167 :
マンセー名無しさん:
「泣く子は餅を一つ余計もらえる。」
朝鮮のことわざ
「川に落ちた犬は、棒で叩け。」
「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。」
「営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。」
「女は三日殴らないと狐になる。」
「梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる。」
「母親を売って友達を買う。」
「弟の死は肥やし。」
「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。」
「他人の家の火事見物をしない君子はいない。」
「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」
「人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる。 」
「あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを。」
「らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる。」
「家と女房は手入れ次第。」
「野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ。」
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」
>>164 >ところで、このCMについて、韓国人の大学生の女の子に感想を聞いてみたが、
>「え〜別にマザコンじゃないでしょ?なんか、お母さんと仲良いって感じだよ〜」
>…という意見だった。
たとえば30男がお母さんの肩を揉んであげるとか、背負って坂道を上るとか、
そういうシーンであれば、日本人の目にも「お母さんと仲良い」と映るだろうね。
韓国では「男子を産んで一人前の嫁」なので、男子を産んだオモニはその子を溺愛します。
その上、核家族化と少子化が進んでいるので、そりゃあもう大変なものです。
父親は家庭内両班ですから、当然家事も子育てもロクに手を出しません。
いまや母親と手をつないであるく成人男性なんて珍しくありません。
170 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 16:31:07 ID:s6JY6E7Y
171 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 16:35:34 ID:s6JY6E7Y
172 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 16:46:11 ID:s6JY6E7Y
李朝は日本の明治維新後に、朝鮮女性が日本人と性的交渉をもつことを
国禁としている。もしその禁を破れば、本人は斬首刑に処せられ、
所轄の地方官吏たちも責任を問われて罷免された。それは主として、
釜山・草梁の倭館の日本人居留民たちを対象としてのものだった。
日朝修好条規が結ばれた翌年の1877年(明治10)ころの
李朝では、うち続いた凶作のために餓死者が出る状況のなか、
貧農の女たちが夜になると、ひそかに釜山・草梁の倭館を訪れていた。
食料を乞うため、日本人居留民を相手に春をひさいだのである。
それに応じた日本人の多くは船員や商人たちだったが、その結果、
数多くの女たちが逮捕され刑に処された。当時の日本の新聞が
その様子を次のように伝えている。
『東莱、釜山、水営の三役所から各長官が出張して
刑の執行を宣言する。女たちは荒縄で縛り上げられ、小さな白羽の矢で
耳の穴が刺し貫かれている。そして木枕に頭を乗せて仰向けに寝かせられ、
喉元に鉈(なた)のような刃物が当てられる。その上から
槌を打ち下ろして首を切り落とすのである。一人の女は刑場へ引き出されると、
静かに周囲を見渡し、「もはや餓死するしかなかった命を日本人のために
四、五十日長らえることができました、今日からやっと、これまでの
飢餓の苦しみから免れることができます」と言って涙を流したという』
(郵便報知新聞明治10年10月2日より要約)
なぜ朝鮮女性が日本人と性的交渉をもつことが、斬首刑をもって酬いなくては
ならないほどの大罪となるのか。それは日本人が侮蔑すべき倭賊であり、
蛮夷だからである。そのような夷族によって我が臣民女性が汚されてはならない
−−それがこの国禁の真意なのである。かつて問題となった「日本人売春ツアー
(キーセン観光)」についても、現在の「従軍慰安婦」についても、その反感の
質に「夷賊(日本人)による民族陵辱」という精神の次元が無意識に関与して
いることを否定できない。
>>167 >「女は三日殴らないと狐になる。」
実はこのことわざ、暴力的なものじゃなくて、三日間空けないで抱いてやらないと、
女が他の男に尻尾をふる狐になってしまうぞ。というフェミニストの言葉なのよ。
>>173 フェミニストでなくて、単なるスケベ爺じゃね?
SMの勧めか何かか?
>>173 待て。
朝鮮では女抱くときに殴るのかよ。
やっぱ国技なのか…
177 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 16:56:15 ID:s6JY6E7Y
「両班(ヤンバン)は、自分たちのすべての特権については非常にうるさく、
少しでも敬意を失するものがあれぱ、残忍な報復を下す。
その一つの実話を次に引用しよう」
「みじめで、みすぼらしい風体をした一人の両班が、郡衙(役所)の近くを
通っていた。そこへ、泥棒を捜していた4人の捕卒が行き会い、その外見に
やや疑念を抱き、もしかするとこれが自分たちの捜している者ではないかと思って、
ぶしつけな尋問をした。すると、両班は答えた。『はい、そうです。
私の家までついて来てくだされぱ、共犯者も教えますし、盗んだ品物を
隠している場所も教えます』」 「捕卒たちがついて行ったところ、この両斑は、
家に帰り着くやいなや、召使いたちと数人の友人を呼んで捕卒たちを捕えさせ、
さんざん殴りつけた。そのあと、そのうちの3人からは両目をえぐり取り、
残る1人からは片方の目だけをえぐって、次のようにどなりつけて彼らを送り帰した。
『この野郎ども。わかったか。これからはよーく見て歩けっ。お前らが
郡衙に帰れるように、目の玉1つだけ残してやったんだ』」
>>173 それはフェミニストとは違うと思うが・・・。
179 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 16:57:32 ID:s6JY6E7Y
朝鮮では王族に対する殺害が驚くほど多い。
李朝500年の間に16人の王子と数十人の王族が党派争いなどで処刑、殺害された。
高宗皇帝も1898年にコーヒーに毒を盛られるという事件があり、
皇太子が深刻な後遺症を負った。
閔妃暗殺は三浦公使の指示による日本人の手によるものとされているが、
朝鮮人の部隊も参加していたことはほとんどの書物で無視されている。この事件の最中
王宮内に居たロシア人技師が、閔妃暗殺の惨劇と朝鮮人部隊の参加を目撃していた。
下記の文は当時朝鮮を旅行していたロシアの軍人が聞き書きしたものである。
「朝鮮旅行記」 ゲ・デ・チャガイ編 井上紘一訳 1992 平凡社東洋文庫
『1895―1896年の南朝鮮旅行』の章 カルネイェフ(ロシア参謀本部中佐)
1895年11月26日に実行された王妃暗殺では、間違いなく
大院君(国王高宗の父)がかなりの役割を演じていた。(中略)午前3時、王宮を
日本軍(守備隊)が包囲し始めた。日本軍の一部隊は北西門に配備され、
北東門に集結したのは、日本人によって教育された
朝鮮兵(訓練隊)約300人である。(中略)宮中では、日本軍と
朝鮮軍の兵士によって王宮が包囲されたことが明らかとなるや否や、国王は
前の農商務相李範晋に米国とロシアの公使館へ駆け込み、救援を求めるよう
命令した。(中略)
180 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 16:59:17 ID:yGSAEKqX
>>176 だからね、拳ではなく、男の肉具で女の宝具を叩いてあげなさいということなの。
魂ちゃん、無理有り過ぎ。
>>181 どっちでもかなり異常だわ。
て、あまり通用してないことわざなのか?
