爺さんの体験談代筆スレッド

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938マンセー名無しさん:2008/02/09(土) 01:29:37 ID:OLnp/HV7
いつもお疲れさまです。
冊子だとどうなっているのか、凄く気になる。。。
939791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/09(土) 13:59:43 ID:9YUcbw2d
例によって仕事の合間に、必要書類がとどかず、手が空いてますorz

>938
A4サイズ1ページに、縦書き二段で並んでるのです。
この内容のものですから、そういった配置も重要だと思うのですが、
AA書きでもない自分には再現のしようが無かった訳です。
940マンセー名無しさん:2008/02/09(土) 16:52:49 ID:gynP+Dqc
791 ◆9zatwGbxuw殿。
感謝です。

>>929
読みました。
面白いね。

941791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/09(土) 19:50:06 ID:Fo6K/NVa
 テレビドラマ
「大地の子」を見て

 昨年暮れ頃テレビで日中合作の友好映画「大地の子」を見られた方も居られる事を思う。
五十年前怒涛の砲火を潜って来た私達の外に開拓民の引き揚げを見る場面だった。特に主人
を兵役に取られた引き揚げ避難民を襲って一人一人傷ついた人達を銃剣で突き差して行く、
逃げようにも逃げられず追い詰められて自決して行く。生き残って親を失って子供達をつ
かまえて競売にかけられ、買われていった子供達。曲りながらも生き長らへて五十年後の
今日、肉親を尋ねて祖国へ来られた人達に日本は何をしてやったのか、永住を希望された
らなぜ暖かい手をどんな理由があろうとも手を差し延べてやるべきではなかったか。その
貧苦と悲惨さを越えて来た人達を一番知っている私達は非常な義憤を感ずる一人です。私
がシベリアから一度満州へ帰り、牡丹江の病院で傷病兵をお世話していた頃の昭和の二十
年暮れから二十一年の二月頃まで極寒の中をぼろぼろの開拓民の人達をお迎えした事があ
った。口に出ない程可哀そうだった。あの当時、政府から国防の重要性必要性を背負わさ
れた義勇開拓団の人達ではなかったのか。あの映画は幸い手厚い学校の教師夫妻に救われ
て大事に育てられた陸一心君、けれど日本人というレッテルの元に四六時中監視の目が光
って居て職業に自由さえあたへられない。命令一下何処へでも飛ばされる事はソ連の国も
同じだった。親子が一緒に自由に生活出来る日本の有難さをしみじみと思わされた。
 私が昨年子供達と戦争について座談会があった時「おじさんはなぜ戦争に行ったの、そ
んな悲惨な殺し合う行くのをことわれば良いのに」と言う。ああこの子供達はなんて幸せ
な人達だろう。「其の当時日本男子には国を守る兵役の義務があったのだ」と言い聞かせ
ても今の子供には解らない。何処かのお金を出して守られた平和を満喫して居る現在だも
の。国の借金の為、キューバの兵隊はナイゼリアで戦わされ、政権争いのアフガンやセル
ビヤ、ボスニヤの内戦、武器代償にシベリヤ鉄道使役に行かされる等悲劇とならぬ危険が
あると言う事も知らなければいけないのにと。「熱帯夜満蒙棄民書涙して」
942791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/09(土) 20:03:21 ID:Fo6K/NVa
29編目、投下終了しました。
今回テキスト起していて、いろいろと背中に刺さりました。

それとですが、スキャナを使える幸運があり、28編目と冊子の表紙を画像取り込みできました。
ファイル容量はそれぞれ130KBと190KBくらいです、表紙の方は爺様の個人情報保護ということ
で一部加工させてもらっています。

