在日が如何にして特別永住資格を獲得したのか

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109マンセー名無しさん
U−7 アパッチ族
もうひとつ忘れてはならない出来事は、大阪砲兵工廠跡地の鉄などのスクラ
ップ持ち出しを果敢に行なったアパッチ族をめぐる出来事であった(写真1参
照)。当時の城東線、現在の大阪環状線大阪城公園駅直近の出来事であった。
昭和25年ごろ平野川沿いの低地の焼け野原に居ついたひとりの老婆が、土地
の切り売りをはじめたことをきっかけにバラック集落が広がったが、実は本当
の所有者が後に現れ、暫定使用や市有地への移転で、都市雑業、零細工場労働
者のバラック地区は存続する。ところが昭和30年ごろからの平野川堤防改修
工事で、工廠跡地に出入りできるようになり、そこで膨大なスクラップ金属に
接し、それが高い値段で売れることで、朝鮮人が主にすんでいたバラックに大
勢の金属掘り目当ての人々が流れ込んだのである。この掘り出しで、守衛や警
察との攻防戦となり、身を守るための合図が当時ちょうど封切されていたアパ
ッチ族の映画に似ているということで、アパッチ族となづけられる。マスコミ
などもこの攻防戦をアパッチ族という名称を使いながら書き立てることにな
る。昭和30年から34年にかけての出来事であった。