>>484 ソ連軍は たくさんの戦車と機関車に乗って満州にやって来ました。その機関車の先頭には
裸にされた日本人女性が縛り付けられていたそうです
彼らが何故 そのような行動を取ったのか 詳しくは知りません。それが
ロシアの伝統なのか
女性を縛り付けておけば 機関車を攻撃されないと思ったのか
それとも他の理由なのか 私には分かりません
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葛根廟駅近くの平原に逃れてきた婦女子を大半とする2千余人の日本人避難民が
ソ連軍機甲部隊に追い付かれたんだ。まず、戦車隊の14台が避難民を蹴散らし
踏み潰していった。それを向かいの丘で見ていたソ連兵は「まるでマッチの軸がはねられ
潰されるようであった」と証言。さらに、自動車隊からソ連兵が降りて来て
マンドリン(機関銃)掃射を幼児にも情け容赦なく浴びせ掛け
最後に銃剣でトドメを刺していった。あたり一面は血の海。なぶり殺しにされたのは千数百
【 戦前の朝鮮人は奴隷ではなく日帝(イルチェ)の仲間(トンム:同務) 】
中国・韓国の歴史歪曲 なぜ日本人は沈黙するのか 黄文雄(評論家コウブンユウ) カッパブックス 光文社 ¥800+税
p115 『洪思翔中将の処刑』(文藝春秋)のようにフィリピンで戦犯として処刑された帝国軍人もいた
p116 ・・・([陸士]二十六期)には白洪錫(ペクホンソク)少将と、満州国協和会に参加した・・・関東軍司令部所属の尹相粥(ユンサンチュク)少佐や
韓国軍創設の元老 李応俊(イウンチュン)将軍がいた
第二十師団の歩兵大隊長 金錫源(キムソクウォン)少佐(陸士二十七期)のように
日本兵を率いて中国大陸に出征し 金鵄(きんし)勲章を受け 後年の朝鮮戦争でも韓国軍の師団長として勇名を馳せた人物もいる
【 帝国軍・第20師団について 】
臨時増刊9/5 歴史と旅 連隊旗でつづる太平洋戦争史 秋田書店 平成4年281 ¥951+税
一 日支事変(日中戦争)期間に於ける師団等
師団号:20 通称号:朝 編成地・留守担任:竜山 時期:大正6年
隷下歩兵連隊:78・竜山 79・竜山 80・大邱 (77・平壌)
主なる参加作戦・編成の事情等:北京周辺・郎坊戦闘。
[山西省]娘子関(ニャンツカン)に挑み肉弾を以っての突破は鯉登の滝の名も高い。
此頃の構成員は大阪九州多い。[山西省]太原戦その後南下中部山西を席巻す。・・・終戦時長:中井増太郎 終戦地:ニューギニア