1000行くたび板を転々とするスレッドPart208

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614マンセー名無しさん
すべての諸法は、その本質において、いかなる実体をも持たないのであるか
ら、空である。宇宙に存在するあらゆる事物は、もろもろの事物が縁起によ
って成り立ったもので、固定的実体がないのである。これを諸法の空と呼ぶ。
すべての諸法は、その本質において、定まった形相がないのであるから、無
相である。だから前述の諸法の空というのは、表現上の仮の相(すがた)なの
だから、もし諸法の空に固執したならば、逆に空から遠ざかってしまう。こ
れを諸法の無相と呼ぶ。
615マンセー名無しさん:2007/10/28(日) 20:02:50 ID:qjEJdEcd
すべての諸法は、その本質において、特定の方向や目的を持たないのである
から、無願である。だから前述の諸法の無相について、その相から離れたい
という願いに執着することは、逆に空から遠ざかってしまう。これを諸法の
無願と呼ぶ。
このように、すべての諸法は本質において空であり、固定した相も、目的も
方向も願いもないのであるから、すべての諸法は自由で光り輝いている。真
実なる智慧の理趣に照らしてみれば、ものはみな清浄なのである。これを諸
法の光明と呼ぶ。
616マンセー名無しさん:2007/10/28(日) 20:04:37 ID:qjEJdEcd
無明は無始以来のものであるから、それに依拠する不覚に対しては
「始覚」といわれるが、われわれの心性の根源は本来清浄な
覚りそのもの(「本覚」)であって、それがたまたま無明に覆われている
から、始覚といってもそれは本覚と別のものでは ない。