見たいという方いらっしゃいましたら、手ごろなアップローダーを紹介して貰えないでしょうか? 
いくつか探してみたのですが、ロダの趣旨とか解らず借りていいものなのかどうか、どうも確信が
持てずでして。
(そもそもそういう趣旨というものがあるものかさえ、把握しておりませんですハイ)
943マンセー名無しさん:2008/02/09(土) 20:30:32 ID:Uq0DiSFa
ハン板の避難所でもある総督府のうpローダでいかがでしょうか?

http://www.soutokufu.com/up/upload.php
944791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/09(土) 20:44:54 ID:Fo6K/NVa
>943
ありがとうございます、以下の様にアップしました。

表紙:ttp://www.soutokufu.com/up/img/up453.jpg
28編目:ttp://www.soutokufu.com/up/img/up454.jpg

これにて本日は投下終了します。
毎回の乙にこちらからも感謝いたします、ではでは。
945マンセー名無しさん:2008/02/09(土) 20:48:15 ID:Uq0DiSFa
>>944
乙です。総督府は流れにくいので、資料的な価値のあるものをうpするときは便利ですよ。
946マンセー名無しさん:2008/02/09(土) 22:03:06 ID:ANpKTp3y
>>941
中国残留孤児の問題は、向こうの育ての親をつれてきて生活を国が保障しろと言うところなんだよなあ
947マンセー名無しさん:2008/02/09(土) 22:57:15 ID:OLnp/HV7
いつもお疲れさまです。
イメージ画像をありがとうございます。

全部自筆だったりして‥‥とか思っていましたが、w
雰囲気が理解できました。なるほど。
948八咫烏 ◆cPmkHzc4Fc :2008/02/09(土) 23:50:26 ID:2CQ+hJKI
ありがとうございます!
949791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/11(月) 19:28:26 ID:/fHQHyKo
軍板に>944が転載されているのを確認しました。
読んでくださってる方が俺が思うより多いのではないかと、少し驚いてます。

>946
中国の制度に慣れ親しんでしまっている現状で、日本社会に適応できるのか?
その点が個人的に気になっています、それはそれで試練を与える結果になって
はいないだろうかと。育ての親の件も関連する話ですよね。

>947
元は戦友会誌あたりの原稿で、それをまとめて作ったのがこの冊子のようです。
自主制作という事になりますから、誤字脱字もチラホラと。問題は本当に誤字な
のか判断つかない場合も多い事ですね、編集段階でのミスもありそうですし。
とりあえず、明らかにミスと思われるところは投下前に修正を加えています、鍵括弧
の抜けを追加するとか。

さて。30編目、投下開始します。
950791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/11(月) 19:28:53 ID:/fHQHyKo
国旗を揚げよう(1/2)

 「望郷の船待つひと日梅雨しぐる」
その頃ソ連領ナオトカの港には何千何万の帰還兵が労苦を堪え忍んで生き残った身を、
懐しの母国の土を踏むべく浜辺に船を待って居たのでした。我々山奥の部隊とてみじめな
ほどぼろぼろの衣服には、さすがのソ連側も見兼ねてか、幾らか増しな服に替えさせて書
物一切を取り上げた。又日本へ帰ってからの気構とか称して、ある分子による思想教育の
徹底を期していた。「何が同志だスターリンだ。こんな目に合わして置き乍ら」船来る沖
を眺めていた。「船が見えたぞー。」の合図に隊列を組んで、波止場への行進が始まった。
沿道には未だ帰れない日本兵が港湾建設に酷使されている。こちらが手を振っても答へも
しない。ふてくされての気持ちか、ふとかたえに一団のソ連人が片足首を鎖でつながれて
使役に急がされ行くのを見送る。其の数百、明暗いじじるしい。「此の国にはこんな事は
珍しい事では無い。」と沖を見ると日の丸を翻した帰還船が港へ入って来る。久しく見な
かった日本船の日の丸を見上げた時はなぜか胸へぐっと来て涙が止めど無くあふれた。
951791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/11(月) 19:29:12 ID:/fHQHyKo
国旗を揚げよう(2/2)

