>>549 理気二元の議論は、南宋時代から中心だから、
朝鮮朱子学に限った話では無い。
南宋は日本の鎌倉時代だが、当時の日本は神仏で儒教が廃れてた頃だから、
理気二元の議論に新しく参加するには、日本人にとってはハードルが高かったこともある。
保守
よく考えたら、
南北朝時代から明治時代まで
朝鮮半島は李氏朝鮮だったんだ。
長いな。
事大主義&奴隷根性が身にしみつくには十分な時間だったなw
南北朝時代の少し前が蒙古来襲だったから
朝鮮人は蒙古人にレイプされ、その後李氏朝鮮時代に入ったと。
社会の発達段階は19世紀末でも平安時代並みだったけどな。
556 :
マンセー名無しさん:2010/03/20(土) 13:24:28 ID:RfGpwsTw
おれが李氏朝鮮時代のことについて一番驚いたのは、当時木を曲げる技術がない
もんで、樽とか桶がまったくなかったこと。ここまでレベルが低い国民が、やれ日本
に文化を伝えてやったなどとどのツラ下げていえるんだろうと思う
557 :
マンセー名無しさん:2010/03/20(土) 18:00:42 ID:/xyQ1SRt
>>1 これ、今で言えば外交官が悪さして迷惑かけてるようなもんだろ。
思うんだが、鶏が食べたいならちゃんと金払って買うとか幕府の役人に
要求するとかしなかったのか?
というよりかは、人様の物を盗むという行為に罪悪感を感じなかったのか?
>>557 禍の国では両班サマが対価を払わずに下々から物品を巻き上げるというのは
デフォだから。
通信使も最初のウチは緊張感を持っていたようだが、時代が下るにつれ
あまりの日本側の厚遇ぶりに勘違いしちゃったヤツが続出したらしい。
>>557 外交官と云う認識はなく、単に自国では両班が対価払わずに物を
召し上げるのが当たり前だったからその通りに実行しただけ。
ちなみに朝鮮には染付の陶器も無かったから、途中で提供される
食事の度に食器を失敬したと云うのも有るよ。
まあ新井白石は偉かったね、こんなの接待してもしょうがないと
認識したんだから。
560 :
マンセー名無しさん:2010/03/21(日) 09:15:33 ID:zwpMpzxQ
>>558 >禍の国では両班サマが対価を払わずに下々から物品を巻き上げるというのは
>デフォだから。
この両班さまは、巻き上げる行為になんの罪悪も感じなかったの?
例えば、「下の民が苦労してこしらえた物を無闇に巻き上げるのは、心が
痛むから控えよう」
とか、そういう感覚が少しも無かったのかな?
ましてや、他所の国ならなおさらだと思うんだが。
なんというか、最低限の道徳心さえも持ち合わせてないのかな?
あまりに非常識過ぎる。
>>560 ま、朝鮮人は日本人を蛮族だと考えていたから、その蛮族の庶民は自国民以下くらいの
感覚だったんじゃないかねぇ。対馬藩士さえ杖で打つようなことをしているからな。
現在の普通の韓国人でさえ、その非常識ぶりがなにかと喧伝されるのに、自分自身が
特権階級だと自認してる両班なら推して知るべしだろうな。
「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。
大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく
金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物も
あたえられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。両班のなかでもっとも
正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、
それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、
いまだかってないからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、
支払無しで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。」
マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ『朝鮮事情』
江戸時代の朝鮮通信使が何故、江戸に派遣されたのかを
通信使自身が理解できていなかったんでしょうか?
李氏朝鮮の両班は「北斗の拳」の世界の小悪党と同じですね。
>>561追加
確か、両班関連でもろ鶏泥棒の記述があったよなーとググってみた。
「慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、大勢のお供をかき集められるだけ
かき集め引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、
伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して、
飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」
イザベラ・バード『朝鮮紀行』
564 :
マンセー名無しさん:2010/03/21(日) 14:14:11 ID:zwpMpzxQ
>>561 562 563
でも彼らって自分が同じような目に遭うと直ぐにさわぐよね。
そのくせ、人様に意地悪を平気でやってのける。
>>560 ヤシらにとってはそれが『常識』なの。
下々のものから対価無しにとっても、それは当然の『権利』であって、反抗されるなんてのは理解の埒外なわけ。
庶民を慈しんでうんたらってのは、こっちの言い分・常識であって、向こうはそうじゃないのさ。
>>560 > この両班さまは、巻き上げる行為になんの罪悪も感じなかったの?
