洪慶洙(ホンキョンス)さん(42)は、日本で初めて手にした給料袋の重みに驚いた。50万円。
洪さんが韓国でもらっていた給料の3か月分だった。友人8人を招待して居酒屋でどんちゃん
騒ぎをし、両親にも財布をプレゼントした。「夢を見ている気分だったよ」。14年前の出来事を懐
かしそうに振り返る。
1990年代初頭、洪さんがソウルの貴金属工場で働いていた当時の韓国。盧泰愚(ノテウ)政
権に対し、民主化を求める学生主体のデモの嵐が吹き荒れ、社会は混乱、景気も低迷していた。
当時、日本の国内総生産(GDP)は韓国の10倍以上。そんな時、都内に住む先輩から「日本に
は大きな仕事がある」と誘われ、単身日本へ渡った。
(中略)
しかし、ニューカマーの「夢」は長く続かなかった。崔鍾奎(チェチョンキュ)さん(50)は今、甲府
市の中心商店街の食品販売店で働く。97年に来日し、一時は指輪を製造する小さな工場も経営
したが、昨年、指輪1個あたりの利益は最盛期の3割に落ち込み、結局、閉鎖を決断した。かつて
の工場長は、食品販売店で食材の仕入れを担当するアルバイトとして出直した。8年前、一緒にソ
ウルから渡った妻は今の環境に慣れ親しみ、母と姉も県内に住んでいる。「夢も希望も失った。
でも、家族との生活を考えると、ここから出ていくことは難しい」
夢がさめ、現実に直面するニューカマー。帰国者もいるが、時がたつほど定住化傾向は強まる。
韓人山梨貴金属協会(甲府市)の金貞洙(キムジョンスウ)会長(50)は「貴金属で海を渡った人の
多くにとって、山梨はこれから第二の故郷となるかもしれない」と話している。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/kikaku/026/5.htm