「迎えに来てくれたんだ。」と白衣甲斐甲斐しく働く日本の船員達や看護婦さん達が手を
振って「御苦労さん御苦労さん」の一言に天にも昇る気持ちを押さえ誰もが感激して声も
出ない。接岸されて橋がわたされると直ぐ乗船。入口で殺虫剤DDTを袖口と襟口から一
握りづつ投げ込まれ、体を揺すって消毒される。(蚤退治)だ。乗船人員は二千人とかで
ストップが掛けられ、残った人達は此の次と言うが、何時来るか解らないと。乗船が終る
とただちに橋が外され銅鑼の一声出港となる。向こうの丘にこちらの浜に立つ日本人達が
棒立ちになって見送って居る。甲板に立って日章旗をつくづく見乍ら、且つては此の旗の
下に立って幾度が死出をかいま見又この旗を揚げる船が暖かく迎えに来てくれたこもごも
の心情が交差した。相変らずソ連の警備艇がうろちょろついて来て居る。日本海の真中ま
で送って来るのだと、こんな長い苦しい思い出は日本海へ捨てて、早く母国へ飛んで帰り
たい気持ちで甲板へ寝転んで見た。今、日本の人達が国旗を揚げる事について云々言われ
ているが、この時の熱い思い出が身にしみていて、我が家では必ず祝日には国旗を立てる
事にして居る。街を歩いて見ると国旗を立てている人が少ないが、私にはこころの御燈と
して胸に焼き付いて居るのです。
952791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/11(月) 19:30:13 ID:/fHQHyKo
以上、投下終了です。
一回の帰還船で二千人まで……少なすぎる……
953マンセー名無しさん:2008/02/12(火) 01:32:03 ID:Ntc5b/k4
954マンセー名無しさん:2008/02/12(火) 23:26:54 ID:2NDiVDxP
いつもお疲れさまです。
感想を書こうと思ったけど言葉が見つからないです。

ところで。
やっとこ靖国に行ってきました。
手を合わせて はたと気づく。作法をちゃんと知らないじゃん。恥ずかしい。。。
でも祈ろうと思っても、頭になにも浮かびませんでした。なんでだろうね。
955八咫烏 ◆cPmkHzc4Fc :2008/02/12(火) 23:47:16 ID:kClDeRXl
>>954
日本人は心が通じればそれで良いと思いますよ。

ttp://blackforce.blog.shinobi.jp/Entry/44
956マンセー名無しさん:2008/02/13(水) 00:00:14 ID:Ntc5b/k4
>>954
いや、参拝所にでっかく書いてあるでしょ。>作法
957マンセー名無しさん:2008/02/13(水) 00:13:45 ID:6JCf0Beh
あ、ありがとう。お勉強して今度出直してくるよ。

>いや、参拝所にでっかく書いてあるでしょ。>作法
気づかなかった。orz
958刺青 ◆1mDQNBpTa2 :2008/02/13(水) 06:10:55 ID:pmEiVLb/
>>957
(´-`).。oO(お賽銭箱左側奧に書いて有ります)
(´-`).。oO(手水場で清め、参拝をする事だけですので)
(´-`).。oO(あまり固くお考えにならずに気軽に参拝してください)

(;´-`).。oO(私も奉賛会の住所登録変更に行かなきゃ・・・・・)


<>
959791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/13(水) 19:33:24 ID:WaZybgIg
あの戦友の死とはなにか

 本年四月二十九日の当戦友会の合同慰霊祭の当日、靖国神社の参道にて声を張り上げ、
パンフレットを配っている一団がありました。私はそのパンフの一枚を何気なく頂き読み
ましたところ、私の胸にも強く共鳴するものがありました。そこでこの誌上をお借りして
このパンフを紹介し、改めて戦友諸君に問うものです。私達の命をかけた過去の日々が、
色々の事情で一般にはこんな風に受け止められる風潮と、我々の業績が風塵と消え去って
行くことが如何にも残念に思えてなりません。このためここに投稿した次第です。

