>>924 あれのどこが朝鮮文化?
あれは中国文化とインド文化の結合ですが・・・?
また、仮にあれを朝鮮文化だとしても、現在の朝鮮半島にああいう建物が残っていないから
朝鮮人が朝鮮文化を自ら捨てたってことになるけど?
というか、平壌に法隆寺と同じものを作ろうとしたら材木確保の段階で挫折だろう。
そんな土地では木造建築の技術はあまり発達しない。ニーズが無いのだから。
>>937 つーか、
木は燃やすものでしかねぇべ>>朝鮮半島
名前まで中国のパクリの韓国人
■新しい順序の「百家姓」 李・王・張がトップに
中国国家自然科学基金会にサポートされた最新の研究に基づいて新しい順序の中国の
「百家姓(中国によくある苗字を収録した書籍)」が出版された。新しい順序は次の通り。
李、王、張、劉、陳、楊、黄、趙、周、呉、徐、孫、朱、馬、胡、郭、林、何、高、梁、鄭、羅、
宋、謝、唐、韓、曹、許、ケ、蕭、馮、曾、程、蔡、彭、潘、袁、于、董、余、蘇、葉、呂、魏、
蒋、田、杜、丁、沈、姜、範、江、傅、鐘、盧、汪、戴、崔、任、陸、廖、姚、方、金、邱、夏、
譚、韋、賈、鄒、石、熊、孟、秦、閻、薛、侯、雷、白、竜、段、?、孔、邵、史、毛、常、万、
顧、頼、武、康、賀、厳、尹、銭、施、牛、洪、?(キョウ)。
この調査と研究のリーダーである中国科学院・遺伝および発育生物学研究所の袁義達研究員によると、
同調査は二年間にわたって全国の1110の市(県)でくりひろげられ、2.96億人のデータを対象として4100の苗字を集めた。
調査対象となったこの4100の苗字の中で、1、2、3位は李、王、張であり、それぞれ全国総人口の7.4%、7.2%、
6.8%であったが、この三つの苗字の数はいずれも1億人を上回ることはなかった。
中国の総人口の1%以上を占める苗字は18である。0.1%以上の苗字は129で、全国の総人口の87%。
「チャイナネット」 2006年1月11日
http://www.china.com.cn/japanese/215599.htm
いや、正しく書くなら建築様式のうち柱なんかはアテネやミケーネ文化、
瓦などとデザインは中国文化、存在意義と装飾はインド文化
朝鮮文化って、あの建造物群のどの辺かな?
>>940 そういう理屈が成り立つなら
あれらは日本文化とインド文化が結合したものです
失礼。もっと西域でした
シルクロードものですね
>>943 百済人と朝鮮人を一緒にしたらいかんだろ!
百済人に失礼だぞ。
中国様に国号をいただいたのが、よほどトラウマだったとみえるレスを発見。
かわいそ。
>>946 それは間違いです
そもそもエスニシティも認めうる「百済人」なるものが存在しません
原住民は倭人
王族は扶余なので
>>948 ?
百済という国に住んでる人=百済人
って事には成らないの?
国自体が無かったって事?
>>949 単位として成り立っていないということです
どのような文化を持っていたのかもわかりません
どんな言語が話されていたのかもわかりません
バラバラの言語が話されていたということだけが記されています
なるほど。
しかし、半島には文献が遺って無いから話がややこしくなるねぇ。
要は良く解らないって事?
952 :
マンセー名無しさん:2008/02/02(土) 21:13:44 ID:ILL/4c9Q
●日本における朝鮮文化のウソ●
戦後、韓国と北鮮は、負け犬の遠吠え的ウリナラマンセー教育で国民を洗脳し、日本に与えた影響力を
大いに誇張して喧伝することによって、地に落ちた自尊心を回復しようとたくらんだのである。
(また、半島における中国の影響も、ほとんど無かったコトになっている。w)
それとは逆に日本では半島史研究が急速に衰退したので、連中のデタラメを無批判に信じ込む
反日ブサヨク教師・学者・マスコミが言いたい放題を繰り返していたのである。
良い例が高松塚古墳の壁画だ。どう見ても漢人の風俗なのに、朝鮮文化だと騒いでいた。
ソウル・平壌を含む半島の主要地域は、B.C.108〜A.D.313まで400年間も漢人の植民地(楽浪郡
・帯方郡)で、それ以降も半島には漢人・楽浪文化=中国文化のコピーが現在まで続いている。
そして半島に朝鮮(韓国)文化らしいものが芽生え始めたのが、新羅が半島南部を統一した、
7世紀後半以降である。
朝鮮文化が成立する前のハナシなのに、「これは朝鮮文化だ!」と喧伝するのは危痴害の戯言
以外の何ものでもない。
朝鮮人が「朝鮮文化を日本に教えてやった」と言っているものは、すべて漢人たちが伝えた、漢・楽浪文化だ。
要するに、313年に楽浪郡・帯方郡が滅ぶと、漢人達が徐々に南下してきて半島南部や日本側に渡っ
て、その文化を授けたのである。
代表例が、日本に漢文を大系的に伝授した漢人の王仁博士で、同じ時代に百済も漢人に漢文を
教授されているのだ。
>>952 いくつか間違っているので・・・
>そして半島に朝鮮(韓国)文化らしいものが芽生え始めたのが、新羅が半島南部を統一した、7世紀後半以降である。
間違い。半島には一貫して独自文化というものが存在した試しがない。
とくに統一新羅の時代は名前を漢族風に改めた頃。制度もね。
その直前がわずかに面白くて、スキタイ的な(おそらく匈奴の影響)金細工とかガラス細工とか大和系の勾玉なんかがあったりする。
>日本に漢文を大系的に伝授した漢人の王仁博士で、同じ時代に百済も漢人に漢文を教授されているのだ。
王仁はそもそも実在自体が疑われています。
954 :
マンセー名無しさん:2008/02/03(日) 03:27:03 ID:RpH/dIQu
王姓は楽浪郡の主流だから、王ナントカという漢人の学者が
百済や日本に来てたのは間違いないだろうな。
ではそれ以前の文書は、誰がどうやって書いていたのだろう?