> 例えば、「下の民が苦労してこしらえた物を無闇に巻き上げるのは、心が
> 痛むから控えよう」とか、そういう感覚が少しも無かったのかな?
> ましてや、他所の国ならなおさらだと思うんだが。
> なんというか、最低限の道徳心さえも持ち合わせてないのかな?
あまりに非常識過ぎる。
それは現代人の常識的考え方、当時の朝鮮は極端に先鋭化した
儒教国家だから現代の常識は全く通用しない、我々の知ってる論語
の世界とも全く違うよ。
儒教を治めた、血統正しき両班に庶民が奉仕するのは当たり前、それに
日本は朝鮮側から見れば、儒教的には全くの後進国、と云うか国家概念
自体が現代とは異なるから、儒教先進国の使いに何を言うかと云う態度
だから対馬の宗氏も苦労した。これに対抗できたのは朱子学を治めた
新井白石だけ。白石も最初の頃は自分の書の評価を頼んだりしている。
李氏朝鮮が、本家の明や清以上に儒教に凝り固まった理由を政治史的
民俗学的に調べると面白いよ。
ちなみに半島は今でも北も南も、李氏朝鮮時代の儒教思想から抜け
出せていない、これが現代朝鮮民族の悲劇でも有るのだが、、、
568 :
マンセー名無しさん:2010/03/22(月) 00:55:35 ID:CrIKUxi+
>>567 >ちなみに半島は今でも北も南も、李氏朝鮮時代の儒教思想から抜け
>出せていない、これが現代朝鮮民族の悲劇でも有るのだが、、、
北朝鮮は別にして、韓国なんかは外国から思想がいろいろ流入してる
はずなのに、それでも儒教思想から抜け出せないのか?
>>568 生活に根付いたものはなかなか変わらないんじゃないか?
日本の穢れ思想だって根強く残ってるわけだし…
>>567 > 李氏朝鮮が、本家の明や清以上に儒教に凝り固まった理由を政治史的
> 民俗学的に調べると面白いよ。
井沢は朱子学(南宋学)を負け犬の遠吠えと一言で片づけてるがw
570 :
秋山真之 ◆pD6PIPjmq2 :2010/03/22(月) 01:17:21 ID:gAeVVU6U
>>560 まだ、儒教本家の中国には、
後世の評価と言う、最高権力者をも畏れさせる存在があります。
これがため西太后も、後の世に名君たらんとして同治中興を企てた訳であります。
日本は下層民族だった これは事実
どんな事実に基づき下層民族と断じるのか、一つでいいから示してみ。
仮に下層民族であっても、その下層民族に支配された低能民族がいるのだがな。
ソースは、親切な方がイッパイ貼ってくれると思うよ。
日本人は昔は日本土人と呼ばれていた 日本土人は朝鮮文化を盗み
朝鮮民族を襲い陵辱し侵犯を繰返し 半島を混乱の渦に巻き込んだ
日本土人には死 あるのみ
574 :
マンセー名無しさん:2010/03/22(月) 08:16:14 ID:UrdqAyYs
572>
自分達を上級民族としか考えていないから、下層民族が豊かな暮らしをしていることが許せないわけで・・・
575 :
マンセー名無しさん:2010/03/22(月) 08:18:57 ID:amAPtJUb
江戸町人にとって、朝鮮通信師は単なる見世物。
>>573 ……そして朝鮮民族はその攻撃に震え上がるばかりだったのか?
>>575 ですね。このスレでいうところのID:57xDYbAEみたいなもんです。
朝鮮通信使ってのは、幕府に朝貢しにきてたわけだが、 ID:57xDYbAEは?
