その方法でスムーズにいきました。感謝。
550 :
マンセー名無しさん:2008/04/24(木) 01:34:34 ID:v4ePAkTJ
ピラニアへ質問なんだけど
ハ咫烏タンってホロン部なの?時々コピペで見るけど・・・
ウリの知ってる限りハ咫烏タンはピラニアだと思ってたんだが(汗
>>550 トリの◆が◇になってるでしょ?
コピーしてるからそうなる。
つまり偽者が居るってこと。
多分、変な人に憧れられてるんじゃないかな?
はははは。人を傷つけずにスレだけを汚すとは、いったい如何なるホロン部であろうか(笑)
うまいw
山田くーん、座布団2枚持ってきてぇ
554 :
マンセー名無しさん:2008/05/01(木) 23:44:04 ID:drMBzDzS
韓国では2005年12月、「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」という凄まじい法律が公布された。
親日反民族行為真相糾明委員会という大統領直属の国家機関に「親日派」と認定されると、本人もしくはその子孫の財産が国家によって没収されるという法律だ。
実際問題本人はほとんど亡くなっているので、そのひ孫・孫の財産を事後法によって収奪するという法律だ。法治国家にあるまじき行為などというレベルではない。韓国は土人国家だ。
名目上は民間団体とはいえ、大統領直属の国家機関、親日反民族行為真相糾明委員会によって委員が任命されている親日人名辞典編纂委員会が民族問題研究所とともに編纂作業を行っていた「親日人名事典」の2回目リストが公表された。
今回のリストをベースに親日人名辞典は8月に刊行されるらしい。
この辞典に名前が掲載されることは、ただ単に祖先の「名誉」が汚されるという話ですまない。祖先に連座するかたちで、子孫は今現在の財産を没収されてしまう可能性がある。ものすごい話だ。
最初にリストが公表されたさい、ハンナラ党の朴槿恵氏の父、朴正煕元大統領の名前があり波紋を呼んでいた。大統領候補だった朴槿恵氏を失脚させるのが真の目的だったといわれていた。
しかし今回公表された「親日(売国奴)」追加リストには、元大統領以上にインパクトのある名前が掲載されていた。朴泳孝(パク・ヨンヒョ)と安益泰(アン・イクテ)だ。朴泳孝は韓国国旗(太極旗)の考案者であり、安益泰は韓国国歌「愛国歌」の作曲者だった。
韓国人といえば世界一の国旗フェチだ。しかし太極旗をデザインした朴泳孝は親日派の売国奴だった!!!さらに国歌の作曲者までもが、親日派の売国奴だった!!!
555 :
マンセー名無しさん:2008/05/01(木) 23:44:43 ID:drMBzDzS
そもそも韓国国歌(愛国歌)は、安益泰が作曲した管弦楽曲「韓国幻想曲」の終曲の合唱部分だった。しかし2006年3月、「韓国幻想曲」が、満州国建国10周年を記念して発表していた「満州交響曲」と同じ曲だったことが発覚した。
曲名が「満州交響曲」のままでは、二度と日の目を見ない可能性があると思ったのだろう。安益泰は曲名を「満州交響曲」から「韓国幻想曲」に変更したのだ。
安益泰は指揮者でもあったが、彼が自らベルリン放送交響楽団を指揮して「満州交響曲」を演奏するフィルムがドイツで見つかってしまった。
韓国国歌は満州の歌だった!!李氏朝鮮を建国した李成桂には女真疑惑があり、朝鮮人にとって満州はまったく縁のない話ではないのだが。
太極旗を考案した朴泳孝は親日派(=売国奴)だった!! 朝鮮半島の近代化は日本統治からはじまった。1910年(韓国併合)に1300万人しかいなかった朝鮮民族は1945年(終戦)に2500万人を突破した。朝鮮民族はわずか35年程度で人口が倍増した。
韓国は、自国の国旗考案者や国歌作曲者を自ら売国奴に認定した。荒唐無稽なファンタジー反日歴史観が完全破綻した瞬間といっていいのではないか。「日本統治時代は、すべて悪だった」が破綻したのだ。
韓国はついに自国の本当の歴史に真正面から向き合わざるをえなくなったのではないか。
満州だと「交響曲」なのに、韓国だと「幻想曲」になるんかいww
557 :
マンセー名無しさん:2008/05/04(日) 22:04:00 ID:oYCSIrQf
【日 韓 併 合 は 朝 鮮 人 を 守 る た め に 行 わ れ た】
「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。
亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。
欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。
日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。
そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。
それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」
朝鮮全権大使 李成玉 「李完用侯の心事と日韓和合」
559 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 10:38:58 ID:gShFh9T6
「東方儀礼の国」の真の意は・・
さて、韓国人が誇るものの中に「東方礼儀の国(邦)」とういう朝鮮を指し示す言葉がある。
この言葉の本当の意味を知っている韓国人は少ないのだが、これは中国王朝から朝鮮へ贈られた言葉である。
即ち、中華の天子へ忠実に諸侯の礼を尽くしてきた朝鮮へ中国が上記の「東方礼儀の国」という言葉を贈ったのである。
直訳すれば「中国の属国として礼節を尽くした国」という意味なのだが、この意味を韓国人は全く理解していないのが、皮肉である。
中国王朝の属国における歴代国王は、原則皇帝の臣下と見なされる。朝鮮国王は中国皇帝によって任命され、中国の朝廷は朝鮮の王妃や王太子の廃立に至るまで、その権限を振るうことが出来たのである。
ちなみにこの当時、朝鮮を実質的に指揮監督していたのは、中国王朝の北洋大臣や直隷総督などである。
つまり国王というのは形ばかりのものであって、決して主権国家の元首として扱われていたのではないのである。
さらに朝鮮国王の中国王朝からの使節の出迎えは余りにも屈辱的である。
満州人の使節が来ると、朝鮮国王は自ら高官を引き連れて迎恩門まで歓迎に赴いて、地面にひざまずいて使節に敬意を表し、宴会を催し、芸を披露して接待しなければならなかった。王太子は慕華館(迎賓館)で使節に酌の礼をするのが最大の役目だった。
560 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 10:39:56 ID:gShFh9T6
倭国の東北一千里のところにある多婆那国(丹波国?但馬国?)で、その王が女国(不明)の王女を妻に迎えて王妃とし、
妊娠してから7年の後に大きな卵を生んだ。王は王妃に向かって、人でありながら卵を生むというのは不吉であり、卵を捨て去るように言った。
しかし王妃は卵を捨てることに忍びず、卵を絹に包んで宝物と一緒に箱に入れて海に流した。やがて箱は金官国(のちの任那日本府比定地)に流れ着いたが、
その国の人々は怪しんで箱を引き上げようとはしなかった。箱はさらに流れて、辰韓の阿珍浦(慶尚北道慶州市)の浜辺に打ち上げられた。
そこで老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。このとき、新羅の赫居世居西干の39年(紀元前19年)であったという。
老婆がその男の子を育てると、成長するにしたがって風格が優れ、知識が人並みならぬものになった。姓名がわからなかったので、
箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたことから鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした、という。
長じて第2代南解次次雄5年(8年)にその娘を娶り、10年には大輔の位について軍事・国政を委任された。南解次次雄が死去したときに儒理尼師今に王位を譲られかけたが、
「賢者は歯の数が多い」という当時の風説を元に餅を噛んで歯型の数を比べ、儒理尼師今に王位を継がせた。儒理尼師今が57年10月に死去したときには、王(儒理尼師今)の遺命に従って脱解が王位についた。
561 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 10:42:46 ID:gShFh9T6
二十五箇条の覚書 抜粋
一、高麗都(ソウルの事)、去二日落去候、然る間、弥急度御渡海なされ、此度大明国迄茂 残らず仰付(おおせつ)けられ、大唐の関白職御渡しなさるべく候事、
(征服後の明国の関白に日本の関白である秀次を任命する)
一、大唐都(北京の事)へ叡慮(天皇の事)うつし申すべく候、其御用意有るべく候、明後年行幸たるべく候、然らば、都廻の国十ヶ国進上すべく候、其内にて諸公家衆何も知行(ちぎょう)仰付らるべく候、
下ノ僧十増倍たるべく候、其上の衆ハ仁躰に依るべく候、
(後陽成天皇は明国皇帝として明国の首都・北京へ移し、御料所として北京周辺の十ヶ国を与える)
一、大唐関白、右仰せられ候如く、秀次江 譲りなさるべく候、然らば都の廻百ヶ国御渡しなさるべく候、日本関白ハ 大和中納言・備前宰相両人の内覚悟次第、仰出さるべく候、
(秀次が明国の関白に就任した暁には、所領として北京周辺の百ヶ国を与え、日本の関白には大和中納言・羽柴秀保か、備前宰相・宇喜多秀家を任命する)
一、日本帝位の儀、若宮・八条殿何にても相究めらるべき事、
(後陽成天皇が明国皇帝となった暁には、日本天皇に皇太子・政仁親王(ことひと 若宮 後の後水尾天皇)か、皇弟・智仁親王(八条殿)を即位させる)
、高麗(朝鮮の事)の儀は岐阜宰相歟 然らば備前宰相置かるべく候、然らば丹波中納言ハ九州に置かるべき候事、
(朝鮮の総督には岐阜宰相・羽柴秀勝か、備前宰相・宇喜多秀家を任命し、九州の都督には丹波中納言・羽柴秀俊(後の小早川秀秋)を任命する)
昔の日本はすごかったねー 惜しいことに秀吉は死んでしまった
信長の遺言を継いだのか
朝鮮人は豚なのだから、人間扱いしてはいけなかったんだよな。
563 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 10:43:17 ID:gShFh9T6
以上の様に、明国「征服」後の人事迄考えられていたプランでしたが、当の秀吉自身については何一つ書かれていません。では、秀吉自身は一体どの様な地位に就くつもりだったのでしょうか。
実は、先の覚書と同じ、5月18日付の山中橘内(きつない)の書状に秀吉自身の事が書かれています。それに因れば、秀吉自身は、北京、寧波(ニンポー:支那中部の港湾都市)を経て、
天竺(てんじく) ―― つまりインドを攻略すると言っているのです(と言う事は、秀吉自身はインド皇帝にでもなるつもりだった?)。つまり、秀吉は、統一日本を拠点に、コリア・支那・インド ―― 東アジア全域にわたる大帝国を築こうと考えていたのです。
結果的に「明国征服」は、その端緒である朝鮮征伐の失敗と秀吉の死によって、幻に終わりました。しかし、秀吉をして、そこ迄夢想させたモノとは一体何だったのでしょうか? それこそ、天下人・織田信長の「正統な後継者」としての使命感だった
564 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 10:45:08 ID:gShFh9T6
諸君 ・共産中国の戦後史で忘れてはならないのが、朝鮮戦争の存在です。1951年の国連総会で「北京政府は侵略者、北朝鮮は傀儡政権」という決議が採択されている事実を今一度、
思い起こすべきでしょう。これに対して、北京政府は公式には一貫して沈黙し、謝罪をしていない。
しかし、周恩来首相もニューヨークタイムスの記者の取材に「朝鮮戦争は北京がスターリンに騙されて始まった」と答えて、中国の関与を追認した。
そう考えれば、同じ共産主義国家として北京が北朝鮮へ与えた影響は大きかったし、条約や決議といった国際ルールを遵守しない点でも、両国はいやというほど酷似している。
565 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 10:48:53 ID:gShFh9T6
中国共産党の詭弁によると、元の時代、チベットは元の支配下におかれ、中国の「民族ファミリー」の一員になったという。
韓国は当時高麗だったが、元の支配下におかれていた。元寇として日本に攻め込んだ元の兵士の大部分は、高麗の兵士だった。元の時代のチベットと高麗(韓国)の立場は、まったくといっていいほど同じだった。
中共のレトリックを使えば、韓国も中国の「民族ファミリー」の一員だったことになる。
元は漢民族国家である明によって滅ぼされたが(厳密にいえば北方へ後退したが)、この時期のチベットは明の支配下になく、独立を維持した。
ところが朝鮮半島においては明の時代も属国だった。元の時代の末期、新興の明を攻撃するため、高麗王が李成桂将軍に元への援軍を率いさせたが、明に内通していた李成桂は高麗王を裏切り、王をだまし討ちし、高麗を滅ぼした。
そして新たに建国したのが李氏朝鮮だった。李氏朝鮮は松永弾正が王様になったような国だった。そしてはじめから明の属国だった。チベットは明の時代、中国政権の属国ではなかったが、朝鮮は引き続き中国の「民族ファミリー」だった。
明は女真族により滅ぼされ、新たに清が建国される。清はチベットをその統治下におさめた。この時期の朝鮮は、もっとも無惨なかたちで清の属国だった。1637年、丙子胡乱という戦いに朝鮮は敗れ、王子を二人、人質として清に差し出しますとか、
外交権を放棄しますとか、貨幣は作りませんとか、美女3000人・黄金100両・白銀1000両・牛3000頭・馬3000頭など20項目余りの物品を毎年献上しますということで、
ようやく属国として存続することを許されていた。(三田渡の盟約)
清の時代、李氏朝鮮はやはり中国の「民族ファミリー」の一員だったことになる。いや、ファミリー以下の状態だった。しかし中国共産党の論理は、まったくおかしい。
元とは、朝青龍の祖先(モンゴル人)が、チベットや高麗のみならず、漢民族が居住する長江流域も植民地化した国家だった。
566 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 10:51:51 ID:gShFh9T6
下記の漢文は日清戦争での清の宣戦布告書(宣戦上論)に書いてあることである。
「朝鮮為我大清藩属二百余年歳修職貢為中外所共知」
日本語訳では・・・・
「朝鮮は我が大清の属国であり200年以上にわたり毎年臣下の礼をとり貢物を
納めてきたことは国内外で知られていることだ」という意味だ。
要するに、清自身が「朝鮮は清の属国だ!200年以上も前からな!」と公文書
で明確に認めているということだ。
一方、日清戦争の講和条約である下関条約(1895年4月締結)の第1条では、
「清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す。因て右独立自主
を損害すべき朝鮮国より清国に対する貢献上典礼等は将来全く之を廃止すべし。」
(原文カタカナ表記)要約すると@朝鮮は清の属国ではなく独立国だ。A独立国
なんだから臣下の礼とか貢物を収めることは今後廃止するぞ。ということだ。
支那が千年単位で周辺国に強要してきた朝貢制度・中華柵封体制が、日清戦争の
日本の勝利で終了し、朝鮮半島は1897年に国号を大韓と改め、元号も宗主国
だった清の元号から朝鮮独自の元号「光武」に変更した。
属国時代に支那に臣下の礼をとっていた漢城(現在のソウル)にあった「迎恩門」
は取り壊され、属国から独立国になったことを記念して「独立門」が建立された。
567 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 10:57:51 ID:gShFh9T6
台湾では植民地と言う言葉を使うと台湾人に怒られます。「日本は植民地になんてしていない。失礼なことを言うな。統治をしたんだよ」と。
ハングル「1446年李朝の世宋が訓民正音の名で公布」日本と同じように義務教育の制度を敷いて(それまでは愚民政策のため義務教育でなかったので、ほんの一部の人しかいけなかった。)、
日韓併合の翌年の1911(明治44)年から、総督府によって朝鮮教育令が施行され、初、中、高等学校(1894学校)を日本のお金で作り、朝鮮人、日本人の生徒の区別なく、
ハングル(李朝によって禁止されていたハングルを1911年から1935年代まで学校で教えた。)を必修科目とすることに決められた。統治前の公立の普通学校(小学校)は、100校に満たなかったが、
5213校の小学校が、つくられた。ハングルを整備し訓民正音をハングルと名付け、朝鮮人に日本が教えました。
朝鮮の独立 1948年の8月13日にUSAから独立。1945年ではない。朝鮮は日本からではなく、アメリカから強制的に独立させられた。がしかし、ひとり立ちできず、
南北に分裂、北は中国に事大(強いものに従い仕える事)、南は米国や日本に事大し、言論統制し、現在に至る。私利私欲反日扇動者が扇動する、事大国家に逆戻りした。
日本が破壊した両班階級(李氏朝鮮時代の支配階級で朝鮮を破壊した諸悪の根源)が私利私欲反日扇動者と改名し復活したのだ。
民衆は虐められ、日本統治前の、清国に事大していた李朝末期の朝鮮に逆戻りだ。(両班、中人、常人、賤民)と。
568 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:01:35 ID:gShFh9T6
韓国愚民政策党の独立後(1948.8.13.)の同胞の市民殺害者数と戦死者数
1948年 済州島「四・三事件」 8万数千人殺害
1950年 朝鮮戦争 400万人南北の死者
1950年 保導連盟事件 30数万人殺害
1951年 居昌事件 8千数百人殺害
1951年 国民防衛軍事件 10数万人殺害
1980年 光州事件 2千数百人殺害
合計 449万人
ちなみに大東亜戦争の戦死者は志願兵で、南北で2万1千余人
569 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:03:59 ID:gShFh9T6
570 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:06:13 ID:gShFh9T6
彼らは非常に陰湿で、目的達成の為になら手段を選ばない。日本で最
も多い不法滞在外国人は韓国人である。彼らは日本に行ったら帰り
たくなくなる。金を稼いでから帰国する。日本にいる韓国人留学生
でアルバイトをしない人はいないのに、彼らは我々中国人の留学生
が韓国でアルバイトをすることを嘲笑する。
日本では凶悪犯罪を犯す韓国人が多い。しかし、新聞や雑誌は、一
切報道しない。反対に「中国人が日本や韓国でこんな凶悪犯罪を犯
したぞ」と言うのだ。
あともう一点注意を促す。絶対に適当に韓国のクリーニング店を利用
しないこと。以前、私の高級服は洗濯屋で洗う前は白い色だったのに
、引取りに言ったら青色に変色していた。洗濯屋のおばさんは英語が
わからないか、もしくは衣服の裏の洗濯ラベルを見ていなかったらし
く、なんと漂白剤を使って洗濯したのだった。
この40歳前後の韓国女は「中国人なんかがこんな高級な服買えるの。
こんな貧乏で汚い中国人が。あんた自身を洗濯したほうがいいんじゃ
ない」とぬかした。傍らにいた韓国男もこの女に味方して、しかも女
は電話で豚みないなバカ息子を呼び出し、私に暴行をはたらこうとし
た。不幸なのは、この女が出会った中国人はすこしも恐れなかったこ
とだ。我ら中華民族に数千年にわたり支配された民族が何で怖かろう
。結局、このクリーニング屋は私に賠償せざるを得なくなった。
571 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:11:07 ID:gShFh9T6
韓国ではいつでも侮辱と差別に遭うことを覚悟しておいたほうがいい
。「中国にはリンゴはあるのか」とよく訊かれる。食糧はあるのか、
テレビはあるのか、携帯電話はみたことがないだろう、さらには米は
あるのかなどという馬鹿げた質問まで。韓国人は韓国文化はアジアの
代表だという。しかし笑えるのが、彼らはキムチ以外、半熟の豚肉を
食べるのみで、牛肉は韓国では貴族のみが食べられる食事だ。彼らの
飲食習慣は全く進化のない原始人のものだ。多くの食べ物が生。
しかも、韓国の食事では、最も高いのが中国料理と日本の刺身で、韓
国のどこに独自の飲食文化があるのか。中国で昔、楊貴妃が好んだラ
イチは韓国人は見ようにも見られない。我国にこんなに多くの果物が
あることを韓国人が知ったらきっと驚くことだろう。 韓国人は言う、ハングルは彼らの英明なる世宗大王が創造した全世界
で最も科学的で実用的でかつ最良の文字であり、そのため漢字の使用
しないのだと。しかし私はそう思わない。
そんな科学的で実用的な文字は、なんと意味の伝達さえできない。
韓国語の文学作品を読み、咀嚼してみると、多分中国語の表現力が豊
富すぎるせいか、全く理解できない。名前さえ漢字を使わないと自分
の名前のもつ意味がわからないハングルが、どうしてずうずうしくも
漢字より科学的な文字だなんて言えよう。 >>この辺で辞めよう
572 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:15:54 ID:gShFh9T6
ハングルは厳格さに欠ける
。韓国語を少しでもできる人は知っていると思うが、韓国語には多く
の外来語が含まれ、その中には漢字語・日本語・英語・フランス語さ
らにはドイツ語・アラビア語・モンゴル語がある。全く限りが無い。
これはハングルの限界と非科学性を説明するには十分だろう。韓国人
は模倣がうまく、小賢いが、我々中華民族の叡智には遠く及ばないの
である。
華やかな外面で外国人の目を眩ますため、韓国人は全国民挙げて必死
に美容整形技術を研究する。キムチを食べてでも、整形に行って、服
と化粧品を買う。 韓国人は口先では日本を深く憎んでいるというが、実際はどうだろう
。私の韓国人の女性の友達(20歳すぎ)は毎週仁川空港まで日本人の
恋人を迎えにいく。しかもこの日本人の恋人というのがなんと50歳代
の既婚男性なのだ。金銭や日本の高級化粧品をもらい、しかも韓国人
の女友達にそれを見せびらかす。しかも見せびらかされた女友達はそ
れを羨ましがる。いま、韓国のファッションは日本の影響を受け、日
本流こそ韓国ファッションとなっている。しかも日本で1年前に流行っ
たファッションだ。私がソウルで日本ファッションの店を経営したら
、時代遅れの服でも飛ぶように売れるだろう。 >>まあ賢いチャイナ女性と思うが???
