韓国の宮廷料理を研究して現代に確立させたのは、戦前の日本(京都)に留学して家政学を学んだ人物です。
つまり今現在の韓国が宣伝する「宮廷料理」という物は、日本の影響が反映されている可能性が高い。 ↓
http://p2.chbox.jp/read.php?host=society3.2ch.net&bbs=korea&key=1137334237&ls=983-986n 983 :マンセー名無しさん :2006/04/25(火) 22:45:59 ID:HfFAUjM6
>>980 まさか宮廷料理とかは出してこないだろうな。
「料理」という言葉自体が、日本に統治されるまでは存在しなかったみたいだし。
「料理という言葉は日帝が持ち込んだ言葉」 by ハン・ボクリョ宮廷料理研究院院長
> 「大長今」に出てくる宮廷料理や食文化の歴史的な背景について、
> ドラマの飲食顧問を受け持たれているハン・ボクリョ院長が直接解説します。
>「料理」ではなく「飲食(食べ物)」!
http://www.chikai.jp/food/food_01.html 985 :マンセー名無しさん :2006/04/26(水) 00:00:13 ID:uda9gyMF
>>983 >私の紹介を少ししますと、1971年に韓国が国として宮廷料理を重要無形文化財第38号に定めた後、
宮廷料理を伝授する宮廷料理研究院(www.food.co.kr)というところがつくられました。
私はそこで宮廷料理を研究し、皆さんに伝える仕事をしています。
宮廷料理研究院は、現在のハン・ボクリョ院長の母親・黄慧性女史が設立したもの。
黄慧性女史は戦前、京都の学校(現京都女子大)で学び、半島へ帰って女学校の家政科の教師になった。
両班の娘だったので料理などしたことがなく、朝鮮料理はまったく知らなかったが、
日本人の校長から「あなたは朝鮮の人だから朝鮮の料理を研究しなさい」と李王家に紹介される。
当時のソウルでは、未亡人となった最後の王妃のまわりに、最後の料理女官たちがいて、伝統の宮廷料理を作っていた。
黄慧性女史はそこへ弟子入りして料理を学び、近代的な家政科の知識で体系づけ、
宮廷料理を現代に伝えた。1973年、人間国宝となる。
チャングムの料理は、その娘のハン・ボクリョが監修しているので、
李朝末期の宮廷料理に、さらにテレビ映えのする現代的なアレンジを加えられている。
●参考
明治9年(1876)に、朝鮮の京城(現在のソウル)で朝鮮政府と日本政府が、
日朝修好条規の協議を行った際に、日本側から出席していた全権大臣や
外務大丞などの一行が、朝鮮政府から振舞われたという料理のお品書きと参考写真。
→
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/osinagaki.html ( 明治開化期の日本と朝鮮(9) 宮本小一外務大丞、朝鮮国京城に行く
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi020.html 「食事のことなど」)より。
●韓国の歴史は、願望と欺瞞と捏造で塗り固められた歴史?!
日本人と韓国人の考え方の違い<`∀´>「諸君!」4月号
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=62393 韓流「自己絶対正義」の心理構造<`∀´>「諸君!」4月号
櫻井よしこ(ジャーナリスト)/関川夏央(作家)/古田博司(筑波大学大学院教授)より抜粋
櫻: 「日中韓『靖国参拝』大論争」(文芸春秋2005年8月号)のときにも
感じたのですが、都合の悪いところ、自分にとって弱いところを突かれると、
韓国の人たちは答えようとしない。そして、まったく別のところに話題をポンと変えて、また怒りだす。
古: 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ(笑)。当事者なのであまり詳しくは
お話できないのですが、たとえば意見が対立しますね。
日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、
韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかー!」と怒鳴る(笑)。
古: さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、
再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
関: 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望と言うか、
「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。
古: イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。
李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。
要するに、「自分が正しい」というところからすべてが始まる。