【必読】小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」

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591マンセー名無しさん
48 :朝まで名無しさん :2007/04/29(日) 00:53:53 ID:KSltbnOU

上陸した頃は、ココボはまだ陸軍の基地で、たしか一〇三兵站病院もあり従軍慰安婦もいた。
彼女たちは「ピー」と呼ばれていて、椰子林の中の小さな小屋に一人ずつ住んでおり、
日曜とか祭日にお相手をするわけだが、沖縄の人は「縄ピー」、朝鮮の人は「朝鮮ピー」
と呼ばれていたようだ。
彼女たちは徴兵されて無理矢理つれてこられて、兵隊と同じような劣悪な待遇なので、
みるからにかわいそうな気がした。

『水木しげるのラバウル戦記』

49 :朝まで名無しさん :2007/04/30(月) 02:18:43 ID:w2EVHU7P

そのあくる日、ピー屋(従軍慰安婦)に行っていいという命令が出た。早速行ってみると、
なんと長い行列ではないか。これはなにかの間違いではないかと観察すると、行列は小さい
小屋まで連なっている。そういう小屋が六つばかりあり、いずれも、五十人位並んでいる。
やる方も必死だが、こうなるとやられる女の側は下手すると死ぬのではないかと思った。
五十人もいるとすると、終わりは何時になるか分からない。二、三時間まったが行列の人数は
少しもへらない。

『水木しげるのラバウル戦記』