573 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:16:24 ID:gShFh9T6
38 :名無的発言者:2007/12/12(水) 16:12:38
ソウルの有名な外国人居住地区「梨大院(イデウォン)」では、若い
韓国人女性をはべらせた背の高い白人をよく見かける。このような白
人は絶対に不遜な態度をとるのだが、それはここ韓国では金髪碧眼の
白人は誰よりもまして重んじられるからだ。彼らは最高の待遇を受け
る。ソウルの地下鉄では米軍の軍人が大声で韓国人を罵っているのを
この目で目撃した。相当下品な言葉を弄しても、同じ車両の韓国人は
だれも反応しない。こんなこと中国では絶対にありえない。私はかつ
てこのことについて韓国人と話したが、彼はどうしようもないという
。多分アメリカの援助を受けているからだろう。韓国は米国の傀儡国
家にすぎないといえる。我々中国人だったら胸を張って米国鬼子に「
NO」といえる。
574 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:18:13 ID:gShFh9T6
韓国人の奴隷根性は骨にまで浸透している。所詮彼らは中国に数千年支配されて、
その後日本、今は米国なのだ。souka
一般に卑屈な人間ほど、態度が横柄になる、というが、この言葉は韓国人に最もよくあてはまる。韓国の若者は非常に礼儀知らずで傲慢である。人に道を譲るという
ことまなく、ぶつかっても謝罪の言葉すらない。韓国男は座るとき
膝を広げるのを好む。両足を最大限にまで広げて座る。バスや地下
鉄で、横に韓国の若者が座ったら、彼らの横暴な姿勢がどれだけ迷
惑かすぐ理解できる。韓国では品質が悪く、価格が安い商品はすべ
て中国製だといわれる。中国製の商品に言及すると、韓国人は口を
そろえて「中国製品は買いたくない」という。子どもまでが「中国
の物価は安い。2千ウォン(日本円で200円ちょっと)あったらいっ
ぱい中国のものが買える」という。言葉の節々から感じられる蔑視
に、私は心からこの子どもの口をひん曲げてやりたくなった。
575 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:20:11 ID:gShFh9T6
ははは いやはや
私とビジネスで付き合いのある、日本に住んで久しい韓国人男性は
酒を飲んだ後こういった。「本当は韓国が嫌いなんだ」。60年代、
韓国人のほとんどは貧しく、よい日々を送れるなんて夢にも考えな
かった。しかし米国の大規模な経済援助のおかげで、突然裕福にな
り、多くの人が一夜の内に成金と化した。しかし、彼らの人間性は
最劣等のものだ。韓国人はいたるところで自分たちは金持ち民族と
自慢しているが、実際はさほど展望もなく、一回の経済危機で亡国
の危機に晒され、いまでも後遺症を引きずっている。韓国人のケチ
はひどいもので、ときには可哀想に思う。彼らは自販機で買ったコー
ヒー缶一杯(日本円で7円程度)をあなたにおごったら、 一々心に
留める。 だ韓国人から唯一見習うべきところといえば、彼らの団結心と愛国精
神だろう。彼らの短所はここで、長所もここにある。彼らの性格は非
常に陰湿で、目的達成の為になら手段を選ばない。日本で最も多い不
法滞在外国人は韓国人である。彼らは日本に行ったら帰りたくなくな
る。金を稼いでから帰国する。日本にいる韓国人留学生でアルバイト
をしない人はいないのに、彼らは我々中国人の留学生が韓国でアルバ
イトをすることを嘲笑する。
日本では凶悪犯罪を犯す韓国人が多い。しかし、新聞や雑誌は、一切
報道しない。反対に「中国人が日本や韓国でこんな凶悪犯罪を犯した
ぞ」と言うのだ。 多く中国人が日本人を深く憎むというが、侵華戦争の当時、多くの
朝鮮人も日本人の手下として、日本鬼子の旗を掲げて多くの悪事を
働いた。彼らはその責任をすべて日本鬼子になすりつけた。彼らだ
って我々中国人の恨みを受けるべきである。
576 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:22:00 ID:gShFh9T6
【追記:訳漏れ】
韓国の老人は非常に恐ろしい。彼らは分からず屋で、平気で若者を罵る。
韓国の学校の歴史教科書は歴史を改ざんし、我々中国数千年の悠久の歴史を
簒奪した。韓国の小学生はみな中国人は貧しく無能だと思っている。彼ら
の文化教育は韓国の子どもを東アジア最高の民族に育て上げようとしてい
る。これは昔のヒトラーや日本鬼子と同じだ。ちょっと前、韓国はなんと
端午節を韓国の歴史文化日に申請したのだ。さらに多くの韓国人が、古代
我々中国の長江中流域から山東半島と東北三省にかけてすべて韓国の領土
だったと称するのだ。私は韓国ではニュースを見たくない。なぜならニュ
ース報道の多くが、中国産の劣悪な米が韓国に流入している、中国産の劣
悪な朝鮮人参が韓国市場に出回っている、韓国の携帯電話技術が中国に盗
まれた、韓国の実業家が中国に大量の投資をして中国を貧困から救った、
と中国に関連するニュースがすべて悪い方面の内容なのだ。テレビで中国
に関する記録映像を放映したら、これもまた中国の辺境の最貧困地区の山
村で、みんな最貧困層の人たちだ。韓国のテレビに出てくる中国人女性は
みな緑色の頭巾をかぶり、男性は服が破け、子どもは黒く痩せていて、ま
るでアフリカ難民だ。
577 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:27:06 ID:gShFh9T6
国のみなさんは韓国のスターの華麗なファッションと観光宣伝以外、
韓国という国については全く無理解の状態だと思うので、今日は一つ
皆さんに韓国の真の姿をお見せしようと思う。
当時、日本から飛行機の乗換えで私が始めて韓国に寄ったときだが、
金浦空港に飛行機がついたとき、ここから一刻も早く逃れたい、そう
いう衝動にかられた。飛行機の上から眺めた韓国は私の想像とひどく
かけ離れていた。
低くて汚い家屋、禿山(当時は冬だった)。当時の国の玄関口である
空港はまだソウル近郊の金浦空港だった。実際のところ、今さっき東
京の空港から飛びたったばかりの私は国の玄関口がまさかかくも小汚
く狭いとは全く信じられなかった。
空港内のスタッフの態度も日本の空港のサービス品質とは月とすっぽ
んだった。称号こそ「礼儀の邦」の大韓民国だが、(もっともこの名
前さえ反感を覚える。どうして中国の山東省の大きさにしか過ぎない
小国が、「大」韓民国などと呼ばれるのか)、旅行ガイドにあるよう
な情熱的な接客なんて全く無い。冷淡な表情、20度しか腰を曲げない
お辞儀、不愉快極まりない。
578 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:28:35 ID:gShFh9T6
しかし何の因果か2002年のワールドカップの時、日韓共催だったため、
政府派遣の通訳として、この極小国家の土を踏まざるを得なくなった。
今回は3ヶ月の滞在だったが、韓国をかなり深く理解できたといえるだろう。
まず、韓国の第一印象は「全く取柄が無い」の一言に尽きる。現代的な高層
ビルは全く中国の上海とは比べ物にならない。韓国の最高建築物は韓国人が
誇りにする大韓生命63ビルで、彼らはいつも「中国にあんな高いビルあるの」
と質問してくる。こんな無知で馬鹿馬鹿しい質問を。文化や歴史の重厚感にし
てみれば、北京には遠く及ばないし、ファッションや現代科学技術の点では、
日本の比ではない。
47 :名無的発言者:2007/12/12(水) 20:58:10
韓国の国土は非常に狭く、車でなら3日で韓国一周ができる。どの都市
の建築スタイルもよく似通っていて低くてボロい平屋建てか同じような
マンションばかり。農村なんて中国とさほど変わらず、貧しくしかも
腹をすかせている人も多く、さらには京畿道(キョンギド)でさえ電
気のない部落があるのだ。
着ている服も千篇一律で、何のファッション性もない。韓国ドラマの
俳優のような豪華さなんて微塵もない。同姓同名の人が多く、さらに
は顔の作りもよく似てる。彼らが整形手術にあんなに熱心なのはこの
あたりに関係があるのだろう。
ここで挙げざるを得ないのは、私のアシスタントをした鉄面皮な韓国
人女性のガイドだ。なぜなら、ワールドカップの期間中韓国にきた各
国のゲストのため通訳をするので、そのためまずは韓国のいわゆる名
所旧跡の理解が必要だった。しかし、実のところ、中国という大国に
生まれた私にとって、韓国は特に興味を引くところも無かった。
579 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:30:37 ID:gShFh9T6
支那人 朝鮮人に教えてやれ 道徳心・倫理観の無き韓国人 以上です またな ははは
韓国は自分達の国を「東方礼儀の国」と、自画自賛してますが・・・、『東方傍若無人国家』とでも名乗れば良いと思います。全く儒教国家というのは、どうしてこうも無礼極まりないのでしょうか?
韓国人は、まず『道徳心』が無い。道徳心のある人間は『恥』を知っています。そして、『倫理観』のある人間は、『ことの善悪』を知っています。この両方である『道徳心』・『倫理観』の無い人間を“鬼畜”と言うのだと思います。
犬や猫でも、叱られると恥ずかしそうにして、二度と同じ過ちを繰り返さないようにするものを、この韓国人は恥ずかしがるどころか、屁理屈をこねて、反対に日本側が無知であったと逆ねじをくらわせる始末!!もう人間として相手に出来るレベルではないですね。
犬や猫の方がまだずっと“素直”で“賢い”ですから・・・。
こういう国際的非常識なところは、朝鮮カルト宗教団体にソックリですね。さすが朝鮮カルト宗教を産み出した国ですね。 352「東方儀礼の国」の真の意は・・ さて、韓国人が誇るものの中に「東方礼儀の国(邦)」とういう朝鮮を指し示す言葉がある。
この言葉の本当の意味を知っている韓国人は少ないのだが、これは中国王朝から朝鮮へ贈られた言葉である。
即ち、中華の天子へ忠実に諸侯の礼を尽くしてきた朝鮮へ中国が上記の「東方礼儀の国」という言葉を贈ったのである。
直訳すれば「中国の属国として礼節を尽くした国」という意味なのだが、この意味を韓国人は全く理解していないのが、皮肉である。
中国王朝の属国における歴代国王は、原則皇帝の臣下と見なされる。朝鮮国王は中国皇帝によって任命され、中国の朝廷は朝鮮の王妃や王太子の廃立に至るまで、その権限を振るうことが出来たのである。
580 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:33:37 ID:gShFh9T6
昔、仕事の関係でソウルに約一年ほど滞在しましたので、取り合えず韓国人について。
当時、アメリカ、中国、ロシアからの駐在員と交流を持ちました。 駐在員同士の集まりで知り合った仲間です。
その中で積極的に 「私は韓国人が大好きだ」 という人は、残念ながらひとりもいませんでした。
逆に 「何年もいるが、韓国人が大嫌いなので、彼らとは仕事でやむなく付き合う場合以外は、関係を持ちたくない」 という人が数人いました。 特に中国、ロシアからの人たちに多かったように思います。
原因は 「カネ」 が絡むと平気で裏切る、厚かましい、礼儀を弁えないとか、色々あるようですが、それ以外にも、どうも韓国人は中国人に対して差別意識があるようです。
韓国はよく 「世界で唯一チャイナタウンが存在できない国」 と揶揄されますが、有色人種にはとても住み難い国のようです。 私の場合は、露骨な反日感情の対象にされる事もなく、無事任期を終えたのですが、今はどうなんでしょうねえ。
581 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:36:08 ID:gShFh9T6
はははは もう一つ
韓国の有名ファッションメーカー Ysb
(イエスビー)やune(アン)は、日本人
モデル(川原亜矢子など)、日本人カメラマ
ン、日本人スタイリストによるカタログやポ
スターをパブリシティに使用している。「日
本の・・・」との冠がつけば、理由はともあ
れ、人気が出るのが韓国の現状なのだ。
資生堂の化粧品にしても、なぜ売れるのか
はあやふやである。資生堂製品を愛用してい
る放送作家のワン・ポギョンさんは、資生堂
は島国の製品だから良いと言う。
「日本は海に囲まれているでしょう。日本女
性の肌は毎日、潮風に吹かれて痛んでいるん
です。そんな肌のケアのために、他の国より
日本の化粧品は発達しているんですよ。」
一見なるほど、と思える意見だが、同じ島
国のインドネシアの化粧品が良いと聞いた話
しはない。
582 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:38:23 ID:gShFh9T6
[オピニオン]中国人の「嫌韓」
中国は韓国の第一貿易相手国だ。韓国に最も多く住んでいる外国人は中国人で、10人に4人の割合だ。留学生も毎年2万人あまり(総留学生の61%)が韓国に来る。外国人新婦の2人に1人が中国人だ。
しかし、中韓関係の表と裏は異なる。中国の新華通信が発行する新聞である「国際先駆導報」が中国人1万2000人あまりを対象にアンケート調査した「好きではない隣国」の1位として韓国(40%)が挙げられた。
◆中国人の根強い中華思想と大国病のためだという分析もあり、両国を行き来してお金を使いまくる韓国人の目に余る態度のせいだと指摘する声もある。知り合えば知り合うほど嫌う度合いが増すことになるという分析もある。
今回の調査で、中国人たちが日本を「好きな国」の3位、「好きではない国」の2位として挙げたことについて、日本の産経新聞は「愛憎が交錯するという意味であり、いずれにせよ関心の高さが伺える」と解釈している。
◆国内のある中国専門家は、中国人の「嫌韓」を「インターネット」のためだと説明した。韓国語に堪能な中国人が急増し、中国についての非友好的な韓国ニュースをインターネットで抜粋して掲載するので、
「反韓」の情緒を煽っているということだ。中国の官営媒体に抵抗する「代案マスコミ」として自らを位置づける彼らは、ナショナリズムの傾向が際立って強い。今年8月中国のダンボール肉まんニュースが韓国で話題になったときも、
中国では「韓国の経済発展は、アメリカの援助のおかげだ」とし、韓国人を犬にたとえて卑下する内容の「嫌韓ラップ」動画が回っていた。
◆日本の学者の高原基彰氏は、最近自分の著書「韓中日のネット世代が憎しみ合う本当の理由」で、中国の「嫌韓」、韓中の「反日」、韓日の「排中」感情を新ナショナリズムの発露だと説明している。
雇用不安による不確実な未来の前で、3国の若者たちが自分たちの不安を互いに隣国のせいにする傾向があるということだ。3国の「88万世代(月平均88万ウォンをもらう20代の非正規職)」が排他的民族主義を拡散させている格好だ。
これからさらに大きくなる大国・中国との付き合い方が問われている。
許文明(ホ・ムンミョン)論説委員---引用終了---
583 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:41:55 ID:j5hBrYjZ
日本に対する欧米の熱狂ぶりは、韓国人の想像を超えている。
マドンナは東京の路地裏を舞台としてミュージックビデオを撮り、
スポーツ選手は意味も分からず日本式の漢字の刺青を入れている。
寿司が高級料理として知られているかと思えば、日本式「禅」スタイルは
欧米の上流層が好む高級な生活様式として受け入れられている。
「日本」と聞くと、韓国人は経済大国を連想する。トヨタ自動車やソニーの
電子製品に象徴される製造業強国というイメージが絶対的だ。
一方、日本文化に対しては、「倭色」として質の低いB級の扱いをする。
韓国人は経済を除いた残りの分野、すなわち日本の文化や生活様式・美意識・
価値観などについては、評価を出し惜しみして低く見る傾向がある。
「朝鮮日報」
「日本文化に対しては、「倭色」として質の低いB級の扱いをする。」
ここが変だ!ウリナラ文化はA級だと思いたいんだろうがそれは倭人が
半島に築いた古代文化であって、ワイ族の文化というのはD級乞食
文化にほかならない。
584 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:42:50 ID:gShFh9T6
中国人の見た韓国
中国人民から韓国36へ訊く ”貴方が恥知らずでなければ誰が恥知らずなのか?!”