 (以下、パンフレットの内容紹介)

 靖国神社公式参拝の定着を!
 生き残った戦友各位よ
 あの戦友の死とは、なんであったのか……
 さきの大戦に生き残った我々の抱く英霊への心情は、単に慰霊・追悼の行事のみにとど
めてよいのだろうか……。
 あの戦友の死とは何であったのか、もう一度あの戦場に立ち返って省みようではないか。
 いま英霊に声あれば、今日英霊のおかれた報われぬ死に悲憤し、この祖国日本の心なき
変節に激怒する血涙の絶叫が聞かれるであろう。
 我々はこの英霊の叫びに何と応えるべきか。多くの亡き戦友の殉国の心を、正しく次代
に継承することが、生き残った我々の一人一人に託された使命と心得るべきではないのか。
 生き残った戦友の各位よ、我々の多くは、あと十数年をまたずに消えて逝くことであろ
う……。残された時間には限りがあるのだ。この世に何を残すべきか、一考しようではな
いか。
 それは慰霊・追悼にもまして、英霊が求めている「英霊の名誉回復」なのである。戦友
各位よこの英霊の絶叫の実現のため集結しようではないか。

960791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/13(水) 19:51:10 ID:WaZybgIg
以上、31編目の投下終了です。

一応説明しておくと、この編は
『爺様が戦友会誌上で、靖国でもらったパンフレットの内容を、戦友会の各位に紹介』
という趣旨のものです。

爺様の素の文は、最初の5行のみです。
明確な区別を付けるために、空行を付け加えました事をご了承ください。

>954
俺も参拝の時、何も思い浮かびませんでしたよ。
なので『いくつかのきっかけが合って、ここまで参りました』という心象のみで二礼二拍
一礼してきました。
いいんじゃないですか? 英霊に敬意を表しにきたというだけでも。少なくても参拝しに
来たというだけで、最低限以上の礼を尽していると思いますよ。英霊は会社の受付の様
に、来訪目的は問わないと思うなw
961791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/13(水) 20:04:30 ID:WaZybgIg
自分のレスを改めて読んで

英霊:「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょうか」
参拝客:「あの、昇殿参拝をしたいのですが」
英霊:「それでしたら、参集殿にて受付ております、ここを出て左側の建物に
      係の者がおりますので、そちらにお声かけください」

なんて情景を想像した俺は、かなりバカだと思います……
962791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/14(木) 18:34:43 ID:M9jCzXPk
概要紹介『俳句が縁で遺族が亡父の消息を知る』

個人名が多いので、概要を説明するにとどめます。

1)爺様は地元で俳句の会に参加している。
2)その会の席で、たまたま爺様の部隊の話をした。
3)すると会員の一人の父親が、同部隊に所属していた事が判明。
3)その会員さん、父が終戦時に死亡という事しか知らされていなかった為、
  今までその詳しい消息を知りたくても知る術がなかった。だが実は自分
  の身近に爺様という生き証人がいた。
3)爺様とその会員さん、偶然と意外性に双方びっくり。
963791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/14(木) 18:35:15 ID:M9jCzXPk
【追悼文】
 故○○○○様の逝去を悼む    箏葺弓六

 昨年は戦友の一人二人、歯の抜ける様に去って行かれる中に、ミ隊の父と慕われて居ら
れた○○様を送ってしまった。
 「遠く来て通夜の武蔵野梅雨走る」
閑静な屋敷町の中に通夜の読経が流れ心なしか庭石も濡れ立って、この別れに耳をかたむ
けて居る様でした。
 「梅雨じめり有魂だゝよう庭に立つ」
曽っては満蒙の荒野に戦車を疾駆させ、其の威力と意思堅い技術の勇士も、物語りの一こ
まとして消えて行く夜だった。この別れに悲しみを込めて其の夜は親しく弔辞を書いて見
た。

