●●歴史教育・歴史認識を考える そのB●●

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173マンセー名無しさん
沖縄戦の悲劇は、このサイトなんか読むと、やはり混乱による恐怖とパニックが最大の要因だと思う。
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kerama.html

米軍の猛攻で極限状態に置かれた住民が、
軍の命令の行き違いか、村長や助役が致命的な命令ミスをしてしまったか、戦陣訓の影響か、
それとも全てに絶望したのか・・・
結果、軍から支給されていた手榴弾を使うなどして、家族同士殺戮しあうほどの悲劇が起こってしまった。

皇国教育の結果、軍の命令によって死を決意した場合は、もっと違う死に方をすると思う。
「天皇陛下万歳」を叫んだ例も出てくるけど、ほとんどは恐怖とパニックで場当たり的に死のうとしていた印象。

また、そういう例があろうがなかろうが、集団自決は局地的にしか起こっていない。
沖縄本島中が旧日本軍に洗脳され、自決を覚悟していたんだったら・・・生き残った30万人の説明が付かない。
それこそ首里が陥落した時点で、首里市の住民が数万単位で首でも吊ってないとおかしい。

米軍占領下でも生き延びた人が30万人いたことを思うと、
やはり集団自決というのは
恐怖、パニック、集団心理など、悪条件が重なった場合に起こってしまった悲劇であって、
軍が主導したことが原因だとは考えにくい。

むしろ、軍の命令で強制的に自決を強要された、とするよりも、
頼みの軍の庇護や命令すらなくなった状況で誰からも守られる事のなくなった哀れな民間人が、
全てをあきらめ、自決という最悪の結果に走ってしまった。
時には末端の兵士による住民の殺害や、事実上の自決の強制さえ発生した。
という点で、より沖縄戦の悲劇が際立ち、より哀れ極まりないと思う。

もちろん、極限状態に置かれた末端の兵士が
住民を処刑したり、事実上の自決の強制をした可能性は否定しきれない。これは確かに忘れてはならない。
末端の兵士による住民の殺害や、事実上の自決の強制をただの一件でさえ認めないことは許されない。
しかし、これはいわゆる軍の命令とは全く似て非なるものだ。
174マンセー名無しさん:2007/10/03(水) 20:16:52 ID:MTnV1cMs
最大の問題は軍の自決命令だの、強制の有無だのではない。
むしろ米軍の猛攻によって、軍の命令が徹底されない、伝達すらままならない状況に陥ってしまった。
これが、沖縄戦の悲劇の最大のポイントだと思う。

だが、こういう事を教科書に載せて授業で使うのは、教える側にも相応の知識と技量が必要だ。
少なくとも、偏向思想に染まりきった教師には到底できないし、する気なんかないだろうな・・・ 

連中のいう軍の責任とは、旧日本軍が侵攻してきたアメリカ軍をほったらかして、
いかにも率先して住民を弾圧し、自決を強要したかのように貶める為の方便にすぎないしのだから。

結果的に沖縄本島とその住民を守れなかった旧日本軍にも、この意味においては責任の一端はあると思う。
しかしそれは、いわいる軍の命令があった派の言う軍の責任とは断じて意味が異なる。

軍による介入という「証言」を事実として採用するなら、同じように
軍による介入をあったことにした(実際には無かった)という「証言」も併記する形で採用しないと、
中立に反する。

一方の証言は教科書に載り、一方の証言は教科書にも載らず、話題にもされないだけでなく
集団自決訴訟の被告側が、照屋昇雄氏の経歴を詐称であると主張し、
沖縄タイムスはこの被告側の主張に沿う形で社会面で大きく取り上げたにもかかわらず
照屋氏が辞令を保存していてすぐに反証として法廷で示したのに、こちらは一行も取り上げていない。
名誉回復がされていない。ここまでくるともはやプロパガンダだ。

遺族年金がらみの問題もあるだろうが、生き残った住民たちを責めるのは正直気が引ける。
ただし、真相はきっちり明かすべき、そうしないと将来の真の教訓にはならない。心からお願いしたい。