1.あなたたちは、かつて中国の藩属だった事実をなぜ否認するか? なぜ以前天朝に来て貢ぎものをささげ、大国が討伐の兵を挙げないようにしたあなたの行為を、
恥知らずにも、このように言う。"両国の友好往来であり、平等的外交で互いに贈っていた”と。
2.あなたたちは太極の図案を盗用して、五行の八卦の中の四卦と陰陽の魚を剽窃し、あなたたちの国旗をとみなすが、中国人民の同意を経た後か?
3.あなたたちは古来より漢字を借用し、いまだに文字の中の一部に相変わらず漢字を挟むが、中国人の許可を経た後か?
4.あなたたちは勝手に中華民国の"民国"の国号を使うが、中華民国政府に知らせを打ったか? あなたの国家はそんなに小さいのに、"大"韓民国を僭称するが、
この大の字はあなたたちを 36年統治した前宗主国の"大"日本帝国を剽窃したのは明らかだが、あなたたちは承認するか?
5.いわゆる"大韓民国憲法"は 1948年に南京で制定された中華民国憲法を剽窃したものだが、あなたは思い切って承認するか?
あなた方韓国の法律のほとんどは、台湾の"六法全書”(憲法、刑法、民法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法)と全く同じだが、当時の中国の優秀な法条の焼き直しだとあなたたちは認めるか?
585 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:44:01 ID:gShFh9T6
はははは6.チェコ人は憚ることなく、このように語る、すなわちドイツの近くにあり、発達したドイツのモデルを参照して、地の利の便宜を取り入れて、その発展の由来とするのを認めるが、
あなたたち韓国人は承認するのか?世界第二の大経済体の日本が非常に近くにあって、技術の勉強に便利で、日本の成功経験を取り入れたが、それは近隣の利点を得たのだ、と。 あなたがたはどうしては否認するか?
中国人は信じない。もしあなたがたの東の国が、キューバ、ジャマイカあるいはインドネシア、マダガスカルなどの後れた島国だったら、あなたたち貧しい南の朝鮮は 1970年代に急速にそびえ立つことができただろうか?
7.あなたたちの大韓民国臨時政府は、 1940年代上海と重慶で執務し、今日あなたたちは独立したが、心から中国に感謝するか? あなたたちの教科書の中で蒋介石先生に対する感恩を載せるか?
あなたたちの教科書の中で"中共の軍隊"を削除して、なぜ朝鮮戦争の不実不敬の言辞に干渉するか?
8.中国原産のむくげの花をあなたたちは"限りがない花"を改めて呼んで、また国花を見なしたが、あなたたちの字典の中ではまだ"ムクゲの花"と呼ぶのを知っているか?
9.あなたたちの国歌の中に"長白山"は韓国橿土とのあるが、これは適当でない歌詞で、そこは中国の領土というのをあなたたちが知っているか? 中国人民に修正を告げるのは、いつですか?
10.豆乳は、中国で漢王朝の淮南王により発明されたが、あなたたちのは、現在から何百年か前の発明だが、2000年前より何百年前が早いのか?
586 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:45:16 ID:gShFh9T6
11 あなたたちは独立後、在韓華僑に対して"外国人財産制限法"を制定し、この悪法は華僑のささやかな中華料理店を営業できないようにして、
家屋を買うのもなお韓国籍の女房の名前を使うことになり、六万華僑 が アメリカと日本と台湾とアルゼンチン に 流浪 して、どうにか生計を立てる事態を招き、今たった2万の年老いた華僑だけになって、
あなたたちはインドネシアと並ぶ排華というのにぴったりだが、あなたたちはこれに対してすまない気持ちがあるか?
12 あなたたちは独立後まもなく、極端に推進した"ハングル専用"政策は、もともと"漢字ハングル併用"を排斥であり、法規を制定する政府の公文書の中は漢字を使用する許さず、大通りの看板と告示は皆"国文化" し、小学校で漢字を教えず、
中学では教えるの漢字の数量を減らし、新聞の見出しの上に、しばしば目立たせる効果を増すために使う位に残るだけで、少数大企業と内部の文書だけは使用して、十年来"脱中国化"の悪果として、漢字文盲の一世代を養成したが、
あなたたちの北方地区政権はまったく漢字を廃止した、あなたたちの内心腹の中 は 中国が好きではないというのは正しくないか?
13.1960年代あなたたちは役人をしばしば台湾派遣して、経済建設を考察し台湾の経験に学んだが、あなたたちは承認するか? 1966年朴正煕大統領が台北でよい経験をし、
蒋介石に謁見し教えを乞うたのであるが、あなたたちはまだ覚えているか? "兄弟の国"である自由中国(即ち台湾、韓国人は当年台湾当局をこのように称した)は長兄だが、あなたたち弟は忘れたのですか?
587 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:46:24 ID:gShFh9T6
14.1965年韓日は外交関係を結んだが、あなたたちは、日本を強迫し、韓国人の名前につき日本語の漢字読みを許さず、韓国人の漢字名につき、
韓国語での発音を用いるように求め、日本政府が漢城を改称し片仮名の" ソウル”(日本語で読むと”ソウル”に似ています)とすることを要したが、
これが韓国語の本来の内容だと言い、実際わざともんちゃくを起こして、全く余計な事をするので、日本の国民は普く詰まらないことだと感じたが、しかしそれを承諾した; 四十年前には思いもよらなかったが、
あなた方は中国を再び使ってのし上がって来た、1992年外交関係の樹立が始まると、
あなたたち は続々と中国に書簡を送り、外交部と教育部は"漢城"をソウルに改め、中国が相手にしないと、あなたはますます騒ぎ立て、 2004年中国語についての韓国の学者が会議を開き文字を選ぶとし、
市民を扇動して署名を集めて中国に圧力をかけ
、2005年 1月 19日ソウル市長の李明博が記者会見を勝手に開き、ソウルの中国語の訳名を発表する:首?。 一他国が中国に対し漢訳名称として二つ漢字を選んで、
中国側がもらうことを強迫する、良い、あなたは凶悪で残忍です、
あなたの妨害を勘定して、十三憶人民はあなたに恐れ、中国共産党中央の機関新聞と新華社は率先して採用する、その後しだいに漢城は首?に変わっていったが、
あなたのやり方は実に勇敢で野蛮です、あなたは満足したか?
15.1988年あなたたちがオリンピックを開催し、なまいきな宣伝物で韓国7000年歴史を吹聴し、後自覚し6000年に修正したが 、あなたたちは知っているか?
あなたたちの祖先、東夷の始祖、大中国は5000年の歴史と称するが、
あなたたちの歴史は先生や祖父の歴史よりまだ永いとすることができるか?
16.1986 年ソウルのアジア運動会と 1998年オリンピックで、中国大陸と台湾と日本とアメリカとニュージーランドの運動選手は全て、
あなたたちが"愛国裁判"に手加減することなく[注:自国に有利な判定ばかりしたということ]、あなたたちは韓国の民族主義を激励・宣揚するために、
友情を喪失し、基本的な体育の精神 を 全て不要にしてしまったが、あなたたちは知っていますか?
588 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:48:44 ID:gShFh9T6
17.1992 年 8月 24日中韓は外交関係を結ぶが、それ以前にあなたたちと友好往来 43年の台湾当局に通知しなかった、"国益"を追求し秘密のまま電撃的に大陸と外交関係を結ぶ、いかなる外交照会もなく、
ただ一言の説明もない、絶交の前には必ず告知する以前の約束に違反し、外交礼儀を無視する、アメリカ、日本、サウジアラビア、シンガポールの例に従って台湾人民を尊重して、断交以後の台韓関係を処理すべきだが、あなたの絶交の方式は特に悪辣で、
実際、信も義もない、善良ぶった高麗人の面構えが変わるのを暴露した、今日台湾 の 同胞 は 皆とてもあなたたち南の韓人を嫌う、知っているか?
18.あなたたちは訪韓した中国人にいつも聞く。"あなたは現代を知っていますか?"、"あなたは三星を聞いたことがありますか?” 、63階のビルが中国にはあるか? (その他、たとえばも囲碁をする"? 箸を使うか? 中国はリンゴがあるか? 食べるか?
中国の留学生はサッカーを見るか、中国人もサッカーをするか? 列挙するのに耐えられない)実際厭で煩わしいし、なまいきな無知は中国人まで憤慨させるが、分かるか?
19.韓国キムチ?でも中国の涼菜の一種類です、あなたはその前の数年間、しょうもない登録の権利を日本と争ったが、この漬け物は全人類は作ることができる、四川泡菜とベトナムのビルマ塩づけはとても有名です、
西方の酸っぱいキュウリのピクルスもとてもおいしい、あなたがた韓国につい言えば小涼菜はおいしいか? 漬け物はあなた朝鮮の少ない人民のパテントですか? 幽霊ばかり信じる。
589 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:50:49 ID:gShFh9T6
すごい女性ですなあ
いやはや20.あなたたちの民族主義は極端過ぎる、1995年韓国中央博物館がこの欧式の精美な建築を取り壊しに着手する、ただそれが以前日本の駐朝鮮総督府であったからであるが、
世界の歴史学者と建築家は一面あっけにとられる、それは歴史の古跡、愛国主義の教育の場所として生きた教材です、意外にも掘削機を野蛮に使ってこれを取り壊したので 、
あなたたちのこの身勝手な理屈を照らしたが、[その理屈だと]前時代の台北の台湾総督府と長春の満州傀儡政府皇宮と満州国機関の建築もすべて取り壊さなければならず、
アメリカにイギリスが 殖民して 残 した 建築 はすべて取り壊さなければならないが、でも私たち大国がこうしなかったのはなぜか知っていますか?
21.孔子は私たち中国人の儒家の学説の創始者です、孔子さえも炎黄の子孫と自称するが、あなたたちは孔子を高麗人と言うと思いますか?
22.韓国人の私たち中国での待遇どうですか? そしてまた私たち中国人の韓国での待遇はどうですか? これがあなたたちの所謂平等な付き合いですか?
たとえば、明洞のある商店は書く、日本の遊覧客を歓迎する、中国の遊覧客は入店を断わる。 "中国の保安が犬に及ばない"ように、在韓中国人労働者を殴打するが、
あなたたちの中国人に対する態度ですか?
23.あなたたちが知ろうが知るまいが、50年代はじめ、アメリカに抗し朝鮮を援助する時、私たちの偉大な祖国は漢城を攻略した。
24.毛主席は私たちの国家の一番偉大な指導者です、あなたたちは意外にも敢えて公然と毛主席を侮辱する、すなわちこれは直接私たち13憶中国人を侮辱することであると、あなたたちは知っていますか。
25 あなたたちは 1960年代から、古い呼び方の黄海を、ひそかに徐々に"西海"に改称し、現在あなたたちの地図の出版社は、もう大部分、黄海を" 西海"と標記したが、しかし中国人はあなたたちに告げたい。
それは無駄です、英語は"YELLOW SEA"だから、黄海は永遠に黄海です。
590 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:52:37 ID:gShFh9T6
26 あなたたち中国語の学者を動員して会議を開き、漢城の中文訳名を中国が一つ選定する手助けをし、"漢城"を叫ぶが、あなたたちがただ"漢" の字が嫌いだからであるが、
それではあなたたちの漢陽大学 (ソウルのブランド大学)と北漢山(ソウルの名山)と漢江 (ソウル最大の河)と漢拿山 (済州島最大の山)をなぜ改めないか?
あなたたちの国土には至る所に"漢"があって、"漢"成分多いので直しきれないのは知っているか?
27.何千何百年来あなたたちは伝統医学を中国に学び、これは本来"漢医"と呼ばれるが、いつの間にかここ二三十年に始まって、だんだんと概念をすり替え て、
ハングルでは"漢"と"韓"二文字が同音なのをを利用し、漢医を韓医とすり替えているのだが、恥知らずなあなたたちはこれを知らないのですか?
28.明らかに中国の種族なのに、教科書を捏造し、考古学人類学の学界に政治力が介入して、法と漢人の切断に八方手を尽くし、中華と一線を画して、
自分が昔東夷の末裔と言い、 しばらくして自分はモンゴル遊牧民の種族と言って、"脱漢化"のためにはどんな手でも使うが、実はあなたは中華民族の一支流であって、
朝鮮民族は昔から半島上の東夷部落を吸収する漢人と倭人、そして東北の少数民族しだいに形成するが、漢族の血統 を 工夫を凝ら して排除する必要はなくて、
今日朝鮮族も中華民族大家庭の一員ですおや! あなたたちが物事の根本をを忘れているのは分かるか?
591 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:55:14 ID:gShFh9T6
29.韓国語(朝鮮_語)は明らかに語系が未明で、学界にはまだ定論がなくて、あなたたちはすぐ自分で韓国語を“アルタイ語系“と裁定して
、これを無理に適用して非常に遠方のトルコ、甚だしいのはハンガリー、フィンランドさえも全部あなたの身内語族であると言い放ち、
あなたのこの遠戚を見て知るかどうかを他人に質問することはありません;あなたの朝鮮語字母 (訓民正音、諺文)明らかに中国の漢字を模倣して創造したが、
これに反し、あなたの宣伝用の印刷物ではただ嘘をついて“世宗大王“発明したとし、サンスクリットやモンゴル文字を参考にしたこと承認する少数学者は隠蔽されて、
眼をあけてうそを話すことで、あなたたちのハングル文字(韓文)の部材は、ー(横)h(縦)丶(点)O(天円)口(地方)人(人)、元素はすべて鉄との一般的事実にあわせて、
漢字に由来しており、これを否定するのは無駄骨です、あなたたちは五百年余り前にできてからその後、直ちに中国漢字が縦書きを採用することを勉強して、
横書きの時には右から左向きに、1950年代以後、中国は横書きを採用してから、横書きでは左から右に向かって、あなたたちはこれに従って書いていて、多少の文字学の基礎のある人は全て、
あなたたち高麗の嘘を見破ることができる。30.あなたたち長期にわたって歴史を改ざんして、あるいは、知らないうちに国民を感化しています、中国長白山と天池から延辺の朝鮮族民族自治州ですが、
いわゆる"間島問題”(吉林省の一部分は韓国のものと話す)を捏造し、中国の華東と華北の沿海が古朝鮮の東夷の勢力圏だと言い、
中国の東北三省とウラジオストックとサハリン島のあたりも韓国の領土です、また、唐朝の勃海国は韓国人の創建ですとでたらめを言う、公然と勃海史を韓国史が継承したものをとみなす、
唐史の白黒を歪曲し、不分地は唐勃海の史料と読み解く、 あなたたちはとても恥知らずでいやらしいと感じないか?