    弔 辞

 故人は満州○○○○部隊第三中隊主力として、戦車、自動車の修理技術に長じられ、部
下の面倒見も良く兵からは父として崇められて居られ、又私達後輩には神様の様に諸事を
教えられ悪い時は身替りとなって助けて下されました。戦後散り散りになった部下を集め
られ、いつもお忙しい中を戦友会の中心となられ一泊や二泊の旅行等良く計画されました。
其の通知にはかっての赤紙の招集令状を使われ、何の太郎兵衛、何時何分東京駅地下ホーム
へ集合すべし等書いてありました。集って見ると我が子が懐へ帰った様に喜ばれ、その顔
などは忘れる事は無いでしょう。又帰りには皆に堅く手を握られて「今度の旅行は気に入
りましたかね、体を大切にして又来てくれよな」と繰りかえされたものでした。
 その故人、父を失った様な悲しみの中に今日御霊を送る事になってしまいました。余り
にも悲痛は此の上無く、此のミ隊隊旗のもと、戦友達の肩におつかまり下さい。曽ってテ
レビで見た軍人俳優鶴田浩二さんの葬儀の時の様に葬送ラッパは吹けないけれど、此の戦
友達が手を取り合って心からお送り申し上げる次第です。良き父よさようなら、お静かに
お眠り下さい。

 「弔辞書く深夜の涙梅雨しとど」
964791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/14(木) 18:52:17 ID:M9jCzXPk
32編目の概要、ならびに33編目の投下終了です。
32編目に関してはこんなもので勘弁してください。

33編目に関しては、これをテキスト起こしするのが俺自身である事を大変な役得に感じました。
こんな万感のこもった文章を、指先でも味わえるなんてそうある機会じゃない。
爺様の戦友達、これほどの絆とユーモアで結び合わされているのだな、とタイピングしながら
実感し続けることができました。

さて、この先の紹介ですが、長短合わせて四編とさせていただこうと思います。
この他に、戦友会の故人の句を、爺様が選んで掲載したと思われるものが二編、ラボール小唄
(ラバウル小唄?)の替え歌が一編あります。
後者の方は、興味の或る方が居るようでしたら、追加で紹介できそうです。

ではでは
965八咫烏 ◆cPmkHzc4Fc :2008/02/14(木) 18:54:05 ID:d1cdq8rX
乙です! ・゚・(つД`)・゚・
966マンセー名無しさん:2008/02/14(木) 20:28:17 ID:mbmcbGmM
つも乙です。
下に貼付けたレスは戦争とか韓国がとか全然関係ない
某なつかしアニメを語るスレから拾ってきました。
何気ない時にこういうことを自然に胸に上らせる人は絶えていません。
じい様たちは忘れ去られてなんかいません。
もし機会がありましたら,その事お伝えください。


36 名前: Mail: sage 投稿日: 08/02/14(木) 20:14:39 ID: rFEMdnR3 [ 0 ]

このアニメって1940年代くらいに作られたんだよね。
大人になってから子供に付き合ってこのての古いアニメみてるんだけど
テーブルに並ぶごちそう(骨付きのでかい肉とか何種類ものデザート
みたいな)や、大きくて快適そうな家とか見てるとこんな国と
戦争しても負けるわな、と思ってしまう。


今でこそ日本も同じくらい豊かになったけど、激動の時代を生き抜いて
日本をここまで発展させた爺ちゃん婆ちゃん世代に感謝だわ。
967マンセー名無しさん:2008/02/14(木) 21:35:43 ID:JeyJBmFZ
>>791さん
お疲れさまです。もう残り少ないのですね。。。

それにしても「父」かぁ。自分は絶対に言ってもらえないセリフですね。
旧日本軍って言うと、いじめがひどいとか縦の関係に余りよいイメージがないので
(もちろん、戦後のネガティブな教育のせいだとは分かっているのですが)、
こういうお話は心が温まります。