ピラニアのエサかな・・・。
捨身飼虎でつか。
>>568 >>571 自らを儒教先進国と信じて疑わぬ、朝鮮通信使は、確かに日本人を下層民族と信じていた。
> 韓国なんかは外国から思想がいろいろ流入してるはずなのに、
どんな思想が流入しようが、アプリオリに自分の方が優れている、と信じて疑わぬ思考様式
では何も変わらんのだね。
しかし、江戸期にも日本人は朝鮮通信使を、当の通信使の思考とは全く離れて、見世物として
眺めている余裕が有った訳で、、、寒山拾得の丁度裏返しの図なのだね、実は今でも、、、、
韓国朝鮮が何をしようが、我笛吹けど、、、の世界で有る限り、持病の火病は治らんのだね。
アハハ、倭猿で結構なのだよ、我々は。
朝鮮の前の高麗は、仏教が国教。
科挙は新羅から存在。
ん?
>>581 半島には、儒教が先に入って来ている。
儒教刻の前漢が楽浪四郡を置いたのが紀元前2世紀前半。
仏教の伝来は、高句麗が4世紀後半。
思想史的には、
10世紀以降の、高麗の仏教の影響を受けた日本仏教、
15世紀以降の、僧兵ら仏教勢力に対抗する為、李朝から朱子学の思想を取り入れた武士。
ん?仏教は聖徳太子の頃にはもう入ってきてるし
日本の儒教は陽明学が主流じゃなかったか?
586 :
マンセー名無しさん:2010/06/10(木) 22:56:11 ID:kZnIYnOG
でも、江戸時代の日本人は、寝言信じるほど未開じゃなかったからな。
江戸幕府は忠誠の上下間をはっきりさせる為、朱子学導入したんじゃなかったっけ?
>>584-587 日本に仏教が入ってきた後も日本仏教界は、
本場中国(やインド)に近い朝鮮半島諸国を見習う感じだった。
儒教も、特に江戸幕府は、基本的に陽明学は禁止だった。
朱子学も、朱熹の原書より、李朝の李退渓の註約が基本的に使われた。
>>588 李滉が生まれたのは西暦1501年。日本の初期朱子学者として有名な後醍醐天皇の没後160年ほど後ですね。
源平の世の半済令で、武士と貴族や仏教寺院と、各々の荘園を取り合いするようになった。
僧兵を持つ寺院に対抗するための武士の武装理論は、
丁度1550年前後に当時伝来してきたキリスト教と、
>>584-589の李滉の朱子学の註約へ求めた。
秀吉以降キリスト教は廃れ、残った李滉の朱子学の方へ集中した。
>>590 先生。1源平合戦といえば12世紀末。16世紀半ばに伝来したキリスト教はその対抗策たり得るには
あまりにも遅くないでしょうか。
朱子学の方は、16世紀までの日本では「仏教の一宗派のそのまた余技」という位置にあり、到底
仏教に対抗しうる理論武装とは思えません。
朝鮮の影響を受けたから、
武士の起源は朝鮮ってやりたいだけのことだろ。
精神が何かを判ってない人間の戯言だな。
武士も侍も朝鮮を起源としているのは国際的に広まりつつある いいことである
馬鹿だね 今どきお花畑しか信じねえよ外人でも
一寸突かれればバレル吹かしならこくなよ 脳無しwwwww
保守
シナ地域を「中国」と呼ぶのが東アジア的に一般化したのは、
李氏朝鮮になってからだな。
高麗は仏教的に「震旦」、
新羅以前はは「唐」「隋」の王朝名。
三国時代は、「陳」「宋」「晋」といった南朝の王朝名を、
北朝地域のも使ってた。
北朝の当該国を指す場合は「魏」「周」とかその地域の当該国名だった。
tes
>>597 ちなみに朝鮮半島は明治維新までは
朝鮮と云う国が有る事すら、一般日本人は
知らなかった、だから半島から来た人間を
江戸期までの日本人は唐人(とうじん、からびと)
と呼んでいた。
江戸期の人間が無知だったのか、それとも唐や
清の属国と認識していたのか、興味のある所。
まあアメリカ人も唐人だったが、唐人お吉とか。