592 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:56:41 ID:gShFh9T6
31.中国社会科学院と東北の歴史地理考古学者が集まり、建国後から特に改革開放のここ三十年の研究が大成する、中国東北の最も新しい歴史の研究の成果の集合を出版したいと思い、
十三億同胞と全世界人民に現れたのが"東北工程"だが、あなたたちが余命に寄せ集めて反対する、去年はやかましい一年だった、国会議員は率先して暴れ、ソウルの市民は署名で抗争する、
毎日中国駐韓大使館の前に抗議に来る、らっぱの呼びかけの騒音は人を煩わせ、また大胆にも大中国の五星紅旗を焼き払う、中国国旗はあなたたち高麗人が燃やすことができるものですか?
あなたたちの理知で抑えるように頼むのが少し良いか? 学術研究に政治が干渉するのは必要ないのではないか?
32.近代あなたたちが接した中国東北の同胞は皆、あなたたちを悪いと知っていて、あなたたちを"二鬼子"と呼ぶ、あなたたちは不法に鴨緑江、トマン河を越えて無断で開墾した、
満州傀儡政府の警察が棍棒を持って中国平民を殴ったが、あなたたちは悪人の手先となって、八年にわたる抗日戦争の戦場では、日本軍の朝鮮兵団は勇敢に突撃して、
中国軍民の同胞を切り殺すこと数えきれない、日寇の大本部は大いにほめたたえる; あなたたちは恥じるか?
593 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 11:58:54 ID:gShFh9T6
33.あなたたちの第一声は、いつもこうだ:"ああ"、何もない、私たちは 20年前にはもうあった”、あなたが感じる北京 (あるいは上海)の地下鉄はどうか? "私たち韓国との差は大きい、
ルートはとても少ない、北京の地下鉄の地図の印は韓国のものに学んだ、あなたは私たちソウルの地下鉄が世界第四なのを知るか?”、中国の発展のスピードがとても速いと感じるかと聞くと、
あなたは軽くあしらって"まだ韓国より二十年はおくれている"と話すが、中国人は奇怪に感じるのは、そのあなたたちがまだ中国に来るのか?
34.韓国で生活した中国人は皆知っている、あなたたちの民間ではまちがいが次々と伝播する、妖魔が中国人に変わるのは何百年の事ではありません、あなたたちに広く伝わるのは 中国人は入浴しない、
近代中国は貧しいと見下げる、当代の中国の分裂を待ち望む、これはあなたたち社会の共同の価値であり、集団意識であって、あなたたちの脳裏の深いところにある、このようなな"汚名化"は、隣国に何か利点があるか?
35.ここ五年来、あなたたちの政界と軍人社会と文化界と史学界と世論出版界と科学研究界は、横並びで暗黙の了解があるようで、中国に対して一連の猛攻を始めて、中国の社会は太刀打ちできず、中国の人民の感情は大きくきずつけられる。
36.あなたたちは中日の一時的な関係悪化を利用する、中国政府は日本ドラマの輸入数量を制限すると、急速に韓国ドラマを輸出して市場を不法占有する、日本ドラマの真空を補充する、"韓流"の看板を強く打ちだし、韓流が中国に蔓延させようとし、 "
親韓の一世代"を育成したいと思っていて、これら若い世代を将来中国での親韓 (仕事と文化と製品)の代弁者にしようとする、韓国の利益のために奉仕させるのだ。あなたたちは"親韓派"と"哈韓族"を同時に養成しているが、
これに反して、韓国は"返珠からから "と"青空を包む"の放送時間を制限し、中国の連続ドラマの輸入数量を制限する、両手政策をもて遊んで、しゅだんはきめが細かくなめらかで優れているとはいえません
;わが同胞が韓国の真実の顔と本質を皆はっきりと認職することができるように待ち望む、韓国と付き合いをする時韓国のわなと落とし穴に落ち ないように、自我を喪失して中華の気骨を見失ってしまいますよ。
(j-kanban bbsより)
594 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:00:45 ID:gShFh9T6
595 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:03:03 ID:gShFh9T6
◇韓流が嫌韓に”逆流”
最近韓国ドラマ”大長吟”が中国ネチズンの間で”一番嫌なドラマ”の1位に選定されたことがが知られて、国内ネチズンたちは大きな衝撃を受けた。一方で投票の公正性について疑惑が申し立てられたりもしたが、
嫌韓気流がこれから大衆文化を通じ表に出てきたという指摘だ。
皮肉としか言いようがないのは、中国が最初の”韓流”メッカとして韓国、特に大衆文化に対する愛情が一番大きかった国だったという点だろう。しかしこのごろは中国ネチズンたちを相手に行ったアンケート調査で、
韓国が日本を追い抜き一番嫌いな国家に選定されるなど韓国は”黄金市場”中国で苦戦している。
最近中国ポータルサイト”シナ ドットコム”では日本のマンガ”嫌韓流”を詳しく紹介し、韓国を誹謗した内容に熱い同意の熱風が吹いた。”嫌韓流”は原色的で刺激的な内容で韓国文化を誹謗したマンガだ。
これ以外に中国の主要インターネットコミュニティでは”これからは日本ではなく韓国が一番嫌いだ”と言うコメントが見られるようになった。中国ネチズンたちは韓国人を ”高麗棒子”(*記者注)と見下し”韓国は半端で歴史もなく、
民族自尊心もない国””他人の物を劣化コピーするだけ”と言い非難の声を高めている。
記者注(高麗棒子)=満州国で警官をしていた朝鮮人の態度が、日本人警官よりも酷くそのため中国人は韓国人のことを高麗の棒をもったやつの意味で”高麗棒子”を蔑称として使っていた。
596 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:04:28 ID:gShFh9T6
。"韓国人は中国人のパンツを穿いた猿"といわれるように、彼らには中国の
影響が重くのしかかっています。歴史的にも、自ら進んで中国古代帝国の下僕の道を選び、ついこ
の間まで自らそういう道を歩んで来ました(朝貢国)。古代からの戦いの歴史と極寒の地という
悪条件も影響して韓国人は非常に激しやすい民族です。上には媚びへつらい、下には尊大になると
いう儒教の教えもいまだ生きている土地です。日本統治が始まったころのソウルは亜細亜で最も不潔
なところだと基督教ミッションが写真撮影とともに記録しています。風土病を根絶し、埋もれていた
ハングルを韓人に再教育し、古代からの国家的従軍慰安婦習慣の悪習を廃絶させ、病院・学校・鉄道
建設を施し、禿山の朝鮮半島全土に植林を施し、重工業の基礎を築いたのは、殆んど全てが日本政府
と日本人民です。1980年代からようやく並みの国家らしくなって工業生産品を輸出できるようになっ
たのも日本国家および人民の残していった基礎が有ったからこそです。(その殆んどの製品は日本製
品のコピーに近い物ですが・・・)。そんなことには目もくれず、ひたすら反日・排日と騒いでいる
ようでは世界の人々の見る目が変わるのは当然の成り行きでしょうか。台湾国からも"忘恩の民-韓国
人"と言われているゆえんです。
そして戦いが好きな民族です。戦争も無いのに年中、四六時中、自国民同士でも揉め事をやっていま
す。本物の坊さんだって公安警察と大乱闘をする国柄です(2004年)。こんな事情が世界に知られて
いるので外国企業の韓国への投資金額は国の規模から見て異常に少ないですね。
ヴェトナムにまで出掛けて行って戦争をする"好戦的な民族"の件はご存知ですか。ある統計では総計
30万人が、先のベトナム戦争に参戦してずいぶんと悪辣なことをした証拠写真が無数に残っています。
越南人は今でもそれを恨んでいるし忘れていません。日本では報道されていないらしいですが、賄賂
事件などが明るみになる度にデモだストだを繰り返しています(殆んど毎月毎週)。特に東南アジア
では、韓国人は商売上で何か揉めるといわゆる"踏み倒し"で金を払わないで逃亡する民族だというの
が相場です。家屋のオーナーは韓国人に貸すときは前払いを要求するのが常識です。
いつまでスレ違いのコピペやってんだ?
598 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:06:53 ID:gShFh9T6
韓国統監府の初代統監 伊藤博文「しかし、日本は非文明的、非人道的な行為をしてまでも韓国を滅ぼそうとするものではない。韓国の発展は大いに日本の望むところであって、韓国自身が国力を身につけ、
発展するためならば、韓国は自由に行動してよい。ただ、ここに一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携するべきであるということだ。日章旗と巴字旗(韓国旗)が並び立てば、
それで日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を滅ぼすことがあるだろうか?」
「自分は、本当に日韓の友好を深めるために、誠心誠意尽くそうとしている。しかし、日清・日露の両大戦の際に、韓国は一体何をしたのか?陰謀以外の何をしたというのか?
戦争中は傍観者に徹していたではないか?君たち(韓国人)は、日本が、突然やってきて韓国を滅ぼそうとしていると思うのは、一体どのような根拠に基づくものか聞いてみたい。」
「日本は韓国の陰謀を断ち切るため、韓国の外交権を日本に譲れと主張した。だが、日本は韓国を併合する必要はない。併合は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも日本の指導監督が無ければ、
健全な自治を遂行し難いと考える。」
朝鮮の外交官李成玉
現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つ事はできない。亡国は必至である。
亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝を犬か豚のように思っているが、日本は違う。
日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。
そして日本は朝鮮を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。
それ以外に我が朝鮮民族が、豚の境遇から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
599 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:09:12 ID:gShFh9T6
1909年10月26日 韓国統監府初代統監伊藤博文がハルビン駅にて安重根により暗殺される。『馬鹿な奴じゃ』これが伊藤の最後の言葉になった。朝鮮と清国国境が定まる(間島協約)。
1909年12月4日 「韓日合邦を要求する声明書」一進会(百万の朝鮮人会員)
日本は日清戦争で韓国を独立させてくれた。日露戦争でロシアに食べられる寸前の韓国を救ってくれた。
それなのに韓国はこれを感謝しなかった。あの国に着き、この国に着き・・・結局は外交権を奪われる事になった。しかし、これは我々が自ら招いた事態である。
丁未条約を締結する事になったのも、やはりハーグ事件を起こした我々に責任がある。 伊藤博文が韓国の国民を見守ってくれ、皇太子を導いて韓国の為に尽くしてくれた事は忘れられない。
それなのに暗殺事件が起こってしまった。今後、どんな危険が到来するのかわからない。
これもまた韓国人が自ら招いた事態である。
・・・だから劣等国民として保護されるよりも、日本と合邦し大帝国を作ろう。世界の1等国民として日本人と全く同じ待遇を受けながら暮らしてみよう。
1910年 朝鮮滅亡、日本統治。日韓併合条約を結び、大韓帝国を、大日本帝国が併合。京城に朝鮮総督府が設置される。
600 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:10:53 ID:gShFh9T6
英国人女性旅行家イザベラ L・バード(旧姓)Isabella L・Bird(イザベラ L・ビショップ夫人)(Isabella L・Bishop夫人) 1894年1月(62才)〜1897年3月(65才)、
4回に渡り朝鮮各地を旅した紀行文『Korea and Her Neighbors朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』時岡敬子訳『
朝鮮紀行』講談社学術文庫「注。1894年から1895年日清戦争。
1895年大韓帝国独立。竹島編入は1905年2月22日。日露戦争勝利(1905年9月)。大韓帝国保護国(1905年10月)。
日本統治は1910年から。日本と朝鮮、まさに激動の時代の第一級の真実の記録であり、紀行文だ。日朝の原点が記録されている。日朝必読の書だ。」
第二章首都の第一印象 (1894年1月)・・・城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、
紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず、
したがって推定25万人の住民は主に迷路のような「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体および液体の汚物を受ける穴か溝で狭められられている。
悪臭紛々のその穴や溝(正確にはみぞ)の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。
路地にはまた「小間物」とアニリン染料で染めたけばけばしい色の飴を売る行商人もいて、溝の上に板をさし渡し、おそらく1ドル程度の品物を並べている。
とはいえソウルにも「大掃除」はあり、漢江の砂地や渡し船の上や麻浦からソウルにいたる路上で、みぞの中身を荷かごに積んで運ぶ牛を数えきれないほど見た。
601 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:12:54 ID:gShFh9T6
こういった溝に隣接する家屋は一般に軒の深い藁ぶきのあばら家で、通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙を張った小さな窓があって人間の住まいだと分かる。
またみぞから二、三フィートの高さに黒ずんだ煙穴がきまってあり、これは家の床を暖めるという役目を果たした煙と熱風の吐き出し口である。
終日粗朶を高々と積んだ牛が市内には入ってきて、六時にこの末の粗朶は住民の食事の支度と暖房に用いられ、ソウルの横町という横町をかんばしいにおいの煙で満たす。
路地に煙のたれこめる規則正しさは感心するほどである。かわら屋根の反り返った上流階級の家庭でも、通りから見た体裁の悪さという点では何ら変わりがない
・・・ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない広い水路を黒くよどんだ水が、かつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。
水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。
・・・周囲の山々は松の木が点在しているものの、大部分は緑がなく、黒い不毛地のうねりとなってそびえている
602 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:14:10 ID:gShFh9T6
第四章 ソウルの種々 ・・・ソウルには芸術品がまったくなく、古代の遺物はわずかしかないし、公園もなければ、コドゥンというまれな例外をのぞいて、見るべき催し物も劇場もない。
他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もないし、
いまだに迷信が影響力をふるっているため墓地もない!