>>182 いや、ちゃんと韓国の大学教授が本に書いてあんの。
185 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 17:03:45 ID:yGSAEKqX
186 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 17:03:56 ID:s6JY6E7Y
>「女は三日殴らないと狐になる。」
済州島の呉善花女史によれば「女は三日殴らないと”天に昇る”。」である。
明らかにDV(ドメスティク・バイオレンス)だ。
ウソや盗みがばれないで偉くなり女王のように命令口調で、年長者や男性に
会話するようになるからだ。
>李朝500年の間に16人の王子と数十人の王族が党派争いなどで処刑、殺害された
儒教だから、王族は殺せなくて「済州島」に流され命ばかりは助けられる。
だから、済州島には王族の子孫を名乗る者が多い。(藁
済州島は、窃盗・詐欺・不倫(和姦)・強姦の犯罪者の流刑地だから
その程度のウソなど屁でもあるまい。
済州島3姓穴が、済州島3倭人女王の話に摩り替わっている。者も
出る始末である。
だとしても信じられんよ。
根拠と出典と明らかにしてくれないと。
どうみても酔っ払いの珍解釈だ。
「女が十人集まれば、鉄も熔かしてしまう」(女三人寄れば姦しい)
「女が三人集まると、木の皿が踊る」(同上)
「絵の中の餅」(絵に描いた餅、高嶺の花)
「豆から豆が出、あずきからはあずきが出る」(瓜の蔦に茄子はならぬ)
日本のことわざと共通点が多いね。
192 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 17:11:07 ID:s6JY6E7Y
済州島出身で日本の東京での成功者は「加藤栄一」という人。
帝都物語の”加藤”の出どこ・ネタ元の人物である。
物語のようなオドロオドロしい悪いヒトではない。
戦後の共産党弾圧で亡命して来た済州島の出身者とも違う性格の人々である。
戦前からの在日で革製品の製造提供の軍属をしていた。
その済州島××里という出身だけで出来ている団地に栄一氏ほか子孫が住んでいる。
今では××里の戸数より多い人口に東京の栄一氏のいた島の団地は、なっている。
>>193 「女は三日殴らないと狐になる。」以外は、この本には一切載っていない。
たぶん、他は捏造じゃないかな?
196 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 17:13:42 ID:s6JY6E7Y
加藤にひっかけてか
加納さん・狩野さんに引っ掛けて「叶」姉妹のような帰化名がある。
>>194 >韓国で発禁
む、急に真実味を帯びて来たニダ。
>>197 ソース元が、kinokuniyaじゃなくてkanokuniyaだったりしませんか?
199 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 17:18:21 ID:s6JY6E7Y
[豊臣秀吉の朝鮮征伐では]3.李舜臣の戦闘指揮能力が優れていた。ですね
官職のある両班(貴族)にしては、朝鮮人の漁船の仲間と気が合ったのでしょう
試験に受からなかった官職を貰えない親戚の両班庶ゲツという
マウル(面という数十の村落)の大地主で任(ニム:慕わしい人・尊敬する人)に
下人(ハイン)をこき使わせていた時代です
当時の貴族にしては乱暴者で下品な方だと思います
全羅道霊光郡の姜坑(土偏でなく三ずい)という漢学者の両班は藤堂勢の捕虜になっています
捕虜になった同じ時期、海上では李舜臣は焼き討ちに忙しく功績をあげていました
李舜臣は、放火を手伝う朝鮮の漁民しか眼中に無く
朝鮮の役人や護衛の兵隊に学者が日本軍の捕虜になっても助けない人です
亀甲船以外の朝鮮側の外洋船(大型舟)は嘘です
中国(明王朝・萬暦帝)広東の水路の都督・陳燐の中国亀甲船が1隻と
中国(明王朝・萬暦帝)側で用意した朝鮮の責任者用に1隻の2隻です
陸上に上がって、[流れ弾で]李舜臣も陳燐も戦死しています
小西行長が日本に撤退する行く道を朝鮮側が和議を破って攻撃したのを
全羅道(アカ塗り地図の国:アカくに)の泗川の戦いで明軍に勝った島津勢が
日本に引き上げる為に巨済島を根城にしていて
小西の苦戦に気づいて救援に島津が船を出して
水路から逃がそうとして遭遇戦になったのが、露梁海戦です
朝鮮出兵の頃は、琉球は独立国で、まだ島津の水軍は押し寄せていませんでした
が、島津勢が巨済島を離れ日本に水軍を引き上げると
引き上げた多くの水軍船の航海力で、琉球に押し寄せて支配下に置いたのです
奄美や琉球本島に目付けを置きサトウキビの収奪や
南洋貿易(中国との朝貢交易の擬装と倭寇の続行による幕府に隠れた南蛮貿易)を
牛耳る事になったのです。
他に
「どじょうが龍を産んだ」(鳶が鷹を産む)
「鷹は爪を隠す」(能ある鷹は・・)
「焚かなかった煙突から煙は出ない」(火のないところに煙は立たぬ)
「塵を集めて泰山」(塵も積もれば・・)
てめぇら、パクったな!
201 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 17:25:45 ID:sm8RiQ1H
韓国にオリジナルの文化、思考は存在しません
>>191 やほー!
元気ニカ?
息災であったニカ?
相変わらずヲサーンやってるニカ?
うっ・・・もしかしてこれは「言っちゃいけないお約束」という奴だったニカ?
タマちゃんどの、絶好調ですね(w
ストローという証明を出しちまったか?
>>202 つうか、誰?
>>207 いや、できれば直球は避けて欲しかったと。
>>209 酷いわ!私の事を忘れるなんて・・・・サメザメ
あれ、名無しだったw
弾ちゃん、劣化激し杉(涙
>>212 何より、何より(w
ぢゃぁ、がんばってくだされ ノシ
>>215 ずっとは居ないよ。
1時間ほど前に再来店しただけ。
>>207 半分ぐらいはお約束かな〜って感じ
まぁ、気にするほどの事でも無いけど
自分はつっこもうか迷ったけど・・・
ウエスタン・ブーツにミニ・スカートは萌えだな。
後ろから宝具を叩きなるニダ。
>>222 そのオナゴは上半身に何を着ていますか?
>>223 まて! タマちゃんはオナゴとは言ってないぞ!w
>>224 え゙! タマちゃんにはゲイの趣味は無かったはずだぞ!w
ショタの趣味は少しある。
ウェスタンブーツに半ズボム
「もう韓国なしでは生きられない日本」(元歌:ウォンテッド ピンクレディ)
ウリのキムチの壷を こわして逃げて行った
あいつは何処にいるのか 盗んだキムチ返せ Wanted Wanted
あのチョッパリに逢ったら 今度はただで置かない
ウリのエラに挟んで キムチ責めにあわせる
強姦魔の手配を くぐって生きて行けない
つかまる前にこっそり ファビョってみたらどうなの
ある時謎の工作員 ある時サウナの経営者
ある時ニダーなワタリガニ あいつはあいつは大変態
好きよ 好きよ こんなに好きよ もう韓国なしでいられないほどよ
空っぽよ キムチはないわよ 何もないわ あの日あなたが 盗んだのよ
うー うぉんてっど!