>後者の方は、興味の或る方が居るようでしたら、追加で紹介できそうです。
興味あります。ノシ
968マンセー名無しさん:2008/02/14(木) 22:14:30 ID:7YaImpT3
969マンセー名無しさん:2008/02/14(木) 22:26:59 ID:XnSKdujP
>>967
軍隊でぶんなぐってた上官の中に、朝鮮人軍人も
いたんだよ。
970醜男 ◆SiKoOok7TQ :2008/02/16(土) 21:09:01 ID:L487ukuu

  ∩_∩
 (*´・(ェ)・) ∫ 残り少ないから遠慮してるのかな?新しいの立てとくね。
 //\ ̄ ̄旦\
// ※\_(,;;゚;)_\ヾ∩∩
\\  ※  ※ ※ ヽ-(ェ)-)
  \ヽ-―――――ヽ
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
971醜男 ◆SiKoOok7TQ :2008/02/16(土) 21:10:59 ID:L487ukuu

  ∩_∩
 (*´・(ェ)・) ∫ ハイよ♪
 //\ ̄ ̄旦\
// ※\_(,;;゚;)_\ヾ∩∩
\\  ※  ※ ※ ヽ-(ェ)-)
  \ヽ-―――――ヽ
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

爺さんの体験談代筆スレッド 巻の二
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1203163779/
972791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/17(日) 01:06:54 ID:WVD5r2il
乙です、しかし遠慮していた訳ではなく、単にテキスト起こしを
していなかっただけなのです…ナンカ シンパイ カケサセチャッタ カナァorz……

日曜ですので、一編くらいは起せると思います。というか、いい加減
進めねば。
973791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/17(日) 01:49:51 ID:WVD5r2il
○○○○(※:爺様や俺が在住する地名です)
 「秋の日の静かに暮れて旅情生む」

 何時かは戦友の皆様を私の故郷のひなびた温泉へもお招きしようと思って居りました所、
この度ご賛同を得まして有難うございました。
 見られた通り私の郷土も時の流れに従って、東京の近隣でビルの林立に洗われ、小さい
時の兵隊ごっこの野原や、小鮒釣りの川づたいも住宅地化して昔の面影を無くして、新住
の人達で埋まってしまった。戦友の皆様には大したご案内出来ず恐縮して居ります。
 只見て頂きたかったものに、当駅から上へ五百米の所に天然記念物樹齢一千年の大欅を
見て頂きたかったものです。写真を添えて置きました。樹の廻り十四米、高さ二十米とも
言われて居ります。翌日神奈川の屋根、大山も天気が良くて、秋の散策を楽しんで頂けた
かと思います。
974791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/17(日) 01:50:13 ID:WVD5r2il
招魂碑

 今から四十五年位前になるかな、シベリア労苦の帰還兵として降り立った故郷の駅には
懐かしい村人達が小旗を振って、「ご苦労さま」「ご苦労さま」と迎えられ、鎮守の森ま
で行列して下さった。丁度駅からの道は見渡すかぎりの桑畑と黄色く熟れた麦畑でした。
長いシベリアからの帰国の道でしたが、「生きていて良かった、良かった」と思いつつ
毎日の夢は故郷の山々とおふくろのぼた餅の味で嬉しくて食事も喉を通らなかった。痩せ
衰えたこの敗残の兵を村人は暖かく迎えて下さったのでした。
 もう生きて帰れないだろうと小さな胸に抱きつつこの社を去って行った時とは全然逆に
石段がここでは、弾んで見えたのでした。又かたえには弟を始め従兄や先輩、後輩の青年
兵士達が国の命令に殉じて生きたくも生きられなかったこの人達の運命の碑、招魂碑へ深
く頭を下げるものでした。この社の儀式には通常祭典の外にいつも、招魂祭が合わせて行
われ村の先輩達の慰霊が取り行われて居るのです。今でも除夜の鐘に引き続いて私の初詣
ではこの社で拝む事にしているのです。