清国と同じように孔子廟とその教えを記した碑があるのはべつにして、ソウルには公認の寺院が一つもなく、また僧侶が城内にはいれば死刑に処せられかねなかったので、
結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。
第三十七章 最後に 改革(貴族を廃止し、皆平民にした 。 )があったにもかかわらず、朝鮮には階級がふたつしかない、盗む側と盗まれる側である。
両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人(ハイン)は文字通り「下の人間」で吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。558頁
英国婦人の見た李朝末期 朝鮮の真実(証言集) 外国の方から見た日本と朝鮮
誰がここまで悲惨にしたか 李氏朝鮮統治518年の愚民政策が、身分統治が、ここまで悲惨にした。李氏朝鮮統治下にあった518年間、朝鮮は両班(ヤンバン)という支配階級が、
朝鮮の大多数を占める農民から搾取し続けたのだ。どんなに能力があっても階級の枠から出れないため、皆、やる気を喪失し、向上心をくじかれ怠惰になったのだ。
未開で悲惨な奴隷社会だ。全ての元凶は李氏朝鮮統治、日本ではない。上記写真や、記述の内容は、1200年前の日本の奈良時代以前(710年)だ。
朝鮮が誇りにする朝鮮王朝の愚民政治のために、1200年間文化は停止し、搾取する物など何も無い、最貧国になった。
603 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:17:08 ID:gShFh9T6
朝鮮の特攻隊員の妻 私はこの話(韓国の女性の小学校長のご主人が沖縄の特攻隊員として戦死した。そのご主人は特攻が決まると出身小学校を訪れ、校庭に桜の木を植えた。
成長した桜の木がある小学校に奇しくも彼女は赴任した。さびしいときはこの桜の木の下に立つと心が休まる、という話)を聞いて、日本人に知って貰いたいと思って、
ソウルにいる日本の新聞記者にそれとなく知らせました。A新聞の記者が、早速、その女性校長を取材しました。校長は記者を桜の下に案内しました。すると記者は「日本の軍国主義がご主人をだまして申し訳ないことをしました。」
と言ったのです。いつも謙虚な校長でしたが「だました」という言葉に激怒しました。「私の主人はだまされるような人ではありません。自分の意志で出撃したのです。だまされたというのは、人間に対する侮辱です。
取材はお断りです。」と。 「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著
われわれは戦わなかったから亡びた 「私は平素学生に対して、韓国人としての自覚を促している。日本の韓国併合に抗議する前に韓国人自身が考えなければならないことがある。
日本の韓国併合に対してアメリカもイギリスも誰も抗議しなかった。世界は当然のような顔をして受止めていた。それはなぜか。日清戦争のとき、清国軍がソウルを占領しても韓国人は戦わなかった。
だから日本が戦って清国を追い払った。ロシアが入ってきた時もわれわれは戦かわなかった。日本軍が血を流して戦い、朝鮮からロシアを追い出した。だから日本はこれ以上トラブルは嫌だと朝鮮を併合してしまった。
これに対して世界の列強は、日本がそうするのも無理はないとして一言も文句を言わなかった。このことを忘れてはならない。
韓国は自ら亡んだのだ。日本の悪口を言い、責任を日本に押し付ける前に、われわれは戦わなかったから亡びたことを知らねばならない。」
名越ニ荒之助「日韓2000年の真実」国際企画昭和55年、私は学生を連れて韓国を訪問したことがあります。その時会った某大学の学長(本人の要望があり、特に名を秘す)の言葉。
604 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:20:11 ID:gShFh9T6
伊藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。
彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。
伊藤公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。そこには 改革、公正、斡旋があった。(李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りがそこでは救済されるはずであった。
「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、両者の間に正義がおこなわれる ようにすべき立場に立っていると思う」と公はそう言明したのである。
カナダ人ジャーナリスト フレデリック・アーサー・マッケンジー 1906年 ロンドン・ディリーメール紙
韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳
を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代 から光明世界に導かれ、
未開時代から文明時代に進むべく手をとられて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、
彼らの生命財産は確実に保護 されつつあって、あらゆる面において、三年間に二倍の進歩を遂げた。
宣教師 ラッド博士
605 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:22:03 ID:gShFh9T6
日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れて しまったかもしれないが、
日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それに促されて行動したのだ。日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」 を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていたのはすべて、
韓国政府と締結した条約にもとずくものである。
1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」したからだった。パールハーバー(真珠湾攻撃)以前は、
日韓関係について 語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細かいころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。
トリート教授に よれば日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げてきた
そして宣言ではなく、条約で、最終的な併合を達成したのである」。
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」 手続きを踏んでいなかった。
606 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:23:40 ID:gShFh9T6
日露戦争後、アメリカは「事実の論理」を認め、韓国から代表を引き上げた。
韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は「韓国は自主 統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。
日本によって「その後三年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの 賞賛を勝ち得るような改善が多く実現された」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。
日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、 日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王 は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。
韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは 中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。
極東のこの戦争(日清戦争・日露戦争)を取り巻く状況には注目すべき
ことが多い。中でもとりわけ目立つのは、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶり である。我々は不本意ながら、
日本のすべての人間の行動を支配し動かす精神力の存在を認めざるを得ない。この力はいったい何なのか。
その存在 を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。勇気は西洋にとっても珍しいことではない。が、これは単なる勇気ではない。
その背後 にもっと違う何かがある。もし、西洋の軍隊がそれをもっていたら、西洋のすべての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったであろう。そういう 何かである。これは何か。これは何か。これは何か。・・・・・
1904年10月4日 ロンドンタイムズ紙
607 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:27:41 ID:gShFh9T6
劣等朝鮮奴隷猿のコンプレックスの理由
日本に併合を頼んで支配してもらった 日本に近代化してもらった
悲惨な属国奴隷の歴史が恥ずかしい 百済時代も日本の属国
国旗の由来が属国旗 奴隷と売春婦の子孫だ
日本の莫大な援助のおかげで発展できた 日本海表記が悔しい
竹島問題で論破されっぱなしで悔しい 歴史捏造民族だ
世界的に有名な文化がほとんどない そもそも韓国の存在自体がマイナーで、認知度が低い
日本文化が世界中で大人気で悔しい 偉人が少ない日本人を韓国系と捏造して自慰している
身体能力が日本人より劣等 競争の激しいメジャー競技で金メダルを獲得できない
日本が世界2位の経済大国・先進国で悔しい 先進国首脳会議に参加できない
労働時間は日本よりずっと長いのに貧乏で生活の質が低い 家が狭い
受験地獄、兵役、労働地獄が辛い 韓国の大学は低レベル 日本人より寿命が短い
移民希望者が大量にいる 不衛生で下品な国 娯楽が少ない退屈な国 田舎臭い
人口が日本より少ない 領土が日本より狭い 科学技術が発達してない
世界を驚かせる斬新な新発明がほとんどない 世界で韓国の大企業が日本企業として認知されている
一生懸命稼いだ貿易黒字の半分を日本に貢いでいる ノーベル賞を全然獲得できない
黄教授の世紀の捏造が恥ずかしい チョスンヒが恥ずかしい 世界3大映画祭で最高賞を獲得したことがない
海外で韓国を扱った映画がほとんど作られない 韓国女性を慰安婦(売春婦)として売り払った
韓国女性が日本を含む世界中で売春している 幼児輸出大国として有名
整形大国として有名。若い女性の多数が整形 顔が巨大で一重で不細工
強姦大国として有名 差別大国だ 武装強盗団を日本に大量輸出している
嘘吐きが多い 日本語を高校生の55%が勉強
いつもいつも日本を意識し、日本のことを考えている。しかし大半の日本人は韓国を意識していない
日本は肯定的影響国として世界中から評価されている(BBC調査)同調査で韓国は調査対象外
日本男性と韓国女性の結婚数>韓国男性と日本女性の結婚数
民度が低く、世界中で恥を晒している 海外の空港の入国審査で差別される
日本のpakuriしかできない国 9cmだ 朝鮮奴隷猿だ
608 :
マンセー名無しさん:2008/05/06(火) 12:31:15 ID:gShFh9T6
1637年 仁祖(朝鮮王)清に降伏。清の圧倒的な兵力の前に朝鮮軍はなすすべもなく惨敗を重ね、わずか45日で降伏。良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、
偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。明に替わり、清の皇帝を認める。我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、
この石碑を建てることにする。(大清皇帝功徳碑)。
朝鮮通信使
1840年 清と英国との間でアヘン戦争が勃発。
1842年 清がアヘン戦争に敗れ、衰退化。南京条約。香港の割譲など半植民地化の起点となる。
折角の良スレにまたコピペ馬鹿が湧いたか。
何とかならないものかねえ。
まあ幾ら埋めても継続スレを立てればいいわけだが。
610 :
⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒○ :2008/05/08(木) 09:03:25 ID:VfPlwdix
611 :
マンセー名無しさん:2008/05/08(木) 19:00:02 ID:GMmHyiH4
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-1578.html 韓国よ、自国の史実を学べ
丙子胡乱で虜囚となった朝鮮人60万人の苦難
【新刊】チュ・ドンシク著『朝鮮人60万人奴隷になる』(学古斉)
1636年の丙子胡乱(清が李氏朝鮮に侵入し、朝鮮を制圧した戦い)で仁祖が清の太宗に降伏した後、およそ60万人の朝鮮人が捕虜として連行された。
崔鳴吉(チェ・ミョンギル)は、「清軍が降伏を受け入れ、丁丑年(1637年・仁祖15年)に漢江を渡るとき、捕虜として連れて行った人は50万人余りだ
った」と書いている。丁若縺iチョン・ヤギョン)は、「瀋陽に 連行されたのは60万人で、蒙古軍に捕まった人はこれに含まれず、どれだけの数になる
か分からない」と記した。当時の朝鮮の人口は1000万人程度だった。全人口の6%が戦争捕虜として連行されたというわけだ。(中略)
-------
元言論人で、金永三(キム・ヨンサム)政権で政務・広報主席、文化体育部長官を務めた著者は、1980年代初め、米国ハーバード大で研修中に衝撃的
な話を聞き、研究を始めたという。大学のある人権セミナーの結論で、次のように語られたのだ。「韓国は17世紀にも清の要求に従い、自国民を供出す
るかのように、毎年数十人ずつ献上していた国だ。時代が変わったとはいえ、このような国で今さら人権を手に入れることができるのだろうか」。朝鮮
日報12月30日付記事より参照のため抜粋引用/写真は「日韓併合前(左)と併合時代(右)」写真館より参照のため引用
612 :
マンセー名無しさん:2008/05/09(金) 09:30:18 ID:6KKS1xEP
併合前の中の人…忙しいん?(´・ω・`)
>>613 本サイトの方の資料調査で時間を取られていて、こちらの方はまでちょっと手が回りません。すみませんが今しばらくお待ちを。
あーっわざわざレスありがとうございます。お忙しいのですね。
お疲れのところすみません。またーり待ってます。
併合前の日朝
李 「本大臣は少しも偏った念なく、努めて中正を旨とするアル! しかし竹添公使が我が将官に通
知もせずに兵を率いて王宮に入った罪は公使に帰するアル!」
伊藤 「それならば竹添公使がそちらの将官に通知をせずに王宮に入ったことが、一国の公使に対
して銃撃を加えた理由として足ると言うのか」
李 「決してそうではないアル! ただ竹添公使は順序を尽くさなかった! 我が方には朝鮮官吏と
人民が強く訴え出て『そもそも清兵が京城にいるのは国王を保護するためであり、今この国王の安
危も計られない状態なのに、どうして救援を拒めるのか』とまで言った。それで遂にやむを得ず我
が将官は兵を率いて王宮に進んだのである」
伊藤 「貴国の兵がどうして王宮に入ったかは今回の件には関係ないことである。貴国の兵が王宮
に入るのは、我が兵が王宮に入るのと同じく問題はない。ただ本大臣が罪を問うているのは、貴将
官が我が国の公使に銃撃を加えた一事である」
李 「我が兵から先に発砲したのではないアル! 先に王宮内から銃撃を受けて我が兵4人が倒され
たアル!」
(続き)
伊藤 「閣下の言うとおりなら、その銃撃は日本兵が発射したものであるという証拠はあるか!」
李 「弾丸がどこから来たかを証明する術はないアル! しかし王宮内には地雷も設けてあって我が
兵はそれに触れて数名が倒れたアル!」
伊藤 「貴国の官吏の調査書を読むと、日本兵が野戦砲をもって云々とある。これは架空の妄説で
ある。砲を持つのは大隊規模の時であり、当時はわずか1中隊の小銃隊のみである。まして地雷の
ようなものは全く別の隊に属する」
李 「それならば地雷は朝鮮兵が敷設したのだろう。しかし地雷の銅線の端には2本の日本刀がつ
けてあった」
伊藤 「はあ? その日本刀は何に付いていたと?」
ここで清側通訳の羅豊禄が答えた。
羅 「地雷の導火線の端に結びつけてあった」
伊藤 「プッ? それは果たして何のためなのか?」
(続き)
羅 「何のためか知らないがとにかく結びつけてあったのを発見したと」
日本側一同吹き出すw で、清側も呉大臣がたまらずいきなり論語などを吐く。
呉 「閣下に一言申したい。論語に曰く『成事不説既往不咎(成事は説かず、既往は咎めず)』と
」
つまり、できちゃったことはもう言わない、済んだことはもう咎めないと。ようするに過去のこ
とはもう言うなとw
なるほど中国人は論語読みの論語知らずであるw
で、ここで榎本公使も発言。
榎本 「地雷の威力が強力なのは閣下も知っていよう。聞けば倒れたのは2人のみと聞く。どうし
てそう効果がなかったのか」
李 「いやいや、家9棟が破壊された。しかしそこにいたのは2名だけであった。もし大勢がいた
ら多数が死んでいたろう」
皆が勝手に発言しだして訳が分からなくなったことにより、伊藤が声を上げた。
(続き)
伊藤 「それではこれより貴国兵が京城居留の我が人民に向かって凶暴を尽くした件に移る!」
しかし今度は続大臣が即座に反応した。
続 「決してそういうことはなかった! かえって我が兵は貴国の婦女などを仁川まで護送してい
る。どうして凶暴をする道理があろうか」
伊藤 「そちらからはそうではないという証拠を出せ! こちらからはそうであるという証拠を出
す!」
伊藤はここで被害居留民の口述書の漢訳文を提出。
李 「清人と韓人の服は異なるが兵の服はよく似ている。それとも狡猾な韓兵が清兵に扮装したの
かもしれない」
伊藤 「閣下にはまずその被害者の口述書を読んでから意見を述べられよ。その口述書は、貴国兵
から暴行を受けた我が人民を仁川に於いて我が国の官吏が調査したものである」
李 「惜しいアル。この口述には加害者の名が一人も書かれていないアル」
伊藤 「はあ? 閣下はよく考えられよ。およそ凶悪犯の内で自ら名乗った後に手を下す者がおろ
うか」
(続き)
しかしこの議論は伊藤にとっては最も困難なものとなった。何しろ物的証拠なく、ただ被害者の
証言があるのみだったからだ。
清側は李が呉が羅が続が入れ替わり反論し、日本側は伊藤1人が応じた。
呉 「朝鮮では誰からもそんな話は聞かなかった」
伊藤 「閣下が面会した者は身の安全を考えて話さなかったのだろう」
羅 「朝鮮には各国領事がいる。彼等がそれを知らない理由はない」
伊藤 「各国領事が知っていたかどうかは知らない。また知っていたとしてもそちらにそれを通告
する義務はない」
呉 「本大臣が調査した時にはそのような事実はなかった」
