ttp://www.ynet.co.jp/touyoko/mukasi1.html 大正末期、東横線敷設の柿の木坂切り通し工事
掘り出した土砂を運搬する蒸気機関車が現都立大学駅方面へ向かう。
この機関車を走らせる前の初期工事は殆ど在日朝鮮人による手掘り作業。
高さ10m以上の丘の土を取り除く労働は耐え切れないほど苛酷。
日本人の監督が朝鮮人労働者をスコップで容赦なく殴る残虐行為がよく ←これが東急クオリティー
見られたという。当時の犠牲者の遺体は母国に帰ることなく、近くの東
光寺境内に埋められていると地元の古老が私にその事実を話してくれた。
(小杉良裕さん提供。本誌54号「都立大学特集」より)