電通の「韓国ブーム捏造」の奥に潜む本当の怖さ 30

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68マンセー名無しさん
>>57
6 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/08/07(月) 06:27:11
某窓際放送局社員の独り言“ウチの局がこんなになってしまった経緯”
(1)1960年代〜
  テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題(例えば「朝鮮民主主義
  人民共和国」を“北朝鮮”と呼んでしまった、など)に対して、朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅
  に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に“在日枠”
  が密かに設けられる。総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く。
  在日枠の密約を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に「お願い」をしてさらに弱みを
  握られるなど、素人のような甘い対応で身動きがとれなくなっていく。

(2)1970年代〜
  政府を叩きさえすれば世論が喝采する狂った時代。在日社員の「反日番組」を「権力に対するペンの戦い」
  「調査報道」と勘違いした経営幹部が社内で在日を積極登用。「日本人社員と在日社員に昇進の差別が
  あってはならない」などと理想論を述べたのは良かったが、
   結果を見れば昇進差別をしなかったのは甘い日本人幹部だけで、
     課長、部長と昇進した在日社員は、帰化した在日二世を理不尽なまでに優遇する逆差別人事を徹底。
  異を唱えた日本人社員は徹底的にマークされ、営業や総務など番組制作の第一線から退けられる。