暇かっ
230 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 18:22:40 ID:z0POWSP1
[豊臣秀吉の朝鮮征伐では]3.李舜臣の戦闘指揮能力が優れていた。ですね
官職のある両班(貴族)にしては、朝鮮人の漁船の仲間と気が合ったのでしょう
試験に受からなかった官職を貰えない親戚の両班庶ゲツという
マウル(面という数十の村落)の大地主で任(ニム:慕わしい人・尊敬する人)に
下人(ハイン)をこき使わせていた時代です
当時の貴族にしては乱暴者で下品な方だと思います
全羅道霊光郡の姜坑(土偏でなく三ずい)という漢学者の両班は藤堂勢の捕虜になっています
捕虜になった同じ時期、海上では李舜臣は焼き討ちに忙しく功績をあげていました
李舜臣は、放火を手伝う朝鮮の漁民しか眼中に無く
朝鮮の役人や護衛の兵隊に学者が日本軍の捕虜になっても助けない人です
亀甲船以外の朝鮮側の外洋船(大型舟)は嘘です
中国(明王朝・萬暦帝)広東の水路の都督・陳燐の中国亀甲船が1隻と
中国(明王朝・萬暦帝)側で用意した朝鮮の責任者用に1隻の2隻です
陸上に上がって、[流れ弾で]李舜臣も陳燐も戦死しています
小西行長が日本に撤退する行く道を朝鮮側が和議を破って攻撃したのを
全羅道(アカ塗り地図の国:アカくに)の泗川の戦いで明軍に勝った島津勢が
日本に引き上げる為に巨済島を根城にしていて
小西の苦戦に気づいて救援に島津が船を出して
水路から逃がそうとして遭遇戦になったのが、露梁海戦です
朝鮮出兵の頃は、琉球は独立国で、まだ島津の水軍は押し寄せていませんでした
が、島津勢が巨済島を離れ日本に水軍を引き上げると
引き上げた多くの水軍船の航海力で、琉球に押し寄せて支配下に置いたのです
奄美や琉球本島に目付けを置きサトウキビの収奪や
南洋貿易(中国との朝貢交易の擬装と倭寇の続行による
幕府に隠れた南蛮貿易)を牛耳る事になったのです。
231 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 18:23:24 ID:z0POWSP1
韓国・朝鮮の歴史のウソはまだあります。
韓国−朝鮮は、儒教の国です。
仏教で無いから、荼毘(火葬)に伏す事は無いです。
日本の支配(総督府の保健衛生行政)によって日本の風習を真似て、火葬にし始めたのです。
清王朝(満州王朝)の中期に線香精製が出来ました。
それまでは抹香で焼香してました。香を焚くを、抹香と線香を間違えています。
李氏朝鮮は、線香を使わないと言うか、儒教の儀式に使えない教えの国です。
線香は禅宗僧侶が貿易商人を使って中国から持ち込んだものです。
実は日本でも時期が遅く江戸時代に広まったもので、旧式は抹香の焼香です。
韓国はもともと、緑茶を飲む習慣がありません。
前期李氏朝鮮・豊臣秀吉の侵略の頃までは、緑茶は飲んでいましたが
緑茶は、本来、儒教ではなく仏教の禅宗系統に広まった習慣です。
茶は江南から湖広(湖北〜広東)の習慣で、広東の禅宗坊主の食習慣です。
日本人狩りの後に
後期李氏朝鮮では、緑茶は飲まず仏教弾圧によって廃絶しました。
これは、首切り仏像の山だらけという情報も入らないと
儒教国教で仏教を貶めていたとは信じられない事です。
日本の植民地支配が、いかに韓国−朝鮮を日本化し日本式生活に乗り換えさせたか
その日本文化の染色力に、李氏朝鮮文化が消え滅亡していったと言えます。
朝鮮人は、朝鮮の李朝の白衣など諸文化を伝承し守る事が出来ず、日本化したのです。
232 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 18:24:51 ID:z0POWSP1
李氏朝鮮は白衣文化。
フランス・アメリカ・ロシアの撮影した港や城や市場などの大衆の映った写真では白衣一色。
王宮に向かう役人が黒い衣を着ている。
四書の一つ『 論語 郷党篇 解説 』では、孔子は
普段着・凶事に上下(白鹿)と帯飾りに「白」の衣を着用し
礼服に上下(小羊)と帯飾りに「黒」を
祭服に上下(狐・狢)と帯飾りに「黄」を用いた。
紺(青)・赤茶・赤・紫を嫌って使用しなかった。
台湾・香港に見られるように聖職者(道師(道士)・和尚)の服装と言うのは古来から
黄衣(霊ゲン道士・少林寺映画など)か
黒衣(宰相・坊主・役人)である。
日本の大正・昭和初期の発禁本で
朝鮮の置屋(売春宿の待合室)の写真に映った朝鮮女性は
ストライプ柄(カッター柄・シマ模様)の
色とりどりの袖クチのチョゴリ(上着)に色とりどりのチマ(袴・スカート)をはいている。
白や黒で単色の上下衣服ではない。
中国伝統を廃した共産革命・文化大革命の後の赤一色の時代に
孔子誕生の2500年祭?なるマスゲーム(集団体操)な祭服は
上下全面を赤を生地にしたものに改ざんして着られ踊られている。
高麗朝に記述が出来た伽耶は、日本(任那)・中国(任那・弁辰)の
古来の歴史書に存在しない地名である。伽耶の時代は
卑弥呼〜聖徳太子の時代に相当し、この頃に「大正琴」はない。
歴史捏造や改ざんな事に
終戦直後に日本人を殺して「大正琴」を手に入れたほかに考えられないのが
上が白で下が黒の服のキーセンがひくという「伽耶琴(カやグム)」である
233 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 18:38:00 ID:zousUrM9
>>6どうした?もう大便はすみましたか?ぁー!ぉっかれ
儒教的礼儀と色彩の制限
黄:中国皇帝の色・皇帝以外に使用禁止・道教の聖職者は例外
___黄河・黄竜・反対色は紫で紫禁城(中国の宮廷)
青:朝鮮国王の色・王様以外に使用禁止・仏教の聖職者は例外
___青春(皇帝[黄]−皇子・国王[青])・青瓦台(朝鮮の王宮・大統領府)
赤:明の国姓は「朱」・明朝の皇帝の姓名ではばかる・祖廟の塗り物は例外
___賊の紅巾党の色・蒙古王朝末期で明王朝の初めの盗賊団が赤
白:庶民や日常で白衣使用
__朝鮮の恨文化の巫檀(ムーダン)は白衣
__朝鮮旅行記に挿絵の洗濯女も白衣
__李朝末期の写真の貴族の日常服も白衣
__チゲ(本来は荷背負い道具の名称・人足の名称に拡大)も白衣
__東学党の頭目と部下の服も白衣
黒:貴族は黒い礼服や外套
__白の肌着に黒の祭服、袴など礼服、外套に使用
終戦直後に
日本人を殺して日本の着物−太鼓−浮世絵−琴−酒倉などの文物・
日本が建てた建物を
皆、韓国物に塗り替え看板変え改ざんし韓国から日本に渡ったものですと
由緒や歴史を捏造して教科書問題起こすから。
日本の着物____: 卑弥呼の時代の伽耶のキーセン服(上が白で下が黒の襦袢はかま)
大正琴______: 卑弥呼の時代の伽耶琴(かやグム)
浮世絵______: 李氏朝鮮の絵師の描いた水墨画(シラク画・写楽画・写実画)
日本の清酒の酒倉_: 高麗時代の法酒(ぽぷちゅ)という醸造所
和太鼓______: 新羅時代の赤黄青の化粧太鼓
法華経の禅宗・天台宗の仏教: 新羅に華厳経の仏教から派生した高麗時代の韓国仏教
日本建築工場の磁器: 全羅道の大口面で発掘された磁器の破片
日本の江戸の漢籍本: 李氏朝鮮の書籍が日本に渡来
日本の麺類や和菓子: 李氏朝鮮の宮廷料理文化が渡来
日本に在住の朝鮮人(在日)だが朝鮮の読みが判らない。なら
何故に潔く北朝鮮に帰国したり、日本人に帰化できない。
唐辛子: 倭芥子(うぇケじゃ)→自分達が多用する食物が麻薬で日本渡来と自覚したくない
瀬戸物: 瀬戸物は磁器でなく陶器で、沙鉢(サバル)→日本に、のさばる
焼物師: 沙器匠人(サぎチャンぎん)→詐欺ちゃん銀や銭ほしい
鍋物_: 漢字を韓語訓読み「ファ+ムル」でなく在来単語「チョンゴル」→先頭の語呂がチョン
漬物_: いわゆるキムチは「トンチミ」→先頭の語呂がトンチンカン
大根漬: いわゆるキムチは「かくトゥギ」→格闘なんて朝鮮人は乱暴でアリランで平和は嘘
と
日本人から言われたくないから、親が教えない。子が知らない。
もともと親子ともども知らない、ほど無識(無学)で日本に渡来
【 日本と違う文化と階層 】
漬物: トンチミ(在日による捏造語のキムチ)
細切れの大根の漬物: ちょんカクとぅぎ(在日による捏造語の水キムチ[ムーキムチ・ムルキムチ])
唐辛子: うぇケじゃ(倭芥子・コチュ(ちんぽこ・ちょっこり出ている・秀吉の侵略で南蛮渡来・中央アメリカ原産)
味噌玉: メージュ(天日干し醗酵カメ塩漬け大豆)
鍋物: ちょんごる
犬肉鍋: ぽしんタン(補身湯・犬[ケー])
飯(麦飯・高粱飯): ぱ(飯)・とっぱぶ(丼)
餅(油がない片栗粉や高粱粉固め): ぴょんとっく
野菜類: ワラビ・朝鮮人参(薬用)・カブ(あるいは大根)・生姜(辛味つけ)
屠蘇・濁酒: マッコリ(マッカルリ)
緑茶がない一般飲料(ソバ湯のような): 釜湯(ぷタン?)
