第二大戦の敗戦
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大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の独立
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朝鮮戦争
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サンフランシスコ講和条約(日本、占領下からの自立)
時系列くらい押さえろよな。
朝鮮戦争当時、半島の2国家既に独立してたし、日本はまだGHQの統治下。
朝鮮戦争や南北の分断は朝鮮人が自ら引き起こした、まったくの自業自得。
中国から金九という人が帰ってきた。
この人が、中国>朝鮮という形式からして統一朝鮮大統領の選挙での
当選候補だったんだが、
軍隊は、ソ連軍について回った「朝鮮共産党北四道分局」の「金日成」と
アメリカ軍と一緒に来た「李承晩」が実際の権力者だった。
ソウルには「朝鮮共産党の書記長」の「朴憲永」がいたが引き続き「監獄」の中だった。
つまり
ポツダム宣言の「イギリス・アメリカ・蒋介石中国」では、李と金しか選挙の候補には考えていなかった。
金を暗殺し、共産党を弾圧し済州島に逃げた共産党と地元住民を虐殺したため
日本に逃げて来た朝鮮共産党は、日本共産党から分派した朝鮮人の闘志とともに
占領軍のアメリカ兵と日本の警察に対し、殺害や放火で攻撃を仕掛けてきた。
社会党も日本共産党の軍事部門の日本赤軍も、北4道分局の金日成とソ連軍の指揮下で
インターナショナル共産主義を実現すべく、テロ活動に励んだ。
アメリカ軍は刑務所から共産党員と朝鮮人を解放して
農地改革で農民が、選挙による民主勢力として都市民が
アメリカ兵に味方してくれると期待したが、相反してアメリカ兵に
投石や火炎瓶に鉄パイプなどで、殺害を挑んできた。
アメリカ兵自身が傷つくのを恐れ、
極東軍事裁判で刑務所に入れた右翼や旧軍部を警察やスパイとして
共産主義や新興宗教に信者として潜入させ、刑務所から釈放し
サーベルにピストルどころか、警棒も持たせなかった
アメリカ兵が神社の境内に集めて警察官や消防団の妻や娘をレイプした
にもかかわらず、その警察官達を再武装させ
在日の朝鮮人と日本赤軍に対して再武装日本警察に発砲させた。
アメリカ兵とアメリカ民間人はいい子になった。
そこから、朝鮮戦争の南侵の口実は出来上がっていった。
朝鮮戦争にソ連は正規軍の参戦無し。
アメリカ(英米等の連合軍)は、北が南侵したときに釜山まで韓国軍とともに撤退。
南軍がアメリカの仁川上陸作戦で盛り返して、中国国境付近まで侵出した後、中国が参戦。
ちなみに、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の独立というのは、
GHQからの独立であって日本統治下からの独立ではない。
併合過激派の安重恨でさえ反日の英雄にしちゃうヤシ等に
ソンナ難しいこと逝っても理解出来ん。
大韓民国大統領の李承晩が、アメリカに対馬をくれだの九州をくれだの馬鹿なことを言わなければ、
アメが怒って、朝鮮半島はワシ等の防衛ラインに入ってないぞ、
なんてことを言わなかっただろうから、北の南侵の切っ掛けも朝鮮人が自分で作ったんだな。
452 :
ミハエル・ヴァスコヴィッチ・キム:2006/02/28(火) 21:21:14 ID:limsWc/J
伊藤博文は併合反対派
それを暗殺するんだから当然併合に賛成してるんだよな安重恨は
じゃ無かったら安重恨は物事を全く調べない
た だ の バ カ
と言う事になる。
英雄を作るのは勝手だがちゃんと物考えてやらないと後で悲惨な事になるぞ
454 :
ミハエル・ヴァスコヴィッチ・キム:2006/02/28(火) 21:47:21 ID:limsWc/J
>>453 暴力と恫喝を用いて大韓帝国に無理やり乙巳保護条約締結を結ばせた伊藤博文は、
日本国内でどのような派閥にいたとしても、朝鮮侵略の張本人に間違いない。
安重恨が伊藤博文を処断したのは、朝鮮独立運動の最初の成果だ。
ロシア帝国領カレイスキー(朝鮮)は、ソビエット連邦サハ共和国なみ。
>>454 イキデキネーヨ (^∀^)ゲラゲラ
ハライテ- ゲラゲラ (^∀^)ゲラゲラ
∧_∧ 〃´⌒ヽ モウ カンベン
(´∀` ,,)、 ( _ ;) シテクダサイ (^∀^)ゲラゲラ
へ,, へ⊂), _(∨ ∨ )_ ∧_∧ ○,
(_(__)_丿 し ̄ ̄し ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
(^∀^)ゲラゲラ
つまり、恨みを晴らすためなら後先考えない奴が英雄という事かね?
だからこの話じゃ勝てるわけ無いぞ
安重根は、家族親戚の安一族から嫌われていた。
安一族は、日本の警察、朝鮮人警察官の監視下に置かれ、重根を恨んでいた。
フランス人神父は洗礼も授けないのにカトリック教徒といっては日本人官憲を困らせ
同じ朝鮮人同士からは東学を守らない不埒なヤツと敬遠されていた。
そこにロシアのスパイが話を持ちかけてピストルを渡した。
伊藤は日本で占い師に将来を占って貰って満州に行けば死ぬでしょうとお告げで
その時に、維新の勤皇の志士が
学校教育普及担当の森有礼など人格者も含め全て暗殺や戦死を遂げて
私一人となった今、運命が怖くて死ぬのを逃げて、生き恥をさらしたくないといっている。
志士達に申し訳ないし会いに行きたいといったと言って
暗殺を励ましたと言う。
図に乗ってハルピンで殺害した。
伊藤公は喫茶店で安重根がくつろぎピストルを確認したのを日本官憲が目撃しており
ロシア兵達が日露会談の護衛で、駅構内を散開して警戒していたと現地の人は証言している。
ロシア兵はあえて安重根を暗殺間際に射殺処刑するのをせず、
むしろ何気に伊藤公と安重根の前に立ちふさがるような形成で
ロシア側にも日本側にも、朝鮮人の跳ね上がり者がロシア兵や日本要人に向って発砲した。
と言いがかる口実を狙っていたと言う。