刻書土器、墨書土器
銅鏡
>>953 > とくに統一新羅の時代は名前を漢族風に改めた頃。制度もね。
そういう意味では「新羅は日本より進んでいた」は事実と言えなくもないよねw
■【隋書】より
新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來
<訳> 新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。
日本のほうが雨が多くて土壌が肥沃だから、人が多くて国力があるのは当たり前なんだけどな。
文化にあるのは上下じゃなく差異だと思うけど、記録が残ってないと比較のしようがない…
ここで言う珍物とは具体的になんだろう?
すぐに思いつくのは、大陸では産出も加工もできなかったと思われる硬玉の
曲玉だけど他に何かある?
漢文的レトリックだけど
絹織物とか。
あと金銀の産出も多かったかもね。
真珠じゃないの
真珠が「多く」取れるようになったのは養殖が始まってからでは?
金銀はどうなんだろう。たしか奈良の大仏は奥州で金が見つかって全身を金めっきにできたんだよね。
それまでに倭国が取り尽くしちゃったのか、奥州の金がそれまでに比べて飛躍的に多かったのか。
だから漢文的なレトリックだというのに。
大国にして尊い国といったような意味だよ。
>>79 世界のどこの国の歴史にそう書いてあるの・
チョーセン民族が作った文明、文化など歴史上存在しないことは、
世界の常識。世界中の教科書に書いてあります♪
969 :
マンセー名無しさん:2008/03/17(月) 01:52:58 ID:rfS3ushv
>>954 王仁は倭人自身が漢文を読み書きできるように教える教師として
倭王が百済に献上させた人物。
それ以前の漢文は、帰化人の書記官が書いていたが
帰化人系の氏族は身分が低く、読み書きは卑しい仕事と
考えられていた可能性がある。
だから応神天皇は王仁を皇子の家庭教師にして漢文を習わせた。
明治天皇がビフテキ食ってみせたようなものかと。
古代朝鮮はイルボンと支那王朝の緩衝地帯兼干渉地帯だったんだろうな
最先端文明の支那
支那化している文明的朝鮮
バーバリアンヤマト
>>969 自分なりの解釈があるんだろうが
もっと調べるべき
実在するかどうかも怪しいんだよ
977 :
マンセー名無しさん:2008/04/30(水) 20:42:58 ID:aUt7gu0s
>>971 たいした根拠もなくやたらと架空視するのは実証主義史学の悪癖。
>>977 まず事実として、
伝えられたとされる千文字が伝えられたとされる時代には成立してないわけで。
979 :
マンセー名無しさん:2008/04/30(水) 20:59:15 ID:O11fAfOa
>>977たいした根拠もなくやたらと朝鮮を日本史に関わらせたがるのは
日本と日本国民に縁もゆかりもない在日朝鮮人の悪癖。
980 :
マンセー名無しさん:2008/05/01(木) 05:02:43 ID:QuwmKECW
千字文は一種類でなくいくつも種類があるのだが。
その事実をあえてふせて最も有名なものだけで時代が違うと切り捨てるのは隠蔽工作。
さらにいえば千字文もってきたってのは古事記がいってるだけで
日本書紀にはそんなことは書かれてない。
>>979 百済は今の朝鮮人じゃなくて、
むしろ今の朝鮮人の先祖に滅ぼされた側だろ。
さらにいえば王仁は
>>954氏が指摘したように
楽浪系漢人であっていわば中国人。
>>980 応神天皇 (4世紀後半)
武帝 (在位502年 - 549年)
周興嗣(生470 - 没521年)
後に別の千文字がつくられたことは知られているが、周興嗣以前にあったとは考えられていないわけだが。せいぜい原型があったとかの話だ。
で、一つの民族を滅ぼすことなど技術的に不可能だよ。
そもそも百済と他国でエスニシティが決定的に異なっていたとされるわけでもないし、
百済に単一なエスニシティが認められるわけでもない。
新羅でも百済でも基本は倭人だし、百済については元来の住民と王侯は別種であると明確に記されてる。
というか、4世紀後半に王仁が渡来するまで、日本では漢字が使えなかったとしたら
それ以前の外交文書とかはどうやって書いていたんだ?
>>983 なるほど。描いた人物が倭人か渡来人はともかく、少なくとも王仁以前の日本に
漢字を書く人物がいたのはほぼ確実と