線香[満洲王朝]はない・抹香[魏晋南北朝]は禁止: 果物の頭の部分を切って芳香させる
果物湯(果物茶): 柚子湯くらい(南にある日本の九州のミカン類の輸入)
焼き物・茶碗: さバル(沙鉢)
焼き物師: さギちゃんぐィン(さぎちゃんぎん・沙器匠人)
T貴族: やんバン(両班) 李氏朝鮮後期人口700万人中2万人(0.3%以下)
U庶民: はイン(下人・儒教を知らぬ無識[無学]の民)
@常民(中人[ちゅんイン]・大地主): 庶ゲツ(ヤンバンしょげつ)や任(ニム)は常民(さんミン?)
マウル(邑・部落・面[地域・国家(ナラ)])やゲ(契[ヤクザの組])のボス(主[なうりにむ・主人]・ぬし)
A卒居奴婢(常奴[さんノム]・常人[さんイン]・小作人・府城や面邑の大地主の集落に住む)
行商・荷背負い人夫: チゲ(もとは荷背負い道具がチゲ)
女性の芸人・酌婦: キーせん(妓生)
巫女: むーダン(巫檀)
B外居奴婢(はいリのび?・狭い意味での奴婢[のび]と呼ぶ階級・山間に追いやられた仏教徒の手工業者)
売春つき旅芸人・寸劇つき男娼: なむサだむ(男寺党)・こサ(居士)
賤業・屠殺業の人夫: ぺくチョン(白丁)
大戦後に食文化が大幅に崩れた 1980年代のアメリカ牛肉の自由化で大量輸入されテレビ・雑誌などで消費宣伝され
ファミレスのハンバーガー 食堂・飲み屋の牛丼・スキ焼き 野外でのバベキュー会食が
から揚げ・カツどん・芋煮会から移行しつつあった
--------------------------------------------------------------------------------
高粱などで庶民(常民・奴婢)の食事・米は粥で貴族(両班)が食べる
→ 日本支配時代に農業生産の向上 → 国民が麦の焼酎・米はビビン飯で食べられる
犬肉鍋(ポシン湯[タン])・豚肉ホルモン焼き
→ 1980年代にアメリカ牛肉の消費宣伝 → 牛肉料理(唐辛子発酵食品をまぶす)
儒教国教・禅(倭寇)や香(香徒契)の弾圧
→ ヒッピー時代に中南米アフリカ中近東の薬物シンナー → 現代風の香
庶民に文字はなく 風水も朝鮮王の都の漢陽(はにやん)[の]中国使節によって教えられ
体得した王都帰りの長老によって墓相を見て埋葬した。だから風水書は朝鮮にはない
朝鮮は殺人契(サリぃんゲ)や香徒契(ひゃんドげ)の襲撃のように盗みが多く治安が悪いから
書物を書いたり本を読むのが嫌いな傾向の強い庶民に
盗まれて[誘拐された文字書きに]偽造される恐れが多かったからである
そのため賢い両班は頭に覚えて書物に記さず漏洩を防ぎ[偽って名乗られるのを
防ぐために]王都に交友のある親戚や師匠の家に養子に出して高等教育を受けさせて
人間関係の漏洩を防ぎ偽名を防ぐ族譜(家系図)に王都による役職を記して血統を保っていた
死ぬと本貫(出身地)の門中(一族郎党)の墓に埋葬され風水の霊験を戴く事になっていた
墓荒らしをする者は厳罰で拷問で殺した
---------------------------------------------------------------------
西北地方平安道黄海道に1629明火賎[みょんファちょん]という平民常民賎民奴婢の流浪暴力集団
湖南地方全羅道1623−49全羅南道の南原[ナモ]周辺で殺人契[さりィンげ]という賎民奴婢集団
1684賎民の秘密結社香徒契[ひゃんドげ]殺主契[さるジュげ]剣契[こむゲ]が
両班[ヤンバン]の殺害と財産略奪・彼等の婦女子の誘拐−集団強姦を行った
1688京畿道黄海道江原道で「弥勒仏」信仰の集団が漢城[ソウル]襲撃
華夷思想・冊封体制・天本思想・
儒教国教・仏教弾圧(寺を減らし、奴婢に落とす)・
朱子学・
性理説[宇宙陰陽と男女子孫と中華−小中華(中国−朝鮮)]・
衛正斥邪(儒学を守り邪道を排斥[斥清・斥倭洋])・
礼学[長老]・
譜学[族譜(家系図)と風水(縁起土葬)−秋夕(先祖供養)]・
千字文[漢字手習い]・
童蒙先習[儒学要約・朝鮮略歴]・孝経[儒学漢籍]・小学[儒学漢籍]
朝鮮全国(大同法以外の土地を含め)には書庫は5つしかない
墨と硯と筆と紙は、特命の行商(チゲ)から買い付ける
オンドル土間の生活で靴は、元は仏教徒の奴婢が作る(白丁と同じ賤業)
生家の祀宇(さう・仏間書斎)で父や祖父に習うか
王府の書堂(そだん・学問所)で血筋や学閥の親戚の役人に習い、両班の試験を勉強する。
王宮(漢城府・現ソウル)で
家柄(血筋・出身)と儒学(学閥)に基づく官僚面接試験(合格者の両班[やんばん]
禁止のハングルと漢字の区別を知る2万人貴族の誕生)
両班 役人ポストがある
常民 役人ポストがない(土地は持っている両班庶ゲツ・
邑(まうる)・面(なら)などの任(にむ・有力者・ぬし))
奴婢(のび)
卒居奴婢 チゲ(行商・保負商・荷背負い人夫・作業人足)・キーせん(妓生[接待婦])
外居奴婢 なむサだむ(男寺党)・こサ(居士)・むーダン(巫檀[巫女])・ぺくチョン(白丁)
239 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 18:56:05 ID:gAhAwkrA
てか、反日なのになんで日本にいるの?
国交が無いって言っても在日は祖国に帰れないことないよね?
日本から無条件で支援貰っておいてその上文句しか言わないって
アメリカとかで同じことやったら殺されるよ?
無論あんたの祖国でもね
今の日本人が甘すぎるからこんなチンピラどもに舐められるんだよ
【 女真族(女直族(満洲族)後金国[人参・猪豚・砂金])の南方の地理 】
_長白山脈_長白山(白頭山)_おらんかい[野蛮地[おらんけ]・女直族の地]
____四郡________六鎮
牡丹峰_狼林山脈___蓋馬高原_咸鏡山脈 ※ 牡丹峰(もランぼん)
______滅悪山脈____金剛山 湖西地方???ドコ?忠清道?黄海道?
畿湖地方(京畿道・漢城府・開城・牙山【西人】官僚派閥・長興府史?・晋州牧史?)
