http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1137433357/781-782 島原の乱の頃の1637年に三田渡にて受降檀を設け
朝鮮国王仁祖は三跪九叩頭の伏礼により
元玉爾を持つ女直族後金國あらため満州族清國の太宗ホンタイジに礼拝し
満州王朝(清國)に製塩や塩販売に塩使用を禁止され
それ以降、唐辛子と胡椒に飲尿によって塩気を補う食事を李氏朝鮮では
するようになった。それが解消されたのは日清戦争後である。
大韓帝国(朝鮮)側が独立を断った。大韓首相の李完用伯爵(後に侯爵)は
日本側が李太王(朝鮮国王高宗)に替わって、李伯爵が国王あるいは大韓皇帝に
なられれば日本が損し苦労する総督府植民地経営はしなくて済むし
反日抗日暴動を政治名目上は防げると説いたが
君臣や親子親戚の上下の忠孝を破る儒教に反する下克上の考えとして
王位を簒奪し朝鮮国王や大韓皇帝になり独立国になる意思は無い。と断ったという。
伊藤博文は非常に悔しがり、英米使節をこなした李伯爵の
説を曲げない意思の硬さに、仕方なく政府の主流の英米派の薩長派閥に対し
仏独ロシア派の多数派工作に乗り出した結果、ハルピン行きが決まったという。
李完用侯爵は、ミョンドン大聖堂(明洞カトリック教会「朝鮮最古の天主教会堂」)
前にて暗殺未遂事件を起こされ、その古傷が元で後日、数年後に亡くなる。
満州事変の前の事であった。