後漢 倭の奴国を接見
三国志魏(呉) 吏訳所が倭の30か国に・帯方郡(夫余王−尉仇台を祖とし尉燦(さん)・尉珪)
六朝東晋・宋 倭の5王のときに随員13人(司馬曹達)
六朝南斉 加羅国王荷智(韓国王日)・北魏が百済に襲来(百済王−余牟大・将−沙法名)
六朝梁・陳 都督倭王六国諸軍事(このころ千字文の周興嗣や崇山少林寺の達磨大師)
唐 興福寺(藤原鎌足)・白村江(将−沙相如)・国分寺(藤原不比等)
北宋・南宋 相国寺(天台山5寺[径山・天童ほか]・栄西の臨済宗・道元の曹洞宗)
明初 安国寺・勘合貿易(遣明船[幕府船・大内船など・10年1朝貢])
明朝 マカオ貿易・秀吉問題で明側対日禁輸・朱印状貿易(南洋経由の明国密貿易)
清 オランダ東印度会社の出島貿易の独占(吉宗の出島に福建・広東・カンボジア)
明−高麗王(李朝)_3年1朝貢
清−朝鮮国王(李朝)1年4朝貢
李朝−対馬藩宗氏とのみ通交
明中期〜清全般は日本と鎖国(マカオ・南洋・オランダ会社経由)