_______智異山_秋風嶺・鳥嶺・竹嶺_太白山脈
湖南地方(全羅道)小白山脈_嶺南地方(慶尚道【東人[南人・北人]】官僚派閥・東莱府史)
____多島海 星湖学派???ドノ?北人?星州?星湖?
______________対馬島(日本の対馬藩の宗氏[朝鮮通信史?・日本府史?])
北: 全羅道・忠清道
秋風嶺(公州の錦江上流)・鳥嶺(漢江上流の忠州の南の支流)・竹嶺(忠州の東の支流)
南: 慶尚道
釜山鎮3浦: 済浦(昌原郡・馬山浦)・富山浦(釜山浦)・塩浦(蔚山)
東莱城(とんネそん)の管轄 済浦(昌原郡・馬山浦)・[金海(きめ)]・富山浦(釜山浦)
加_羅・任那・斯盧国
百済国・伽耶・新_羅 横浜の本牧(ほんモク)晋州城の牧史(モクさ→モクそ[日本兵の呼び])
斯盧国は 辰韓斯盧国(慶州・慶尚道[いにしえの辰国・嶺南左道]晋州牧史城[もくそ城]は嶺南右道)
百済国は 馬韓伯済国(扶余・全羅道[扶余族・光南道・湖南右道]南原(なも)は湖南左道)
加羅は 加な羅 加えられた国(な羅=国)唐が戦って得た辰韓斯盧国に「加えられた領土の国々」
新羅は 新な羅 新しくできた国(な羅=国)辰韓斯盧国の王都−金城を中心に「新しくできた国」
任那は 倭の那国に任された、倭王に任された、倭王がニム(任)という名の領主
伽耶は 加羅や加耶を、任那と書き間違えたとして造語。
先生任:ソンせんニム 閣下(旦那?):なりニム 兄上:ひょんニム
尊主(主人?):ニム お嬢様:あっしニム お坊ちゃん:とーりゃんニム
日本製の部品使わない製品造ってからほざいてくださいねwww
日本製品には韓国製部品が使われてる比率は極小ですからwww
242 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 19:00:05 ID:FeIhbH0r
あれだ、あれ。もう日本のODA無しでは生きられない恥ずかしい韓国の間違いじゃないの?
スレタイ間違ってるよ^^
韓国? 単なる組み立て屋でしょ 鵜飼の鵜は死ぬまで働くんだよw
増補【 李氏朝鮮〜現代韓国の 地域別の主な宗教分布 】
国教が○儒教(両班[貴族]が科挙[礼学(長老に忠孝の師弟)−譜学(性理説の血筋)]で役人になる)
全国で○香徒契[ひゃんどげ] ○殺主契[さるじゅげ] ○剣契[こむげ] ○殺人契[さりんげ]
全国で○総和宗 ○浄土宗・真義宗などニ十数派 ○大韓法華宗
咸鏡道○−流刑地−(凶悪犯[強盗・殺人・輪姦など]・政治犯[暴動者など]など)
平安道○高麗天台宗 ○明火賎 →中国−遼東へ。満州族。
黄海道○弥勒教 ○明火賎[みょんふぁちょん] ○巫檀(崔瑩[ちぇりる]将軍・松岳山神)
江原道○弥勒教
京畿道○弥勒教 ○壇君(江華島−摩尼山)
忠清道○弥勒教 ○巫檀(林慶業[いむぎょんおぷ]将軍[ちゃんぐん])
全羅道○曹渓宗[ちょげジョ] ○太古宗 ○殺人契 ○天道教 ○巫檀(林慶業将軍)
慶尚道○華厳宗 ○天道教 →日本−対馬へ。
済州道○−流刑地−(詐欺・窃盗・和姦[不倫・近親相姦]・強姦犯など)
245 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 19:04:10 ID:PxujSBDQ
韓国人は氏ね!!
・・・李氏朝鮮の生活のイメージ・・・
★国教は儒教。仏道(緑茶飲み・焼香・飲酒[般若湯])は禁止(香徒契[ひゃんドげ]というヤクザ)
両班(やんバン・朝鮮700万の全人口の約2万の0.3%〜20%)
_↓____↓
武班___文班
高麗朝__李朝
田柴科__科田法・大同法・科挙(儒教テスト合格[礼学[長老・忠孝]・譜学[性理説・風水]]による役人)
______↓__↓
____役つき__役なし
_王宮・地方官__庶ゲツ(大地主の常民のボスが任「ニム」・官吏の常民・
__↓______↓___吏読(諺文[おんむん]・訓民正音)という漢字真読を朝鮮読みした記号があった)
__↓______↓
王宮(院・大臣)_邑・面[まうる・なら]の下人[ハいん・奴婢]を統率(農作業・中国銅銭のみ使用で行商の指示)
↓___↓_____↓
駅[館]_城[府・牧]_下人(全人口の99.7%〜80%、無識(無学)の奴婢[のび・農奴]や下級の常民)
__府史→府尹____↓−−−−−−−−−−−−−→反発してヤクザ(契)に走る
____↓______チゲ(人足[荷背負夫]・行商[保負商])・
____↓______ペクチョン[白丁:賤業]・
____↓_↓____コサ[居士]・男寺党[なむサだむ]:芸人・売春・
___↓↓__↓___キーセン[妓生:接待婦]・ムーダン[巫檀:巫女]
__↓_↓___↓
浦[港]_里[イ]_亭[荘園・苑]
____↓
____洞(ドン・下人しか住まない)
先生任(そんセンにむ)・総督閣下(ジョどぅナうリにむ)・兄上(ヒョンにむ)・任那(にむナ)
・・・李氏朝鮮の生活のイメージ・・・
★李氏朝鮮の行政区
国(朝鮮国:八道の国、ほか遠島[流刑]の済州島−巨文島−巨済島など)
道(全羅道:数十の郡を併せて道)
郡(霊光郡:いくつかの面を併せて郡、八道左右[八道東西]下に府・牧・郡・県[李朝初期])
面(安楽面:城・駅・浦・里・洞など併せて面)
里(清涼里)・城(東莱城・釜山鎮)・浦(済物浦[仁川]・済浦[馬山]・富山浦[釜山]・塩浦[尉山])・
明洞[みょんドン・ソウルの繁華街の一区画]・
歓成駅(ふぁんソン−えき、日清戦争で清軍[中国軍]と遭遇して勝った戦地)・
碧蹄館(日本読みで、へきテイ−かん・秀吉の出兵時の明軍[中国軍]に勝った戦地)
★生家の祀宇(さウ・仏間&書斎)で両班(貴族)としての初等教育
○六段階の敬語を話せるようにする
○千字文(漢字の教本)
○童蒙先習(とんモンそんスプ・簡単な朝鮮歴史と儒学要約の教本)
↓ ↓ ↓
★族譜(家系図)にある王宮近くの門中(親戚)の書檀(そダン)で試験勉強するため養子に行く
(礼学・譜学[性理説]が中心、日本無礼の国で李氏朝鮮が東方礼儀の国と明王朝?から呼ばれた為)
○四書五経_春秋の儒学: 論語(仁・学・中庸)・[蒙古朝以降]孟子(続−論語)−大学−中庸
______春秋の教養: 書経[尚書]・詩経・易経[周易]・礼記[礼儀・周礼]・春秋左伝[史記]
○朱子学(儒教の性理説[主理哲学]・礼学や譜学・中国の天本−華夷思想など)
○王宮での科挙試験で合格採用されれば役人ポストを貰える(官職にありつく)。
↓ ↓ ↓
★族譜の門中は本貫(出身地)に風水土葬(竜穴に埋葬する・墓苑とか墓石は無い)。
○密入国のフランス人神父が、大きい文字[はんぐゥル]と呼んだ諺文[おんムン]は
両班の婦女子2万人ほどしか読み書きしていなかった。天主教の父は北京で洗礼。
○ヤンバンの婦女は、屋根付き壁に囲まれた内庭(マダン)で日々を過ごす。
↓ ↓ ↓
○契(げ)というヤクザ集団に誘拐・拉致・輪姦・妾・売春婦にされないため。
↓ ↓ ↓
○ゲ(契)は、日本と密輸を行い「酒幕」という煙草・酒・売春〜アヘン窟の洞を持つ
>>1 韓国なしで生きられないのはここの住人だけだよ!
249 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 19:10:52 ID:fw1CYW0+
>>1 「もう日本なしでは生きられない韓国」
にした方が正しい。
ん?何か間違ったことでも言いました?
ヤフーBBの人はROMるしかないか・・
>>249 「もう」だと思うのか?「ずっと」だと思うぞ。
>>249 間違い
「もう」ではない。かなり前からだから「すでに」?いやいやもっと適切な言葉があるはず
「昔から」とか・・・なにが適切かなぁ?