 「春祭 女宮司の声透る」
 「温め酒祭典会議末席に」

975791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/17(日) 02:14:35 ID:WVD5r2il
勢いをつけないと、何時までも残りを起さずにいそうだったので、取り急ぎ作業して参りました。
34編目および35編目、投下終了です。
34編目は、割愛するつもりだった一編ですが、再考してここに紹介させていただきました。

冊子を貰った時に、爺様の口から地元に大きな池があったことを聞いて驚いた覚えがあります。
俺は爺様の言う所の新住の人になるのですが、生れて喋るようになったくらいには、すでにこの地
に居ました。だけどそんな池のことはまったく記憶にない。
野原や小鮒釣りの小川などは幼少の記憶としてあるのだけど、それすらすでに爺様の原風景から
離れていたようです。

村がやがて町になって住人が増えるにつれ、爺様は一体どれだけ多くの、もう懐古の中にしか無い、
風景を抱え込んできたのだろう。
俺程度の若輩でも、子供の頃飼い犬を連れ(正確には引綱を手放さないように必死に握りしめながら
引っ張られてた)散歩した川沿いの未舗装道を、その川べりのアシの先を抜いて笛にして吹いた事を
懐かしく寂しく思い出すことがあるのに。

爺様が文章書きでよかった、その一部だけでもこうやって記録として残せる。

ではでは
976791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/17(日) 19:15:28 ID:WVD5r2il
東満の町
さらば大肚子よ (ラボール小唄の曲で)    箏葺 弓六

1)
さらば大肚子よ また来る頃は
 戦戈も過ぎ来て 小麦は熟るる
恋しなつかし あの丘あたり
 戦友と競へり 早駆けを

2)
さらば大肚子よ 一人の夜は
 銃をかまえつ 道哨淋し
恋しなつかし 大肚の街に
 あの娘も達者で 居るかしら


3)
さらば大肚子よ あの街恋し
 町の角辺に 立ち居る柳
語るも楽しい 兵士の夢を
 今も知ってる 芽ばえてる

4)
さらば大肚子よ 思い出小川
 一木一草 平和に流る
互にまみえる 時もあらうが
 忘れておくれな 語り草

977791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/17(日) 19:24:32 ID:WVD5r2il
37編目、投下終了しました。
興味をもたれた方がいらっしゃったので、替え歌歌詞を紹介させて
いただきました。

36編目は故人の歌を爺様が選出したものだったので、割愛しました。
38編目も同じくだったので、これも割愛します。次の投下は39編目に
なります、冊子の中では長い部類の編ですが、明日にでも投下できれば
と思っています。

ではでは
978熱湯 ◆NettobIFhI :2008/02/18(月) 09:07:51 ID:NzVKUOqG
>>971
くまさん乙ですあるがとー
|∀・).。oO( 残りが少なかったから、感想も遠慮してましたw
979791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/19(火) 00:08:10 ID:Un6XD7DL
すいません、今夜は起こしきれませんでしたorz
2レス分くらいですが、ちょっと作業開始が遅すぎたです。
明日以降、起こし作業を完了させます。
980八咫烏 ◆cPmkHzc4Fc :2008/02/19(火) 00:22:14 ID:PwiFEirU
いつもありがとうございます。ゆっくりお待ちするのも楽しみですので、じっくりとお願いいたします!
981791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/19(火) 19:03:30 ID:Un6XD7DL
第○○○○部隊の皆様へ(1/2)    箏葺 弓六

