チョンが犬の首を捨てる

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534マンセー名無しさん
■犬食文化関連事項■
・幕末の蝦夷地(松前)で「松前の和人社会では宗教上の規律を無視して肉を食べており、
特にある役人は好んで犬肉を好み、子犬を熱湯に生きたままほうり込みすぐに引き上げ毛をむしって食べる」
文献:『日本幽閉記』ロシアのゴロウニン

・「播磨・美作など山名氏領国で山名一党は狩猟を好んで田畑を踏み荒らし、
犬を捕らえ終日犬追い物を射、あるいは犬を殺してその肉を食す」
文献:『建内記』路時房の日記

・「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、
見當り不レ申候。若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、
冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」
(江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方町方ともに、
下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、見つけ次第撃ち殺して食べたからである。)
と記されている。
「犬が居たとすれば、『これ以上のうまい物はない』と人々に考えられ、 直ぐに食われてしまう」ような状況であったのである。
文献:大道寺友山『落穂集』

・「薩摩にて狗(いぬ)を食する事」 という項があり、「えのころ飯(犬ころ飯)」が紹介されている。
薩摩にては狗の子をとらへて腹を裂き、臓腑をとり出し、其跡をよくよく水にて洗ひすまして後、
米をかしぎて腹内へ入納、針金にて堅くくりをして、其まま竈の焚火に押入焼くなり(略)甚美味なりとぞ。
是を方言にてはゑのころ飯といふよし。高貴の人食するのみならず、薩摩候へも進む。
但候の食に充るは赤犬斗を用るといへり」と、犬の腹を割いて米を入れ蒸し焼きにする料理法までも紹介している。
文献:『一話一言補遺』大田南畝(1749-1823)