>>248 確かに。w
側から見てて、こんなにネタまみれの国が無くなったりしたら・・・
ウリはほとんど接触が無いので、実害が少ないニダ。
>>251 最初は中国だったでしょうから、「今はもう」って事で。
254 :
マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 19:18:02 ID:fw1CYW0+
>>251 おっと、盲点でした。
訂正→「【昔も】ずっと日本なしでは生きられない韓国【これからも】」
韓国への経済支援はすさまじい額ですからね。
・・・韓日の文化の区別・・・
________日__________韓
西洋学問__長崎−大阪−江戸−_
______佐倉で蘭学・横浜で英語__北京でフランス学問
カトリック_スペイン−ポルトガル___フランス・イタリア
______室町時代末期_______李氏朝鮮末期・日帝末期
儒家____陽明学「明の朱舜水」___性理説「礼学・譜学・心性−宇宙の原理・
______________________高麗忠烈王の時の安[王向]」
仏教の教判_法華一乗・阿弥陀一向一揆_華厳五教・弥勒仏を担ぎ革命
民間信仰__天照ほか_________檀君ほか
______巫女「みこ」_______巫壇(ムーダン)
______怨霊は平将門・菅原道真__恨(ハン)は赤塚となる崔瑩(チェりる)・仁祖による林慶業(イムぎょんオプ)将軍
______真光「大本教」______天道教(東学党[トンはくダン])
役人____公家−武士「文武両道」__両班(ヤンバン)の文班の内で武科[※李舜臣]より文科が上位優越
______穢多−非人「部落民」___白丁・チゲ・男寺党・居士など下人(ハいん)「奴婢(のビ)」
______家系図−仕官−寺子屋___族譜・科挙・生家の祀宇(さウ・仏間書斎)と王宮近くの親戚の[書檀・そだん]で養子教育
______漢字[訓読]かな混じり___漢字[真読]のみ諺文(おんムン・ハングぅる[大きい字])禁止
墓_____骨壷−火葬「荼毘」____円墳・土葬
______墓石−墓苑________自然地形・風水(一族の眠る良い竜穴に土葬する)
先祖供養__法事−法要________祭祀(チェサ)・※茶進(茶礼というが緑茶は供養しない)・秋夕(ちゅソク)
位牌____漆塗板−仏壇−線香−緑茶_紙・屏風囲みの祭壇・[果物の頭切り芳香]・マッコリ(朝鮮屠蘇)
______畳床−出身の一族で____板床・本貫の門中で
・・・韓日の文化の区別・・・つづき・・・
食その1__みそ「蔵−内気−寝かす」_メージュ(瓶・外気・天日干し塩漬け)
食その2__漬け物「大根は沢庵」___トンチミ(小さい−大根−キムチはチョン−カク−トゥギ)
食肉____いのしし−鴨−ニワトリ__犬(山の狼)・ヤギ(山にいる毛のある動物)・猪(山にいる豚)など
主食____ご飯「てんぷら刺身」___高粱・麦の粥(かゆ)作法・鍋物(チョンゴル→ぽしんたん(補身湯[犬肉鍋]))
______炊き上げコネ突き餅____※コウリャンの粉を固め蒸かす餅(ぴょんトック)
庶民飲料__緑茶−麦茶−ポンカン湯__釜の底の焦げ潤おかし湯(タン)を釜湯と呼ぶ[そば湯のような物]
酒_____清酒「日本酒」芋焼酎等__マッコリ(どぶろく・朝鮮屠蘇)※法酒(ポプチュ)
調味料ほか_しょう油−かつお節−___コチュ+トンチミ([(唐辛子)倭芥子+漬物]キムチ)・朝鮮人参・※冷麺
カマボコ・ハンペン・蒟蒻・ __________嘗糞(加羅王荷知の南斉国へ朝貢時代から)・
焼き海苔(浅草のり)・ところてん・寒天・ ___ホンタク[洪濁]
落雁・砂糖・飴・豆腐・お麩(ふ)・湯葉・ ___
麺(短冊型ソバガキ・麦切りソバ・わんこソバ・手延べウドン)・みりん・酢・葛餅など___
中国人が俗に言う
蒙古の羊飼い
女直の豚飼い(満洲の豚飼い・遼東の猪子の恥)
朝鮮の犬食い・人糞食い(ホンタク[洪濁・がんきエイ(洪魚)の人糞漬け・全羅道の木浦料理])
日本の薬食い(四足禁止だが、薬と称して猪鍋を食う)
中国は漢方で猿も人も食う・・・
朝鮮(諺文を3日で創作した世宗王が儒教の徹底の為に
高麗仏教の1万余寺を18ヶ院に削減し
釣鐘を溶かし首なし仏像へ破壊し僧侶など奴婢に落し強制労働させる)
山奥の仕事[オンドル土間の靴・硯墨筆・紙を創る]と特定両班に行商:居士(こサ)?
賤業・屠殺業の人夫: ぺくチョン(白丁)
_____のびた→奴婢[のび]た→のびょん
〜ヨン: けろヨン・ぺくちョン・のびョン・ヨン様
そろそろ日本も虫下し薬を飲む頃だな。
さて、寄生虫の在日から一言ありそうだw。
ど う ぞ
↓ ↓ ↓
北京原人_岩寺里_岩宿_ジャワ原人_インダス−−−−_最古都市エリコ・フェニキア(レバノン)
殷−−−_−−−_−−_−−−−−_アーリア−−−−_エジプト新王国・アッシリア(クルド)・鉄器ヒッタイト(トルコ)
周−−−_−−−_−−_−−−−−_コーサラ−−−−_アケメネス朝ペルシア・都市国家ギリシア・エトルリア・カルタゴ(チュニジア)
戦国−−_穢バク_倭人_−−−−−_マガダ国−−−−_アレキサンダのマケドニア・ローマ共和国・カルタゴ植民地
秦漢−−_漢四郡_−−_ボロブドル_マウリヤ(天竺)_ローマ帝国(大秦)・パルチア王国(安息)
六朝鮮卑_高句麗_倭国_ヤバドビバ_グプタ朝−−−−_西ゴート・東ローマ帝国・ササン朝ペルシア
唐−−−_新羅−_奈良_室利仏逝−_パーラ朝−−−−_イスラム−スペイン(ウマイア朝)・フランク王国・ビザンツ帝国・
・遊牧アバール(ハンガリー・ルーマニア・ポーランド)
・遊牧ハザール(ウクイライナ・ロシア)
・遊牧トルコ(突厥→ウイグル[回骨])
★満州皇帝(大清国皇帝)の他民族使節や元首への接見と交易(朝貢)窓口
________________________日本の長崎に来るオランダ船
広東省−広洲 西洋人の受け入れ窓口______日本の長崎に来る広東船
福建省−福州 琉球の使節と商人の受け入れ窓口_日本の長崎に来る福建船
熱河省−承徳 モンゴルの大ラマ
直隷省−北京 チベットの大ラマ 通行ルートを厳密に指定
直隷省−北京 朝鮮王 通行ルートを厳密に指定