伊藤 「暴行を受けた事を話せる人民は仁川に逃れた者たちなので、閣下が京城に入った時には出
会わなかっただけである」
呉 「閣下が提出した口述書は確かな証拠とし難い。仮にこれをひとつの訴訟とするなら、今閣下
が提出した証拠書は原告の一方的な主張なので、これに対して被告からの証拠もなければならない
」
伊藤 「この案件は訴訟事件ではない。口述書を提出したのは我が政府が貴国政府に対する要求を
貫徹せんがためである。本件を訴訟と同一視するなかれ」
呉 「我が方の反証は今は準備がないので、追ってまた我が方で立証することになろう」
(続き)
続 「朝鮮国王も我が兵の暴行はなかったと言っていた」
伊藤 「国王が知っていなかったことが事実の有無を証するわけではない」
続 「ドイツ領事にも尋ねたが、韓人が乱に乗じて日本人の居宅に入って乱暴したと言うのみで、
我が兵が罪を犯したということには言及しなかった」
伊藤 「ドイツ領事が京城の巡査長に任じられたということを聞かない。どうして領事が一人の貴
国兵も乱暴しなかったと知ったのか。そのようなもので我が方が提出する確固たる事実が覆るとお
思いか!」
続や呉大臣たちは返す言葉を失した。
伊藤 「貴国兵の凶暴に関して詳述した事項、及び我が被害民の口述書、それらは貴政府に対し、
我が方に相当に満足を与えるべきことを要求する主旨のものであって、もとより無理難題を求めて
いるのではない。凶暴を加えた形跡を残した事実に基づくものであって、このことは両国で協議妥
結するところがあろうと思うものである。根拠なき証で強いて要求していることではないことを閣
下には了解されよ」
李 「要するに重大の事件ではない。被害者の中で1人も死亡した者がいない」
伊藤 「閣下には口述書の冒頭わずか2、3行を一瞥しただけで読了されたようである。書中には
それぞれ事情異なる件が述べてある。まずは最後まで読まれてから事の軽重を論じられたい。重大
な事件であることは明白である」
(続き)
口述書をよく読みもせずに、その内容を勝手に断定する態度は李鴻章も呉大臣も同様であった。
呉大臣は婦女子の口述であるから誤りがあるだろうと言い、次回第3回での談判に於ては李鴻章も
やはり分別のない婦女子の口述であると言ってその信用性を疑った。しかし口述書には実際は男性
の証言の方が数が多かったのである。
伊藤 「ちょっと聞きたい。貴国の習慣では婦女子の供述を一つも証拠として認めないのか?」
李 「もとより証言に男女の区別はないアル。しかしよく審議して偏った言は信じてはならないアル。
結局は、原告被告両方の述べることを審議するのが世界の通例ではないか」
伊藤 「本大臣は忠告しよう。本件は両国交渉の事件となった以上は、普通の法廷おける訴訟を審
議すると同様に考えてはならない。仮に我が国が原告となり、貴国が被告となっても、日清両国の
上にあって裁断を下す国はないのである」
尤も、当事国が了解した上で第三国に仲裁を依頼して裁定を仰ぐという方法もあった。
さて、4月7日の第3回会談に於ては、冒頭に李鴻章が清国は日本との和平を望んでいることを
説き、そのためには和平という大事の前には小事、つまり瑣末な事件のことは問題としないことが
大切であると説いた。
伊藤はそれを受け、日本も又清国との和平を望んでいると説き、その障害となる事件については
両国がよく協議し、互いに譲歩して解決することが大切であると説いた。
やがて伊藤がこれまでの議論の問題点を整理し、箇条にして逐一論駁したことから再び議論とな
った。
(続き)
李 「我が兵が貴国人民に凶暴をしたこと、及び貴国公使を銃撃したことなどは本大臣が聞かない
ことである。とくに竹添公使は当時王宮にあり、それを攻撃しようとするなら我が兵は朝鮮国王に
まで攻撃をすることになるではないか。閣下も少し考えられよ」
伊藤 「本大臣は朝鮮国王の全権大使ではない。国王に関係するものなら本大臣は言うことはない」
李 「しかしこの事件は朝鮮で起こったのではないか」
伊藤 「事件の起こった地を見る必要はあっても、本大臣を事件の起こった地の国の使節とするな
かれ」
李 「本大臣は、閣下が言われるまで我が兵が貴国人民に凶暴を行ったことなど聞かなかった」
再び榎本公使が突っ込む。
榎本公使 「ん? それはおかしいでしょ。その件は通知書として前もって僕が総理衙門に行って
そちらに交付したから、閣下はそれを持っているはずだけど」
李 「それなら閣下は自ら総理衙門に行って王大臣に会ってその通知書を渡したのか」
榎本公使 「うん。王大臣は、もしこれが事実なら実に深く驚き嘆くことである、と言っていたが
。これは呉氏が朝鮮に調査に向かう前のことだがね」
呉 「本大臣は公平を旨として少しも偏った念はない。ゆえに罪を犯す我が兵があれば罰するもの
である。しかし調査したがそのような重罪を犯した者は発見しなかった。また兵営の規律は最も厳
粛であってそのような事が生じることはないと信じて疑わないことである」
(続き)
伊藤 「本大臣は少しも呉氏を責める気はない。よく考えられよ。重罪を犯した兵が自ら自分の罪
を訴えて出ようか。まして被害を受けた我が人民らはすでに京城を去って仁川に難を避けている。
また呉氏は、清兵営の規律は厳粛であると誇られたが、昔、孔明は涙を揮って馬謖を斬り以って軍
律を正した、との美談は貴国の歴史にあって永く消滅せず。呉氏は麾下の将官に対してもまた孔明
の馬謖におけるが如くでなければならないのでは?」
李 「我が方はこの件についてはまだ証拠集めをしていない。したがってここで決定する理由はな
い」
伊藤は微笑して、
伊藤 「呉氏は閣下が寵愛される人であるが、本大臣に対しても公平でなければ」
李 「閣下を満足させようとすれば呉氏の心中に背き、呉氏の意を満たそうとすれば閣下の意には
快くない。本大臣の困難さを思われよ」
伊藤は微笑したまま、
伊藤 「本大臣に情誼を尽くされることを要求する。本大臣は体格は矮小であるが、また一小国の
使節である」
李 「もとより閣下の官位が並び高いことはよく知っている。誠意尊敬を表するものである」
呉 「本大臣は李中堂の恩顧を受けている。願わくば閣下の恩顧も受けたい」
李 「このような案件は消し去るのが一番よい!」
(続き)
伊藤 「本件のような事は、その形跡が残っていないなら我が政府がこれを取り上げることはない
。人間一個人には徳義があるように、一国にもまた徳義というものがある。国としての徳義は一個
人の徳義より重いものがある。個人の間では徳義を破って互いに欺くことがないとは言えないが、
かりにも国家の間で偽証を提出して徳義を破壊してまで不法の要求をすることがあろうか」
李 「本大臣は閣下が偽証を提出して我が国に要求していると思っているのではない。本大臣もま
た徳義を破るような行為があってはならないことを知る。我が国は委員を朝鮮に派遣して調査した
。しかし閣下が述べられたような凶暴を行ったことはない。また委員もそれを知らない」
伊藤 「貴政府の委員はそうであっても、すでに貴我両国の案件となった以上は、貴国政府が努め
て公平に処分し、以て我が国を満足させられるよう要求せざるを得ない」
今度は李鴻章がニコリと笑い、
李 「それでは閣下は呉氏に同情もせず情誼も表さないと言わねばならない」
伊藤 「もし呉氏が後日公使となって我が国に来るなら、その時は充分に情誼を尽くそう」
李 「仮に我が方を被告として認めても、被告はまだその訴訟に関する準備が出来ていない時は、
これを調査して事実を明白にするまで何ら原告の要求に応じることは出来ない!」
伊藤 「貴論のようであるなら、我が国は貴国に対して和平を望んでいるという誠意を表明したに
も関わらず閣下には我が要求を拒否されんとするのか。もしそうならば閣下の言われることは本大
臣の使命を無に帰させるものである」
(続き)
李 「閣下が使命を全うするしないは閣下の心にあるはずである。それに閣下は重大な権力を掌握
されている。もし閣下が初めから要求しないと言うなら、貴国政府と貴国臣民の間で不満を言うこ
とがあろうか」
呉 「閣下の権力は李中堂を遙かに超えるものである」
伊藤 「今回の件では閣下と本大臣の間で妥結するのであるから互いにその権に軽重がある理はな
い」
李 「我が方としては、調査してもそのような事実はなかったと繰り返し申す外はない。明らかな
証拠も無しに将官を処分するなら告発を受けるだろう。証拠を得るためには当然その事実を調査せ
ねばならないことである」
伊藤 「閣下への告発は閣下の一身に関することであって、こちらから何も言うことはない。そも
そもこの案件を協議妥結するのは貴我両国全権大臣をおいて他にないことである」
李 「もとよりそうであるが、とにかく呉氏が調査してもそのような事実はなく、また知らなかっ
た。よって本件を判定するに足る反証を我が方は有していないと弁じざるを得ない」
伊藤 「本大臣は事を閣下と協議するにとどまる。本大臣と呉氏とで所見を異にする点について閣
下の裁定を求めるためではない。呉氏が閣下に何を報告したかは本大臣には関わりないことである」
李 「もとよりそうであるが、とにかくこれより我が方でなおも調査をした上でなければ、ただ閣
下の提出された証拠のみで直ぐに正確な事実であると認めることは出来ない」
伊藤 「この事は両国で決着をつける事件である以上は、両国代表によって妥結せねばならない。
このような場合は必ずしも証人などの召喚は必要としない」
(続き)
李 「双方で妥結するためにも我が国も証拠を集めねばならない。すでに貴方から我が総理衙門に
通知されていると言われるが、しかし総理衙門はこのことを本大臣に知らせていない。ゆえに閣下
の論を明確にするために、こちらでもこの証拠を調査せねばならない」
伊藤 「貴方がまだ調査していないことは本大臣の過ちではない」
李 「もとより本大臣は閣下の述べられることを全て拒否しようとするのではない。委員の調査報
告にその事実があったなら閣下の要求に応じることは躊躇しない。しかしいかんせん、我が方には
そのことを妥結する根拠がない」
伊藤 「貴方に根拠がないことを以て、我が方の確実の証拠を退けその効力を軽重視する理はない
のである」
議論は平行線のように見えるが、執拗なまでの伊藤の追求に李鴻章はじりじりと後退し始めてい
た。
しかしその後ついに李鴻章は、「そもそも日本人居留民被害の件は伊藤大使の話を聞いて初めて
知ったことであるし、また北京総署の総理衙門からも何も聞いていないし、交付された資料もない
ので今は決断は出来ない」と言って逃げた。
しかし実際は通知を受けていたし手元にも持っていた。何より新聞などで事件のことをよく知っ
ており、1月に天津領事の原敬との談話でもそのことに触れている。
清国政府の方針は、当初から事件そのものを認めないということであったらしい。非を認めず謝
罪せずは中国のデフォであるが、この時は事件すらなかったものとして通そうとする積もりだった
ようである。
(続き)
翌日8日、伊藤は李鴻章のいよいよの真意を探りたいと、榎本武揚公使を李鴻章の所に派遣して
談話をさせた。榎本と李鴻章は懇意な中であり、その談話もざっくばらん且つ本音の伺える内容と
なった。
榎本 「昨日の談判で閣下は北京総署から伊藤大使要求の件は何も聞いてないと申されたが、筆記
録もあるしそんなことはなかろう」
李 「その件はよく調べるとあった。付属の対話書の中にあった」
この狸親爺が、と榎本が思ったかどうかは知らないが、榎本はそれ以上追求しなかった。
榎本 「総理衙門で3日間議論したが、閣下の責任をなるべく軽くしようと思って王大臣らを困ら
せてやったよ」
李鴻章 「フフフ何を言ったアルか?」
榎本 「彼等は満州族の貴族であるが、まともな議論が出来ない人たちである。だから漢族の閣下
に不利なところだけ責任をなすりつけようとしているらしく思えた。それで、では北京廟堂の皇帝
陛下の御前で王大臣らが伊藤大使と直接談判するべきである!と言ってやったよ」
李 「ハハハ、それは無理なことアル」
榎本 「だろうねW それで彼等は天津で李中堂と談判されたいと必死に懇願したよ。だから、では
李中堂に真の全権を与えるべきであり何もかも任せてどういう結果となっても不問とするべきであ
ると言ってやった」
(続き)
李 「ハハハ、それは感謝するアル」
ここで榎本は黙り李鴻章が話し始めるのを待った。しかし李鴻章も黙っている。しばらく沈黙が
続き、やがて榎本が話しかけた。
榎本 「昨日の談判で双方の意中は判然としたように思う。そもそも自分は立場上両者の中間にあ
って妥結を助ける務めがある。貴殿も自分となら話しやすいだろう」
李 「実はそうである」
榎本 「伊藤大使は忙しい身なので無駄に日を過ごせない。案件に対して全否定されるのか全承諾
されるのかなど速やかに知りたいとの望みがある」
李 「予は伊藤大使の要求を全否定も全承諾もしないアル」
榎本 「では詳細を聞かねばならんか」
李 「要求の一つだけは承諾するだろう。そもそも撤兵の件であるが、以前から北京総署では撤兵
のことは拒否すると貴国駐在の我が公使から貴国政府の外務卿に知らせていたはずである」
榎本 「自分は知らんなあ」
榎本はパークスからは聞いていたが、外務省から正式にそのことの通知は受けていない。
李 「貴殿が知っていなくとも伊藤大使は必ず知っているはずである」
(続き)
榎本 「まあそれは分からないが、今度の談判は伊藤大使が主任者だから、外務卿は清国公使とは
正式な話はしてないんじなゃないの?」
この時、同席していた日本外務書記官が、当時通訳していたのは自分であると言って、清国公使
は、いずれ撤兵のことで話し合いをするつもりであると言っただけであると述べた。
李 「とにかく、北京総署は撤兵のことは承諾しなかったアル! それなのに更に伊藤大使は別の2
案件を提出した。この件は予が初めて知ることである」
榎本 「そうかなあ? 日本人民が清兵から多数殺害されたということは去年の内に自分がその報
告書を北京総署の大臣に手渡しているよ。それに日本や各国の新聞で話題になってたじゃん。それ
でも貴殿は知らなかったと言われるの?」
李 「そ、それは全く聞かなかったわけではないアル。しかしこれを見よ。口述書の中にある文章を
読んでも我が兵がやったという確証はない。たとえば『福井という老人は気力支えられずに石橋の
端で倒れた』とあるが、倒れた者ならまた起って難を避けたに違いない。あるいは奥川の妻の供述
には『俄然銃声が聞こえること数回、人の声が止んだ。これによって夫とその兄弟の死期を悟った』
とあるがこれもまた推測に過ぎないではないか」
口述書にある人物はすべて死亡者名簿に記載されていることは確かであった。40人近い死亡者
の内その3分の1は長崎県出身の人であった。
榎本 「死人から証言は取れない。また刑事裁判で用いるような詳細の口述書ではないが、仁川に
於いて我が人民の死体40人を受け取ったのは事実である。そこにある別の夫人が陵辱された1件
でも重大な犯罪である」
この夫人の場合、強姦され、夫は殺害された。
(続き)
李 「伊藤大使は我が方の調査は不十分であると言い、貴方の証書のみを根拠とされるが、それは
公平を欠いているアル」
榎本 「いやいや、呉氏が清兵の凶暴についてはまだ証拠を得ていないと言ったことに対し、伊藤
大使は、それは我が方の過失ではない、と答えたでしょ。それは言葉を換えれば呉氏の調査がいい
かげんだったから、という意味なのよ」
李 「そもそも漢城での事変で竹添公使がしたことは、朝鮮朝廷を転覆しようとした乱党を幇助し
たことに他ならないのは皆が知るところである。予はこれを伊藤大使に直接言うのをはばかる。た
だ貴殿に言うだけである。もし北京で同様なことをする公使があったなら貴殿はどう思われるか」
榎本 「いやいや、だから竹添公使は国王から要請されてるじゃん。だからあれこれ非難できる点
はないと思うよ。で、閣下がなおも異論があるなら伊藤大使に直接言えばいいじゃん。そもそも国
と国との間で起きた事は当事国で解決するしかないっしょ。各国を管轄するような裁判所のような
国はないんだし。で、先ほど要求の一つは承諾すると言われた。それは何なのか?」
李鴻章は言葉にせず、じっと榎本の顔を凝視した。
榎本 「おそらく撤兵の1件であろう」
李 「然り」
榎本 「しかしこれは要求ではなく協議の件である。要求は将官を罰することと人民殺害の2件で
ある。撤兵のことは両国の友好を確かなものにするための協議であって、これを承諾したからと言
って譲歩とは見なせない。これぐらいの役目ならどうして我が国が伊藤大使を特別に派遣しようか」
(続き)
李 「だれが要求しようが我が方の承諾は一つアル! 撤兵のことは北京総署では反対していること
であるが予は独断を以ってこのことだけは妥結したいと願っている」
榎本 「ならばそれを伊藤大使に言われたらよい。そして大使をやむを得ずそれで帰国して復命す
るほかはない。で、そうなると両国の平和を保つことは甚だ難しいことになる。これは自分が最も
憂えることである」
李 「撤兵を承諾するのは中国が貴国との我を保つことを重んじる厚意による。それで大使が不満
足として帰国されるなら仕方がない。我が国は戦争の準備に取りかかるほかないアル!」
そう李鴻章は言い放って、自分の通訳官に向い、
李 「のう、中国はフランスに対してすら戦を開いたではないか」
と同意を求めた。
榎本 「それはそちらの勝手次第である。ま、惜しむらくは我が皇帝陛下の御意もこれで無に帰す
ることになろう」
李 「御同様である。まだ他に話はあるか?」
榎本 「いや、ない」
李鴻章の元を辞した榎本は伊藤に談話内容を報告。
(続き)
榎本 「・・・ということで、あの老人、戦争する気ですぜ」
伊藤 「本国に、将官処罰と人民への賠償の要求が拒絶されるなら、本大使の使命は全く無用とな
るので速やかに帰国する、と電信するしかないか」
榎本 「・・・ゴクリ」
翌日伊藤大使はそのように日本政府に電信し、また榎本公使も、「大使の使命が徒労となる時に
は両国間で非常な事態となるだろうと李鴻章に言ったら、李氏は、それならば戦争の準備をする他
はないと言った」と電信。
それを受けた井上馨外務卿は仰天。ただちに返電して、
井上 「将官の処罰と損害賠償のことは強いて結論を出させる理があるとは思えない。出発前の政
府議論と我が皇帝陛下の御叡慮の御決裁によくよく注意されたい。しかし閣下の電報は閣議に諮る
ので決裁があるまで談判破裂とならないように努められたい」と。
井上 「俊輔、頼むっちゃぁ、無茶すんなよ、もう」
榎本 「という電報ですが、けどもう破裂したも同然じゃん」
伊藤 「フフフ、まだまだ」
榎本 「まだとは李中堂の言ははったりだとでも?・・・」
伊藤 「それは分からないが、まだまだ議論は尽くしてないということだよ」
榎本 「この上まだこの件で議論をすると?」
伊藤 「全力を尽くす他はない」
伊藤は解決案として奥の手を秘していた。
(つづく)
長編、乙でした。
乙でした。続きも楽しみに待ってます。
636 :
マンセー名無しさん:2008/05/16(金) 00:13:48 ID:V/dJHwXl
修正です。
>>632 榎本の言 「そして大使をやむを得ずそれで帰国して」
→「そして大使はやむを得ずそれで帰国して」
李鴻章の言 「中国が貴国との我を保つことを重んじる」
→ 「中国が貴国との和を保つことを重んじる」
いや、実に読み応えがあるなあ。
完結の暁には書籍化を望みたいもんだ。
害有省と害有省を志す椰子、必見必読だな
外交とはどういうものかが分かるな
今の阿呆どもは譲歩すれば良しと思っている節が特にあるからなぁ
勉強汁
ここに毒ギョウザ事件を解決するヒントがある(藁
>>639 この故事に倣うと、戦争しなきゃいけなくなりそうですがね(w
641 :
マンセー名無しさん:2008/05/17(土) 20:28:59 ID:gfhTWae0
【裁判】 「今でも日本人という意識しかない。韓国語できないと韓国でバカにされる」…
出入国管理法違反の在日韓国人、「母国」語る★2
ttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1211016357/258 258 :名無しさん@八周年:2008/05/17(土) 19:26:26 ID:x9NBeDrl0
