日本がローマ式マニュアル社会になったのは大規模な地震など自然災害が多かったからだ。 万一の事態に対応した
対処案が切実だった。 日本の徹底したマニュアルシステムの最大の受恵者は企業だった。 マニュアルを通した品質と
技術力の向上は高度経済成長を率いる原動力になった。 ここで質問ひとつ。
「日本人はマニュアルにない状況が発生した場合、どのように対処するだろうか」。正解は「いかなる対応もせず、
ひとまず新しいマニュアルをつくる」だ。 それほど日本社会ではマニュアルは普遍的行動基準を越えた絶対価値と
なっている。
今春赴任した柳明桓(ユ・ミョンファン)駐日大使が日本の取引銀行からクレジットカード使用限度額として与え
られた金額はわずか月10万円(約80万ウォン)。 柳大使が呆れて支店長を呼び、「私は韓国大使として数多くの
国へ行ったが、こういうことはなかった…」と話したが、通じなかった。 取引実績がない新規顧客には必ず10万円を
適用するというマニュアルのためだ。
よくできたマニュアルは安定と安心を与える。 しかしマニュアル盲従は社会の硬直性を招く。 マニュアルに拘束
されると、創造的・前向きな発想が妨げられることもある。 ‘なるようにする’よりも‘ならないようにする’に価値や
思考が傾く。 最近43年ぶりに実施された日本の小中学生学力調査の結果、創造性・応用力など柔軟な思考を要する
問題の点数が良くなかったのは、こうした社会の雰囲気と無関係でない。 エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』
によると、マニュアルで栄えたローマの滅亡原因の一つは創造力の喪失だった。 マニュアルの軽視も、絶対視も危険
ということだ。
(ry
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=92577&servcode=100§code=100