___________(大同法[李朝収税法]
____________−平壌城[中国]・済浦−富山浦−塩浦[日本]釜山鎮・東莱城・日本府史)
_______________________日本の対馬が行く東莱城(釜山)への朝鮮通信船
_______________________日本の薩摩が行く琉球から出る南洋密貿易船
_______________________日本の長崎に来るカンボジア船
_______________________日本の松前の蛎崎氏のアイヌ謁見と
________________________千島列島で北前船の赤蝦夷交易(ロシア貿易)
★李朝側の処罰と日本への要求(朝鮮人本国送還要求・李朝は極度の純血主義と鎖国貿易)
○朝鮮女性で倭人と交際した者は→ 死刑(ぢぢ登場の巻: 新政府日本人や
対馬藩士と売春した朝鮮女性をノミで打ち首・ノコギリで打ち首・・・)
○朝鮮国内の日本帰国が出来ない倭兵(日本人)→日本人狩りをし皮剥ぎで殺す(朝鮮事情)
○日本・中国(明王朝)通じ渡った朝鮮人→ 死刑(江戸初有馬氏の妾・
慶応大学福沢諭吉の金玉均ら・漢字真読の李朝実録−ハングルの林慶業将軍伝)
○日本に潜んでいた外国人→ 死刑(元寇の多賀城国府の手前の燕沢で高麗兵を打ち首・
宗門改めで焚刑−水責め凍死・戦時統制下の日章旗を掲げない外国人の収容と処刑)
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三才図会(★明王朝時期の百科図鑑[1600年代])大雑把のイメージ
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「サハリン」はロシア語が語源ではなく
満州系の黒竜江下流の現地人が樺太を「サハリャン・ウラ・アンガ・ハタ」
(黒竜江口の峰)と呼んだことから来ています。
_
(外興安嶺
(羅禅(愛軍江) 山韃靼(黒龍江河口−間宮海峡) 庫葉島(苦夷・北樺太)
_
蒙古__遼_女直(満州・沿海州・おらんかい[おらんけ・うりゃんはい])
山海関 朝鮮
北京 山東_
_
淮_ 東海(東支那海)
_
揚子江
南京(呉越)浙江 日本
福建 琉球
広東 (小琉球−台湾)
_ 南海(南支那海)
_
( 安南[北ベトナム・京族] − 呂宋[ルソン島・タガログ語]
( 占城[南ベトナム・チャンパー国・チャム族]
( カレン族(ビルマ) シャム(タイ) カボチャ(カンボジア)
( シュリービシャヤ(スマトラ) ジャガタラ(ジャワ) ブルネイ(ボルネオ)
( 和蘭(オランダ)
( 南蛮(スペイン・ポルトガル)
★前漢〜三国志魏・西晋
中華の洛陽−戦国の韓−戦国の燕−遼河の先(遼東)−馬紫水の先(楽浪)− 列水(大同江)−
−帯水の先(中華の帯方)−東夷の韓(馬韓・真蕃朝鮮・穢侯・貊族・扶余族・沃沮)
韓の地(馬紫水[鴨緑江]の向こうの東夷の辺地・楽浪郡不而県[漢城]・楽浪郡海冥県[金海])
↓ ↓
韓 韓の東(東界・秦の空き地・楽浪郡南半荒地)を分離し
↓ ↓ 倭人のような小柄身体特徴の辰人を楽浪郡南部の東浜に移住させる。
↓ ↓ 真蕃朝鮮の漢人の呼ぶ文物の真似読みをし(秦の始皇帝)辰の子孫と自称。
↓ ↓ ↓
馬韓 辰韓の地(馬紫水の向こうに異民族の韓(馬韓・韓人)がおり
↓ ↓ ↓ 韓の東の辺地(東界・東浜)を割いて辰韓(辰人)と区別して呼ぶ)
↓ ↓ ↓
馬韓 辰韓 大柄で鬼神を祀る別民族(弁人)の原住民を小柄の辰人と弁別する
↓ ↓ ↓
馬韓 辰韓 弁辰の地
↓ ↓ ↓ ↓
馬韓 辰韓 弁辰 任那[弁辰]に弁人と一緒にいる小柄で文身(入れ墨)をした民族(倭人)
↓ ↓ ↓ ↓
韓人 辰人 弁人 倭人 鮮卑族に似た禿頭で半裸の大柄の大島人(済州島・巨文島)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
伯済 斯廬 狗邪 末廬 州胡(300-900年代・漢人の書き)
加羅 新羅 安羅 末羅 耽羅(1100年代・高麗の書き)
光州 慶州 金海 松浦 済州(1910-2004年・現在の書き)
馬韓伯済国 辰韓斯廬国 弁辰狗邪国[倭王武の海北・任那] 倭人末廬国[南倭] 鮮卑似州胡[北虜]
九州の松浦(まつら)は1290-1400年代の倭寇(大陸に対する海賊)の発生地
『漢書』卷二十八下地理志第八下(抄) 幽州屬後漢班固撰唐顔師古等註
『續漢書(後漢書)』郡國志五(幽州刺史部)晉司馬彪撰【梁 劉註】
『後漢書』東夷傳 劉宋 范曄撰【唐 章懐太子註】
『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳 晉 陳壽撰(宋 裴松之 註)
『晉書』地理志上 平州 唐 房玄齡 等 撰
『宋書』列傳 夷蠻(抜粋)宋 何承天 初撰 梁 沈約 完成
『通典』邊防 東夷上 百濟 新羅 倭國 唐 杜佑 撰
[新羅は]穢侯あるいは穢王[の]不耐という名の人の穢(wai[偏水旁歳])之地
穢[領]は帯方郡太守弓遵を戦死させた韓族の地
漢書以前:穢族(穢侯不耐・馬韓月支国の辰王が弁辰を治める・秦之空地)
____:貊族(扶余・僭称の韓王淮[準]は朝鮮侯・桓逃亡地)
前漢武帝:漢時樂浪郡之地(楽浪郡不耐県[南漢山?]・楽浪郡屯有県[慶州?]など)
三国志魏:魏時新盧國(辰韓斯盧國)
前秦符堅:秦時に王の樓寒が穢王不耐(楽浪郡不耐県)の姓名を改易した旨を伝え朝貢して来た
六朝宋国:宋時曰新羅(新羅城)
梁武帝_:梁時の普通二年に王姓慕名秦で城曰「健牟羅[ちんムら]」(王は慕秦という名、慕韓・秦韓)
隋文帝_:隋時に王姓金名眞平(金真平[ちんチンぴん]と言う名の王・金城[ちんチャン(健牟羅城)])
____:朝貢の際に「樂浪郡公、新羅王」と名乗る「加羅任那諸國」を滅ぼし領土世襲
【 高句麗好太王・倭王武・六朝宋国時代の前後の行政名 】
[任那]比列忽県=江原道安辺=臨屯郡東施県
[任那]何琵羅県(冥州)
[任那]悉直県
[辰韓]斯盧国(新羅城・健牟羅城・金城)楽浪郡屯有県?
[任那]召文県(安東?)楽浪郡遂城県?
[任那]沙伐県(尚州)
[任那]卓淳県(倭館・星州?・星湖?)楽浪郡崎離営?
[任那]南加羅県(任那日本府?・金官国?・金海?)[弁辰]狗邪国・楽浪郡海冥県?
[任那]安羅県(済浦?・馬山?)帯方郡新南県?
[任那]帯沙県
[任那]多利県
[任那]牟婁県・[馬韓]咨離牟廬國?
[任那]己文県(光州?)[馬韓]古蒲國?[馬韓]楽奴国?・楽浪郡楽県?・真番郡樂都県?
[任那]泗比県(扶余)[馬韓]月支国?
[任那]熊津県(公州)[馬韓]伯済国?・百済?
[任那]馬津県(牙山?)
[任那]買召県(済物浦・仁川)楽浪郡含資県?帶水[アリ水・漢江]は帶方[県]の西に至る[含資県で]海に入る
北漢山(慰礼城・漢州・泰村王・泰封国・京城・ソウル)楽浪郡帯方県?