朝鮮語は日本語と文法がほとんど同じで、日本語人にとっては世界一簡単な言語だ。
ネトウヨは認めたくないだろうが、日本語と朝鮮語は兄弟言語と言っていい。
語順も同じで、日本語の単語と助詞を置き換えればそれだけで通じる。
単語も音読みの漢字語で読み方も1種類だから、日本語人にとっては直ぐに覚えられる。
642 :
マンセー名無しさん:2008/05/22(木) 18:10:21 ID:cYHcFLsG
総督府が文法を決めたからですよ、とツッコミながらage
643 :
マンセー名無しさん:2008/05/24(土) 00:55:06 ID:gAm8MYLq
644 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 09:46:08 ID:40X303MC
10代の性犯罪: 韓国の強姦犯は米国の2倍・日本の10倍
どこかのファーストフードチェーンの牛丼の特盛りは具が3倍、ご飯は2倍といった宣伝を彷彿させる記事があった。
同じく朝鮮日報(4月17日付)には、「10代の性犯罪:韓国の強姦犯は米国の2倍・日本の10倍」と題する記事には、『韓国では今、10代の強姦犯が急激に増えている。
10代の人口10万人当たりの強姦犯の数を見ると、米国は6.0人、日本は1.1人であるのに対し、韓国は11.5人に上る。
つまり、日本の10倍、米国の2倍というわけだ』と。また云く、『この5年間の推移を見ても、米国は6.4人から6.0人、日本は2.1人から1.1人に減っているのに対し、
韓国は7.3人から11.5人と大幅に増えている』と記している。
さらに云く、『韓国の10代による性犯罪は、成人よりもさらに過激だ。10代による性犯罪のうち、強姦罪、集団強姦罪、強盗強姦罪が占める比率は45.6%で、
成人の31.7%を大幅に上回る。
中でも10代には集団強姦罪が多い。全体の50.7%は共犯者がいるという』(同)と。
同国の10代の性犯罪には、凶暴化、集団化の傾向があると謂う。通常の国家では、若年層に異変があれば、大人社会がある種の歯止めとなり、および対策を講じるものだが。
しかし、同国の場合は、犯罪抑止に機能すべき大人社会それ自体に、性犯罪が横行し、
強姦大国と揶揄(やゆ)されているのであるから始末におけない。この傾向は、「特亜を斬る」殿が「バ」が付く最新事例を数多く挙げられ、頻度高く発信しておられるので、「傾向」を読み取る上からも参考となる。
http://blog-imgs-21.fc2.com/s/p/e/specialnotes/811241229784145954.jpg人口10万人当たりの「10代による性犯罪」 (朝鮮日報)
公明党大臣(国土交通相)の“貢献”により、韓国からの渡航者が増えつつある現在、必然的に、その中の不心得者による「韓国式」の犯罪もまた増大する可能性がある。上記のような、韓国内の犯罪パターンを識っておかれると、
防犯に役立つ機会があるのかもしれない。また、もしも、外国人犯罪の増大によって、安心して公共施設を利用できない、との状況が顕著になれば、それでもなお、国民良識によって、特定国から大量誘致を図る公明党大臣を糺(ただ)すべきだ。
645 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 09:49:08 ID:40X303MC
韓国人女性の売春が韓国国外で急増している。韓国では04年に、売春行為を取り締まる「性売買特別法」が施行された。これによって居場所を失ったゆえの“海外遠征売春″なのか。
売春行為が法で認められているオーストラリアなどのほか、近距離の日本でも急増している。“遠征売春″は金銭トラブルなどで人身売買につながるケースもあるようだ。
韓国側の取締当局は、「それ以上に問題なのは、プロではなく学生や主婦が売春を承知で海外に出かけていることだ」と頭を抱えている。(崔世一)
今月8日、オーストラリアのシドニー市警に10人の韓国人女性が保護された。彼女たちは1日20時間以上も売春行為を行っていたという。
AFP通信によれば、売春組織は甘い労働条件で女性たちを誘い、偽造旅券を与えてオーストラリアに入国させたとみられている。入国すると彼女たちは旅券を取り上げられた上、想像以上の過酷な条件を押しつけられたという。
韓国の警察庁外事局関係者は、「性売買特別法」で国内に居場所をなくした売春婦だった可能性が高いとみている。
「たくさん稼げるという甘い話に乗って遠征売春に出かけても、密入国にかかった偽造旅券などの“斡旋料”や、現地で思いのほかかかった生活費などがかさみ、
売春組織からの借金が雪だるま式に増えていく。だが、それこそがブローカーの真の狙いで、彼女たちを底なし沼に誘う。早い話が現代版の人身売買
646 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 09:50:20 ID:40X303MC
2月11日URAに掲載
あの売国奴の集まりである社民党が党名変更十周年のセレモニーを二十日に開き、十本のロウソクを立てた「愛と平和」と書かれたバースデーケーキを用意し、
それを福島と村山、土井の歴代3党首がロウソクの火を吹き消したというアホなニュースがありました。
その潰れそうな社会党からさっさと逃げ出したネズミどものひとりである岡崎トミ子らが日本の戦争責任を検証することを目指し、政策勉強会「日本の歴史リスクを乗り越える研究会」を発足させるそうです。
呼びかけ人は、衆院は近藤昭一、達増拓也ら、参院瀬進、岡崎トミ子らの計8人だそうです。その設立趣意書は「(小泉首相の靖国神社参拝が)日本をアジアで孤立化させ、
経済的な国益まで失わせようとしている。第2次大戦から派生する様々な問題を『わが国の歴史リスク』ととらえたうえで、総括的・総合的な対応策を確立するギリギリの時期に来ている」と記しているそうですが、
何度も書くように靖國を政治問題にしたのは朝日新聞であり、それに乗った支那、朝鮮が騒いでいるだけで、アジアで孤立などしていません。連中にとりアジアとは支那、南北朝鮮の三国のことしかないのです。
岡崎トミ子は朝鮮戦時売春婦と一緒になって在韓日本大使館前で国旗である日の丸に対して拳を振り上げ抗議をしたドアホウです。
売国奴議員は早く辞めてほしい。
647 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 09:57:19 ID:40X303MC
名無的発言者:2008/05/25(日) 21:47:38
「日韓併合は、世界中の国々に賛成されたうえでのことだった。それに至るまでにはロシアのコリア占領を阻止するための日清、日露戦争での日本の勝利というプロセスがある。
日露戦争の勝利でコリアにおけるロシアの影響力を排除した日本はコリアを保護国にする。保護というのは、支配したのではないし併合でも占領でもない。清国や欧米列挙もこれに進んで同意した。
日本も保護は一時的な措置であって、やがてコリアに主権の回復をさせるつもりであった。とくにコリア総統府の初代統監である明治政府の元勲・伊藤博文はその意向が強かった。
ところがこの伊藤博文をテロリストの安重根が暗殺したことで多くの日本人が怒った。コリアの人々も日本の怒りに怯え、コリアの最大政党・一進会がみずから日韓併合を持ち出した。
それでも日本は国際世論を尊重してアメリカ、イギリスに同意を求めた。アメリカは”コリア半島は日本のものである(セオドオ・ルーズベルト)”と賛成、イギリスも外務大臣が歓迎声明で応えてくれた。
日本はさらにフランス、ドイツ、イタリア、ロシア、清国などにも了承を得てからやっと日韓併合に踏み切った。
国際的にも日韓併合は正当性があったということです。
648 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:00:33 ID:40X303MC
シナの皇帝から王の位をもらっていたころは朝鮮は奪われるだけだったけれど、日本に位をもらってからは、日本の膨大なインフラが投入されるようになった。アメリカの対ハワイ(※1)、
イギリスのミャンマー(※2)とは本質的に違う。謝罪どころか感謝されてもいい政策がたくさんある。
(※1)日本が日清戦争で以外に強かったのを知ったアメリカは、日本人移民が既に入っていたハワイを先に取ってしまえと、日清戦争の三年後いきなり軍事介入を行い、
ハワイ王朝の女王を退位させて王朝を潰してしまった。フィリピンでも同じことをやっています。
(※2)イギリスは1886年(明治19年)ビルマを征服した。そのときにビルマの国王と王紀はセイロンに連れて行かれて、その後どうなったかわからない。一説によると王子たちは皆殺しにして、王女たちは兵隊にみんなくれてやったという。
同じころマダカスカルでフランスも同様のことをやっている。
こういうのを”言い逃れが一切できない侵略行為”という。
649 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:01:47 ID:40X303MC
呉 善花)の見解
・「日本の東アジア進出は、西洋帝国主義の侵略とはちがって搾取と収奪が目的ではなく、革命と近代精神を伝播しょうとの意図が前提になっている。
日本帝国は朝鮮と台湾の民衆を搾取する旧体制を精算し、近代的な法の統治を実現させた。その結果、日本が統治する地域の住民は文明の洗礼を受け、より人間らしい暮らしを享受できたのである」
これは戦後の韓国人が教えられてきた歴史認識を全面的に否定するものです。日本統治時代については、「すべて日本が悪かった。日本のせいで韓国は塗炭の苦しみを味わわされた」というのが”韓国人の常識”です。
それを金さんは、日本の植民地になっていなければ韓国の近代化はあり得なかったと、全面的に日本の植民地時代を評価している。
韓国人特有の感情論をしりぞけて、非常に冷静に客観的に書かれていることに私はまず感心しました。
650 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:04:23 ID:40X303MC
何故韓国は植民地支配を許してしまったのか、許してしまった自分たちの弱点は何だったのかと省みる姿勢はまったくない。
・朝鮮半島に住んでいた日韓の古老を尋ねて聞き書きしたのが「生活者の日本統治時代」です。彼らは自分たちの周囲の日本人は「みな良い人たちばかりで、
ひどい日本人がいたことは戦後になって知った」というんです。これは統治時代の「生活者」として接した日本人の実像を、戦後反日教育を施されたことで、
「公的」には悪しき日本人として語らざるを得なくなったということだと私は推測しています。
651 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:10:38 ID:40X303MC
・日本の問題を言うなら、戦前の日本を糾弾したくてたまらない日本の左翼活動家たちが、韓国の反日感情(国是)に同調、火に油を注いでさらなる反日を煽っている。
残念ながら日本の政治指導者はその火消しをするのではなく、謝罪をすれば問題が解決すると思っているように見えます。それが逆効果でしかなく、問題の先送りにしかすぎないことになぜ気が付かないのか。
・韓国を対等の存在と認めるのなら、問題を先送りするだけの謝罪ではなく、自らの主張をきちんと投げかけるべきです。
652 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:13:18 ID:40X303MC
名無的発言者:2008/04/26(土) 14:09:02
支那人 朝鮮人に教えてやれ 道徳心・倫理観の無き韓国人
韓国は自分達の国を「東方礼儀の国」と、自画自賛してますが・・・、『東方傍若無人国家』とでも名乗れば良いと思います。全く儒教国家というのは、どうしてこうも無礼極まりないのでしょうか?
韓国人は、まず『道徳心』が無い。道徳心のある人間は『恥』を知っています。そして、『倫理観』のある人間は、『ことの善悪』を知っています。この両方である『道徳心』・『倫理観』の無い人間を“鬼畜”と言うのだと思います。
犬や猫でも、叱られると恥ずかしそうにして、二度と同じ過ちを繰り返さないようにするものを、この韓国人は恥ずかしがるどころか、屁理屈をこねて、反対に日本側が無知であったと逆ねじをくらわせる始末!!もう人間として相手に出来るレベルではないですね。
犬や猫の方がまだずっと“素直”で“賢い”ですから・・・。
こういう国際的非常識なところは、朝鮮カルト宗教団体にソックリですね。さすが朝鮮カルト宗教を産み出した国ですね。 352「東方儀礼の国」の真の意は・・ さて、韓国人が誇るものの中に「東方礼儀の国(邦)」とういう朝鮮を指し示す言葉がある。
この言葉の本当の意味を知っている韓国人は少ないのだが、これは中国王朝から朝鮮へ贈られた言葉である。
即ち、中華の天子へ忠実に諸侯の礼を尽くしてきた朝鮮へ中国が上記の「東方礼儀の国」という言葉を贈ったのである。
直訳すれば「中国の属国として礼節を尽くした国」という意味なのだが、この意味を韓国人は全く理解していないのが、皮肉である。
中国王朝の属国における歴代国王は、原則皇帝の臣下と見なされる。朝鮮国王は中国皇帝によって任命され、中国の朝廷は朝鮮の王妃や王太子の廃立に至るまで、その権限を振るうことが出来たのである。
653 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:16:47 ID:40X303MC
ちなみにこの当時、朝鮮を実質的に指揮監督していたのは、中国王朝の北洋大臣や直隷総督などである。
つまり国王というのは形ばかりのものであって、決して主権国家の元首として扱われていたのではないのである。
さらに朝鮮国王の中国王朝からの使節の出迎えは余りにも屈辱的である。
満州人の使節が来ると、朝鮮国王は自ら高官を引き連れて迎恩門まで歓迎に赴いて、地面にひざまずいて使節に敬意を表し、宴会を催し、芸を披露して接待しなければならなかった。
王太子は慕華館(迎賓館)で使節に酌の礼をするのが最大の役目だった。
654 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:20:43 ID:40X303MC
馬鹿チョンw韓国では2005年12月、「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」という凄まじい法律が公布された。
親日反民族行為真相糾明委員会という大統領直属の国家機関に「親日派」と認定されると、本人もしくはその子孫の財産が国家によって没収されるという法律だ。
実際問題本人はほとんど亡くなっているので、そのひ孫・孫の財産を事後法によって収奪するという法律だ。法治国家にあるまじき行為などというレベルではない。韓国は土人国家だ。
名目上は民間団体とはいえ、大統領直属の国家機関、親日反民族行為真相糾明委員会によって委員が任命されている親日人名辞典編纂委員会が民族問題研究所とともに編纂作業を行っていた「親日人名事典」の2回目リストが公表された。
今回のリストをベースに親日人名辞典は8月に刊行されるらしい。
この辞典に名前が掲載されることは、ただ単に祖先の「名誉」が汚されるという話ですまない。祖先に連座するかたちで、子孫は今現在の財産を没収されてしまう可能性がある。ものすごい話だ。
最初にリストが公表されたさい、ハンナラ党の朴槿恵氏の父、朴正煕元大統領の名前があり波紋を呼んでいた。大統領候補だった朴槿恵氏を失脚させるのが真の目的だったといわれていた。
しかし今回公表された「親日(売国奴)」追加リストには、元大統領以上にインパクトのある名前が掲載されていた。朴泳孝(パク・ヨンヒョ)と安益泰(アン・イクテ)だ。朴泳孝は韓国国旗(太極旗)の考案者であり、安益泰は韓国国歌「愛国歌」の作曲者だった。
韓国人といえば世界一の国旗フェチだ。しかし太極旗をデザインした朴泳孝は親日派の売国奴だった!!!さらに国歌の作曲者までもが、親日派の売国奴だった!!!
655 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:22:27 ID:40X303MC
そもそも韓国国歌(愛国歌)は、安益泰が作曲した管弦楽曲「韓国幻想曲」の終曲の合唱部分だった。しかし2006年3月、「韓国幻想曲」が、満州国建国10周年を記念して発表していた「満州交響曲」と同じ曲だったことが発覚した。
曲名が「満州交響曲」のままでは、二度と日の目を見ない可能性があると思ったのだろう。安益泰は曲名を「満州交響曲」から「韓国幻想曲」に変更したのだ。
安益泰は指揮者でもあったが、彼が自らベルリン放送交響楽団を指揮して「満州交響曲」を演奏するフィルムがドイツで見つかってしまった。
韓国国歌は満州の歌だった!!李氏朝鮮を建国した李成桂には女真疑惑があり、朝鮮人にとって満州はまったく縁のない話ではないのだが。
太極旗を考案した朴泳孝は親日派(=売国奴)だった!!
656 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:24:30 ID:40X303MC
wwww朝鮮半島の近代化は日本統治からはじまった。1910年(韓国併合)に1300万人しかいなかった朝鮮民族は1945年(終戦)に2500万人を突破した。朝鮮民族はわずか35年程度で人口が倍増した。
韓国は、自国の国旗考案者や国歌作曲者を自ら売国奴に認定した。荒唐無稽なファンタジー反日歴史観が完全破綻した瞬間といっていいのではないか。「日本統治時代は、すべて悪だった」が破綻したのだ。
韓国はついに自国の本当の歴史に真正面から向き合わざるをえなくなったのではないか。
657 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:29:24 ID:40X303MC
下記の漢文は日清戦争での清の宣戦布告書(宣戦上論)に書いてあることである。
「朝鮮為我大清藩属二百余年歳修職貢為中外所共知」
日本語訳では・・・・
「朝鮮は我が大清の属国であり200年以上にわたり毎年臣下の礼をとり貢物を
納めてきたことは国内外で知られていることだ」という意味だ。
要するに、清自身が「朝鮮は清の属国だ!200年以上も前からな!」と公文書
で明確に認めているということだ。
一方、日清戦争の講和条約である下関条約(1895年4月締結)の第1条では、
「清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す。因て右独立自主
を損害すべき朝鮮国より清国に対する貢献上典礼等は将来全く之を廃止すべし。」
(原文カタカナ表記)要約すると@朝鮮は清の属国ではなく独立国だ。A独立国
なんだから臣下の礼とか貢物を収めることは今後廃止するぞ。ということだ。
支那が千年単位で周辺国に強要してきた朝貢制度・中華柵封体制が、日清戦争の
日本の勝利で終了し、朝鮮半島は1897年に国号を大韓と改め、元号も宗主国
だった清の元号から朝鮮独自の元号「光武」に変更した。
属国時代に支那に臣下の礼をとっていた漢城(現在のソウル)にあった「迎恩門」
は取り壊され、属国から独立国になったことを記念して「独立門」が建立された。
658 :
マンセー名無しさん:2008/05/27(火) 10:38:20 ID:40X303MC
何だよ、伸びてるからwktkして見に来たのに、またコピぺ厨か。
今週はお休みだったんだね。(しょぼん
661 :
マンセー名無しさん:2008/05/28(水) 20:11:09 ID:ZlQG0xqd
朝鮮人が客観的に自国の歴史を見つめたら頭おかしくなるんじゃないか
もともとおかしいからあまり変わらないかw」
またコピペかよ!
なんで、このスレばかりコピペ落とすんだろう...