 戦後もう五十年が過ぎました。兵役の無い日本、経済大国日本と平和な生長を見て、
感慨無量という現実の中に日々を過ごして居ります。兵役の義務を背負って赤紙一枚の
令状から人生がこんなにも狂わされて、生死の助け合い、庇い合いをした戦友諸氏の思い
出を綴り合わせた「戦友会だより」も四十号と続いた。
 戦前の若いころ良く浅草の劇場で映画劇場でアメリカ映画の大平原。平原児。シェーン
と広大な平原絵巻やフランス映画の外人部隊、モロッコやペペルモコ(望郷)、ロシア
映画の「どん底」を見て想像していた事がまさか現実に我が身に振りかかって来るとは夢
にも思っても見なかった。
 出征を知らされる赤紙令状が来るや当時兵役義務を持つ日本男子として国防の一語の下
に防人となるべく、最愛の妻を置いて親兄弟に別れを告げ青年意気に燃えつつ満蒙荒野に
銃剣をひらめかせ、戦車で野山を乗り廻した思い出はつきない。
 満州は広かった。あの山、あの丘、あの野原に白の芍薬とアルプスのお花畑の様な所で
行けども行けども家のない国境の平原だった。その中にあって苦楽を共にする戦友諸君と、
日夜戦闘訓練や自動車、戦車の修理技能訓練に忙しく鍛えられ、北の守りと国境警備に神
経を磨り減らして居ったのです。
982791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/19(火) 19:03:44 ID:Un6XD7DL
第○○○○部隊の皆様へ(2/2)

そんな訓練も本番になってびっくりした事は既に主要な兵器は沖縄へサイパンへ、内地防衛
へと転送されていて東部戦線には大砲はいくらも無かったと、当時のソ連軍大部隊の進入
には抗戦空しく敗戦となり、幾度か死線をくぐりぬけた後、シベリア流刑と人生は狂いに
狂った。極寒と飢えに追われ石炭掘り、鉄道建設、道路作り、伐採、畑仕事の重労働と疲労
に追われ、倒れる兵を庇い合ったのに遂に帰れず、遠い異国の果に墓参もないあの山にも
この谷にも戦友を見送ったのです。幸いにも堪え忍び生き永らへて帰還、戦友達と今の平和
を噛みしめながら靖国の庭に語らい合へる喜びは感無量、夢の様な日々が続いて来ました。
だがもう戦後は五十年懐かしいあの人もこの人もの旅立ちを聞く。あの当時の若い人達も
幾許もなく八十に手の届く人生だもの「皆さん一日でも元気で永らへて最後の一兵まで
戦没者、物故者と靖国の庭へ語りに行かうではありませんか」私もこの戦友会だよりは
家宝として歩ける中は毎年皆様に会いに行くつもりで居ます。毎年四月二十九日午前十一時
靖国神社拝殿へ拝観にのぞんで長い間役員の方々ご苦労様でした。又つたない小生の随筆
でしたがご愛読有り難うございました。                          多謝


 永い間ご苦労様でした。さぞかし故人も喜んでいることでしょう。   ○○○○


983791 ◆9zatwGbxuw :2008/02/19(火) 19:13:47 ID:Un6XD7DL
39編目、投下終了しました。
楽しんでいただいてきた爺様の文章も、あとがき含めて二編を残すのみです。
次の一編も随筆というより記録に近いものがありますので、今回が最終編なのかも知れません。
36編と1編の概要、2編を省略しましたがそれでも結構な量があったと思います。それが長かった
のか短かったのかちょっと解らなくなってきています。

ともあれあと二編、近日中の投下を予定しています。皆様にはもう一付き合いをお願いいたします。
984八咫烏 ◆cPmkHzc4Fc :2008/02/19(火) 19:25:30 ID:PwiFEirU
乙です! ・゚・(つД`)・゚・
985マンセー名無しさん:2008/02/20(水) 18:09:08 ID:yuy7Dbhm
本当に乙です。
986マンセー名無しさん:2008/02/20(水) 22:12:26 ID:WIpLJqdx
感謝です。
987マンセー名無しさん
>791氏
テキスト起こし本当に乙です
読み応えのあるこの良スレもあとわずかとなりましたが
次スレもきっと良スレになると確信しています