南漢山(漢城)楽浪郡不而県?[西部で反乱した穢王不而の地の]東部[の帯方県]は都尉が治める
楽浪郡朝鮮県(王倹城・平壌城)
『後漢書』東夷傳 後漢班固撰
韓有三種:一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁辰
馬韓在西、有五十四國。其北與樂浪、南與倭接
辰韓在東、十有二國、其北與wai[扁水旁歳]貊接
弁辰在辰韓之南、亦十有二國、其南亦與倭接
凡七十八國、伯濟是其一國焉。大者萬餘戸、小者數千家、各在山海間
地合方四千餘里、東西以海爲限。皆古之辰國也
馬韓最大、共立其種爲辰王、都目支國。盡王三韓之地。其諸國王先皆是馬韓種人焉
『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳 晉 陳壽撰(宋 裴松之 註)
馬韓在西。其民土著、種植、知蠶桑、作緜布
各有長帥、大者自名爲臣智、其次爲邑借、散在山海間、無城郭
有爰襄國、牟水國、桑外國、小石索國、大石索國、優休牟taku[偏水旁右琢]國、臣濆沽國
伯濟國、速廬不斯國、日華國、古誕者國、古離國、怒藍國
月支國、咨離牟廬國、素謂乾國、古爰國、莫廬國、卑離國、占離卑國、臣釁國、支侵國、狗廬國、卑彌國、藍奚卑離國
古蒲國、致利鞠國、冉路國、兒林國、駟廬國、内卑離國、感奚國
萬廬國、辟卑離國、臼斯烏旦國、一離國、不彌國、支半國、狗素國、捷廬國
牟廬卑離國、臣蘇塗國、莫廬國、古臘國、臨素半國、臣雲新國、如來卑離國、楚山塗卑離國、一難國、狗奚國
不雲國、不斯濆邪國、爰池國、乾馬國、楚離國、凡五十餘國
今有名之爲秦韓者。始有六國、稍分爲十二國
弁辰亦十二國、又有諸小別邑、各有渠帥、大者名臣智、其次有險側
次有樊wai[偏水旁歳]、次有刹奚、次有邑借
有已柢國、不斯國、弁辰彌離彌凍國、弁辰接塗國、勤耆國、難彌離彌凍國
弁辰古資彌凍國、弁辰古淳是國、冉奚國、弁辰半路國、弁(辰)樂奴國、軍彌國
弁辰彌烏邪馬國、如湛國、弁辰甘路國、戸路國、州鮮國(馬延國)
弁辰狗邪國、弁辰走漕馬國、弁辰安邪國(馬延國)、弁辰toku[偏水旁賣]盧國
斯盧國、優由國。 弁、辰合二十四國、大國四五千家、小國六七百家、總四五萬戸
其十二國屬辰王。辰王常用馬韓人作之、世世相繼。辰王不得自立爲王
●弁辰狗邪國=狗邪韓國
●[辰韓]斯盧國=新羅
●[馬韓]伯濟國
●弁辰古淳是國?=[任那]卓淳県?=倭館=星州?=星湖?
(李朝末[教獄・邪獄]−北人星湖学派・開化派)
●[馬韓]咨離牟廬國?=[任那]牟婁県
(尻牟婁県・下牟婁県[下閉伊郡・上閉伊郡のような命名])
●[馬韓]古蒲國?=[任那]己文県=巨文?=巨門?=光州?
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☆『漢書』★『後漢書(續漢書)』◆『晉書』
■『晉書』帶方郡【公孫度置。統縣七】●『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳
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玄菟郡、武帝元封四年開。
高句驪、莽曰下句驪。屬幽州。【應劭曰:「故眞番、朝鮮胡國。」】
戸四萬五千六、口二十二萬一千八百四十五。
縣三:
☆★◆高句驪。遼山、遼水所出、西南至遼隊入大遼水。又有南蘇水。
西北經塞外。【應劭曰:「故句驪胡。」】
遼山、遼水出。【山海經曰:「遼水出白平東。」
郭璞曰:「出塞外衛白平山。遼山、小遼水所出。」】
☆★上殷台、莽曰下殷。
【如淳曰:「台音[魚台]。師古曰:「音胎。」】
☆★西蓋馬。馬si[冠此脚言]水西北入鹽難水。
西南至西安平入海。過郡二、行二千一百里。莽曰玄菟亭。
★◆高顯 故屬遼東。
★候城 故屬遼東。
★遼陽 故屬遼東。[東觀書安帝即位之年、分三縣來屬。】
◆望平
樂浪郡、武帝元封三年開。莽曰樂鮮。屬幽州。
【應劭曰:「故朝鮮國也。」師古曰:「樂音洛。浪音狼。」】
戸六萬二千八百一十二、口四十萬六千七百四十八。有雲seu[扁章旁右郊]。
縣二十五:
☆★◆朝鮮【應劭曰:「武王封箕子於朝鮮。」】【周封箕子地。】
☆★[言冉]邯=nan[言○]邯。【孟康曰:「[言○]音男。」師古曰:「[言○]音乃甘反。邯音酣。」】
☆★[シ貝]水、水西至 増地 入海。莽曰 樂鮮 亭。【師古曰:「[シ貝]音普大反。】
☆★■含資、帶水西至 帶方 入海。
☆★占蝉=黏[虫單]、【服虔曰:「[虫單]音提。」】
☆★◆遂城=遂成,【秦築長城之所起。】☆★搨n=増地、莽曰増土,
☆★■帶方,☆◆駟望,●[馬韓]駟廬國☆■海冥、莽曰海桓。★駟望海冥
☆★■列口,【郭璞注山海經曰:「列、水名。列水在遼東。」】
☆★長岑,☆★◆屯有,☆★昭明、南部 都尉 治。☆★◆鏤方,
☆★■提奚,●[馬韓]感奚國●[馬韓]藍奚卑離國●[馬韓]狗奚國●[辰韓]冉奚國
☆★◆渾彌【師古曰:「渾音下毘反。」】,●[辰韓]軍彌國☆呑列、
☆分黎山、列水所出。西至黏蝉入海。
行八百二十里。東[目施]【應劭曰:「音移。」】,(☆臨屯郡東[目施]県?)
☆不而、東部 都尉 治。☆蠶台【師古曰:「台音胎。」】,☆華麗,
☆邪頭昧【孟康曰:「昧音妹。」】,☆前莫,☆夫租。
★樂都。●弁(辰)樂奴國(☆真番郡樂都県?)■南新■長岑
いわゆる魏志倭人伝の前項の韓条(三国志魏書東夷伝朝鮮条 BC108〜
AD313)は「韓国(ハンぐく)」ではなく「辰国(ちんグク)」
いにしえの辰国[秦の始皇帝がなった時の中国[斉・燕・趙]の亡命人や流民の国]
[秦の空き地である楽浪郡の南の荒地で後の東夷の韓族の東界を分離し辰韓と呼び東浜に移住]・
辰王[馬韓人の馬韓−月支国の酋長が即位する]・
辰韓[後に新羅城[金城・現−慶州]になる辰韓−斯盧国ふくむ12国の地区]・
弁辰[小柄の辰人とは別に同じ馬韓の東界地区に大柄で別の鬼神を祀る生活様式が異なる民[弁人]が雑居・雑住する]
■ 前漢後漢〜魏晋〜南北朝(鮮卑族の北魏[拓跋魏・冉魏]・南の六朝)〜隋までの歴史認識の欠落
【 朝鮮半島における歴史地図( 略図 ) 】
楽浪郡−玄菟郡−玄菟郡−玄菟郡高句麗県(玄菟郡[貊]はく族の地BC108〜?)
楽浪郡朝鮮県−−臨屯郡−玄菟郡(【朝鮮の由来】朝貢、鮮[あさ]し=[すくな]し)
楽浪郡−楽浪郡帯方県−−臨屯郡東施県(臨屯郡[穢・シ歳]わい族の地BC108〜BC82)
真番郡−楽浪郡不而県−−臨屯郡
真番郡−楽浪郡崎離営−−楽浪郡屯有県(『魏書』新羅、辰韓斯盧國 )
真番郡−楽浪郡海冥県−−楽浪郡遂城県(『通典』新羅、兼有漢時樂浪郡之地 )
(楽浪郡BC108〜AD313、後漢時に交易し三国魏時に朝貢し西晋時に弁辰[任那]を倭が支配)
(真番郡BC108〜BC82 前漢時に設置し後漢時に臨屯郡と共に楽浪郡へ併せ2郡は廃止)
『魏書』倭、弁辰在辰韓之南・『魏書』倭、帶方東南大海中・『宋書』海北[任那]95国を倭王武が領有・
『魏書』韓在帶方之南東西以海爲限南與倭接『漢書』樂浪海中有倭人『続漢書』倭國之極南界也)
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マンセー名無しさん:2005/10/20(木) 20:20:04 ID:FeIhbH0r
ファビョってるな