韓国の歴史の誇張や捏造を暴こう! 十七

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30マンセー名無しさん
○吏譯轉 有異同 臣智激 韓忿 攻帶方郡崎離營。
 時〔帶方〕太守弓遵 樂浪太守劉茂 興兵伐之 遵戰シ 二郡遂 滅韓。
○其〔百濟之〕舊地没 於新羅靺鞨夫餘氏 〔百濟之〕君長遂 絶。
○其地自此 爲新羅及渤海靺鞨所分 百濟之種遂 絶。
『資治通鑑』巻第二百一 麟コ二年(乙丑、六六五)10.
 上命 熊津都尉扶餘隆 與 新羅王法敏 釋去舊怨;
 八月,壬子,同盟于熊津城。劉仁軌 以新羅百濟耽羅倭國使者
 浮海西還,會祠泰山,高麗亦遣 太子福男 來侍祠。

『舊唐書』東夷傳>>鴻臚寺奏:新羅國告哀、質子及年滿合
>歸國學生等 共一百五人、並放還。>>放還藩、賜物遣之
> >新羅国が哀願して告げる 人質の王子および期日が満期の
> >(藩に還えらしめんと放つ

衛満(高麗靺鞨・太宗)→ 箕子(質子・藩・王弟)
故眞蕃朝鮮胡國・虜乱 → 朝鮮縣城(平壌城[明朝の城・漢人])

『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳晉陳壽撰(宋裴松之註)
>今使譯所通三十國
>今(いまし)は使訳(吏訳)が所(お)り 30国に通(かよ)いあり。
 晉陳壽の現在は翻訳役人(吏訳)が所在(駐在)していて
 倭の国内の30地域と通交(交易)している。

『宋書』列傳夷蠻(抜粋)宋何承天初撰 梁沈約完成
>讃又遣 司馬曹達 奉表 獻方物
>讃は表を奉じ方物を獻ぜんと司馬曹達を又遣わす。
 倭王讃は挨拶状を奉じながら宝物を献上しようと 司馬曹達を再度、宋國へ遣わした。

唐朝: 日本各地の国分寺(律令制度・中大兄皇子・藤原鎌足)
明朝: 日本各地の安国寺(勘合貿易・日本国王=征夷大将軍・源道義[足利義満])
明朝: 日本幕藩で儒学振興(朱印状貿易・日本国王=天下人・平秀吉 → 徳川家康)