韓国人は世界でいちばん優秀な民族である!!5

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667マンセー名無しさん
李朝は日本の明治維新後に、朝鮮女性が日本人と性的交渉をもつことを
国禁としている。もしその禁を破れば、本人は斬首刑に処せられ、
所轄の地方官吏たちも責任を問われて罷免された。それは主として、
釜山・草梁の倭館の日本人居留民たちを対象としてのものだった。
日朝修好条規が結ばれた翌年の1877年(明治10)ころの
李朝では、うち続いた凶作のために餓死者が出る状況のなか、
貧農の女たちが夜になると、ひそかに釜山・草梁の倭館を訪れていた。
食料を乞うため、日本人居留民を相手に春をひさいだのである。
それに応じた日本人の多くは船員や商人たちだったが、その結果、
数多くの女たちが逮捕され刑に処された。当時の日本の新聞が
その様子を次のように伝えている。

『東莱、釜山、水営の三役所から各長官が出張して
刑の執行を宣言する。女たちは荒縄で縛り上げられ、小さな白羽の矢で
耳の穴が刺し貫かれている。そして木枕に頭を乗せて仰向けに寝かせられ、
喉元に鉈(なた)のような刃物が当てられる。その上から
槌を打ち下ろして首を切り落とすのである。一人の女は刑場へ引き出されると、
静かに周囲を見渡し、「もはや餓死するしかなかった命を日本人のために
四、五十日長らえることができました、今日からやっと、これまでの
飢餓の苦しみから免れることができます」と言って涙を流したという』
(郵便報知新聞明治10年10月2日より要約)

なぜ朝鮮女性が日本人と性的交渉をもつことが、斬首刑をもって酬いなくては
ならないほどの大罪となるのか。それは日本人が侮蔑すべき倭賊であり、
蛮夷だからである。そのような夷族によって我が臣民女性が汚されてはならない
−−それがこの国禁の真意なのである。かつて問題となった「日本人売春ツアー
(キーセン観光)」についても、現在の「従軍慰安婦」についても、その反感の
質に「夷賊(日本人)による民族陵辱」という精神の次元が無意識に関与して
いることを否定できない。