他面、満州の悲劇は、戦後左翼思想の跋扈(ばっこ)する中で
関東軍が入植者を見捨てて真っ先に逃げたという伝説も生みました。
関東軍は、主要部隊を次々と南方に引き抜かれ
見る影もなく弱体化していましたが、それでも善く戦っています。
東部正面の第百二十四師団は、ソ連軍主力の猛攻を五日間支えて
牡丹江在留邦人三万人の後退を完了させてから停戦しました。
西部の第百七師団も健闘して邦人を退避させています。
内蒙古の駐蒙軍は邦人引き揚げまで、ソ連軍進駐の猶予を求めたが容れられず、
善戦して四万の張家口邦人全員引き揚げを完了させています。
もちろん、大本営命令にしたがって早期に武装解除した地域
あるいは軍から遠く離れた地域には惨劇もあり、混乱の中
それぞれの環境は千差万別でしたが、軍が故意に邦人の生命の安全を無視した
などということは、当時の日本人の心情として、とうてい考えられないことです。
中国からの引き揚げは対照的でした。
部分的な事件は避け難かったとはいえ、日本軍将兵百十万、在留邦人五十万は
整々と日本に引き揚げました。満州と違い、本土とさえ違って
日本軍が武力を保持して居留民保護の責任を果たしたのがその直接の原因
(天皇の言う事を聞かなかったから生きて帰国できた。天皇と管財側は日本人に謝り賠償すべき。)
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