【IT・電機】日韓技術情報総合スレ128【機械・ナノテク】
半導体産業衰退の一因へのコメント
鈴木さんからのコメントの続きです。
私が韓国、台湾の半導体企業と付き合い始めた当時の彼らは日本から技術を学び取ろうという
意欲と熱気に溢れておりました。彼らの会社を訪問し、装置販売のための技術打ち合わせを
始めると直接の担当者以外の者までが集まってきて、いつの間にか本来の目的を超えて話は
多岐に渡り、技術セミナーのようになり、延々と夜遅くまで討議がおこなわれるのが常でした。
日本の半導体産業創世期に米国を訪れた技術者たちもかくありなんと、胸を熱くした思いを
したものです。彼らには単に日本から学ぶということ以上にさらに新しい技術に取り組もうとの
チャレンジ精神も窺えました。それは日本に先駆けてウエハー口径8インチの製造ラインの導入に
踏み切ったことにも現れています。当時は6インチの製造ラインが世界の主流でしたが、
日本の技術陣は設計力については兎も角、ことプロセス技術には絶対の自信をもっていたがゆえに
既存の技術に安住し、8インチラインへの切り替えが遅れたといえます。当時某半導体メーカーの
技術幹部が“プロセス技術は絶対に日本には追いつかない、我々の6インチラインで彼らの
8インチラインと競争しても勝てる。”と豪語していた言葉が耳に残っています。
つまり日本は勝者になったことで慢心し、プロセス技術で次第に保守的になってリスクを冒すことを避ける
気持ちが強くなったということでしょうか。一方後発の韓国、台湾は未だ完成度の低い8インチ用の
製造装置を装置メーカーと一体になって完成度を上げながらプロセス技術のノウハウを積み上げ、
8インチラインを成熟させて生産性を急速に上げていった経緯があります。その過程で育てられた
日本の製造装置メーカーがあることも知っております。こうして90年代後半には“日本から学ぶべきものは
もはや何もない”と三星の幹部に言わしめ、日本のプロセス技術の優位性は完全に失われました。
しかし日本の技術陣にはその時点でも未だよく事態の認識がされていなかったようです。
次に日本的経営が次第にグローバルなコスト競争力を失ったことは一般論としてよく
言われることですが、半導体産業についても例外ではなかったといえます。
日本で企業の構造改革が本格的に行なわれ始めたのはわずか5,6年前ごろからと思いますが、
半導体産業について言えば時既に遅しの感があります。日本的経営手法をある面で
模倣していた韓国の半導体企業が変貌する転換点は98年の金融危機です。
IMFの管理下に入り国家破綻の危機に直面し、国の強力な主導のもとに業界毎の再編成が
行なわれました。半導体事業は三星、現代の2社に整理統合され、これら残された企業では
徹底した構造改革が行なわれました。特に三星の場合は外部監査を入れて改革が
断行されました。韓国特有の不透明な購買慣行などが完全に排除されたことは特筆に価します。
“我々は生まれ変わった”というのが当時経営幹部から聞いた言葉でした。
現代もその後経営危機が深刻になって銀行の管理下に入り、一時は売却されかかった時期があったが、
従業員が反対運動に立ち上がったことが売却を阻止できた最大の要因と聞いております。
しかしそれからの構造改革には目覚しいものがあり、会社名をハイ二クスに変更し、
不倶戴天の敵とされていた三星から人材を引き抜いて技術部門のトップに据えたことには
並々ならぬ覚悟が覗われたものです。の潰れかかった企業が復活するとともに大きく躍進し、
今や2006年の世界ランキングで8位に入っているのは驚くべきことです。
以上より日本の半導体企業は経営改革の点でも危機感の欠如からか韓国にかなり遅れたといえます。
三番目にいえることは日本企業の国際性の欠如です。
国際性のベースは語学力ですが、三星の語学力強化の姿勢には驚かされた思いがあります。
英語は当然のことながら日本語習得の重視です。
技術者であっても管理者になるためには日本語の試験である一定のレベルに
達していることが絶対必要条件であるという徹底振りです。
したがい三星では技術打ち合わせは何の支障もなく日本語で全て行なわれておりました。
最近の話では入社試験の面接は英語で行なわれているという。
台湾のトップメーカーTSMCでは日本語習得は義務づけられていないものの、
英語は必修であり、英語の出来ない者は人にあらずの感すらしました。
こうした状況が海外の情報を入りやすくし、海外企業との協力、提携関係などを早い段階で
抵抗感なく進められ、戦略の柔軟性につながった要因であろうと思います。
欧米の企業に国際性があることは言わずもがなのことですが、一時は凋落した欧州勢が復活し、
世界ランキングで4位にインフィニオン、5位にSTマイクロンが躍進していることは注目に値します。
これは明らかに台湾のファンダリーとの提携が効を奏したものといえます。
その一方日本勢がグローバルな動きに完全に乗り遅れたのは国際感覚の無さと
独自技術の過信からくる閉鎖性によるものでしょう。
特にプロセス技術者にその傾向が強く、唯我独尊、自己の殻に閉じこもり、同じ会社の
工場間でさえプロセス技術が若干違うため製造装置の標準化がされないという問題を
平気で引き起こしていました。
ファンダリーの活用を考え始めたのも欧米にかなり遅れ、それもローエンド品の下請けという
位置づけであり、パートナーとしての提携関係を追及するものではありませんでした。
しかし近年投資額の大きな制約から本格的にファンダリーとの提携に踏み切らざるを得なくなったが、
その時点でもプロセス技術者の強い抵抗があったようです。
“絶対に不可能である”と某企業のプロセス技術者が主張していた最先端の製品が、
台湾のTSMCで直ぐにできたことに驚いたという話を聞いてさもありなんと思ったものです。
“敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず”という有名な言葉があります。
日本企業は勝者の驕りから自らの目を曇らせ、他者を過少評価し、他者を知る努力を怠ったことが
今日の凋落を招いた大きな一因になっている気がしてなりません。
復活の解は直ぐには見出せない感がありますが、技術革新が成長の源泉であることを忘れず、
初心に帰ってかっての学ぶ姿勢と情熱を取り戻せばいつの日か再び繁栄の日がくることも夢ではないと
思います。構造不況業種といわれた鉄鋼業でさえ技術革新によって見事蘇ったという例もあります。
又80年代半ば過ぎに米国が危機感を持ちSematechを設立したように、日本でも国家戦略として
国の強力な支援のもとに、本腰をいれた次世代技術の開発を目指した官、民、学一体の協力体制を
つくれるどうかも、日本復活の一つの鍵になるかも知れません。
以上八幡さんとは少し別の角度から日本半導体衰退の要因のある側面を考えてみました。