面白いんだけど、最近ウリには難しすぎるお
簡単にしてみたお
きままにの中の人が許してくれるなら続けるお
第一回会談 明治十八年四月三日
【両者あいさつの後】
伊藤 まず全権委任状を確認したいお
李鴻章 まず伊藤閣下の話を聞きたいアル
伊藤 まず全権委任状を確かめるのが慣例だお
李鴻章 わかったアル
【両者ここで委任状を交換して確認】
伊藤 これが清国の全権委任状ですかお
李鴻章 そうアル
伊藤 これだと談判の権利だけみたいだお
北京政府では李閣下には調印の権があると言っていたお
李鴻章 貴殿の言うとおりアル
伊藤 でも委任状には書いてないお
李閣下と条約を結んでも、あとで北京政府が反対することになるようなら、
おかしくなるお
李鴻章 それは閣下の心にある。伊藤閣下が無理を言うなら、しかたなく後で北京政府が
反対するかもしれないアル。なるべくワタシを困らせないでほしいアル
伊藤 ボクはどんなことでも批准なしに全権を持つお
ボクのすることは天皇陛下が自らされるのと同じだお
李鴻章 ワタシも調印の権があるが、結果は我が皇帝陛下の批准が必要アル
伊藤 君主が批准の権を持つのは当然だお
でも君主の批准は格式なんだお
両国全権大臣の間で決定したことを後で政府が排斥するようなことは、
ありえないお
李鴻章 そのとおりアル。だから2つ話すアル
一つ、我が国皇帝陛下には批准の権があるアル
二つ、伊藤閣下がワタシを困らせるような難しいこといわないなら、
条約は大丈夫アル
伊藤 わかったお。信じるお
李鴻章 ワタシの事情を察して、後で北京政府が反対するようなコト
言わないで欲しいアルネ
伊藤 事情があるのはこっちも同じだお
李閣下も日本の事情を察して欲しいお
両国代表、ボクたち同じ立場だお
李鴻章 両国の重大会議アルね
腹を割って話しあい、権謀を使うのは止めようアル
伊藤 同感だお
李鴻章 なるべく穏便、寛大に、また我が方に困難を多く加えられないようアルね
伊藤 談判の目的は、両国間の和好のためだお
まず案件を2つに分けるお
一つ、過去のこと
二つ、将来のこと
まず、将来の話しを始めるお
ずれまくって読みにくいお。すまなかったお。
666 :
中の人:2008/06/02(月) 22:25:28 ID:GvWfy9c+
>>663 >面白いんだけど、最近ウリには難しすぎるお
そうですよねえ。最初の頃のモナぉとニダーのコントみたいなやりとりの方が分かりやすくて面
白かったですよねえw
ついつい天津談判での伊藤の(`・ω・´)シャキーン姿に心惹かれまして、分かりやすく簡潔にとい
うのが出来なくなりまして(苦笑)
>きままにの中の人が許してくれるなら続けるお
どうぞどうぞご自由に手を入れてください♪
併合前の日朝(続き)
さて談判4回目は4月10日。
冒頭、李鴻章は先に将来のことを決めたいとして、撤兵問題を議題とするのを求め、伊藤は過去
のことも将来のことも軽重はないとしながらもそれに応じた。
李 「そもそも北京総署では、我が国の兵は朝鮮を保護するために駐留するのであって、それを我
が国の方から撤兵するような協議は必要ない、というのが政府決議アル。それは在日本公使に既に訓
示しているアル」
伊藤 「そ? 井上外務卿からは何も聞かんけど」
李 「それを協議できるように北京総署に受け入れさせたのは自分アル」
伊藤 「あ、そ」
667 :
中の人:2008/06/02(月) 22:27:44 ID:GvWfy9c+
(続き)
李 「よって、撤兵のことで両国が妥結できるなら、これで閣下は充分に使命を果たしたことにな
るアル。それをその他の瑣末のことまで満足しようというのはこちらとしては受け入れられないアル」
伊藤 「ま、先に撤兵のことを取り決めよか。で、閣下はいつ頃撤兵されるつもり?」
李 「突然の撤兵には朝鮮国王はおそらく反対するアル。前もって公文を出して朝鮮国王に通告して
おかねばならないアル。それにまた国王は新宮に座を移した。おそらく両国駐在兵の間で争闘が起こ
るかもしれないと恐れてであろう」
伊藤 「その事は上海新聞で本大臣も一読したよ」
李 「国王は我が将官には遷座の儀式に兵を派遣するよう依頼したアル」
伊藤 「上海新聞がその時の様子を詳しく記事にしているが、儀式に1人の日本人も招待されなか
ったとウソ書いている。とくに笑えるのが、『国王の儀仗列がまさに整然と行進する際に、日本代
理公使(近藤真鋤)は公使館の窓の隙間からこれを覗き見、この大礼式に参加出来なかったために
怨みを含んで頗る憂鬱の表情があった』と書いている。おそらくこの記事は我が国の人を貶める悪
意で作ったようだ」
李 「まったく愚かも甚だしい新聞アル! すでに現地の将官から報告を受けているアル。それによれ
ば、貴国代理公使の近藤氏もまた招待を受けており、そして貴国の兵300人が通路の左右に整列
して儀仗を警護し、近藤氏は小高い丘に設けられた場所でこれを監督したとある。よって窓の隙間
から覗いていたなどとは全く虚偽の記事である!」
(続き)
呉 「近藤氏が窓から覗いていたなどとは虚妄も甚だしい! 本大臣も朝鮮では近藤氏や貴国の将
官を招いて宴を開き互いに親密な交わりをした。そもそも新聞は信じるに足りないものアル!」
歴史問題を扱う場合、新聞記事を以て安易に傍証資料とする人があるが、どうなんだろねえ。資
料を扱うなら当然のこと資料批判は避けて通れない。がしかし素人の暇つぶし程度の筆者のような
者にとっては困難過ぐるぉ。
李 「で、撤兵のことは条文にする必要があるアルか?」
伊藤 「もちろん。それで閣下は前もって朝鮮国王に撤兵のことを通知せねばと言われたが、それ
は国王からの回答待ちということなのか?」
李 「そうアル」
伊藤 「閣下が国王に通知されるのは本大臣には関係ないことである。日清双方が撤兵を実行する
前に通知されたらよい」
李 「貴国はいつでも撤兵する用意があるのか」
伊藤 「然り。いつでも撤兵する」
李 「来年まで待ったらどうアルか」
伊藤 「はあ? 撤兵で妥結したなら、そんな猶予はないしその道理もないでしょ」
(続き)
李 「我が士官が朝鮮兵の訓練のために雇われているのは閣下も聞いておられよう。この者らは撤
兵に含めるべきではないアル」
伊藤 「何人ぐらいいるの?」
李 「およそ20名。それで1500人の朝鮮兵が訓練を受けている」
伊藤 「撤兵の条約では公平を旨とすべし。双方が妬心を起こさないようにせねばならない」
李 「我が国の士官が朝鮮に雇われたことが閣下から見て妬心を起こすことにあたるアルか?」
伊藤 「本大臣は何も思わないが、我が兵士らにとってはそうなろう。閣下にも長年の経験からよ
く考えられたらよい。以前、貴国政府が多くの英国人を雇ったときは他の欧州各国から妬心を生じ
た。我が国でもこのような経験は少なくない。よって条約を決めるなら公平均一を以てせねばなる
まい」
李 「そもそも朝鮮政府が兵を整えて自ずから独立国としての地位を護るのは、本大臣も又希望す
るところアル。これは朝鮮の内政に関するところで朝鮮政府が決めることであり、そして朝鮮政府は
我が国の士官を雇うことを望んだ。清国では多くのドイツ士官を雇っているが、我が兵を訓練する
ためである。朝鮮もまた自国の兵を訓練するために雇っているのであって他意はないアル」
はいウソ。李鴻章始め清国政府は決して朝鮮が独立国となることを認めていない。
伊藤 「貴国士官を雇ったのはいつからいつまでなのか」
(続き)
李 「別に年限の約束はないアル。しかし撤兵のことが決まったら改めてその年限を定めねばなるま
い」
伊藤 「閣下も知っておられるように、朝鮮には2派の党がある。一つ日本に賛成し、一つは清国
に賛成し、互いに憎み合って権を争い、相容れることがない。このままではいつまた事変を生じる
か分からないことである。両国が力を尽くしてこの対立をなくすよう努めるのは朝鮮のためだけで
はない。日清両国の和好を重んじるがゆえでもある。それでも貴国が士官を置くなら、それは朝鮮
国民の対立争乱を挑発するためである、と言われるようなことがあるなら本大臣はどう答えればよ
いのか。これでは我が国としては我が士官もまた置かざるを得なくなる。たとえ朝鮮政府に雇う金
がなくとも、日本兵の中には自費で朝鮮に行って朝鮮兵を訓練して日本党を助けようとする者がい
ないとも限らない」
かつて朴泳孝は支那党には内緒で元日本陸軍大尉を雇って朝鮮北部の兵を訓練させている。
李 「貴国には国王の依頼なしに雇われようという士官がいるアルか?」
伊藤 「剛勇の者で平穏無事に退屈して嘆く者は数え切れない。これらは自費でも朝鮮に行って何
かしようとするだろう。もしこのような者たちが朝鮮兵を訓練するなら、朝鮮内の党派争いはやが
てとんでもないことになるのは火を見るよりも明らかである。朝鮮兵が清国に行って訓練を受ける
のは構わないが、士官が朝鮮に駐留するのはやがて事変を招くことになりかねない」
李 「朝鮮は最も貧しい国アル。兵を我が国に派遣して訓練を受けさせるような費用はないアル。だか
ら国内で訓練させるのであるから閣下にはこれを了解されよ」
(続き)
伊藤 「朝鮮使節ですら旅費を払うことも容易でないのは全くその通りである。最後の使節は帰途
の費用も払えなかった。朝鮮人が赤貧洗うが如しなのは本大臣もよく知っている。しかも我が商人
に4、5万円の負債もある」
李 「我が国への負債も20万両にのぼる。とても償還できる望みはない」
とにかくね、つまりは日清両国は朝鮮に振り回されているんだよねえ。
伊藤 「とにかく貴国士官が朝鮮に駐留するのは本大臣は断じて反対する」
李 「それなら閣下は朝鮮を向上させることを望まないアルか?」
伊藤 「もし自国兵を訓練する士官を雇う費用もないぐらいなら、朝鮮が自ら文明に進むような大
計につくのも無理だろう。しかし本大臣が朝鮮の進歩を願うのは閣下よりも切実であるだろう。だ
からこそ清国士官を雇って置くのは断然反対である。先に言ったように党派の軋轢を招くことを避
け、朝鮮の平穏を望むからである」
李 「朝鮮駐留の士官はわずかに20名である。しかも高等士官ではないアル!」
伊藤 「事を起こすにはその20名が指揮をするだけで充分である。閣下には了解されたい。ただ
ひたすら将来の事変の再発を憂えるのである」
李 「考え過ぎも甚だしいアル!」
伊藤 「両国の友好にとって重大事であるから、深く考えねばならないことである」
(続き)
李 「それでは言おう。今や朝鮮は我が士官の訓練を受けるのを望み、貴国士官の訓練を望んでい
ない。なぜなら、先の乱を起こしたのは日本党であったことは朝鮮の誰れもが知るからである。実
際目撃した者は竹添公使が関係したことを信じて疑わない。まさに乱を起こしたのは日本党であり
、支那党ではなかったアル!」
伊藤 「日本党が企てた乱であったかどうかは朝鮮の内政に属することで本大臣には関係ないこと
である。日本党がその反対する党と決闘しようとも我が国には関係することではない」
李 「本大臣はただ事変の原因の事実を述べたに過ぎない。竹添公使が多少とも関与した以上は貴
国にとって関係がないとは言えないアル!」
伊藤 「それは閣下の疑いに過ぎない」
李 「疑いではない。朝鮮国王が親書を本大臣に出したアル!」
伊藤 「もし日本党が事を成功させていたなら、朝鮮国王が閣下に告げたものはまた全く違ったも
のであったろう」
李 「日本党には朝鮮国民は決して与しないアル! 成功するはずがない!」
伊藤 「それを言うなら、朝鮮国人は無知蒙昧であって、誰も政治を改良して悪弊を一掃するよう
な計画をする者があろうか」
(続き)
李 「貴国はかつて維新によって各国に名声を轟かせたが、朝鮮国中には政治の改良をする者がい
ないのは本大臣もよく知っているアル。まことに朝鮮国人の中で誠心から国家を憂い、進歩改良を図
ろうとする人士が居ないのは、嘆くに余りあることである」
当時朝鮮に対す日清両国の共通認識。ここ重要。
伊藤 「朝鮮が開国したのはつい最近である。急に国家の改良を任せられるような善良な政治家が
出てくることを求めても仕方がない」
呉 「朝鮮国人の中で勇壮にして大いに将来を託すことの出来る人士は、先の変乱のように無謀の
事件に参加してしまった。実に朝鮮のために痛惜せざるを得ない」
と呉大臣、内心朴金に希望を持っていたらしい様子。
伊藤 「世界中、どこの国もおよそこのようなものである」
呉 「金玉均は米国公使フート氏と交際があった。フート氏から聞いたが、金玉均が言ったことに
、朝鮮政府は衝立の後ろの灯火のようなもので、見ることも出来ず暗黒である、と。フート氏は答
えて、衝立を除こうとして灯りを消す愚がないように、と」
伊藤 「雑談で時が過ぎるのは惜しい。では貴国士官が12名なら異議はない。20名では朝鮮兵
を指揮して事を謀れる」
(続き)
李 「我が士官は訓練をするのであって朝鮮兵を指揮するのではない」
伊藤 「もとより訓練士官と指揮する士官は職掌が違うのは分かっている。しかし今回の両国撤兵
のことは公平均一に締約せねばなるまい。それでも貴国が士官を駐留させると言い張るなら、本大
臣は考案として、他の第三国の士官を朝鮮に駐留させることを議題とせねばならない。」
李 「他国の士官を雇わせることは本大臣も賛成するが、その費用に朝鮮政府が耐えられないだろ
うことを恐れるアル。朝鮮政府はわずか数人の学生すら海外に派遣して英語を習得させる費用すら出
せない。それで朝鮮人には1人も外国語に通じる者がいない。我が国から通訳を出しているぐらい
である」
伊藤 「本大臣は我が国でモルレンドルフ(当時朝鮮謝罪使節)と会った。彼が言うにはそれぐら
いの費用は賄えるということであった。また彼は、朝鮮国は日清両国が撤兵することを強く望んで
いるとも言っている」
李 「モルレンドルフは朝鮮国王が信を置いている者ではない」
伊藤 「ん?そうか? では朝鮮国王は彼を信任して日本に派遣したのはどうしてなのか」
もともとモルレンドルフは清国政府が朝鮮政府に雇わせた者である。朝鮮を清国寄りに導くはず
がその宛は外れた。
(続き)
で、ここで榎本公使が参戦。
榎本 「この頃聞いたことに、貴国の将官は閔泳翊氏の所に行って、閔氏が嫌うのに護衛を申し出
、それで遂に一つの事件となって閔氏の家僕が清兵1人を殺した事件があったが、閣下はそれを聞
いてないか」
李 「それはまだ聞いていないアル。貴国の新聞や上海の新聞には載っているが、清兵を閔泳翊の護
衛につけたことはない。日本の新聞は虚偽誤報を載せること甚だしいものがある」
榎本 「中国の新聞ほどひどくはないぞ」
李 「いや決してそうではないアル!」
榎本 「中国は領土広いが新聞はたった2紙じゃん。我が国の新聞に比べれば少なすぎるぞ。これ
ではも誤報の違いを正しようがないじゃん」
清国人が経営する新聞局に限って言えばらしい。
李 「もともと新聞に過ぎない。新聞は誤報を載せるものアル!」
榎本 「朝鮮国王が普通の感覚の人なら、自国の領土に外国兵が駐留するのは快くないことだと思
うよ。国王が日清両国の兵を駐留させたくないと願っているのは確かさ」
(・・・なんだか苦笑w)
(続き)
李 「貴国が朝鮮に干渉しないなら我が国も干渉しないアル!」
伊藤 「もちろん再びこのような事があってはならん」
李 「もし貴国の居留民が暴行に遭うことなどを口実に貴国が再び兵を出すなら、我が国もまた直
ぐに兵を派遣するだろう。これは相互に公平の約束をするからである」
伊藤 「まことに然り。貴国が兵を派遣するなら、我が国も又必ず兵を出してその轍を同じくする
だろう」
う〜、これこれここですよ。その理由は、日本の場合は居留民の生命と財産保護および条約に基
づく権利上のこと。一方清国は朝鮮は中国の属国であるという揺るがせない一点にあり。後の日清
衝突はまさにその轍を踏んだ。
李 「貴国が兵を出すまではこちらから兵を再び出すことはないだろうアル! ただ恐れることは、
我が兵が徹する機会に乗じて貴国が直ぐに朝鮮を併呑することにあるアル!!」
伊藤 「はあ? 恐れるなかれ。我が国は朝鮮のような貧弱の一小国を併呑する考えはない。日本
も又すでに貧弱の一国である。これに朝鮮の貧弱を併せるなら自ずから最貧国に陥るだろう。誰も
が富強を願うのにどうして自分だけが自ら貧弱となることを望もうか。かりにも一国を併呑したな
ら、その領土に関して一切の責任を負担せざるを得ないではないか。閣下にはよく理解されよ」
これは伊藤博文の、後に朝鮮併合に反対する時も一貫した考え方であったようである。しかし本
当どうしてババひいちゃったんだろうかねえ・・・。
(続き)
李 「将来朝鮮に再び事変があった時は、我が国は使者を派して決して再び兵を随行させないだろ
う」
伊藤 「我が国もそうである。しかし貴国は先の呉氏が朝鮮に行く時、最初は兵を随行させないと
言ったので、それで我が国も全権大使(井上馨)に兵をつけなかったが、下関まで行った時に呉氏
が兵を伴っていることを聞いたので、急遽兵を随行させたのである。呉氏がそれをしなかったら我
が方も兵を随行させなかったのだが」
榎本 「これがその時我が政府が朝鮮に兵を派した理由さ」
李 「それなら咎めるべきは呉氏が兵を伴ったという報告にある。先般の変乱後は流言が飛び交い
殆ど真偽判定ができなかった」
その報告は在日清国公使がもたらしたものである。
伊藤 「貴国には我が国の公使が駐在しているのだから政府はみだりに他の風説を信じてはならな
い。もし我が国公使が虚偽を告げることがあるなら直ちに我が政府はその公使を召還するだろう」
ここで李鴻章は榎本武揚の方に向って言った。
李 「当時風説があったアル。閣下は貴政府に報じたのに、この機に乗じて朝鮮を併呑しないなら何
時の日かこれを実行できようかと言ったと」