爺さんの体験談代筆スレッド

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315 ◆buj6R88svw
『後方の部隊には功名心に焦る朝鮮人が多数いて、一部の将校たちの間では
これが悩みの種となっていた様だ。こうした連中は自己顕示の為なら如何な
残虐行為も厭わず行った。特に制裁の仕方について、それは顕著だったよう
である。朝鮮人への制裁は、朝鮮人に任せておくのがよいであろうとの隊指
揮部の計らいが裏目に出た例を一つ記したいと思う。
満州国のある後方部隊での話であるが、具体的な部隊名は記さない事にする。
それは、制裁を受けた理由が泥棒をしたという不名誉な事柄なのと、あと一
つはその兵隊が死亡してしまった事にある。不名誉なこととはいえ、事実を
知ってしまったら、その時の遺族の気持ちは筆舌に尽くしがたい。当然、軍
もこうしたことには特別の配慮をしたりするもので、名誉の戦死という扱い
になったようである。
それは、銀バエ(現地での物資調達の任にあたる兵隊の俗称)をしていた、
丹沢という日本名の、朝鮮人兵が仲間の金品を盗んだというものだった。
盗みが発覚したのは、盗品の中に一本の万年筆があった為だった。当時の万年
筆は非常に高価なもので、持ち主がよほど裕福な出身だった事を容易に想像さ
せる。苗字が彫られていた事から、すぐに持ち主は割れた。九州の出身で鍋島
藩家臣の末裔というその兵隊は、自分の持ち物であると認めたものの、貸して
やったものだと言ってその朝鮮人をかばおうとしていた。しかし、彼方此方の
兵隊から金銭や物品が無くなったという報告が多数寄せられ、丹沢の持ち物か
らは隠してあった多額の現金も見つかり、もはや言いのがれは不可能だった。
すぐに丹沢は呼ばれ尋問を受けるが、ほどなく自分の仕業であると認めた。』

*** つづく ***
316 ◆buj6R88svw :2006/08/21(月) 21:06:06 ID:oNLfRvl2
*** つづき ***

『部隊には、日本名が清水という朝鮮人の古参兵がおり、制裁は自分に任せて
ほしいと名乗り出てきた。「同じ朝鮮人として恥ずかしい」とのことだった
が、これはきっと大事にすることなく、なんとか制裁ですませて欲しいとい
う朝鮮人の同郷のよしみであろうとの判断から、部隊長がそれを許可した。
そうして制裁は清水の兵舎で執り行われることとなった。
制裁を受ける者を中腰にさせ、精神注入棒と書かれた竹刀によって臀部を叩く。
いわゆる、けつバットとか、バッタと呼ばれるものである。二十本も叩かれた
頃であろうか、精神注入棒がささくれて竹刀がバラけたあげく使い物にならな
くなると、その清水という朝鮮人は、樫の木刀を持ち出してきて丹沢の臀部を
容赦なく、慢心の力でもって叩き続けた。痛さのあまり、身をよじる丹沢に向
かって「貴様、俺のバッタをよけるとは何事だ」と叫び、狂ったように制裁を
続けた。臀部は3倍にも腫れ上がって、おまけに身をよじった為か、金玉をし
たたかに打たれ、股間までがものすごいことになった。
まわりにいた日本人はもとより朝鮮人も、あまりの酷さに辟易した。
また清水のずるさゆえか、この制裁のときは、うまく古参の兵隊や上官を遠ざ
けて事に及んだのであった。普段なら「それくらいにしておけ」と言ってくれ
る者は誰一人いなかった。格下の兵隊たちは、唯々見守るしかなかったのだ。
一人の初年兵が「足の骨が折れているようだ」と言った声を聞きやっと清水は
その手を止めた。そして「貴様は、朝鮮人の面汚しだ。俺の信用が無くなった
らどうしてくれる」と言い、丹沢の背中に唾まで吐いた。』

*** つづく ***
317 ◆buj6R88svw :2006/08/21(月) 21:06:52 ID:oNLfRvl2
*** つづき ***

『椅子の背もたれ掴んだまま、丹沢はぐったりしていたが、そのときはまだ意識
はあった。すぐにタライを持ってきて、3人がかりで丹沢のケツを冷やした。
体を支えるだけなら二人でも出来たが、両足とも大腿骨を骨折していたので、
足を持つことが出来ず、もう一人が腰をつかんで支えるしかなかったのだ。
顔色が蒼白から、紫色になってきたので、これはまずいぞと軍医のところへ運
んだが、その日の内に死亡してしまった。
「全てはうまく計らうから、安心して任せてほしい」と自分が如何に優秀な存在
かを上官に顕示した清水に、人として一番卑しい部分を見せられたようだった。
このあと、清水は別の任地へ赴かされることになる。日頃、上官や古参兵には
媚びへつらってうまく立ち回り、格下の兵隊には威張り散らすという絵に描いた
ような性悪の清水だったが、さすがに味方の兵隊に殺人までやらかした者となる
と、上からも下からも信用されなくなる。一部の兵隊からはリンチに架けようか
などとも囁かれたようだ。「ドンパチ始まったら、奴を後ろから撃ってやろうか」
と言って憚らない兵隊も中には居た。
戦場で打ち合いになった時「弾は前からだけ飛んでくるとは限らない」そん
なあるはずのないことが起こるのが戦場の実態だ。本来そうしたことはあっては
ならないし、前方の敵だけに集中出来なくなるのは絶対に好ましくないのだが。
朝鮮人の身勝手な振る舞いにより、協調性という隊内の根幹にも係わってくる、
こうした問題はこれ一件だけではなかった。またある部隊では「朝鮮人兵には、
もっとたくさんの唐辛子を支給しろ」という要求がされたりもした。嘘のような
話しだからきっと誰も信じないだろうが、こうしたことは実際にあった。』